09/05/01 12:37:45
「登校拒否」もニート同様に今以上にバッシングの対象にされていた時代があったようだ。
外に出ても激しい差別に曝されていたため、親も子も世間から身を隠すように暮らさなけ
ればならなかった。
当事者や当事者家庭をそういう状態に追い詰めている社会は棚に上げられ、社会問題
として論じられることもなく、彼らに「ひきこもり」とか「無気力」とか「閉鎖的な家族」という
病理学的なレッテルを貼ることが容赦なく一方的に行われていた。
そんな状況だったので、登校拒否者の人権の回復は、「本人は学校へ行きたいのは山々
だけど、どうしても行けない」状態であると主張されることによる消極的な弁護活動から
始められた。世間を含めた親、教師、親戚、同級生の目を意識して、本人も登校拒否の
動機をそのように主張せざるを得なかった現実があった。今でもおそらくあるだろう。
しかし一部の自称「当事者学」者は、この点には目をつむる。この点を隠そうとするか、
ごくごく控えめにしか表現せず、「登校拒否は権利」と主張する当事者の意識を嘘だとする。
「無気力症」の提唱者だった人物も同様に主張していた点でよく似ている。
「学校へ行きたいのは山々だけど、どうしても行けない」と当事者が主張せざるを得なくな
っている抑圧には、彼らは言及せずに避けた。その弟子は、その抑圧を一般的な精神分析
学的命題に還元することで解消しようとした。抑圧は付き物であり、それをいかに諦めて
受け入れるかという文化的人間の運命たる自我の成熟の、去勢否認の問題なのだと。