08/06/27 02:28:07
>>258
>>254と>>255は両方とも俺が書いたのでまず、
>派遣社員は派遣の不安定さ処遇の悪さを知りながらもみずから派遣会社に
>登録し続けてきているのだから、それによるリスクは全部自業自得だという論法だ。
は的はずれ。次に赤木の場合は「高校は卒業できるように出席日数を計算して休んでいる」ので
>いまの教育制度のなかでは学校に行かない選択によって多大なリスクを被る
>仕組みになっているゆえに個人には行く選択しか事実上無いに等しいという構造は不問に付す。
とも無縁。完全に不登校で「高校が卒業できていない」なら上記の引用のようなことは
問題になるが、別に赤木にそうした「構造的強制」はないから、
「好きな時に登校したりしなかったりして無事高校卒業できた」のは明らか。
引用すれば、
>授業の邪魔にならないし、小学校の先生のように子どもの生育に気を使う役割を持っているわけではないので、
>先生は私のことを放っておいてくれました。ただ、出席日数の問題があるので、その点だけは厳しくいわれていましたね。
>そして、高校にいることをムダだと感じつつも、高校を中退したり留年することにも積極的な意味があるとは
>思っていなかったので、出席日数をにらみながら、出席したりしなかったりを繰り返していたのです。
>テストではつねに赤点でしたが、補習はちゃんと受けて、やり過ごしていました。
>>258は赤木が本で語った状況とは関係がない。
今「フリーター、ワープアもどき」なのとまったく同じ「不登校もどき」だっただけ。
「厳しくいわれ」なければ、出席日数も気にしないような状況で
何がどう「構造的強制による妥協的選択」なわけ?
父親に「厳しくいわれ」ても、昼間の仕事を拒める状況で
何がどう「構造的強制による妥協的選択」なわけ?