08/06/28 21:31:01
構造的強制の話は「共依存」と「コミュニケーションスキル」と関係がある。
親や教師と「共依存」関係をつくることで子どもは外部の社会における
構造的強制を「ありえないもの」であるかのように扱うことが可能となる。
構造的強制を代理=代表する親や教師が構造的強制の強制力を弱める機能を果たす。
赤木の本の pp8~9の記述、日記における親とのやりとりはその点で大変興味深い。
その結果、構造的強制と対峙しながらその強制に逆らったり、やりすごしたりすることで
身につく「コミュニケーションスキル」を身につける機会を「共依存」関係のもとにある子どもは失う。
ニートやひきこもりが問題なのはそこだと思う。
そしてそうやって低スキルの資源を生産し「後から搾取する」狡猾さが
現在の経済システムでは稼動している。
かつて「勤勉さ」「注意力」をもつ資源を生産し搾取の効率化を実現していたのと同様に
ある種の「怠惰さ」「不注意力」をもつ資源を生産し搾取を効率化する。
その資源の生産にはマンガやゲームも一役買っていると思われる。
その分析はたとえば泉信行の「漫画をめくる冒険」で開始されているけれど、
まだ始まったばかりだと言える。
「自殺するぞ」宣言をサイトの日記でやるような「構ってちゃん」は
「共依存」を起こしやすい。「相手の関心が自分に向けられているかどうかを
絶えず確認しないと不安な子どものふるまい」。
構造的強制を 「共依存」関係の形成によって insulate 、絶縁できない単純労働派遣が
「ワーキングプア」になる一方で、「10年間親がかり同居週3コンビニバイトだけ」といった生活が可能な人間は
「ノンワーキングプア」になる。場合によっては、日雇いから週雇い、月雇い、年雇い、常雇いと
段階的に「共依存」関係の外部との接触に慣れていくといった対応が必要だと考えられる。