07/07/28 08:35:16
>>301さんの書かれた、デュルタイの「精神」は解るのですが、
“・ウェーバーがいう「精神」は、歴史的に見て、当初追求されていた意図とは違う領域に
生じた効果に対応する形で生じた、自覚の有無とは無関係な合理化のこと”
上記:ヴェーバーの「精神」の意味が解りにくいです。何を言わんとしているのか?
それから、かきこナンバーだけでは同一人か・別人か解りませんが、
‘オサレ’や‘フェギア萌え’を「ファッション」内で育て上げ、
価値合理的・目的合理的に対応さすのが先決だろうと思います。
だから価値・目的合理性を介して、資本主義の精神に限らず(ヴェーバー・デュルタイの)
精神とオサレ・フェギア萌え関係を論ずるのは即拙なのではないか?
なお、ホルクハイマー・アドルノ著『啓蒙の弁証法』(1947刊)はフランクフルト学派の
古典ですが、マルクスに関する部分は今では通用しないのではないか?