07/01/16 04:38:30
(断片3)>>719に関連して。
Sは対象との「関係」において存在する。
したがって自分の内部にあるS的ファンタジーと
具体的な存在である他者との齟齬は「関係」の中で
(1)相手を自分のファンタジー像に近づけるよう操作する。
(2)自分の内部の相手心像を関係の中で修正する。
(1)の要素が強ければ君主型(暴君型)
(2)の要素が強ければ相互型(牧師型)
Mのファンタジーは内側に向けられているから
具体的な他者の心像よりインナーマスターに傾斜する。
説得や教育ではなく契約に傾くのも、
内部のインナーマスターファンタジーに合わなければそこで終了するからだ。
プレイとしてのSM(つまり痛みの快感化を重視するプレイ系)なら
Sを教育することもありうるだろう。
言葉による説得ではなく反応による説得によって。
むろんそれは教育という目的意識ではなく「合わない」という無言の意思表示なのだが、
結果として、関係性のSにとって、ファンタジーの改変を迫られることになる。
これはサディズム的性格やマゾヒズム的性格の話ではなくSMプレイそのものの話だ。
サービスのS 満足のM
それは 関係の中で心像を修正していくS 内部の心像が固定されているM を表す。
したがってこの心像に対する感じ方 考え方が変われば どんでんがくるという構造だ。