三島由紀夫の社会学at SOCIOLOGY
三島由紀夫の社会学 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@社会人
08/06/20 19:15:37
宮台信者絶滅祈願m(_ _)m

3:名無しさん@社会人
08/06/20 19:18:51
思想塾壊滅祈願d=(^o^)=b

4:名無しさん@社会人
08/06/20 22:27:58
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より


5:名無しさん@社会人
08/06/20 22:30:25
私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。
私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。
そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
(中略)
この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。
(中略)
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。
否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。
政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。

三島由紀夫
「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」より


6:名無しさん@社会人
08/06/20 22:31:24
個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。
もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、
その実践によって、文学に対する近代主義的盲信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。

三島由紀夫
「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」より


7:名無しさん@社会人
08/06/20 22:34:31
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

三島由紀夫
「果てし得ていない約束―私の中の二十五年」より


8:名無しさん@社会人
08/06/21 10:28:47
今日の読売新聞の辻井喬の回顧録は、三島由紀夫と石橋湛山の共通思想を考察しながら、
三島が戦後の手続き民主主義の欺瞞に、生命を賭けて反対したことについて触れています。
三島を領土拡大や国粋主義右翼と見るのは、意図的な誤解で、誤りだと述べています。

先週、先々週土曜日の回顧録にも三島のことが載ってます。

9:名無しさん@社会人
08/06/21 11:59:39
三島由紀夫が自らの生命を賭けて反対した思想の重要な側面は、この、手続きさえ合っていれば、その政策や行動の内容は問わないという、敗戦後のわが国の文化風土だったのではないか。
彼の目に、それは思想的退廃としか映らなかったのである。
…しかし、多くのメディアや芸術家は、彼の行動の華々しさや烈しさに目を奪われて、それを右翼的な暴発としか見なかった。

辻井喬
「叙情と闘争」(読売新聞連載回顧録)より


10:名無しさん@社会人
08/06/21 14:59:18
彼は(三島は)無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


11:名無しさん@社会人
08/06/21 15:00:05
世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。
“死”は誰でも逃げたいものだから。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


12:名無しさん@社会人
08/06/21 15:00:54
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


13:名無しさん@社会人
08/06/21 15:01:45
彼は少年時代に戻って死んだ。
少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


14:名無しさん@社会人
08/06/23 15:23:07
三島氏は、日本人について、「繊細優美な感受性と、勇敢な気性との、たぐい稀な結合」と云った。
そして「これだけ精妙繊細な文化伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ衰亡してしまう」と云う。
この史観と実践倫理を、彼の一代の生き方の上に重ねた時、わが身心は、ただおののく感じである。

保田與重郎
「ただ一人」より


15:名無しさん@社会人
08/06/23 15:27:33
日本の民と国との歴史の上で、天地にわたる正大なる気を考える時、偉大なる生の本願を、文人の信実として表現した人は、戦後世代の中で、日本の文学の歴史は、三島由紀夫ただ一人を記録する。
過渡期を超越したこの人である。

保田與重郎
「ただ一人」より

16:名無しさん@社会人
08/06/26 10:39:11
戦後文学の作品は沢山あり、さらに沢山つみあげられることだろう。今や大企業である。
しかしついのつまりに、三島由紀夫だけが文学及び文学者として、後の世に伝わってゆくだろう。
彼は紙幣を作っていたのでも、銀行預金通帳の数字を書き加えたのでもないからである。

保田與重郎
「戦後文学観」より

17:名無しさん@社会人
08/06/26 11:35:01
あの市ヶ谷での事件は、政治的なニヒリズムにもとづくパフォーマンスでも、非現実的なクーデタでもない。
三島は大塩平八郎と同様に、それが必ず失敗する事は識っていただろう。
にもかかわらずそれを試みることは、自滅ではなく、そのような大義を信じるものが日本に一人はいるということを示すための言挙げであり、
その言葉が、必ず、たとえば後世に対してであっても、聞く耳を持った者に伝わるという確信の表明だ。
故にそれはニヒリズムに似ており、ニヒリズムに発しているのだが、その大いなる否定なのである。

福田和也
「保田與重郎と昭和の御代」より


18:名無しさん@社会人
08/06/26 11:52:16
すべての国民が悪魔に魂を売り、経済の高度成長と取引をしたように、現世相は一応思えるかもしれぬが、国の正気の脈々としたものが、必ず潜流しているにちがいないと私は思う。
それなくしては日本はなくなり、人類も、理想も、文明も消滅するのである。
人類に意志はなくとも、生命の起源に於て、天地との約束はあったと思う。これを神々という御名でよぶことを、私はためらはない。

保田與重郎
「ただ一人」より


19:名無しさん@社会人
08/06/26 12:49:42
三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。
恐らく、弟子である森田必勝には師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。三島の首には幾筋もの刀傷がついていた。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。
罪人の斬首の場合、どんな豪胆な連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門(首切朝右衛門)は語っている。
しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。
楯の会が小説家の道楽ではないことの確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように嘲笑的な態度を取ったのである。

呉智英
「三島由紀夫が死んだ日」より

20:名無しさん@社会人
08/07/01 14:05:23
三島由紀夫氏の最後の四巻本の小説は、小説の歴史あってこの方、何人もしなかったことを、小説の歴史に立脚した上でなしあげようとしたのであろう。
そういう思いが、十分に理解されるような大作品である。

三島氏も、人のせぬおそるべきことを考え、ほとほとなしとげた。
そこには人間の歴史あってこの方の小説の歴史を、大網一つにつつみ込むような振る舞いが見える。

保田與重郎
「日本の文学史」より


21:名無しさん@社会人
08/07/01 14:07:44
人を、心に於て、最後に解剖してゆくような努力は、私に怖ろしいものと思われた。
三島氏ほどの天才が思っていた最後の一念は、皮相の文学論や思想論に慢心している世俗者よりも、そういうものとは無縁無垢の人に共感されるもののようにも思われる。
その共感を言葉でいい、文字で書けば、うそになって死んでしまうような生の感情である。

保田與重郎
「日本の文学史」より


22:名無しさん@社会人
08/07/01 14:48:25
私が三島由紀夫氏を初めて知ったのは、彼が学習院中等部の上級生の時だった。
…そのあと高等部の学生の頃にも、東京帝国大学の学生となってからも、何回か訪ねてきた。
ある秋の日、南うけの畳廊下で話していると、彼の呼吸が目に顕ったので、不思議なことに思った。
吐く息の見えるわけはなく、又寒さに白く氷っているのでもない。
長い間不思議に思っていたが、やはりあの事件のあとで拙宅へきた雑誌社の人で、三島氏を知っている者が、彼は喘息だったからではないかと云った。
私はこの齢稚い天才児を、もっと不思議の観念で見ていたので、この話をきいたあとも、一応そうかと思い、やはり別の印象を残している。

保田與重郎
「天の時雨」より


23:名無しさん@社会人
08/07/01 20:36:42
完全に板違い。削除依頼だしとけ基地外

24:名無しさん@社会人
08/07/01 23:10:14
三島由紀夫は復活する。

小室直樹

25:名無しさん@社会人
08/07/02 12:01:54
彼がそのわかい晩年で考えた、天皇は文化だという系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、生活であり、道徳であり、従って節度とか態度、あるいは美観、文芸などの、おしなべての根拠になっている。
三島氏が最後に見ていた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。
武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だった。
そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。

保田與重郎
「天の時雨」より


26:名無しさん@社会人
08/07/02 12:02:30
三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。
そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。私は故人に対し謙虚でありたいからである。
三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などという巷説は、まことににがにがしい。
その振る舞いは創作の場の延長ではなく、まだわかっていないいのちの生まれる混沌の場の現出であった。
国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。

保田與重郎
「天の時雨」より


27:名無しさん@社会人
08/07/03 14:44:07
私は日本民族の永遠を信じる。
今や三島氏は、彼がこの世の業に小説をかき、武道を学び、演劇をし、楯の会の分列行進を見ていた、数々のこの世の日々よりも、多くの国民にとってはるかに近いところにいる。
今日以後も無数の国民の心に生きるようになったのだ。そういう人々とは、三島由紀夫という高名な文学を一つも知らない人々の無数をも交えている。

保田與重郎
「天の時雨」より


28:名無しさん@社会人
08/07/03 14:44:59
総監室前バルコニーで太刀に見入っている三島氏の姿は、この国を守りつたえてきたわれらの祖先と神々の、最もかなしい、かつ美しい姿の現にあらわれたものだった。
しかしこの図の印象は、この世の泪という泪がすべてかれつくしても、なおつきぬほどのかなしさである。
豊麗多彩の作家は最後に天皇陛下万歳の声をのこして、この世の人の目から消えたのである。日本の文学史上の大作家の現身は滅んだ。

保田與重郎
「天の時雨」より


29:名無しさん@社会人
08/07/04 11:00:59
近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。
人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。
三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。
作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、この世への「見返し」を選んだ。
五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイなものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。

小室直樹
「三島由紀夫と『天皇』」より


30:名無しさん@社会人
08/07/05 05:17:51
三島由紀夫の英語力はまずまずといえる。当時の割にはうますぎるとさえいえる。
ところで、柄谷行人の英語(口語英語)は下手くそだなw

31:名無しさん@社会人
08/07/05 05:21:30
いまユーチューブで見たが、予想以上に三島の話す英語はうまいよw
あまりにうますぎてワロタw っていうか、当時、どうやったらあそこまで
うまくなるのか不思議ではある。他の同年代の方々の英語は三島英語に
比べたら、全然なっちゃいねえww さすが三島さんだぜ!しびれる!!!!
やっぱり三島は偉大だったwwwwwwwwwwwww

32:名無しさん@社会人
08/07/05 05:23:28
なんで三島の英語はこんなにうまいのだろう?なんで三島の英語はこんなにうまいのだろう?
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なんで三島の英語はこんなにうまいのだろう?なんで三島の英語はこんなにうまいのだろう?

33:名無しさん@社会人
08/07/05 05:37:09
URLリンク(jp.youtube.com)

34:名無しさん@社会人
08/07/05 05:43:14
そんなに英語は練習・勉強してなかった気がするが、それでも普通に
英語でうまく表現してる三島。必死に英語をガリ勉してる現代人よりも
はるかにうまい英語を話す三島。本格的に英語の練習したらイギリス人
なみに英語できると思われる。素質は十分ある。さすがです。

35:名無しさん@社会人
08/07/05 05:45:24
それに比べて、村上春樹も大江健三郎も柄谷行人もひどい英語だな。
ものすごくききとりづらい下手な英語。

36:名無しさん@社会人
08/07/05 05:48:42
三島の英語がこんなにイケてるとは!意外な驚きだった。
いい感じで英語を話してる。非常に自然体だし、日本語話してるときと同様、
まったく違和感ないというのがすごいw 最高の手本なんじゃね?

37:名無しさん@社会人
08/07/05 22:07:22
三島由紀夫は海外へ取材や外遊に行くことが多く、ネイティブと会話することで自然と英語が身につき、上達に役立ったのだと思う。


38:名無しさん@社会人
08/07/06 02:24:15
海外へ取材や外遊に行く下手な現代日本人よりも
三島の方がうまい英語を話してるw

39:名無しさん@社会人
08/07/06 11:30:41
たしかドイツ語も得意なんだよね三島由紀夫は。
学内で一番だったとドイツ語の元教師が語ってたらしい。

40:名無しさん@社会人
08/07/08 10:57:37
三島由紀夫「伊沢さんは保田與重郎さんが好きですか、嫌いですか?」

伊沢甲子麿「保田さんは私の尊敬する人物です。
…戦後、保田さんを右翼だとか軍国主義だとか言って非難するものがありますが、私はそのような意見とは真向から戦っています。
保田さんは立派な日本人であり文豪です。」

三島「私は保田さんをほめる人は大好きだし悪く言う人は大嫌いなのです。今、伊沢さんが言われたことで貴方を信頼できる方だと思いました。」

当時、三島氏は大蔵省の若手エリート官僚であった。
…三島氏は天才的な作家であり東大法学部出身の最優秀の官僚でありながら、いささかも驕りたかぶるところがない謙虚な人柄であった。
そして義理と人情にあつい人であるということがわかったのである。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より


41:名無しさん@社会人
08/07/08 10:58:20
三島氏の要望により私は歴史と教育に関する話をいろいろとするに至った。
特に歴史では明治維新の志士について。中でも吉田松陰や真木和泉守の精神思想を何度も望まれて話した。
…三島氏は松陰や真木和泉守の話を私が始めると、和室であったため座布団をのけて正座してしまうのだった。
…その外では西郷隆盛の西南の役の話や、また尊皇派の反対の佐幕派の人物である近藤勇や土方歳三の話も何度となく望まれて語った次第である。
特に近藤勇は三島氏の祖母の祖父である永井尚志が近藤勇とは心を許し合った友人であったため、深く敬愛の情を寄せていた様である。

伊沢甲子麿
「思い出の三島由紀夫」より


42:名無しさん@社会人
08/07/08 10:59:05
三島由紀夫は、戦争末期の終末感と日本浪漫派系の文学趣味を背後に押し遣って、戦後に登場したとき、何をいちばん怖れたかといえば、
日本浪漫派系の没落と入れ替わりに登場した、第一次戦後派文学と呼ばれる転向左翼の文学者でもなければ、無頼派の文学者でもなく、
戦争末期の終末感を抱いたまま生き埋めにされ、なお節を曲げずに「紙なければ、空にも書かん」とつぶやいている保田與重郎という存在であろう。

桶谷秀昭
「三島由紀夫と保田與重郎」より


43:名無しさん@社会人
08/07/08 21:08:21
>>32
口パクの吹き替えだから。
マドンナの日本ツアーと一緒。

44:名無しさん@社会人
08/07/09 12:13:52
>>43
外国人記者クラブなどで、三島由紀夫が生スピーチしたCDも出てるよ。

45:名無しさん@社会人
08/07/11 12:42:31
「花ざかりの森」の作者は全くの年少者である。どういう人であるかということは暫く秘しておきたい。それが最もいいと信ずるからである。
もし強いて知りたい人があったら、われわれ自身の年少者というようなものであるとだけ答えておく。
日本にもこんな年少者が生まれて来つつあることは何とも言葉に言いようのないよろこびであるし、日本の文学に自信のない人たちには、この事実は信じられない位の驚きともなるであろう。

蓮田善明
昭和16年「文芸文化」より

46:名無しさん@社会人
08/07/11 12:43:10
この年少の作者は、しかし悠久な日本の歴史の請し子である。
我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。此の作者を知ってこの一篇を載せることになったのはほんの偶然であった。
しかし全く我々の中から生まれたものであることを直ぐに覚った。そういう縁はあったのである。

蓮田善明
昭和16年「文芸文化」より


47:名無しさん@社会人
08/07/11 12:44:20
交遊に乏しい私も、一年に二人か一人くらいづつ、このように国文学の前にたたずみ、立ちつくしている少年を見出でる。
「文芸文化」に〈花ざかりの森〉〈世々に残さん〉を書いている二十歳にならぬ少年も亦その一人であるが、悉皆国文学の中から語りいでられた霊のような人である…。

蓮田善明
昭和18年「文学」より


48:名無しさん@社会人
08/07/11 14:03:03
歴史を喪ったわれわれが、いのちを振い起そうとして今日古典に索めるのは、
歴史を失ってかえって不逞にも己を傲るためにとて万葉集に擬している輩のようなことでもなく、「御時勢」でもない。
古典をまどい尋ねているのは、われわれのうしなったいのちへの郷愁の情である。

今日はこのように郷愁するものが妖雲を打ち撥っている。それは単に武力のすることでなく、たけび立つ皇国人の全生命の堪えがたくて決断するところである。

蓮田善明
「神韻の文学」より

49:名無しさん@社会人
08/07/11 14:05:24
芸術とは、芸術へ花さかしめる意気があらねばならない。

われわれの祖先に於いては、それは国振としてある。このように国のいのちの振い興っている時、「都」の精神というものが生々活々のものとなり、
「みやこび」又は「みやび」として芸術が意気以て花さいている。
それはたとえば平安朝の如く優柔と見られても、子細に省みれば、古今和歌集の如きが国振の復興として「やまと魂」を詩品にまで化したその成跡は、
実に今日まで日本人の雅情として拭い去ることのできないものを打ち樹てたのである。

蓮田善明
「神韻の文学」より


50:名無しさん@社会人
08/07/11 14:06:41
そのような国の雅情というものが理解されず、或はかのリアリズムというようなものの影響者に軽蔑さえされている所以は、
彼等に「都」を打ちたてる意気どころか、唯国際主義的なものに、性根もなく眼奪われ随従日も足らざる世界の田舎者の呈した状況であるほかの何ものでもない。
リアリズムという念仏につんのめって手を汚している者に、耀く都の光など思いも寄らぬことである。
スケールとか手法とかを学べば学ぶだけ小ざかしく、かえって人を豊かに養うべき芸術のいのちに反して、今は芸術の勉強家たちが益々貧しくいやしく見えてきていたのは何故か。

蓮田善明
「神韻の文学」より


51:名無しさん@社会人
08/07/11 14:08:00
前略
「蓮田善明とその死」感激と興奮を以て読み了えました。毎月、これを拝読するたびに魂を振起されるような気がしました。
この御作品のおかげで、戦後二十数年を隔てて、蓮田氏と小生との結縁が確められ固められた気がいたしました。
御文章を通じて蓮田氏の声が小生に語りかけて来ました。
蓮田氏と同年にいたり、なおべんべんと生きているのが恥ずかしくなりました。
一体、小生の忘恩は、数十年後に我身に罪を報いて来るようであります。
今では小生は、嘘もかくしもなく、蓮田氏の立派な最期を羨むほかに、なす術を知りません。

三島由紀夫
昭和42年
小高根二郎への書簡から

52:名無しさん@社会人
08/07/11 14:17:54
私はまづ氏(蓮田善明)が何に対してあんなに怒っていたかがわかってきた。
あれは日本の知識人に対する怒りだった。最大の「内部の敵」に対する怒りだった。

戦時中も現在も日本近代知識人の性格がほとんど不変なのは愕くべきことであり、
その怯懦、その冷笑、その客観主義、その根なし草的な共通心情、その不誠実、その事大主義、その抵抗の身ぶり、その独善、その非行動性、その多弁、その食言、
……それらが戦時における偽善に修飾されたとき、どのような腐敗を放ち、どのように文化の本質を毒したか、
蓮田氏はつぶさに見て、自分の少年のような非妥協のやさしさがとらえた文化のために、憤りにかられていたのである。

三島由紀夫
「蓮田善明とその死」序文より


53:名無しさん@社会人
08/07/14 11:40:17
「洋食の作法は下らないことのようだが」と本多は教えながら言った。
「きちんとした作法で自然にのびのびと洋食を喰べれば、それを見ただけで人は安心するのだ。
一寸ばかり育ちがいいという印象を与えるだけで、社会的信用は格段に増すし、日本で『育ちがいい』ということは、つまり西洋風な生活を体で知っているということだけのことなんだからね。
純然たる日本人というのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。
これからの日本では、そのどちらも少なくなるだろう。
日本という純粋な毒は薄まって、世界中のどこの国の人の口にも合う嗜好品になったのだ」

三島由紀夫
「天人五衰」より


54:名無しさん@社会人
08/07/14 11:41:08
「…僕は君のような美しい人のために殺されるなら、ちっとも後悔しないよ。
この世の中には、どこかにすごい金持の醜い強力な存在がいて、純粋な美しいものを滅ぼそうと、虎視眈々と狙っているんだ。
とうとう僕らが奴らの目にとまった、というわけなんだろう。
そういう奴相手に闘うには、並大抵な覚悟ではできない。奴らは世界中に網を張っているからだ。
はじめは奴らに無抵抗に服従するふりをして、何でも言いなりになってやるんだ。そうしてゆっくり時間をかけて、奴らの弱点を探るんだ。
ここぞと思ったところで反撃に出るためには、こちらも十分力を蓄え、敵の弱点もすっかり握った上でなくてはだめなんだよ。

三島由紀夫
「天人五衰」より


55:名無しさん@社会人
08/07/14 11:44:25
純粋で美しい者は、そもそも人間の敵なのだということを忘れてはいけない。
奴らの戦いが有利なのは、人間は全部奴らの味方に立つことは知れているからだ。
奴らは僕らが本当に膝を屈して人間の一員であることを自ら認めるまでは、決して手をゆるめないだろう。
だから僕らは、いざとなったら、喜んで踏絵を踏む覚悟がなければならない。
むやみに突張って、踏絵を踏まなければ、殺されてしまうんだからね。
そうして一旦踏絵を踏んでやれば、奴らも安心して弱点をさらけ出すのだ。それまでの辛抱だよ。
でもそれまでは、自分の心の中に、よほど強い自尊心をしっかり保ってゆかなければね」

三島由紀夫
「天人五衰」より


56:名無しさん@社会人
08/07/15 12:09:57
精神分析学は、日本の伝統的文化を破壊するものである。欲求不満などという陰性な仮定は、素朴なよき日本人の精神生活を冒涜するものである。
人の心に立入りすぎることを、日本文化のつつましさは忌避して来たのに、すべての人の行動に性的原因を探し出して、それによって抑圧を解放してやるなどという不潔で下品な教理は、西洋のもっとも堕落した下賤な頭から生まれた思想である。

三島由紀夫
「音楽」より


57:名無しさん@社会人
08/07/16 09:12:17
社会学的な考察が何もない

58:名無しさん@社会人
08/07/18 12:16:42
彼(三島)の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、人間としての器量は大きかった。
思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


59:名無しさん@社会人
08/07/18 12:17:35
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


60:名無しさん@社会人
08/07/18 12:18:51
彼(三島)は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


61:名無しさん@社会人
08/07/19 14:54:38
無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。
無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。
近ごろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。

三島由紀夫
「川端康成氏再説」より

62:名無しさん@社会人
08/07/19 15:00:55
「いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。
だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから。(笑)」

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長 男の盟約」より

63:名無しさん@社会人
08/07/21 12:23:21
ハラキリにおいて死は消滅する。死という人間的諸条件を、ある人間の意志が、自由に否定する行為であるからだ。
ハラキリにおいては、より高き倫理価値が自己に対する超越のかたちによって、死に対する克服のかたちによって肯定されているからである。

切腹をかびくさい前世紀の遺物のように片づけることは、人間における最も「神聖なるもの」への冒涜である。

アンドレ・マルロウ
「来日時のインタビュー」より

64:名無しさん@社会人
08/07/21 12:25:22
三島にとっては死は行動として一つの強烈な現実性を持っていた。日本の偉大な伝統と、儀式とによる死。
それでも異常なことだが、西欧ではローマ人的なこの死とロマンティックな自殺とを、混同するに至っている。
西欧のロマン主義者は、決してこのような方法では自殺しなかった。どのような文明も、死を祭儀的行為として提議してはいないのである。
ある意味では日本の武士道精神がそれを提議した。

アンドレ・マルロオ
「竹本忠雄との対談」より

65:名無しさん@社会人
08/07/21 12:35:55
三島事件の直後、新聞記者たちの質問は、三島の行動が日本の軍国主義復活と関係あるか、ということだったが、私の反応は、ほとんど直感的に「ノー」と答えることだった。
たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい国家意識の守護神と目されるだろう。
いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、それを成し遂げたことを知ることができる。

エドワード・サイデンステッカー
昭和46年4月「時事評論」より

66:名無しさん@社会人
08/07/22 10:02:25
空文化されればされるほど政治的利用価値が生じてきた、というところに、新憲法のふしぎな魔力があり、戦後の偽善はすべてここに発したといっても過言ではない。
完全に遵奉することの不可能な成分法の存在は、道義的退廃を惹き起こす。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より


67:名無しさん@社会人
08/07/23 10:36:21
山内(元自衛隊員、普通科教導連隊元助教)は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで
「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ
「腹が立ち」、「平岡先生を悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。
三島への尊敬の念が強まることはあれ薄まることはなかったのである。

そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、
〈私は先生に会う以前、三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より


68:名無しさん@社会人
08/07/23 10:36:59
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して逃げることはせず、
むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

69:名無しさん@社会人
08/07/23 10:37:48
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、
あるいはともに汗を流し、隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した人間三島に惚れこんだのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より


70:名無しさん@社会人
08/07/23 10:55:23
猪瀬直樹「三島由紀夫は、七十年に自衛隊のバルコニーに立って演説するわけです。
あの演説のとき、自衛隊員に罵倒されたでしょう。あれ、吉本さん、どうご覧になってました?」

吉本隆明「なんてやろうだ!と思ってました。死ぬ気でいる人間の言葉を、自衛隊に入隊して一緒に訓練した人間の言うことを、黙って聞いてやることぐらいしたらいいじゃないか。
これじゃ、三島さんが気の毒だ…、というのがホンネでしたね。」

1994年12月2日号「週刊ポスト」より


71:名無しさん@社会人
08/07/24 11:18:40
彼(三島)は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター計画を実行することを決意していた。
計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。
それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。
彼は真の武士であった。

自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとするなら、三島の期待は実現したであろう。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊―三島由紀夫を殺した真実の告白」より


72:名無しさん@社会人
08/07/24 11:20:16
自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。
それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の中で実感していた。

その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。
永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふりしぼって、実現に力を尽くすべきではないか。
あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったとしても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊―三島由紀夫を殺した真実の告白」より


73:名無しさん@社会人
08/07/24 16:42:54
かつてアメリカ占領軍は剣道を禁止し、竹刀競技の形で半ば復活したのちも、懸声をきびしく禁じた。
この着眼は卓抜なものである。あれはただの懸声ではなく、日本人の魂の叫びだったからである。
彼らはこれらをおそれ、その叫びの伝播と、その叫びの触発するものをおそれた。
しかしこの叫びを忌避して、日本人にとっての真の変革の原理はありえない。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より

74:名無しさん@社会人
08/07/24 17:09:12
変革とは、このような叫びを、死にいたるまで叫びつづけることである。
その結果が死であっても構わぬ、死は現象には属さないからだ。うまずたゆまず、魂の叫びをあげ、それを現象への融解から救い上げ、精神の最終證明として後世にのこすことだ。
言葉は形であり、行動も形でなければならぬ。文化とは形であり、形こそすべてなのだ、と信ずる点で私はギリシャ人と同じである。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より

75:名無しさん@社会人
08/07/28 15:54:29
左翼のいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。
なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、
日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

76:名無しさん@社会人
08/07/28 16:16:06
彼ら(左翼)はすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている。
そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考えない。
たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、
たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


77:名無しさん@社会人
08/07/28 16:29:14
日本の社会問題はかつてこのようではなかった。
戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、
疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。
しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。
われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。
革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


78:名無しさん@社会人
08/07/30 15:16:17
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。
この「狂」の伝統がどのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。
ただ、すべての「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。
日本人は、否、人間は、自分の内部の「狂」をもっと直視すべきではないだろうか。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。
私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の精神であり、私としてはほめ言葉である。

私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは中岡良一などと同じように考えたい。

橋川文三
「狂い死の思想」より


79:名無しさん@社会人
08/08/01 15:16:12
いま非常な情報化社会がありますから精神というものはテレビに写らない。そしてテレビに写るのはノボリや、プラカードや、人の顔です。それからステートメントです。
そして人間はみんなステートメントやることによって、なにかしたような気持になっているんです…。
そのステートメントが情報化社会のなかで、非常なスピードで溶解されて、ちょうどあたかも塵埃処理のように、早くこれをすべて始末しなければ東京中が塵埃でうずまってしまう。紙くずでうずまってしまう。
それで情報化社会というものは過剰な情報をどんどん処理しているんです。
この東京というもの、日本というものは、近代化すればするほど巨大な塵埃焼却炉みたいになってくる。

三島由紀夫
とある講演の言葉
「橋川文三『三島由紀夫の生と死』」より

80:名無しさん@社会人
08/08/01 16:07:30
いずれ(石原慎太郎、大江健三郎)の場合にも「平和」という時代の「壁」に対する信仰のごときものが、その作品形成の動因となっている。
その「壁」とみられるものを構成するあの「廃墟」の要因はここでは全く忘れられているのだ。
三島(三島由紀夫)の祭神であった永遠の「廃墟」というイメージのかわりにかれらはいかがわしい「平和」という条件のなかで、子供のようにむずがったり、脅えたりしている。

橋川文三
「若い世代と戦後精神」より


81:名無しさん@社会人
08/08/01 16:08:23
かれらはあまりにも「平和」に圧倒され、かえってまだ知らぬ「殺りく」と「戦争」という玩具を欲しがったりしている。
そこから大江のように、いわゆる「戦中派」の戦争体験への子供じみた嫉視も生まれ、石原のように「戦争と現実(平和)といずれが苛酷か」という見せっくらの心理も生まれるのだろう。

橋川文三
「若い世代と戦後精神」より


82:名無しさん@社会人
08/08/01 16:09:50
しかし、くりかえしていえば、ここでもかれらのつまずきとなっているものは「歴史」である。
初めに引いた老人の話でいえば、その老人にとって、明治以降の六十余年は「平和」であったのか、それとも「廃墟」であったのか。
それは「停滞」でも「自己破壊」でもなく、まさしくただ「歴史」であったろう。
大江や石原が時代の「壁」の背後にある歴史への感覚をもちえない限り、かれらはただ「時代の子」として、ある好ましい評判をかちえてゆくであろう。
つまり、時代を動かすのではなく、押流されてゆくであろう。なぜなら、かれらは、絶望的なまでに「われらの時代」にとらわれ、惑溺しているからである。

橋川文三
「若い世代と戦後精神」より


83:名無しさん@社会人
08/08/01 16:28:45
三島がどこかの座談会で語っていたように、戦争も、その「廃墟」も消失し、不在化したこの平和の時期には、どこか「異常」でうろんなところがあるという感覚は、ぼくには痛切な共感をさそうのである。
…つまり、そこでは「神話」と「秘蹟」の時代はおわり、時代へのメタヒストリックな共感は断たれ、あいまいで心を許せない日常性というあの反動過程が始まるのであり、
三島のように「廃墟」のイメージを礼拝したものたちは「異端」として「孤立と禁欲」の境涯に追いやられるのである。
「鏡子の家」の繁栄と没落の過程は、まさに戦後の終えん過程にかさなっており、その終えんのための鎮魂歌のような意味を、この作品は含んでいる。
…この日本ロマン派の直系だか傍系だかの作家(三島由紀夫)のなかに、ぼくはつねにあの血なまぐさい「戦争」のイメージと、
その変質過程に生じるさまざまな精神的発光現象のごときものを感じとり、それを戦中=戦後精神史のドキュメントとして記録することに関心をいだいてきた。

橋川文三
「若い世代と戦後精神」より


84:名無しさん@社会人
08/08/01 17:13:05
一、戦後の日本国民は、戦前、とくに明治の国民よりも、はるかに進んだという考え方をもたないほうがよいということ。
日本ファシズムとよばれる国家体制は、そのあたりに関する無自覚と自惚れによって成立したと思われることが多いということ。
二、戦後民主主義がそれ自体なんらかのメリットを日本国民にもたらしたという形式主義的錯覚をも適当に放棄すること。
日本国民がそれほど変わったとは他人は別に思っていないことを知るべきだということ。

橋川文三
「私の日本人論」より

85:名無しさん@社会人
08/08/01 17:14:19
三、しかし、日本人の精神構造、民族性その他に関する外国ないし日本の学者たちの悲観的論評を別に信奉する必要もないということ。
それはまだ未解決の問題であり、参考ていどにしておけばいいこと。
四、要するに日本国民も、どこの国民も、大したことはないと覚悟した上で、とくに日本国民にもダメなところがあるという方法的認識を堅持すること。

橋川文三
「私の日本人論」より


86:名無しさん@社会人
08/08/04 13:06:14
唯識論入門として、(暁の寺は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。
『倶舎論』を理解するのには三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。
それが僅か三島由紀夫の作品では十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

87:名無しさん@社会人
08/08/06 10:03:01
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。
一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。
…中略…
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。

ドナルド・キーン
「二つの祖国に生きて」より

88:名無しさん@社会人
08/08/13 12:16:10
きょうで丸五日間、丸っきり空襲がありません。不気味な不安。そのなかにも駘蕩たる春の日は窓辺まで押しよせて来ています。
…僕はこれから「悲劇に耐える」というより、「悲劇を支える」精神を錬磨してゆかなければ、と思います。

平岡公威(三島由紀夫)
三谷信への葉書より
昭和20年3月3日


89:名無しさん@社会人
08/08/13 12:17:23
御葉書拝見。何はあれ、このような大変に際会して、しかも君とそれについて手紙のやりとりの出来るような事態を、誰が予想し得たでしょう。
…これから勉強もし、文学もコツコツ落着いてやって行きたいと思います。自分一個のうちにだけでも、最大の美しい秩序を築き上げたいと思います。
戦後の文学、芸術の復興と、その秩序づけに及ばず乍ら全力をつくして貢献したいと思います。
…すべては時代が、我々を我々の当面の責務に追いやります。僕は少なくとも僕の廿代を、文化的再建の努力に捧げたいと思っています。

平岡公威(三島由紀夫)
三谷信への葉書より
昭和20年8月22日


90:名無しさん@社会人
08/08/13 12:35:59
何かの拍子に三島は「アメリカって癪だなあ、君本当に憎らしいね」と心の底から繰り返しいった。
そしてかのレースのカーテンを指さし「もしあそこにアメリカ兵が隠れていたら、竹槍で突き殺してやる」と銃剣術の動作をして真剣にいった。
当時の彼は学術優秀であり、品行も方正であったが、教練武術の方はまるで駄目であった。
…そういう彼が竹槍で云々といった時、彼には悪いが、突くといっても逆にやられるだろうがとひそかに思った。けれども、彼のその気迫の烈しさには本当に胸を突かれた。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


91:名無しさん@社会人
08/08/13 12:52:08
今、卒業式の時の彼を思い出す。戦前の学習院の卒業式には、何年かに一度陛下が御臨幸になった。我々の卒業式の時もそうであった。
全員息づまる様に緊張し静まる中で式は進み、やがて教官が「文科総代 平岡公威」と彼の名を呼びあげた。
彼は我等卒業式一同と共にスッと起立し、落ち着いた足どりで恭々しく陛下の御前に出て行った。彼が小柄なことなど微塵も感じさせなかった。
瞳涼しく進み出て、拝し、退く。その動きは真に堂堂としていた。心ひきしまり、すがすがしい動作であった。
あの時は彼の人生の一つの頂点であったろう。そういう彼ゆえ、古来の日本の心を壊そうとするものを心の底から許さなかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


92:名無しさん@社会人
08/08/15 16:11:05
彼(川端康成)は、確かにこの受賞(ノーベル文学賞)に値した。
それでも今もって私は、どういうわけでスウェーデン・アカデミーが三島でなく川端に賞を与えたのか不思議でしようがない。
1970年5月、私はコペンハーゲンの友人の家に夕食に招待された。同席した客の一人は、私が1957年の国際ペンクラブ大会の時に東京で会った人物だった。
日本で数週間を過ごしたお陰で、どうやら彼は日本文学の権威として名声を得たようだった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より


93:名無しさん@社会人
08/08/15 16:13:02
ノーベル賞委員会は、選考の際に彼の意見を求めた。その時のことを思い出して、居合わせた客たちに彼はこう言ったのだった。「私が、川端に賞を取らせたのだ」と。
この人物は政治的に極めて保守的な見解の持主で、三島は比較的若いため過激派に違いないと判断した。
そこで彼は三島の受賞に強く反対し、川端を強く推した結果、委員会を承服させたというのだ。
本当に、そんなことがあったのだろうか。三島が左翼の過激派と思われたせいで賞を逸したなんて、あまりにも馬鹿げている。
私は、そのことを三島に話さずにはいられなかった。三島は、笑わなかった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より


94:名無しさん@社会人
08/08/17 11:38:33
東京に着いたのは1月24日の三島の葬式の直前で、私は弔辞を述べることを引き受けた。ところが、私の親しい友人三人は葬式に出席してはいけないと言う。
私が弔辞を述べることで、三島の右翼思想を擁護しているように取られてはまずいと言うのだった。
最終的に彼らの説得に応じたが、それ以来私は、自分がもっと勇気を示さなかったことを何度も後悔した。
私は三島夫人を訪問した。三島の写真がある祭壇に、私は彼に捧げた自分の翻訳『仮名手本忠臣蔵』を置いた。
その本には、下田で会った時に三島自身がこの浄瑠璃から選んだ次の一節が題辞として揚げられていた。

国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るるに
たとへば星の昼見へず、夜は乱れて顕はるる

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より

95:名無しさん@社会人
08/08/19 14:40:42
あの時(ノーベル賞を)受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかもしれない。
すなわち、国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会のある委員に宛てた手紙で大絶賛したのである。こういった筋からの推薦は小さくない影響力を持っていた。
また1967年のこと、出版社の国際的な集会がチェニスで開かれ、私はその集いが授与する文学賞、フォルメントール賞を三島にと試みたが失敗に終わった。
この時、スウェーデンから参加した有力出版社ボニエールの重役が私を慰め、三島はずっと重要な賞をまもなく受けるだろう、と言ったのだ。ノーベル賞以外にはあり得なかった。

ドナルド・キーン
「思い出の作家たち」より

96:名無しさん@社会人
08/08/23 12:44:04
この叫び(剣道のかけ声)には近代日本が自ら恥じ、必死に押し隠そうとしているものが、あけすけに露呈されている。
それはもっとも暗い記憶と結びつき、流された鮮血と結びつき、日本の過去のもっとも正直な記憶に源している。
それは皮相な近代化の底にもひそんで流れているところの、民族の深層意識の叫びである。
このような怪物的日本は、鎖につながれ、久しく餌を与えられず、衰え呻吟しているが、今なお剣道の道場においてだけ、われわれの口を借りて叫ぶのである。それが彼の唯一の解放の機会なのだ。

三島由紀夫
「実感的スポーツ論」より

97:名無しさん@社会人
08/08/23 12:46:48
私は今ではこの叫びを切に愛する。このような叫びに目をつぶった日本の近代思想は、すべて浅薄なものだという感じがする。
それが私の口から出、人の口から出るのをきくとき、私は渋谷警察署の古ぼけた道場の窓から、空を横切る新しい高速道路を仰ぎ見ながら、
あちらには「現象」が飛びすぎ、こちらには「本質」が叫んでいる、という喜び、……その叫びと一体化することのもっとも危険な喜びを感じずにいられない。
そしてこれこそ、人々がなお「剣道」という名をきくときに、胡散くさい目を向けるところの、あの悪名高い「精神主義」の風味なのだ。
私もこれから先も、剣道が、柔道みたいに愛想のよい国際的スポーツにならず、あくまでその反時代性を失わないことを望む。

三島由紀夫
「実感的スポーツ論」より


98:名無しさん@社会人
08/09/02 14:32:33
天皇はあらゆる近代化、あらゆる工業化によるフラストレーションの最後の救世主として、そこにいなけりゃならない。それをいまから準備していなければならない。
それはアンティエゴイズムであり、アンティ近代化であり、アンティ工業化であるけど、決して古き土地制度の復活でもなければ、農本主義でもない。
…つまり天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところにあるべきだ。
そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。
その根元にあるのは、とにかく「お祭」だ、ということです。
天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、―それだけだ。

三島由紀夫
「文武両道と死の哲学」より

99:名無しさん@社会人
08/09/02 14:42:48
亭主が自分の部屋に電話を引いたり、テレビをつけたり、ボタンを押すと飛び上がる椅子をつけたりするのに、
エリザベスは、まだ十八世紀のお茶の作法で、百メートル先から女官たちが手から手へつないだお茶を持って来て、冷えたお茶を飲んでいる。自分の部屋には電話がない。
ぼくは、そういうことが天皇制だろうと思うんです。日本の皇室がその点でわれわれを納得させる存在理由は日ましに稀薄になっている。
つまりわれわれが近代化の中でこれだけ苦しんで、どこかでお茶を十八世紀の作法で飲んでいる人がいなければ、世界は崩壊するんだよ。

三島由紀夫
「文武両道と死の哲学」より


100:名無しさん@社会人
08/09/03 14:22:07
人間の運、不運の岐れ道は中国では残酷なまでに鮮明である。不運な人間に誰も同情しない。この国では悲劇も哀話も人の心を動かさない。
だから中国の文学にはギリシャ悲劇のような悲劇が存在しない。
中国人は赤穂浪士と三島由紀夫の悲劇をどうしても理解できないそうである。

西尾幹二

101:名無しさん@社会人
08/09/03 23:45:44
>1
三島由紀夫は社会学者ではなく文学者。
笑止千万

102:名無しさん@社会人
08/09/04 12:29:40
侵略主義とか軍国主義というものは、武士道とは始めから無縁のものだ。
…私に言わせれば、二・二六事件その他の皇道派が、根本的に改革しようとして、失敗したものでありますが、結局勝ちをしめた統制派というものが、
一部いわゆる革命官僚と結びつき、しかもこの革命官僚は、左翼の前歴がある人が沢山あった。
こういうものと軍のいわゆる統制派的なものと、そこに西欧派の理念としてのファシズムが結びついて、昭和の軍国主義というものが、昭和十二年以降に初めて出てきたんだと外人に説明するんです。
私は、日本の軍国主義というものは、日本の近代化、日本の工業化、すべてと同じ次元のものだ、全部外国から学んだものだ、と外人にいうんです。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より

103:名無しさん@社会人
08/09/04 12:31:46
軍国主義というものが、実に、日本の明治以降、動いてきた歴史の中で、非常に、皮肉なものがある。
というのは、我々は外国からいい影響だけ受けていたと思ったのは、非常に間違いであった。
明治以降の日本がやってきた西欧化の努力によって今日まで、近代国家にきたのであるけれども、その全く同じ理念が、軍国主義をもたらしたのである。
ここをよく考えないと日本の近代感覚というものの一番大きな問題は掴めない。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より


104:名無しさん@社会人
08/09/04 12:49:38
軍国主義のいわゆる進展と同時に、日本の戦略、戦術の上にアジア的な特質が失われていったのは大きい。
というのは、今のベトナム戦争でも判るように、アジア的風土の中で、非常にアジア的な非合理な方法によって、ゲリラ戦を展開して、敵を悩ましている。
…我々は、もう一つ、ここで民族精神に振り返ってみて、日本とは何ぞや、武器と魂というものを日本人は如何に結びつけたか、そこに立ち返らなければ、日本というものの防衛の基本的なものは出てこない。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より


105:名無しさん@社会人
08/09/04 15:27:10
私は、終始一貫した憲法改正論者で、それが、物理的に可能であるのか、不可能であるのか、そんなことは、おかまいなしに、一介の人間としてそれのみをいっているのは、決してそれによって、日本を軍国支配しようとするつもりはないのだ。
あくまでそれによって日本の魂を正して、そこに日本の防衛問題にとって最も基本的な問題、もっと大きくいえば、
日本と西洋社会との問題、日本のカルチャーと、西洋のシィヴィラリゼイションとの対決の問題、これが、底にひそんでいることをいいたいんだということです。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より

106:名無しさん@社会人
08/09/05 00:18:30
貼り付け狂自称家事手伝いニート三島信者ババアがここにもw
三島スレならどこでも現れる40代のくそババア

107:名無しさん@社会人
08/09/11 12:58:04

三島論
URLリンク(www.geocities.jp)


108:名無しさん@社会人
08/09/18 12:49:50

日米共同コミュニケによって、現憲法の維持は、国際的国内的に新たなメリットを得たのである。
すなわち国内的には、今後も穏和な左翼勢力に平和現憲法の飴玉をしゃぶらせつづけて面子を立ててやる一方、過激派には現憲法にもこれだけの危機収集能力のあることを思い知らせ、
国際的には、無制限にアメリカの全アジア軍事戦略体制にコミットさせられる危険に対して、平和憲法を格好の歯止めに使い、一方では安保体制堅持を謳いながら、一方では平和憲法護持を受け身のナショナリズムの根拠にするというメリットが生じたのである。
これはいわば吉田茂方式の継承であり、早急な改憲は、現憲法がアメリカによって強いられた憲法であるより以上に、さらにアメリカの軍事的要請に沿うた憲法を招来するにすぎないという恫喝ほど、効き目のあるものはあるまい。
改憲サボタージュは、完全に自民党の体質になった。

三島由紀夫
「道理の実現―『変革の思想』とは」より

109:名無しさん@社会人
08/09/26 15:58:06
われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである。
なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、
このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本の文化伝統を賭けて闘わなければならないと信じているからである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

110:名無しさん@社会人
08/09/26 16:09:14
われわれは、自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。
もちろん、われわれの考える文化的天皇の政治的基礎としては、複数政党制による民主主義の政治形態が最適であると信ずるから、
形としてはこのような民主主義政体を守るために行動するという形をとるだろうが、終局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


111:名無しさん@社会人
08/09/28 11:17:32
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に、日本のアニメ「巌窟王」の音楽を担当したジャン・ジャック・バーネル(フランス人)がいますが、
ジャンは70年代の伝説の英国パンク・ロック・グループ、ストラングラーズの名ベーシストでした。
バンドの3rdアルバム『ブラック&ホワイト』には「ユキオ」の副題が付けられた「デス&ナイト&ブラッド」(死と夜と血)という曲や、次のアルバム『レイヴン』の「アイス」という曲にもハガクレという言葉が出てきます。

「死と夜と血」

俺が彼の瞳のなかに
あのスパルタを見た時

夭折はいいこと
だから俺たちは決めたんだ

死ぬこと以上に
すばらしい愛はないと

俺は俺の肉体を
俺の武器にまで
鍛えあげるんだ

ジャンは三島の熱心な愛読者でもあり、極真会館の道場生でした。現在は士道館の空手ロンドン支部長をしているそうです。

112:名無しさん@社会人
08/09/28 11:18:07
78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、
「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。
それはヨーロッパの伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、
日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」と誌面にメッセージを残しています。

113:名無しさん@社会人
08/09/28 20:38:59
>>106
児戯に等しい

114:名無しさん@社会人
08/10/03 12:03:57
有名中学校入学で小学校までのやつ自称日本人が別の人間朝鮮人に3人交代しましたnida。どういう事情か詳しく教えて下さいnida。

115:名無しさん@社会人
08/10/08 11:52:08
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に坂本龍一がいますが、
彼の父親は三島の仮面の告白、金閣寺などを世に送り出した河出書房の三島担当の名編集者として有名です。おそらく父親から三島の逸話などを聞かされたことでしょう。
坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)で演じた将校も三島の造形だといわれていますが、
龍一自身が担当した「戦メリ」の音楽に歌詞を付け、デヴィッド・シルヴィアンとコラボしたアルバム「禁じられた色彩」も、明らかに三島の「禁色」をベースした世界があります。
My love wears
forbidden colours.
My life believes
(in you once again)

僕の愛は禁じられた色彩を帯びる。
僕の生は(もう一度あなたを)信じる。

ちなみにD・シルヴィアンも三島の「禁色」を最高の文学と言い、三島おたくぶりをアピールしています。

116:名無しさん@社会人
08/10/18 10:08:26
三島由起夫 動画集

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)

URLリンク(jp.youtube.com)


117:名無しさん@社会人
08/10/26 22:25:09
106:名無しさん@九周年 2008/10/23(木) 11:19:28 ID:MKKkrhYW0
>>97
当時マスコミの少なくない人間が、三島にそれなりの脅威を感じていた。
それが自爆したことによる快哉は大きかったようだね。
三島のクーデターは1970年、あさま山荘が1972年だ。
まだ学生運動の正体が一般には知られておらず、マスコミも心行くまで左の旗を振っていた。
ニヤニヤ笑う自衛隊員の顔をことさらに流したのは、「三島の主張はキチガイ沙汰なのだ」という
マスコミの強い主張だわな。実際クレイジーではあったが。
ちなみに成田闘争の時、TBS社員が取材車で過激派の運搬をしていたことが判明して
問題になったことがあった。責任を取って田英夫がTBSを退社したのが1970年。
今のマスコミ報道にも強い「誰かの意図」が動いているけど、
当時のそれは、はるかにあからさまだった。
三島事件の報道は、時代背後とまわりの人間模様を強く考えながら見ないと真実がみえんわな。

118:名無しさん@社会人
08/10/26 22:26:52
西郷隆盛と蓮田善明と三島由紀夫と、この三者をつなぐものこそ、蓮田の歌碑にきざまれた
三十一文字の調べなのではないか。西郷の挙兵も、蓮田や三島の自裁も、みないくばくかは、
「ふるさとの駅」の「かの薄紅葉」のためだったのではないだろうか。
滅亡を知るものの調べとは、もとより勇壮な調べではなく、悲壮な調べですらない。
それはかそけく、軽く、優にやさしい調べでなければならない。なぜならそういう調べだけが、
滅亡を知りつつ亡びて行くものたちのこころを歌いうるからだ。

江藤淳
「南州残影」より

119:名無しさん@社会人
08/10/26 22:28:28
井上ひさし「サド侯爵夫人は、その完璧なまでに空虚な構造、噴飯もの寸前のみごとな台詞修辞法によって
20世紀の世界劇文学を代表するにたる一作である」

小田実「文にあっても、いまや商あっての文。私は三島の文と武にかけた純情をなつかしくおもう。」


120:名無しさん@社会人
08/10/26 22:29:46
武士道とは死ぬことと見つけたり


生きていてどんな努力や工作を重ねるよりも
死が効果的だと判断される場合にこそ、死を選ぶ

そのような死は覚えられているかぎり将来に渡り
何らかの影響を及ぼし続けてゆく
それによって歴史が、時代が動かされるほどのことすら、ありうる

こうやってその死を取り上げ、それについて論ずることもまた
一つの効果である


その死が完全に忘れ去られ論ぜられることもなくなった時
その死は役目を終えたと言えよう

121:名無しさん@社会人
08/10/27 10:59:34
遺書本文。
--------------------

遺書  平岡公威


一、御父上様
  御母上様
  恩師清水先生ハジメ
  學習院並二東京帝國大學
  在學中薫陶ヲ受ケタル
  諸先生方ノ
  御鴻恩ヲ謝シ奉ル
一、學習院同級及諸先輩ノ
  友情マタ忘ジ難キモノ有リ
  諸子ノ光榮アル前途ヲ祈ルー
一、妹美津子、弟千之ハ兄ニ代リ
  御父上、御母上二孝養ヲ尽シ
  殊二千之ハ兄二続キ一日モ早ク
  皇軍ノ貔貅(ひきゅう)トナリ
  皇恩ノ万一二報ゼヨ
天皇陛下萬歳

122:名無しさん@社会人
08/10/29 15:34:18
私にとっては、ごく自然な、理屈の要らない、日本人の感情として、外地にひるがえる日の丸に感激したわけだが、
旗なんてものは、もともとロマンティックな心情を鼓吹するようにできていて、あれが一枚板なら風情がないが、ちぎれんばかりに風にはためくから、胸を搏つのである。
ところが、こんな話をすると、みんなニヤリとして、なかには私をあわれむような目付をする奴がいる。
厄介なことに日本のインテリは、一切単純な心情を人に見せてはならぬことになっている。…
自分の国の国旗に感動する性質は、どこの国の人間だってもっている筈の心情である。

三島由紀夫
「お茶漬ナショナリズム」より

123:名無しさん@社会人
08/10/29 15:34:54
自然な日本人になることだけが、今の日本人にとって唯一の途であり、その自然な日本人が、多少野蛮であっても少しも構わない。
これだけ精妙繊細な文化的伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ、衰亡してしまう。
子供にはどんどんチャンバラをやらせるべきだし、おちょぼ口のPTA精神や、青少年保護を名目にした家畜道徳に乗ぜられてはならない。

三島由紀夫
「お茶漬ナショナリズム」より

124:名無しさん@社会人
08/10/30 22:48:24
三島の本質は、学者でも批評家でもなんでもない。

単なるロマン主義者だよ。

まあ小説にはいいものもあるがね。その才能はあった。

しかし、ロマン主義者というのはそもそも、社会科学を論ずるには適していない人種なんだよ。

なんで社会学板に三島のスレが立ってるのか理解できない。

125:名無しさん@社会人
08/10/31 12:48:44
三島由紀夫こそは、戦後最高の批評家である。
なんについてであれ、その本質を、たったのひとことでズバリと言ってのけることのできる天性の批評家は、一世紀のスパンで見ても、そうそう現れるものではない。

鹿島茂

126:名無しさん@社会人
08/10/31 23:53:06
三島のズバリに心を打たれているいるようでは
まだまだ未熟な人間だと思う

127:名無しさん@社会人
08/11/01 10:51:05
>>126は三島が一流評論家だったことを知らない、なんちゃって日本人。

128:名無しさん@社会人
08/11/01 11:32:53
ばばあはどうして馬鹿を露呈せねば生きられぬのか

129:名無しさん@社会人
08/11/03 02:14:58
たしかに三島は直観力はすぐれているな
彼は箴言集を刊行すべきだったと思う

130:名無しさん@社会人
08/11/03 02:26:36
駅前で「手相占いの勉強してます」と声を掛けてるのが統一教会ですwwww

サリンはオウムの工場では作れません。工場では覚せい剤やLSDを作ってました
オウムは統一草加の下部組織ですよ
911では小型の水爆が使われましたよ(イラクでも核兵器が使用されてる)

2ちゃんねるは統一教会が運営して個人情報を集めてますよ
2ちゃんねるで「チョン」「ネトウヨ」言ってるのは統★教会ですよ

草加の池田台作はソン・テジャクという名の朝鮮人ですよ
日本の与党野党の要職は朝鮮人ですよ
統★教会,草加は覚せい剤などの元締めですよwwwwwwwww

ユダヤの子分→北朝鮮=小沢Ⅹ朗=自民党清和会=与党野党の朝鮮人=統一教会=草加=ヤクザ=日本右翼は朝鮮人
ユダヤの子分→桜井良子=マスコミ=読売=毎日=サンケイ
ユダヤ人→ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=ヒトラー=オサマ・ビンラディン

★★ユダヤ北朝鮮カルト統一草加は日本で保★険★金★殺★人★★をしてますよ。動画見てください↓

無料の動画見てくだい!!!(規制回避のため★がついてます。取り外してね)
与党★も野★党もメディアも★全部朝★鮮★★人だった。
ht★URLリンク(j)<)★b★bs.li★★ved★oor.jp/bb★★s/r★ead.c★gi/news/2★092/119★★49471★★43/
フ★ルフ★ォ★ードURLリンク(be)<)★cha★rd★ko★shimi★zu.at.w★e★bry.info/
独★立★★党ht★URLリンク(do)<)★de★o.google.com/v★ideosearch?★hl=ja★★&q=%E3★%★82%★B3%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%82%★BA&lr=&★um=1&ie=UTF-8&sa=X&oi=v★ideo_result_gro★up&res★num=4★&ct=t★itle#

毎日新聞スレ荒らしは2ちゃん運営(統一協会)
スレリンク(nhkdrama板)

131:名無しさん@社会人
08/11/04 02:25:29
■文学フリマ直前SP、2008年とは、ゼロアカとは何だったのか?(ラルク・藤田対談Ⅱ)
ラルク―藤田対談Ⅱ 1/2
URLリンク(www.nicovideo.jp)
ラルク―藤田対談Ⅱ 2/2
URLリンク(www.nicovideo.jp)

132:名無しさん@社会人
08/11/04 12:44:28
柏木の言ったことはおそらく本当だ。世界を変えるのは行為ではなくて認識だと彼は言った。
そしてぎりぎりまで行為を模倣しようとする認識もあるのだ。私の認識もこの種のものだった。
そして行為を本当に無効にするのもこの種の認識なのだ。してみると私の永い周到な準備は、ひとえに、行為をしなくてもよいという最後の認識のためではなかったか。
見るがいい、今や行為は私にとっては一種の剰余物にすぎぬ。
それは人生からはみ出し、私の意志からはみ出し、別の冷たい機械のように、私の前に在って始動を待っている。
その行為と私とは、まるで縁もゆかりもないようだ。ここまでが私であって、それから先は私ではないのだ。……何故私は敢て私でなくなろうとするのか。

三島由紀夫
「金閣寺」より

133:名無しさん@社会人
08/11/04 18:16:56

★ お釜作家

134:名無しさん@社会人
08/11/04 22:33:04
>>133
青島幸男の年代の古ぼけた揶揄、ワロス。

135:名無しさん@社会人
08/11/05 00:02:42
>>132
柏木は三島の創造した最高のキャラクターの一人だな

136:名無しさん@社会人
08/11/06 12:36:06
三島小説中、一番濃いキャラで偽悪さがいいね。

137:名無しさん@社会人
08/11/06 13:19:08
佐藤優氏(起訴休職中外務省事務官)
演題「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」
講演要旨の一部から


「黒い大佐」と呼ばれるヴィクトル・アルクスニスという軍人がいた。
ソ連邦維持、反共、反欧米を主張する滅茶苦茶だが高潔な保守派の人物だ。
ペレストロイカは世界革命のためだとわかっていた。
領土問題については、日本の北方領土に対する要求は絶対に認めない「愛国」、「憂国」の士だ。

1991年8月19日から21日にかけて保守派によるクーデタが起こったが失敗する。
私は枝村大使の了解を得て、24日の朝アルクスニスに電話し国会で演説する前に昼飯の約束をした。
日本人は情報が入らないと離れる、力のある者にだけすり寄りよると思われることを危惧したからだ。
中華レストランに誘い、自分の母が14歳で沖縄戦に巻き込まれた苦難を、人民の敵として辛酸をなめたアルクスニスに語り、以下のやり取りをした。

アルクスニス 「これから国会でソ連邦維持の演説をする」
佐藤 「やれ、信念を通せ!」
アルクスニス 「日本はカミカゼの国だろう」
佐藤 「実は(熱心な社会党支持者の)母はこっそり靖国神社に通っている。姉が祀られているからだ」
アルクスニス 「スターリングラードでソ連兵はドイツ戦車に特攻した。このことはタブーとして歴史から隠ぺいされている」
佐藤 「カミカゼの精神とスターリングラードの精神は同じだ!」
アルクスニス 「北方領土は日本からスターリンが盗んだ土地だ。 おれはそれを知っている。
日本は還せと言い続けるべきだ」


138:名無しさん@社会人
08/11/06 13:21:52
アルクスニスは三島由起夫の愛読者で、1989年ロシア語で出版された『憂国』が一番いいと言い次のように評価した。 
・2.26事件の世直しとソユーズ(連邦維持を唱える院内会派)とは似ている。
・これは友情の小説だ。 
・主人公が決行部隊から外されたのは結婚したばかりというのはウソだ、決行の中心人物でなかったからだろう。 
・しかし主人公は夫人との愛、同志との友情の中にいる。

アルクスニスは私にボリス・プーゴのことを覚えているかと訊き、次のように語った。
「クーデタ派は破れソ連国家は崩壊した。 セルゲイ・アフロメーエフ参謀長はこめかみを打ち抜いた。
ラトビア人のプーゴ内務大臣はKGBが自宅に逮捕に来たが、役人を外で待たせ2発の銃声を発し、夫人と一緒に死んだ。
ラトビア人には血の掟がある。名誉を守るために自決を選んだのだ。
ラトビア人は奥さんを先にし、『憂国』では奥さんが後だ。日本人は奥さんへの信頼が篤いからだろう」

日本人もキリスト教的で死後のよみがえり、死後の復活を前提にしているといえる。
私はキリスト教(プロテスタントのカルバン派)だが、日本の神話にある世界観と聖書の世界観は同じだと思う。天照大神とキリストは同じだ。
仏教は壮大精緻な世界観を持つが、日本の神話では、聖書同様混沌の中から世界がうまれる。いざなぎ、いざなみの営みからだ。これは平田篤胤に継承されている。

近代国家は欧米思潮の流れにあるが、その源流はギリシアにあり、ギリシア世界はドイツ語にある。
日本の知的退廃はこのドイツ語を学ばなくなっているせいだ。

韓国人の3分の1はクリスチャンだ。中国の蒋介石はクリスチャンだった。日本にはクリスチャンはわずかしかいないが、新渡戸稲造や内村鑑三などの神学者が日本の「国体論」を一番わかっている。

各国のキリスト教は別々につくられ、存在している。
臣民の道、靖国を位置付けられなければ、日本のキリスト教とはいえない。
そういうきちんとした神学教育をしているのは、同志社大学の神学部だけだ。私はそこで右翼教育をされ、国体論に回帰した。
靖国に行くなというキリスト教徒はダメだ。霊性、リインカネーションを感じる力が衰えているのだ。


139:名無しさん@社会人
08/11/06 13:32:33
旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後身であるロシア連邦保安庁(FSB)ではカリキュラムの中で日本語の三島の作品を読ませている。
物欲のないこういった日本人にしてはならないと警戒しているのだ。
ロシアは新自由主義経済の流れの中でサブプライム問題に引っ掛からなかった日本の国力を恐れている。ただぼんやりしていただけだが。

「ファシスト・サムライ」というロシア語には日本人への尊敬と畏敬の気持ちがある。
本当の日本人は「ファシスト・サムライ」でヘナヘナしているのはウソである、と思っている。
大いなる誤解だが誤解のままにしておけばいい。

私はカルバン派で、天国に名の書かれた者だけがそこに行けると信じている。
だからヨブ記が好きになり、高天原への信頼がある。
小泉改革は、いざなぎ、いざなみが声のかけ方を間違えて、ヒルコを産み落としたようなものだ。
「ソドムとゴモラ」は生産せず消費しかしない者たちへの神の警告だ。ソドムの街を去る時に奥さんだけ後ろ(消費社会)を振り返るなとの神の言葉を守らず塩の塔になった。 これに通じる。


140:名無しさん@社会人
08/11/06 13:34:48
私は大学の2回生のときに小説を読まないことにした。
哲学と神学書を読み、そのためにヘブライ語、ラテン語、ギリシア語を勉強する時間を確保するためだ。ただし役に立つ小説は読む。
モスクワでは30冊くらい『憂国』をロシア人に渡した。三島にはテクストだけではない生き方がある。
三島は個別の命を超えた大義に生きた。
言っていることとやったことがかい離していない三島はロシア人の心を打つ。
キリスト教は自殺を禁止しているというが、国家に忠義を尽くすことをヤン・パラフというチェコの青年は「プラハの春」の1968年ヴァーツラフ広場で焼身自殺して示した。
15世紀宗教改革に命をかけたヤン・フスの末裔の殉教者と見られて、今でも広場に献花が絶えない。


141:名無しさん@社会人
08/11/06 13:38:05
私は「国家」をロシア人から学んだ。
アイヌ問題について私の考えは右派・保守と違う。
この問題を日本の国家統合から考えたい。 どう日本国を維持するかの観点からだ。
国連のものはダメだが先住民族決議は国際スタンダードとして認められている。
アイヌのインテリ層は自分たちを日本人以外の異民族だと思っている。
かれらにロシアの手が及ぶ危険がある。アイヌ人にロシア国籍が与えられたら日本は危ない。
沖縄とアイヌをどう包摂して同朋意識を回復するかを考えたい。
私は拉致問題の会合には万障繰り合わせて駆け付けている。同胞意識からだ。

「親米保守」ではなく「親日保守」でなければならない。
「親米保守」は東西イデオロギー対立の残滓で、東西冷戦の中で「国体」が崩されないため必要だった。
しかし米国が露骨に国益を主張してきても即時的な反米は危険だ。
中国と組むシナリオも時間をかけるべきだ。
単なる反米、反中ではダメだ。
能動性を回復し生きるしたたかさを持つことだ。

現在アメリカはセスナ機でドルを世界に撒いている。
10月初め1g3100円の金価格が同月末には2100円となった。ヘッジファンドが手持ちの金をキャッシュ化するために大量に売っている。新自由主義のなれの果てだ。

142:名無しさん@社会人
08/11/08 00:36:10
日本はみかけの安定の下に、一日一日魂のとりかへしのつかぬ癌症状をあらはしてゐるのに、手をこまぬいてゐなければならなかった。
もっともわれわれの行動が必要なときに、状況はわれわれに味方しなかったのである。
(中略)
日本が堕落の淵に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士の錬成を受けた、最後の日本の若者である。
諸君が理想を放棄するとき、日本は滅びるのだ。

三島由紀夫
遺言状
「楯の会会員たりし諸君へ」から

143:名無しさん@社会人
08/11/08 10:58:38
三島君ほどの作家は100年か200年に一人しか出てこない。

私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。
三島君の新しさは容易には理解されない。三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。
三島君は自分の作品によってなんの傷も負わないかのように見る人もあろう。
しかし三島君の数々の深い傷から作品が出ていると見る人もあろう。
この冷たそうな毒は決して人に飲ませるものではないような強さもある。
この脆そうな造花は生花の髄を編み合わせたような生々しさもある。

川端康成

144:名無しさん@社会人
08/11/08 20:19:53
>>143
川端は人物評に関しては3流だという評価が文壇では支配的なんだけど

145:名無しさん@社会人
08/11/08 21:28:35
【MAD】椎名林檎 メロウ  三島由紀夫に捧ぐ
URLリンク(www.nicovideo.jp)


146:名無しさん@社会人
08/11/08 21:41:13
● メロウ ●

橙色は止まらない
黄色を探して乗り込め

お前はきっとナイフを使う僕に恐怖を覚える
蔑んでくれ

僕は何処迄も真摯なのだ“至って普通さ”

いま群れ為す背中
お前が僕よりイッちゃっているのだ
狂っている ―そうだろう?

意識は希望に素直じゃあない
回避するなんて止めておけ
お前の弁護をしているマシンをぶっ壊してあげるよ
引き攣ってくれ
僕は此処でお前に云うのだ“愛しているさ”
いま赤く染めた
お前が僕よりイッちゃっているのだ
狂っている ―そうだろう?

美しい予感・目に映る全て・儚き事象

要らぬ もう 要らぬ
嗚呼・・・

147:名無しさん@社会人
08/11/10 12:03:42
左翼人の私も右翼人の三島の「行動」には、かなり衝撃を受けたことも事実なのであって、これを匿す気にはならないからである。
そして衝撃を受けなかった人はどんな人なのかと思ったりもするのだが、「行動」といい「芸術」といっても、所詮人間はおなじなのかも知れない。
しかも三島と私とはイデオロギーが全くちがっているのに、どこか類似性、相似性があるような気がして、それが私自身気になるのである。

三島由紀夫こそはあきらかに、永井荷風や谷崎潤一郎やあるいは川端康成の耽美主義の系譜とその路線に沿いながら、しかし明確な知性をもって、
またその美的知性の故に、その路線の最終駅に到着しながら、それをなんらかの形で社会的行動におきかえようとした努力家であり勇気ある誠実者ではなかったのだろうか。

山岸外史

148:名無しさん@社会人
08/11/12 16:49:02
所得制限は自治体判断、定額給付金で自公合意 1800万円下限に

 自民、公明両党は12日午前、定額給付金の支給方式で合意した。高額所得者に自発的な辞退を求めるかは
市町村の裁量に委ね、その際の目安として所得で1800万円を下限とする方針を示した。政府は総務省の定額
給付金実施本部で今年度内の支給に向けた詳細の検討に入る。

 両党の政調会長が河村建夫官房長官に内容を伝え、麻生太郎首相も了承した。この後、首相は「基本的に迅速、
公平、いろんな話を申し上げたが、大筋その線に沿っていて良かった」と首相官邸で記者団に語った。

 支給額は1人当たり1万2000円で、65歳以上の高齢者と18歳以下の子どもに8000円を加算する。総額は約1兆9600億円。
与党は「今年度第二次補正予算の成立後できるだけ速やかに実施したい」(自民党の保利耕輔政調会長)考えだが、
支給は来年3月ごろになる可能性が高い。(13:38)

URLリンク(www.nikkei.co.jp)

149:名無しさん@社会人
08/11/14 20:06:40
三島は優れた批評家ではあったが
本質は小説家であり芸術家なんだよね
「男というものは、うぬぼれと闘争本能以外に何もないのだ」などという発言は
非常に鋭いものだと思うが
しかし彼の本質はあくまでロマン主義者の小説家
社会学板にスレが立つよう人物ではない

150:名無しさん@社会人
08/11/14 21:17:41
三島由紀夫は様々な社会学者に影響を与えています。


151:名無しさん@社会人
08/11/15 00:02:50
いまでは完全にヤオイチックな世界です。

152:名無しさん@社会人
08/11/15 10:38:08
>>144
そんなものない。たとえあったとしても、この場合は人物評じゃなく作品評だから。

153:名無しさん@社会人
08/11/15 15:11:45
作者と作品は無限にズレ続ける。喩えていうなら、『天人五衰』は三島由紀夫という物語作者の死のあとに書かれた“小説”である。
そのテクストの中にはすでに三島由紀夫は不在なのだ。
透も本多も、「昭和45年11月25日」という作品末尾に書かれた日付すなわち作者の死から、さらに5年も生き長らえねばならない。これは何を意味するのか。

…透はほとんど「狂気」の世界を垣間見ることによってしか、この世と繋がってはいない。透の故郷は、水平線の彼方にある到達不能のものとしての「狂気」である。透は故郷喪失者なのだ。
…本多の養子となった透は、その到達不能の「狂気」に向けて、養父との闘争を開始する。しかし、転生の秘密を知らない透は認識者としての闘争には敗れるが、逆にその敗北が透を狂気へと近づける。

青海健
「三島由紀夫の帰還」より

154:名無しさん@社会人
08/11/15 15:17:02
…認識の敗北者透は「狂気」の世界への参入を許されることで、アイロニカルにも、本多に勝ったのである。
本多が贋物であるなら、透は“真の”贋物である。かくて本多は月修寺へとおもむき、自らの存在の消滅を“知る”のである。
…『天人五衰』は、作者の死のあとの、透という他者についての物語である。いや、む%

155:名無しさん@社会人
08/11/15 15:18:19

…認識の敗北者透は「狂気」の世界への参入を許されることで、アイロニカルにも、本多に勝ったのである。
本多が贋物であるなら、透は“真の”贋物である。かくて本多は月修寺へとおもむき、自らの存在の消滅を“知る”のである。
…『天人五衰』は、作者の死のあとの、透という他者についての物語である。いや、むしろ「物語」というワクを解体し崩壊させてしまう小説である。
透という異物=狂気がそれを崩壊させるのだ。本多が癌で死んでも、その悪しきドッペルゲンガーたる透はあらゆる場所に出現するだろう。
『天人五衰』の世界はけっして閉じられることなく、三島由紀夫の亡霊はいたるところに現れるにちがいない。

青海健
「三島由紀夫の帰還」より

156:名無しさん@社会人
08/11/15 15:21:27
…「正しい狂気、というものがあるのだ」とは『葉隠入門』の言葉だが、狂気の領域への参入は、「人間」(という概念)を超え出ることである。
フーコーの言葉で言うなら、「人間から真の人間への道程は、狂気の人間を媒介とするのである」(『狂気の歴史』)。
『天人五衰』のエクリチュールは、理性と非理性とのせめぎあいの中で狂気という故郷へ回帰しようともがいている。そして三島は狂気そのものと化する地点で消滅したのだ。

青海健
「三島由紀夫の帰還」より

157:名無しさん@社会人
08/11/18 00:49:17
まさに美的知性、これが器械的であったり、無味乾燥な教養とは異なる。
三島は天才でありながら、コンプレックスという美意識を持ちえた希少な文人であり、武人であった。
彼が大好き、時代を超えて。


158:名無しさん@社会人
08/11/18 18:32:51
最初は天才だったけど、段々とただのミリタリフェチみたいになっちゃったね。

159:名無しさん@社会人
08/11/18 20:06:39
>>157
三島は、時代を切り裂く鋭い意見を発することができる直観と知性とを兼ね備えていた。
それは認める。
しかし、教養があまりにも文学的であるせいで、的外れな意見も多い。
彼は人間性への理解は深かったが、社会学的、政治学的な分野においては素人だった。

そして一番の問題は、彼の個人的趣味が極めて特殊なものだったことだ。

だから、三島はあくまで学者として認められる存在ではない。

優れた直観力をそなえたロマン主義の文学者―これが三島に与えられる
もっとも適切な肩書きだと俺は思う。

160:名無しさん@社会人
08/11/18 21:59:21
>>159
バイセクシャルの人は極めて特殊じゃないよ。実際には同性と付き合わなくても潜在的な同性愛傾向の人は多いと思います。
三島由紀夫は、人が言わないこと、人間の奥に隠されているものを素直に書いただけだと思います。
だから、そのことと、社会学、政治学の資質を関連させるのには少し違うと思いました。


161:名無しさん@社会人
08/11/18 22:03:19
単なる雄弁家ならぬ雄筆家だったに過ぎないよ。直観力も平々凡々。

162:名無しさん@社会人
08/11/19 11:04:17
>>161
三島の批評眼が一流なのは定説ですよ。三島の映画評論や劇評を読んでみな。


163:名無しさん@社会人
08/11/19 11:09:52
家畜人ヤプーとか、ゴジラ、ヤクザ映画等々…三島が最初に評価し見つけたものは沢山あります。

164:名無しさん@社会人
08/11/19 13:03:20
SMチックな快感に訴えるものばかりwwwwwwwwwwwww

165:名無しさん@社会人
08/11/19 14:57:20
今こそ現役の自衛官の皆さんには檄文を読んでほしい

166:名無しさん@社会人
08/11/19 16:53:15
この人が生きていたら宅間や加藤をどう評したか興味あるな

167:名無しさん@社会人
08/11/19 19:10:32
三島由紀夫は著書のなかで、女や子供を狙ったテロや、大量殺人は批判してますよ。
一対一の政治的な暗殺は肯定してますが、でもそれは、暗殺者自身もその場で殺されるリスクを負うか、遂行後に自害する前提においてだけです。

168:名無しさん@社会人
08/11/23 15:02:00

…防衛大学の学生なんかに聞きますと、われわれの軍隊はシビリアン・コントロールの軍隊であると。だから政権がかわれば、それに従うのは当然だと。
日本に共産政権ができれば、われわれは共産軍になるのは当然だという考え方をするのが、かなり多いらしいですね。
そういう考え方は間違いだということを世間はこわいから教える自信がないんです。
これは軍隊の重大な問題で、自衛隊というのは、もともとイデオロギッシュな軍隊であるということを、もっと周知徹底させないと……。
それを世間でたたき、国会でたたき、ぼくにいわせると、イデオロギー的な軍隊であるけれども、名誉の中心はやはり天皇であるというところで、すこし極端ですが、そこまでいかなければだめだと思うんです。

三島由紀夫
対談「天に代わりて」より

169:名無しさん@社会人
08/11/23 15:32:14
日本の右翼は天皇を利用した左翼

170:名無しさん@社会人
08/11/27 12:17:32
ニイチェの「ツァラトゥストラ」の中には日本のことをかいているような気のするところもありますね。
そして超人の思想の根本なぞどうも私にはインド、又ひろく東洋全体の思想への接近より、ニイチェが自ら意識するせぬに不拘(かかわらず)、日本への大きな意味があるように思われてなりません。

平岡公威(三島由紀夫)
18歳の書簡から

171:必読!
08/11/28 09:19:28
★★週刊新潮 12月4日号 必読! 

【緊急対談】「国籍法」改正は日本の危機
 平沼赳夫vs櫻井よしこ  日本ルネッサンス「拡大版」




172:名無しさん@社会人
08/11/28 11:54:54
ニイチェについて、お陰さまでいろいろ新しいことを知りました。
実はツァラトゥストラの登張竹風の跋文の外、私にはニイチェに関する智識がございませんでした。
ツァラトゥストラのあの超人の寂寥あれを私は平安朝の女流たちにも感ずるのです。「古今の季節」というエッセイのなかでその荒涼を語ったことがありますが、ニイチェがあれら女人の深い寂寥にふれていたらどう思ったことでしょう。
ニイチェの愛した東方ではなく、むしろニイチェ自身の苦しい影をみはしなかったかとさえ思います。

平岡公威(三島由紀夫)
18歳の書簡から

173:名無しさん@社会人
08/11/28 11:56:00
「世々に残さん」をかく用意に「平家物語」を何遍も繰っていますが、
川路柳虹氏も名文だとほめていられるあの文章、又あのむしろ宇宙的な末尾の哀切さ、あれを一篇の小説としてみてみると、大原の大団円は、私にはラディゲのドルヂェル伯の大団円などよりこのごろではずっと身近に感じられます。
無常という思想は印度から来たものでもそれを文学の極致にまで詩の極致にまで高めたのは日本人の営為ですね。

平岡公威(三島由紀夫)
18歳の書簡から

174:名無しさん@社会人
08/11/28 11:57:45
いやなことと申せば今度も空襲がまいりそうですね。こうして書いております夜も折からの警戒警報のメガホンの声がかまびすしい。
一体どうなりますことやら。しかしアメリカのような劣弱下等な文化の国、あんなものにまけてたまるかと思います。
―ニイチェが反理想主義であること、流石に確かな御眼と感服いたします。
ニイチェの強さが私には永遠の憧れであっても遂に私には耐え得ない重荷の気がします。おそらくきょうは一人一人の日本人が皆ニイチェにならねばならぬ時かもしれません。

平岡公威(三島由紀夫)
18歳の書簡から

175:名無しさん@社会人
08/11/29 10:59:30
URLリンク(www19.atwiki.jp)

国籍法改正案  日本の危機!  亡国!
  明日の日本は不良が外人ばかりになり、あなたは失業、最後は あぁ・・・

176:名無しさん@社会人
08/11/29 14:40:39
「五十になったら、定家を書こうと思います」三島由紀夫は、友人の坊城俊民氏にそう言った。
「…定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」
神になった定家。それは三島由紀夫にほかならない。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

177:名無しさん@社会人
08/11/29 14:43:54
「定家はみずから神になったのです」
これは何を暗示しているのだろうか。
仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。
亡霊をシテにして、いわば恋を回想させる夢幻能は、能の理想だといわれる。
死から、生をみるのである。時間や空間を超えたものだ。
三島由紀夫が、定家を書こうと考えたとき、やはり能の「定家」が頭にあったに違いない。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

178:名無しさん@社会人
08/11/29 14:48:42
現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は生の世界にも立ち入っていた。
定家は神になって、生の世界に立ち入ろうとした。そう考えた三島由紀夫ではないだろうか。
生の世界にあっては成就できない事柄を、死の世界に往くことによって可能たらしめようとしたのが、三島由紀夫だった。
…あえて死の世界へ往き、守ろうとした存在があったのだ。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

179:名無しさん@社会人
08/11/29 15:44:58
日本は緑色の蛇の呪いにかかっている。
日本の胸には、緑色の蛇が食いついている。この呪いから逃れる道はない。

三島由紀夫
※(緑色の蛇は、米ドルを意味している)

180:名無しさん@社会人
08/11/29 16:27:52

  ∧∧ ピコッ  ☆
 ( ^o^)っ―[] /
【+|$】 (^o^) 緑の蛇ったらアルファロメオのロゴマークね♪




181:名無しさん@社会人
08/11/29 18:10:15
三島さんも三島さんのご家族も、右翼から脅迫されて怯えていたってホント?
それが三島さんをマッチョにさせて原因の一端であったとかないとか


182:名無しさん@社会人
08/11/29 19:15:15
>>181
関係ないでしょう。
肉体美への憧れは「仮面の告白」のときからのものだし、右翼に脅迫される前に「憂国」も書き上げてるから、そのことがなくても肉体改造してるよ。

そのエピソードが書いてあるのも反三島のジョン・ネイスンのいいかげんな本だし。

183:名無しさん@社会人
08/11/30 11:38:27
右翼に脅迫されて怖くなったからイデオロギーを逆転させた。



184:名無しさん@社会人
08/11/30 11:57:07
>>183
三島の思想は少年時代から一貫してます。
知ったかぶった馬鹿の偏向捏造ご苦労様。

185:名無しさん@社会人
08/11/30 13:48:11
>>183は、戦後GHQの言論弾圧が怖くて反日に転じた団塊ブサヨクマスコミのさもしい発想です。

186:名無しさん@社会人
08/11/30 16:22:11
三島が天皇天皇言い始めたのは脅迫されてからですね。はい。

187:名無しさん@社会人
08/11/30 17:17:10
>>186
その前から「憂国」書いてるし、「金閣寺」にも戦後天皇の暗喩を込めてるのを知らない低脳、お大事に。

188:名無しさん@社会人
08/11/30 22:27:26
あとから天皇の暗喩にこじつけたんでしょ。
そんなのいくらでもできるよ。
右翼に脅される→怖くなって自ら右翼にwイデオロギーがコロコロ変わるそこらの俗物政治家とかわらん。

189:名無しさん@社会人
08/12/01 00:12:22
>>188
三島の作品や少年時代の書簡も読んでいれば、そういう発言はでないはずですよ。
三島の思想は少年時代から一貫してます。
半可通、ご苦労様。

190:名無しさん@社会人
08/12/01 00:24:40
>>188
脅される前に「憂国」を書いて発表してますから。何回言っても日本語読めない馬鹿、お大事に。

191:名無しさん@社会人
08/12/01 00:36:13
過激な右翼になったのは脅されてからですね。はい。

192:名無しさん@社会人
08/12/01 00:45:55
>>191
ブサヨクには過激な右翼に見えるだけでしょう。
三島は真摯な日本の憂国者であって、過激な右翼じゃないし。


193:名無しさん@社会人
08/12/01 00:46:49
「英霊の声」の作品評を改めてしようとは思わない。
…問題はこれがある巨大な怨念の書であるということである。ある至高の浄福から追放されたものたちの憤怒と怨念がそこにはすさまじいまでにみちあふれている。
幽顕の境界を哀切な姿でよろめくものたちのの叫喚が、おびやかすような低音として、生者としての私たちの耳に迫ってくる。
三島はここでは、それら悪鬼羅刹と化したものたちの魂が憑依するシャーマンの役割をしている。
昔から能楽のもつ妖気の展開様式に熟練している三島は、ここでも巧みにその形式を利用している。

橋川文三
「中間者の眼」より

194:名無しさん@社会人
08/12/01 00:52:36
>>193の前文

二・二六における天皇と青年将校というテーマは、ほとんどドストエフスキーの天才に俟たなければ描ききれないであろうというのが、私の以前からの独断であった。
それは何よりも神学の問題であり、正統と異端という古くから魅力と恐怖にみたされた人間信仰の世界にかかわる問題だからである。
端的にいえば、それは日本人の魂の世界における「大審問官」の問題にほかならないからと私は考えている。

橋川文三
「中間者の眼」より

195:名無しさん@社会人
08/12/01 00:57:07
「英霊の声」の作品評を改めてしようとは思わない。
…問題はこれがある巨大な怨念の書であるということである。ある至高の浄福から追放されたものたちの憤怒と怨念がそこにはすさまじいまでにみちあふれている。
幽顕の境界を哀切な姿でよろめくものたちのの叫喚が、おびやかすような低音として、生者としての私たちの耳に迫ってくる。
三島はここでは、それら悪鬼羅刹と化したものたちの魂が憑依するシャーマンの役割をしている。
昔から能楽のもつ妖気の展開様式に熟練している三島は、ここでも巧みにその形式を利用している。

橋川文三
「中間者の眼」より

196:名無しさん@社会人
08/12/01 00:58:23
私は、今でも深夜「二・二六事件」(河野司篇)をひもどくとき、そのとあるページを直視するにたえないが、この作品の鬼気にはそれに通じるものがある。
彼らの方が生きており、お前たちの方がそうではないのだぞと、そのとあるページのデスマスクは不気味な言葉で語りかけてくる。
そういう迫力において、この作品は、あれらの人々の心情をみごとに再現している。
三島はやはりここで、日本人にとっての天皇とは何か、その神威の下で行われた戦争と、その中での死者とは何であったか、
そして、なかんずく、神としての天皇の死の後、現に生存し、繁栄している日本人とは何かを究極にまで問いつめようとしている。
これが一個の憤怒の作品であるということは、それが現代日本文明の批判であるということにほかならない。

橋川文三
「中間者の眼」より

197:↑
08/12/01 03:10:55
自分の意見を言えない馬鹿が狂ってコピペ連投。御苦労さまw

198:名無しさん@社会人
08/12/03 11:01:00
アメリカ人が六代目の鏡獅子を本当に味解しようとする努力、
―と云ふより大国民としての余裕を持つてゐたら戦争は起らなかつた。
文化への不遜な態度こそ、戦争の諸でありませう。
日本の高邁な文化を冒涜する国民は必ず神の怒りにふれるのです。

平岡公威(三島由紀夫)
20歳、三谷信への葉書から

199:名無しさん@社会人
08/12/03 12:24:47
明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。
あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。
どんな時代だって、どんな階級に属していたって、人間は命が惜しいですよ。
それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世にいるとは、ぼくは思いませんね。
だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。

三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より

200:名無しさん@社会人
08/12/03 12:28:15
あの遺稿集(きけわだつみのこえ)は、もちろんほんとに書かれた手記を編集したものでしょう。
だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が示しているようなものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。
戦争末期の青年は、東洋と西洋といいますか、日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。
そこを突っきって行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。
それを、あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。
そういう考えは、ぼくは許せない。

三島由紀夫
「古林尚との対談―最後の言葉」より

201:名無しさん@社会人
08/12/03 14:16:31
…今の日本の大威張りの根拠は、みんな西洋発明品のおかげである。
これはそもそも、大東亜戦争の航空機についてさえ言えることで、あの戦争が日本刀だけで戦ったのなら威張れるけれども、みんな西洋の発明品で、西洋相手に戦ったのである。
ただ一つ、真の日本的武器は、航空機を日本刀のように使って斬死した特攻隊だけである。

三島由紀夫
「お茶漬ナショナリズム」より

202:名無しさん@社会人
08/12/03 15:13:15

…核兵器が発明されましてからモラルと兵器というものが無限に離れてしまった。というのは使えないからです。
我々は人間が使えない武器を持った時に、人間の思想と道徳の問題が最大の危機に直面したというふうに私は考える。
というのは、使えない武器は恫喝にすぎませんから、恫喝によって、どんな嘘も可能になる。
例えば膨大な核基地が何処にかにあるということが、察知されますと、敵側からスパイを派遣してこれを察知するでしょう。
あらゆる方法で情報を集めてこの核基地の所在を発見しようとするでしょう。ところがこの核基地の所在が本当は無くてもいいんです。
無くても絶対ここにあると信じれば充分恫喝になるのですから、核兵器というものは、最終的にいえば、無くてもいいんです。あるぞといっているだけで嚇かされるんです。

三島由紀夫
「政府への建白書」より

203:名無しさん@社会人
08/12/04 16:28:14
>>184に捕捉すると
三島由紀夫は少年期にニ・ニ六事件に感動し、大東塾の客員になっていますから、戦前からの皇国思想です。

204:名無しさん@社会人
08/12/04 16:29:02
日本人の最高のものに対する批評の形式というのは、死しかないというあれは、切腹のみにとどまらず、いろいろな形であらわれているものだと思いますね。
つまり、批評と絶対との関係というものは、僕はおよばずながら『英霊の声』などを書いたとき、ふっと、その問題をかいま見られたような感じがした。
つまり絶対を批評するということができるか、できないか、これはだれもわからないことですね。
だけどもその批評形式としては、死しかないということはあります。

三島由紀夫
対談「日本人論」より

205:名無しさん@社会人
08/12/04 16:31:58
…陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。
それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。
だか、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだった。
何と云おうか、人間としての義務において、神であらせられるべきだった。
この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきわみにおいて、正に、神であらせられるべきだった。
それを二度とも陛下は逸したまうた。もっとも神であらせられるべき時に、人間にましましたのだ。

三島由紀夫
「英霊の声」より

206:名無しさん@社会人
08/12/05 01:04:08
北一輝は右翼か左翼か分からないね。
昔の右翼は左右横断的というか左右の対立を越えていたのかな?

207:名無しさん@社会人
08/12/05 10:58:45
三島の>>77のように、昔は右も左も道義的だったんでしょう。
現代の左翼はほとんど単なる反日勢力だし、右翼も単なるヤクザ集団の偽右翼もあるしね。

208:名無しさん@社会人
08/12/05 11:17:40
たしかにニ・ニ六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだのだった。
当時十一歳の少年であった私には、それはおぼろげに感じられただけだったが、
二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死のお怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、密接につながっているらし�

209:名無しさん@社会人
08/12/05 11:18:41
たしかにニ・ニ六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだのだった。
当時十一歳の少年であった私には、それはおぼろげに感じられただけだったが、
二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死のお怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、密接につながっているらしいのを感じた。

三島由紀夫
「ニ・ニ六事件と私」より

210:名無しさん@社会人
08/12/06 00:40:13
>>207
その戦前・戦後の対立図式も左右同様に怪しいけどね。

211:名無しさん@社会人
08/12/06 10:11:21
>>210
自称リベラルの反日サヨク乙

212:名無しさん@社会人
08/12/07 02:36:08
三島さんは男性同性愛がかつて硬派と呼ばれて男らしいとされていた
時代の精神性をまるごと復古したかっただけ。
三島ワールドはホモの人たちが好んで描く男色ファンタジーそのもの。

213:名無しさん@社会人
08/12/07 10:25:12
>>212
三島の文学作品は全集30巻以上ありますから、もっと幅広く読んで下さい。

214:名無しさん@社会人
08/12/08 01:55:19
古代ギリシア、ザンビア社会、そして日本の武家社会、、、、、
男性同性愛が社会制度のデフォルトとして組み込まれていた
これらの社会に共通するのは戦士社会であったということ。
三島さんが理想の社会像として求めたものがそこにあった。

215:名無しさん@社会人
08/12/09 10:33:42

いかなる盲信にもせよ、原始的信仰にもせよ、戦艦大和は、拠って以て人が死に得るところの一個の古い徳目、一個の偉大な道徳的規範の象徴である。
その滅亡は、一つの信仰の死である。
この死を前に、戦死者たちは生の平等な条件と完全な規範の秩序の中に置かれ、かれらの青春ははからずも「絶対」に直面する。この美しさは否定しえない。
ある世代は別なものの中にこれを求めた。作者の世代は戦争の中にそれを求めただけの相違である。

三島由紀夫
「一読者として(吉田満著 戦艦大和ノ最期)」より

216:名無しさん@社会人
08/12/09 16:11:54
12/20 マル激トーク・オン・ディマンド公開収録「2008年総まとめ」のお知らせ

マル激トーク・オン・ディマンドの公開収録イベントを、
12月20日(土)、新宿ロフトプラスワンにて行います。

神保、宮台が08年のニュースを振り返ります。
皆様のご来場をお待ちしております。


マル激トーク・オン・ディマンド 公開収録
「2008総集編・メディア崩壊元年を振り返って」
 12月20日(土)12:30開場 13:00開始
場所 :新宿ロフトプラスワン
出演 :神保哲生 宮台真司
入場料 :1000円(ワンドリンク付き)

【情報源】
URLリンク(www.videonews.com)


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