09/05/03 11:56:18
不登校の側だけがいつも解剖学の対象になるというのもどこか引っかかりますね。
それは例えば、同性愛の人の脳だけが医学的に調べ上げられなければならない対象
とされているようなもので、登校拒否の子の脳だけが解剖される対象に選ばれる暗黙の
価値観の前提になっているもの、社会的ニーズになっているものに引っかかりを覚えます。
不登校に関する当事者学は、登校を拒否した子に登校することに対する価値観の本音
を訊き出すことを研究手段にしたけれども、それをもっと登校児全体、子どもたち全体に
向けてやってもらったらどうでしょうかね。そう思うんですよ。
「あなたたちは本当に学校に行きたいの?」というところの本音を引き出して欲しい。
でもそれはやれないんじゃないかな? それをやったら「登校」至上主義者たちは子どもの
当事者主権を否定するしかなくなる恐れがあるから、当事者学の名においてはできないw