09/04/21 16:58:27
「世間」が客観的に外的にある社会システムだとしても、教育や医療がそれを正当化し、
再生産するシステムになっているという議論を踏まえていない。
あるいはそれを知っているがために、教育や医療の現場をがっちり保守化しておく必要がある。
方法論的個人主義に基づくゲーム論とかは、けっきょく全体主義に与する論理であって、
個人が集団のなかで合理的に利益を最大化しようとしたら、全体に逆らわないのが得策だとなる。
「囚人のジレンマ」の論理が棚に上げるのはそのゲームを作っている第三の権力の存在。
そこはアプリオリになっていて、ゲームの外に置かれている。