【なぜ】サディズム・マゾヒズムの心理)2at PSYCHO
【なぜ】サディズム・マゾヒズムの心理)2 - 暇つぶし2ch461:心理学のプロ
06/11/14 02:19:20
人はどうやってナルシズムを克服していくのだろうか
ナルシズム維持には犠牲者が出る
ナルシズム肯定にも犠牲者が出る
ナルシズム克服にも犠牲者が出るのだろうか

462:没個性化されたレス↓
06/11/14 11:38:21
ん~…
URLリンク(www.yoasobi.co.jp)

463:心理学初心者
06/11/14 16:39:12
 さて、我々が誕生した時には、母親がいます。そしてほとんど例外なく
父親がいます。生まれたばかり子供は親や看護師などの専門家たちがあやす
ことによって乳幼児の精神は発達していくしていくものです。身体についても
、母親のおっぱいやミルクを授乳することによって「自分が愛されている」
ということを実感して成長していくといわれています(つまり仮説)。

 名古屋大学の教授かなんかが、子供に飲ませるときの親たちの感情や態度
が子供の精神発達に影響を及ぼすのではないかという研究を行っていると
聞いた事があります。つまり、嫌嫌飲ませるのと、自然にあげるのとでは、
子供に与える影響が違ってくる(まぁそれはもっともらしい主張だと思う)
というわけです。

464:心理学初心者
06/11/14 17:25:15
 文章がおかしいですね。そこの部分だけスルーして読んでください。

●ナルシズム●

そしてこの乳幼児期の段階を私はナルシズムの段階といっています。
エーリッヒ・フロムの言う「母親からの愛は無条件である」という
言葉は特にそうなのですが、このナルシズムの時期にある程度の愛情
が注がれないと、後に心理的問題や障害を抱えることになることもあ
ります。その中の一つとして性的マゾヒズム・性的サディズムも含ま
れます。

 性的SMだけの人の場合は、あまり精神症状というものがないので、
精神科を受診するキッカケというのは中々あるものではありません。
彼ら彼女らは、その性的SMを意識上は良いと思っているからです。
 でも性的SMには、少なからず、劣等感や虐待やいじめや親子関係
で亀裂が生じているということなどがあります。だから彼ら彼女らが
無意識層に抑圧している感情を引き出せば自分自身の問題に気付き、
しばらくは辛い現実を見ることになるでしょう。

465:心理学初心者
06/11/14 18:06:14
このようなことから

●執着(愛憎)がそのまま大人になっても無意識層で抱き続けている

ことが、精神病、人格障害、神経症、非行に将来なる可能性を高める

のではないかと思われる●

もちろん、心的外傷を受けた人すべてが精神的な問題や障害を
抱えるわけではない。ただ、そういう人たちはそういうものを克服
できる機会が与えられていたということが多いと思われる。
多少の外傷なら、うまく昇華できればとかね。

我々の人生の出発点である親。その親に拒絶されたり非難されたり
してどうやってまともに生きていけるだろうか。心的外傷となって
抑圧して精神疾患を患うか、行動化して犯罪者になるほかないだろう。

466:心理学初心者
06/11/14 18:42:51
●異性の親が恋愛対象の原型になる●

 ということはよくいわれます。それは、親に対する執着があるため
に親と同一化するために親に似た人を好きになることがあります。
健全な恋愛とは、親への執着がなく、同年代の人を自分自身を愛する
ように相手も同じように愛することである。
 境界例の人は、よく年上(それも極端に)の人を好きになることが
あります。年上のほうが見捨てられる可能性が低いということもあり
ますが、何よりも「親」と被せることができるので、再び「幻想」の
中へ入り込むことができるから、年上のほうが都合がいいのです。
 だから自分に優しくしてくれるなら年齢なんて関係ないと言う人も
いるのです。あくまで「親」の代わりになればよいのですから。

恋愛依存症(共依存、回避依存、ロマンス依存、セックス依存)
というものがありますが、これも親との関連、よくインナーチャイルド
といったりしますが、子供に精神的な問題がある場合、その親も神経症
的な親だったりするのです。

悩んでいる人を見ると救済者願望にとりつかれる共依存者、ロマンスの
においをかぎつけると急激にのめりこむロマンス依存者、愛が深まれば
深まるほど圧迫感から逃げだしたくなる回避依存者、セックスを求めて
不特定多数と関係を持つセックス依存者。

 


467:没個性化されたレス↓
06/11/14 23:31:17
ちょっとスレ違いだけど

謙遜とマゾの関係が気になる
ブログとか見てると謙虚な言葉の行間に傲慢さがにじみでてたりするけど
そういう正規の謙虚ルートから外れたときに感じるブレって何なんだろう

468:心理学のプロ
06/11/15 02:34:06

その謙虚な態度の動機が問題だと思います。
謙虚なんだから・・・となるわけです。
自我の肥大化を正当化すると、自分は間違っているなどとは決して
思いませんから。自我の肥大化による謙虚さというのは、
自己を抑えているわけで、その葛藤から来る不安や怒りかが上乗せ
されるわけです。ですから自我の肥大化となり、自分は間違っている
などとは夢にも思わず、上乗せされた分だけ攻撃的になるわけです

469:心理学のプロ
06/11/15 06:26:52

一般的に考えられているような愛は存在しない。
もしも、愛の定義があるのなら、それは自分に勝つということ
でしかない。

自分に勝つということは、自分にできることをすることだけじゃない。
自分の影を意識し、折り合いをつけなければならない
影を他人に投げかけてそれを壊せば、自分を保っていられる
他人の中の何かを破壊すれば、自分を保てるのなら、それはナルシズムの
維持のための大義名分に過ぎない

自己限定すれば、自分を落ち着かせることができる
しかし、この自己限定にたどり着くには、一生懸命しなければならない
多少の良い苦痛を引き受け続けて初めて自己限定できる

大金持ちだろうが、総理大臣だろうが、エリートだろうが
医者だろうが、自己を裏切ることはできない
彼らが一番自分が真に努力していたかを知っている
もし、他人に優越するための努力なら、間違った努力と言うことになる
影は自分の中にある

470:心理学のプロ
06/11/15 06:30:04
ナルシストは自分が卑怯者だということにも気づけない
フェミニストが気持ち悪がられるのは、大義名分の裏に隠された
幼稚な思考から来る憎しみが見え隠れしているからだろう。
言葉ではわからない。言葉では表現できないが
そんなことを感じ取っているから、賞賛されないのだろう。

自分の葛藤を静めようとすることから、出たものはコミュニケーションではない
だから、ズレがでる。そのズレは、曇りなき人間には通用しない。
欺瞞性は暴かれる。粉飾決算のあばかれる


471:心理学のプロ
06/11/15 06:33:22

自己執着は、単に心理的な自己を憎悪しているに過ぎない。
だから、自己執着者は自分を気にしていながらも、自分を気遣うことはできない
これを心理的牢獄という。

相手からほめられるのも、相手からけなされるのも嫌いなのは
自己執着しているからである。その分量が強いほど、外界との
相互性を切り離してしまう。

相手からほめられた、まさにそのとき、瞬間的に自己を確認し
いいや、違うという発想になって帰ってくる

人生の傍観者とは、自己執着者のことである

自己執着を抑圧すると、他人が自己執着者ではないという理由で
他人を憎む。それを正当化する理論が山ほど出てくる。


472:心理学のプロ
06/11/15 06:35:38
他人のあらを探してばかりな人は、自分の自己を放棄したからだと
気づかず、他人の中にある他人の自己を批判している

473:心理学のプロ
06/11/15 06:41:00

誰かのために生きると言うとき、自己を放棄して他人にしがみついているだけ
ということがよくある。

欺瞞性を持つものは頼むから死んで欲しい。
欺瞞性ほど汚いものは無い
ナルシズムほど気持ちの悪いものは無い

ある人の本である、昔の。甘えこそ大罪だと。

甘えの正当化ほど見苦しく、気持ち悪いものはない。
甘えの正当化というのは、自分の幼児的な葛藤から来る不安や怒りや嫉妬
を何とかして欲しいということに過ぎない

474:心理学のプロ
06/11/15 06:43:09

その甘えに正義や道徳が作られていく。
それが教育と呼ばれている。

己の欺瞞性を抑圧したものは、他人を欺瞞にしてしまう。
こうして、正と負がひっくり返される。
それにさらに大義名分がつく。こうして意識から排除される。

475:心理学のプロ
06/11/15 06:48:00

最初の葛藤がある。
それが服従である。服従は疑問を挟み込まない。
対立をもたらさない。

信用には疑問がなければなりたたない。

カルト宗教が絶対服従を標榜しているのなら、精神的な殺人である。
彼らは服従によって放棄した自己を、他人の中に見つけるだろう。
そして、それを破壊したくてしょうがなくなるだろう。

暴力団に入ると言うことは、これから反社会的な行為をするという
宣言でもある。ならば、服従はこれから、服従していないものを
破壊する、服従させるまで、という宣言である。

自分に価値が無いと思っていて、それを正当化し
それに大義名分をつけた親は、子供を服従させるだろう
子供も同じように価値が無いと思っていても疑問が挟み込まれない

人生の傍観者には容赦する必要は無い。悪魔に魂を売るとは
服従することである

476:心理学のプロ
06/11/15 07:15:39
自分のナルシズムが、妄想を作り出し
妄想は他人へ映し出される
自分のナルシズムを満たすためにその人を天使に仕立て上げる
同じようにある人へは自分のナルシズムを満たすために
悪に仕立て上げる

477:没個性化されたレス↓
06/11/15 09:04:46
>>468

なるほどです
一膜ラップしただけで攻撃性がまる見えなのか




478:心理学初心者
06/11/15 11:14:11
誰もが、スヌーピーのような、チャーリー・ブラウンのような、ルーシー・
ヴァンペルトのような、ペパーミントのような一面を持っています。
 プロ氏は以前、ドラゴンボールで出てくるキャラクターを使って人間心理
を分析していました。

 自己執着している人は間違いなく自分を憎み、そして誰かを憎んでいます。
自意識過剰であり、自分が傷ついているのです。しかし本人はそのことに
全く気付いていないのです。カウンセリングで、「理由はわからないけれど
苦しい」と訴える人がいますが、そういう人たちは無意識の中で傷ついた記憶
が現実との葛藤を引き起こしているために、理由もなく苦しんでいるように
感じているのです。

479:凄惨な素人
06/11/15 11:25:44
昨日ふと思い付きで心理学板に寄って、
とっつきやすそうだったこのスレをROMってた者です。
用語とかまだ理解出来ない事は山積みだけど、
自己評価が低いナルシズムは
アイデンティティ・クライシスとほぼ同じって認識でいいのですか?
それともアイデンティティ・クライシスが自己評価を低くさせるのですかね?

480:心理学初心者
06/11/15 11:29:41
サディズムやマゾヒズムが生まれるのは、情緒的精神発達が幼少から
少年時代で途絶え、現実(重要な人物との分離)に適応するために
起こることがあると考えられるのではないか。
 だから彼ら彼女らは対人関係において相当限られた特定の人々
としか交流がないか、まったく交流がないかということが少なくない
と思われる。
マゾヒストの場合は、分別のある人よりも自分に刺激を与えてくれる
人を好んだり(無意識に)、サディストの場合は自分が支配できる人
を無意識に選んでいたりするものである(特に恋愛関係において)。
そのほうが自分にとって都合がいいからです。

481:没個性化されたレス↓
06/11/15 17:07:38
>>458

教えてくれてありがとう
俺には正直、心理学はごちゃごちゃしててあまりよくわからなかった
どうもここ読んで、人間の心には色々な仕組みがあるんだなあとだけわかったよ
書いてあるの読んでて心当たりのある事もいくつかあるし、
知り合いにもそんなタイプの奴がいるなあと思う部分もあったけど
まあごちゃごちゃ考えるのは性に合わないから
俺は自分の直感で感じたことに従うよ
どうせマゾでもサドでも全部俺だしな

482:305
06/11/15 19:10:30
個人的な質問ですみません。
先日、小さい頃から親しくしている友人の家族と
久し振りに会ったら、
私が、様々な記憶を失っていることを知りました。
例えば、親に理不尽な叱られ方をしたとか、
親を否定する記憶が一切ありません。
他にも、精神的ショックを受けた事柄を忘れているようなのです。
ナルシシズムを克服するには、そういった記憶をすべて
思い出さなければならないのでしょうか。

483:心理学のプロ
06/11/16 01:45:07
>>482

ナルシシズム克服というのは、とてつもなく困難だと思う
ある人は財産としてそれを自然と克服していると思うし
ある人は流れで克服していると思われる

ナルシシズムというのは、言ってみれば自己執着のこと。
無意識→自己→意識→自我→ 外界(望ましい)
無意識→自己←意識 自我  外界(ナルシシズム)(過剰適応)
無意識→自己→意識→自我← 外界(過小適応)

執着するとはしがみつくような感じだが、実際には、それを
憎んでいる。憎んでいるということすら意識できない
もっと言えば、自己を憎むと同時に他人の自己をまでも憎んでしまうことが
ナルシズム。自分を受け入れるしかない。受け入れるというのは
自己主張すること。どうしてもそれができない
つい、周りに意識しないで合わせてしまうなどをやめることだと思う
そして、自分が好きなことを広げていくことだと思われるが


484:心理学のプロ
06/11/16 01:49:54

たとえば、ある本に自己実現した人の特徴として
~にもかかわらず・・・だと書いてあった。

どうしてもわからなかった。
最近わかった。単に自己が好きなのだと。彼らは自己を増徴させるために
自己を探している。他人の自己を認められる。
彼らは自己が好きなので、他人の自己を認められる
人間好きというのはこういうことだとわかった。
彼らは、外見が悪いにもかかわらず・・・。

485:咀嚼途上者
06/11/16 08:13:02
さて、普通の「性的SM」についても、少し、書いておきたい。


別にSMに限らず、倒錯的な性的快感は、
たんなる物理的刺激に「心理的装飾」がくわわるために、
単なる性行為以上の快感があり、そのため、ハマってしまうのではないか、
ということだ。
その「性的幻想」を与えるのは、サブカルチャーである、というのが
「マゾヒズムの発明」でジョン・K・ノイズが主張していたことだ。

この性的SMの「性的幻想」が消失すれば、
つまり「心理的装飾」が減少すれば、必然的に、それらは
単なる性行為にすぎなくなる。
「痛み」もまた心理的装飾によって、いくらでも感じ方が代わってくる。
あるM男性のブログに、嫉妬と悲しみのあまり、
「一本鞭」の痛みもまったく感じずに泣き通していた話があった。

「痛みの装飾」というのは「痛み」について書かれた
ブルーバックスにもでてきた言葉だ。
経験的にも、怒りのあまり、喧嘩中に足指の爪が剥がれたことすら
気がつかなかったことがある。

一般的には性的な刺激と結びつけられないことでも
これに「心理的装飾」が加われば、性的快感化する。 
これがフーコーが言っていた(>>267)
[ 身体の意外な部分を用いて―身体のエロス化―得られる
新たな快感の可能性の発明] の仕組みだと思う。   

こういう 基本的なことも
このスレで 言われておくべき だと思うので、今更ながら書いておく。


486:没個性化されたレス↓
06/11/16 09:30:32
苦痛 トランス状態 快感

487:心理学のプロ
06/11/16 21:14:59
妄想・性的倒錯・異常行動・浅はかな考え・くせ

葛藤から来る不安などの負の感情をなんとかしようとするために
作り出されたもの

488:咀嚼途上者
06/11/16 21:22:37
たとえば、「愛」ですら「心理的装飾」に含めて考えている。
レイプで勃起する、という事自体が不思議でたまらない、と
吉本は言っていた。
風俗じゃ勃たない、という男性もいる。
その中に、倒錯的な「装飾」もある、ということ。


489:咀嚼途上者
06/11/16 21:26:11
こういった「装飾」は意識的につくれるものではない。
当然、親との関係の中で、無意識が受け入れるものと
まったく受け付けないものがあるだろう。

490:咀嚼途上者
06/11/16 21:31:22
>>488 「その中に」→「そのようないろんな心理的装飾の中に」

無意識が受けいれる、という言い方がおかしければ
自己と言い換えてもいい。

491:咀嚼途上者
06/11/16 21:38:21
>>486 
苦痛を受け入れる、という段階に心理的装飾がある。

トランス状態、脳内麻薬物質の放出、快感というのは、その後の仕組み。
「苦痛 トランス状態 快感」というのは、そうだろうと思う。


492:咀嚼途上者
06/11/16 21:50:37
>>487 「妄想」は「心理的装飾」のなかのひとつ。
したがって、妄想と性的倒錯は横並びの並列ではなく
構造的な関係にある、と考える。



493:咀嚼途上者
06/11/16 21:59:26
>>492追加。 
あぁ、この心理的装飾はあくまで「性的」倒錯に対するもので、
君のように、一般論の範疇で、性的倒錯を並列的に扱うこととは違うね。
そこは、混同してはいけなかった。 
あくまで、病的サディズム・マゾヒズム と そうでないSMとの境界があるやいなや
というモチーフでの、考え方として、「心理的装飾」をいった。
すこし、君が並列的に並べたことと、ズレがあった。 訂正はしないが。

494:没個性化されたレス↓
06/11/16 22:22:02
トラウマ 忘却 葛藤 妄想 心理的装飾 異常行動

495:305
06/11/16 23:46:00
>>心理学のプロさん
レスありがとうございます。
無意識の思考回路を正すのは、確かに
とても難しそうです。
ですが、それでも、私が成長するのなら…。
牢獄から脱出できるのなら。
好きなもの、とは、自己を自ら肯定し
己自身のための努力をすることですよね?

「~にもかかわらず」
突き刺さる言葉です。
欠点すらも愛さなければならないのですね。

496:心理学のプロ
06/11/16 23:58:13
>>495

逆だと思います。欠点を彼らは好きではありません。
なのに、~にもかかわらずとなるのは
やはり、何か別の力を分けてくれるものがあるのでしょう
それが自己実現だと思います
自己実現とは単に自己に執着するのをやめることだと思います。
本当に自分が自分のままで自分の好きなことがあれば
その分だけ自分の嫉妬が消えるはずです

497:心理学のプロ
06/11/16 23:59:37
形でものごとを決めない、ということが自己成長を促すと思います


498:心理学初心者
06/11/17 00:22:19
まぁ依存症みたいなもんだな。

499:咀嚼途上者
06/11/17 03:12:25
>>494 そう、そしてさらに 
異常行動→残像→心理的装飾の拡充→異常行動………
というスパイラルが反復される。


500:305
06/11/17 12:57:56
>>496 >>497
欠点以上に好きなものがあれば良いのですね。
理解出来ました。
ありがとうございます。

あと、質問ばかりで申し訳無いのですが…
形にとらわれない、というのはどういうことでしょう。
強迫的な目標・理想を目指さないことですか?

501:心理学のプロ
06/11/17 15:21:50
>>500

単に他人に嫌われるために言ったのかどうかはっきりさせて
それだったらなるべく少なくするとかじゃないの
強迫的になるのは、劣等感が強いかららしい
そして、劣等感が強い理由として、自己否定などがある。
自己否定はほとんど無意味。嘘の自己否定だから

自己が行なったことを否定するならいいかもしれないが
自己そのものを否定している人がいる


502:心理学のプロ
06/11/17 18:37:10

自己否定というと、自分を否定することだと思いがちだが
自己そのものを否定するということと考えると
自己否定の無意味さがわかる
たいていの人は、責任を考えず、自己そのものを否定して
なりたたせようとしている。これは責任放棄に過ぎない
責任を引き受けると損だと思い込んでいる
事実は逆なのに。

自己否定の文化では、自己表現ができるわけがない
水の中で生きられないのと同じように
腹が減っているのに、物を食べないことでそれを克服しようとしているように

無意識ー自己ー意識ー自我ー外界

503:心理学のプロ
06/11/17 23:06:33
物事を形で決めてしまうのはなぜか?

私たちは、パソコンを買うときは、形で見ていませんよね?
形も内容も見ているはずです。

なのに、人間の・・・ある部分になるとどうして形で見てしまうのか?
そこに服従と呼ばれるものがあると思います。
自己否定すると自我を疑わなくなる。

まさに物を人間とみて、人間を物と見るのはなぜか?
そこに服従がある。幼少期に誰かの真似をしてしまい
そのパターンを続けているのが自己執着者。
彼らが遠まわしな言い方しかできないのはなぜか?
自己を確認して自己否定・自己憎悪・自己逃避してから
回答が帰ってくるからである。一瞬自分の自己を確認している
そして、あのような言い方になるのである
自分の自己はだめなので・・・。彼らは自己が出てくる機会を避ける
ある人は自己がでてくる機会を望む

これほどの二極かはない。

504:心理学のプロ
06/11/17 23:08:56

そのような生活態度では、決まりきった行動しかしない。
そして、努力がすべて復讐的になる。
彼らは自己に価値が無いと思い、自己を否定し続けるために努力する
結果、優劣で人間関係を気づこうとする。彼らが意識していまいと
この努力は強迫的になる。たいてい意識できない。防衛機制は
つまり抑圧などは無意識に近いところにあり気がつかない

ひねくれたもの、高慢なもの、内向的なもの、演技性のものは
自己を否定したロボットに過ぎない

自己がなければなにがあるのだろうか?そこには従属しか残されていない
思い出して欲しい、誰かに従属していたとき安心していたことを

505:心理学のプロ
06/11/17 23:10:39
自己執着のセックスは、当然のことながら、法律には触れないが
すべて強姦である、すべて性欲である。すべて己の幼児性を
維持するための糧とするための、搾取的なものである

そして、この強姦を正当化したのが、淫行条例である
権威主義者は、自分たちを清いと思っているだろうが
彼らは強姦しかできない。

506:心理学のプロ
06/11/17 23:13:19
自己を否定し、憎んでいる自己執着者が
相手の自己を尊重することは無い

だから、彼らの努力は自己を否定する努力なのである

そして、自己を尊重している人を憎む。人間的な人の自己を憎む。
彼らなりの正義や道徳を
つけて。凶悪犯罪者の多くが自己執着者にもかかわらず


507:心理学のプロ
06/11/17 23:44:19
ある人は相手に天使のレッテルを貼る
単に相手を拘束しているだけである
相手をおりに閉じ込めただけなのに
そのことに気がつかない

幼児性とはこういうことである
それでいて天使でなかったのなら、相手とその天使を連れて行ったものを
憎む

これでは甘えが殺人より恐ろしいと呼ばれても当然である
自己否定者・自己放棄者・自己憎悪者は原因はいろいろあり
本人も意識できずに、かわいそうだと思うが
悪魔と同じなのである

508:心理学のプロ
06/11/17 23:49:30
自己否定者・自己執着・・・つまり服従・退行を
正当化したものは、嫉妬深くなる

自己が成長していないのだから、嫉妬のレベルは子供のままだといえる
過剰な競争意識はそこにある。彼らは自然に協力してやっていくことが
楽しいとは思えない
人間関係がストレスになる人は、自分を隠すことに終始努力している
まだ、親との関係を続けているともいえるが、これは
巧妙な意識されないうえに正当化された虐待の証拠でもある。



509:心理学のプロ
06/11/17 23:51:28
基本的な精神のストレスは、自己実現できないことによる
ストレスである。しかし、自分を隠しておいて自己表現などは
できない。そこでマニュアルや規則に従おうとする
しかし、一見して同じように物事に取り組んでいる人たちに見えるが
そこには、恐ろしいまでの違いがある。まるで逆の目的で取り組んでいる
ことになる。


510:心理学のプロ
06/11/17 23:53:16

こう考えると自信がある・ないというのも、気のせいではなく
自己の成長にかかわっているともいえる
自己執着者は次々と自己の成長の機会を失う
自信が無い人は、原因はともかく、ずるがしこい生き方をしてきた証拠
なのである。自信がありすぎる人も、自信がないことを隠しているに
過ぎない。双方自信がある人を憎んでいる

511:心理学のプロ
06/11/17 23:55:20

そして、この自信が無いことを何かで正当化している人は
巧妙な虐待により自分を正当化することに熱心になってしまう
子供は規則でしか生きられないようになる

昔と違い、この選択社会が彼らには重荷になる。

彼らはあらゆる利益を取れない。子供がわめくように
道徳や正義に違反するとして利益者を憎む。


512:心理学のプロ
06/11/17 23:59:21
結局、人格障害とは、自己否定が自己の未熟さを
カバーするような形で出てきた、彼らなりの規則に過ぎない
覆い隠す正当化された演技でしかない

それが献身性を装っていても、彼らのこころのなかは犯罪者と
同じである。当然罪人には罰が下る。自然と下される

513:心理学のプロ
06/11/18 00:12:29
最近のいじめ報道は、まさにいじめの本質を隠すために
報道しているとしか思えない

いじめられる側の特徴として、自己放棄者があげられる
彼らは理不尽な関係でしか、相手と関係が気づけない
そして、いじめられることを望んでいる
復讐と立場逆転の契約が同時になされているが

514:没個性化されたレス↓
06/11/19 19:56:14
>>461
人間はナルチシズムを克服する事はできないでしょう。
人間は誰であっても、ナルチシズムを克服することはないでしょう。
そして多分、ナルチシズムを克服した人間は今までにも一人もいないでしょう。

そもそも人間の自我は、ナルチシズムを基盤にしているのではないかと思いますが。
ナルチシズムは妄想であるけれどもそれがなければ自我が存続できないような
そんなモノではないでしょうか。

515:心理学のプロ
06/11/20 03:10:47
>>514

そうかもしれない。克服は良く考えると不可能かもしれない
自分を投げ出し、何かに執着ではなくて集中しているときしか
だめなのかもしれない。何かに執着が依存で
集中が同一化なのかもしれない

516:心理学のプロ
06/11/20 03:13:12
間違っていた。克服なんてあるわけがなかった
ある日飯を食わなくてもいいようになることはできない。
それと同じようにナルシシズムも克服できないのかもしれない


517:咀嚼途上者
06/11/20 04:08:41
う~ん…w    
どうもナルシズムの話が見えない。w

URLリンク(yukitachi.cool.ne.jp)
『ちょっと「ナルシシズム」の意味について、整理してみましょう。
1.「自己愛」として、自分自身を大切にすること
2.「自尊心(プライド)」の代わりとしての使い方
3.神経症的心理としての「ナルシシズム」
4.精神分析や心理学で使われる発達段階としての「自己性愛」
 結局、この4つの使い方が混在しているので、ややこしくなっているのでしょうね。』

心理学初心者氏が、4、の意味で云ったのはわかる。
プロ氏 514氏同士は話が通じてるようだが(305氏も)
おたくらのいってるのは 「1~4」 のどれなんだ?
混在したまま、同じ言葉を使い分けてるように見えるのだが。。。
(ま、ムリに答えてもらわなくてもいいがね。。)

518:心理学のプロ
06/11/20 06:05:59
>>517

要するに自己執着から外界へと興味を移せない状態のことです。
隠された虐待・欺瞞性の共有・服従・牢獄・真の孤独・というのも同じ意味だと思います
よく、ネガティブな人は、もっと外へ興味を寄せるべきだとか
言われますが、ネガティブな人は自分への・・・もっと正確に言えば
自己への執着をやめることができないのだと思います。
自己への執着とは、自己への憎しみです。

人は憎しみの対象から離れることは難しい
しかし、愛着というのは、離れることが容易だと言われています。
ここに親との不健康な関係を理由にあげている人もいます。

自分を憎みすぎている状態がナルシシズムだと思います。
そして、それは何の意味もないことだとよく考えればわかるはずです


519:心理学のプロ
06/11/20 06:07:42
>>517

要するに自己愛ならば、離れることができますが
自己執着からは離れられません。

ナルシストというのは、自分を憎んでいます。
世間一般のナルシシズムの意味は間違いです。
よく、ナルシストは傷つきやすいと言われていますが
自己執着しているから傷つきやすく素直になれないといわれています
そして、その通りだと思います

520:咀嚼途上者
06/11/20 07:06:46
>.>517 にあげたURLでは、
 3の神経症的心理としてのナルシズムを以下のように説明している。
だいたい「プロ」氏の使ってる意味と同じに見える。 それでいいだろうか。
                     
                 ※

「ナルシシズム」の原因は、「抑圧」から発生する「無意識の葛藤」です。

「無意識の葛藤」があると、絶えず不安に悩まされます。
その不安のために、自分自身の存在に自信が持てません。
 自信がないと、自分がなにをしたいのか、なにが欲しいのか、
なにが自分にとって価値があるのか、
判断することができません。心はいつも空虚なままです。

 必然的に、自分自身の価値基準をまわりの人に求めるようになります。
 まわりの人が価値あると認めるようなものが、自分にとっても価値あるものだ、
 と思いこむわけですね。
 そして、まわりの人の尊敬や賞賛を得るような自分自身になることが、
 一番大切だと感じるようになります。
 これが「ナルシシストの価値基準」です。

[言い換えれば、まわりの人の目を通して見た自分自身の姿にほかなりません。
つまり、まわりの人の目という「鏡」に映った自分の姿になるわけです。
 その姿は、周囲の人の尊敬や称賛を得るという目的のためだけに存在します。
 だからこそ、ナルシシストにとって一番価値あるものであり、「愛する対象」なのです。



521:咀嚼途上者
06/11/20 07:09:18
URLリンク(yukitachi.cool.ne.jp)
からの引用。 続き。
            ※
「ナルシシズム」の原因としての「無意識的な葛藤」というのは、
自己否定や自己嫌悪の「抑圧」です。
 「ナルシシズム」の場合は、その自己否定や自己嫌悪をより強く「抑圧」するために、
「反動形成」が行われます。つまり、自分自身を「過大評価」するわけですね。
 もちろん、「反動形成としての過大評価」なので、不自然な形で「強迫的」になって現れます。
いつでも「自分は特別な存在である」と思い続ける必要があるわけです。
 そうしていないと、不安になってしまうからです。

 この「自分は特別な存在である」というときの「自分」は、現実の自分ではありません。
 「鏡に映った自分の姿」のことです。
 では、現実の自分はどこでしょう。
 それが、自己否定や自己嫌悪の対象となっている自分のことなのです。


「自分は特別な存在である」と思い続けるためには、
まわりの人が自分を特別扱いし続けてくれることが必要になります。
 「ナルシシスト」の一番困るところは、このように、
自分の「神経症的思いこみ」のために、まわりの人を巻き込むところです。
これほど、迷惑なことはありません。

 「ナルシシスト」にとって、まわりの人は、
 自分に尊敬や賞賛を与えるためだけに存在しているようなものです。
 世の中のすべては、自分を中心に回っています。
 自分を特別扱いしないような人間は、間違っていると感じています。

                 ※

 ま、直るもんなら直って欲しいタイプではあるな。w

522:咀嚼途上者
06/11/20 07:17:51
                 ※
 「ナルシシスト」は、まわりの人の尊敬や称賛を受けるためなら、
 多少卑劣なことでも平気でします。
 そもそも、まわりの人は、自分を尊敬したり賞賛したりするためだけの存在なので、
 それをしない人は、その存在さえ、認めようとはしないのです。
                 ※
 以前「心理学初心者」氏がちらっとふれていた「自己愛性格障害」(>>205-206)
 を思い出したが。

523:咀嚼途上者
06/11/20 07:21:45
最近、誤字脱字は放置してるんだが、これは誤解を招くので訂正しとく。
「自己愛性格 傷害」ではなく「自己愛性 人格傷害」だ。

524:咀嚼途上者
06/11/20 07:23:02
…傷害 → 障害   …

525:えす
06/11/20 17:11:34
一度「私」というフィルターを通してから「あなた」を見る

一度「あなた」というフィルターを通してから「私」を見る
これってエスエムじゃん

526:305
06/11/20 19:03:45
ナルシシズムを克服するのは、無理なようですね。
(私がナルシシズムと言っているのは自己執着)

確かに、息をするのと同じような感覚です。
『あなたのフィルターを通してわたしを見る』
混乱してきました…。

527:514
06/11/20 19:37:37
完全なナルチシズムというのは、自分は全知全能であってこの世界にあまねく遍在している
(=世界と一体化している)状態だと思うのですが、どうでしょうか。
自分が神であり、全知全能で、世界と一体となっている状態、すなわち「私=世界」の状態
ではないでしょうか。

そして、人間は人生の始めにそういう状態にいたと想像されます。
生まれたばかり、あるいは生まれる前の人間は、当然ながら自分の知らない事が在る事を知らず、
自分のできない事が在ることを知らず、世界の中に自分以外の存在があることも知らず、すべてが
自分でありそれが世界のすべてである状態・・・全知全能にして世界そのものである状態・・・
そういう状態にいたと考えられます。

人間は始め、主観的に全知全能で「私=世界」である世界にいました。
しかし、実際には何も出来ないし何も知らない(無知無能)状態で自力で生きていく事もできません。
ですから、人間が初めに抱く全知全能感は妄想です。

人間は人生の初めに全知全能妄想を抱くのです。この全知全能妄想を抱いている時代が
1次的ナルチシズムの時代とでも呼べる時代だと考えます。
そのうち、運動・感覚器官が発達するにつれ、現実の存在を知るようになります。
世界のすべてが自分と一体となっていた筈なのに、その一部が次々と離反していき自分ならざるものが
現われてきます。そして、知能が発達してくるに従って、自分の外部に「現実」という或るまとまった意味を
もつ構造が形づくられて行きます。
その間、全知全能妄想は裏切られ続け、失意と憎しみのうちに、だんだんと現実を思い知らされて行くのです。
しかし、全知全能妄想はなくなる訳ではなく、その後も、自我の基盤の一部として生き続けるのではないかと
想像します。そして、この全知全能妄想がナルチシズムの正体ではないかと思っています。





528:514
06/11/20 19:40:32
>>527 の文は >>517 を受けて、自分なりに思う事を書いてみました。
全体の流れからは浮いてしまっているかもしれませんがご容赦ください。


529:心理学のプロ
06/11/21 01:00:32

防衛機制も関係していると思う
心理的ショックを受けすぎないため意外にも
自己同一性を保つような性質があると思う



530:心理学のプロ
06/11/21 01:09:39
曇りなき眼で、物事を見定めればのろいは解けるという

これは、もののけ姫で誰かが言ってたことだが
呪いとはなんだろうか。

曇りなき眼とは、自己執着から脱出できたものの見方だと思う
呪いというのは、嫉妬心だとか幼児的なことから来るものだと思う
自分を保つためにどれだけの人を悪人にして、馬鹿にしてきたことか
呪いから開放されると言うことは、嫉妬から憎しみから開放されるという
ことだと思われる。嫉妬をやめるには、嫉妬を意識しないことではなく
嫉妬しないように自分が自分でいいという考えが必要なのだと思った

531:心理学のプロ
06/11/21 01:12:12
たたら場における対立に憎しみが、無意識にあり
意識には、人里はなれた隠れた村で暮らすアシタカ
無意識からの使いとして、たたり神が接近してくる
アシタカは、村を守るために・・・つまりは、自分の自我を守るために
たたり神を倒すが、憎しみを受けてしまう。
無意識から来た心理エネルギーを抑圧しきれなかった意識は
自己を通しその解決を図った

見事無意識の憎しみは消え、自己は実現される

532:咀嚼途上者
06/11/21 06:55:41
心理学用語ではないが、

「即自」と「対自」

という概念の重要性を、何度でも言っておきたい。
「即自」とは、自分であることそのものでしかないこと。
自己と自我の分離がなく、「理」のない状態。
「対自」とは、自分を対象化して距離を作れる、
いうなれば、自分から離れた自分が存在する状態。
自己と自我の分離ができている状態。

意識が即自的ある限り、その者は考えることができず、
「行動」することしかできない。 
「考える」ことは、「思う」ことや「悩む」こととは全くちがう。

533:咀嚼途上者
06/11/21 06:58:02
3の意味におけるナルシズムでは
私は「あなた」のフィルターではなく
「あなた方」のフィルターを通している。
「あなた」と別の「あなた」の間の区別はついていない。
ただ、のべたらに「あなた方」という観衆がいるだけではないだろうか。

534:咀嚼途上者
06/11/21 07:01:47
つまり、
私だけがいる世界ではなく、
個々の他者の区別がない
「世界」と「私」だけがある。

乳児の世界は違うと思う。
そこには絶対的な「母親」がいる。
母親だけが世界だが、その母親は「あなた方」ではなく
まちがいなく「あなた」だ。

535:咀嚼途上者
06/11/21 07:13:03
以前、「素人」氏が、乳児期の母親との関係を、
絶対的支配と被支配の関係としてマゾヒズムの原像をそこに求めた時、
俺は、「母子未分化」という言葉で、違和を述べた。
その延長で言うなら、
乳児の「わたし」と母親の「あなた」の関係は
「わたし=あなた」という、まさに人生で一度きりしかおこらない状態にある。
すくなくとも胎・乳児である「わたし」にとって、
「あなた(母親)」は、絶対的に「わたし」をつつみこんでいる。
物理的に「わたし」は「あなた」がいなければ、死んでしまうのだから。
仮にその「あなた」が人間でなく狼であったとしても、
「あなた」がいることによって、「わたし」は生存することができる。

これは、ま、3ではなく、4(発達段階での自己性愛)のナルシズムだけど。

536:咀嚼途上者
06/11/21 07:18:08
むりやり、これを自己執着にむすびつけてみれば、
胎・乳児期に、絶対的な「あなた」に十分つつまれなかったことで、
「あなた」の不足を、「わたし自身」で補ったために、
その後の、肛門期での離脱が、ゆがんでしまった、とも考えられる。
(言っておくがこれらは、完全に門外漢の、素人的な論理と思ってもらいたい)

537:咀嚼途上者
06/11/21 07:19:59
この
余分な「わたし」
をむち打たれ、あるいは否定されることで
本来の「わたし」の部分だけに戻りたいのが
マゾヒズムかもしれない。

538:咀嚼途上者
06/11/21 07:24:25
だが それが「ニセの自分」で
どれが「本来の自分」jか、
幼児の段階で無意識につくられた「わたし」を
明確に分けることはむずかしいため、
まるごと自分を放棄して、服従に任せて
「わたし」全部を「あなた」に所有してもらいたい、というのが
「心理的SM」 かもしれない。
これは、プレイとしての性的SMというフィルターを通すことがあっても、
即、プレイとしてのSMと、同一ではない。
主従SM と 虐待系SMとの違い。


539:咀嚼途上者
06/11/21 07:25:50
あるいは主従関係願望と苦痛願望との濃度差。

540:咀嚼途上者
06/11/21 09:30:44
(久しぶりに連投規制にひっかかった)


「復讐」としてのサディズムとは
「あなた」への復讐。

とすれば、そこにあったのは、余分な
「あなた」をむち打ちたいのだろう。

541:514
06/11/23 18:20:04
>>534
>乳児の世界は違うと思う。
>そこには絶対的な「母親」がいる。
>母親だけが世界だが、その母親は「あなた方」ではなく
>まちがいなく「あなた」だ。

母親との世界以前に、まず1次的ナルチシズムの状態があるのではないでしょうか。
次第に現実を知り、全知全能の妄想の世界が崩れた後に登場するのが母親との世界だと思います。
このときの乳幼児の世界は、全能の母親と無能な私の2人だけの世界だというのは
その通りだと思いますが。


542:心理学のプロ
06/11/24 06:12:39
ナルシシズムだと個性が無いと私は思う。
個性と見せかけの違いは、現実と妄想ぐらいの差があると思う

個性とは、ある対象に対しての感じ方の違いに過ぎない。
見せかけの個性とはナルシシズムであり、自分の葛藤を反映しているに
過ぎない。

個性とは極めて、細かいものであると思う。
あることが好きな人は、ずいぶん細かいところまで見ているな
というが、そういうことだと思う。

見せ掛けナルシシズム的な好きというのは、自分の葛藤からくる
負の感情を抑えるために用意されたいけにえに過ぎない

543:心理学初心者
06/11/24 13:30:00
自己開示が苦手な人やネガティブ志向の人は自己執着者なのか?



544:心理学のプロ
06/11/24 13:35:06
そうだと思います。
それ以外の理由があるでしょうか?


545:没個性化されたレス↓
06/11/24 13:37:20
生まれ持った性格みたいなものはないの?

546:心理学のプロ
06/11/24 13:44:14
あるとは思いますが、それは元から異常ではない限り
細かい違いしかないはずです

精神に大きな差があるのは、元からの性格と
思われている点が原因ではないのかと思います

547:没個性化されたレス↓
06/11/24 13:53:34
元々ある自分と、現実にある自分との乖離度が大きければ大きいほど重症
とはよくいうが?

548:心理学のプロ
06/11/25 05:10:18
もともとある自分は自分だと思います
現実ではない自分が大きくなるとそれだけ元の自分はないがしろにされます

では、なぜもとの自分がないがしろにされるのかが非常に重要な
点ですね

549:心理学のプロ
06/11/25 05:14:34
元の自分をないがしろにしてしまい、妄想の自分が大きくなるのは
劣等感からです。この種類の劣等感が偽の劣等感と言われる物です

たいていの人が偽の劣等感を抱えています
偽の劣等感とは、服従・見せかけの自己・欺瞞性の共有・偽の自己・自己執着
擬似成長・・・言葉は違えど、このような形で起こります。

これはたいていは、両親との関係などで、自分(自己)を
憎むことから始まります。
自己を憎めば規範に従うしかなく、極度の依存性を併発します。
決まりきった行動しかしなくなり、異常な自分だけの決まりを作ります。

自閉症のドラマをみているでしょうか?他人の気持ちがわからない
というふうに見えますが、それは言ってみれば、自分の気持ちがわからない
ということです。他人を動かすことも、他人の気持ちを感じることも
どうやら、人間には、できないようです。つまり
他人の気持ちをわかる能力というのは、もっぱら自分の能力に
かかわってくるということです。

550:心理学のプロ
06/11/25 05:19:24
偽の自己などは、単に自分を抑えるための決まりに過ぎないということです。
偽の罪悪感というのを説明します。
偽の罪悪感は、退行の肯定や成長の不安・正当化などにより
起こります。自分が罪悪感を感じているとき、それは何かを裏切るような
感じではありませんか?本当の罪悪感とは、過ちを建設的な努力へ
向けることです。つまり、嘘の罪悪感に変化はありません。
ただ、自分を自分で悲しんでいるだけです。つまり自分を守っているに
過ぎないということです。
心理的防衛機制には、自己保存性があると思います。
これが決まりきった行動を取らせてしまうのだと思います。
それを打ち破るには、苦痛や痛みを引き受けなければならないと思います

勇気のある人間とは心の痛みを自分から排除する人間でしょうか?
心の痛みを直視してこそ、勇気ではないのでしょうか。
そして、それでこそ、正常と異常がわかるのです。

551:心理学のプロ
06/11/25 05:24:47
ここで、自分というものは、何であるのか心理学的に説明します

● ひとつの空間にボールがひとつあったとします
そして、いろんな人にボールで実験してもらったとします

ある人はボールを投げたりするでしょう。ある人はボールのうえに
座るとします。これが個性であり心理的な自分です。
このように個性というものは、対象物を通した細かい違いでしかないのです。

では、ある人がボールに触らないとしたら、ボールで異常な
遊びをしたとしたらどうでしょうか?彼の心理にはなにが
それを邪魔しているのでしょうか。

ボールを映画にしてもいいです。ある人は寝ていないのに
映画の内容を、作者を覚えていません。記憶力が悪いのでしょうか?
そうでなければ、心理的になにが問題となるのか

これこそ、自己執着がなせるわざです。彼は映画を見ている最中でも
自分の自己を抑えていた。自分を気にしていた

フロイトは幼児の体験をその後も繰り返すといいますがその通りだと思います
これこそ、心理的な負債なのです

552:心理学のプロ
06/11/25 05:28:11
個性やアイデンティティは、ある対象物を通した細かい違いでしか
ないのです。そしてその対象物の変化とともに自分の中にも変化が起きます
相互性です。

相互性を切り離してしまうのは、自己を抑えるからです
つまり周りの規範に従いすぎたとき、その個性は消失する
変化しないわけです。

結果、同じような結果でもまったく違うんだなとわかるはずです。


553:心理学のプロ
06/11/25 05:31:08

自分を憎むことからすべては始まる
彼は絶えず自己放棄を自ら行なっていく
だから、疑いもしない
自己憎悪に立ち向かった人と自己憎悪を肯定している人の
違いは歴然です。すんでいる世界が違います。

554:心理学のプロ
06/11/25 05:35:52
ある人がいつまでたっても、パソコンがうまくならない
としたならば、なにが原因なのだろうか
いたって健康な人が。

このパソコンを人付き合いでも何でも置き換えてみて欲しい
さあ、なぜか。

555:心理学初心者
06/11/25 18:50:34
パソコンを嫌っているのと同時に、そういう自分が嫌で憎んでいるってこと
か?

556:心理学初心者
06/11/25 18:53:23
知能指数は普通なのに学校の成績はまったく駄目っていう人もいるよな。
そういう人も自己執着が関係してるんだろうな。あるいは学習障害かなにか
か。

557:心理学初心者
06/11/26 00:16:12
まぁパソコンのことよりも自分自身のことが気になっているんだろうな。
本人が意識しているかどうか知らないがな。

犯罪者は、確かに自己執着者だな。
神経症~人格障害~精神病者もそうだろう。




558:心理学初心者
06/11/26 00:28:50
極端な劣等感や被害感などが幼少の頃からそのまま昇華されることなく、
成人へと向かった場合に精神的な問題を抱えやすくなるのかな。

サディズムは復讐と私は言うが、その復讐というのは自分に対しても親や
重要な人物に対しての復讐である。自分に対する復讐というと変な言い方
かもしれないが、自分自身が憎いからできることなんじゃないかなと思い
はじめた。少なくとも、異常犯罪者(強姦殺人犯など)は自分を憎んでいる。
性的サド・マゾでも同様ではないか。自分を憎んでいるからできる行為
だと思う。
 そして彼らはまた、自己の過小評価が見られる。自分のことを正当に
評価していない人たちである。それは自己執着によって正当な評価が
できなくなっているからである。

559:心理学のプロ
06/11/26 06:24:36
いや、自己憎悪とともに、他人の自己をも憎んでしまっている
そして、それを何かで正当化してしまう
その正当化ができなくなったときに、つまり見せかけられなくなったときに
おかしくなるのではないのだろうか

560:心理学初心者
06/11/26 08:20:45
●自己正当化●

 人間は、自分に都合のいいように解釈するクセがあるようです。
例えば、野球でボールが取れなった理由(言い訳)を他のもののせいにした
り、試験で思ったほど点数が取れなかったときの理由をテレビ番組のせいに
したりと、人は自分にとって不快なことが起きた時に、現実を否認するため
に自分に嘘を付くことがあります。これを自己正当化といいますね。

 プロ氏はよく劣等感の話をしますが、私はその劣等感について思うことが
あります。幼少の頃から児童期にかけて、極端な劣等感や絶望感を抱えてい
た人が自己正当化するために(プロ氏のいう)「偽の自己」を繰り出す
(分裂機制)ことによって防衛しようとすることがある。
 例えば、「自分なんか生まれてこなければ良かった」みたいなことをずっと
自己の中に留めておくと苦しいので、そういう自分とは別に偽の自分を作り
だすことによってひとまず危機を回避しようとする(極端な場合は解離性同
一性障害になるかもしれない)。

 しかし偽の自分と元の自分とが乖離したままの状態でも苦しい状態に陥る。
自己を偽ろうとする行為によって自己は傷つき、元の自分を見つめながら
現実にある自分を受容しなければならないという葛藤が生み出され、
おかしくなるのではないか。

561:心理学初心者
06/11/26 09:25:43
●劣等感・絶望感●

 性倒錯、とりわけ性的サディズムと性的マゾヒズムの両者に認められるの
は劣等感であり、自己の過小評価である。性的サディズムは虚勢を張る行為
そのものが、自己を過小評価しているといえるし、性的マゾヒズムについて
は説明するまでもありません。
 サディズムもマゾヒズムも自由ではありません。身を相手に委ねています。
服従したほうが快感となるか、転化して攻撃したほうが快感となるかは、
心的外傷後の経過によるだろう。攻撃することで快感を覚えればサディズム
の方向へ流れていくだろうし、服従(劣等感・絶望感)を快感とするなら
マゾヒズムへと流れるのだろう。

 自尊心の低下や劣等感、絶望感そのままに甘んじる(服従する)ことで
マゾヒズムの形成、それらに対する復讐することでサディズムの形成が
なされるのではないか?


562:咀嚼途上者
06/11/30 18:16:08
自分そのものではなく
自分の一部を憎んでいるのだろうと思う。
憎んでいるのは、あるいは、それを判定しているのは
ひとつは、親に愛されなかった自分であり、
もうひとつは超自我、つまり自分の中に刷り込まれた倫理感ではないか

563:咀嚼途上者
06/11/30 18:28:57
>>541
一次的ナルシズムというものが何を指すのか。
ググッてもサイトによって説明が異なる。
自分の体に関する興味、
あるいは自体愛(オートエロティシズム)と呼ばれるものは、
自己保存のために必要なものではないのだろうか。

母親との世界をどこまで遡るべきか、胎児まで遡って考えなければならないと思う。
出産で外界に投げ出される時、ほ乳類としての人間はまだ未完成なままだ。
(生物学的にはあと10ヶ月、ほんとうは胎内にいなければならないのだが、
 あまりに胎児が大きくなりすぎると出産が困難になるので、途中で生むのだという説もある)

ということは、受胎して、細胞分裂を繰り返し、魚類から両生類となり、上陸し(この時つわりがおこる)
は虫類となり、、という、いわゆる系統発生を個体で繰り返しながら、
「類」としてほ乳類ー人類になっていく過程で、ようやく、出産前三ヶ月ほどで心理を備えた人間となる、
と読んだ本にあった。

ナルシズムは類としての自分が、個としての自分になるための心理的通過儀礼にも思える。

564:咀嚼途上者
06/11/30 18:39:20
攻撃性というのは、その個体の自己保存意識に基づくともいえるかもしれない。
(その場合は、社会性の未熟が前提となる→集団の利益が自分の利益と合致しない)
服従も、弱い個体の自己保存に基づく無意識の戦略であれば、一定の合理性をもつ。
(それが、ドゥルーズやノイズ(「マゾヒズムの発見」の著者)の見方のように思える)

問題は、自己放棄、自己破壊までも含めた服従なのだろうか。
それでは、サディズムにはなんの問題もないのだろうか。
象徴的な母親殺しには。 

俺は依然として、頑固に、
サディズムとマゾヒズムを裏表と見なさない観点を保持している。

565:541
06/11/30 19:54:49
>>563
>「類」としてほ乳類ー人類になっていく過程で、ようやく、出産前三ヶ月ほどで心理を備えた人間となる、
>と読んだ本にあった。

その時期以降のことになると思いますが、その頃の自己は現在の私達のように限定された
自己ではないでしょう。 私たちの自己は自分以外にいろんな人間がいて自分の外に世界があって
その世界を自分の自由にできないことを知っています。しかし、母親の胎内で心を持った初めの頃の自己は
何からも限定されていない自己です。「自己」という言葉を使うのはおかしいかもしれません。
まだ、自己と世界の区別もない状態でしょうから。

自分以外の世界があることを知らず、自分が限定された存在であることも知らず、すべてが一体と
なってそこにある。そして、自分に知らない事がある事を知らず、自分にできないことがある事を知らず、
主観的には全知全能の「自己=世界=すべて」・・・
そんな状態が「一次的ナルチシズム」の状態だと思っています。神のイメージですね。

566:咀嚼途上者
06/11/30 23:36:40
>>565 つまり完全なる 「独」 という状態がある。ということだろうか。
類から個へ移りゆく生誕の過程の中で、
完全に、母親という「これからの世界のすべて」を胎児が認識する前に
完全なる「独」の状態を胎児、または(フロイトの言い方では)新生児の状態の時に持つ、と。

それは興味深い「仮定」だと思う。
ただ
「誕生を記憶する子どもたち」(デビッド・チェンバレン著、春秋社)という本を読むと
新生児の時にはもう母親がすべての状態になっている、という事が説得的に書かれている。
(そこでの催眠状態の回想がすべて正確とは思えない事を差し引いても)
したがって、そういう第一次ナルシズム状態というのは、胎内の羊水の中で体験されるのだろう。
(そういう仮定を信ずるならば、だが)

その上で、その完全なる「独」 (541氏の言う「神」)の状態が、誕生後にどういう影響をもつのか、
そのあたりは、どう考えているのだろうか?

567:咀嚼途上者
06/11/30 23:53:52
俺は常々不思議だった。
なぜ、一個の卵子と精子の結合が、原始的な生から
大急ぎで数億年の進化を再現しながら、「個」としての俺、私になっていくのか。
類と個の間に完全なる独の時間を想定すれば、
文学的にいえば 、人が人になる前に羊水の中で神である時期があるとすれば、
それは大きなヒントになる。

そして、そんな状態が実際にある、と仮定すれば、
その独期は、親の状態から受ける超自我とは別に、
自己に対する根本的な監視、あるいは矯正ベクトルとして、
誕生仮定自体の中から「生の基本(正常)」という概念を導きだせる可能性もでてくる。
(当然、倒錯という概念も、単なる統計的平均値などからではなく導ける可能性も)

568:咀嚼途上者
06/11/30 23:55:26
>>567 下から2列目修正。 誕生仮定→誕生の過程

569:心理学初心者
06/12/01 00:17:46
サディズムもマゾヒズムも共通することは、自己執着者で自己も他者も憎ん
でいるのではないか?

母親殺しなど男性サディズムに特徴的なのは、母親のイメージへの過度の愛着
がありながら、母親イメージに対する敵意を持っているということである
(敵対的依存)。もちろん本人はそんなことは意識している人はあまりいな
いだろう。

敵意から母親殺しをしないための防衛機制として、母親以外の人物を殺害、
特に恋人や交際相手を殺害、それに伴う自殺、反社会的行動、自傷行為
(依存症や中毒など含む)や精神疾患などがある。
当然その中にも性的サディズムや性的マゾヒズムも対象に含まれる。

またこのサドマゾ問題にも「エディプスコンプレックス」が関係している。

570:咀嚼途上者
06/12/01 02:40:36
自己評価というのは、本当に自己が自己を評価しているのだろうか、
第一次的には、まず、親の評価が反映するだろう。
その時に、母親(母親代理)の評価と 父親の評価は別々に与えられるだろう。
それが、性的な対象の分別の始まりではないか。
二次的には、親から離れた時、特に学童期に与えられる教師や同級生たちの評価。
三次的には、反抗期と重なる時期に覚える種々の評価。(家族・近隣と離れた処で出会う他者)
四次的には、非直接的な関係の他者、つまり文化(本・映画・ドラマ・漫画・ネット)などで覚える
        (普通は)通俗的なモラルがかなり重要になるだろう。 
その後も、常に、他者からの評価が、自己の評価を決定的に左右するだろう。

自分で自分を評価することなど本当にしているのだろうか。
常に自分の内部に流入する他者と、本来の自己とが葛藤し続けているのではないか。

その時、常に、母親の評価が第一なら、母親への執着は、
ただちに評価を与える基準である母親への憎しみへと転化する可能性をいつでも持つだろう。
それは、そのまま、二次的・三次的……自己評価の基準対象への憎しみにも転ずるだろう。

したがって、人生曲線のどの時期に固着するかが、問題になる。
それにしても、
   憎むとは何か。 執着とは何か。 

571:えす
06/12/01 09:22:03
憎しみねぇ…何かのきっかけになれたらうれしいので書いてみる。
上でプロ氏が「いきなり物を食べないで生きるのは無理」的な事を書いていたけど、SM嗜好者にはそれに近い事が起きてると思う。
すべてのサド・マゾに当てはまる訳ではないと思うけど、【種の保存・繁栄】って重要な本能が欠けてる者が多いから。
SMの場合、行為の最終的な目的が射精→受精じゃあない事が言えると思うから。
人によっては、究極のSM行為=相手に一度も触れずに終わるSEXって答えるヤツもいるしね(これはエセ牧師タイプに多いかな)
俺だって、ステレオタイプじゃないSMが厳密にSEXって言えるのか!?って聞かれたら分からなくなっちゃうし。
【本能を超えた行為】
ちょっと興味深い…
蛇足だけど、俺は租借氏の文も考え方も超好感!応援してます!!マイペースでファイ

572:咀嚼途上者
06/12/01 18:47:35
>えす氏  たぶん俺が「SM的現場」を念頭において考えているからだろうと思う。
あるいは心理学的にではなく「文学的」に考えているからわかりやすいのだろう。
しかし、それも「今のところ」だ。 
まだリアルな現場から遠ざかるように言葉を独立させ、極北に向かうだけの蓄積がないから。
なによりの応援は、自分の頭でそれぞれのテーマについて考えてくれることだと思う。 


本能を越えた行為 というのはSMに限らず倒錯と呼ばれる嗜好全体にいえる。
だが、本能とは何か。 
「痛みとは何か」という個人的な関心から、最近、脳生理学関係の本もあらためて読み始めている。
(ま、ブルーバックスレベルだがw)
ポール・マクリーンというアメリカの学者に寄れば
人の脳は、おおざっぱにいえば、3つの層からなっているという。
一番上にあるのが(つまり一番あとから発達するのが)人間になって発達した新しい脳(新皮質)
その下に、ほ乳類の脳 ( 人と区別するため「旧ほ乳類脳」と言う場合も)
一番奥にあるのが、は虫類の脳。  (脳幹と呼ばれる部分(脊髄の上にある「延髄→橋→中脳」)と
                       大脳基底核(尾状核とレンズ核)からなる)
(いいサイトがあったので載せておく。 URLリンク(charm.at.webry.info)

573:咀嚼途上者
06/12/01 18:49:09
…偶然見つけた訳だが、このサイトに書いてあることは面白い。

もっとも古い層である爬虫類の脳は、
呼吸・血圧・体温など自律神経系の、基本的な生命維持に関係しているのだが、
「爬虫類に特徴的な自分のテリトリー(縄張り)の防衛意識などを発達させる。
 種の保存というよりは、自己保全の目的のために機能する脳の部位」とある。
 ^^^^^^^^^^^^^^^^  ^^^^^^^^^

爬虫類の脳の上にあるほ乳類(旧ほ乳類)の脳は(海馬・扁桃体などの“大脳辺縁系”)
「…快・不快の刺激と結びついた本能的情動・感情、
……危険・脅威から逃避する反応
   外敵を攻撃する…原始的な防衛本能を司り……
「本能的に遂行される“種の保存の目的=生殖活動”を司る」部位である。
さらに
「自己の遺伝子を継承するための情動的評価に基づく社会的活動や集団行動、
……無力な子の育児や保護を行う母性的な欲動・本能の源泉でもある」
       ↑
 まさに、ここ(大脳辺縁系=ほ乳類の脳)がサド・マゾ
(あるいは倒錯者)は変調してる、とえす氏はいうわけだ。
しかもこの部位は「攻撃」「逃避」の部位でもある。       

もうひとつ、面白いのは、
「種の保存」より前にまず「自己保全」の脳がある、ということ。
541氏のいうとおり、「爬虫類の脳」の段階で、
母性との関わりの前に「自己」(心理学的意味ではない)が発達するというわけだ。

とても興味深い。

574:咀嚼途上者
06/12/01 18:52:44
憎しみそれ自体は、
防御本能、つまり、自分の縄張りを荒らすものへの情動だろう。
自己執着はどうだろうか。 自己保存本能にもとづく爬虫類的感覚なのだろうか。

逆に、憎まないとはどういうことか。 自己に執着しないとはどういうことか、
と考えてみるのも手かもしれない。 

575:心理学初心者
06/12/01 21:08:19
実は両者共に、異性になりたいっていう欲求があるんじゃないか?

576:咀嚼途上者
06/12/02 00:13:32
S女 →男性化願望
M男 →女性化願望 
   判る。

S男→女性化願望
M女→男性化願望
  判らない。
 

577:心理学のプロ
06/12/02 18:05:12
Sは難しいが、Mは所有されることを望んでいるのかも知れない
良く所有されることを。Mが文句を言っているのは
悪く所有されたからだと思われる

578:心理学のプロ
06/12/02 18:07:16
所有の反対として自由がある。
自由とは自分に由るということで、抑圧が意識された状態
抑圧が無い状態、つまり自分を受け入れた状態。自分が自分の
ままでよいという状態。偽の罪悪感を抱いていない状態
つまり、彼らの正体を見抜いた状態とも言える
それは、同時に自分の正体をも見抜くことになる

自由主義とは、欺瞞の解体である。

579:咀嚼途上者
06/12/02 19:10:53
Mの願望は、ほんとうは被所有というより
「帰属」欲求の変形なんじゃないだろうか。
自由であること、個にされることの畏れからくる帰属欲求。
それが、方向を失った現代日本で、
なんの理想ももてずただ個で放り出される畏れから
「プレイSM」ではなく
「主従」SMが蔓延し始めたような気も、最近してきた。

580:咀嚼途上者
06/12/02 19:13:02
>>579 ラス し始めたような気も→し始めた原因のような気も

581:咀嚼途上者
06/12/02 19:20:11
承認欲求でもいい。
服従することで「主(あるじ)」とやらに
「奴隷」として承認されたい、そして従として主に帰属したい。
そこに居場所を求める。(しかも性的快楽つきで)
だからハマるのではないかな、と。

582:心理学のプロ
06/12/02 20:50:38
服従には色々な意味がある。
その権力の構造に組することで、自分もその権力を得ようとする
約束も無意識に含まれる

服従の重大な問題点として、自分の行動の責任が自分にあるとは
思わなくなることだとある本に書いてあった。

自己の責任を背負えないから苦しいのだと思われる。
SMは、幻想上の権力構造を作り出し、自分を収めることができる
安全な空間を作り出しているのではないのだろうか

583:心理学のプロ
06/12/02 20:54:01
心理学用語の自己に対する責任は、本来良いものなのに
いかさまというか、苦しみのトリックに気がつかず
この自己からの逃走を、自由からの逃走とフロムは言っている

>>579
帰属は違うと思う。もともとSM的な性格の人は、帰属したことが
ないのではないのかと思う。帰属するところが偽者なら
それは、所有されていると変わらないと思う。
所有というのは、自分であってはならないということ


584:心理学のプロ
06/12/02 20:56:31
所有をする人は、自分を受け入れなかった人
所有を必要とする人も同じ
これがSMではないのだろうか
もともとは、思考のせまい、権力構造にしがみつくことから始まる
そこには、根本的な原因として、自分には価値が無いという思いがある
自分というよりも、自己に価値が無い。親の教育や文化的な要素から
自己に価値が無いと思わせてしまうのは、服従が歴史的に行なわれており
当たり前のことになっているからではないのだろうか

ロロメイは、服従の代償として、想像力の欠如というのをあげている


585:心理学のプロ
06/12/02 21:02:11
見せかけの性格というのは、そうだろうと思う。
本人が見せかけていることも忘れている性格の一面がある。
それは、自己に価値が無いという思い、自己憎悪から作られる
見せかけの性格。これは、感動しているように見せかけていたり
怒っているように見せかけたり、真剣に考えているように見せかける。
本人がそれに気づいていない。この見せかけこそ、服従の主たる原因
自己に価値が無いという考え方から生じる。自己とは自分の考え方
感じ方だと思われる。この自己疎外は、抑圧から生
じることもある
自己をひたすら抑える。自己がでそうな場面を避ける

「 自己憎悪の中の人生は不可能だ 」 ある中古で5000円もする
本に書いてあった。まさにその通りだと思う
自己憎悪と戦うということは、服従との戦いであり
正常を正常と見る、異常を異常と見る基本的能力を取り戻すということであり
それにより、想像力が戻るということだと思う。実際に間違いなくそうだと
思う。他人の気持ちはわからない。自分の共感能力にかかっている
勇気とは、苦しみや痛みや不安を感じないようにすることではなく
それに向かっていくことだと思われる。ところが自己憎悪者にはこれが
できない。社会的責任をいくらでも取れる人が、自己の責任は
取れないという例が山ほどある

586:心理学のプロ
06/12/02 21:18:23
対立物の結合が自己実現だとユングが書いていた
ある建設的な苦しみと幸福は、ほとんど二つが必ず必要だと思われる。
これを邪魔するのが、自己憎悪。つまり従属的な文化や教育だと思う。
現在、自由主義なので、これほど逆行したことは、その他にはない
精神の二極化が、経済の二極化でごまかされているのではないのだろうか。
経済のその責任を負わせてはいないだろうか。

生と死がなければ、苦しみと楽しみ、不幸と幸福がなければ
自分というものは、自己というものは、存在しないのではないのだろうか。


587:心理学のプロ
06/12/02 21:45:53
心に葛藤があったかないかは、すぐにわかる
バランスが悪いということで、露呈される
それを神経症的競争と書いてあった本もある。

あることを相対的に順序だって説明できる
自分の人生を説明できるということは、結果自身があるということになる。
説明できない人は自己を憎悪していた期間、無意味な期間があったということだろう。

588:心理学のプロ
06/12/02 21:47:29
この人生の説明は、ある対象に映し出すことによって露呈される。
女性に映し出したとき、つまりもっとも高い欲の対象にその人を
映し出したとき、その人の正体がわかってしまう。

その人が、まじめという理由で、自分が牢獄から、原因はともかく
牢獄を正当化したことが、露呈されてしまう

589:咀嚼途上者
06/12/03 00:44:08
>SMは、幻想上の権力構造を作り出し、自分を収めることができる
>安全な空間を作り出している

これはまったく異存がない。
疑似的な支配構造の模倣だと思う。だから「ごっこ」だと俺は言った。
安全な空間のことを 今は閉鎖してしまった「インナーマスター」サイトの
サイトマスターは「地下室」と名付けていた。
(もちろん実際の地下室ではなく、精神的な地下室だ)

帰属願望については少し言葉が足りなかったかもしれない。
マズローが言う意味での単純な意味での社会的欲求(所属欲求)なら、
学級・クラブ活動・サークル・会社・チームetc…
マゾだろうがサドだろうが形式的には所属してる者が多い。
だが、それを本当の帰属と思えない状況がある。
それは今の日本の学校制度や企業のありかたがそうさせる場合が多いのだろう。
そういう意味で精神的な帰属欲求が満たされていない(欠乏)状態に置かれ、
「擬似的な」精神的帰属を、主従SMに求めるのではないか。

「所有」は、法的概念であり、では「占有」は、「共有」は、と、なる。
法的に権利主体とみなされている「人間」を所有することはできない。
雇用や扶助ならできるが。  
したがって集団に本来帰属することで得られる社会的な欲求が
変形して「個人=主人」と「奴隷」というかつての奴隷制度の模倣空間をつくって
所属の安心を得ようとするのだろう。

590:咀嚼途上者
06/12/03 01:00:53
これが、若い世代に広まっているということは、
まさに日本の政治理念の退行と、軌を一にしている。
自由な個人と個人の、性的志向としてのSM
(あるいは心理学的倒錯)としての加虐・被虐の
「プレイSM」とは微妙に異なる。
以前えす氏が言っていた 
2種のSとMにそれは対応させることができるだろう。

外交型Mと内向型M  似非牧師Sー暴君S

むろん実際の場面ではそれは、似たような行為をする訳だし、
組み合わせも変わるだろうが、全体としては
「主従関係重視型」と
「行為重視型」に分けられるだろう。

帰属願望はとうぜん前者のMの欲求となる。

591:咀嚼途上者
06/12/03 01:18:44
(蛇足) 
俺が「自己評価」をしているのは本当に自分か、と言った時、
すでに「プロ」氏が「自己不在」ということを言っているではないかと
感じた者のいるかもしれないが、
俺は俺なりに別のルートから峰をのぼってそこに辿り着いた。
同じ山を登っていても、違うルートからきて、
おなじ岩に手がかかることはある。
すでに先行者がその岩をつかんでさらに上へ昇っていようと、
あとからその岩に手をかけていけないわけでもない。

なにかいいわけをしてるように聞こえるかもしれないが、そういうつもりではない。
(言い訳するなら「自己不在」のあたりを読み落としていたことだなw)
他の発言者も気にせずに、自分のルートから昇ってきたのなら
同じ内容について「既出」など気にせず語ればよいのだ、と言いたかった。
(すまん、また、ちょっと酒が入ってるw 大きなお世話だなこれはw)

母子一体化に対する、第一次ナルシズムの問題は、
脳生理学や、胎児、胎盤の仕組みから眺めなおしてみると、
また、面白い見方ができる。 
が、今は「プロ」氏の交響曲を聞く時間だ。 そのうちに、だな。

592:心理学初心者
06/12/03 13:55:45
 私達が誕生した時には、母親が存在する(余程のことがない限りは父親
もいるわけだが)。私達は確実に親の影響を受けているだろう。遺伝学的
にも心理学的にもね。乳幼児期のナルシズムの段階ではまず第一に生理的
欲求があるし、安全欲求があるし、愛情欲求がある。

 「母親からの愛は無条件でなければならない」と言ったのはフロムであ
るが、まさにそうなのである。親(特に母親)が愛を与えることによって
安心感が生まれるようになる。これが自己肯定へと繋がっていく。
それから幼稚園や学校で他者と関って、愛情欲求などが満たされると、
最終的には自己実現欲求から自己超越欲求へと向かうことができる。
自分が愛されているのならありのままの自分を表現ができるようになるだ
ろう。

しかし、親からの拒絶や他人からの拒絶、自分自身が持っている障害
(たとえば、身体的障害や発達障害あるいはその近縁のもの)から、
自己否定感を生み出すことがあるだろう。その自己否定が全ての始まり
である。服従は自己否定から始まる。

593:心理学初心者
06/12/03 14:25:14
 自己否定から心理的防衛を図るとどうしても二次元の世界に行かなければ
ならない。自己否定という現実から逃れるためにどうしても二次元世界へ入
ることになるのだ。二次元の世界は空想の世界であり、幻想の世界である。
誰もが多かれ少なかれ二次元の世界を体験している。ただ、普通は日常的に
二次元の世界にいるわけではないだろう。

その二次元の世界からマゾヒズムの方向に向かう人もいるし、サディズム
の方向に向かう人もいるし、両方という人もいる。サディズムを社会生活
全般で発揮している人もいれば、性関係のみサディズムを発揮する人も
いる。一次元と二次元との葛藤が進めば進むほど深刻な精神障害あるいは
反社会性やサディズムなどを生み出す要因となりうる。

自己否定をするようになると、自己欺瞞が発生する。惨めな自分から、
身を守るためにもう一人作り出そうとする。そしてそれが「自己」だと
認識するようになるが、自己欺瞞ゆえに葛藤が生じ、葛藤に耐えようと
するとマゾヒズム傾向となり、葛藤を爆発させようとするとサディズム
傾向となる。

594:心理学初心者
06/12/03 16:00:44
 こんな人はいないだろうか?

仕事はよくできるし、人間としても決して悪くない。ただ、社交性に
欠けていたり、寡黙だったり「自己表現」が出来ない人がいる。
それは前述でも少し触れたが、自分が愛されていれば(つまり自己受容
できていれば)、自己表現や自己開示が容易にできるようになるが、
自己否定している人や他者否定(表裏一体である)している人は、
簡単には自己表現や自己開示しようとはしない。だから自己紹介が苦手
である。自己表現、自己開示するということは、自分の外傷体験までさら
け出すかのように感じてしまうし(本人は意識していない)、曖昧な自己
を表現しようとすることになるから、苦手なのである。

595:心理学初心者
06/12/03 17:03:53
 ●男性マゾヒズム●

 基本的な構造は一緒であるように思われる。母子一体感の欠如がしばしば
認められる。男性マゾヒストは母親と一つになりたいと思っているが、
それが叶わなかった。苦しい状態に対して服従する、苦しい自分、
惨めな自分を快楽とするために(性的な)マゾヒストとなることがある。
苦しい状態や惨めな自分を受け入れて、苦痛を快楽とする方向へと進んで
いく。
 また、肉体の性は男性であるが、母親希求願望があり、女性になりたい
と思っている女性的男性がいる。恋人である女性と母親が重なって見える
ことがある。母親に似たような人を好きになる。女性に対して憧れのよう
な気持ちで接している。だからマゾヒストというのは同年代かそれ以上の
年齢の人と付き合うことがほとんどで、年下でもダビンチが描いたような
象徴的母親のような人を求める。幼少の頃の母親息子関係を持とうとする。
 そして、正真正銘の女性を目の前にして、自分が男であるということを
自覚して、その現実から逃れるためにマゾヒズムが生まれる。肉体的には
男性だが、精神的に女性(つまり女性的男性)な人は、性に関する心理的
葛藤が起き、女性になりたいという気持ちを抑圧するためにマゾヒストに
なることによって防衛しようとするのではないか。

596:えす
06/12/04 13:51:49
>>585 プロ氏の心理学的知識が豊富なのは誰もが認める事だけど、SMに対する知識や興味、偏見の無さはどれ程なのでしょうか?
微妙に曖昧なので、俺の意見を言わせて頂くと
SM愛好者は良い意味でも、悪い意味でも『自分(達)の異常性』を認識してると思うのですが。
と言うか、分かってないと意味が無い訳で。それこそ『笑いながらのSM』になってしまう…
あと、これは全くの主観で余計な事なんですが(まちがってたら本当に失礼になります ごめんなさい!!)プロ氏の中にも何かに対する強い使命感と憎しみを感じるのですが…

597:咀嚼途上者
06/12/04 21:23:46
>>595 かなり峰を昇ったんだな、と。 特に後段の

「正真正銘の女性を目の前にして、自分が男であるということを
 自覚して、その現実から逃れるためにマゾヒズムが生まれる。」

これは新鮮な見方に感じた。
母親との一体感を求めるなら、性的服従以外の精神的服従だけでいいわけだが
(実際、多くの男性Mにはその傾向が認められるわけだが)
「実際の女性を目の前にして」女性化願望が性的に顕在化する。。。

それは、異様なまでの「女性崇拝」姿勢をとるM男性の態度を
理路的にはかなりうまく説明できるように思える。

>>596 [プロ」氏、というより心理学自体が
フロイトを「脱性化」して、社会と個の関係に焦点を合わせているように思う。
…だが、まぁ「プロ」氏への質問だからこれは横レスだな。失礼。

598:心理学のプロ
06/12/05 01:36:38
>>596

私が言いたいのは、SMを意識している人じゃなくて、隠されたSM愛好者です。
隠された売春婦です。隠された強姦です。その裏づけに隠された虐待が
あると思います。物事に誠実な関心が持てない。これは心の葛藤ゆえです。

>>596
憎しみはあります。なぜなら、みんな大嘘つきだからです。
日本人が世界有数の恥ずかしがりやということは、世界有数の
嫉妬深さということと、同じです。これは、どんなにつくろっても
無駄です。だまされたうらみはあります。

自己憎悪の中の人生が不可能なら、自己憎悪を教えた親やそれを
放置している教師などは、基本的に無意識の確信犯でしょう。
そういう人が、他人の幸せを思うことは不可能です。
自己憎悪者が他人の幸福を願うとき、それは表面的なものです。
自己憎悪者に共感能力などほとんどありません。

599:心理学のプロ
06/12/05 01:43:45
自己憎悪と従属は、一心同体です。服従と自己憎悪は同時に起こり
自己憎悪は当然のことながら、抑圧され、それは他人へ向けられます。
これが、カルト的な原理です。憎しみが外部へ向けられます。
抑圧されたものは、投影されます。だからこそ、相手が自由だからという
理由で、相手を憎んでしまうのです。そのような者の人生は悲劇的だと
思いませんか?思えば犯罪者というのは健康な体を持っている人が
多いはずです。では、犯罪も犯せない自己憎悪者はどのように
みじめな生活を送っていることか。

600:心理学のプロ
06/12/05 01:49:24
基本的に恥ずかしいとは、みせかけが保てなくなったときに
生じるものだと思います。つまり、より恥ずかしがりやというのは
一見すると従順を装ってはいますが、単に自己憎悪しているに
過ぎない、そのため、その分自我が拡大していると思います
だからこそ、その分、見せ掛けが保てなくなったときに、より恥ずかしがるのだと
思います。

601:心理学のプロ
06/12/05 01:51:57
これで、羞恥心のトリックがわかったはずです。
SMの要素の羞恥心を生じさせるとは、見せ掛けを崩す行為だからです。
見せ掛けが崩れ、それに安心感を得るのは、本来の自分が出たからでしょう。
このように倒錯を必要としすぎる人は、その分見せ掛けが強いと言えます
だから、SM嬢がよく雑誌などで言うように、エリートが多いという
理由も当然と言えます。

602:咀嚼途上者
06/12/05 05:08:36
サーシャ・ナクト(フロイト派)はマゾヒズムを分類して、
色情化されたマゾヒズムと精神的マゾヒズムに分けた。
プロ氏は、終始精神的マゾヒズムを取り上げている。というのが俺の認識だ。

>初心者氏
男性Mが女性化を潜在的に願望しているとすれば、
女性Sは男性化を潜在的に願望している。
とすると、たとえば、SもMも根は同じとすれば(そこに俺は組みしないが仮定として)
女性の場合特に、男性化願望の有無が、SとMを分けるのではないか?

603:心理学初心者
06/12/05 23:47:39
>>咀嚼途上者

男性MもSも無意識に女性化願望がある。
女性MもSも無意識に女性化願望がある。

多かれ少なかれあるだろう。まったくなくなるというのことはないのだろう。
そういう場合には同性愛の方向へ向かうことがある。

ここからがポイントである。

604:心理学のプロ
06/12/06 00:16:42
ユング風に言えば、アニマ・アニムスになると思う。
男性は自分の中にある女性性を排除している。
その排除した女性性を相手の女性に投影してしまう。
そして、この排除した女性性(男性自身が勝手に決めているだけだが)
を取り戻すということを試みる。

こうして、現実のありのままの姿を認められない状態が起こることになる。

アニマ・アニムスは言ってみれば、自分が排除した男性性なり女性性。
この部分をどうやって補完していくかが、自分を取り戻すことにつながる

605:没個性化されたレス↓
06/12/06 00:54:27
葛藤を解消するための方法としてサディズム、マゾヒズムがある。
男性Sも男性Mも無意識的な強固な女性願望が認められるだろうが、
女性願望化は女性と一つになりたいと思う半面、憎しみがある。

 そして、この憎しみから来る苦しみに耐えられないので快楽の方向へと
向かうことになる。その方法としてサディズムがあり、マゾヒズムがある。
サディズムは憎しみから来る復讐であり、マゾヒズムは憎しみから来る
服従である。
 加虐・被虐で性的に興奮する(オルガスムに達する)のは、無意識の中
にある感情(憎しみ・怒り・孤独)を一時的に開放させるような働きがある
からである。もちろんS役とM役は自分にとって重要な人物と似たような
人物である。
Mは自分の格好を見て恥ずかしいと思う半面、自分の本当の姿を見ている。
「これが自分の姿なのか」と思いながらね。それをご主人様(重要な人物
の代理)に見てもらっているから快感を得るわけである。

 女性Mが男性Sに縄で縛られて興奮するのは、女性が自分自身を憎んで
おり、罰せられたいと感じていて、そんな自分を罰してくれる、服従する
ことで、自己憎悪から来る全て悪感情を拭い去ってくれるように感じるか
らである。
 男性Sが女性Mに拘束したりして興奮するのは、男性が自分自身を
憎んでいて、それを転化することにより本当に憎むべき相手ではなく恋人
に対してその憎しみなどの悪感情を晴らすために性的にサディズムになる
わけである。

何がサディズムとマゾヒズムを分けるのだろうか?

606:心理学のプロ
06/12/06 05:07:28
>>605

なんか違うようなところがある気がするが・・・。

サドとマゾを分けるのは、心理的な不安を解決するのに
どちらの方向へ向けるかで決まると思います。
つまり、自分がだめだから・・・となるか、あるいは他人の責任にして
他人を攻撃することにより解決を図るかだと思います


607:咀嚼途上者
06/12/06 05:44:09
>>603 すまんが、
「女性MもSも無意識に女性化願望がある。」

これは「男性化願望」の タイプミスだろうか?

というのは、俺は前スレで言ったような気がするが、
基本的には、男子も女子も、幼児期は皆「女性」であると考えている。
そして、男性はじょじょに男性になっていく、と思っている。
(これは男性脳 女性脳の差違を知った現在でも変わらない)

したがって、女性化願望というのは、本来男性にしかないものだと考える。
女性マゾヒズムという概念がフロイト派にはある。
本来女性は基本的にマゾヒストである、という概念だ。
「マゾヒズムの発明」によれば、この概念は
フェミニスト系の精神分析学者によって政治的な批判を受け
現在、まったく取り上げられないらしい。
しかし、ある程度の説得性をもっている、と俺は考えている。

そこで、>>603 の3行目がタイプミスではないとすると、
ある程度、賛意をしめす部分がある。
女性Sの男性化願望は変わらないが。

アニマ・アニムスはしたがって片方しか認められない。
女性の中の男性性は、擬似的にしか得られないと考える。
これは、生存の本質からいって、そうなる。
ユングの概念は、性の本質ではなく、どちらかというと、
ジェンダーに近い文化概念にすぎないと、思えてならない。

608:咀嚼途上者
06/12/06 07:32:07
男性は 女性の分化したものと考える。
単細胞からの進化を考えればごく当然の話だろう。
生命連鎖を行う主体が女性性だ。
したがってそれは、自然性となる。

男性は分離した女性だ。 大本は女性性だと考える。



609:没個性化されたレス↓
06/12/06 19:17:49
>>566
>「誕生を記憶する子どもたち」(デビッド・チェンバレン著、春秋社)という本を読むと
>新生児の時にはもう母親がすべての状態になっている、という事が説得的に書かれている。

そんなに早い時期から「母親がすべて」の状態になっているのですか?
それでは「1次的ナルチシズム」の仮定は無理があるかな。

もし、「1次的ナルチシズム」の仮定が許されるなら、まずその状態(=全知全能の世界)があって
現実を多少なりとも知って、自分の無能無力に気がつき、不安になり、今度はその全知全能性を
母親に投影して、母親と一体になる事によって、全知全能の母親の一部として全知全能性を
取り戻そうとする・・・そうして、母親に全面的に依存している状態が「母親がすべて」の状態
と言えないだろうか・・・。

610:咀嚼途上者
06/12/07 01:30:26
>>609 子宮内での一次的ナルシズム(類から自己への転換)は
     興味深い仮定だと思う。  

ただ、最近知ったとこだが、完全なる母子一体化に関しては
保留がいるように思う。
胎児と母親では白血球(リンパ球)など、免疫システムで敵対的な関係にある。
そこで、胎盤は、母親から胎児を守るシステムとして、
母親の血液との直接接触を防ぐバリアーを胎盤の上に持つ。
(「トロホプラスト(絨毛膜))
トロホプラストは、「母親の免疫機構からの攻撃」を防ぐために
遮断抗体を出すなど複数の免疫抑制システムを持っている。 
甚だしいときには、免疫抑制因子(ISF)なる免疫抑制タンパクを出し、
母親の免疫機能を弱めることまでする。
(妊婦の免疫能力が低下するのは、こういった胎盤システムのせいだという)

へその緒を通して母親と繋がって、異物として母親の体内にいて、
完全に母親(母体)に依存していても、すでに、
胎児は、母親と別の「個」として、完全なる母子一体化状態ではない
個の生命時間を獲得している。

これは当然、心理に大きな影響を与えるに決まっている。
そういった意味で、胎内で、類として進化し旧ほ乳類から
大脳皮質の異様な発達した「ヒト」、そして「わたし」になる過程で
一次的ナルシズムは当然あってしかるべきだと考えられる。

611:心理学初心者
06/12/08 00:30:38
 まぁ要するにですね...(こういうことなんですよ)。

 基本的に男性も女性もサディスト・マゾヒストになる過程というのは
非常に良く似ている。どちらにしても、このような人々の幼少期は、恵ま
れない環境(精神的な意味で)が少なからず存在するということは周知の
事実である。
 「サディズムは復讐、マゾヒズムは復讐」と私は言ったが、これは「復讐
という快楽を覚えるか、服従という快楽を覚えるか」がキーワードになる。
駄目な自分、惨めな自分を憎しみながらも好きになろうとすると、マゾヒ
ズム方向に行きやすい。駄目な自分、惨めな自分を憎んで憎んでいると
サディズムの方向へ行きやすい。

 

612:没個性化されたレス↓
06/12/08 00:41:17
>>610
>子宮内での一次的ナルシズム(類から自己への転換)は
>興味深い仮定だと思う。

一次的ナルチシズムの状態がいつ頃始まるのか、また、
いつ頃まで続くのか(子宮内にいる間だけなのかそれとも生後もしばらくはその状態なのか)
については、実は私もよく分かりません。

それから、細かい事はよく分かりませんが・・・
生物学的に母子一体である、あるいは生命的に母子一体であるという事と
精神的あるいは心理的に母子一体であるという事は必ずしも一致しないのではないかと思います。

精神的に母子一体であるというのは赤ちゃんが母親と一体だと思い込んでいるもしくは感じている
という事ではないかという気がします。


613:心理学初心者
06/12/08 00:53:19
訂正(酔ってる俺)「サディズムは復讐、マゾヒズムは服従」

 自己感情を否認しようとするが認めざるを得ない状態からマゾヒズム、
自己感情を否認して投影攻撃する状態からサディズム。

異性願望化が認められる。女性SMは強い男性願望があるし、男性SMは
強い女性願望がある。「異性の親からの拒絶」からこのような願望が
生まれるかもしれない。より一層「一つになりたい」欲求は増すことだろ
う。男性であれば、女性性を抑圧する変わりに、マゾヒズムやサディズム
が必要となるかもしれないし、女性であれば、男性性を抑圧する変わりに
マゾヒズムやサディズムが必要となるかもしれない。



614:咀嚼途上者
06/12/08 02:21:49
女性マゾヒズムの問題について触れてみる。

生命連鎖(つまり単細胞の発生から始まって現在までの生命の進化)を担うのは
女性だ。 
男性というのは、そこに精子というものを与えて個体の「多様性」を担保するだけだ。
実際に、分裂細胞から始まる次の世代の個体を体内に宿し、外界に分娩するのは女性だ。
したがって、生命にとって本質的な性は女性であり、
男性は多様性という環境適応のための生命時間の戦略を担っているだけだ。

当然、基本的に、生命体は(少なくとも単細胞の分裂だけではなくなり雌雄分化した時から)
女性がその本質だ。

若いときにはその実感はないかもしれないが、齢をとれば
自分がどんどん生命の連鎖からははずれた「その他」である悲哀を男は知る。
(つまり、いつまでもスケベな男だけが元気なわけだw)

615:咀嚼途上者
06/12/08 02:35:16
女性は本来受け入れる性だ。
自然を受け入れ、体内で作られる卵子に精子を受け入れ
発生した次の生命を、自分の(男性には存在しない)臓器に受け入れ、
内部に宿した新生命から要請される免疫低下を受け入れ、
出産という苦痛を受け入れる。

ナクトの本によれば、
「破瓜」の痛みに始まって「出産」の痛みまで、
女性の性のサイクルは苦痛と常に不可分であるという事を
20~30年代の女性学者は指摘しているという。

その痛みと仲良くつきあう方法が、痛みの快感化である。
それが「女性的マゾヒズム」の根拠としてあげられている。
(もちろん当時のヨーロッパ社会の文化的風潮も関係して、
 女性は受け入れる、受動的な性であるという「付け足し」も
 あるだろうが)

そこでフロイトはマゾヒズムを
女性にとってはなんら病的ではない状態(むしろ当然の状態)とし、
もっぱら、男性マゾヒズム(女性化を望む男性)をもっぱら取り上げていた。

(以上が、俺の読んだナクトや、「マゾヒズムの発明」などから
 理解した「女性マゾヒズム」問題だ。 
 社会的差別だとするフェミニストの党派的批判など一文の価値もない)

616:咀嚼途上者
06/12/08 02:46:18
したがって、
女性である、ということはすなわちマゾヒストである。
という考え方は今でもなりたちうる、と考える。

このスレでの流れ(特に近々の初心者氏の考え方)に
対置させてみるなら、
(批判する意図はない。それぞれのルートで「自分の考え」をすすめればいいのだ)

マゾヒストは皆 女性性であり、
サディストは皆 男性性である。 とは言えるかもしれない。

女性は宿し分娩した後
育てる性でもある。 
この育てる、という部分から
社会的男性性が生じる可能性はある。
それは、攻撃性と、関係するかもしれない。
女性性が守る性であるなら、
男性性は環境・自然への対応として攻撃性を含む、
対他関係をつくる性かもしれない。
(女性の対他関係は、必ず、赤ん坊を潜在的に基本としている。
 たとえば、女性のおしゃべりは、とにかく内容はなんでもいい。
 子供に「文法」を教えるためのものだ、と俺は考えてるw)

617:咀嚼途上者
06/12/08 02:48:06
女性マゾヒズムに問題が生じるとすれば、
それは、「子産み」の拒否にまで繋がる、
親から植え付けられた自己否定性の部分だけだ。

618:咀嚼途上者
06/12/08 04:50:43
S女性の男性化願望はわかりやすい。
父親への復讐。 
同時に、自分が男になって母親を父親から守りたい
という願望も含まれているかもしれない。
そこで、父親を罰したい願望が転化して、
男性へ向けられ、サディズムとなる。

だが、同じ事を男性Sに求めることはできないはずだ。
もともと男性であるのだから。
そして、サディズムの対象が母親代理としての女性だからだ。
その場合、たとえば、対象が男性であれば、
その男性は象徴として女性化された男性であるか、
父親代理としての男性であるかどちらか、ということに理路上はなる。


619:咀嚼途上者
06/12/08 04:56:22
女性マゾヒズムはもっと複雑になる。
自然的マゾヒズムと、親由来による自己否定性のマゾヒズム。
さらに、それに対応する「被虐系」と「主従系(服従系)」ということになる。
この場合、打たれるのは、自分の中の母親であるか、
否定された自我を、父親に罰せられる願望であるのか、
それらによって、いくつかのタイプに分けられる事になる。

620:咀嚼途上者
06/12/08 05:05:29
一見ややこしくなっているようだが、
別にそんなことはない。

心理学的には潜在的マゾヒズムに主に照明があてられているが、
俺はさらに、顕在化しているサディズム・マゾヒズムの襞にも、
もうすこし詳しく光りを当てたいだけのことだ。

素質→潜在化→顕在化→実践 

各段階に分けて、スレッドでの認識・洞察が丁寧に、
あるいは、細分化していってるだけのことだろう。
ナルシズムも、
マゾヒズムのナルシズムと
サディズムのナルシズムでは、当てる光の角度を変えなければ
細部は照らし出せないと考えている。
まだ、これからだ。
さらに、社会環境(文化的環境)による影響として「超自我」の問題がある。
サディズム・マゾヒズムは相当広がりのある主題なのだ。

621:えす
06/12/08 09:51:08
段々細分化されてきましたね おもしろい。
S女もM女も、結局は『自分(女性)より強い男性(父性)に~』って前提があって成り立つのかな?
単に主従的関係と言っても、行為中は一時的なシュミレーションな訳で、
その場合『下克上』の快感もありうると。
自分の性別を受け入れるか否定するかでサドorマゾ分かれるんだろうけど…やっぱりどこか壊れてるんだ。
SMはどう考えても、新たな生命や家族ってモノに繋がらないから。
個人的には
自己性否定×叱ってくれる相手=内向M×暴君S
自己性肯定×認めてくれる相手=外向M×牧師S
の組み合わせが多く感じる。
うぅ~ん…女性の意見ももっと集めたいな…

622:咀嚼途上者
06/12/08 11:24:52
女性、特に自分が行為者として即時的な状態にいるM女は
抽象的な規定には、反撥する。
それは、以前、言っていたように、
女性は、自己が強く自我が弱いからだと思う。
自我は子育ての役に立たない。 母子一体化のジャマになる。
ひょっとしたら、偽愛の母は、自己より自我が強いのかもしれない。
潜在的MやS女ならともかく、真っ最中の女性の意見はあまり
期待できないように思う。(俺はいくにんかに聞いたが、むしろ不快感を表明されたよw)
残念だが、自分たちでセオリーを言葉の極北へもっていくしかないように思う。
えす氏が有望な人材を発掘してくれば別だがw

かなり頭のいい女性でも、ここでの言葉や考察はもはや、
抽象的な戯れ言に取られるようだ。
ただ、「プロ」氏の否定のことばだけは よく響く。
特に、内向的なM女(潜在的な軽M女)によくとどくようで、
それはそれで、また興味深いことに思える。

本能は、脳幹(呼吸・体温)やからすこしその先(神経の経路として)、
視床、視床下部(性欲・食欲)や大脳周縁系といったあたりに相当しそうだ。

人間において特殊に発達した大脳、特に前頭葉が、本能を抑制するんだろう。
(とにかく、にわか勉強だから、あまり正確とはいいがたいがw)
おそらく本能の壊れ(離れ)は言語野と関係がありそうに思える。
言葉(文化)が、本能を壊すんではないだろうか。

623:咀嚼途上者
06/12/08 11:40:45
>621えす氏

「自分より男性が強い」という前提が
S女にもM女にもある、というのは、たいへん面白い指摘だ。
たしかに
だからこそ復讐が成り立つ。自分より弱い相手に復讐もくそもないな。
考えてみれば。 簡単にたたきつぶせるからなw

性別の受け入れか、否定か というのも面白い。
男女脳の分化は、さっき言った本能の脳の段階で起きるらしい。
視床下部の神経核の相違や、脳梁の太さの違い。

この分化した女脳を否定しようとしてS女
より、強化しようとして M女   なのかもしれない。

ただ、M女は昨日も書いた通り、複雑だ。
女であることの強化がMなのか、
女である自分を罰したいのがMなのか。
それが、内向Mと外向Mの違いかもしれない。

あと、残るは、男Sのどこに異性化願望があるか。ってことか。
ま、「初心者」とはかなり異なる道筋を辿っているわけだが。
こちらのルートも有望に思える。  
(もともと女S・男Mに関して初心者氏に異存はなかったし)


624:咀嚼途上者
06/12/08 11:56:00
女は扁桃体の「好き・嫌い」感情がどんな理性的な女でも最終的に勝つ。
中立的では、子育ての負担に耐えるのが難しいからだろう。
徹底的に好き感情が強くないと、
自我・自己を制限される子育ては苦痛になるだろう。
子育てが楽しい、は、子をとにかく好きでないと無理だ。
(つまり無条件だ)

女は自分に関心が強く
男は外界に関心が強い。

これも、子育てと関係する。
自分と自分の分身である子供に感心がもてなければ
やはり子育ての苦に耐えられない。
対して男は、
いったん精子を放り込んでしまえば、
あとは、何もすることがないw

外界の脅威から、メスと子供を守るために
外界をよく観察し(関心をもち) 分析し
対応を練る能力を発達させるくらいしか役に立たないw

いいかえれば、理の自我を発達させるのが男の本文だ。
S男ほどS女は相手を理解しようとはしないものだ。

625:咀嚼途上者
06/12/08 11:58:54
.>624 追記
こういう言葉に、感情的でなく反論できるS女がいれば、尊敬する。

626:えす
06/12/08 14:05:16
男Sの場合、異性化願望とゆうよりは転化な気がする。
そもそもサディストは、多かれ少なかれ相手の感情を差し測って行為を行うでしょ?
(SMのSはサービスのSって言われてもしょうがない気がする;)
つまり、自分ではなく相手の中に在る異性を取り込む形か?(自分の性を否定してるからそれでまぎらわす!?)
「言語が本能を壊す」…またおもしろいキーワードが…
俺的に解釈すると「常識が本能を壊す」って事かな、と。
すべての異常性欲は常識を逸脱する事に快感を感じると思うけど、
その常識の最たるモノ、生命のシステムの根源である「種の保存・増殖・多様性」を否定する事に無意識で快感を感じちまうのか!?
(人間…ここまでキチまったか…?)
あと、上で書き忘れてしまったのですが…プロ氏、立ち入った事を聞いてしまってすいませんでした…
スレとは関係無さ過ぎでした。気分を害してなければ良いのですが…

627:汀子
06/12/08 15:15:53
M女です。
サディズム・マゾヒズムについて深く考察したサイトを探して
ここに辿り着きました。
SMサイトやピンク2ちゃんねるに辟易して分析に興味が沸いたのです。
咀嚼途上者さんや、心理学のプロさん、「さ」さんの書き込みを
読んで文字通り咀嚼しているところです。
アナログ人間なので、ノートにまとめながら、深く考えた上で意見を
書かせていただきます。
心理学については素人です。

628:汀子
06/12/08 15:36:00
軽く自己紹介をさせてもらいます。
私がM性に気付いたのは小児期で、4歳の時には
はっきりと被虐欲求を持っていた記憶があります。
それが先天的な物なのかどうかはわかりません。

ずっと内面世界に加虐者(インナーマスター?)がいて
何かの拍子に軽い解離状態になり、日常生活は上の空で
被虐の空想に耽ります。
小児期は加虐者は女性で思春期から男性に変わりました。
今は「幼児が男性に折檻されている」というシチュエーション
にこだわるようになり、私の中にS性の男性が登場して、
画像の幼い女の子に自分自身を投影して、終わりの無い
責め苦を受けています。

幼い女の子は苦痛と恥辱と同時にS性の男性に恋心を
抱いています。憎しみから、学習性無力感に変化し、
ついに底なしの愛情と受け取るというパターンです。

被虐待児症候群の中で虐待を愛情と勘違いする、
あるいは日常化して学習性無力感に陥る、という
響きに性的興奮を覚えます。

実際に私は長期の虐待、いじめ経験があり(性的ではありませんが)、
長く精神科通院しています。建前は「PTSDを克服する!」
ですが、本音は「学習性無力感のぬるま湯から出たくない」
です。

629:汀子
06/12/08 16:22:11
「さ」さんの書き込みを読んでいて、共感するところが多いです。
私はSM出会い系サイトではなく、2ちゃんねるで偶然S性の男の子と
仲良くなりました。私も彼も現在28歳で彼は童貞です。
一度彼と会いましたが、彼は指一本触れてきませんでした。
それ以来会って無いのですが、「SMプレイをしよう、やめよう」の
やりとりが延々と続いています。彼は「女にコンプレックスを持って
いるから征服したい」のだそうです。
私は一度彼に別れを告げました。「私はあなたを支える力が無い」
という理由です。その気持ちは今も同じです。
彼は、SMをすれば満たされると思ってるようですが、私はそうは
思いません。むしろ愛情飢餓が増すのではなかろうかと思います。
また彼からメールが来るようになり、拒否できずにいます。
ろくに私を知りもしないのに「愛してる愛してる」と気持ち悪いです。
そういう幼稚さが私には恐怖です。

リアルでS性の男性と関わるのは、危険ですよね。

630:心理学のプロ
06/12/08 19:14:52
>>629

僕とリアルでどうですか

631:心理学のプロ
06/12/08 19:15:51
男か、いらん

632:汀子
06/12/08 20:11:29

荒らしですか?

もうちょっとで全部読み終わります。

633:汀子
06/12/08 20:52:03
やっと読み終わりました。
私はMなので、Mとしての主観でしか語れませんが
自分がMなのは「退行願望」や「怠け心」があるからだと
思ってきました。
手の自由を奪われるという事は、自分の手を使う「仕事」を放棄する事。
足の自由を奪われるという事は、自分で歩き行き先を「決める」事を放棄する事。
目を塞がれるという事は、情報を入手し、「判断」する事を放棄する事。
口を塞がれるという事は、発言し「責任を持つ」事を放棄する事。
服従するという事は、「意思を持つ」事を放棄する事。
究極は赤ん坊と同じですね。
自分を憎む事は、弱いまま流れに従う上で一番楽です。
「自分さえ我慢すれば」と、親に殴られても学校でいじめられても
奇麗事で合理化して無抵抗できましたが、それは「学習性無力感」
という、怠け者のための甘美な檻に好んで籠もっているだけだったようです。

634:汀子
06/12/08 20:58:30
>>630
荒らしにマジレスしてみます。
SMに限らず、性倒錯傾向があって、それを自覚して
心理学板に流れてくるような人なら、常識かもしれないけど
母子一体感から抜けてない幼児性を持ったまま、
即物的に愛情飢餓感を満たそうとしても、更に飢えるだけです。
素人でも、断言します。
偽者の愛しか知らなくて、とりあえずの簡単な愛を手に入れる
事は、食べれば食べるほどお腹が減る仕組みになってます。

635:心理学のプロ
06/12/08 21:53:10
愛情飢餓感は存在しない

636:汀子
06/12/08 21:59:13
すみません、専門用語については、よく知らないので・・・・
「慢性的な不全感」とでも言いますか、そういう風に広い意味で
取って下さい。

と、マジレスしてしまう寂しい夜。

637:心理学のプロ
06/12/08 22:09:43
人は人を馬鹿にすることはできない
人が人を馬鹿にするとき、たいていは自分のそのような部分を
完全に拒否しているに過ぎない
そのような人に人を馬鹿にする能力はない
そのような人は自分を馬鹿にしているだけに過ぎない

では、そのような人の意見を真に受ける人も同様に本来の自分を
馬鹿にしている

638:心理学のプロ
06/12/08 22:22:26
人は人をほめることはできない
人が人をほめるとき、たいていは自分のそのような感じ方を
尊重しているに過ぎない
そのような人に人をほめる能力はない
そのような人は自分を受け入れている

では、そのような人の意見を受けられる人も同様に本来の自分を
受け入れている

639:咀嚼途上者
06/12/08 23:51:22
汀子氏のカキコ 2箇所 興味を引かれた。

1小児期は加虐者は女性  思春期から男性に
2、私の中にS性の男性が登場
  画像の幼い女の子に自分自身を投影、終わりの無い責め苦

この場合、深層では 女性=母親
              男性=父親  と考えられるだろうか?

640:心理学初心者
06/12/08 23:51:53
もし誰も信用できなくなったらどうなるんだろうね。


641:咀嚼途上者
06/12/08 23:56:17
思春期から被虐妄想の相手が男性に変わったのは 
虐待経験 イジメ体験と 関わりがあるのだろうか。

自分の中に登場するS性男性にも同時に自分を投影し、
無力な幼女である自分自身を責めることに興奮を覚える場合、
複雑になるが、責める男性と責められる女性 
両性的になっているのだろうか。

642:咀嚼途上者
06/12/09 00:03:07
個人の妄想の中で両性的になることは可能だろう。

自我=男性 または女性
自己=女性 または男性

あるいは超自我 を性化する (本来超自我は無性)

643:汀子
06/12/09 00:11:47
>>639
そうです。最初の母親との蜜月期は妄想の中に生まれた
加虐者は母親、父親に殴られたりするようになったころ、
慈父のようなおじいさんが加虐者の女性から私を救うシナリオ
の時期が少しあり、やがて若い男性に変わりました。
最初は憎しみだけがあり、憎しみと愛情の分離した時期があり、
思春期から憎しみと愛情が融合しました。
それは父親と分離できて無い事と多いに関係あると思います。

644:咀嚼途上者
06/12/09 00:14:44
そのように、両性化の可能性を考えれば、
男性化 女性化 の二者択一に対して 
幅を想定できることになる。

体内でのホルモン分泌の異常による
脳の男性化不足が同性愛者をうむ 
という説明を 性同一障害に関して受け入れるとすれば、

ここでいう男性化願望 女性化願望は
脳の性的分化は、無意識の領域から
意識の領域の間にあると規定される意味での「自己」は
当然、自己の物理的性別を基礎にしている。
それを異性化願望へ導くのは、自我か超自我ということになる。

常に人間の中には、複数の心的領域がある。
(胎内での母親との関係でそれは作られる)
それを、自我と自己と分けようと、別の名前で言おうと、
複数あることだけは間違いない。

したがって、両性化は脳内では可能だ。
二つの心的領域を、性で区別すれば
男性的類型と女性的類型ということにもなるのだろうが、
それよりは、自我と自己の間に性的不一致(あるいは混在)が
起きるとしたほうが、俺には混乱なく受け入れやすい。




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