06/11/01 11:46:19
あんまり分けるのは好きじゃない。現にアドラーは分けなかった。
>>384
それで大丈夫だと思いますよ。ただ
無意識→自己→(言語ゾーン)意識→自我 の流れなので物事は。
電柱を見た瞬間、最初は無意識的に見ているはずです。その後、自己を通り
言語化され、電柱が理解される。
どうやら、無意識に近いところに防衛機制があり(なぜなら
防衛機制は意識できないから)抑圧とかしているわけです。
これも、心理的神経的、自己保存性があるからでしょう。
防衛機制は、人間のためにあるわけではなく、この自己保存性から
きているのだと思います。巨大な抑圧は、その人の行き方を決めてしまう。
劣等感があれば、劣等感を回避する生活をするかもしれません。
387:心理学のプロ
06/11/01 11:54:17
ここですごいことをいおうと思うのですが
自己は、つまり無意識ー自己ー意識ー自我において
自己とは、自分ではありません。
388:心理学のプロ
06/11/01 12:15:51
職場や学校に過剰適応して周囲の期待や願望に応え続けている人は『強い自我』を持っていますが
↑
これは、少し違うかも。強い自我というよりも、おかしな自我だと思われる。
過剰な自我は、自己を隠すための言い訳に過ぎない
だから、過剰適応者はみんなから嫌われる。規則にしたがうのはいいが
その規則を作り出している理由が、もし自分を隠すためだったら。
389:咀嚼途上者
06/11/03 05:39:11
>>387
以前も言った気がするが、
個としての「自分」は
統一体として 外界から相対的に独立している。
それと、自分の内部の一部分にすぎない「自己」が
ちがうのは、あたりまえだと思うのだが。
390:咀嚼途上者
06/11/03 14:41:19
心理学用語を離れて一般的に言えば、
自分は まさに「分かたれた」「自」 つまり、自然・他者から区別された個としてある。
自己は 「己れ」「自身」 自然・他者関係無しの、己れ自身。 つまり「即自」
この「即自」「対自」という言葉は大変便利なんだが、
どういうわけか、全く定着していない。日本人気質というやつか
本来「エネルギー」なんていう「概念」などより、よほど易しい概念なんだが
哀しいことだ。
391:咀嚼途上者
06/11/03 14:46:39
自我というのはその「対自的」心領域だ。
己をすこし離れたところから対象化している心の部分。
即自的な心領域=自己や、無意識部分から
「言葉」や「認識」によって離れた部分。 したがって「理・認知」の部分だ。
この理的認知は、「外界」と「内部」の2つを対象とする。
俺は 「頭」 とおおざっぱにイメージしている。
したがって自己は 「心」 とすればすっきりするのだが、
ややこしいことに、ユングは 「元型」 という概念を使うため、
すっきりと「心」といいにくくなる。 これがすべての「元凶」だ。
心理学には様々な派閥があり、精神分析(精神医学)にも様々な派閥があり、
それらによってすこしづつ、同じ言葉が違う意味で使われていたりするらしい。
しかし、まぁいい。 「プロ」氏がその言葉を使いたいのだから、
こちらは読んで、自分で変換して理解するしか方法がない。
392:咀嚼途上者
06/11/03 14:58:29
超自我は、いうなれば監視塔だ。
自分や自己という刑務所の中につき立って下界(自我・自己)を監視している。
「プロ」氏はそれを自我の中の「規範意識」として取り扱っているが、
俺のイメージでは、超自我はそれ自体独立した存在として、
上記のように塔とか、検問所、と見た方が良いと思っている。
そして、超自我の中には「規範」以外に「禁止」「美意識」なども含まれている。
Sが「超自我」のみ というドゥルーズの言い分はこのイメージの方が
はるかにわかりやすくなる。
そして、Mは、この監視塔の役割をSに、預けて、自分の「自我」「自己」を
むち打たせる(むち打たれる)というイメージも、
超自我をくっきり、自我から切り離して考えるイメージの方がわかりやすい。
この超自我を形作るのが、親の禁止・命令・学童期に植え付けられる世間的価値観、
本やメディア、友人間との関係などからくる、選択的価値観などになる。
当然、社会的規範意識もこの中に含まれている。
(以上は、門外漢の独学による咀嚼的解釈であり、なんら学問的裏付けはない。
すべては「文学的」「哲学的」「思想的」想像力と解釈に依っている。
これははっきり言っておかないと、誤解されるので、念を押しておく。)
393:咀嚼途上者
06/11/03 15:33:21
ついでに直接SMには関係ないが、俺の「文学的」「思想的」「哲学的」想像をもうすこし言う。
人間の心はもともと分裂している。
その根本にあるのは、母胎のなかで自己形成するという「胎生生物」の宿命だ。
(この「自己」は一般的な意味。心=情的部分の時は「」にくくって使う。
ややこしくてすまんが、「プロ」氏のいう「自己」とも違う。単純に「頭と心」の心だと思って欲しい)
出産によって母親の環界の外にでてへその緒を切られた時から、
「個」がはじまる。
だが、胎内にいた時、母親から直接受け取っていた「心」の部分はその時、
すっぽり「穴」があいたまま「空洞」部分として、「個」の心的領域に残る)
つまり自分自身の内部(皮膚によって外界から隔てられた内部)に、独立した時間が
流れ初めて、自分の心が成立するが、胎内にいた時、常に母親と胎盤で
物理的・生理的に繋がって、完全なる「個」としては独立しきれていない状態の時に
母親から受け取っていた心(あるいは共有していた心)部分は、
「もうひとつの心部分」として残存する。
(母親との心の直接的つながりは、ホルモン物質の変化その他を介してなのか、
あるいは、直接侵入なのかは、自分でもまだ、よく考えが詰まっていない)
この空洞部分がそのまますっぽり「自我」となるかどうかもまだ考えきれていないが、
とにかく、「ふたつの心」がひとりの「個」の中に存在することだけは間違いない。
そして、それをひとつの時間の流れとなる部分がその人間の「心意識」だ。 と考えている。
( くれぐれも言っておく。これらはなんらアカデミックな根拠があって言っているわけではない。
似たような学問的言説があるのかもしれないが、いまのところ完全に俺の独創だ。)
今日はすこし時間があったのでカキコした。
SMとは関係ないが、一度どこかで吐き出したかったことのひとつなので。
394:心理学のプロ
06/11/07 23:25:47
結局さまざまな本をまとめると、ただ単に金よりも
自分の欲求を尊重すればいいというだけだったのだろう。
エネルギー?は、内から外へ行く。
それを自分をだめだという考えで、止める。そこでエネルギーが戻る
SMも遊びならいいが、マゾ的サド的な人は、遠回りして
心的エネルギーを発散しようとする。エネルギー交錯により憎しみと
劣等感が生まれる。
395:咀嚼途上者
06/11/08 00:17:21
そのエネルギー?とは、
心的欲求 とか 衝動 願望 性的衝動
に近いのだろうかね。
死の衝動と生の衝動のうち、
「生の衝動」にイメージが近いように思える。
両方を含んでいるのかもしれないが。
(「死の衝動」を破壊衝動と言い換えれば)
遠回りはマゾに限定されるのではないか、と思う。
サドはむしろ、近道をしようとして、暴力に頼るのではないか。
396:咀嚼途上者
06/11/08 00:30:13
おもしろい。
反抗期と「近道」をしようとする「急ぎ」は何か関係ありそうだ。
そしてサディズムとも。
反対に「遠回り」と反抗期の不在(遅延=遠回り)が
マゾヒズムと関係するのか。
思春期にサディズム・マゾヒズムの素質が
嗜好になっていくのも、遠回りと近道と 考える事もできる。
397:咀嚼途上者
06/11/08 00:33:14
劣等感の元になるのは
「価値観」だから、
むしろ、劣等感のありかたが、
SとMの志向を分ける可能性もある。
398:咀嚼途上者
06/11/08 01:23:11
あと、気になるというか、解きたいことのひとつ。
S男の硬さ と M男の 柔さ
S女の普通さ と M女のもつ棘
ま、感覚的な言い方だけど。
399:心理学のプロ
06/11/08 02:36:30
間違った価値観を持つことにより、自我を正当化してしまう。
よって自己の成長がない。これは精神のある部分の成長がないという
ことだから、劣等感が強い人の、劣等感は気のせいではなく
精神のある部分の神経が本当に、成長しておらず
本当に劣等なのだと思う。そして、それはまず土台と成る自分を
受け入れない限り、成長しない。成長を拒否したまま、表面だけを
整えようとするのが、擬似成長だと思う。
400:咀嚼途上者
06/11/08 04:23:19
神経は実際の神経なんだな。
社会のありよう プラス
心身相関にまで考えを拡充してるというのは判ってるけど、
実際に劣等(未発達)であることと、劣等感自体は
違うだろ、と思うけどね。論理自体は判るけど。
神経の「疑似成長」というのもありえるのかね。
神経は未発達のみかな。
401:咀嚼途上者
06/11/08 04:25:58
つまり、神経の回路が、
通常と異なる繋がり方をする、というような可能性だが。
(実際にそのようなことがあり得るのかどうかは知らないが)
402:咀嚼途上者
06/11/08 04:27:57
いすれにしろ、そこまで行くと
実際に検査機器によって
物理的に確認できる可能性がでてくるわけだし。
403:心理学のプロ
06/11/08 05:14:58
おそらく、情緒やある部分の思考力が未発達と言うことなので
本当に劣等感の正体はそこだと思う。そして、それに
妄想じみた理由がつけられる。解決不可能な外見などの理由がつけられ
正当化される。ありとあらゆる理由がつけられて、ある部分の
たとえば、自分を出すのを拒否する。そうなってくると物事のとらえかた
他人の気持ちもそれに準じてしか見れない。そうやっていよいよ劣等になる。
404:心理学のプロ
06/11/08 05:21:30
→(心理エネルギー)
→無意識→自己→意識→自我
葛藤がある状態→無意識→自己←意識 自我
葛藤がある状態を自分に対する憎しみがある状態でもいいと思う。
自我が変化せず、強化される。自己執着とは、自分を憎んでいる状態だが
これは表向きで、裏では、このような仕組みが働いていると思われる。
だから、自己表現できるわけがない。自己は牢獄に入ったかのような
状態になっている。心は胸には無く、脳みそにあるので
あらゆるものが神経だと思う。神経のある箇所が劣等なのだから
劣等感は本物だと思われる。妄想的な劣等感は、時として
成長しないようにしていることが原因だと思われる。
405:心理学のプロ
06/11/08 05:31:39
ここで世の中の問題の一部が、はっきりとわかる。
自己執着しながら自己表現できるわけがないのだから
ノイローゼになっても仕方がないと言える
つまり、抑圧を正当化しすぎる親と自由主義はマッチしていない。
ノイローゼはいつか挫折する。それは何らかの変化が起こったとき
規則や秩序がある場合はいいが。進学などで・・・。
406:心理学のプロ
06/11/08 05:35:23
抑圧を正当化する親が、子供に幸せになって欲しいと思っている。
すでにこの親がノイローゼだとわかると思われる。
抑圧者は自分が怒りやすい性格だと信じきっている場合がある。
抑圧者は自分がめんどくさがりな性格だと信じきっている場合がある。
性格というのも、元をたどれば細かい神経なのだから
急には変えられないし、変えたふりも通用しないとわかる。
これが通用するのはどのような人間か?また、どのような人が
その傾向が強いのか?考えると面白いかもしれないが・・・。
407:心理学のプロ
06/11/08 05:50:50
●友達がいないところを見られるのが嫌だった●
擬似成長者の最初の挫折が学生生活だと思われる。
上記の●で囲んだ言葉は、相当問題をうかがわせる言葉である。
擬似成長をしすぎたものは、本来の成長をしていないので
ある年齢になると本当に一部分の脳みその神経が劣等であり
精神的差やそれに基づく、記憶や楽しみや興味の差が激しく
友達を獲得できない。これは、自分を理解できないことに由来する。
抑圧は成長と共に解消されてゆくが、強すぎると解消されない。
逆に増える場合もある。友人は友人に関心を持てないと手に入らない。
自己執着者は上記の図のように自己で矢印が交錯しているので
葛藤の分だけ、世の中に興味が持てない。
408:心理学のプロ
06/11/09 00:08:36
自分に自信がないということを、抑圧している者の行動は
どこかおかしい。そのような人は抑圧を意識していないのだから
さらに投影も意識していないのだから、自分に価値がないという考えがあって
いかにも立派な人だと思われるだろうが、これは、他人を自分の葛藤を
解決する道具としてしまう。悲しいことだ。
だから、自分に自信のないことを抑圧した親は、過干渉・過保護にならざるを
得ない。これは何をしたとか何をやったとかの問題ではない。
自分の情緒などを罪悪視した親は、人間嫌いにならざるを得ない
現代の人間嫌いは、特に大きな理由がない限り、自分が嫌いだからなのである。
自分を嫌ったものは、それがそのまま理由となり、自分と同じ他人を
嫌いになる。子供は、親が自分自身を嫌っていることを無意識に見抜き
こどもは、親のまねをしてしまったのだろうか。
409:心理学のプロ
06/11/09 00:12:41
→無意識→自己←意識 自我
葛藤のある状態。たいていは葛藤を乗り越えて、自分の価値観である
自我が変化していくのだが、原因不明の葛藤に人は悩まされている。
そのもっとも大きなものが、自己軽視・自己疎外・自己憎悪だと思う。
意識の上で、自己を抑えすぎると、無意識から来るエネルギー(影)
と交錯してしまい、自己に負担をかける。そしてこれから来る葛藤は
本来、どちらが良いのか?考えることができない。これが幼少期の
刻印とよばれるものであり、親の欺瞞性を共有すると言うこと。
この葛藤は、違うことで解決されようとしてしまう。
この葛藤から生じる、不安・憎しみが強迫的行動になる。
親を取るか?自由(自分)を取るか?
これはそのまま、心的エネルギーの流れを正常にするか
異常にするかということになる。
410:心理学のプロ
06/11/09 00:15:32
ああ、あのうつむいた男は、まじめにやっているが
彼は、他人のためにしているわけではないのだ。
この葛藤から来る不安を解消しようとしているのだ。
だから、報われない。周りの人も彼に興味がない。
周りの人は、無意識で理解しているのだろう。彼が小さな人間であることを。
彼は小さなままである。金を得ても。神経は成長していないのだから。
この葛藤を正当化する生き方とは、破滅を肯定するようなものだから。
411:えす
06/11/09 10:24:33
なら俺は、破滅を肯定した上で葛藤しよう
412:心理学のプロ
06/11/09 22:48:13
→無意識→自己→意識→自我→
→無意識→自己←意識 自我
上記と下記が絶対ではなく、分量の差だと考えてください。
無数の相互性の中で人は生きています。ところが根本に葛藤を抱えていると
入り口が狭く、そこで精神の成長が遅れます。この遅れによる差が出始めると
挫折します。当たり前ですね。対人関係を自分のものだと思っていないと
やってはいけないでしょうから。この葛藤は意識されていない場合
誰か弱い人を犠牲にしてしまいます。これは意識していないと言うことが
同時に、他人を犠牲にしてしまう、しがみついてしまう理由です。
ですから、本人が何を言おうと、自分の葛藤を意識できていないのだったら
誰かに犠牲になってもらっているということです。この犠牲ほどばからしいことは
ないと思います。なぜなら、ナルシズムを維持するために他人を利用している
ということだからです。だから不機嫌な父親はそうなのです。
(これは、日常生活で意識することは不可能。だ・か・ら三つ子の魂
100までと言われている)
413:心理学のプロ
06/11/09 22:53:17
ナルシズムを克服するためには、自分の抑圧に気がつかなければならない
抑圧を意識するとは、正直になることである。それにより創造性が
復活する。これは何も変なことを書いているのではなく
実際にそうだと思う。ナルシズムを維持するために懸命に働いている人が
たくさんいる。彼らはいつもうらみや嫉妬で満ち溢れている。
彼らの精神は、子供である。だから基地外じみた妄想をやめられない。
自分のその幼稚なナルシズムから出た、正義や道徳ほど気持ちの悪いものはない。
単に嫉妬の正当化である。彼らは形で何もかも判断する。
彼らはいまだに服従している。そして報われない。動物園のおりを
正当化することで一体彼らはなにをしようとしているのだろうか。
ナルシズムの維持である。甘えを意識できれば、その気持ち悪さがわかる。
自分が正義だと思い、悪にみたてている何かを憎んでいるとき
それは、自分のナルシズムが原因だと気づくべきだ
414:心理学のプロ
06/11/09 22:55:55
ナルシズムとは、自己へのしがみつきである。
これをどう克服できるかは、わからないが
親がナルシズムを克服している人物なら、子供も自然に克服できると
思われるが。ナルシズムを克服するためには、自分を引き受けなければならない。
なんと難しいことか。人とあって楽しい人と辛い人の違いは
ナルシズムの克服である。他人に合わせてもいい。だが、恐怖や不安から
他人に合わせてはいけない。見捨てられる恐怖から他人に合わせてはいけない
それを正当化してはいけない。
415:心理学のプロ
06/11/09 22:58:52
ある日突然、やったこともないオセロがうまくなることはない
数学の先生でも、英語ができるかどうかは、関係ない
ある日突然、ナルシズムを克服できるわけではない。
そして、間違った方法で克服しようとしている悲しい姿がある。
自分を憎むことをやめることで、自分は自分でいいのだと理解することである
そして、しばらくは、自信のない・・・つまり自分のない状態をがまんすることである
なんと悲しいことか。親から引き受けられるのは財産だけではなかった
もっと大きなものがあったのだ。
416:心理学のプロ
06/11/09 23:00:28
対人関係における問題は、
自然とナルシズムを克服している人間も、ナルシズムを克服できていない
人間のことがわからないということである。
ナルシズムに苦しみ、それを克服した人のほうがずっと強くなれる。
417:心理学初心者
06/11/10 11:42:36
早い話が、性倒錯を起こす人は親への執着から抜け出せていないってことかい?
418:心理学初心者
06/11/10 11:53:34
最近仕事が半端なくきつくて辞めたくなった。俺は身を粉にして働いている
というのに馬鹿らしくなってね。仕事に対する依存も少々ある。
メサイヤコンプレックスみたいなのがあって、ネットで人の相談に乗って
自分自身の問題を解決しようとするようなことがある昔から。
自分自身を演じ続けてきた自分。いつまでこんな暮らしが続くのだろうと
思いつつ、精神科に再び通おうとするが今だ予約もしていない。
自分自身の問題はある程度知ってるけれど、それ以上踏み込めないっての
がある。
極端な自己卑下がなぜ生まれたのかは大よそ理解できる。なぜ神経症になり
やすい性格になったのかもね。犯罪や精神疾患に興味を持ったのも自分自身
の問題だからこそなのだ。自分を愛することができないから、決して他人に
愛情を注ぐことができない(というより最終的には自分から破壊してしまう。
419:心理学のプロ
06/11/10 19:22:23
性倒錯を起こす人というより、性倒錯により何かを
沈めようとする人は、抑圧の強い人ということになる。
抑圧といっても、退行的な抑圧(自分の感情を抑えた上に、無意識へ
抑圧するなど。無意識へ送り込むということは、意識されておらず
不安を発生させる)
退行的な行動や精神には、依存と憎悪がたまる。もちろんこれらは
抑圧されている。親への執着から抜け出せていないと言うよりは
親との関係で気づきあげてしまった、抑圧のパターン
無意識へと抑圧するパターンがまだ、続いていると言うことだと思う。
このパターンはしゃれではすまされないし、仕事や年収のように
甘いものでもない。人生を放棄しているのだから。
420:心理学のプロ
06/11/10 23:00:03
問いたい。ナルシズム克服者の利益とは
よく考えることだ
421:心理学初心者
06/11/11 00:46:37
では言い換えよう。
自己不全感が性倒錯への道を開くことがある。永遠に埋まらない何かを、その
代理として性倒錯が生まれる可能性がある。
性倒錯者は幻想を現実のものにしようと倒錯を始めるが、それが幻想である
ことに気付いていない。親あるいは重要な人物との関係が修復されないまま
成長するとサド・マゾや服装倒錯など起こすことがある。
そしてプロ氏のいうように、抑圧するパターンが続いているというわけである。
「失われた感情を求める」ことは患者にとってとても辛いことであり、
治療には相当な勇気がいるのだろう。
422:心理学のプロ
06/11/11 02:00:49
>>421
親との関係が修復されないまま、というのはどうだろうか。
親との関係は修復されることはないと思われる。
親との関係で発達しなかった神経。発達を拒否された神経。
話は変わるが
コンプレックスを、ユングは、感情に彩られた(いろどられた)
心理複合体としている。ある中学生カップルを見ると嫉妬してしまう
というのは、コンプレックスと言える。コンプレックスは
悪いコンプレックスばかりだが
良い感情にいろどられた心理複合体も当然あるはずである。
会話が続かないと言う人は、これが少ないのかもしれない
423:心理学のプロ
06/11/11 02:08:16
性倒錯そのものが、悪いわけではない。その形だけからは
何もわからない。劣等感から生じる性倒錯が問題だと考える。
そして、この種類の劣等感は、偽の劣等感と呼ばれる。
つまり、自分自身で何が劣等か気がつかず、ほかのものに転化してしまい
作り上げた劣等感だから。本ではここで終わりである。
しかし、きわめて健康な人たちが、妄想のような劣等感を
持つわけがないと思われる。やはり、何かが劣等であるからこそ
このような強迫的に追い詰められるのだと思われる
それを、私はある部分が本当に劣等なのだと思う。
精神のある部分が本当に未発達だと思われる。
その証拠に、人間的な感情豊かな人を避けてしまう傾向にある。
やはり、自分の感じ方で生きてこれなかったことが原因だと思われる。
楽しいことが何もない。
何らかの理由で、いまだに子供のように周囲に認められたがっている。
そして、絶望している。
424:心理学のプロ
06/11/11 02:20:22
劣等感の正体
必要以上に食べる人・必要以上に責任を背負いたがる人・必要以上に
劣等感の強い人は、やはり異常だと言わざるを得ない
これらの根源はどこにあるのだろうか。それは、ある部分の神経を
発達させないこと(服従)を美徳としたことに問題があるのではないのだろうか。
人は本当に服従すると、ある人の内面を考えることをやめて
さらに同時に自分の内面を考えることをやめてしまう。
自分自身を無価値だと思っていると、原因を問わず、ナルシズムだと言える
これは、幼児的であり、嫉妬のかたまりであり、新しいことが始められない
フロイトで言えば、子供のままなのだろう
425:心理学のプロ
06/11/11 02:28:07
あらゆるものが、投影されている。
ユングは、抑圧したものは、投影されると説いた。
たとえば、自分に価値がないということを抑圧してしまうと
他人をも無価値にしてしまう。それは当然ではないのだろうか
顔がでかいことをやだなと思っている人が必ずしも
他人の顔がでかいことが嫌ではない。そいつが幸せになると怒るかもしれないが
あえて弱点を抱えた同士のほうがいいと思う場合もある。
しかし、抑圧すると投影されるので、彼は相手を憎む。自分を憎んでいるように。
外界の何もかもが投影・外化されている。無意識のものを意識へあげる
ということは、のろいからの脱却なのかもしれない。
426:心理学のプロ
06/11/11 02:52:03
● 同一化というのは、最大の集中力だと言える。
山にのぼり、その風景を見たとき、いやぁ~、景色は大変すばらしく
これがこうであれがああ見えたよ・・・と言うことができる。誰でも。
ところが、これが山からの風景ではなく、自分のことになると
どうだろうか?説明できるだろうか。
これがある本で、親の権力欲に服従したこどもの内面は分裂すると
解説されていた現象である。具体的には、本来の自分には価値を
持つ必要は無く、ある精神の成長を止めてしまい、表面上のものに
固執すると言うこと。
そうなれば、自分を軽蔑する。自分の感覚を軽蔑する。
そうならば、説明できるわけがない。
こうして、自分が分裂してしまう。同一化できない。
そして、自分が分裂した状態では、ナルシズムの状態では
外界と同一化できない。
ナルシズムを克服していないことを正当化した親は、必ず子供にしがみつく
子供は、同一化の能力を奪われる。
427:心理学のプロ
06/11/12 01:18:10
岸田という人の本に、親の欺瞞性が書いてある。
親の欺瞞性とは、葛藤の正当化・服従の正当化・心理的成長拒否の正当化
とも言える。動機というのは、行動の直接の原因という意味だが
このような無意識に葛藤を抱えてしまっている親が、正義を語ろうが
道徳を語ろうが、知らず知らずのうちに、葛藤から来る不安や嫉妬憎しみ
を解消するための行動になってしまう。
自己執着とは、言ってみれば、いつも自分が・・・何者かに
増大化された他者に見捨てられないかどうか気にしている状態
428:心理学のプロ
06/11/12 01:25:02
● 自己執着こそナルシズムの状態と言える
ナルシズムを克服しない限り、無意識→自己←の流れを変えられず
無意識→自己→意識→自我→ となりにくい。
ナルシストは、実は自分の今までいた環境こそ、安全ではなかった。
恐怖があった。抑圧を強要されたと知らなければならないと思う。
マスローの欲求階段説というのは、ナルシズムを克服しないと実現しずらい。
昔の結婚を考えてみると、それは規則的であり、決まりであった傾向が強い。
今の結婚を考えてみると、それは自己的である場合が多い。
この違いを精神の神経で考えてみると、昔が、精神の成長が必要なかったのに
対して、今の結婚は、精神の成長がないと、その欲求は起こらないと言える
成長というのは、言ってみれば、あることに興味を持っていたが、あることに
それほど興味が無くなる状態と言える。
葛藤を抱えたままだと、そのこと自体に興味があるわけではなく
葛藤を解決するために使ってしまう。
ある本に、ある日突然誰かを好きになれるわけではないと書いてあった。
これこそ、ものごとにある日突然、自己執着者が関心を持てるわけではない
という意味に取れる
429:心理学のプロ
06/11/12 01:36:59
自由に対する誤解
自由とは仕事をしないことでもなく、怠けることでもなく
努力すれば、誰もが成功者になれる世の中の仕組みでもない
自由というのは、自分に由れる主義だと言える。
自分の感じ方・自分の行動を自分で決めていいということで
これを抑圧している人は、他人が自由にしていると嫉妬してしまう。
相手が自由だからという理由で、いろいろ言い訳をつけて攻撃しかねない
フロムは、劣等感の根源を、偽の自己で生きることと解説した。
偽の自己とは、自己を封じたまま、自我に頼る生き方ではないのだろうか。
事実、心理の仕組みとして劣等なのだから、劣等感があっても不思議ではない。
430:心理学のプロ
06/11/12 01:40:53
どうして、劣等感を持つような生き方をしてしまうのか?
ある人はどうして自信を持つ生き方をしているのか?
この平和な日本ならもっと自信を持つ人が多くてもいいのではないか?
すべては、親がそうしてきたように、自分に価値が無いと思うことから始まる
これは、抑圧される。そこで極力自分を出す場面を避けるようになる。
これは、相当危険な行為だと言える。
ある日家に帰り、ふと、唯一自分を出せる、自分ひとりしかいない部屋に行き
ほっとしてしまう。そんなことが多いはずである。
431:心理学のプロ
06/11/12 01:44:46
もし、自分を出す場面を避けるために生きているとしたら
その人の考えは誰が考えたっておかしいはずである
そんなおかしい人の行動を親が見抜けないのはなぜか?
親もまたそのようなことを異常だとは思っていない証拠である
このようなことを、欺瞞性を共有していると言う。
この抑圧で恐ろしいのは、人間嫌いになってしまうということなのかもしれない。
だから、自分にも世の中にも興味が無い。
この自分を出さないための努力は、とどのつまり、生物すべてへの憎悪につながる
何もかも破壊しなければならないという気持ちになって当然ではないのだろうか。
自分を出さないための努力というのは、強迫的な勉強であったり
他人の批判になるかもしれない。これをロロ・メイは
動物園のおりの正当化と言っている。
432:心理学のプロ
06/11/12 01:47:51
気にしすぎの子供に、気にしすぎるのは良くないと言う親の
恐ろしさを考えたい。
欺瞞性というのは、他人を通じて暴かれる。
他人と会うのがいやと言う人は、何か理由をつけているかもしれないが
他人がかがみとなり、自分の何かが刺激されるからではないのだろうか
別に嫌なら嫌でいいのだが、もしその本当の理由を抑圧し
何か別の理由をつけていたら、危険の兆候と言える。
433:心理学のプロ
06/11/12 02:08:18
原因はともかく、自分の欲求を罪悪視し、自分から逃げることを
第一目標とした自殺的な人生を送っている人は
他人を許すことなど決してできないだろう
434:心理学のプロ
06/11/12 02:09:51
自分から逃走したことを意識していない人は
他人にも自分から逃げるように勧める結果となる
そうにもかかわらず、自分は本気で他人に幸福になってほしいと思っていると言う
演技をしている。その演技に自分で気がつかない
435:心理学のプロ
06/11/12 02:18:38
非行に走る子供たちは、非行に走ることで
憎しみを晴らし、自分を取り戻したかったのだろう
では、非行に走ることもできなかった人のその後の人生はどうなるだろうか
このような自由主義において、他人を見たとき、気が狂いそうに
なるのではないのだろうか。
436:心理学のプロ
06/11/12 02:35:35
左翼テロリストが、右翼テロリストが
たいそうな理想を掲げるとき、それは、自分たちのナルシズム性の
維持だということには気がつかない
ある人が、たいそうな目標をかかげるとき、それは、自分のナルシズム性の
維持だということには気がつかない
437:心理学のプロ
06/11/12 11:48:44
抑圧を意識できると、それと同時に痛みや苦痛を引き受けることになる
なぜなら、今までその抑圧と投影のおかげで正常な精神状態を
保てていたのだから、抑圧に気がつくと意識すると
それは辛さ・苦しみ・胸の痛み・不安がじかに発生することになる
しかし、逆にそれが正常だと言える。
438:心理学のプロ
06/11/12 13:32:34
子供は、自分の思い通りにならない状況が続くと
悪魔じみた妄想を抱く
まるでこの世界をコントロールしたいがのごとく
自分の悪すべてを相手に投影し、殺害すれば平和になると思い込んでいる
ただ単に、自分の幼児性を維持したい、正当化したいために
439:心理学のプロ
06/11/12 13:34:10
そうなれば、なぜ自由でなければならないのか、理解できると思われる。
権威主義的な性格構造をもった人たちは、歴史の大罪の罰を
受けざるを得ない。そして自由主義者を憎む。
彼らにとっては、自由主義者が犯罪者に思える。
しかし、凶悪な犯罪を犯すもののすべてが、ナルシズムを抱えているものである。
440:没個性化されたレス↓
06/11/12 13:41:54
親や重要な人物との亀裂を修復できるのは家族療法とかじゃないの?
まぁそりゃあ個人差あるから実際にはそれで修復出来るとは限らないし、
まぁ修復することのほうが困難だと思います。
だから心理療法とかがいいかもしれませんし、それでも駄目ならなんか
なんでもいいからやるしかないよな。本人がそのことで苦しんでいて
治療を受けたいと考えるならね。
441:心理学のプロ
06/11/12 13:45:50
>>440
いや家族療法が何かわからないが、修復は不可能だと思われる。
もともと、修復しようなどと考える親子は、無意識に相当な
問題を抱えており、年老いた両親を変える意味は無いと思われる。
結局は、心理的な負債を抱えた子供がどうするかが問題となる。
修復は形でしかできないと思う。表面上しか。
よく、目撃ドキュンという番組があったけど、そこで
不良だった子供が結婚式などで泣いていたが、それは関係が修復
したというよりは、単に許したに過ぎないと思われる。
どうしても、関係は修復されない。あくまで親から分離できたという
ことでしか解決できないと思われる。
心理療法はもっぱら自分を取り戻すことに重点を置くべきだと思いますが
医者自体が、人格障害の本質を理解しているとは思えません。
442:心理学のプロ
06/11/13 01:22:12
最近いじめの報道が多いと思いますが
自由主義社会では、監視社会にしなければならないと思います。
前に国債の価格変動について知ったので説明したいと思います。
額面100円の国債で、利子が1%だとします。満期までは利子だけ
もらえるもので、途中で売ることもできるものです。
ところが、この国債を持っていて、利子が2%もらえる国債が
出てきたとします。(金利は変動する)
すると、額面100円で1% こっちは100円で 2%の利子がもらえます。
すると、この1%の国債を途中で売ろうとすると、利子を2%引き上げる
つまり、計算はめんどくさいのでしませんが、この1%の利子の国債は
額面の値段を下げて売らなければならないのです。それじゃないと
売れないわけです。
というように、自由主義になった分、利子たる監視強化・罰則強化などを
しなければ、つじつまが合わなくなるわけです
たとえがおかしいですが、そうだと思いませんか?
権威主義から自由主義へと転換していくところに利益があるわけです。
完全に自由主義が理解されると、もはや自由主義からの利益はないでしょう。
443:心理学のプロ
06/11/13 01:25:14
権威主義的構造と自由主義を意識・無意識で表すと以下のようになると
思います。
無意識に権威主義 意識に権威主義(憎しみは国外へと向けられる)
無意識に権威主義 意識に自由主義(憎しみは自分か他人へ向けられる国外含む)
無意識に自由主義 意識に自由主義(憎しみは発生しない)
上記の憎しみとは、葛藤から来る不安によるものです。
最初の権威主義が憎しみを生むのは、人間性否定による
本能によるものだと思います。必ずあります。
444:MOT
06/11/13 10:26:16
質問なんだけど、俺って自分がサドとマゾのどっちなのか知りたいんだ
1からこのスレ何度も読み返したけど、むずかしく全然わからない
俺はガキの頃の思いでがよく思い出せなくて
小学5年と6年の時の担任だった優しい男の先生に出会うまでの記憶が
ほとんどない。残ってるのは嫌な想い出ばっかりで、
4歳くらいの時母親に冷たくされてショック受けた想い出が強烈に残ってる
もともと母親は気性が激しくて、イライラしてる時はためらいなく皮肉を言ってくる
親父は尊敬できる人で、無口な人だけど家族のために働く背中を見て、
俺は親父のそばにいると安心した。親父はあったかい人だ
気がついたら、俺は女が苦手になってた
女をなぜか信用できない
こんなんじゃいけないなと思って、
我慢して女とも付き合ったりした
何年もそんな事を続けたけど、なんだか我慢してただけって感じでだめだった
男友達には、なぜか抵抗がなくて心を開けるし相手も同じに接してくれる
みんな俺のことをいい奴だと言う
俺は男友達や同僚たちの面倒を見てやりたくなったり世話をやいたりするのが好きだ
付き合う女も同じだけど、なんだかどこか心の中でひっかかるものがある
それが何なのかわからない
これは俺の思い出せない子供の頃の記憶と関係あるのか?
おれはサドとマゾどっちなんだろう
445:心理学のプロ
06/11/13 17:27:36
>>444
おそらく、マゾだと思います。どちらかと言えば、マゾ傾向の人が
多いはずです。
結局、あらゆる生活習慣と葛藤から生じてしまう物事の捉え方のズレが
理由無き適応障害の原因ではないかと思います。
446:心理学のプロ
06/11/13 17:36:53
俺は男友達や同僚たちの面倒を見てやりたくなったり世話をやいたりするのが好きだ
付き合う女も同じだけど、なんだかどこか心の中でひっかかるものがある
それが何なのかわからない
>>444
これは一応メサイアコンプレックスとか言われるものですね。
自分が世話を焼いてもらいたいから、周りのみんなに
過剰に世話をしてしまう。だから、どうしても押し付けがましく
なってしまうということがないですか?
これの問題点は、相手を見ていないと言うことです。
→自己← の葛藤を解決するための世話ですから。
それが強すぎると問題が生じると思います。ほどほどならぜんぜん問題ないですが。
447:咀嚼途上者
06/11/13 17:52:31
>>444潜在的には「同性愛」傾向がある気がする。
同性間との親和感(=父親への親和感)が強いから
男同士のものの見方で女性とも接するから
女性への親和感が得られないのではないかな、と。
(ど素人の考えだけどな)
SかMかはたいして問題じゃないような。。。
448:心理学のプロ
06/11/13 18:55:33
所有されて育った子供は、所有されることしかうまくできない
所有した親は所有していないと言う。自由にさせてやったという
しかし、所有されて育った親の自由にさせてやったは、妄言に等しい
その親が自信がないのを抑圧し、高慢に振舞っていたのなら
所有せざるを得ない、何をどうこうしたから・・・問題ないというのは
うそである。一生懸命家族のために仕事をしたと言うが
それが、自分の幼児的な葛藤を満足させるためだったとしたら。
子供は表面上問題がないように思えるが、所有しか知らない
はっきり言えば、素直ではない人間は、相手を所有する傾向が
それだけ強くなる。もちろん、素直に見せかけていることは無駄である
この見せ掛けに固執するのはなぜだろうか。
449:心理学のプロ
06/11/13 18:57:42
たいていの人はみせかけている行動を取っていることに気がつかない
450:心理学のプロ
06/11/13 20:02:41
素直に見せかけている人
素直な人
素直に見せかけていることに自分で気づいていない人
結果的にこれらの人はたいして変わりないように見えるが・・・。
一番下人の苦しみ・病理は気づかれない
451:MOT
06/11/13 21:06:34
>>咀嚼途上者
>>心理学のプロ
二人とも、教えてくれてありがとう
じつは俺は自分じゃサドなんじゃないかと思っていた
あと同性愛の素質は、何度か考えた事があるんだけど
どう転んでも同性愛はむりそうだ
いつも豪快で明るい人間をふるまってるけど、
俺は結構臆病な性格をしてて、保守的な行動とることがおおい
だから友達は同僚にそういう面を見られると意外そうな顔をよくされる
メサイアコンプレックスっていうのか
たまにだけど、親しい奴が寂しそうにしてるのを見ると
物凄くどうにかしてやりたいっていう気持ちになる
それも俺の気持ちの裏返しってことになるんかな?
自分のことを寂しがりやだとは思ってたけど、やっぱりそうだったのかな
みせかけるっていうのは、よくやるよ
もうほとんど常習で、やるのが当たり前になってる
なんでやるのかっていうのはよくわからないけど、自覚してる
というか意識してやることのほうがおおい
たぶん本当の自分を見られたくないのかもしれないと自分じゃ思ってる
たいがい、初対面の人にはものすごく礼儀正しく紳士な人間をふるまって、
仲良くなっていくにつれて少しずつ本性をばらしていくって感じだ
人に心を許すっていうか信用するのにものすごい時間がかかるよ
でも、一度心を許すと依存したくなる気持ちが出てくる
452:MOT
06/11/13 21:23:38
サドだと思ってたのは、
人のことをからかったりするのが好きで、
よくからかってたりしたからなんだ
俺、体がでかくて身長184センチ体重78キロのうえに
顔立ちがいつも怒ってるように見えるらしくて
おまけに声もでかくて(ちょい耳が悪い)低いから
初対面の人は俺に威圧感を感じるみたいで、
それで紳士ぶって知り合って、でも仲良くなったら
隙を見て不真面目な事すると、そいつらは
「え!?意外」みたいな顔するんだけど、それが楽しくて何度もやった
そうやって、楽しみながら少しずつ本性をバラしていくのがいつものやり方だね
まだ知り合って間もない時だと、やっぱり演技してる面が強いから
疲れてて余裕がない時は地がでちゃうね
急な変貌ぶりに驚かれる事もあるよ
こんなかんじで人をからかってたり、
仕事できねえ奴をいじったりしてたからサドなのかと思ってた
453:咀嚼途上者
06/11/13 22:39:56
母親への復讐心 って意味じゃサド気はあるのだろう。
(同性愛ってのは「性的に」という意味ではなく「精神的に」という意味だ)
454:咀嚼途上者
06/11/13 22:52:57
ただ、単に軽くいじめたりからかったりして相手の反応を愉しむのと
実際に性行為の領域においても、
異性を嗜虐の対象として扱うこと との違いをはっきりさせたい、というのも
このスレで、求めている答えのひとつだ。
さらに、性的サディズムと、社会サディズム、そして病的サディズムの間には
差異があるのか、あるいはないのか、
きちんと構造的に知りたいというモチーフもある。
プロ氏がどんどん、拡大していってるように、
サディズム・マゾヒズムの問題は奥が深い。
455:心理学のプロ
06/11/13 22:56:15
問題は意識されない憎しみにある
456:心理学のプロ
06/11/13 22:57:48
いじめにも、2種類あると思われる。
相手を見ているいじめと相手を見ていないいじめ。
相手を見ていないいじめとは、自分の中の意識されない憎しみを
吐き出している。相手を見ているいじめとは、いじめではない。
457:MOT
06/11/13 23:25:33
あ、精神的な同性愛っていうことか
確かに、男友達へのほうが愛があると思うよ
というか女への愛がよくわからないだけかな
性行為は、女を抱くときは、いつも愛情確認のためにするって感じだよ
自分を受け入れて欲しい!とか、そんな思いがある
だから女が拒むとものすごくショックを受ける
女も体調が悪いから断って当然なんだけど、俺は拒絶された気持ちになって
内心かなり落ち込む
強引に力ずくで襲うってことは絶対やらないな
嫌われるのが怖いから
いじめは、相手を見るっていうのがどんなことなのかわからない
からかう相手はたいがい頭の回転がとろそうな、でも憎めない奴ばっかだね
どっちかっていうと誰にも相手にされてなくて寂しそうにしてる奴
そういう奴みてると、ついかまってしまう
458:没個性化されたレス↓
06/11/14 00:15:59
メサイヤコンプレックス=異様に世話を焼くのが好きな人
親(特に母親)との親子関係が根本としてあり、現在社会適応という面、
とくに対人関係における発達が遅延状態にある。
父親の役を演じているような感じがする。
459:心理学初心者
06/11/14 00:24:05
メサイヤコンプレックスは、自分自身の問題を否認したものを他人に
投影させ、彼らの問題を解決させることによって自分自身の問題も
解決したかのように思うことである。
私はその代表的な例で、よく相談サイトとかいって解決しようと
するけれど、私自身の問題は当然解決されないままである。
修復は無理なのか。「生まれ変わっても親子でありたい」みたいなの
は現実にはないのかなぁ。
460:心理学初心者
06/11/14 00:28:57
サディズムがどこへ向かうのかという問題がある。
性的なもの(性的サディズム)、食欲(過食症)、OD、リストカット、
刑法犯犯罪など様々な方向へ向けられる。
461:心理学のプロ
06/11/14 02:19:20
人はどうやってナルシズムを克服していくのだろうか
ナルシズム維持には犠牲者が出る
ナルシズム肯定にも犠牲者が出る
ナルシズム克服にも犠牲者が出るのだろうか
462:没個性化されたレス↓
06/11/14 11:38:21
ん~…
URLリンク(www.yoasobi.co.jp)
463:心理学初心者
06/11/14 16:39:12
さて、我々が誕生した時には、母親がいます。そしてほとんど例外なく
父親がいます。生まれたばかり子供は親や看護師などの専門家たちがあやす
ことによって乳幼児の精神は発達していくしていくものです。身体についても
、母親のおっぱいやミルクを授乳することによって「自分が愛されている」
ということを実感して成長していくといわれています(つまり仮説)。
名古屋大学の教授かなんかが、子供に飲ませるときの親たちの感情や態度
が子供の精神発達に影響を及ぼすのではないかという研究を行っていると
聞いた事があります。つまり、嫌嫌飲ませるのと、自然にあげるのとでは、
子供に与える影響が違ってくる(まぁそれはもっともらしい主張だと思う)
というわけです。
464:心理学初心者
06/11/14 17:25:15
文章がおかしいですね。そこの部分だけスルーして読んでください。
●ナルシズム●
そしてこの乳幼児期の段階を私はナルシズムの段階といっています。
エーリッヒ・フロムの言う「母親からの愛は無条件である」という
言葉は特にそうなのですが、このナルシズムの時期にある程度の愛情
が注がれないと、後に心理的問題や障害を抱えることになることもあ
ります。その中の一つとして性的マゾヒズム・性的サディズムも含ま
れます。
性的SMだけの人の場合は、あまり精神症状というものがないので、
精神科を受診するキッカケというのは中々あるものではありません。
彼ら彼女らは、その性的SMを意識上は良いと思っているからです。
でも性的SMには、少なからず、劣等感や虐待やいじめや親子関係
で亀裂が生じているということなどがあります。だから彼ら彼女らが
無意識層に抑圧している感情を引き出せば自分自身の問題に気付き、
しばらくは辛い現実を見ることになるでしょう。
465:心理学初心者
06/11/14 18:06:14
このようなことから
●執着(愛憎)がそのまま大人になっても無意識層で抱き続けている
ことが、精神病、人格障害、神経症、非行に将来なる可能性を高める
のではないかと思われる●
もちろん、心的外傷を受けた人すべてが精神的な問題や障害を
抱えるわけではない。ただ、そういう人たちはそういうものを克服
できる機会が与えられていたということが多いと思われる。
多少の外傷なら、うまく昇華できればとかね。
我々の人生の出発点である親。その親に拒絶されたり非難されたり
してどうやってまともに生きていけるだろうか。心的外傷となって
抑圧して精神疾患を患うか、行動化して犯罪者になるほかないだろう。
466:心理学初心者
06/11/14 18:42:51
●異性の親が恋愛対象の原型になる●
ということはよくいわれます。それは、親に対する執着があるため
に親と同一化するために親に似た人を好きになることがあります。
健全な恋愛とは、親への執着がなく、同年代の人を自分自身を愛する
ように相手も同じように愛することである。
境界例の人は、よく年上(それも極端に)の人を好きになることが
あります。年上のほうが見捨てられる可能性が低いということもあり
ますが、何よりも「親」と被せることができるので、再び「幻想」の
中へ入り込むことができるから、年上のほうが都合がいいのです。
だから自分に優しくしてくれるなら年齢なんて関係ないと言う人も
いるのです。あくまで「親」の代わりになればよいのですから。
恋愛依存症(共依存、回避依存、ロマンス依存、セックス依存)
というものがありますが、これも親との関連、よくインナーチャイルド
といったりしますが、子供に精神的な問題がある場合、その親も神経症
的な親だったりするのです。
悩んでいる人を見ると救済者願望にとりつかれる共依存者、ロマンスの
においをかぎつけると急激にのめりこむロマンス依存者、愛が深まれば
深まるほど圧迫感から逃げだしたくなる回避依存者、セックスを求めて
不特定多数と関係を持つセックス依存者。
467:没個性化されたレス↓
06/11/14 23:31:17
ちょっとスレ違いだけど
謙遜とマゾの関係が気になる
ブログとか見てると謙虚な言葉の行間に傲慢さがにじみでてたりするけど
そういう正規の謙虚ルートから外れたときに感じるブレって何なんだろう
468:心理学のプロ
06/11/15 02:34:06
その謙虚な態度の動機が問題だと思います。
謙虚なんだから・・・となるわけです。
自我の肥大化を正当化すると、自分は間違っているなどとは決して
思いませんから。自我の肥大化による謙虚さというのは、
自己を抑えているわけで、その葛藤から来る不安や怒りかが上乗せ
されるわけです。ですから自我の肥大化となり、自分は間違っている
などとは夢にも思わず、上乗せされた分だけ攻撃的になるわけです
469:心理学のプロ
06/11/15 06:26:52
一般的に考えられているような愛は存在しない。
もしも、愛の定義があるのなら、それは自分に勝つということ
でしかない。
自分に勝つということは、自分にできることをすることだけじゃない。
自分の影を意識し、折り合いをつけなければならない
影を他人に投げかけてそれを壊せば、自分を保っていられる
他人の中の何かを破壊すれば、自分を保てるのなら、それはナルシズムの
維持のための大義名分に過ぎない
自己限定すれば、自分を落ち着かせることができる
しかし、この自己限定にたどり着くには、一生懸命しなければならない
多少の良い苦痛を引き受け続けて初めて自己限定できる
大金持ちだろうが、総理大臣だろうが、エリートだろうが
医者だろうが、自己を裏切ることはできない
彼らが一番自分が真に努力していたかを知っている
もし、他人に優越するための努力なら、間違った努力と言うことになる
影は自分の中にある
470:心理学のプロ
06/11/15 06:30:04
ナルシストは自分が卑怯者だということにも気づけない
フェミニストが気持ち悪がられるのは、大義名分の裏に隠された
幼稚な思考から来る憎しみが見え隠れしているからだろう。
言葉ではわからない。言葉では表現できないが
そんなことを感じ取っているから、賞賛されないのだろう。
自分の葛藤を静めようとすることから、出たものはコミュニケーションではない
だから、ズレがでる。そのズレは、曇りなき人間には通用しない。
欺瞞性は暴かれる。粉飾決算のあばかれる
471:心理学のプロ
06/11/15 06:33:22
自己執着は、単に心理的な自己を憎悪しているに過ぎない。
だから、自己執着者は自分を気にしていながらも、自分を気遣うことはできない
これを心理的牢獄という。
相手からほめられるのも、相手からけなされるのも嫌いなのは
自己執着しているからである。その分量が強いほど、外界との
相互性を切り離してしまう。
相手からほめられた、まさにそのとき、瞬間的に自己を確認し
いいや、違うという発想になって帰ってくる
人生の傍観者とは、自己執着者のことである
自己執着を抑圧すると、他人が自己執着者ではないという理由で
他人を憎む。それを正当化する理論が山ほど出てくる。
472:心理学のプロ
06/11/15 06:35:38
他人のあらを探してばかりな人は、自分の自己を放棄したからだと
気づかず、他人の中にある他人の自己を批判している
473:心理学のプロ
06/11/15 06:41:00
誰かのために生きると言うとき、自己を放棄して他人にしがみついているだけ
ということがよくある。
欺瞞性を持つものは頼むから死んで欲しい。
欺瞞性ほど汚いものは無い
ナルシズムほど気持ちの悪いものは無い
ある人の本である、昔の。甘えこそ大罪だと。
甘えの正当化ほど見苦しく、気持ち悪いものはない。
甘えの正当化というのは、自分の幼児的な葛藤から来る不安や怒りや嫉妬
を何とかして欲しいということに過ぎない
474:心理学のプロ
06/11/15 06:43:09
その甘えに正義や道徳が作られていく。
それが教育と呼ばれている。
己の欺瞞性を抑圧したものは、他人を欺瞞にしてしまう。
こうして、正と負がひっくり返される。
それにさらに大義名分がつく。こうして意識から排除される。
475:心理学のプロ
06/11/15 06:48:00
最初の葛藤がある。
それが服従である。服従は疑問を挟み込まない。
対立をもたらさない。
信用には疑問がなければなりたたない。
カルト宗教が絶対服従を標榜しているのなら、精神的な殺人である。
彼らは服従によって放棄した自己を、他人の中に見つけるだろう。
そして、それを破壊したくてしょうがなくなるだろう。
暴力団に入ると言うことは、これから反社会的な行為をするという
宣言でもある。ならば、服従はこれから、服従していないものを
破壊する、服従させるまで、という宣言である。
自分に価値が無いと思っていて、それを正当化し
それに大義名分をつけた親は、子供を服従させるだろう
子供も同じように価値が無いと思っていても疑問が挟み込まれない
人生の傍観者には容赦する必要は無い。悪魔に魂を売るとは
服従することである
476:心理学のプロ
06/11/15 07:15:39
自分のナルシズムが、妄想を作り出し
妄想は他人へ映し出される
自分のナルシズムを満たすためにその人を天使に仕立て上げる
同じようにある人へは自分のナルシズムを満たすために
悪に仕立て上げる
477:没個性化されたレス↓
06/11/15 09:04:46
>>468
なるほどです
一膜ラップしただけで攻撃性がまる見えなのか
478:心理学初心者
06/11/15 11:14:11
誰もが、スヌーピーのような、チャーリー・ブラウンのような、ルーシー・
ヴァンペルトのような、ペパーミントのような一面を持っています。
プロ氏は以前、ドラゴンボールで出てくるキャラクターを使って人間心理
を分析していました。
自己執着している人は間違いなく自分を憎み、そして誰かを憎んでいます。
自意識過剰であり、自分が傷ついているのです。しかし本人はそのことに
全く気付いていないのです。カウンセリングで、「理由はわからないけれど
苦しい」と訴える人がいますが、そういう人たちは無意識の中で傷ついた記憶
が現実との葛藤を引き起こしているために、理由もなく苦しんでいるように
感じているのです。
479:凄惨な素人
06/11/15 11:25:44
昨日ふと思い付きで心理学板に寄って、
とっつきやすそうだったこのスレをROMってた者です。
用語とかまだ理解出来ない事は山積みだけど、
自己評価が低いナルシズムは
アイデンティティ・クライシスとほぼ同じって認識でいいのですか?
それともアイデンティティ・クライシスが自己評価を低くさせるのですかね?
480:心理学初心者
06/11/15 11:29:41
サディズムやマゾヒズムが生まれるのは、情緒的精神発達が幼少から
少年時代で途絶え、現実(重要な人物との分離)に適応するために
起こることがあると考えられるのではないか。
だから彼ら彼女らは対人関係において相当限られた特定の人々
としか交流がないか、まったく交流がないかということが少なくない
と思われる。
マゾヒストの場合は、分別のある人よりも自分に刺激を与えてくれる
人を好んだり(無意識に)、サディストの場合は自分が支配できる人
を無意識に選んでいたりするものである(特に恋愛関係において)。
そのほうが自分にとって都合がいいからです。
481:没個性化されたレス↓
06/11/15 17:07:38
>>458
教えてくれてありがとう
俺には正直、心理学はごちゃごちゃしててあまりよくわからなかった
どうもここ読んで、人間の心には色々な仕組みがあるんだなあとだけわかったよ
書いてあるの読んでて心当たりのある事もいくつかあるし、
知り合いにもそんなタイプの奴がいるなあと思う部分もあったけど
まあごちゃごちゃ考えるのは性に合わないから
俺は自分の直感で感じたことに従うよ
どうせマゾでもサドでも全部俺だしな
482:305
06/11/15 19:10:30
個人的な質問ですみません。
先日、小さい頃から親しくしている友人の家族と
久し振りに会ったら、
私が、様々な記憶を失っていることを知りました。
例えば、親に理不尽な叱られ方をしたとか、
親を否定する記憶が一切ありません。
他にも、精神的ショックを受けた事柄を忘れているようなのです。
ナルシシズムを克服するには、そういった記憶をすべて
思い出さなければならないのでしょうか。
483:心理学のプロ
06/11/16 01:45:07
>>482
ナルシシズム克服というのは、とてつもなく困難だと思う
ある人は財産としてそれを自然と克服していると思うし
ある人は流れで克服していると思われる
ナルシシズムというのは、言ってみれば自己執着のこと。
無意識→自己→意識→自我→ 外界(望ましい)
無意識→自己←意識 自我 外界(ナルシシズム)(過剰適応)
無意識→自己→意識→自我← 外界(過小適応)
執着するとはしがみつくような感じだが、実際には、それを
憎んでいる。憎んでいるということすら意識できない
もっと言えば、自己を憎むと同時に他人の自己をまでも憎んでしまうことが
ナルシズム。自分を受け入れるしかない。受け入れるというのは
自己主張すること。どうしてもそれができない
つい、周りに意識しないで合わせてしまうなどをやめることだと思う
そして、自分が好きなことを広げていくことだと思われるが
484:心理学のプロ
06/11/16 01:49:54
たとえば、ある本に自己実現した人の特徴として
~にもかかわらず・・・だと書いてあった。
どうしてもわからなかった。
最近わかった。単に自己が好きなのだと。彼らは自己を増徴させるために
自己を探している。他人の自己を認められる。
彼らは自己が好きなので、他人の自己を認められる
人間好きというのはこういうことだとわかった。
彼らは、外見が悪いにもかかわらず・・・。
485:咀嚼途上者
06/11/16 08:13:02
さて、普通の「性的SM」についても、少し、書いておきたい。
別にSMに限らず、倒錯的な性的快感は、
たんなる物理的刺激に「心理的装飾」がくわわるために、
単なる性行為以上の快感があり、そのため、ハマってしまうのではないか、
ということだ。
その「性的幻想」を与えるのは、サブカルチャーである、というのが
「マゾヒズムの発明」でジョン・K・ノイズが主張していたことだ。
この性的SMの「性的幻想」が消失すれば、
つまり「心理的装飾」が減少すれば、必然的に、それらは
単なる性行為にすぎなくなる。
「痛み」もまた心理的装飾によって、いくらでも感じ方が代わってくる。
あるM男性のブログに、嫉妬と悲しみのあまり、
「一本鞭」の痛みもまったく感じずに泣き通していた話があった。
「痛みの装飾」というのは「痛み」について書かれた
ブルーバックスにもでてきた言葉だ。
経験的にも、怒りのあまり、喧嘩中に足指の爪が剥がれたことすら
気がつかなかったことがある。
一般的には性的な刺激と結びつけられないことでも
これに「心理的装飾」が加われば、性的快感化する。
これがフーコーが言っていた(>>267)
[ 身体の意外な部分を用いて―身体のエロス化―得られる
新たな快感の可能性の発明] の仕組みだと思う。
こういう 基本的なことも
このスレで 言われておくべき だと思うので、今更ながら書いておく。
486:没個性化されたレス↓
06/11/16 09:30:32
苦痛 トランス状態 快感
487:心理学のプロ
06/11/16 21:14:59
妄想・性的倒錯・異常行動・浅はかな考え・くせ
葛藤から来る不安などの負の感情をなんとかしようとするために
作り出されたもの
488:咀嚼途上者
06/11/16 21:22:37
たとえば、「愛」ですら「心理的装飾」に含めて考えている。
レイプで勃起する、という事自体が不思議でたまらない、と
吉本は言っていた。
風俗じゃ勃たない、という男性もいる。
その中に、倒錯的な「装飾」もある、ということ。
489:咀嚼途上者
06/11/16 21:26:11
こういった「装飾」は意識的につくれるものではない。
当然、親との関係の中で、無意識が受け入れるものと
まったく受け付けないものがあるだろう。
490:咀嚼途上者
06/11/16 21:31:22
>>488 「その中に」→「そのようないろんな心理的装飾の中に」
無意識が受けいれる、という言い方がおかしければ
自己と言い換えてもいい。
491:咀嚼途上者
06/11/16 21:38:21
>>486
苦痛を受け入れる、という段階に心理的装飾がある。
トランス状態、脳内麻薬物質の放出、快感というのは、その後の仕組み。
「苦痛 トランス状態 快感」というのは、そうだろうと思う。
492:咀嚼途上者
06/11/16 21:50:37
>>487 「妄想」は「心理的装飾」のなかのひとつ。
したがって、妄想と性的倒錯は横並びの並列ではなく
構造的な関係にある、と考える。
493:咀嚼途上者
06/11/16 21:59:26
>>492追加。
あぁ、この心理的装飾はあくまで「性的」倒錯に対するもので、
君のように、一般論の範疇で、性的倒錯を並列的に扱うこととは違うね。
そこは、混同してはいけなかった。
あくまで、病的サディズム・マゾヒズム と そうでないSMとの境界があるやいなや
というモチーフでの、考え方として、「心理的装飾」をいった。
すこし、君が並列的に並べたことと、ズレがあった。 訂正はしないが。
494:没個性化されたレス↓
06/11/16 22:22:02
トラウマ 忘却 葛藤 妄想 心理的装飾 異常行動
495:305
06/11/16 23:46:00
>>心理学のプロさん
レスありがとうございます。
無意識の思考回路を正すのは、確かに
とても難しそうです。
ですが、それでも、私が成長するのなら…。
牢獄から脱出できるのなら。
好きなもの、とは、自己を自ら肯定し
己自身のための努力をすることですよね?
「~にもかかわらず」
突き刺さる言葉です。
欠点すらも愛さなければならないのですね。
496:心理学のプロ
06/11/16 23:58:13
>>495
逆だと思います。欠点を彼らは好きではありません。
なのに、~にもかかわらずとなるのは
やはり、何か別の力を分けてくれるものがあるのでしょう
それが自己実現だと思います
自己実現とは単に自己に執着するのをやめることだと思います。
本当に自分が自分のままで自分の好きなことがあれば
その分だけ自分の嫉妬が消えるはずです
497:心理学のプロ
06/11/16 23:59:37
形でものごとを決めない、ということが自己成長を促すと思います
498:心理学初心者
06/11/17 00:22:19
まぁ依存症みたいなもんだな。
499:咀嚼途上者
06/11/17 03:12:25
>>494 そう、そしてさらに
異常行動→残像→心理的装飾の拡充→異常行動………
というスパイラルが反復される。
500:305
06/11/17 12:57:56
>>496 >>497
欠点以上に好きなものがあれば良いのですね。
理解出来ました。
ありがとうございます。
あと、質問ばかりで申し訳無いのですが…
形にとらわれない、というのはどういうことでしょう。
強迫的な目標・理想を目指さないことですか?
501:心理学のプロ
06/11/17 15:21:50
>>500
単に他人に嫌われるために言ったのかどうかはっきりさせて
それだったらなるべく少なくするとかじゃないの
強迫的になるのは、劣等感が強いかららしい
そして、劣等感が強い理由として、自己否定などがある。
自己否定はほとんど無意味。嘘の自己否定だから
自己が行なったことを否定するならいいかもしれないが
自己そのものを否定している人がいる
502:心理学のプロ
06/11/17 18:37:10
自己否定というと、自分を否定することだと思いがちだが
自己そのものを否定するということと考えると
自己否定の無意味さがわかる
たいていの人は、責任を考えず、自己そのものを否定して
なりたたせようとしている。これは責任放棄に過ぎない
責任を引き受けると損だと思い込んでいる
事実は逆なのに。
自己否定の文化では、自己表現ができるわけがない
水の中で生きられないのと同じように
腹が減っているのに、物を食べないことでそれを克服しようとしているように
無意識ー自己ー意識ー自我ー外界
503:心理学のプロ
06/11/17 23:06:33
物事を形で決めてしまうのはなぜか?
私たちは、パソコンを買うときは、形で見ていませんよね?
形も内容も見ているはずです。
なのに、人間の・・・ある部分になるとどうして形で見てしまうのか?
そこに服従と呼ばれるものがあると思います。
自己否定すると自我を疑わなくなる。
まさに物を人間とみて、人間を物と見るのはなぜか?
そこに服従がある。幼少期に誰かの真似をしてしまい
そのパターンを続けているのが自己執着者。
彼らが遠まわしな言い方しかできないのはなぜか?
自己を確認して自己否定・自己憎悪・自己逃避してから
回答が帰ってくるからである。一瞬自分の自己を確認している
そして、あのような言い方になるのである
自分の自己はだめなので・・・。彼らは自己が出てくる機会を避ける
ある人は自己がでてくる機会を望む
これほどの二極かはない。
504:心理学のプロ
06/11/17 23:08:56
そのような生活態度では、決まりきった行動しかしない。
そして、努力がすべて復讐的になる。
彼らは自己に価値が無いと思い、自己を否定し続けるために努力する
結果、優劣で人間関係を気づこうとする。彼らが意識していまいと
この努力は強迫的になる。たいてい意識できない。防衛機制は
つまり抑圧などは無意識に近いところにあり気がつかない
ひねくれたもの、高慢なもの、内向的なもの、演技性のものは
自己を否定したロボットに過ぎない
自己がなければなにがあるのだろうか?そこには従属しか残されていない
思い出して欲しい、誰かに従属していたとき安心していたことを
505:心理学のプロ
06/11/17 23:10:39
自己執着のセックスは、当然のことながら、法律には触れないが
すべて強姦である、すべて性欲である。すべて己の幼児性を
維持するための糧とするための、搾取的なものである
そして、この強姦を正当化したのが、淫行条例である
権威主義者は、自分たちを清いと思っているだろうが
彼らは強姦しかできない。
506:心理学のプロ
06/11/17 23:13:19
自己を否定し、憎んでいる自己執着者が
相手の自己を尊重することは無い
だから、彼らの努力は自己を否定する努力なのである
そして、自己を尊重している人を憎む。人間的な人の自己を憎む。
彼らなりの正義や道徳を
つけて。凶悪犯罪者の多くが自己執着者にもかかわらず
507:心理学のプロ
06/11/17 23:44:19
ある人は相手に天使のレッテルを貼る
単に相手を拘束しているだけである
相手をおりに閉じ込めただけなのに
そのことに気がつかない
幼児性とはこういうことである
それでいて天使でなかったのなら、相手とその天使を連れて行ったものを
憎む
これでは甘えが殺人より恐ろしいと呼ばれても当然である
自己否定者・自己放棄者・自己憎悪者は原因はいろいろあり
本人も意識できずに、かわいそうだと思うが
悪魔と同じなのである
508:心理学のプロ
06/11/17 23:49:30
自己否定者・自己執着・・・つまり服従・退行を
正当化したものは、嫉妬深くなる
自己が成長していないのだから、嫉妬のレベルは子供のままだといえる
過剰な競争意識はそこにある。彼らは自然に協力してやっていくことが
楽しいとは思えない
人間関係がストレスになる人は、自分を隠すことに終始努力している
まだ、親との関係を続けているともいえるが、これは
巧妙な意識されないうえに正当化された虐待の証拠でもある。
509:心理学のプロ
06/11/17 23:51:28
基本的な精神のストレスは、自己実現できないことによる
ストレスである。しかし、自分を隠しておいて自己表現などは
できない。そこでマニュアルや規則に従おうとする
しかし、一見して同じように物事に取り組んでいる人たちに見えるが
そこには、恐ろしいまでの違いがある。まるで逆の目的で取り組んでいる
ことになる。
510:心理学のプロ
06/11/17 23:53:16
こう考えると自信がある・ないというのも、気のせいではなく
自己の成長にかかわっているともいえる
自己執着者は次々と自己の成長の機会を失う
自信が無い人は、原因はともかく、ずるがしこい生き方をしてきた証拠
なのである。自信がありすぎる人も、自信がないことを隠しているに
過ぎない。双方自信がある人を憎んでいる
511:心理学のプロ
06/11/17 23:55:20
そして、この自信が無いことを何かで正当化している人は
巧妙な虐待により自分を正当化することに熱心になってしまう
子供は規則でしか生きられないようになる
昔と違い、この選択社会が彼らには重荷になる。
彼らはあらゆる利益を取れない。子供がわめくように
道徳や正義に違反するとして利益者を憎む。
512:心理学のプロ
06/11/17 23:59:21
結局、人格障害とは、自己否定が自己の未熟さを
カバーするような形で出てきた、彼らなりの規則に過ぎない
覆い隠す正当化された演技でしかない
それが献身性を装っていても、彼らのこころのなかは犯罪者と
同じである。当然罪人には罰が下る。自然と下される
513:心理学のプロ
06/11/18 00:12:29
最近のいじめ報道は、まさにいじめの本質を隠すために
報道しているとしか思えない
いじめられる側の特徴として、自己放棄者があげられる
彼らは理不尽な関係でしか、相手と関係が気づけない
そして、いじめられることを望んでいる
復讐と立場逆転の契約が同時になされているが
514:没個性化されたレス↓
06/11/19 19:56:14
>>461
人間はナルチシズムを克服する事はできないでしょう。
人間は誰であっても、ナルチシズムを克服することはないでしょう。
そして多分、ナルチシズムを克服した人間は今までにも一人もいないでしょう。
そもそも人間の自我は、ナルチシズムを基盤にしているのではないかと思いますが。
ナルチシズムは妄想であるけれどもそれがなければ自我が存続できないような
そんなモノではないでしょうか。
515:心理学のプロ
06/11/20 03:10:47
>>514
そうかもしれない。克服は良く考えると不可能かもしれない
自分を投げ出し、何かに執着ではなくて集中しているときしか
だめなのかもしれない。何かに執着が依存で
集中が同一化なのかもしれない
516:心理学のプロ
06/11/20 03:13:12
間違っていた。克服なんてあるわけがなかった
ある日飯を食わなくてもいいようになることはできない。
それと同じようにナルシシズムも克服できないのかもしれない
517:咀嚼途上者
06/11/20 04:08:41
う~ん…w
どうもナルシズムの話が見えない。w
URLリンク(yukitachi.cool.ne.jp)
『ちょっと「ナルシシズム」の意味について、整理してみましょう。
1.「自己愛」として、自分自身を大切にすること
2.「自尊心(プライド)」の代わりとしての使い方
3.神経症的心理としての「ナルシシズム」
4.精神分析や心理学で使われる発達段階としての「自己性愛」
結局、この4つの使い方が混在しているので、ややこしくなっているのでしょうね。』
心理学初心者氏が、4、の意味で云ったのはわかる。
プロ氏 514氏同士は話が通じてるようだが(305氏も)
おたくらのいってるのは 「1~4」 のどれなんだ?
混在したまま、同じ言葉を使い分けてるように見えるのだが。。。
(ま、ムリに答えてもらわなくてもいいがね。。)
518:心理学のプロ
06/11/20 06:05:59
>>517
要するに自己執着から外界へと興味を移せない状態のことです。
隠された虐待・欺瞞性の共有・服従・牢獄・真の孤独・というのも同じ意味だと思います
よく、ネガティブな人は、もっと外へ興味を寄せるべきだとか
言われますが、ネガティブな人は自分への・・・もっと正確に言えば
自己への執着をやめることができないのだと思います。
自己への執着とは、自己への憎しみです。
人は憎しみの対象から離れることは難しい
しかし、愛着というのは、離れることが容易だと言われています。
ここに親との不健康な関係を理由にあげている人もいます。
自分を憎みすぎている状態がナルシシズムだと思います。
そして、それは何の意味もないことだとよく考えればわかるはずです
519:心理学のプロ
06/11/20 06:07:42
>>517
要するに自己愛ならば、離れることができますが
自己執着からは離れられません。
ナルシストというのは、自分を憎んでいます。
世間一般のナルシシズムの意味は間違いです。
よく、ナルシストは傷つきやすいと言われていますが
自己執着しているから傷つきやすく素直になれないといわれています
そして、その通りだと思います
520:咀嚼途上者
06/11/20 07:06:46
>.>517 にあげたURLでは、
3の神経症的心理としてのナルシズムを以下のように説明している。
だいたい「プロ」氏の使ってる意味と同じに見える。 それでいいだろうか。
※
「ナルシシズム」の原因は、「抑圧」から発生する「無意識の葛藤」です。
「無意識の葛藤」があると、絶えず不安に悩まされます。
その不安のために、自分自身の存在に自信が持てません。
自信がないと、自分がなにをしたいのか、なにが欲しいのか、
なにが自分にとって価値があるのか、
判断することができません。心はいつも空虚なままです。
必然的に、自分自身の価値基準をまわりの人に求めるようになります。
まわりの人が価値あると認めるようなものが、自分にとっても価値あるものだ、
と思いこむわけですね。
そして、まわりの人の尊敬や賞賛を得るような自分自身になることが、
一番大切だと感じるようになります。
これが「ナルシシストの価値基準」です。
[言い換えれば、まわりの人の目を通して見た自分自身の姿にほかなりません。
つまり、まわりの人の目という「鏡」に映った自分の姿になるわけです。
その姿は、周囲の人の尊敬や称賛を得るという目的のためだけに存在します。
だからこそ、ナルシシストにとって一番価値あるものであり、「愛する対象」なのです。
521:咀嚼途上者
06/11/20 07:09:18
URLリンク(yukitachi.cool.ne.jp)
からの引用。 続き。
※
「ナルシシズム」の原因としての「無意識的な葛藤」というのは、
自己否定や自己嫌悪の「抑圧」です。
「ナルシシズム」の場合は、その自己否定や自己嫌悪をより強く「抑圧」するために、
「反動形成」が行われます。つまり、自分自身を「過大評価」するわけですね。
もちろん、「反動形成としての過大評価」なので、不自然な形で「強迫的」になって現れます。
いつでも「自分は特別な存在である」と思い続ける必要があるわけです。
そうしていないと、不安になってしまうからです。
この「自分は特別な存在である」というときの「自分」は、現実の自分ではありません。
「鏡に映った自分の姿」のことです。
では、現実の自分はどこでしょう。
それが、自己否定や自己嫌悪の対象となっている自分のことなのです。
「自分は特別な存在である」と思い続けるためには、
まわりの人が自分を特別扱いし続けてくれることが必要になります。
「ナルシシスト」の一番困るところは、このように、
自分の「神経症的思いこみ」のために、まわりの人を巻き込むところです。
これほど、迷惑なことはありません。
「ナルシシスト」にとって、まわりの人は、
自分に尊敬や賞賛を与えるためだけに存在しているようなものです。
世の中のすべては、自分を中心に回っています。
自分を特別扱いしないような人間は、間違っていると感じています。
※
ま、直るもんなら直って欲しいタイプではあるな。w
522:咀嚼途上者
06/11/20 07:17:51
※
「ナルシシスト」は、まわりの人の尊敬や称賛を受けるためなら、
多少卑劣なことでも平気でします。
そもそも、まわりの人は、自分を尊敬したり賞賛したりするためだけの存在なので、
それをしない人は、その存在さえ、認めようとはしないのです。
※
以前「心理学初心者」氏がちらっとふれていた「自己愛性格障害」(>>205-206)
を思い出したが。
523:咀嚼途上者
06/11/20 07:21:45
最近、誤字脱字は放置してるんだが、これは誤解を招くので訂正しとく。
「自己愛性格 傷害」ではなく「自己愛性 人格傷害」だ。
524:咀嚼途上者
06/11/20 07:23:02
…傷害 → 障害 …
525:えす
06/11/20 17:11:34
一度「私」というフィルターを通してから「あなた」を見る
&
一度「あなた」というフィルターを通してから「私」を見る
これってエスエムじゃん
526:305
06/11/20 19:03:45
ナルシシズムを克服するのは、無理なようですね。
(私がナルシシズムと言っているのは自己執着)
確かに、息をするのと同じような感覚です。
『あなたのフィルターを通してわたしを見る』
混乱してきました…。
527:514
06/11/20 19:37:37
完全なナルチシズムというのは、自分は全知全能であってこの世界にあまねく遍在している
(=世界と一体化している)状態だと思うのですが、どうでしょうか。
自分が神であり、全知全能で、世界と一体となっている状態、すなわち「私=世界」の状態
ではないでしょうか。
そして、人間は人生の始めにそういう状態にいたと想像されます。
生まれたばかり、あるいは生まれる前の人間は、当然ながら自分の知らない事が在る事を知らず、
自分のできない事が在ることを知らず、世界の中に自分以外の存在があることも知らず、すべてが
自分でありそれが世界のすべてである状態・・・全知全能にして世界そのものである状態・・・
そういう状態にいたと考えられます。
人間は始め、主観的に全知全能で「私=世界」である世界にいました。
しかし、実際には何も出来ないし何も知らない(無知無能)状態で自力で生きていく事もできません。
ですから、人間が初めに抱く全知全能感は妄想です。
人間は人生の初めに全知全能妄想を抱くのです。この全知全能妄想を抱いている時代が
1次的ナルチシズムの時代とでも呼べる時代だと考えます。
そのうち、運動・感覚器官が発達するにつれ、現実の存在を知るようになります。
世界のすべてが自分と一体となっていた筈なのに、その一部が次々と離反していき自分ならざるものが
現われてきます。そして、知能が発達してくるに従って、自分の外部に「現実」という或るまとまった意味を
もつ構造が形づくられて行きます。
その間、全知全能妄想は裏切られ続け、失意と憎しみのうちに、だんだんと現実を思い知らされて行くのです。
しかし、全知全能妄想はなくなる訳ではなく、その後も、自我の基盤の一部として生き続けるのではないかと
想像します。そして、この全知全能妄想がナルチシズムの正体ではないかと思っています。
528:514
06/11/20 19:40:32
>>527 の文は >>517 を受けて、自分なりに思う事を書いてみました。
全体の流れからは浮いてしまっているかもしれませんがご容赦ください。
529:心理学のプロ
06/11/21 01:00:32
防衛機制も関係していると思う
心理的ショックを受けすぎないため意外にも
自己同一性を保つような性質があると思う
530:心理学のプロ
06/11/21 01:09:39
曇りなき眼で、物事を見定めればのろいは解けるという
これは、もののけ姫で誰かが言ってたことだが
呪いとはなんだろうか。
曇りなき眼とは、自己執着から脱出できたものの見方だと思う
呪いというのは、嫉妬心だとか幼児的なことから来るものだと思う
自分を保つためにどれだけの人を悪人にして、馬鹿にしてきたことか
呪いから開放されると言うことは、嫉妬から憎しみから開放されるという
ことだと思われる。嫉妬をやめるには、嫉妬を意識しないことではなく
嫉妬しないように自分が自分でいいという考えが必要なのだと思った
531:心理学のプロ
06/11/21 01:12:12
たたら場における対立に憎しみが、無意識にあり
意識には、人里はなれた隠れた村で暮らすアシタカ
無意識からの使いとして、たたり神が接近してくる
アシタカは、村を守るために・・・つまりは、自分の自我を守るために
たたり神を倒すが、憎しみを受けてしまう。
無意識から来た心理エネルギーを抑圧しきれなかった意識は
自己を通しその解決を図った
見事無意識の憎しみは消え、自己は実現される
532:咀嚼途上者
06/11/21 06:55:41
心理学用語ではないが、
「即自」と「対自」
という概念の重要性を、何度でも言っておきたい。
「即自」とは、自分であることそのものでしかないこと。
自己と自我の分離がなく、「理」のない状態。
「対自」とは、自分を対象化して距離を作れる、
いうなれば、自分から離れた自分が存在する状態。
自己と自我の分離ができている状態。
意識が即自的ある限り、その者は考えることができず、
「行動」することしかできない。
「考える」ことは、「思う」ことや「悩む」こととは全くちがう。
533:咀嚼途上者
06/11/21 06:58:02
3の意味におけるナルシズムでは
私は「あなた」のフィルターではなく
「あなた方」のフィルターを通している。
「あなた」と別の「あなた」の間の区別はついていない。
ただ、のべたらに「あなた方」という観衆がいるだけではないだろうか。
534:咀嚼途上者
06/11/21 07:01:47
つまり、
私だけがいる世界ではなく、
個々の他者の区別がない
「世界」と「私」だけがある。
乳児の世界は違うと思う。
そこには絶対的な「母親」がいる。
母親だけが世界だが、その母親は「あなた方」ではなく
まちがいなく「あなた」だ。
535:咀嚼途上者
06/11/21 07:13:03
以前、「素人」氏が、乳児期の母親との関係を、
絶対的支配と被支配の関係としてマゾヒズムの原像をそこに求めた時、
俺は、「母子未分化」という言葉で、違和を述べた。
その延長で言うなら、
乳児の「わたし」と母親の「あなた」の関係は
「わたし=あなた」という、まさに人生で一度きりしかおこらない状態にある。
すくなくとも胎・乳児である「わたし」にとって、
「あなた(母親)」は、絶対的に「わたし」をつつみこんでいる。
物理的に「わたし」は「あなた」がいなければ、死んでしまうのだから。
仮にその「あなた」が人間でなく狼であったとしても、
「あなた」がいることによって、「わたし」は生存することができる。
これは、ま、3ではなく、4(発達段階での自己性愛)のナルシズムだけど。
536:咀嚼途上者
06/11/21 07:18:08
むりやり、これを自己執着にむすびつけてみれば、
胎・乳児期に、絶対的な「あなた」に十分つつまれなかったことで、
「あなた」の不足を、「わたし自身」で補ったために、
その後の、肛門期での離脱が、ゆがんでしまった、とも考えられる。
(言っておくがこれらは、完全に門外漢の、素人的な論理と思ってもらいたい)
537:咀嚼途上者
06/11/21 07:19:59
この
余分な「わたし」
をむち打たれ、あるいは否定されることで
本来の「わたし」の部分だけに戻りたいのが
マゾヒズムかもしれない。
538:咀嚼途上者
06/11/21 07:24:25
だが それが「ニセの自分」で
どれが「本来の自分」jか、
幼児の段階で無意識につくられた「わたし」を
明確に分けることはむずかしいため、
まるごと自分を放棄して、服従に任せて
「わたし」全部を「あなた」に所有してもらいたい、というのが
「心理的SM」 かもしれない。
これは、プレイとしての性的SMというフィルターを通すことがあっても、
即、プレイとしてのSMと、同一ではない。
主従SM と 虐待系SMとの違い。
539:咀嚼途上者
06/11/21 07:25:50
あるいは主従関係願望と苦痛願望との濃度差。
540:咀嚼途上者
06/11/21 09:30:44
(久しぶりに連投規制にひっかかった)
「復讐」としてのサディズムとは
「あなた」への復讐。
とすれば、そこにあったのは、余分な
「あなた」をむち打ちたいのだろう。
541:514
06/11/23 18:20:04
>>534
>乳児の世界は違うと思う。
>そこには絶対的な「母親」がいる。
>母親だけが世界だが、その母親は「あなた方」ではなく
>まちがいなく「あなた」だ。
母親との世界以前に、まず1次的ナルチシズムの状態があるのではないでしょうか。
次第に現実を知り、全知全能の妄想の世界が崩れた後に登場するのが母親との世界だと思います。
このときの乳幼児の世界は、全能の母親と無能な私の2人だけの世界だというのは
その通りだと思いますが。
542:心理学のプロ
06/11/24 06:12:39
ナルシシズムだと個性が無いと私は思う。
個性と見せかけの違いは、現実と妄想ぐらいの差があると思う
個性とは、ある対象に対しての感じ方の違いに過ぎない。
見せかけの個性とはナルシシズムであり、自分の葛藤を反映しているに
過ぎない。
個性とは極めて、細かいものであると思う。
あることが好きな人は、ずいぶん細かいところまで見ているな
というが、そういうことだと思う。
見せ掛けナルシシズム的な好きというのは、自分の葛藤からくる
負の感情を抑えるために用意されたいけにえに過ぎない
543:心理学初心者
06/11/24 13:30:00
自己開示が苦手な人やネガティブ志向の人は自己執着者なのか?
544:心理学のプロ
06/11/24 13:35:06
そうだと思います。
それ以外の理由があるでしょうか?
545:没個性化されたレス↓
06/11/24 13:37:20
生まれ持った性格みたいなものはないの?
546:心理学のプロ
06/11/24 13:44:14
あるとは思いますが、それは元から異常ではない限り
細かい違いしかないはずです
精神に大きな差があるのは、元からの性格と
思われている点が原因ではないのかと思います
547:没個性化されたレス↓
06/11/24 13:53:34
元々ある自分と、現実にある自分との乖離度が大きければ大きいほど重症
とはよくいうが?
548:心理学のプロ
06/11/25 05:10:18
もともとある自分は自分だと思います
現実ではない自分が大きくなるとそれだけ元の自分はないがしろにされます
では、なぜもとの自分がないがしろにされるのかが非常に重要な
点ですね
549:心理学のプロ
06/11/25 05:14:34
元の自分をないがしろにしてしまい、妄想の自分が大きくなるのは
劣等感からです。この種類の劣等感が偽の劣等感と言われる物です
たいていの人が偽の劣等感を抱えています
偽の劣等感とは、服従・見せかけの自己・欺瞞性の共有・偽の自己・自己執着
擬似成長・・・言葉は違えど、このような形で起こります。
これはたいていは、両親との関係などで、自分(自己)を
憎むことから始まります。
自己を憎めば規範に従うしかなく、極度の依存性を併発します。
決まりきった行動しかしなくなり、異常な自分だけの決まりを作ります。
自閉症のドラマをみているでしょうか?他人の気持ちがわからない
というふうに見えますが、それは言ってみれば、自分の気持ちがわからない
ということです。他人を動かすことも、他人の気持ちを感じることも
どうやら、人間には、できないようです。つまり
他人の気持ちをわかる能力というのは、もっぱら自分の能力に
かかわってくるということです。
550:心理学のプロ
06/11/25 05:19:24
偽の自己などは、単に自分を抑えるための決まりに過ぎないということです。
偽の罪悪感というのを説明します。
偽の罪悪感は、退行の肯定や成長の不安・正当化などにより
起こります。自分が罪悪感を感じているとき、それは何かを裏切るような
感じではありませんか?本当の罪悪感とは、過ちを建設的な努力へ
向けることです。つまり、嘘の罪悪感に変化はありません。
ただ、自分を自分で悲しんでいるだけです。つまり自分を守っているに
過ぎないということです。
心理的防衛機制には、自己保存性があると思います。
これが決まりきった行動を取らせてしまうのだと思います。
それを打ち破るには、苦痛や痛みを引き受けなければならないと思います
勇気のある人間とは心の痛みを自分から排除する人間でしょうか?
心の痛みを直視してこそ、勇気ではないのでしょうか。
そして、それでこそ、正常と異常がわかるのです。
551:心理学のプロ
06/11/25 05:24:47
ここで、自分というものは、何であるのか心理学的に説明します
● ひとつの空間にボールがひとつあったとします
そして、いろんな人にボールで実験してもらったとします
ある人はボールを投げたりするでしょう。ある人はボールのうえに
座るとします。これが個性であり心理的な自分です。
このように個性というものは、対象物を通した細かい違いでしかないのです。
では、ある人がボールに触らないとしたら、ボールで異常な
遊びをしたとしたらどうでしょうか?彼の心理にはなにが
それを邪魔しているのでしょうか。
ボールを映画にしてもいいです。ある人は寝ていないのに
映画の内容を、作者を覚えていません。記憶力が悪いのでしょうか?
そうでなければ、心理的になにが問題となるのか
これこそ、自己執着がなせるわざです。彼は映画を見ている最中でも
自分の自己を抑えていた。自分を気にしていた
フロイトは幼児の体験をその後も繰り返すといいますがその通りだと思います
これこそ、心理的な負債なのです
552:心理学のプロ
06/11/25 05:28:11
個性やアイデンティティは、ある対象物を通した細かい違いでしか
ないのです。そしてその対象物の変化とともに自分の中にも変化が起きます
相互性です。
相互性を切り離してしまうのは、自己を抑えるからです
つまり周りの規範に従いすぎたとき、その個性は消失する
変化しないわけです。
結果、同じような結果でもまったく違うんだなとわかるはずです。
553:心理学のプロ
06/11/25 05:31:08
自分を憎むことからすべては始まる
彼は絶えず自己放棄を自ら行なっていく
だから、疑いもしない
自己憎悪に立ち向かった人と自己憎悪を肯定している人の
違いは歴然です。すんでいる世界が違います。
554:心理学のプロ
06/11/25 05:35:52
ある人がいつまでたっても、パソコンがうまくならない
としたならば、なにが原因なのだろうか
いたって健康な人が。
このパソコンを人付き合いでも何でも置き換えてみて欲しい
さあ、なぜか。
555:心理学初心者
06/11/25 18:50:34
パソコンを嫌っているのと同時に、そういう自分が嫌で憎んでいるってこと
か?
556:心理学初心者
06/11/25 18:53:23
知能指数は普通なのに学校の成績はまったく駄目っていう人もいるよな。
そういう人も自己執着が関係してるんだろうな。あるいは学習障害かなにか
か。
557:心理学初心者
06/11/26 00:16:12
まぁパソコンのことよりも自分自身のことが気になっているんだろうな。
本人が意識しているかどうか知らないがな。
犯罪者は、確かに自己執着者だな。
神経症~人格障害~精神病者もそうだろう。
558:心理学初心者
06/11/26 00:28:50
極端な劣等感や被害感などが幼少の頃からそのまま昇華されることなく、
成人へと向かった場合に精神的な問題を抱えやすくなるのかな。
サディズムは復讐と私は言うが、その復讐というのは自分に対しても親や
重要な人物に対しての復讐である。自分に対する復讐というと変な言い方
かもしれないが、自分自身が憎いからできることなんじゃないかなと思い
はじめた。少なくとも、異常犯罪者(強姦殺人犯など)は自分を憎んでいる。
性的サド・マゾでも同様ではないか。自分を憎んでいるからできる行為
だと思う。
そして彼らはまた、自己の過小評価が見られる。自分のことを正当に
評価していない人たちである。それは自己執着によって正当な評価が
できなくなっているからである。
559:心理学のプロ
06/11/26 06:24:36
いや、自己憎悪とともに、他人の自己をも憎んでしまっている
そして、それを何かで正当化してしまう
その正当化ができなくなったときに、つまり見せかけられなくなったときに
おかしくなるのではないのだろうか
560:心理学初心者
06/11/26 08:20:45
●自己正当化●
人間は、自分に都合のいいように解釈するクセがあるようです。
例えば、野球でボールが取れなった理由(言い訳)を他のもののせいにした
り、試験で思ったほど点数が取れなかったときの理由をテレビ番組のせいに
したりと、人は自分にとって不快なことが起きた時に、現実を否認するため
に自分に嘘を付くことがあります。これを自己正当化といいますね。
プロ氏はよく劣等感の話をしますが、私はその劣等感について思うことが
あります。幼少の頃から児童期にかけて、極端な劣等感や絶望感を抱えてい
た人が自己正当化するために(プロ氏のいう)「偽の自己」を繰り出す
(分裂機制)ことによって防衛しようとすることがある。
例えば、「自分なんか生まれてこなければ良かった」みたいなことをずっと
自己の中に留めておくと苦しいので、そういう自分とは別に偽の自分を作り
だすことによってひとまず危機を回避しようとする(極端な場合は解離性同
一性障害になるかもしれない)。
しかし偽の自分と元の自分とが乖離したままの状態でも苦しい状態に陥る。
自己を偽ろうとする行為によって自己は傷つき、元の自分を見つめながら
現実にある自分を受容しなければならないという葛藤が生み出され、
おかしくなるのではないか。
561:心理学初心者
06/11/26 09:25:43
●劣等感・絶望感●
性倒錯、とりわけ性的サディズムと性的マゾヒズムの両者に認められるの
は劣等感であり、自己の過小評価である。性的サディズムは虚勢を張る行為
そのものが、自己を過小評価しているといえるし、性的マゾヒズムについて
は説明するまでもありません。
サディズムもマゾヒズムも自由ではありません。身を相手に委ねています。
服従したほうが快感となるか、転化して攻撃したほうが快感となるかは、
心的外傷後の経過によるだろう。攻撃することで快感を覚えればサディズム
の方向へ流れていくだろうし、服従(劣等感・絶望感)を快感とするなら
マゾヒズムへと流れるのだろう。
自尊心の低下や劣等感、絶望感そのままに甘んじる(服従する)ことで
マゾヒズムの形成、それらに対する復讐することでサディズムの形成が
なされるのではないか?
562:咀嚼途上者
06/11/30 18:16:08
自分そのものではなく
自分の一部を憎んでいるのだろうと思う。
憎んでいるのは、あるいは、それを判定しているのは
ひとつは、親に愛されなかった自分であり、
もうひとつは超自我、つまり自分の中に刷り込まれた倫理感ではないか
563:咀嚼途上者
06/11/30 18:28:57
>>541
一次的ナルシズムというものが何を指すのか。
ググッてもサイトによって説明が異なる。
自分の体に関する興味、
あるいは自体愛(オートエロティシズム)と呼ばれるものは、
自己保存のために必要なものではないのだろうか。
母親との世界をどこまで遡るべきか、胎児まで遡って考えなければならないと思う。
出産で外界に投げ出される時、ほ乳類としての人間はまだ未完成なままだ。
(生物学的にはあと10ヶ月、ほんとうは胎内にいなければならないのだが、
あまりに胎児が大きくなりすぎると出産が困難になるので、途中で生むのだという説もある)
ということは、受胎して、細胞分裂を繰り返し、魚類から両生類となり、上陸し(この時つわりがおこる)
は虫類となり、、という、いわゆる系統発生を個体で繰り返しながら、
「類」としてほ乳類ー人類になっていく過程で、ようやく、出産前三ヶ月ほどで心理を備えた人間となる、
と読んだ本にあった。
ナルシズムは類としての自分が、個としての自分になるための心理的通過儀礼にも思える。
564:咀嚼途上者
06/11/30 18:39:20
攻撃性というのは、その個体の自己保存意識に基づくともいえるかもしれない。
(その場合は、社会性の未熟が前提となる→集団の利益が自分の利益と合致しない)
服従も、弱い個体の自己保存に基づく無意識の戦略であれば、一定の合理性をもつ。
(それが、ドゥルーズやノイズ(「マゾヒズムの発見」の著者)の見方のように思える)
問題は、自己放棄、自己破壊までも含めた服従なのだろうか。
それでは、サディズムにはなんの問題もないのだろうか。
象徴的な母親殺しには。
俺は依然として、頑固に、
サディズムとマゾヒズムを裏表と見なさない観点を保持している。
565:541
06/11/30 19:54:49
>>563
>「類」としてほ乳類ー人類になっていく過程で、ようやく、出産前三ヶ月ほどで心理を備えた人間となる、
>と読んだ本にあった。
その時期以降のことになると思いますが、その頃の自己は現在の私達のように限定された
自己ではないでしょう。 私たちの自己は自分以外にいろんな人間がいて自分の外に世界があって
その世界を自分の自由にできないことを知っています。しかし、母親の胎内で心を持った初めの頃の自己は
何からも限定されていない自己です。「自己」という言葉を使うのはおかしいかもしれません。
まだ、自己と世界の区別もない状態でしょうから。
自分以外の世界があることを知らず、自分が限定された存在であることも知らず、すべてが一体と
なってそこにある。そして、自分に知らない事がある事を知らず、自分にできないことがある事を知らず、
主観的には全知全能の「自己=世界=すべて」・・・
そんな状態が「一次的ナルチシズム」の状態だと思っています。神のイメージですね。
566:咀嚼途上者
06/11/30 23:36:40
>>565 つまり完全なる 「独」 という状態がある。ということだろうか。
類から個へ移りゆく生誕の過程の中で、
完全に、母親という「これからの世界のすべて」を胎児が認識する前に
完全なる「独」の状態を胎児、または(フロイトの言い方では)新生児の状態の時に持つ、と。
それは興味深い「仮定」だと思う。
ただ
「誕生を記憶する子どもたち」(デビッド・チェンバレン著、春秋社)という本を読むと
新生児の時にはもう母親がすべての状態になっている、という事が説得的に書かれている。
(そこでの催眠状態の回想がすべて正確とは思えない事を差し引いても)
したがって、そういう第一次ナルシズム状態というのは、胎内の羊水の中で体験されるのだろう。
(そういう仮定を信ずるならば、だが)
その上で、その完全なる「独」 (541氏の言う「神」)の状態が、誕生後にどういう影響をもつのか、
そのあたりは、どう考えているのだろうか?
567:咀嚼途上者
06/11/30 23:53:52
俺は常々不思議だった。
なぜ、一個の卵子と精子の結合が、原始的な生から
大急ぎで数億年の進化を再現しながら、「個」としての俺、私になっていくのか。
類と個の間に完全なる独の時間を想定すれば、
文学的にいえば 、人が人になる前に羊水の中で神である時期があるとすれば、
それは大きなヒントになる。
そして、そんな状態が実際にある、と仮定すれば、
その独期は、親の状態から受ける超自我とは別に、
自己に対する根本的な監視、あるいは矯正ベクトルとして、
誕生仮定自体の中から「生の基本(正常)」という概念を導きだせる可能性もでてくる。
(当然、倒錯という概念も、単なる統計的平均値などからではなく導ける可能性も)
568:咀嚼途上者
06/11/30 23:55:26
>>567 下から2列目修正。 誕生仮定→誕生の過程
569:心理学初心者
06/12/01 00:17:46
サディズムもマゾヒズムも共通することは、自己執着者で自己も他者も憎ん
でいるのではないか?
母親殺しなど男性サディズムに特徴的なのは、母親のイメージへの過度の愛着
がありながら、母親イメージに対する敵意を持っているということである
(敵対的依存)。もちろん本人はそんなことは意識している人はあまりいな
いだろう。
敵意から母親殺しをしないための防衛機制として、母親以外の人物を殺害、
特に恋人や交際相手を殺害、それに伴う自殺、反社会的行動、自傷行為
(依存症や中毒など含む)や精神疾患などがある。
当然その中にも性的サディズムや性的マゾヒズムも対象に含まれる。
またこのサドマゾ問題にも「エディプスコンプレックス」が関係している。
570:咀嚼途上者
06/12/01 02:40:36
自己評価というのは、本当に自己が自己を評価しているのだろうか、
第一次的には、まず、親の評価が反映するだろう。
その時に、母親(母親代理)の評価と 父親の評価は別々に与えられるだろう。
それが、性的な対象の分別の始まりではないか。
二次的には、親から離れた時、特に学童期に与えられる教師や同級生たちの評価。
三次的には、反抗期と重なる時期に覚える種々の評価。(家族・近隣と離れた処で出会う他者)
四次的には、非直接的な関係の他者、つまり文化(本・映画・ドラマ・漫画・ネット)などで覚える
(普通は)通俗的なモラルがかなり重要になるだろう。
その後も、常に、他者からの評価が、自己の評価を決定的に左右するだろう。
自分で自分を評価することなど本当にしているのだろうか。
常に自分の内部に流入する他者と、本来の自己とが葛藤し続けているのではないか。
その時、常に、母親の評価が第一なら、母親への執着は、
ただちに評価を与える基準である母親への憎しみへと転化する可能性をいつでも持つだろう。
それは、そのまま、二次的・三次的……自己評価の基準対象への憎しみにも転ずるだろう。
したがって、人生曲線のどの時期に固着するかが、問題になる。
それにしても、
憎むとは何か。 執着とは何か。
571:えす
06/12/01 09:22:03
憎しみねぇ…何かのきっかけになれたらうれしいので書いてみる。
上でプロ氏が「いきなり物を食べないで生きるのは無理」的な事を書いていたけど、SM嗜好者にはそれに近い事が起きてると思う。
すべてのサド・マゾに当てはまる訳ではないと思うけど、【種の保存・繁栄】って重要な本能が欠けてる者が多いから。
SMの場合、行為の最終的な目的が射精→受精じゃあない事が言えると思うから。
人によっては、究極のSM行為=相手に一度も触れずに終わるSEXって答えるヤツもいるしね(これはエセ牧師タイプに多いかな)
俺だって、ステレオタイプじゃないSMが厳密にSEXって言えるのか!?って聞かれたら分からなくなっちゃうし。
【本能を超えた行為】
ちょっと興味深い…
蛇足だけど、俺は租借氏の文も考え方も超好感!応援してます!!マイペースでファイ
572:咀嚼途上者
06/12/01 18:47:35
>えす氏 たぶん俺が「SM的現場」を念頭において考えているからだろうと思う。
あるいは心理学的にではなく「文学的」に考えているからわかりやすいのだろう。
しかし、それも「今のところ」だ。
まだリアルな現場から遠ざかるように言葉を独立させ、極北に向かうだけの蓄積がないから。
なによりの応援は、自分の頭でそれぞれのテーマについて考えてくれることだと思う。
本能を越えた行為 というのはSMに限らず倒錯と呼ばれる嗜好全体にいえる。
だが、本能とは何か。
「痛みとは何か」という個人的な関心から、最近、脳生理学関係の本もあらためて読み始めている。
(ま、ブルーバックスレベルだがw)
ポール・マクリーンというアメリカの学者に寄れば
人の脳は、おおざっぱにいえば、3つの層からなっているという。
一番上にあるのが(つまり一番あとから発達するのが)人間になって発達した新しい脳(新皮質)
その下に、ほ乳類の脳 ( 人と区別するため「旧ほ乳類脳」と言う場合も)
一番奥にあるのが、は虫類の脳。 (脳幹と呼ばれる部分(脊髄の上にある「延髄→橋→中脳」)と
大脳基底核(尾状核とレンズ核)からなる)
(いいサイトがあったので載せておく。 URLリンク(charm.at.webry.info) )
573:咀嚼途上者
06/12/01 18:49:09
…偶然見つけた訳だが、このサイトに書いてあることは面白い。
もっとも古い層である爬虫類の脳は、
呼吸・血圧・体温など自律神経系の、基本的な生命維持に関係しているのだが、
「爬虫類に特徴的な自分のテリトリー(縄張り)の防衛意識などを発達させる。
種の保存というよりは、自己保全の目的のために機能する脳の部位」とある。
^^^^^^^^^^^^^^^^ ^^^^^^^^^
爬虫類の脳の上にあるほ乳類(旧ほ乳類)の脳は(海馬・扁桃体などの“大脳辺縁系”)
「…快・不快の刺激と結びついた本能的情動・感情、
……危険・脅威から逃避する反応
外敵を攻撃する…原始的な防衛本能を司り……
「本能的に遂行される“種の保存の目的=生殖活動”を司る」部位である。
さらに
「自己の遺伝子を継承するための情動的評価に基づく社会的活動や集団行動、
……無力な子の育児や保護を行う母性的な欲動・本能の源泉でもある」
↑
まさに、ここ(大脳辺縁系=ほ乳類の脳)がサド・マゾ
(あるいは倒錯者)は変調してる、とえす氏はいうわけだ。
しかもこの部位は「攻撃」「逃避」の部位でもある。
もうひとつ、面白いのは、
「種の保存」より前にまず「自己保全」の脳がある、ということ。
541氏のいうとおり、「爬虫類の脳」の段階で、
母性との関わりの前に「自己」(心理学的意味ではない)が発達するというわけだ。
とても興味深い。
574:咀嚼途上者
06/12/01 18:52:44
憎しみそれ自体は、
防御本能、つまり、自分の縄張りを荒らすものへの情動だろう。
自己執着はどうだろうか。 自己保存本能にもとづく爬虫類的感覚なのだろうか。
逆に、憎まないとはどういうことか。 自己に執着しないとはどういうことか、
と考えてみるのも手かもしれない。
575:心理学初心者
06/12/01 21:08:19
実は両者共に、異性になりたいっていう欲求があるんじゃないか?
576:咀嚼途上者
06/12/02 00:13:32
S女 →男性化願望
M男 →女性化願望
判る。
S男→女性化願望
M女→男性化願望
判らない。
577:心理学のプロ
06/12/02 18:05:12
Sは難しいが、Mは所有されることを望んでいるのかも知れない
良く所有されることを。Mが文句を言っているのは
悪く所有されたからだと思われる
578:心理学のプロ
06/12/02 18:07:16
所有の反対として自由がある。
自由とは自分に由るということで、抑圧が意識された状態
抑圧が無い状態、つまり自分を受け入れた状態。自分が自分の
ままでよいという状態。偽の罪悪感を抱いていない状態
つまり、彼らの正体を見抜いた状態とも言える
それは、同時に自分の正体をも見抜くことになる
自由主義とは、欺瞞の解体である。
579:咀嚼途上者
06/12/02 19:10:53
Mの願望は、ほんとうは被所有というより
「帰属」欲求の変形なんじゃないだろうか。
自由であること、個にされることの畏れからくる帰属欲求。
それが、方向を失った現代日本で、
なんの理想ももてずただ個で放り出される畏れから
「プレイSM」ではなく
「主従」SMが蔓延し始めたような気も、最近してきた。
580:咀嚼途上者
06/12/02 19:13:02
>>579 ラス し始めたような気も→し始めた原因のような気も
581:咀嚼途上者
06/12/02 19:20:11
承認欲求でもいい。
服従することで「主(あるじ)」とやらに
「奴隷」として承認されたい、そして従として主に帰属したい。
そこに居場所を求める。(しかも性的快楽つきで)
だからハマるのではないかな、と。