07/07/03 18:20:09
人間は全て合理性のみで生きているのではない。純粋の蒸留水(H2O)ばかり飲んでいると死んでしまうそうだ。『プロ倫』でも、非合理性から合理性が生まれ、またそこから非合理性が芽生える事を如実に書いている。
ヴェーバーにとって、最大最強の非合理性は“宗教”であった。
太陽が神であったり、大地が神であったりしているのが、神それ自身(Itself)を崇める宗教が生まれた。それが古代ユダヤ教~その後継のキリスト教である。キリスト教は、その中から呪術を取り除いた(呪術からの解放)。
ユダヤ教・キリスト教・回教は抽象的神の一神教。ヒンズー教・仏教は抽象的な神の多神教。儒教は神が無く抽象的人間が中心。道教は具体的な神の多神教。
ところが親鸞の浄土真宗は、阿弥陀如来の一神教である。
南無阿弥陀仏~念仏は呪術でも呪文でもない。
キリスト教の「アーメン」に相当する。
(余談になるが、回教でも、最後に‘アーメン’という)