05/07/28 15:48:15
>>278
>子ども期のおわりの大人ゴッコというのはむつかしいものだね。
>「ひとつの時代を生き切ったものは、次の時代に生きるのがむつかしい」って中井久雄は「治療文化論」で言っているけれど。
残酷な表現になるけれど、管理反対運動などで、体や心がボロボロになる人がいたり、
自殺者さえ出たりするのは、十代半ば~二十代初頭くらいの大きな子ども/若い大人にとっては、入会儀礼なんでしょうね。
人生や社会には残酷なものがあると人生の初期に自我にきざみこまれるのは、衝撃的です。
そのあと、ヘンになる人がいても当然でしょう。
社会とか自我とかいうものに入ってゆくのはたいへんなことで、それもまた慣れたり受け入れたりしなければ
生きてゆけないのが、個人と社会にとっての限界なのかもしれません。
だからといって、傷つくこと・失敗することを恐れるゆえにニヒルやシニカルに走っても、うるものは少ない。
安易に「中途半端なロマンティシズム(ミヤダイ)」にも流されずに、長じてからは単なるノスタルジーにのまれることもなく
やってゆくにはどうすればよいのでしょう?
(モレの知り合いには、ロマンテイックな恋愛・同棲生活に救いを求めて、
勉強も友達づきあいも何も捨ててしまい、ふたりの世界で崩壊していったヤシもいる。それに、ノスタルジーにのみこまれて、
骨董品や古典芸能などの世界にひたって浮世離れした美意識のなかに癒しを求めたヤシも。)
何も子どもの権利とか、自由・個性・選択・開放といった理念すべてが悪ではありません。
現実と理想の落差をしりつつ、少しずつでもマシな状態にするべく不断の努力と工夫をしてゆくしかないのでしょう。
妙につるんでばかりではなく、各自が自分のテーマを深めることも求められるのでしょう。
そういったことを、死者に敬意を払いつつ、考えてゆきたいですね。