06/12/02 21:02:11
見せかけの性格というのは、そうだろうと思う。
本人が見せかけていることも忘れている性格の一面がある。
それは、自己に価値が無いという思い、自己憎悪から作られる
見せかけの性格。これは、感動しているように見せかけていたり
怒っているように見せかけたり、真剣に考えているように見せかける。
本人がそれに気づいていない。この見せかけこそ、服従の主たる原因
自己に価値が無いという考え方から生じる。自己とは自分の考え方
感じ方だと思われる。この自己疎外は、抑圧から生
じることもある
自己をひたすら抑える。自己がでそうな場面を避ける
「 自己憎悪の中の人生は不可能だ 」 ある中古で5000円もする
本に書いてあった。まさにその通りだと思う
自己憎悪と戦うということは、服従との戦いであり
正常を正常と見る、異常を異常と見る基本的能力を取り戻すということであり
それにより、想像力が戻るということだと思う。実際に間違いなくそうだと
思う。他人の気持ちはわからない。自分の共感能力にかかっている
勇気とは、苦しみや痛みや不安を感じないようにすることではなく
それに向かっていくことだと思われる。ところが自己憎悪者にはこれが
できない。社会的責任をいくらでも取れる人が、自己の責任は
取れないという例が山ほどある
586:心理学のプロ
06/12/02 21:18:23
対立物の結合が自己実現だとユングが書いていた
ある建設的な苦しみと幸福は、ほとんど二つが必ず必要だと思われる。
これを邪魔するのが、自己憎悪。つまり従属的な文化や教育だと思う。
現在、自由主義なので、これほど逆行したことは、その他にはない
精神の二極化が、経済の二極化でごまかされているのではないのだろうか。
経済のその責任を負わせてはいないだろうか。
生と死がなければ、苦しみと楽しみ、不幸と幸福がなければ
自分というものは、自己というものは、存在しないのではないのだろうか。
587:心理学のプロ
06/12/02 21:45:53
心に葛藤があったかないかは、すぐにわかる
バランスが悪いということで、露呈される
それを神経症的競争と書いてあった本もある。
あることを相対的に順序だって説明できる
自分の人生を説明できるということは、結果自身があるということになる。
説明できない人は自己を憎悪していた期間、無意味な期間があったということだろう。
588:心理学のプロ
06/12/02 21:47:29
この人生の説明は、ある対象に映し出すことによって露呈される。
女性に映し出したとき、つまりもっとも高い欲の対象にその人を
映し出したとき、その人の正体がわかってしまう。
その人が、まじめという理由で、自分が牢獄から、原因はともかく
牢獄を正当化したことが、露呈されてしまう
589:咀嚼途上者
06/12/03 00:44:08
>SMは、幻想上の権力構造を作り出し、自分を収めることができる
>安全な空間を作り出している
これはまったく異存がない。
疑似的な支配構造の模倣だと思う。だから「ごっこ」だと俺は言った。
安全な空間のことを 今は閉鎖してしまった「インナーマスター」サイトの
サイトマスターは「地下室」と名付けていた。
(もちろん実際の地下室ではなく、精神的な地下室だ)
帰属願望については少し言葉が足りなかったかもしれない。
マズローが言う意味での単純な意味での社会的欲求(所属欲求)なら、
学級・クラブ活動・サークル・会社・チームetc…
マゾだろうがサドだろうが形式的には所属してる者が多い。
だが、それを本当の帰属と思えない状況がある。
それは今の日本の学校制度や企業のありかたがそうさせる場合が多いのだろう。
そういう意味で精神的な帰属欲求が満たされていない(欠乏)状態に置かれ、
「擬似的な」精神的帰属を、主従SMに求めるのではないか。
「所有」は、法的概念であり、では「占有」は、「共有」は、と、なる。
法的に権利主体とみなされている「人間」を所有することはできない。
雇用や扶助ならできるが。
したがって集団に本来帰属することで得られる社会的な欲求が
変形して「個人=主人」と「奴隷」というかつての奴隷制度の模倣空間をつくって
所属の安心を得ようとするのだろう。
590:咀嚼途上者
06/12/03 01:00:53
これが、若い世代に広まっているということは、
まさに日本の政治理念の退行と、軌を一にしている。
自由な個人と個人の、性的志向としてのSM
(あるいは心理学的倒錯)としての加虐・被虐の
「プレイSM」とは微妙に異なる。
以前えす氏が言っていた
2種のSとMにそれは対応させることができるだろう。
外交型Mと内向型M 似非牧師Sー暴君S
むろん実際の場面ではそれは、似たような行為をする訳だし、
組み合わせも変わるだろうが、全体としては
「主従関係重視型」と
「行為重視型」に分けられるだろう。
帰属願望はとうぜん前者のMの欲求となる。
591:咀嚼途上者
06/12/03 01:18:44
(蛇足)
俺が「自己評価」をしているのは本当に自分か、と言った時、
すでに「プロ」氏が「自己不在」ということを言っているではないかと
感じた者のいるかもしれないが、
俺は俺なりに別のルートから峰をのぼってそこに辿り着いた。
同じ山を登っていても、違うルートからきて、
おなじ岩に手がかかることはある。
すでに先行者がその岩をつかんでさらに上へ昇っていようと、
あとからその岩に手をかけていけないわけでもない。
なにかいいわけをしてるように聞こえるかもしれないが、そういうつもりではない。
(言い訳するなら「自己不在」のあたりを読み落としていたことだなw)
他の発言者も気にせずに、自分のルートから昇ってきたのなら
同じ内容について「既出」など気にせず語ればよいのだ、と言いたかった。
(すまん、また、ちょっと酒が入ってるw 大きなお世話だなこれはw)
母子一体化に対する、第一次ナルシズムの問題は、
脳生理学や、胎児、胎盤の仕組みから眺めなおしてみると、
また、面白い見方ができる。
が、今は「プロ」氏の交響曲を聞く時間だ。 そのうちに、だな。
592:心理学初心者
06/12/03 13:55:45
私達が誕生した時には、母親が存在する(余程のことがない限りは父親
もいるわけだが)。私達は確実に親の影響を受けているだろう。遺伝学的
にも心理学的にもね。乳幼児期のナルシズムの段階ではまず第一に生理的
欲求があるし、安全欲求があるし、愛情欲求がある。
「母親からの愛は無条件でなければならない」と言ったのはフロムであ
るが、まさにそうなのである。親(特に母親)が愛を与えることによって
安心感が生まれるようになる。これが自己肯定へと繋がっていく。
それから幼稚園や学校で他者と関って、愛情欲求などが満たされると、
最終的には自己実現欲求から自己超越欲求へと向かうことができる。
自分が愛されているのならありのままの自分を表現ができるようになるだ
ろう。
しかし、親からの拒絶や他人からの拒絶、自分自身が持っている障害
(たとえば、身体的障害や発達障害あるいはその近縁のもの)から、
自己否定感を生み出すことがあるだろう。その自己否定が全ての始まり
である。服従は自己否定から始まる。
593:心理学初心者
06/12/03 14:25:14
自己否定から心理的防衛を図るとどうしても二次元の世界に行かなければ
ならない。自己否定という現実から逃れるためにどうしても二次元世界へ入
ることになるのだ。二次元の世界は空想の世界であり、幻想の世界である。
誰もが多かれ少なかれ二次元の世界を体験している。ただ、普通は日常的に
二次元の世界にいるわけではないだろう。
その二次元の世界からマゾヒズムの方向に向かう人もいるし、サディズム
の方向に向かう人もいるし、両方という人もいる。サディズムを社会生活
全般で発揮している人もいれば、性関係のみサディズムを発揮する人も
いる。一次元と二次元との葛藤が進めば進むほど深刻な精神障害あるいは
反社会性やサディズムなどを生み出す要因となりうる。
自己否定をするようになると、自己欺瞞が発生する。惨めな自分から、
身を守るためにもう一人作り出そうとする。そしてそれが「自己」だと
認識するようになるが、自己欺瞞ゆえに葛藤が生じ、葛藤に耐えようと
するとマゾヒズム傾向となり、葛藤を爆発させようとするとサディズム
傾向となる。
594:心理学初心者
06/12/03 16:00:44
こんな人はいないだろうか?
仕事はよくできるし、人間としても決して悪くない。ただ、社交性に
欠けていたり、寡黙だったり「自己表現」が出来ない人がいる。
それは前述でも少し触れたが、自分が愛されていれば(つまり自己受容
できていれば)、自己表現や自己開示が容易にできるようになるが、
自己否定している人や他者否定(表裏一体である)している人は、
簡単には自己表現や自己開示しようとはしない。だから自己紹介が苦手
である。自己表現、自己開示するということは、自分の外傷体験までさら
け出すかのように感じてしまうし(本人は意識していない)、曖昧な自己
を表現しようとすることになるから、苦手なのである。
595:心理学初心者
06/12/03 17:03:53
●男性マゾヒズム●
基本的な構造は一緒であるように思われる。母子一体感の欠如がしばしば
認められる。男性マゾヒストは母親と一つになりたいと思っているが、
それが叶わなかった。苦しい状態に対して服従する、苦しい自分、
惨めな自分を快楽とするために(性的な)マゾヒストとなることがある。
苦しい状態や惨めな自分を受け入れて、苦痛を快楽とする方向へと進んで
いく。
また、肉体の性は男性であるが、母親希求願望があり、女性になりたい
と思っている女性的男性がいる。恋人である女性と母親が重なって見える
ことがある。母親に似たような人を好きになる。女性に対して憧れのよう
な気持ちで接している。だからマゾヒストというのは同年代かそれ以上の
年齢の人と付き合うことがほとんどで、年下でもダビンチが描いたような
象徴的母親のような人を求める。幼少の頃の母親息子関係を持とうとする。
そして、正真正銘の女性を目の前にして、自分が男であるということを
自覚して、その現実から逃れるためにマゾヒズムが生まれる。肉体的には
男性だが、精神的に女性(つまり女性的男性)な人は、性に関する心理的
葛藤が起き、女性になりたいという気持ちを抑圧するためにマゾヒストに
なることによって防衛しようとするのではないか。
596:えす
06/12/04 13:51:49
>>585 プロ氏の心理学的知識が豊富なのは誰もが認める事だけど、SMに対する知識や興味、偏見の無さはどれ程なのでしょうか?
微妙に曖昧なので、俺の意見を言わせて頂くと
SM愛好者は良い意味でも、悪い意味でも『自分(達)の異常性』を認識してると思うのですが。
と言うか、分かってないと意味が無い訳で。それこそ『笑いながらのSM』になってしまう…
あと、これは全くの主観で余計な事なんですが(まちがってたら本当に失礼になります ごめんなさい!!)プロ氏の中にも何かに対する強い使命感と憎しみを感じるのですが…
597:咀嚼途上者
06/12/04 21:23:46
>>595 かなり峰を昇ったんだな、と。 特に後段の
「正真正銘の女性を目の前にして、自分が男であるということを
自覚して、その現実から逃れるためにマゾヒズムが生まれる。」
これは新鮮な見方に感じた。
母親との一体感を求めるなら、性的服従以外の精神的服従だけでいいわけだが
(実際、多くの男性Mにはその傾向が認められるわけだが)
「実際の女性を目の前にして」女性化願望が性的に顕在化する。。。
それは、異様なまでの「女性崇拝」姿勢をとるM男性の態度を
理路的にはかなりうまく説明できるように思える。
>>596 [プロ」氏、というより心理学自体が
フロイトを「脱性化」して、社会と個の関係に焦点を合わせているように思う。
…だが、まぁ「プロ」氏への質問だからこれは横レスだな。失礼。
598:心理学のプロ
06/12/05 01:36:38
>>596
私が言いたいのは、SMを意識している人じゃなくて、隠されたSM愛好者です。
隠された売春婦です。隠された強姦です。その裏づけに隠された虐待が
あると思います。物事に誠実な関心が持てない。これは心の葛藤ゆえです。
>>596
憎しみはあります。なぜなら、みんな大嘘つきだからです。
日本人が世界有数の恥ずかしがりやということは、世界有数の
嫉妬深さということと、同じです。これは、どんなにつくろっても
無駄です。だまされたうらみはあります。
自己憎悪の中の人生が不可能なら、自己憎悪を教えた親やそれを
放置している教師などは、基本的に無意識の確信犯でしょう。
そういう人が、他人の幸せを思うことは不可能です。
自己憎悪者が他人の幸福を願うとき、それは表面的なものです。
自己憎悪者に共感能力などほとんどありません。
599:心理学のプロ
06/12/05 01:43:45
自己憎悪と従属は、一心同体です。服従と自己憎悪は同時に起こり
自己憎悪は当然のことながら、抑圧され、それは他人へ向けられます。
これが、カルト的な原理です。憎しみが外部へ向けられます。
抑圧されたものは、投影されます。だからこそ、相手が自由だからという
理由で、相手を憎んでしまうのです。そのような者の人生は悲劇的だと
思いませんか?思えば犯罪者というのは健康な体を持っている人が
多いはずです。では、犯罪も犯せない自己憎悪者はどのように
みじめな生活を送っていることか。
600:心理学のプロ
06/12/05 01:49:24
基本的に恥ずかしいとは、みせかけが保てなくなったときに
生じるものだと思います。つまり、より恥ずかしがりやというのは
一見すると従順を装ってはいますが、単に自己憎悪しているに
過ぎない、そのため、その分自我が拡大していると思います
だからこそ、その分、見せ掛けが保てなくなったときに、より恥ずかしがるのだと
思います。
601:心理学のプロ
06/12/05 01:51:57
これで、羞恥心のトリックがわかったはずです。
SMの要素の羞恥心を生じさせるとは、見せ掛けを崩す行為だからです。
見せ掛けが崩れ、それに安心感を得るのは、本来の自分が出たからでしょう。
このように倒錯を必要としすぎる人は、その分見せ掛けが強いと言えます
だから、SM嬢がよく雑誌などで言うように、エリートが多いという
理由も当然と言えます。
602:咀嚼途上者
06/12/05 05:08:36
サーシャ・ナクト(フロイト派)はマゾヒズムを分類して、
色情化されたマゾヒズムと精神的マゾヒズムに分けた。
プロ氏は、終始精神的マゾヒズムを取り上げている。というのが俺の認識だ。
>初心者氏
男性Mが女性化を潜在的に願望しているとすれば、
女性Sは男性化を潜在的に願望している。
とすると、たとえば、SもMも根は同じとすれば(そこに俺は組みしないが仮定として)
女性の場合特に、男性化願望の有無が、SとMを分けるのではないか?
603:心理学初心者
06/12/05 23:47:39
>>咀嚼途上者
男性MもSも無意識に女性化願望がある。
女性MもSも無意識に女性化願望がある。
多かれ少なかれあるだろう。まったくなくなるというのことはないのだろう。
そういう場合には同性愛の方向へ向かうことがある。
ここからがポイントである。
604:心理学のプロ
06/12/06 00:16:42
ユング風に言えば、アニマ・アニムスになると思う。
男性は自分の中にある女性性を排除している。
その排除した女性性を相手の女性に投影してしまう。
そして、この排除した女性性(男性自身が勝手に決めているだけだが)
を取り戻すということを試みる。
こうして、現実のありのままの姿を認められない状態が起こることになる。
アニマ・アニムスは言ってみれば、自分が排除した男性性なり女性性。
この部分をどうやって補完していくかが、自分を取り戻すことにつながる
605:没個性化されたレス↓
06/12/06 00:54:27
葛藤を解消するための方法としてサディズム、マゾヒズムがある。
男性Sも男性Mも無意識的な強固な女性願望が認められるだろうが、
女性願望化は女性と一つになりたいと思う半面、憎しみがある。
そして、この憎しみから来る苦しみに耐えられないので快楽の方向へと
向かうことになる。その方法としてサディズムがあり、マゾヒズムがある。
サディズムは憎しみから来る復讐であり、マゾヒズムは憎しみから来る
服従である。
加虐・被虐で性的に興奮する(オルガスムに達する)のは、無意識の中
にある感情(憎しみ・怒り・孤独)を一時的に開放させるような働きがある
からである。もちろんS役とM役は自分にとって重要な人物と似たような
人物である。
Mは自分の格好を見て恥ずかしいと思う半面、自分の本当の姿を見ている。
「これが自分の姿なのか」と思いながらね。それをご主人様(重要な人物
の代理)に見てもらっているから快感を得るわけである。
女性Mが男性Sに縄で縛られて興奮するのは、女性が自分自身を憎んで
おり、罰せられたいと感じていて、そんな自分を罰してくれる、服従する
ことで、自己憎悪から来る全て悪感情を拭い去ってくれるように感じるか
らである。
男性Sが女性Mに拘束したりして興奮するのは、男性が自分自身を
憎んでいて、それを転化することにより本当に憎むべき相手ではなく恋人
に対してその憎しみなどの悪感情を晴らすために性的にサディズムになる
わけである。
何がサディズムとマゾヒズムを分けるのだろうか?
606:心理学のプロ
06/12/06 05:07:28
>>605
なんか違うようなところがある気がするが・・・。
サドとマゾを分けるのは、心理的な不安を解決するのに
どちらの方向へ向けるかで決まると思います。
つまり、自分がだめだから・・・となるか、あるいは他人の責任にして
他人を攻撃することにより解決を図るかだと思います
607:咀嚼途上者
06/12/06 05:44:09
>>603 すまんが、
「女性MもSも無意識に女性化願望がある。」
これは「男性化願望」の タイプミスだろうか?
というのは、俺は前スレで言ったような気がするが、
基本的には、男子も女子も、幼児期は皆「女性」であると考えている。
そして、男性はじょじょに男性になっていく、と思っている。
(これは男性脳 女性脳の差違を知った現在でも変わらない)
したがって、女性化願望というのは、本来男性にしかないものだと考える。
女性マゾヒズムという概念がフロイト派にはある。
本来女性は基本的にマゾヒストである、という概念だ。
「マゾヒズムの発明」によれば、この概念は
フェミニスト系の精神分析学者によって政治的な批判を受け
現在、まったく取り上げられないらしい。
しかし、ある程度の説得性をもっている、と俺は考えている。
そこで、>>603 の3行目がタイプミスではないとすると、
ある程度、賛意をしめす部分がある。
女性Sの男性化願望は変わらないが。
アニマ・アニムスはしたがって片方しか認められない。
女性の中の男性性は、擬似的にしか得られないと考える。
これは、生存の本質からいって、そうなる。
ユングの概念は、性の本質ではなく、どちらかというと、
ジェンダーに近い文化概念にすぎないと、思えてならない。
608:咀嚼途上者
06/12/06 07:32:07
男性は 女性の分化したものと考える。
単細胞からの進化を考えればごく当然の話だろう。
生命連鎖を行う主体が女性性だ。
したがってそれは、自然性となる。
男性は分離した女性だ。 大本は女性性だと考える。
609:没個性化されたレス↓
06/12/06 19:17:49
>>566
>「誕生を記憶する子どもたち」(デビッド・チェンバレン著、春秋社)という本を読むと
>新生児の時にはもう母親がすべての状態になっている、という事が説得的に書かれている。
そんなに早い時期から「母親がすべて」の状態になっているのですか?
それでは「1次的ナルチシズム」の仮定は無理があるかな。
もし、「1次的ナルチシズム」の仮定が許されるなら、まずその状態(=全知全能の世界)があって
現実を多少なりとも知って、自分の無能無力に気がつき、不安になり、今度はその全知全能性を
母親に投影して、母親と一体になる事によって、全知全能の母親の一部として全知全能性を
取り戻そうとする・・・そうして、母親に全面的に依存している状態が「母親がすべて」の状態
と言えないだろうか・・・。
610:咀嚼途上者
06/12/07 01:30:26
>>609 子宮内での一次的ナルシズム(類から自己への転換)は
興味深い仮定だと思う。
ただ、最近知ったとこだが、完全なる母子一体化に関しては
保留がいるように思う。
胎児と母親では白血球(リンパ球)など、免疫システムで敵対的な関係にある。
そこで、胎盤は、母親から胎児を守るシステムとして、
母親の血液との直接接触を防ぐバリアーを胎盤の上に持つ。
(「トロホプラスト(絨毛膜))
トロホプラストは、「母親の免疫機構からの攻撃」を防ぐために
遮断抗体を出すなど複数の免疫抑制システムを持っている。
甚だしいときには、免疫抑制因子(ISF)なる免疫抑制タンパクを出し、
母親の免疫機能を弱めることまでする。
(妊婦の免疫能力が低下するのは、こういった胎盤システムのせいだという)
へその緒を通して母親と繋がって、異物として母親の体内にいて、
完全に母親(母体)に依存していても、すでに、
胎児は、母親と別の「個」として、完全なる母子一体化状態ではない
個の生命時間を獲得している。
これは当然、心理に大きな影響を与えるに決まっている。
そういった意味で、胎内で、類として進化し旧ほ乳類から
大脳皮質の異様な発達した「ヒト」、そして「わたし」になる過程で
一次的ナルシズムは当然あってしかるべきだと考えられる。
611:心理学初心者
06/12/08 00:30:38
まぁ要するにですね...(こういうことなんですよ)。
基本的に男性も女性もサディスト・マゾヒストになる過程というのは
非常に良く似ている。どちらにしても、このような人々の幼少期は、恵ま
れない環境(精神的な意味で)が少なからず存在するということは周知の
事実である。
「サディズムは復讐、マゾヒズムは復讐」と私は言ったが、これは「復讐
という快楽を覚えるか、服従という快楽を覚えるか」がキーワードになる。
駄目な自分、惨めな自分を憎しみながらも好きになろうとすると、マゾヒ
ズム方向に行きやすい。駄目な自分、惨めな自分を憎んで憎んでいると
サディズムの方向へ行きやすい。
612:没個性化されたレス↓
06/12/08 00:41:17
>>610
>子宮内での一次的ナルシズム(類から自己への転換)は
>興味深い仮定だと思う。
一次的ナルチシズムの状態がいつ頃始まるのか、また、
いつ頃まで続くのか(子宮内にいる間だけなのかそれとも生後もしばらくはその状態なのか)
については、実は私もよく分かりません。
それから、細かい事はよく分かりませんが・・・
生物学的に母子一体である、あるいは生命的に母子一体であるという事と
精神的あるいは心理的に母子一体であるという事は必ずしも一致しないのではないかと思います。
精神的に母子一体であるというのは赤ちゃんが母親と一体だと思い込んでいるもしくは感じている
という事ではないかという気がします。
613:心理学初心者
06/12/08 00:53:19
訂正(酔ってる俺)「サディズムは復讐、マゾヒズムは服従」
自己感情を否認しようとするが認めざるを得ない状態からマゾヒズム、
自己感情を否認して投影攻撃する状態からサディズム。
異性願望化が認められる。女性SMは強い男性願望があるし、男性SMは
強い女性願望がある。「異性の親からの拒絶」からこのような願望が
生まれるかもしれない。より一層「一つになりたい」欲求は増すことだろ
う。男性であれば、女性性を抑圧する変わりに、マゾヒズムやサディズム
が必要となるかもしれないし、女性であれば、男性性を抑圧する変わりに
マゾヒズムやサディズムが必要となるかもしれない。
614:咀嚼途上者
06/12/08 02:21:49
女性マゾヒズムの問題について触れてみる。
生命連鎖(つまり単細胞の発生から始まって現在までの生命の進化)を担うのは
女性だ。
男性というのは、そこに精子というものを与えて個体の「多様性」を担保するだけだ。
実際に、分裂細胞から始まる次の世代の個体を体内に宿し、外界に分娩するのは女性だ。
したがって、生命にとって本質的な性は女性であり、
男性は多様性という環境適応のための生命時間の戦略を担っているだけだ。
当然、基本的に、生命体は(少なくとも単細胞の分裂だけではなくなり雌雄分化した時から)
女性がその本質だ。
若いときにはその実感はないかもしれないが、齢をとれば
自分がどんどん生命の連鎖からははずれた「その他」である悲哀を男は知る。
(つまり、いつまでもスケベな男だけが元気なわけだw)
615:咀嚼途上者
06/12/08 02:35:16
女性は本来受け入れる性だ。
自然を受け入れ、体内で作られる卵子に精子を受け入れ
発生した次の生命を、自分の(男性には存在しない)臓器に受け入れ、
内部に宿した新生命から要請される免疫低下を受け入れ、
出産という苦痛を受け入れる。
ナクトの本によれば、
「破瓜」の痛みに始まって「出産」の痛みまで、
女性の性のサイクルは苦痛と常に不可分であるという事を
20~30年代の女性学者は指摘しているという。
その痛みと仲良くつきあう方法が、痛みの快感化である。
それが「女性的マゾヒズム」の根拠としてあげられている。
(もちろん当時のヨーロッパ社会の文化的風潮も関係して、
女性は受け入れる、受動的な性であるという「付け足し」も
あるだろうが)
そこでフロイトはマゾヒズムを
女性にとってはなんら病的ではない状態(むしろ当然の状態)とし、
もっぱら、男性マゾヒズム(女性化を望む男性)をもっぱら取り上げていた。
(以上が、俺の読んだナクトや、「マゾヒズムの発明」などから
理解した「女性マゾヒズム」問題だ。
社会的差別だとするフェミニストの党派的批判など一文の価値もない)
616:咀嚼途上者
06/12/08 02:46:18
したがって、
女性である、ということはすなわちマゾヒストである。
という考え方は今でもなりたちうる、と考える。
このスレでの流れ(特に近々の初心者氏の考え方)に
対置させてみるなら、
(批判する意図はない。それぞれのルートで「自分の考え」をすすめればいいのだ)
マゾヒストは皆 女性性であり、
サディストは皆 男性性である。 とは言えるかもしれない。
女性は宿し分娩した後
育てる性でもある。
この育てる、という部分から
社会的男性性が生じる可能性はある。
それは、攻撃性と、関係するかもしれない。
女性性が守る性であるなら、
男性性は環境・自然への対応として攻撃性を含む、
対他関係をつくる性かもしれない。
(女性の対他関係は、必ず、赤ん坊を潜在的に基本としている。
たとえば、女性のおしゃべりは、とにかく内容はなんでもいい。
子供に「文法」を教えるためのものだ、と俺は考えてるw)
617:咀嚼途上者
06/12/08 02:48:06
女性マゾヒズムに問題が生じるとすれば、
それは、「子産み」の拒否にまで繋がる、
親から植え付けられた自己否定性の部分だけだ。
618:咀嚼途上者
06/12/08 04:50:43
S女性の男性化願望はわかりやすい。
父親への復讐。
同時に、自分が男になって母親を父親から守りたい
という願望も含まれているかもしれない。
そこで、父親を罰したい願望が転化して、
男性へ向けられ、サディズムとなる。
だが、同じ事を男性Sに求めることはできないはずだ。
もともと男性であるのだから。
そして、サディズムの対象が母親代理としての女性だからだ。
その場合、たとえば、対象が男性であれば、
その男性は象徴として女性化された男性であるか、
父親代理としての男性であるかどちらか、ということに理路上はなる。
619:咀嚼途上者
06/12/08 04:56:22
女性マゾヒズムはもっと複雑になる。
自然的マゾヒズムと、親由来による自己否定性のマゾヒズム。
さらに、それに対応する「被虐系」と「主従系(服従系)」ということになる。
この場合、打たれるのは、自分の中の母親であるか、
否定された自我を、父親に罰せられる願望であるのか、
それらによって、いくつかのタイプに分けられる事になる。
620:咀嚼途上者
06/12/08 05:05:29
一見ややこしくなっているようだが、
別にそんなことはない。
心理学的には潜在的マゾヒズムに主に照明があてられているが、
俺はさらに、顕在化しているサディズム・マゾヒズムの襞にも、
もうすこし詳しく光りを当てたいだけのことだ。
素質→潜在化→顕在化→実践
各段階に分けて、スレッドでの認識・洞察が丁寧に、
あるいは、細分化していってるだけのことだろう。
ナルシズムも、
マゾヒズムのナルシズムと
サディズムのナルシズムでは、当てる光の角度を変えなければ
細部は照らし出せないと考えている。
まだ、これからだ。
さらに、社会環境(文化的環境)による影響として「超自我」の問題がある。
サディズム・マゾヒズムは相当広がりのある主題なのだ。
621:えす
06/12/08 09:51:08
段々細分化されてきましたね おもしろい。
S女もM女も、結局は『自分(女性)より強い男性(父性)に~』って前提があって成り立つのかな?
単に主従的関係と言っても、行為中は一時的なシュミレーションな訳で、
その場合『下克上』の快感もありうると。
自分の性別を受け入れるか否定するかでサドorマゾ分かれるんだろうけど…やっぱりどこか壊れてるんだ。
SMはどう考えても、新たな生命や家族ってモノに繋がらないから。
個人的には
自己性否定×叱ってくれる相手=内向M×暴君S
自己性肯定×認めてくれる相手=外向M×牧師S
の組み合わせが多く感じる。
うぅ~ん…女性の意見ももっと集めたいな…
622:咀嚼途上者
06/12/08 11:24:52
女性、特に自分が行為者として即時的な状態にいるM女は
抽象的な規定には、反撥する。
それは、以前、言っていたように、
女性は、自己が強く自我が弱いからだと思う。
自我は子育ての役に立たない。 母子一体化のジャマになる。
ひょっとしたら、偽愛の母は、自己より自我が強いのかもしれない。
潜在的MやS女ならともかく、真っ最中の女性の意見はあまり
期待できないように思う。(俺はいくにんかに聞いたが、むしろ不快感を表明されたよw)
残念だが、自分たちでセオリーを言葉の極北へもっていくしかないように思う。
えす氏が有望な人材を発掘してくれば別だがw
かなり頭のいい女性でも、ここでの言葉や考察はもはや、
抽象的な戯れ言に取られるようだ。
ただ、「プロ」氏の否定のことばだけは よく響く。
特に、内向的なM女(潜在的な軽M女)によくとどくようで、
それはそれで、また興味深いことに思える。
本能は、脳幹(呼吸・体温)やからすこしその先(神経の経路として)、
視床、視床下部(性欲・食欲)や大脳周縁系といったあたりに相当しそうだ。
人間において特殊に発達した大脳、特に前頭葉が、本能を抑制するんだろう。
(とにかく、にわか勉強だから、あまり正確とはいいがたいがw)
おそらく本能の壊れ(離れ)は言語野と関係がありそうに思える。
言葉(文化)が、本能を壊すんではないだろうか。
623:咀嚼途上者
06/12/08 11:40:45
>621えす氏
「自分より男性が強い」という前提が
S女にもM女にもある、というのは、たいへん面白い指摘だ。
たしかに
だからこそ復讐が成り立つ。自分より弱い相手に復讐もくそもないな。
考えてみれば。 簡単にたたきつぶせるからなw
性別の受け入れか、否定か というのも面白い。
男女脳の分化は、さっき言った本能の脳の段階で起きるらしい。
視床下部の神経核の相違や、脳梁の太さの違い。
この分化した女脳を否定しようとしてS女
より、強化しようとして M女 なのかもしれない。
ただ、M女は昨日も書いた通り、複雑だ。
女であることの強化がMなのか、
女である自分を罰したいのがMなのか。
それが、内向Mと外向Mの違いかもしれない。
あと、残るは、男Sのどこに異性化願望があるか。ってことか。
ま、「初心者」とはかなり異なる道筋を辿っているわけだが。
こちらのルートも有望に思える。
(もともと女S・男Mに関して初心者氏に異存はなかったし)
624:咀嚼途上者
06/12/08 11:56:00
女は扁桃体の「好き・嫌い」感情がどんな理性的な女でも最終的に勝つ。
中立的では、子育ての負担に耐えるのが難しいからだろう。
徹底的に好き感情が強くないと、
自我・自己を制限される子育ては苦痛になるだろう。
子育てが楽しい、は、子をとにかく好きでないと無理だ。
(つまり無条件だ)
女は自分に関心が強く
男は外界に関心が強い。
これも、子育てと関係する。
自分と自分の分身である子供に感心がもてなければ
やはり子育ての苦に耐えられない。
対して男は、
いったん精子を放り込んでしまえば、
あとは、何もすることがないw
外界の脅威から、メスと子供を守るために
外界をよく観察し(関心をもち) 分析し
対応を練る能力を発達させるくらいしか役に立たないw
いいかえれば、理の自我を発達させるのが男の本文だ。
S男ほどS女は相手を理解しようとはしないものだ。
625:咀嚼途上者
06/12/08 11:58:54
.>624 追記
こういう言葉に、感情的でなく反論できるS女がいれば、尊敬する。
626:えす
06/12/08 14:05:16
男Sの場合、異性化願望とゆうよりは転化な気がする。
そもそもサディストは、多かれ少なかれ相手の感情を差し測って行為を行うでしょ?
(SMのSはサービスのSって言われてもしょうがない気がする;)
つまり、自分ではなく相手の中に在る異性を取り込む形か?(自分の性を否定してるからそれでまぎらわす!?)
「言語が本能を壊す」…またおもしろいキーワードが…
俺的に解釈すると「常識が本能を壊す」って事かな、と。
すべての異常性欲は常識を逸脱する事に快感を感じると思うけど、
その常識の最たるモノ、生命のシステムの根源である「種の保存・増殖・多様性」を否定する事に無意識で快感を感じちまうのか!?
(人間…ここまでキチまったか…?)
あと、上で書き忘れてしまったのですが…プロ氏、立ち入った事を聞いてしまってすいませんでした…
スレとは関係無さ過ぎでした。気分を害してなければ良いのですが…
627:汀子
06/12/08 15:15:53
M女です。
サディズム・マゾヒズムについて深く考察したサイトを探して
ここに辿り着きました。
SMサイトやピンク2ちゃんねるに辟易して分析に興味が沸いたのです。
咀嚼途上者さんや、心理学のプロさん、「さ」さんの書き込みを
読んで文字通り咀嚼しているところです。
アナログ人間なので、ノートにまとめながら、深く考えた上で意見を
書かせていただきます。
心理学については素人です。
628:汀子
06/12/08 15:36:00
軽く自己紹介をさせてもらいます。
私がM性に気付いたのは小児期で、4歳の時には
はっきりと被虐欲求を持っていた記憶があります。
それが先天的な物なのかどうかはわかりません。
ずっと内面世界に加虐者(インナーマスター?)がいて
何かの拍子に軽い解離状態になり、日常生活は上の空で
被虐の空想に耽ります。
小児期は加虐者は女性で思春期から男性に変わりました。
今は「幼児が男性に折檻されている」というシチュエーション
にこだわるようになり、私の中にS性の男性が登場して、
画像の幼い女の子に自分自身を投影して、終わりの無い
責め苦を受けています。
幼い女の子は苦痛と恥辱と同時にS性の男性に恋心を
抱いています。憎しみから、学習性無力感に変化し、
ついに底なしの愛情と受け取るというパターンです。
被虐待児症候群の中で虐待を愛情と勘違いする、
あるいは日常化して学習性無力感に陥る、という
響きに性的興奮を覚えます。
実際に私は長期の虐待、いじめ経験があり(性的ではありませんが)、
長く精神科通院しています。建前は「PTSDを克服する!」
ですが、本音は「学習性無力感のぬるま湯から出たくない」
です。
629:汀子
06/12/08 16:22:11
「さ」さんの書き込みを読んでいて、共感するところが多いです。
私はSM出会い系サイトではなく、2ちゃんねるで偶然S性の男の子と
仲良くなりました。私も彼も現在28歳で彼は童貞です。
一度彼と会いましたが、彼は指一本触れてきませんでした。
それ以来会って無いのですが、「SMプレイをしよう、やめよう」の
やりとりが延々と続いています。彼は「女にコンプレックスを持って
いるから征服したい」のだそうです。
私は一度彼に別れを告げました。「私はあなたを支える力が無い」
という理由です。その気持ちは今も同じです。
彼は、SMをすれば満たされると思ってるようですが、私はそうは
思いません。むしろ愛情飢餓が増すのではなかろうかと思います。
また彼からメールが来るようになり、拒否できずにいます。
ろくに私を知りもしないのに「愛してる愛してる」と気持ち悪いです。
そういう幼稚さが私には恐怖です。
リアルでS性の男性と関わるのは、危険ですよね。
630:心理学のプロ
06/12/08 19:14:52
>>629
僕とリアルでどうですか
631:心理学のプロ
06/12/08 19:15:51
男か、いらん
632:汀子
06/12/08 20:11:29
?
荒らしですか?
もうちょっとで全部読み終わります。
633:汀子
06/12/08 20:52:03
やっと読み終わりました。
私はMなので、Mとしての主観でしか語れませんが
自分がMなのは「退行願望」や「怠け心」があるからだと
思ってきました。
手の自由を奪われるという事は、自分の手を使う「仕事」を放棄する事。
足の自由を奪われるという事は、自分で歩き行き先を「決める」事を放棄する事。
目を塞がれるという事は、情報を入手し、「判断」する事を放棄する事。
口を塞がれるという事は、発言し「責任を持つ」事を放棄する事。
服従するという事は、「意思を持つ」事を放棄する事。
究極は赤ん坊と同じですね。
自分を憎む事は、弱いまま流れに従う上で一番楽です。
「自分さえ我慢すれば」と、親に殴られても学校でいじめられても
奇麗事で合理化して無抵抗できましたが、それは「学習性無力感」
という、怠け者のための甘美な檻に好んで籠もっているだけだったようです。
634:汀子
06/12/08 20:58:30
>>630
荒らしにマジレスしてみます。
SMに限らず、性倒錯傾向があって、それを自覚して
心理学板に流れてくるような人なら、常識かもしれないけど
母子一体感から抜けてない幼児性を持ったまま、
即物的に愛情飢餓感を満たそうとしても、更に飢えるだけです。
素人でも、断言します。
偽者の愛しか知らなくて、とりあえずの簡単な愛を手に入れる
事は、食べれば食べるほどお腹が減る仕組みになってます。
635:心理学のプロ
06/12/08 21:53:10
愛情飢餓感は存在しない
636:汀子
06/12/08 21:59:13
すみません、専門用語については、よく知らないので・・・・
「慢性的な不全感」とでも言いますか、そういう風に広い意味で
取って下さい。
と、マジレスしてしまう寂しい夜。
637:心理学のプロ
06/12/08 22:09:43
人は人を馬鹿にすることはできない
人が人を馬鹿にするとき、たいていは自分のそのような部分を
完全に拒否しているに過ぎない
そのような人に人を馬鹿にする能力はない
そのような人は自分を馬鹿にしているだけに過ぎない
では、そのような人の意見を真に受ける人も同様に本来の自分を
馬鹿にしている
638:心理学のプロ
06/12/08 22:22:26
人は人をほめることはできない
人が人をほめるとき、たいていは自分のそのような感じ方を
尊重しているに過ぎない
そのような人に人をほめる能力はない
そのような人は自分を受け入れている
では、そのような人の意見を受けられる人も同様に本来の自分を
受け入れている
639:咀嚼途上者
06/12/08 23:51:22
汀子氏のカキコ 2箇所 興味を引かれた。
1小児期は加虐者は女性 思春期から男性に
2、私の中にS性の男性が登場
画像の幼い女の子に自分自身を投影、終わりの無い責め苦
この場合、深層では 女性=母親
男性=父親 と考えられるだろうか?
640:心理学初心者
06/12/08 23:51:53
もし誰も信用できなくなったらどうなるんだろうね。
641:咀嚼途上者
06/12/08 23:56:17
思春期から被虐妄想の相手が男性に変わったのは
虐待経験 イジメ体験と 関わりがあるのだろうか。
自分の中に登場するS性男性にも同時に自分を投影し、
無力な幼女である自分自身を責めることに興奮を覚える場合、
複雑になるが、責める男性と責められる女性
両性的になっているのだろうか。
642:咀嚼途上者
06/12/09 00:03:07
個人の妄想の中で両性的になることは可能だろう。
自我=男性 または女性
自己=女性 または男性
あるいは超自我 を性化する (本来超自我は無性)
643:汀子
06/12/09 00:11:47
>>639
そうです。最初の母親との蜜月期は妄想の中に生まれた
加虐者は母親、父親に殴られたりするようになったころ、
慈父のようなおじいさんが加虐者の女性から私を救うシナリオ
の時期が少しあり、やがて若い男性に変わりました。
最初は憎しみだけがあり、憎しみと愛情の分離した時期があり、
思春期から憎しみと愛情が融合しました。
それは父親と分離できて無い事と多いに関係あると思います。
644:咀嚼途上者
06/12/09 00:14:44
そのように、両性化の可能性を考えれば、
男性化 女性化 の二者択一に対して
幅を想定できることになる。
体内でのホルモン分泌の異常による
脳の男性化不足が同性愛者をうむ
という説明を 性同一障害に関して受け入れるとすれば、
ここでいう男性化願望 女性化願望は
脳の性的分化は、無意識の領域から
意識の領域の間にあると規定される意味での「自己」は
当然、自己の物理的性別を基礎にしている。
それを異性化願望へ導くのは、自我か超自我ということになる。
常に人間の中には、複数の心的領域がある。
(胎内での母親との関係でそれは作られる)
それを、自我と自己と分けようと、別の名前で言おうと、
複数あることだけは間違いない。
したがって、両性化は脳内では可能だ。
二つの心的領域を、性で区別すれば
男性的類型と女性的類型ということにもなるのだろうが、
それよりは、自我と自己の間に性的不一致(あるいは混在)が
起きるとしたほうが、俺には混乱なく受け入れやすい。
645:汀子
06/12/09 00:16:44
ざっと読んだだけですが、上の方で厳しい父親と
過保護な母親の家庭でマゾヒズムが生じやすいとありました。
うちは、まさにそんな環境でした。
父親と母親に対する憎しみを封印するために、
ひたすら自分を憎む道を辿りました。
そう考えると平凡なM女だな、と思っています。
646:咀嚼途上者
06/12/09 00:16:51
>>640 >>643 すまん。
相変わらずリロードしないで投下する癖がなおらないw
今日はレスを停止する。w
647:汀子
06/12/09 00:25:41
被虐待時症候群でググると、「この子は虐待されて仕方ないと感じる時がある」
という感想を持った、という関係者の人の事が書いてあるのを見つけました。
被虐待児は、虐待を誘発するような、虐待の再演をする事があるそうです。
私の場合、再演、再演の繰り返しでした。
学校でも職場でも、とにかくいじめられてばかりでした。
これはマゾヒズムと関係あるんじゃないか、と思いました。
母親は「自分でいじめられるように仕向けているようだ」と私に言った事があります。
そんなつもりはありませんでしたが、今考えると、誘発していたのかもしれません。
648:汀子
06/12/09 00:27:21
「被虐待児症候群」の間違いです。
649:咀嚼途上者
06/12/09 00:27:36
と、書いたがひとつだけ訂正しておきたい
>>622 大脳周縁系→大脳辺縁系
他にも誤字、脱字多数だが、意味は通じるだろうから
いちいり訂正しない。
650:汀子 ◆NjVaAIo7pg
06/12/09 00:53:09
トリップ
651:汀子 ◆NjVaAIo7pg
06/12/09 00:53:51
どうして誰もトリップ付けないんですか?
652:心理学初心者
06/12/09 22:23:53
●男性の場合●
幼少の頃から児童期にかけて、たいていは母親によって安全欲求や愛情
欲求、生理的欲求が満たされるようになる。生後は身体的な分離はできて
いても、精神的な分離はできていない。精神的に分離するためには、
親子関係が重要なキーワードとなる。
653:心理学初心者
06/12/09 22:47:22
●親子関係●
よく過保護や過干渉、放任が人間の人格形成に悪影響を与えると言われる。
神経症的な人は、その親も神経症的な人であることがある。
誰でも自由でありたいと思っている。だから過度に干渉していては、
敵意を抱くだろうし、場合によって青年期半ばに入っても分離ができな
くなる場合もある。それは親に執着しているからである。
母親あるいはその代理となる者に強い愛着(無意識に欲求するほど)を
持っていて、かつその者に敵意を抱いている。敵対的依存状態から
転移されて復讐するならばサディズムへと向かうだろうし、服従するなら
マゾヒズムへと向かうだろう。
654:心理学初心者
06/12/09 22:58:04
●攻撃的サディズム●
古今東西老若男女問わず、凶悪犯罪を起こしている。私はその中でも、
少年非行と異常犯罪について考察していたのである。彼らはどのようにし
て殺人犯となっていったのか私は興味があった。
非行とは復讐行動化である。少年非行とは親に対する復讐である。
親殺しのような場合には、親に対する復讐だと言っても納得しやすい。
ところが親ではなく親以外の人に怒りを放つことがあるわけである。
少年非行では、家庭内暴力と一緒に存在することが多い。
では、犯罪者分析からSMを分析することにする。
655:咀嚼途上者
06/12/09 23:24:27
意識としての心的時間はひとつしかない。
ひとつの意識心的時間に
複数の心的領域が関わってひとつの流れを作っている。
したがって、同時的な両性愛概念は
はやはり無理がありそうだ。
混在は当然ありえる。しかし、
時間によってくるくる変わる、という形だろう。
男性化願望・女性化願望といっても、
それもまた意識を形作る心的領域の一部にすぎない。
結局は性的対象が異性であるか、同性であるかという
脳的体質と、心理的(ナルシズム的)な、後天的な、
異性化願望は、とうぜん、区別しなければならない。
転化
相手の性をとりこむ。
M女性の心理・喜びを「想像」するという事だろうか。
想像する段階では、「相手の気持ちになる」ことで
自分の位置を確認する。
それは、たしかに異性化願望とはちがう。
常識を逸脱することで得られる快感「も」ある。
656:咀嚼途上者
06/12/09 23:28:31
…また、リロード忘れだ。
>初心者氏 すまない。
犯罪者分析とSMは、たとえばサドの思想といったものを考えると
やはりSMは避けて通れないテーマだろう、と思う。
657:心理学初心者
06/12/09 23:32:14
●凶悪犯罪者の性格タイプ●
主に3つある。
一、行動化性格型非行
二、神経症性格型非行
三、混合型非行
に分けることができる。一はコンクリ犯の主犯のようなタイプだ。学校
でもどこでも問題児で警察の世話になることもよくある。補導歴がある。
彼らは簡単に感情を爆発する。だからすぐに喧嘩になる。非行を良いこと
であり、それが自分の生きる道とさえ思っている。集団で事件を起こすこと
もしばしば認められる。
二は岡山金属バット母親殺害事件のようなタイプである。感情抑圧型と言
ってもよい。人間は自分自身の感情を抑圧するには限界があり、限界を超
えると爆発する(いきなり型と世間で言われたようなもの)。一見は優等
生であったり、大人しく真面目な少年が、突如殺人犯などで逮捕されると
いうのがこのあたりである。
三は酒鬼薔薇や宅間守のようなタイプである。非行歴があったり、凶悪
犯罪を犯すような前兆があったりと感情をすぐ暴力行動に結びついて
しまう一方で、感情を抑圧しながら怒りのエネルギーを溜め込んでしまう。
それが最終的に一般人に向けられることがある。
凶悪犯罪者は自己執着者である。つまり、親などの重要な人物を憎んでいる
のと同時に自分自身も憎んでいる。親に攻撃することはあっても(家庭内
暴力)、殺人にはめったに至らない。
苦しみを逃れるために復讐をして快楽とするのか(責任転嫁)、苦しみを
快楽とするようにするのか(自己卑下)非常に気になるところである。
どちらにしてもSはMになりえるしMはSになりえる。
658:心理学のプロ
06/12/10 01:54:37
心理学を突き詰めると、自己とのかかわりあいになると思う。
例えるなら、神から与えられた運命・宿命をどれだけ全うできるかだと
思われる。人はさまざまな境遇で生まれてくる
平等ではない。単純な優劣で自分を決めてしまえば、どうしても
嫉妬と憎悪の鬼になるしかない。他人と比べない生き方こそ
真の自分を引き受けた生き方ということになると思う。
自分の欲求、自分の意思、自分の劣等な部分をいつか
引き受けないと、その人は嫉妬の鬼になるしかない。
自分が宇宙へ行ったと仮定すれば、興味あるものがたくさんあり
夢中になるはずである。なぜ、地球ではだめなのか
なぜ、日本ではだめなのか、なぜ自分の周りの出来事に興味がないのか
自分自身を憎悪するのをやめない限りそれはわからない。
自分自身を憎悪することさえやめれば、それと戦えば、道は開く
659:汀子 ◆NjVaAIo7pg
06/12/10 02:30:04
>>658
自分を憎悪するのがやめられないのは
自分を憎悪している部分に愛着があるから
憎悪をやめさせようとさせられると
大慌てで逃げ出してしまう
あたかも自分を憎悪する事を望んでいるかの
ように振舞ってしまう
結局何が欲しいのかわからないのです。
多分何も欲しくありません。
変化が怖いだけの話かもしれません。
660:心理学のプロ
06/12/10 03:39:29
>>659
自己憎悪することで親の保護をもらっていると
無意識に自己憎悪することで問題を解決してしまうとか・・。
単に自分との付き合い方を考えることだと思います
小さなことでもいいと思います。部屋を片付けるとか
自分らしく工夫するとか。個性は細かいところでしか違いは出ない。
それが僕なりの心理学に対する考え方です
661:心理学初心者
06/12/10 12:25:16
私は大学で少し心理学を齧っただけだけど、心理学は最終的には精神医学
や哲学など多岐分野からの考察も必要になってくると思われる。
フロイトとユングは心理学で登場する最も代表的な人物であるということ
くらいは知っている。まぁその程度なんだけどね。
自己憎悪の自分に依存しているということではないか?人格形成期に
誤った(歪んだ)考え方を身につけてしまい、現在自己否定・自己憎悪
の中で生きているという人もいる。認知システムが歪んでいるということ
を理解したとしても実際の行動に結びつくには相当な勇気が必要になる。
「生き方を変える」ということは即ち、それまでの自分の考え方を否定して、
過ちを認めることになり、「親から分離する自立する」ということでもある
からである。
過酷な作業である。
662:心理学初心者
06/12/10 12:36:08
凶悪犯罪者の多くは、親(あるいはその代理である)との間に亀裂が生じて
いる。なぜ「殺人」を実行することができるのかと考えた私は、人生で
最も愛されるべき人に愛されなかったことから始まるということが一つ
考えられた。
サディズムを生み出すには憎悪が必要であり、いわゆる「敵対的依存」
が必要である。サディストは重要な人物に対して愛着があり、かつ憎しみ
もある。その強度が強ければ強いほどサディズムが強度なものになる。
アンビバレントな感情が交錯すると、精神的に不安定になりやすい。
だからサディストやマゾヒストの中には神経症~パーソナリティ疾患が
認められることもあるのである。
ある少年が少年時代に父親との暴力を繰り返した後に、青年になって
男子学生を滅多刺しにするような事件があったが、そのような攻撃性は
父親との葛藤か被害者の彼に転移したものであると考えられる。
663:汀子 ◆NjVaAIo7pg
06/12/10 12:37:07
>>660
>>661
お二方の言う通りです。
私は多趣味を演じて無趣味です。
個性的なフリをして「個」がありあせん。
何もありません。
本当に過酷な作業です。
664:心理学初心者
06/12/10 13:02:59
マゾヒズムと結びつきやすいのが、境界性人格障害(衝動型・境界型)、
摂食障害(過食・拒食)、強迫性障害(強迫観念・強迫行為)などである。
サディズムも実は似たような疾患に罹りやすいが、反社会性人格障害や
行為障害などとの関連がある。
分離ー個体化という作業が出来た人はアイデンティティを形成し自己実現
していくのですが、それが出来なかった人はアイデンティティを形成する
ことができず、「重要な人物の中で生きている」ようなものになる。
子供は自分を愛することができない。なぜならまだ親と共にいるからである。
子供は自分を愛しているのではなく、重要な人物に愛されている自分を
愛しているのである。つまり無条件の愛を必要としている愛では、
自分を愛しているとはいえないのである。
665:汀子 ◆NjVaAIo7pg
06/12/10 19:53:33
>>664
分離一個体化は、小児期に済ませるものですよね。
それができないまま、歳取った私はどうすりゃいいんでしょう?
「個」が欲しい!いや、「個」が無い方が楽でいいかな?
666:汀子 ◆NjVaAIo7pg
06/12/10 20:41:31
URLリンク(aja.mirai1.com)
スパイ攻撃云々を除くと限りなく私と似た思考を呈した人の
サイトを見つけました。
このひとの防衛のやり方は、まるっきり私と同じです。
667:咀嚼途上者
06/12/12 12:13:19
>514氏 一次的ナルシズムについて、ずっと考えてたが、
もし、それを徹底的に自分・自己存在そのものに沈潜する状態、と置き換えれば、
それは、大変、大事な状態だと思う。
それは、SM要因とは関係なく、むしろ、
徹底的な自己沈潜した状態は、脱却の可能性を示すように思う。
ものを考える、感じる以前の状態を想定して一次的ナルシズムというなら、
「徹底的な自己への沈潜」はそれとは少し違うかもしれないが、
母子関係以前の状態の残存、あるいは回帰、として
「世界と可能な限り遮断して、自分の内部に沈潜すること」は
ものを考える上でもたいへん大事な状態だし、
うわついた考えを払拭する際にもその状態のあるなしはかなり影響する。
なかなかその状態になることはむづかしいが、
その状態で得られる考えは、揺るぐことがない。
サド・マゾと関わるナルシズムは、
異性に向かう性愛対象が自分に向かう状態
という意味のナルシズムに限定した方がいいように思う。
668:えす
06/12/15 14:59:45
捕手・イン・ザ・ライ
669:咀嚼途上者
06/12/15 16:20:41
>668 大ジョブじゃないすか?
この板で3ヶ月くらいレスなしでも落ちてないとこ見かけたし。
(基準は知らないけど)w
670:没個性化されたレス↓
06/12/15 22:48:36
●マゾヒズムとサディズム●
マゾヒストやその傾向にある人は、表面上はマゾヒズムであるが内面的に
は、自己に対してサディズムの傾向がある。自己に対してサディズムになれ
るからこそ服従することが可能となる。場合によっては自傷もできるのだ
(その代表的な例がマゾヒズム的境界例)。
攻撃性がどこへ向けられるのかというのが重要なところである。
マゾヒズムの場合には、自己受容したいという気持ちがあるが、それができ
ずにマゾヒズムになることによって自己受容しようとする。
サディズムの場合には、自己受容したいという気持ちがあったが、それを
諦めて様々な感情が「怒り」へと転化することで自己受容しようとする。
極端なことを言うことになるかもしれないが、殺人という行為によって
自己受容が出来るという人もいる(本人が自覚しているということはほと
んどない)。快楽殺人もそういうことが言えるかもしれない。
「悪」をアイデンティティとするヤクザはそれによって自己受容しようと
している。
671:心理学初心者
06/12/15 23:25:23
人間はいつでも生理的欲求と心理(精神)的欲求がある。
性欲、食欲、安全欲といったものである。これらが不安定なままで、
自己実現やアイデンティティを形成することができるだろうか?
672:心理学のプロ
06/12/16 00:17:09
分裂した、統合に失敗している自分を
取り戻すために、それを拒否して外部から何かを得て
その統合の失敗からくる不安を回避しようとしてみても
憎しみは永遠に続く
権威主義から自由主義へと移行するとき
権威主義的な父親、自己憎悪・我執の両親を心理的には
殺さなければならない。正体を見破った上で。
それは、宗教的に言えば、神を殺すことで
服従を拒否すると言うこと
人類は数千年かけて、その掲げた目標とは別に
無意識的に強く自由を求めて戦った
数億の犠牲に自由が約束される
そして、地球から離れることになるかもしれない。今世紀は自立の年
おそらく、科学技術も高度経済成長を上回ると思われる
それが暮らしの豊かさにつながらないかもしれないが
673:心理学のプロ
06/12/16 00:26:06
青い地球は、母なる惑星かもしれないが
依存と敵意は表裏一体であり、地球を憎む
やがて、地球は人類を保護するために存在していないと知る
人は宗教に頼り、神をあがめ保護を求める。あまりの自然の厳しさに。
そして、自立のときが来たのかもしれない
日本と言う国は形だけになるかもしれない
自由以外のために戦う理由はない、ということを考えると
自民党はこそこそしながら、ゆっくりと国という概念を放棄すると思われる
隠れ権威主義者たちは、また自分でどうしていいかわからないため
(自分の片割れである影を取り戻しておらず、想像力が無いため)
権威主義の力を自民党に望むが、自民党はそれをすでに捨てている
どのような政党であろうと自由以外に戦う理由はない
674:咀嚼途上者
06/12/16 14:50:17
「国」というのも実際には観念にすぎず、現実には存在しない。
動物や植物には「国」は見えないだろう。
人間が自分の群れを拡大しいった地域的なテリトリー意識の境界にすぎない。
したがって、それらもまた、心理の内にある。
自我でも、自己でもないとすれば、それは超自我の中にあるということになろう。
SMは階層を私人が幻想化した性的ゲームでもある。
階層もまた基本的には幻想のうちにある。
国家という幻想が、相互の認知のもとに拡大、拡散して、
たとえば欧州連合のようになっていくのは、
情報・交通の進歩による必然的な流れになる。
反動・揺り戻し・取り残されなどはあるだろうが、
その流れを逆行させるのは、すべての科学的発達を停止する他なく、
いうなれば、不可避の流れとなっている。
権威主義は、国家という制度・幻想によって、
階層的・個人的益を蒙る支配層なるものの防御線として幻想化される。
だが、国家の形がどうかわろうと、性の問題や、
個の問題は、それらとは異なる(相互に深く関わるが)領域にある。
SMが面白いのは、夫婦という制度同様、
支配・被支配の共同観念(幻想)を、性の中に超自我を通じて
取り込んでいるからだろう。
675:咀嚼途上者
06/12/16 14:52:13
>>670 「マゾヒズム的境界例」とはどういうものを指すのだろう。
たとえば、摂食障害を、自分の肉体・生理への虐待としてとらえる
というようなことだろうか。
676:心理学初心者
06/12/16 22:42:24
大体そんな感じである。境界例者が他の疾患と併発しているということが
少なくない。うつ病や摂食障害、依存症(薬物含む)などがあげられる。
マゾヒズムは「服従」ではあるが、自分自身に対する復讐でもある。
強い劣等感が怒りに転化されて自己を傷つける(仮の自己受容)。
サディズムは「復讐」であり、自分自身と周囲に対する復讐である。
サディズムとマゾヒズムは表裏一体のものである。だから自殺と殺人(
殺人者精神病)には因果関係があると考えられる。
677:心理学初心者
06/12/16 22:59:01
●●
心的世界は主に3つあると考えてよいでしょう。
一次元を現実、二次元を空想、三次元を妄想としましょう。
かつて人類は、宇宙は完全なものであると考えられていました。そのため
にガリレオがクレーターを発見したときには都合のよい解釈によって事実は
曲げられてしまいました。つまりガリレオ以外に人々は三次元の世界にいた
のです。妄想的社会の中にいたのです。
人間は不完全であるし、自然でさえも不完全なものである。不完全だから
人間は何かを求めようとする。それが宗教思想だったり恋人だったりする。
人間の心が二次元や三次元の世界に侵入してしまうのは、防衛機制があるた
めであるといえばそれまでである。
678:心理学初心者
06/12/16 23:18:49
学校の窓ガラスを金属バットで叩き割る。するとそこらじゅうに無数のガラ
スの破片が飛散っている。バラバラになったガラスの破片を見ると、まるで
人間一人一人の姿のように見えた。そしてその一つ一つを拾って集めていく
とある形になった。それが人間がひざまずいている姿だった。
日本人はマゾヒスト。国家という権威に対して服従しまくってる。
服従から卒業して自由を手に入れる。しかしまた服従がやってくる。
人間の歴史は復讐の歴史である。
679:咀嚼途上者
06/12/17 08:36:15
時間性を空間性と錯覚してはいけない。
裏表ではなく、連続性があるのだ。
なんらかの理由(常に複数)で自殺したいと思っている者が
それを実行できずにいて、
死刑によって他者に殺してもらうために、殺人を犯すとすれば、
自己否定が裏返ったのではなく、
自己否定感情によって、他者の生存も重要と感じない感性が、
「関係性」に向かったと考えた方がよい。
そこには、変転の契機がある。
そして「順番」というものがある。
どちらが先か。 言い換えれば、どちらが本質的なのか。
まだ、うまくそこに理路を導き出すことができないでいるが、
どうやら、マゾヒズムを本質(順番として先)と考えるものが、
空間的な表裏ととらえたがる傾向があるようだ。
これは、これでまた面白い疑問だ。
フロイトが、サディズムを先として、第2次マゾヒズム
後年、マゾヒズムを本質と考えて、第1次マゾヒズムとした。
順序は、それほど、ことの理解にとって重要だ、ということなのだ。
680:咀嚼途上者
06/12/17 09:01:35
もうひとつ、「対置」させておきたくなった。
個の領域 個と個の関係の領域 共有(共同性)の領域
フロイトは「関係の領域」である性(家族・父母)の重要性を
思想の世界に強くうち立てた。
そして、超自我を、共同性の領域が、性(父母)を通じて、
個の領域に侵入することを、発見した。
脱性化した心理学は、
性(個と個と関係の領域)
内なる共同性領域(超自我)を外に追い出し、
社会(共同性)の中に性(個と個の領域)をかってに埋め込んでしまい
個の領域だけを、孤立させて社会性と対峙させる理解の仕方を
とるようになってしまった。
そのため、性の問題をうまくあつかうことができないでいる。
というのが俺の見方だ。
681:心理学初心者
06/12/17 09:15:28
皆が幸せを求めている。つまりは、自由になりたいんだ。
682:没個性化されたレス↓
06/12/17 10:07:13
●自殺と殺人●
殺人をサディズム、マゾヒズムを自殺として考えてみよう。どちらにし
ても自己感情がマイナスであるということに変わりはない。日本で起きる
殺人などの凶悪犯罪は加害者と被害者との間に何らかの関係(親、兄弟、
友人、上司、恋人etc)があることがほとんどである。
自殺願望や自殺念慮を持ちながら犯罪を犯す場合がある。このような人
を私は犯罪者神経症と呼んでいる(福島章の「殺人者精神病」という言葉
は適さないとの考えから犯罪者神経症と呼ぶことにする)。
服従というマゾヒズムは自己への復讐であるから自傷や自殺へと結びつく。
復讐というサディズムは自己、他者両方に対しての復讐であるから傷害や
殺人だけでなく、自傷や自殺とも結びつく。だから一般的にはマゾヒズム
よりもサディズムのほうが「治療」するには苦労するだろうということが
わかる。攻撃性が自分自身に向いている人と、自分と他者に向いている人
とでは後者のほうが治療や矯正していく場合に困難が生じやすいだろう。
犯罪者も自殺者も自己執着が認められる。どちらにしても、最初には
マゾヒズムが存在する。それが前提条件にあって、そこから復讐へと
向かうか服従へと向かうかである。
683:心理学初心者
06/12/17 10:44:40
●少年非行とは親に対する復讐である●
コンクリート詰め殺人の主犯Aのような「少年A」タイプもいる(行動化
性格者)し、酒鬼薔薇のような「少年A」タイプもいる(神経症性格者)。
どちらにしても自己不快感情を持っている。また、自己感情を言語化する
能力が乏しいことが多い。行動化性格者は「悪」をアイデンティティとする。
だからその世界で少年院から出所すると箔がつくとか言われるのはそのため
である。こういったタイプが薬物の使用が認められるのも反社会的であるが
ゆえであるし、自己不全感を解消したり快楽を得るために使用する。
犯罪は自己破壊行為である。それをわかった上で(意識しているかどうかは
別だが)薬物の使用や売買などする。そういった類の人々がヤミ金とか振り
込め詐欺とかするようになる(だから暴力団らと関係がある)。
一見はサディズムだが、自己に対してサディズムでもあるからマゾヒズム
とも関係している。そしてそのサディズムを生むのは重要な人物との関係が
非常に大きいものになる。自己破壊願望は彼らの意識上には見られないが、
彼らの非行によって自己破壊願望が存在することが明らかである。それは
そのような感情を抑圧しているからである。
酒鬼薔薇のようなタイプは自己破壊願望や自殺願望を意識している。
神経症的なので普段は大人しくて自己開示するということは滅多にない。
神経症性格タイプの犯罪はいきなり型と進行型に分かれるが、酒鬼薔薇
は進行型であった。
殺人者神経症であることが多い。一般的に言われる悪事は悪いことである
とわかっているが、行為化せざるを得なかった人たちである。
684:心理学のプロ
06/12/17 11:27:01
本来の自分を憎んだものは、それと同時に他人の本来の自分をも
憎んでいることを知らない
なんにでも優越しようとしてしまう
685:心理学のプロ
06/12/17 11:31:08
そうなると、分裂した自分を維持するために相手に道徳だとか
正義だとかおまえのためだとか、言うことになる
この分裂だとか、統合失調症について、話したい
686:心理学のプロ
06/12/17 11:42:05
●旧分裂病 統合失調症の本質●
分裂病患者は、何が分裂しているのか?
そして、統合失調症に名前が変わったが統合失調症とは
何の統合が失調なのか?
対立物の結合が、自己実現だとユングは言った。
対立するものが結合できないのが、旧分裂病、統合失調症の本質。
優越感と劣等感というものの結合をすることにより、自己実現できる
自己実現とは、自分になれるということ。
ユングの生まれた時代には、さまざまな強制があった。厳しい宗教の存在など。
事実を探る一部の人を困らせた。
問題はどうして、優越感と劣等感に分裂してしまったのかということになる
それは権力による。権力者を無条件に疑わず、従わなければならなかった。
そういう文化は今も少しある。だが権力という枠組みはあまりにも
そこが浅く、範囲がせまい間違った考え方。人はみな変わらない。
人は違うといっても、自分がそうなりえた可能性がある違いしかない。
権威者に服従することにより、自分も権力構造の中に入る
そこでは、権力が重視される。優劣を示さなければならなくなる。
自分に価値がないと思うことは、同時に価値のある自分が作られる
それは表面上に過ぎない権力の獲得である。
自分に価値がない、外側から何か獲得していないと。
浅い考えではないのだろうか。これが劣等感の正体である
687:心理学のプロ
06/12/17 11:48:55
自己憎悪とは、異常な権力構造から逃れることを拒否していることになる
だからこそ、自己憎悪=服従となる
この権力構造からはみ出ている人が、幸福になると必死に否定する
憎む。
自己実現=自分になる とは 権力と人間性の結合
688:心理学のプロ
06/12/17 12:04:42
●自由の定義●
自由の定義とは、物事をあるがままに見てもいいということだと思う
それを拒否するのがフロムの言う、自由からの逃走だと思う
他人の性格を勝手に決めて、それと違ったときショックではないだろうか
どうして、人をあるがままに見れないのか
それは、自分があるがままではないから
どうしても、何かを決め付けなければ、自分が精神的に安定できない、
不安を回避したいということ。深層には、やはり服従が横たわっていると
思われる。人間最初の葛藤がこの内部志向性と外部志向性といわれている。
そこで、外部志向性とはもちろん、服従と支配の権力構造なのだが
それは、時代の役割をひそかに終わろうとしている。それにしがみつくことが
原因はともかく、結果としてしがみつくことをしている人たちが
自由から逃走しているといわれている
689:心理学のプロ
06/12/17 12:09:30
その人が必要だったと思うとき
単にだめな自分をなんとか、みつくろえる ということはないだろうか?
690:えす
06/12/17 14:33:40
なんか最近、行き過ぎとまでは言わないけど…俺的に少し論点がズレてきてる気がする。
過程をスッ飛ばして良いのかな?
行き着く先はここなのか?
SMも確かに超個人的なモノだけど、相手がいない時点でそれはSMじゃあないと思う。
それはただのサディズム、ないしはマゾヒズムでは?
俺は、一人のサディストと一人のマゾヒストが重なり、反応した時に生まれる『何か』が知りたい。
俺じゃあ一人一人のパターンなんて、育ってきた環境も何もかもが違うのに、型にはめて理解なんてできないから。
そこに救いなんて無いと、プロ氏に言われちゃうかな~
SMって…なんだ!?
691:咀嚼途上者
06/12/17 15:18:57
発生(素質の形成)→目覚め→実践(あるいは性的幻想の定着・固定)→反復→エスカレート→出口(?)
↑
これにそれぞれの段階 胎・乳・幼・少・反抗期・青年期・大人期が対応する。
そして、それぞれの段階に応じた考察・洞察をしている。
すくなくとも俺はね。w
共同性の問題は、権力の問題(支配・被支配 あるいは主と従)として、
個人間にも擬制的に再現される、というのがSMを個人でなく、
社会構造との比較で見た場合の俺の仮説だ。
そして実際に、
相手の意志を無視しても成り立つ「飼い(買い)」を成す階層(グループ)もある。
さらにそれを小規模に組織化しようとするGor(ゴル)という思想もある。
必ずしも、市民的なSMだけをサディズム・マゾヒズムの問題として限定的に
考察するだけではない。そのあたりはそれぞれの参加者の自由でいいと思っている。
俺の見るところ、すでに言ったように
心理学は性に関して精神分析より、対応力が弱い。
つまり、掘り下げが一定以上できないように見える。
しかし、アドラーの「権力への意志」説でもSMは説明できるはずなのだ。
あるいは、そういう視点もありうる、という提示はできるだろう。
それは、そういう論者があらわれるのを待つしかない。
もちろんいつものように、俺が中途半端な知見でそれをやるかもしれないw
ただし、それは、あくまでもそういう見方もありうる、という提示の意味を超えないが。
ま、俺的にはいすに座って咀嚼に勤めてる状態から
多少気分を変えるために
慣れた政治性の話につきあって、背筋をいっぺん伸ばしてみただけにすぎない。
個領域をそのままいくら伸ばしても、共同性に直接いきつくことはない。
そのへんは、心理学から伸ばしていっても無理なのは見えてるが、
それも、またよし。だ。 自由に想いや考えを語ることが一番だ。
692:咀嚼途上者
06/12/17 15:24:34
Sは相手の反応がなければ、成立しない。
つまり、「関係性」がなければ成立しない。
Mは、自己沈潜(ナルシズム)に向かって、
関係を「受け止める」側になる。
Sは対象との関係を求める。
対象の反応を見ることによって喜びを得る。
自身の肉体的快感は二次的なものだ。
Mは、与えられた関係の中で、自己に沈潜する。
行き着くところは自身の肉感と幻想領域での陶酔だ。
ここでも、SとMは方向が違うことがはっきりわかる。
SとMはすれ違っている。
693:咀嚼途上者
06/12/17 15:27:51
性的SMは、いうなれば、
サディズム・マゾヒズムの一時的な解放を
快感という形で発散させる。
快感は、肉体ではなく脳で感じる。
痛みと同様に。
痛みは、自我や自己や超自我を吹き払うための手段だ。
694:咀嚼途上者
06/12/17 15:39:31
なぜ、そのようなことを求めるのか、
あるいは、求めるようになったのか。
それが、発生論としての母子関係だ。
ここでも、時間軸が大事だ。
動機としての復讐は、実践過程の中で、
復讐対象であるべき相手が、
今度は、自分の復讐をどこまで受け入れるか、
という事にポイントが移動していく。
このことは、最近メルをやりとりしているS&M女性の
メルを読んでハッとして、考え込んだところだった。
「Sも母を求めている気がする。
これだけしてもついてきてくれるのか、ここまでしても自分を見捨てないのか、
試しているような節も感じられます。
奴隷を抱きしめながら、抱きしめ返されているような。そんな感じがする。
その衝動が母への不服や不満から来ているかどうかは私には解りませんが」
(スレへ掲載許可は得ている)
復讐の対象であるM女性の中に、
現実で得られなかった受け入れを求めている、ということだ。
動機としての復讐だけではなく、
復讐の解消をも求めて(性的SMが行われる)という解釈は
俺にとっては新鮮だった。
695:心理学初心者
06/12/17 18:52:38
性的快楽は人類共通のものだろう。性的不能は病気となる。
性的なものに結びつけば性的サディズムとか性的マゾヒズムという具合に
なるだろう。復讐心がどこへ向かうのか。自分自身、恋人、友人、親、教師、
上司、部下、先輩、後輩、不特定多数の人に攻撃が向けられるだろう。
マゾヒズムもサディズムも自己憎悪から来る自己執着と同居している。
サディズム・マゾヒズムの差は自己憎悪と他者憎悪がどの程度の割合である
かである(精神的に不安定な人は性的関係において交替する)。自己憎悪
のほうが強ければ、自分自身に向かうし、他者憎悪のほうが強ければ他人
に攻撃性が向けられる。性役割においてサディスト・マゾヒスト両方の
役割ができるということはそれだけ精神的に不安定であることを意味する。
「いい子」でありたいために、その場その場で人格を作り上げるような人
です。だから自分というものがない。
サディズムは自己感情の行動化である。「わかって欲しい」気持ちから
サディスティックな行動を取る。アドラーは、「子供が悪事をして親の関心
を自分に向けさせる心理」を指摘したが、サディスティックな行動にはその
ような背景が見えることもある。非行というのは精神病理学的に見ると、
重症の範囲に入る。単に精神病理学的な問題を持っていて、さらに
犯罪病理学的な問題(すなわち行動化)を持っている人を矯正していくこと
は非常に困難である。
696:心理学初心者
06/12/17 19:10:37
劣等感から自己憎悪が生まれる。自分なんか生まれてこなければ良かった
みたいな感じである。そういった感情を受け入れてくれない、話をする
こともできない、社会や親に対して怒りを覚えてサディズムを覚えていく。
それが自分自身に向かったり、他者に向かったり当然個人差がある。
697:咀嚼途上者
06/12/18 13:50:36
近代以後の権力の戦術のひとつは、視ること、
すなわち「監視」だ。
現象学は、本質への洞察を時間軸で解明することを放棄し、
とにかく現在の表面を視ることに、戦略変更した。
それがそのまま心理学にもつながっている。
そして、思想・哲学は、常に権力に影響する。
Sという疑似権力もまた、その戦術をとり、
視ることによる支配を行う。
己を視られることは、被支配の欲望となる。
親の支配はどうか。
放置と過保護とプロ氏は言った。
放置は、視られる事への欲求を昂め、
過保護は、視られる事への嫌悪を昂めるのか。
698:心理学のプロ
06/12/19 05:32:44
結局、過保護も過干渉も放置も
子供を見ておらず、自分の葛藤だけで精一杯だと言えます
そこで本来自己実現の努力をすべきところなんですが
それが、死ぬほど苦手なんですね、そういう人は。
だから、相手のため・・・と言ってしまう
社会的責任の取れる人が自己責任は取れないということがよくあると
思います。物事をあるがままに見れないのは、分裂による憎しみのため
相手のためと言いますが、相手のためにできることも多くあります
しかし、人間は、結局自分との付き合いが他人にも延長される
経済的利益 精神的利益 身体的利益 の取り方は別
699:心理学のプロ
06/12/19 05:42:04
分裂した状態を維持するには、優劣をつけること
分裂した状態を統合するには、人間性を取り戻すこと
この最初の葛藤に折り合いをつけることが、非常に重要
人間性を取り戻さなければ、他人の人間性もわからない
楽しめない。趣味がない。好きなものがない。となる。
優劣を目指さなければ、劣等として扱われる
金がない状態が多い。
700:咀嚼途上者
06/12/19 11:32:12
>698 すこし観点が違う。
>697は 過干渉・放置「する側」ではなく、
「される側」が受ける精神状態について書いた。
放置によって受ける子供の心理と
過干渉によって受ける子供の心理は、
「一次的」には異なってくるはずだ。
適正な関係、という概念をもちこんで初めて
それらは共に子供をゆがめる、という単一的な視点になる。
放置・過干渉 それ自体を眺めれば、
影響の仕方はそれぞれ異なる色合いがあるはずだ。
それが、サディズムとマゾヒズムを分岐させる、という視点がなければ
のっぺらぼうな自己否定しか見えてこない。
701:咀嚼途上者
06/12/19 11:36:59
(1)他者の視線を、己の視線と同化させて、おのれを見る。
(当然そんなことはできないから、それらは幻想性の中にある)
(2)己の視線を強要する。つまり相手に(1)を求める。
これらは、裏表ではない、時間的経緯の後先になる。
(2)は(1)がなければ成立しないからだ。
702:咀嚼途上者
06/12/19 11:41:43
異は唱えているが別に議論をふっかけているわけでも、
立場的対立を求めているわけでもない。
単に対置しているだけだ。
プロ氏はそのへんは心得ている、と勝手に思っている。
(ただ、他の者に誤解されたくないので付け加えておく)
703:咀嚼途上者
06/12/25 21:44:47
脳幹~大脳辺縁系 欲と情動
大脳新皮質 理性・分析・解釈・想像 つまり言葉。
言葉を覚えなかったアベロンの野生児(狼に育てられた)は
人間的な性欲を発動することなく死んだそうだ。
704:咀嚼途上者
06/12/26 17:47:00
以前 うつについてのナクトの解釈を図示した。
S 攻撃→他者 M 攻撃→他者 うつ 攻撃→自己
自己
うつにしろ分裂(統合失調)にしろ病態としては
他者のとりつくシマがないという印象を受ける。
他者との関係性が内部で希薄(喪失)になっていたり、
妄想に置き換えられていたりするからだろう。
これは、自分の内部の他者の場所「超自我」の中の他者性が
すべて自分に置き換えられてしまった状態とも理解できそうな気がする。
したがって自己完結した内部世界ができあがり、とりつくシマがなくなる。
これは超自我発達の時期(エディプス期)が大脳新皮質の発達時期と
パラレルな状態にあることと関係している気がする。
Mもまた最終的には自己を責めるのであるが、
間に他者が介在する(妄想においても)ため関係性は残されている。
自虐(ナルチシズム)になると、この関係性が減少する。
したがってナルシズムはMより鬱に構造的には近い、といってみるテストが成り立つ。
Sは他者との関係性の中でしか成立しない。
攻撃性は基本的には自己防衛であり、したがって
自己でない外部(他者)が認識されなければ意味をなさないからだ。
705:心理学のプロ
06/12/29 15:55:41
土台のないところに家はたたない
土台のないところに家をたてても、どうしようもないとは誰でもわかる
いずれ崩れるのは誰でもわかる
自信が本当にある人は、その対象に対して誠実に興味をもてた結果といえる
自信が本当にある人にとっては、自信がない状態 自信が余計にある状態
というのは、少ないと思われる。
706:心理学初心者
06/12/31 09:44:23
欲求不満に対する補償行為である。
707:咀嚼途上者
07/01/10 20:50:22
test
708:咀嚼途上者
07/01/10 21:03:17
失礼。 専プラの不調か Dat落ち表示されたのでテストした。
考えは進行している。 まだ、まとまりがつかないだけだ。
万が一dat落ちすれば、必ず3を立てる。 以上w
709:没個性化されたレス↓
07/01/10 21:47:07
... , _,,,::r''^`ヽ、
,i' _,,ニ-ー'"s ,べヽ.へ.
,i' ,、,r''" _,,ィ i ト、`.り ,人ヽ
,i' ,,r<ゝ`''ー''" /,l ,!,!ss゙lリ,ィ'^ヾi゙
,i' _,,-'' s`sー-_,,,ンン,ノ/レ' | ゙lい
,i' 、,,, ,,,,ニ-;フ' zニ彡 ,,ノ`ーラ-=フン'ノ | ゙リ
!〃,ィ,;ツ'' -ニZ彡ン 三三ミ`ー ..|, 、、s/
彳〃;; ,;ッ''「T7"~ ''"f'}}}l;i`'': ,r;'ニミトゝヾsッ'
.|:::...;i' ィ'" | l!' 'ー`=' i .i'}}}゙)ゞ,i'ss;"
|::::;! i':| ss!ヽ{ l `ー´‐' ,i's,リ
l,:::|;;|;;i゙!、`ヽ`:、 _.゙ ,l〃ノ
゙いs::|:|;l`:、_,r、 `ー '゙ . |_リ'
`ヽ! ゙い,::!| `、 `く===ア /
siiい:゙| ヽ、 `二´ / 心狸ガクトってオバカさん
i ハsノ .| `ー,,_ / がそろっているのね
| 、 ゙''ー、_ ,,..'"
/ ゙i. ,- `''''"|
/.へ\ `'i'´ ...|へ____
/__,..‐-\\ハ ''/-‐....,,..\_
/-- ̄ヽヽヽ\\ ~ヽ / /// \
/ ヽヽヽ \\ ヽ/ /// . \
// ヽヽヽ\\ .
710:咀嚼途上者
07/01/10 22:29:39
ふむ。 わざわざ上位のスレにそれぞれ違ったAAでマルチごくろうなこったw
711:通りすがり
07/01/11 07:26:21
自分がSかMかわかる方法ってありますか?
712:咀嚼途上者
07/01/12 13:19:19
「SM診断」でググれば種々のサイトがある。
それぞれに並んでいる質問項目を見ていると、
それぞれのサイトマスターのSM観が伺えて興味深い。
713:咀嚼途上者
07/01/12 13:35:44
(断片)
対他関係というものを、個の内部から見れば、
他者の心像が内部に形成されることを意味する。
この心像に対してのサディスティックなファンターが
S行為へのSのモチーフとなる。
具体的な行為の場面では、心像は
物理的な他者へ与える物理的な行為と
物理的な他者から受ける具体的な行為となる。
ここで たとえば命令 および 命令実行といった
直接物理的に肉体が関与する前段階でも、
個の内部にある心像は、具体的な他者からの具体的な命令という形で
「関係」による変容を蒙る。
痛みは個体のイマージュの内部時間を一時的に切断する具体的な関与である。
Sはしかし、この時にもあくまで相手の心像への内部時間は切断されず継続されている。
ここが決定的にMと違う。
714:咀嚼途上者
07/01/12 13:46:19
(断片1-2)
フェチシズムは他者の心像がより内部化して奥へ潜りこみ
具体的なモノが他者の心像の代理となる。
他者が存在せず、したがって間主観性も生じないため
自己完結した心像の継続が内部で持続し続ける。
(断片2)
Sを「攻撃欲求」として考えるよりは「支配欲求」として考える方が、
より包括的だろう。
あるいは攻撃も「フィクションとしての攻撃」として考えた方が。
715:咀嚼途上者
07/01/12 14:34:11
(断片2ー2)
支配欲求は ひとつは自己の自由(恣意性)の現実的な拡大
もうひとつは えす氏がいっていたように 「特別な存在になりたい」ということ。
このふたつはイコールではないが、サディズムの内部で繋がっている。
(断片2ー3)
攻撃ということになれば扁桃体といった大脳辺縁系(動物脳)だが
支配といことになれば大脳新皮質の部分になる。
それぞれを支配しているのは別のホルモン系だが、
相互を結びつけるホルモン系も存在する。
716:初心者
07/01/14 10:52:14
私達は物質的には、衣食住が必要ですが、精神的にはかなり多くのものが
必要だと思います。
男の子として生まれた場合、女の子として生まれた場合とでは受ける影響
が基本的に違います。男の子でも女の子でも母親と一緒にいる機会は多く、
父親と一緒に居る機会は母親と比べれば一般的には少ないはずです。
男性が現実主義だといわれるのは、異性である母親と接する機会が多く、
母子関係が発達しやすいため、現実を見つめるやすいのではないでしょうか。
女性が理想主義といわれるのは、異性である父親と接する機会が少なく、
父子関係が発達していないために、どうしてもナルシズム解釈しやすい脳
ができてしまうのではないか。
そこに女性が精神疾患にかかりやすい理由が一つあると思った。
現実を否認してナルシズム解釈により性倒錯など生まれるのではと思った。
717:初心者
07/01/14 11:02:11
とにかく安心感が必要なのです。安全欲求や承認欲求が満たされると自我欲求
から自己実現へと課題を克服していくものです。
安全欲求が満たされないということは足が地についていない状態であり、その
苦痛から逃れるための手段としてSとM(及び性倒錯全般)がある。
安全欲求が満たされないという現実を否認して、あるいは劣等感のある自分
や惨めな自分を否認してそれらを性関係の中に求めようとする代償行為であ
る(投影)。SもMも投影同一化している。
718:初心者
07/01/14 11:23:19
私達には二つの自己があり、それを統合することがすなわち自己実現だと
いいます。二つの自己を発達させることができれば良いのですが、本物の
自己と偽りの自己との間に大きな溝があるとその人の精神世界に重大な
影響を及ぼします。本物の自分は幼少の頃のままで、偽りの自己だけが
発達してしまうようなことはよくあります。
そういった人に多いのは、青年期になっても自分がないためにアイデンティティ
が欠如が見られたり、色々なものに物色したり執着したりするようになる。
二つの自己が解離しているが、本物の自己(抑圧されて無意識層にある)
が自己否定しているためにMになったり自傷ができるわけである。
Sは自己否定と他者否定に対する復讐である。SとMはしばしば表裏一体である。
719:咀嚼途上者
07/01/14 16:53:09
>>716 俺は女=現実主義(サル山的秩序志向)
男=理想主義(はぐれ猿的精神主義)
と思っている。
ただ>>716 で使われている現実主義 理想主義は
「男女間の愛に対する態度」を言っているのだろう。
男の子は異性である母親との母子一体の時期があるから
女性というものを具体的に心得ている「はず」だという思いこみがあるようだが
そんなことはない。
むしろ無条件の受け入れ=愛というものを理想化する傾向が育まれやすい。
それが、現実の女性と接したときに裏切られ、
●忿りの感情からSへ
●母という理想を「女神化」して崇拝するMへ
となるのではないだろうか。
「ナルシズム解釈」ってなんですか?
精神疾患は女性だけではなく男性も多い。
ひとつは時代のせいではないだろうか。
720:咀嚼途上者
07/01/14 17:10:13
>>717
昨日も津波でNHKが大はしゃぎして安全欲求を脅かす過剰報道を繰り返していた。
ほとんど権力の御用報道と化している現在のNHKは(つまり権力は)
つねに大衆の安全欲求への不安をそそりたてることで自分たちの存在意義を強調する。
そのくせ、個々の生理欲求に対しては、それが不満・暴動にならないかのみを心配し
具体的な対応は冷淡だ。
マズローはほんとに心理学か、最近疑わしく思い始めた。
個体の内部の深みではなく、
個々の共通項の浅瀬を便利に分類しただけではないのだろうか。
たしかに使い勝手のいい分類だし、生理欲求から社会的承認にいたる
道筋は、それぞれ脳幹から大脳へと対応してあてはめることができる。
そこでは自己実現は大脳新皮質に根拠をもつ欲求ということになる。
マズローの時代が、「ヒューマニズム」の時代でもあったとこは
念頭にいれておいていいだろう。
(人間という概念は歴史的には最近のものだ、というフーコーの指摘も)
>>718
「偽りの自己」について もっと説明してもらえませんか?
721:M♀
07/01/15 09:45:11
わたしも偽りの自己について知りたいです。
722:咀嚼途上者
07/01/16 04:38:30
(断片3)>>719に関連して。
Sは対象との「関係」において存在する。
したがって自分の内部にあるS的ファンタジーと
具体的な存在である他者との齟齬は「関係」の中で
(1)相手を自分のファンタジー像に近づけるよう操作する。
(2)自分の内部の相手心像を関係の中で修正する。
(1)の要素が強ければ君主型(暴君型)
(2)の要素が強ければ相互型(牧師型)
Mのファンタジーは内側に向けられているから
具体的な他者の心像よりインナーマスターに傾斜する。
説得や教育ではなく契約に傾くのも、
内部のインナーマスターファンタジーに合わなければそこで終了するからだ。
プレイとしてのSM(つまり痛みの快感化を重視するプレイ系)なら
Sを教育することもありうるだろう。
言葉による説得ではなく反応による説得によって。
むろんそれは教育という目的意識ではなく「合わない」という無言の意思表示なのだが、
結果として、関係性のSにとって、ファンタジーの改変を迫られることになる。
これはサディズム的性格やマゾヒズム的性格の話ではなくSMプレイそのものの話だ。
サービスのS 満足のM
それは 関係の中で心像を修正していくS 内部の心像が固定されているM を表す。
したがってこの心像に対する感じ方 考え方が変われば どんでんがくるという構造だ。
723:咀嚼途上者
07/01/16 04:39:31
偽りの自己とは 仮面のことだろうか。
世間(親)に向けた仮面。
724:えす
07/01/16 13:07:04
>>722
すごく分かりやすいです!!
全く同感…Sは臆病ですからねぇ…
725:咀嚼途上者
07/01/16 21:21:24
>>724 性的場面において常に相手の反応を伺う
という意味では たしかにSは「臆病」という言い方をしてもいいのかもしれない。
そしてMはあんがい頑固だ。 思いこみの固定化が強いから。
それを崩すのもまたSの愉しみでもあり、同時に苦労であるのかもw
(断片3-2)
Sの超自我 という時、その一見固定化しているように見えるかもしれない「倫理」は
しかし、あくまで対他的なものである。なぜならそれは言葉で構成されているからだ。
対してMは超自我が薄い。
したがって、Mは自我・自己と対他性が直接結合して「宗教的」になりやすい。
726:咀嚼途上者
07/01/16 21:26:51
(断片3=3)
ドゥルーズがそういう意味でいったかどうかは知らないが
Mが転化した「偽S」は、心像を固定化したまま行為だけがS的になることだろう。
その場合、相手心像への修正が放棄されていれば、行為のみが過激になる。
Sが転化した「偽M」はもっとわかりやすい。
相手(自分を支配するもの・自分を攻撃するもの)を関係のなかで
あくまで具体的な他者として心像修正を行うから、
絶対的な固定化した偶像として相手を尊崇するということにはならない。
727:咀嚼途上者
07/01/16 21:34:49
つまり どSなどと云っている者は 実際には精神的な幼児であるか、
転化したマゾヒズム(偽S)にすぎない。 内部構造としてとらえるとそうなる。
728:咀嚼途上者
07/01/17 00:25:10
○度合いというものは発生に起源がある。
資質の形成はフロイトを参考(たたき台)とすべきだろう。
この点において、親の放任・過干渉は、
たとえば幼児虐待とともに重要な位置をしめるだろう。
しかし、それだけでは開花しないことを看過すべきではない。
その時、反抗期のありかたはその不在も含めて、考察を深める余地がある。
特に反抗期の不在は仮面性を増進させる。
それはどこをゆがめるのだろうか。自我か自己か無意識か。
○最近 鬱とSMは関係が深い、と思うようになってきた。
鬱は反抗期の不全と関係ありそうな直感があるがまだはっきりしない。
(メモ)
729:咀嚼途上者
07/01/17 00:25:39
(断片4)
鬱には他者が消える構造がある。
自分と固定された自己心像が、過去を常に反復して現在を彩り、
そのため、現在認識が失せて同時に未来への想起が過去の反復としてしか顕れない。
この「固定」はMのインナーマスターが、かろうじて残している他者性が縮小し
否定的なインナーセルフイメージが肥大するのではないか。
730:(`・ω・´) ◆gxVBOLDINI
07/01/18 00:33:21
インナーマッスルでマスターベーション(`・ω・´)!
731:↑
07/01/20 01:24:52
典型的な 概念障害w
732:(`・ω・´) ◆gxVBOLDINI
07/01/20 09:26:14
メ欄・・・(`・ω・´)
733:↑
07/01/20 13:56:44
上塗り
734:咀嚼途上者
07/01/23 07:17:12
フロイトの発達段階に対するとらえ方として
同性愛期(肛門期)までを親との関係と捉え、
フロイトのいう男根期以降を
異性への目覚めととらえる考え方を見かけた。
敷衍してみると、性器期を母親から、
一般女性へ関心が移行する時期として捉えられる。
この移行はもしかすると、年齢的な一時現象としてではなく
つねにそういった場面で内在的に繰り返される反復現象である可能性もある。
つまり、転化はある時期に完成するのではなく、
その度ごとに(あるいは時として)
内在的な葛藤を通過する構造をもっているかもしれないのだ。
その場合、いかに母親から異性を切り離すという無意識の通路を
正常であればすみやかに通過できるはずのものが、
固着が強いと毎回、一種の葛藤をもつ可能性がある。
それを切り離す手段として、固着対象となる親(親代理)に対してはできない攻撃性を
対象異性に行うことで切り離しをする(S)
性的対象としてではなく崇拝対象として性的場面に向かう(M)
といった構造も考えられる。
この視点のメリットは「復讐」に拘る必要がなくなることだ。(むろんそれも含めてだが)
735:咀嚼途上者
07/01/23 07:19:20
この考え方だと、以前メルで聞いた
「相手がどこまで自分の行為を受け入れるか」を計るというSの心理も
母親からの(父親)からの離脱へ向かう行為として理解しうる。
736:咀嚼途上者
07/01/23 07:23:29
具体的な性行動としてのSMでなくても
3才あたり以後の男根期以後であれば、
離脱行為としてのSM素質形成はどこの時期でもよい。
ただ多くの場合、親からの精神的自立(性的自立)を迎える
反抗期にそういったことが顕在化する可能性が高い。というだけになる。
それはいわば、個別分析の領域に属する。
737:記号論者
07/01/27 03:15:29
上記を読み進めてきたが、自己と他者における関係性があいまいゆえに納得しづらい部分が散見される。
ナルシズム、仮面というキーワードがひっかかったのでこちらのサイトを紹介する。
咀嚼氏、プロ氏らの解釈と思考をお待ちしている。
URLリンク(www.nulptyx.com)
738:咀嚼途上者
07/01/27 07:33:32
ふむ。面白い人が登場した。
偶然だが数日前に買った「脳と心の地形図」を昨夜読んでいて
興味を惹かれた部分がある。
「言語野が活発になるのは生後一年半ぐらいからである。
…言語野が発達するのとほぼ同じ時期、髄鞘(ずいしょう)形成は前頭葉前部にまで進んでいる。
(この時期ころから) 自意識が芽生えはじめるので、
鏡を見ても知らない子が映っているとは思わなくなる。
顔に色粉を塗って鏡を見せると、鏡のなかの顔ではなく、自分の顔をぬぐうようになる。
自意識とは、ものごとを判断し、実行する存在が自分のなかにいる ということだ。
―だからたいての人は、「私」は頭のなかにあると感じている。」
(「脳と心の地形図」リタ・カーター P35)
紹介のURL前半に対応しているだろう。(鏡像)
主体性の部分は面白く読んだ。
ラカンというのはたしかフロイト系統と承知している。(読んだことはない)
SMにおいても鏡はよく使われる。
Sは元々、見ることにおいて支配し、Mは見られることに置いて被支配に身を置く。
その時、SはMに鏡に映った自分のみじめな姿を見せることで、
MにMであることのセルフイメージを刻ませようと企む。
そしてそれを「言葉」にして言わせることに喜びを感じる。
Mはそのことに抵抗を感じ葛藤しながら、Sに従うことで、Mとしての自分を作る。
ということになるのだろうか。
なかなか面白い。
記号論者氏自身のサディズム・マゾヒズムに対する解釈・思考も聞きたいものだ。
739:咀嚼途上者
07/01/27 07:48:56
ちなみに俺がSは関係性なんだと思うようになったのは
フッサールの間主観性と、
以前紹介したメル相手の
「どこまで自分を受け入れるのかをつねに試している」
を重ね合わせて考えた末だ。
URL後段の主体性、従属 についてはまたゆっくり考えさせてもらう。
俺は鈍いので反芻しながら、ゆっくり進む。
740:咀嚼途上者
07/01/27 08:45:26
ついでに 聞きたいのだが、
紹介URLでは 親の問題は一切登場しないが、
エディプスコンプレックスの問題はラカンではどう扱われているのだろうか?
741:没個性化されたレス↓
07/02/17 12:01:49
保守
742:咀嚼途上者
07/02/18 11:37:23
関係性でも自己否定でも
それのみを取り上げて深化をはかろうとすればSMとは離れてしまうわけだ。
ウツとSMは関係がある。
それを自己否定のみで切れば、ウツ構造しか出てこない。
親からの切断のみで切れば、精神的自立の問題しかでてこない。
服従や復讐が現象的なのか本質的なのか、
SMはいろんな刃物で切れる。
ユングのアニマ・アニムスで切ることも可能だし、アドラーの「権力への意志」で切ることもできる。
心身問題はもう心脳問題に絞られてきている。
無意識も意識も本能もその発生場所は特定されている。
それは単なる発生場所にすぎない。
そこからちぎれた原生的疎外としての心的領域は依然として存在する。
痛みと快感の関係は脳的にはホルモン物質の関係や、
感受し、発火する脳の経路の問題としても説明可能性を持つ。
しかし、痛みについては実は、言われているほど多くのことが明らかになっているわけではない。
単に「心理的装飾」が大きな作用を果たしていることが現象的に認められているだけだ。
なんにせよ、少し身辺が忙しい。整理には時間がかかりそうだ。
743:咀嚼途上者
07/02/24 13:54:09
SMは25時間目
744:咀嚼途上者
07/02/24 13:54:59
SMは25時間目
745:咀嚼途上者
07/02/24 15:39:28
失礼。またDAT落ち表示で繋がらなかったので。
専プラが悪いのが俺のPCが悪いのか…
746:咀嚼途上者
07/02/27 04:39:24
愛の原型は母の子に対する愛 か 子の親に対する愛 か のどちらかだ。
これが 性の自立をきっかけに 他の異性(同性)に向かうわけだが、
この時点で 親子愛から他の異性(同性)への転化のどこかに齟齬があれば倒錯と
747:咀嚼途上者
07/02/27 04:40:54
なる。 (失礼、睡眠不足で手が滑って途中で投下されてしまった)
748:咀嚼途上者
07/03/01 03:03:01
能動的なこちらからの愛は 子からの母(あるいは母親代理)への愛 をどう他者に転化するか、
これがが性の嗜癖を決めるだろう。
この時、潜在的な母子関係が、倒錯やねじれを生み出す。
749:咀嚼途上者
07/03/03 05:29:27
<仮説>
男性M : 母から子への愛 転化 異性を母代理 崇拝
男性S : 子から母への愛 転化 異性を母代理 離脱不十分→離脱への強硬 あるいは復讐
750:咀嚼途上者
07/03/05 04:09:59
愛とは 女性の場合 「相手を性的に受け入れる準備」が整った状態を指す。
751:咀嚼途上者
07/03/10 06:32:31
子供が母親に悪戯をしかけながら、母親の顔色をうかがう。
子供が悪戯をしたあと、親の顔色をうかがう。
子供の親への愛のひとつの形。
752:没個性化されたレス↓
07/03/11 12:47:20
めっちゃ素人の私の理解なんですが
Mは自己否定的な精神構造の人に素質がある
でおK?
753:咀嚼途上者
07/03/12 01:30:13
(1)その自己否定はどこからくるのか。
(2)自己否定はどこで性的マゾヒズムとなるのか。
(3)それは男と女で違うのか。
(1)親の偽愛による と「心理学のプロ」は答える。
(2)自己処罰だけでは鬱にしかならない。特定の他者に処罰してもらうこと。
そしてそれを快感に変えることで昇華すること。 そう俺は考え中。
(3)違う と俺は思っている。
しかし現象学以後の心理学はもっぱら社会と個の対応をメインに据えているで、
そこには回答しないようだ。
754:咀嚼途上者
07/03/12 01:36:47
ついでに言うと 女Mは常に自己否定的なわけではなく、
むしろふだんはワガママな女が多い というのが俺の経験則だ。
755:えす
07/03/14 15:33:16
>>754
俺的統計でもその通りww
普段と逆になる事に意味があるんだろうな。
素直になりたいのに、素直になれないんでしょうな。
756:咀嚼途上者
07/03/14 21:24:49
>755 権威や理論に屈服させられるのではなく、
現実の拘束や痛みによって、ようやく屈服させられること。
そうでなければ納得できない。
その場合性的快感は報償にすぎなくなる。
だが、人は性欲につき動かされつづける。(性欲の減退も含めてそう言える)
ここが、表層的な心理学だけでは、SMを解けず
フロイトの深みにまで降りていかなければならない理由だ。
そして、フロイトは、徹底的だ。
ユングは空想的だ。
実はユングのアニマ・アニムスでもSMの説明はできる。だが、それは遊びにしかならない。
市民的なSMとは別に、金銭を仲立ちにしたサディズムというものも存在する。
この場合、相手はMである必要がない。
それが念頭にあるから、単なるSM心理学(単なる駆け引きごっこという意味での心理学)では
解ききれないと感じる。
そこには、親との関係とともに、社会構造というものも関与してくる。
通俗的なSM小説でもそこの部分は一種の要になっている。
サドもマゾッホも貧乏人ではなかった。 大阪で女性を放置死させた村本も。
そこを考えると、「親への復讐」という解釈はリアリティがある。
だが、市民的なSMの範囲にその解釈がぴったりくるかというと、やはり「離脱」程度が多い。
その幅を指すキーワードが見つかれば、もう一段、理路は進むのだが。
757:咀嚼途上者
07/03/16 16:40:51
Mが目指す完全なる受動性。 痛みはその象徴にすぎない。
758:えす
07/03/18 10:06:09
Sはもちろん、Mも結局は自分のためだしなぁ…
一時的で変則的な共依存なのかもなぁ…
759:没個性化されたレス↓
07/03/19 01:22:49
コンプレックスをすごく抱えたエスって厄介ですよね。
760:咀嚼途上者
07/03/19 08:23:55
Mの場合、特に共依存になる傾向が強い。
プレイは一種の一時的な癒し。
一時的で根本的ではないから繰り返しを求める。
しかし実は、それはあらゆる「性」でも同じこと。
*最近の市民SMでの問題は、
「主従」概念をプレイ中(木戸氏のいう「地下室」)だけでなく
日常性にまで拡げようとする単純な傾向。
(あくまで日常性の外の「25時間目」であること。
それを認識できないため種々の矛盾が発生する)
S側が鬱病になったケースもある。
761:咀嚼途上者
07/03/22 15:43:03
Sは、相手のバランスを崩したい。
Mは、自分のバランスを崩されたい。
762:咀嚼途上者
07/03/28 11:30:30
Sの 優越感志向と支配願望との間の距離
Mの 劣等感志向 と 無我願望
763:似非牧師志願者
07/03/29 01:29:04
プライドの高いMがいるが、そもそもMのプライドとは自尊心とは別のものか?
権威主義的なプライドだから形にこだわるのか。
その本音は自己評価が低い。しかし、いやだからこそ恐ろしいまでの怒りを隠している。
764:没個性化されたレス↓
07/03/29 02:39:24
どちらでもないのが精神的には安定しているように思うが
どちらかに偏ると何かしらの異常性が見受けられる
765:似非牧師志願者
07/03/29 03:14:52
外交的Mと内向的M
それに対応するのが似非牧師と暴君という点が
いまいち腑に落ちない
外交的Mとは? 内向的Mとは?
実際に、現場ではそんなに明瞭に別れていないのでは?
766:没個性化されたレス↓
07/03/29 08:49:32
>>似非牧師志願者-咀嚼途上者
そうです。その通りです。君の心的現実においては。
767:没個性化されたレス↓
07/03/29 08:53:04
ここは自己愛性パーソナリィティ障害者が集まるスレでつか?
768:咀嚼途上者
07/03/29 13:33:27
>763 その怒りは 何にあるいは 誰に対するものだろうか?
769:似非牧師志願者
07/03/30 00:41:25
>768
まず自己のプライドを傷つける者。
おそらく、その底には母親に対する怒りが隠されている。
>一口に「エム」と言っても、やっぱり何種類かある。
>かなり大雑把に分けると二つ。性行為に関して言えば、
>「こんないやらしい事をしてしまっている私を見て!!」(嬉しそう)な感じと、
>「こんないやらしい事をしてしまっている私はいけない娘です。ごめんなさい!!」(悲しそう)な感じか。
>社会に向けた性格的にも、前者は外向的・後者は内向的に感じる。
>人はペルソナを着けて生活してるけど、SM的性行為に及ぶ上で、
>仮面を取り去りたい、解放したい派or上から二重に被ってさらに演じ、陶酔したい派って感じか?
えす氏の指摘された
「外向的」なM-牧師型 「内向的」なM-暴君型 が多いという点について
「内向的」なM-牧師型もあるような気もしているのだが・・・。
つまり「内向的」なMに対して一枚一枚剥いでいって支配する、というプロセス。
しかし、そのパターンについて、いまひとつ確信を持てない。
770:咀嚼途上者
07/03/30 04:03:34
順を追って訊きたい。
>764も似非牧師志願者氏なのだろうか?
この文は主語がわからないのだが。
>765 えす氏が答えるべきだろうが、俺には
えす氏がそういう対応関係を言っていた記憶がない。
えす氏が、M(女)に2つの傾向があることを洞察したのを読んで
えす氏に Sも分類が可能か と訊ね、
彼が考えて分類してみせてくれた。 という流れだったように思う。
(つまり、別々に考察してみせてくれた。という気がしている)
その際、内向Mや外向M と それぞれのSが対応するという部分があったかどうか記憶がない。
確かにそういう組み合わせの方が相性がいいような気もしないではないが、
出会い方はいろいろあるだろうから、そういう組み合わせのものだけが
SMプレイをするわけでもないのは当然だろうと思う。
さらに言えば、それらは分類箱に分けて入れるというより、
外向型←ーーーーー→内向型
という幅の範囲 というか 座標というか、そういうものではないだろうか。
(このへんは えす氏自身に答えて貰ったほうがいいんだろうね)
いずれにせよ、何も物差しがないよりは、そういう座標はあった方が、
現場的にも理解が深まるような気がするのだが。