09/04/02 20:12:19
そう。というか、社会の現状への抵抗のオルタナティズムが持つ数々の困難さをやり玉に挙げる
ことによって、その抵抗言説の本質的有害性を主張する。これが貴戸さんらの論理の基軸にある。
つまり、抵抗をすればするほど、背けば背くほど君たちは不利だよ、ということを盛んに喧伝する。
そうすることによってけっきょく示唆的に、既成の学校化社会システムへの批判的主張を断罪して、
競争適応主義のほうを擁護する。稲村さんらもこういう論法で自身の矯正主義治療を合理化できた。
それは例えばこういうこと。
管理教育に抵抗し、それを明らさまに批判した生徒がどうなったか。
内申書に悪く書かれてけっきょく高校へも進学できなかったじゃないか。彼らの将来は安泰でない。
そのぶんリスクが高いじゃないか。その全責任を管理教育を批判してきた連中の側が負うべきなのだ。
管理教育批判者たちは、生徒の人権を主張するが、みずからの主張や言説がその生徒たち個人
の人生にとって有害で、生徒達の将来に不利益を与えるものであるか、その全責任を負うべきだと。
その責任を負えないのなら、管理教育批判をおとなしく引っ込めることだ。そういう主張で生徒たちを
感化するのはやめるべきだ。感化された生徒が将来損をすることはあっても得をすることはない。
管理教育から逸脱した生徒を矯正教育している側のほうが正しく、むしろ最終的に生徒の人権を
尊重していることになっているんじゃないか。分かり易くいえば、これがすなわち彼らの主張の謂。
既成の教育システムに適応しないこと、適応競争から逸脱することは、それによって被る差別など、
さまざまな不利益をその個人に自己責任として負わせる仕組みになっている。これが学(校)歴社会。
だから無駄な抵抗はやめて学校化社会の競争適応主義へと当事者を仕向ける担い手になりなさいと。
それが当事者の人権を尊重する実践であり言説なのだということを、結局彼らは言っているに過ぎない。