06/10/03 00:19:26
どーも、きもい俺です(ちょっと凹んだよ…)
勝手なイメージかもしれないけど、海外のSMは楽しむ為とゆうのが前提にあると思う。
日本的なSMはちょっと違うよね。笑いながらSMなんて、日本じゃちょっとありえない。
咀嚼氏は反論を期待してるみたいだが、俺は上の書き込みを非常に興味深く読ませてもらった。特に自我と超自我。
倦怠期のカップルが刺激を求めてする様な温いSMじゃなければ、やはり日本的なSMはまず、設定ありきだと思う。
どんな事をするにせよ、まずは「生まれながらの強者」と「生まれながらの奴隷」を『演じる』そこから始まると。
この場合、愛されない憎悪等に加えて、人は平等なんかじゃないとゆう憎悪もあるのかな?
267:咀嚼途上者
06/10/03 01:59:21
「きもい」だの「きめぇ」だの言う香具師は単なる「おこちゃま」だよ。
今日、「きもい」と言われて学校で首つり自殺した小学生の女の子のニュースを見た。
「小学生」レベルなんだよ、そういうことを言う奴は。まじめに相手するほどの思索的価値はない。
たしかに、聖書の十戒のような「有無を言わせぬ強い禁止」=道徳が存在しないこの国では
つねに道徳は「輸入」された「大衆への同調圧力」装置(エコロジーなんてのはその典型)でしかない。
「平等」も輸入された(それも低質化された)キリスト教的「洋服」。
そういったものを押しつけられている事へのいらだちが、
SM空間を「カタルシス」の場にしている面は強いと思う。
(関係ないがこの国でもっとも強い思想は実は「自然的ニヒリズム」だと思ってる)
かって「さ」氏がプロ氏があげた「受動的マゾ」の徴候に、
「日本の女はみなマゾになってしまう」ということを言っていたが、
猿山のボスの牡猿とその順位列に属する雌猿の体系は、
日本的M女の秩序感覚につながる気もする。(これも自然的ニヒリズムの一種)
「マゾヒズムの発明」の最終章を読むかぎり
いま欧米のSMは、様々な「SMのステレオタイプ」を取りそろえて
「いろんなアイデンティティを売るスーパーマーケット」になりつつあるという。
それらはまさに「ファッション」であり
「マゾ的役割が本質的なものではなく、アイデンティティの消費者に開かれたひとつの選択肢」となり
『役割はひっくりかえしてもかまわない』し『われわれの無意識の深層にあるSM傾向』とも無関係な
『身体の意外な部分を用いて―身体のエロス化―得られる新たな快感の可能性の発明』をしている、
と言うことになる。 (『』部分はM・フーコーの孫引き)
268:咀嚼途上者
06/10/03 02:23:27
自前の文化より輸入文化をありがたがる若い世代によって
そういうライトなSMはこの国でも広がるだろうし、実際そうなりつつある。
笑いながらのSM、にね・・・
俺も最近よくボンデージのサンプルを見ているのだが、
機械(なんというのかしらないが自動的にバイブが前後に律動する機械)
を使ったS抜きのMシーンを見かける。そこでのSの役割は
たんに自縛できないMに換わって拘束してやり、
彼(彼女)たちを「見る」だけだ。
「見る」というのもSにとって重要な特性だ。
(これがなにを意味するのかは現在、考え中)
「演じる」「仮面」に支えられたSM空間。から
それぞれの空想の種類に応じて注文をこなす「スーパーマーケット」としてのSM
それを準備しているのは「安全」な民主義SMだ。
だが、深刻なマゾヒズムも、深刻なサディズムが消えたわけではない。
「SM板」にはむしろそういう「病的」と呼びたくなるタイプが多い。
逆にふつうの女神スレで、あっけからんと自縛したり、自分の胸に蝋燭を垂らしたりしてしている
「ファッショナブルなM性」を見かける。
苦痛も快感のアイテムのひとつにすぎない、という感覚。
だめだ…どんどん心理学から離れていく…(つまり「個」の問題が縮小していく)
発生(なぜSとなったのか)から様態(どのようなSなのか)への過程を貫く「なにか」を見つけないと、
「マゾヒズムの発明」で言われてる「断片」だけしか残らない。
なんとか「超自我」をてこにしてサディズムを掘り下げ、
「原因」をさぐることが重要だし、考えてはいるんだが…
269:咀嚼途上者
06/10/07 01:55:36
母親を殺して解体し、肉をホットプレートで焼いたという事件があった。
母親(あるいは父親)への憎しみが、
一般的な女へのサディズムへ転化する仕組みがないとそうなるのかもしれない。
初学者氏に教わった言葉を使えば
「外傷性転移」 の仕組み。
270:咀嚼途上者
06/10/07 01:59:42
ドゥルーズが指摘した、
「サディストの超自我肥大」を考えれば、
父親との関係にカギがあるのかもしれないと素人なりに考える。
攻撃性と「支配」を結びつける「権力」への欲望が、
性と結びつくその仕組み。
(父親像からそれを学ぶのか?)
(つまり、権力・権威である父親が、憎しみの対象である母親を性的に支配している姿から?)
現実の母親殺しを回避する「換気扇」としてのサディズム(SMプレイ)
271:没個性化されたレス↓
06/10/10 02:08:18
そーなってただけだろ。家族主義嫌だ。
272:咀嚼途上者
06/10/12 06:48:08
母 →子
父 →子
(あるいは重要な他者) という直接的な心への影響
母
↑↓ →子
父
(あるいは重要な他者) という間接的な心への影響
一番重要な母と子の関係は胎児~乳児期に強い影響を与え、
次に父親(あるいは重要な他者)との関係が幼児期に強い影響を与える。
というのが、今まで理解してきた心の形成だが、
母と父(あるいは重要な他者)相互の関係(あり方)が
子供へ与える影響については、あまり考えてなかった。
性的サディズムと性的マゾヒズムにとってはこれらもかなり重要な意味をもつと思える。
273:心理学初心者
06/10/12 11:00:57
精神分析によると性倒錯は、母親あるいは父親に対する愛情の代替物である
といえるかもしれない。
274:心理学初心者
06/10/12 11:05:07
男性がサディズム傾向、女性がマゾヒズム傾向にあるのはそれなりの
理由があるのだろう。女性が「白馬の王子様」願望を抱くのもそれな
りの理由がある。
275:没個性化されたレス↓
06/10/12 11:59:28
どんな理由?
276:咀嚼途上者
06/10/12 12:45:57
俺も聞きたい。それと>>273 も、もうすこし詳しく聞きたい。
277:没個性化されたレス↓
06/10/12 14:12:49
ぅあみ
278:没個性化されたレス↓
06/10/14 00:06:48
>>273
>精神分析によると性倒錯は、母親あるいは父親に対する愛情の代替物である
>といえるかもしれない。
その根拠が知りたいのですが・・・。
279:没個性化されたレス↓
06/10/15 20:15:58
これらを説明するには時間がかかる罠
280:没個性化されたレス↓
06/10/15 20:46:08
男の子に生まれても女の子に生まれても、母親(あるいは女性)が世話をする
ことのほうが、男性よりも多いでしょう。男の子の場合は、愛着の対象である
母親(すなわち将来恋人になる人の原型)が絶えず世話をしてくれる、あやし
てくれる。だから幼少の頃から母子関係が発達していきやすい。その中で、
エディプスコンプレックスが発生していく。
ところが、女の子の場合は、父親よりも母親と一緒にいることが多い。
父親との一体感を築くことが女の子の場合は男の子の場合に比べて難しい
環境にあるというのがある。つまり、女の子が父親との一体感の欠如により
「幻想」を持つことがあるのではないか?
実際には「白馬の王子様」などいない。しかし彼女達はその幻想を追い求
める。幼児期に父親に抱いていた感情を抑圧し、それが将来恋人の中にその
感情を求めようとする(無意識層で完璧な父親を求めている)。
プロ氏が以前言っていたことと重複になるが、「ない」ものを、「ある」
と思い込んでいるのである。
主に乳幼児期の親子関係から境界性人格障害などの人格障害や恋愛依存症、
様々な神経症(特に摂食障害や強迫性障害)や性倒錯に繋がることを私は
精神科医に話している。
281:没個性化されたレス↓
06/10/15 21:05:30
その幻想から、フェティシズムを生んだりサディズムを生んだり、マゾヒズム
を生んだり、小児性愛を生んだりするわけである。幻想を満たすための代替物
としてこれらがある。
精神障害及び性倒錯になる者、犯罪者になる者、その両方になる者、そのど
ちらにもならない者、がいるがそれらの違いがどうして生まれるのかは説明
することはできない。
282:没個性化されたレス↓
06/10/15 21:16:44
また今度な。
283:咀嚼途上者
06/10/15 21:49:37
(初学者氏でいいのかな?)
>男性がサディズム傾向、女性がマゾヒズム傾向にあるのはそれなりの
>理由があるのだろう
というのは
「女の子が父親との一体感の欠如により」「幻想」を持つこと。
この父親の欠如を埋める「幻想」として、女性は
以前少し紹介した「インナーマスター」(内なるご主人様)を求める傾向が強くなる。
ということだろうか?
男性のサディズム傾向はどうなるんだろう。
母親との関係が強いためにエディプスコンプレックスが発生しやすいので
攻撃性が強くなる、ということだろうか?
その場合には攻撃性は異性の母親ではなく同性の父親に向けられるような気がするんだが。
父親との一体感が女性より強いとすれば、なぜそれが異性への攻撃性につながるのか。
それがよくわからない。。
>性倒錯は、母親あるいは父親に対する愛情の代替物である
どの部分がその説説明なのか、ちょっと判らないのだが。。
「ないもの」(白馬の王子様)を「ある」と思いこむ、という部分だろうか?
そのままでは「性倒錯(マゾヒズム)」(苦痛、屈辱への嗜好)と
直にはつながらない気がするんだが。 (完璧な父親への服従欲求?)
また(時間があるとき)頼む。 ぜひ。
284:えす
06/10/15 23:04:57
SMに限って、簡単に言うと
男は父親(もしくはそれ以上の)になって支配したい。
女は父親(もしくはそれ以上の)に支配されたい。
男女共に幼少期、そして今も足りない愛の代わりに。(幼少期に描いた憧れや、膨らませ過ぎた理想への依存から抜け出せない?)
って事かな?
もしそれで合ってるなら、今でも愛が欲しいと思い続けてる者と、もう愛は自分には手に入らないと思っている者とでは
嗜好や深刻度、依存性なんかも変わってくるんだろーね。当然。
285:咀嚼途上者
06/10/15 23:40:59
なるほど。 (もしくはそれ以上の) か・・・ それだとストンと腑に落ちる。
愛を求め続ける者と愛を諦めている者。
それは王様と似非牧師(教師)。内向型と外向型というのに関係するんだろうか。
それとも、いわゆる鬼畜とか真性とかいう「度合い」の方かね。。
286:心理学初心者
06/10/16 05:39:30
ナルシズムの段階から抜け出せていないともいえる。
Mの人は、普通年上の人を好むことが多く、Sの人は年下の人を好む傾向が
あると思う。15歳年上とかそういうのは、その人を求めているというよりも、
異性の親の像を恋人に転移させているといえる。
彼らは、現実の従よな部分を否認しているが、自分の生を肯定している人は、
精神疾患や病的な状態に陥ることはないが、そうでない人は(宅間や酒鬼薔薇)
葛藤が生じるために、何らかの精神障害を発症する可能性がある。
男性サディズムは、幼少の頃に母親からの拒絶や父親に刃向かえない家庭環境
など攻撃性や愛情希求願望が抑圧された結果ともいえるのではいか?
287:咀嚼途上者
06/10/16 11:56:22
>>286 最初の一行以外 小躍りしたくなるほど腑に落ちた。多謝。
288:心理学のプロ
06/10/19 21:26:24
人は服従と戦わなければ、ならない
服従は、自分の責任から解放されるとみせかけ、その実自分そのものの
放棄に他ならない。
現代の服従とは、意識されない服従である。
信じるというのは、疑うということが許可されて始めて存在する。
現代に疑えないものがあるとすれば、それは何なのか
そのひとつに親がある。現在問題となっているのは、我執の親のことである
我執の親といえば、~するべき、~であるべき、という雰囲気が強かったり
子供に威圧的に接したりする親だ。どうして我執の親が問題となるのか。
289:心理学のプロ
06/10/19 21:29:25
せっかく、この自由で物質的にも豊かな日本に生まれて
決まりきった生活なんて・・・というだろうが
残念なことに、そこには、トリックがあるのだ。
創造性がない場合、自由は人にとって、しがみつく権威なき世界
苦痛でしかない。創造性を破壊するものとして、親の存在がある
自己の責任を親になすりつけるのか?と思われるだろうが
真の責任とは真の原因と対策を考えることである。
290:心理学のプロ
06/10/19 21:34:13
ここで問題にしたい服従について・・・
あることを盲信しており、そのことすら考えない場合
ほかの事にも、影響はでないだろうか? 出るに決まっているが。
そして、そんなことがあるとすればそれは、何なのか?
今、さまざまな人格障害の時代といわれている
その根本的な原因は、歴史の転換点ということがある
権威主義から自由主義へとの移行という問題点の本質とは何なのか。
291:心理学のプロ
06/10/19 21:37:25
自己憎悪・自己蔑視・自己卑下の 正体
これらの日本人には割と問題にならない言葉には、二種類ある。
それは、本当の自己卑下と偽の自己卑下である。
服従の文化では、人を価値のないもの、自分自身を憎ませることにより
権威に服従させていた。しかし、そこから生じる、自分の想像性破壊による
憎しみは、他の国へ向けられた。自分が権威に服従している限り
自分は間違っていないのだ。だから、ユダヤ人虐殺や数々の戦争の
犠牲が出た。自ら特攻していくものや。
292:心理学のプロ
06/10/19 21:42:22
たいてい親への憎しみを意識できていない。
相手の存在を認められる人間とは、自分を認めている人間である
これは、能力なのだ。自分を認めている人間は、忘我である。
自然なのだ。まるで、魂が抜け出てその集中しているものと同一化し
楽しさを獲得するようなものである。いつも義務感から生きている
人間とは、魂にまるで鎖でもかけられているかのようだ。
この鎖こそ、従属の証拠である。
293:心理学のプロ
06/10/19 21:43:51
何をすればいいのか、みんなどんな基準で選んでいるのか?
間違ったことはしていないのに、正しいことだけ教えたのに
要するに、従属させていたということだ。
我執の親というのは、従属させられていたことを知らない親なのだろう。
294:心理学のプロ
06/10/19 21:46:37
我執の親は、子供を自分の心の葛藤を解決する手段として利用する。
それどころか、そのことを子供のためと錯覚させる。このことは
よく言われる欺瞞性というものとなる。子供は、良い親の言葉を疑わない。
憎しみを親へ向けず、自分へ向ける。我執の親の葛藤のために
自分の評価を低くする。低くする以外ない。
これから、あらゆる創造性欠如の根源となる、自己軽蔑について語りたい
295:心理学のプロ
06/10/19 21:52:11
自分の評価が低いと思い、常に強迫的にあせっているものは
何かで自分を支えなければ、まともに生きられない。
あせって、強迫的に学歴や金を求める。しかし、この自己評価が低いのは
親がつけたものである。親にその必要性があったのだ。
親が自分に価値がないと思い、本来の感じ方を表現せず
あるべき姿を子供に押し付ける。子供がそれに順応するということは
子供もまた、本来の感じ方を表現せず、あるべき感じ方を親と共有する
こうして、規範意識が増大化する。この規範意識は過剰な規範意識であり
規範だからこそ、正しい。正しいから疑わない。実は、自分に価値がないという
思いから逃走するために、作り上げた規範なのだ。
本来の自分を偽っているといっても、偽った自分も本来の自分なのである。
要するにこれが、神経症だとかノイローゼだとか言われる状態である。
こんなめちゃくちゃな価値観が存在するのだ。よって決まりきった行動しか
できなくなる。まるで、何かの周りをぐるぐる回っているような生き方である
これが、親の呪縛なのである。
296:心理学のプロ
06/10/19 21:58:20
自分に価値がないからと、強迫的に名声を得たが、自信はないままだという
人が多い。自信とは自分なのではないのだろうか。
自分を否定し、自分とは違う自分になろうとして(なったとしてもそれも
自分なのに)永遠と葛藤を抱えることになる。
葛藤とは、本によれば、意識と無意識の葛藤らしい。
この幼少期に作られた仕組みは、不安を大量生産する。
自分に価値がないのだから、他人の評価が気になりすぎている
本当は一番にやらなければならないのは、この自己評価が低い、その
正体を探ることである。人のいのちが二つもないのに
たいした違いで自己評価が低いのは、親の評価である。
権威主義の構造を理解してもらえただろうか。
物事を細かくみていないひとは、憎しみでいっぱいの人だという。
その憎しみを抑圧しているのだから、不安となり意識に到達する
嫉妬が多い。それを回避するために、性的倒錯に走るのだろうか
自分が楽しんでいればいいのに。
自分を一番に尊重するばいいだけなのに。その次に金だろう。
297:心理学のプロ
06/10/19 22:01:19
人を操作するには、意外な方法がある。
それが自分が価値がないという思いを元にした、献身や
気難しい父親の威圧感だったら?
自分を取り戻す過程をほかに求めても・・・。
298:心理学のプロ
06/10/19 22:04:02
人を操作するには、その操作する人間が自分に価値がないと
思っていれば、都合がいい。自分に価値がないと思っている人間が
他人のために献身的にといいつつ、他人にしがみつき、他人で
自分の価値を補おうとしていたりする。
そうして、搾取の関係を正当化する。親の正体を理解することが
心理的自立ということにほかならない。
299:心理学のプロ
06/10/19 22:08:00
ナルシズムというのは、自分の存在を認める能力
そのことから、生じる他人を認める能力が育たなかった人なのだろう
それどころか、葛藤のためにそうなのかもしれない
葛藤を解決するためにテレビを見ている人は、人を見ていない。
葛藤を解決するために見ているのだから、人が誰でも番組構成さえよければ
いいという感じ方になる。
大人になれない大人とは、心理学的に言えば、まだ親につけられた
評価から逃げられない人である。そのような鎖でつながれた人の多くが
何も知らないまま親になり、また少しだけ子どもを利用するだろう
彼らは利用していないという、しかし、その自己評価の異常な低さに
疑問を抱いていないのなら、また何かを手にしていないからだと
考えるようでは、これは大人ではないのだ。
300:心理学のプロ
06/10/19 22:18:04
我執の親のこどもは、いつもおびえている
自分のために怒られていても、それを確信できないのだ
我執の親の子供は、好きなものがない
彼らに聞いてみるといい、彼らがそれを好きだといった瞬間
まともな人が聞けば、それが好きでないことの証明にしかならない
かといって、きらいなわけでもない。ではなんなのか
葛藤を解決するためにその番組なり何かをやっていただけなのだ
愛する能力がないというのは、葛藤で相手のことを考えられないのだ
だから、考えているふりになってしまう。自分を尊重していないものが
どうやって相手を尊重できるのだろうか。
外国へいったことがないものが、どうやって外国へいったことがあると
説明するつもりなのか。また、そのことを信じ込ませようとしていたら
301:咀嚼途上者
06/10/19 22:36:37
ちょうどいい。
サディズムとマゾヒズムの「素質」の形成が、初学者の言葉でかなり明瞭になった処だ。
そして、考えていたのは、それに続く「思春期」の問題だ。
性がすべてとなる時期。 そして、ちょうどその時期が反抗期ともなる。
この時期に「素質」は性と出逢い、性的嗜好の「開花」をもたらす。
思春期の問題は、そのまま、親に与えられた規範意識や価値観への反抗を
本当は含んでいたはずだ。
プロ氏に、あまり性の問題に興味がないようだが、
反抗期の問題。反抗期の不在の問題。あるいは反抗期のやり直しの問題。
ということには関心があるのではないか?
そしてその時期が性的開花の時期と重なるとすれば?
さらにその時にセクシュアリティ(性的特質)とジェンダー(性的役割)の問題もつよく意識される。
反抗期に失敗することがマゾヒズムと関連するような「勘」が生まれたのだが。
(服従、という態度の形成)
302:咀嚼途上者
06/10/19 22:37:44
>>300 すまん。終わったと思っていた。無視して続けてくれ。
303:心理学のプロ
06/10/20 14:49:37
最近、草薙君のドラマを見始めた。自閉症の主人公の物語。
草薙君は、他人のことを考えられない。
他人のことをしてあげられることは、できる。他人のことも何でも
指示されればできる。しかし、これは、ほとんど全部表面的な
物に過ぎない。
もっぱら、自発性だとかいうのは、自分に対する自分のスタンスだということ
が推測される。
自分を自分で理解する能力がなければ、相手のこともわからない。
自分に確かな自尊心がなければ、相手の自尊心も認めてあげられない
究極のところ、他人のことは、ほとんどわからない
ならば、自分の中にないものをどうして理解できるのか。
だから、自分のための努力ができる人が、もっともすばらしい人間ということになる
これは、日本人がもっとも苦手にすることではないのだろうか。
304:没個性化されたレス↓
06/10/20 16:58:35
初カキコです。
自分は過保護な親の下で育ったACなんだけどプロ氏の言葉ほんと勉強になります。
自分のいままでの根底が覆されます。
質問とか特に無いんですけどこれからも陰で学ばせてもらいます。
305:没個性化されたレス↓
06/10/20 20:37:40
>>215>>216で書き込んだ者です。
丁寧なご説明をありがとうございました。
返信が遅れてしまい、申し訳なく思っております。
咀嚼途上者さんと心理学初心者さんのご意見を伺って、彼女の中にサディズムが
潜んでいると断定するのは、私の行き過ぎた解釈であると理解できました。
ありがとうございました。
306:305
06/10/20 21:52:40
また、咀嚼途上者さんの「勘」にも深く共感しました。
そもそも、反抗期に失敗するというよりも、反抗期という
選択肢すら存在していない気がします。
今まで未熟な母親の支配下に置かれていた子供が
服従以外の方法で己の立場を確立することなど可能なのでしょうか…?
無知な質問で申し訳ございません。
307:咀嚼途上者
06/10/21 01:35:51
>>306
「反抗期という選択肢すら存在していない気がします。」 どういうことだろうか?
親によって自分の価値を低く感じるようにされ続けた子供は、
反抗ということすら許されない(それを思いつくことさえできない)ということだろうか?
反抗期は、親の価値観(正邪は関係ない)に生理的反撥を感じて、
(おそらく、性的な自立によって、自分が「個」であることを生理的に知らされるからではないか)
幼稚だろうが、世間知らずだろうが関係なく親に逆らうことで
(具体的な喧嘩でなくても精神的な反感でもよい)
精神的に個として自立する、大事な過程だと思う。
それは生理的に人間に組み込まれている過程だと、思いこんでいたが。
反抗期がなく育てば(よい子のまま育てば)、
自我は自立の過程を失うことになるのではないか。
自立しないまま性的興味のみがすべてとなる思春期が、マゾヒズムと結びつくのは、
その手の情報(雑誌・映画などのステレオタイプ)に出会う契機があれば、
ある意味、自然だということになる。
しかし、反抗期がない、という事を経験的には想像できないので
できれば説明してほしい。
308:咀嚼途上者
06/10/21 02:32:15
>>305 プロ氏の登場は前スレの後半からだが、
その前スレがHTML化されているのを最近知ったので貼っておく。
【なぜ?】サディズム・マゾヒズムの心理
URLリンク(makimo.to)
[心理学のプロ]氏の登場は 730 から。
[心理学初心者]氏のコテ登場は 828 から
[petty_chou]氏は 930 から
[さ]氏は 978 から
[素人]氏についてはこのスレ113
[えす]氏は不明
[咀嚼]は 698, 706で参加。 「咀嚼」を名乗るまでは
メル欄に(sage X)の半コテだったので
html上では名前が青色になっている。
309:咀嚼途上者
06/10/21 02:33:17
訂正。 >>305 → >>304
310:心理学のプロ
06/10/21 06:29:07
今、めざまし土曜日を見ていた。
児童のいじめ問題で、最近の子供は、他人と違うことをすることを恐れる。
個性とは、他人と違うことを言ったりすることを認め合うこと
などと言っていた。
↑
いつだって、なんだってそうだが、これはうそだと思う。
こんなことを言っていると、精神まで二極化すると思う。
個性とは、単に自分は自分のままでは、だめだと漠然と思っている
ことをやめることだと思う。意味のない自己軽蔑をやめることだと思う。
この自己否定がいつ生まれたかといえば、幼少の頃だと思う。
これは、日本だけでなく、どこでもあると思う。
つまり、合理的に相手の存在を認める能力というのがないのだと思う。
それは、もっぱら、自分のうちにあるものであり
自分の中で育てていくものだと思われる。それがない親というのに
育てられたのだろう。それがないというのは、自己を否定する考え
それは、日本で言えば、服従と関係があるのだと思う。日本は
巧妙に権威主義的だと思う。気づいていようが気づいていまいが
服従しているものに他人を認める能力はない。なぜなら
自分を認められないものがどうして他人を認められるのか?
(自分と他人などたいして違いがない。年収が倍だろうが自分で
生きる価値ほど大切なものはないはずだから)
311:心理学のプロ
06/10/21 06:41:34
他人評価を気にしすぎている状態、自己不在こそ真の孤独となると思う
これは、ナルシシストの一種と言われている。つまり、自分の存在を
認めていない(心理的病気)ので、他人も認められず
秩序・規範を重視し、それがわからなくなると不安になる。
過剰な適応は、過小な適応より
悪いと思う。この過小な適応は、不良少年などに見られる。
栄養不足のような状態。憎しみをあたりにまきちらす。だが、人間は
思ったより飢餓に強い。そして、過剰適応こそ恐ろしい病理だと思う。
過剰適応者には、何の倫理もない。過剰適応者と一般人の区別はつきにくい
(今なら秩序がくずれているので、わかるが)
過剰適応者は必ずMになると思われる。過剰適応者には最初から自信がない。
自分がない。よって常に劣等感を持つことになる。
312:心理学のプロ
06/10/21 06:45:36
常軌を逸した行動の裏には劣等感がある。劣等感を無限に増殖させる
要因のひとつに、自己不在がある。もっと言えば、自己不在の状態では
規範がしっかりしていれば、問題ないが、規範が消えれば不安に襲われる
規範を乱すものにあくのレッテルを貼る。
自我(価値観)意識ー自己ー無意識(自己を否定しているのだから規範にたよるしかない)
↑でもわかるように、自己を否定すると無意識から意識へのぼってきずらくなるので
決まりきった行動、我執の親となる。我執とは~べき、~するべき。
現代社会は、自由主義なので、規範よりも自己が尊重される。
しかし、人々は自由から逃走する。自己を否定しているのだから
313:心理学のプロ
06/10/21 06:49:50
この種類の自己否定の歴史は、そのまま服従の歴史の裏返しである。
不安な貧乏な時代には、人々は権威主義者たちに理由もなく服従していた
服従には、自己の創造性を破壊する作用がある。自分には価値がないから
そうなんだと人々は思い込んだ。たいていは、権威主義者のつまり
権力者の都合の良いようにそうしたのだが(よく考えればそのとおり)
これが日本の親に見られる。子どもに適当な理由をつけて
親というものを維持しようとする。あるいは献身を装い
相手をコントロールする。相手を無自覚でコントロールする人間は
自己を否定している人間である。おまえのためだといいつつ
実は、自己否定の不安からくる、秩序を守る行為だったりする。
間違ったことはしないが、なぜか一緒にいると威圧感を受けるという人が
いないだろうか?それは無言の規範を押し付けようとしているのである
314:心理学のプロ
06/10/21 07:01:49
宇宙へ旅行に行ったら、誰でも楽しいと思う。
楽しさは、義務で学習するよりも、ずっと効率が良い。
残念なことに本当に集中しているとは、楽しさなのだと思う。
しかし、宇宙ではなく地球・・・それも日本だとあるいは日本人だと
さらに自分だという理由で、どうして無気力になるのだろうか
それは、自己不在からくる、他人にみせるための努力以外は無価値だと
思う傾向と、そのことから生じる自己嫌悪だと思われる。
自分はたいしたことないと思うと、それと同時に自分と同じような
他の人他の物もたいしたことないと思ってしまう。
それは、同時にほとんどのことに興味を失うということである
315:心理学のプロ
06/10/21 07:14:59
以上のことから、過保護と過干渉の真実
甘やかしすぎたのかな?正しいことしか言わなかったのに!
間違ったことは言ってなかったのに!
とよくあることばの正体がわかる。これは、なんと自分の憎しみを
癒すために、子どもを利用したという意味なのである。信じられないかもしれないが。
それでいて、自分には責任がないという、めちゃくちゃな意味なのである。
当然、親は搾取したとは意識していない。
なぜかというと、上記をまとめるとわかってくれると思うが
●自己不在(自己を軽蔑している)から来る自分への不安を回避するために
子供を利用しなればならない。なぜなら、自己不在から来る人間の行動の
大半は利己主義である。自己不在者は必ずそうなる。そうしないわけにはいかない。
不機嫌な親、献身的な親の行動の影に、自己軽蔑があったのなら?
その証拠は、応援しているかだ。他人を応援しているかどうか見てみよう。
それは、宇宙旅行の説明でわかると思う。
他人を応援できないのはなぜか?答えは出ていると思う。
自由主義に関してたったひとつのセオリーは、優先順位の一位に自分を
二位にお金を置くことだと思う。そして自分とは自分の欲求のことなのである。
それが解決できるかということではなく、自分を尊重できないなら
自分の欲求を尊重できないなら他人のも尊重できないということを
知っているだけでも。
316:心理学のプロ
06/10/21 07:19:51
●間違ったことは言っていないのに
●正しいことしか言ってなかったのに
↑これは、単に自分の自己を覆い隠し、規範で子供に接したということで
子供との心の交流はほとんどなかったということになる。
そして、自由主義がじぶんん意見を主張しなければならないのなら
これほどのハンディもなかなかない。正当化された過剰な規範は
病気である。過剰な規範というのが、自己からの逃走のための手段だったとしたら。
相手にも 「 服従 」を要求していると思いませんか?
このような人と付き合うとなると、自分の感じ方を放棄しなければならない。
彼らが何を言おうとも、彼らはそのことをいっているわけではなく
この服従から、自己放棄から来る葛藤を解決したいだけなのだ
自尊心を癒したいだけなのである。
●間違ったことは言っていないのに
●正しいことしか言ってなかったのに
これらは、虐待した。わざわざ、今の世の中で生きていけないようにしたという
証拠でしかない。
不機嫌な親になぜいつも、威圧感で接してきたのか聞ける勇気があるだろうか。
聞かないほうがいいのだろう。そこには、長い歴史と従属の文化と自由主義への
転換点の混乱というものがある。そして、誰もそのことを教えてくれない
それは、まるでライブドア事件のように。堀江さんの口車に乗った人は
もちろん、短期利ざやを狙った個人も大損したわけだ。親であろうとも
盲信してはならないのだろう。
317:心理学のプロ
06/10/21 07:28:25
過保護や過干渉のとき、問題となるのは、
ああしたから、こうしたから、ああすれば、こうすれば、
という判断基準は間違いで、過剰適応と同じように、過保護・過干渉というのは
基本的に、自分には価値がない(無意識化では、親の親に対する服従)
というのを前提としていたのなら、それは子供で自分の価値を補おうと
してしまうのだろう。だから、何でもやってあげたり、それはいけない
という二人の自作自演が始まる。自信のない人ほど、他人に自分の子供にすら
憎悪している。不幸で、他人もまた自分を恥じていない限り彼らは
文句を言うだろう
318:心理学のプロ
06/10/21 07:37:09
だから、規範に頼るしかない人が、うまくいかないと
さらに、規範に頼るというか、過剰な適応になってしまう。
自分が規範に従っているから、正しいと思う。
そして、他人を憎む。
親は自分が何をしたか気づけない。
こうして、おかしなゲームがスタートする。
TBSやテレビ朝日などを見ていると、フジテレビでさえも
権威主義者は許さないというメッセージがあるのだろうか。
319:心理学のプロ
06/10/21 07:42:43
このような時代だから、SMぐらいならいいのかもしれない。
しかし、異常な行動には憎しみが根底にある
劣等感にも。こんな豊かな日本で?と言われているが
そこには、自己放棄した人たちが自由から逃走しようとして
苦しんでいる。この自由主義をやめるか、自由(自分に因る)になるか
しか、救われない。
320:心理学のプロ
06/10/21 07:48:38
もし、今が自由主義なら、親には相当の問題がある
親そのものに問題があるのではなく、親の自己評価の低さに問題があると思う。
それは、年老いた親に言うべきではないと思う。
そして、それから来る圧力が、子供を服従させるのだろう。自己を放棄させるのだろう。
自分を受け入れる、自分を取り戻すためには、脳の回路を変えなければならない。
だから、脳の回路が変われば、今の自分が疑問で仕方がなくなるはずだ
憎しみを意識し、欺瞞性に気づき、自分を取り戻したとき
外からその欺瞞性に気づくだろう。だから神経症的なサド・マゾ
あるいは、自信のない人が救われるには、このことからはじめなければならないと
思う。
321:心理学のプロ
06/10/21 07:50:37
苦痛にも、種類があると思う。
自己改革のための苦痛というのは苦痛でありながらそれは
爽快へと結びつくので、良い苦痛ということになる。
良い苦痛なんだと意識できれば・・・。
間違ってもSMの苦痛では人は救われない
逆にいえば、異質な行動で救われようとしている人は救われない
他人に憎しみをぶつけてみても。
322:305
06/10/21 08:15:38
>>307
稚拙な意見になってしまいますが…。
過保護な母親に服従してきた子供にとって、母親から自立することは
母親から見捨てられる危機感に酷似しているように思えます。
普通ならばそれは自然に起こることなのですが、
服従によってでしか愛を感じられないようになっている子供は
自ら危険(反抗により親の保護を失う可能性)を犯すようなことはしません。
つまり、反抗期を許されないのではなく、反抗期という発想に至らない。
(若しくは反抗することに恐怖を覚える)
良い子でありつづけた子供がいくら自分の中の引き出しを探ったところで
「反抗期」には鍵が掛けられているので、素通りしてしまいます。
私自身反抗期というものを経験しておりませんので、
引き出しの中身が何であるのか、未だに理解できません。
幼い頃から「個」を殺してきた子供にとって「個」は未知の状態であり、
自分には無いものなので他人の「個」(反抗期による親との分離)も理解できないのでしょう。
存在していないのと同じです。
そうすると必然的に、他人のイメージが曖昧になります。
なので自分のイメージが曖昧であることにも疑問を持たず、
環境に順応し、自立の機会を見失います。
323:咀嚼途上者
06/10/21 09:51:59
>>322 のレスを「稚拙な意見」と言われると俺の立つ瀬が…w
親からの愛を服従によってしか感じられない、というのは、
悪く言い換えれば 子供なりの計算、というか経験則によって覚えた処世、とか
そういう言い方をするとすこし違うのだろうか?
親の言うことを聞くことによって
母子未分化を継続したい(過保護な親による突き放しが不充分なため)
乳幼児状態が潜在的に続きっぱなしになる、ということなのだろうか。
(乳幼児期には人間は他人の世話を受けないと生きていられない。
それを従属とか服従ととることが正しいのか、疑問があるのだが)
授乳期(口唇期、つまり母親との接触が唇に集まる)や
肛門期(便の始末による肛門への接触)
といった母親(あるいは世話をする他者)との接触に
性的快感の源泉がある時期と違って、
体そのものが変化して(生理・精通)
自分の体自身に関心が移り、そのことによって親と自分が分化する(個となる)
時期に、同時に精神的にも個となる契機が訪れるはずだ、と思っているのだけど。
(男根期は正直言うとその存在が普遍的かどうか、最近疑問に思いだした)
その時期に、反抗(精神的自立=自分が親とは別の個であることを攻撃的に自覚する)
せず、性的な個だけが自立するという状態なら、常に精神は誰かに預けたまま
その誰かに性を委ね、性的マゾヒズムが醸造される、というのは確かにわかりやすいんだけど。。
その場合、性的イリュージョンの対象は母親代理としての女だろうか、
母親から自分を引き離してくれる強い新たな支配者としてのサディスト男なのだろうか。
または、自分の中で無意識に憎んでいる、自分の中の母親を罰しているのだろうか。
教えてクレクレ君で悪いが、これだけしっかりレスできる人だと、聞いてみたくなった。
324:305
06/10/21 13:00:10
>>323
私の知識は全てが独学で、このスレと自らの経験を基にしたものなので…
偏ったものであることを前提にお聞き頂けると幸いです。
私が先ほど「親への服従」と言った行動は、乳幼児期に親から受ける世話などの延長の類ではなく
親に与えられた「良い子」という、親が子供に抱く理想への、脅迫的な憧れと、恐怖であり、
その「型」の中に自ら収まることで愛されようとする行動です。
個を抑制され続けてきた子供は、親に与えられた「己の在り方」(親が理想とする良い子)を盲信し、
それ以外の己(自由・本来は個であるべき己)を否定してしまう為に、
「型」に嵌らない己は愛されないものであると信じ込みます。
それは無意識の親の支配であり、子供は「良い子」という外郭で自らを形成するようになるので
その分、中身は空洞の、意志薄弱な主体性のない人間が出来上がります。
そうするとその子供は、常に「己を定義してくれる存在」がなければ
自らの方向性を見失うのと同時に、自らの存在価値(良い子)をも失うことになるのでしょう。
(この時期に反抗期に目覚めなければ、子供は親から自立することが困難になる)
325:305
06/10/21 13:01:56
>>323
そこで問題になるのが、
親によって与えられた理想の己(型)と、曖昧なイメージでしかない(或いは封印された)己(個)との間に存在する、埋まらない溝です。
理想の己(=親・他者が望み、愛する己の姿)に近づこうとすればするほど
結果として己を偽ることになり、思春期を迎えた子供は葛藤を迎えることになります。
(そもそも「自分」が無いのに、偽りの自分が存在し続ける)
これらの葛藤を和らげてくれるのが、新たな支配者の登場ではないでしょうか。
326:305
06/10/21 13:04:14
>>323
初めから「個」を殺し親の理想(という脅迫)に支配されるのと、
自ら「個」を捨てた上で新たな支配者に服従するのでは、その意味合いが全く違うような気がします。
新たな支配者というのは、子供の中で長年培われた「良い子」を破壊し、埋もれていた「個」をも破壊した上で、
子供が最も恐れる自由を奪い、不安から解放します。
また、未熟な母親を目の当たりにしてきた子供にとっては、接点が母親より少ない分
「白馬の王子様」としての要素(親・支配者としての完璧さ)を多く含む男性(父親に抱く幻想)の方が、支配者としての条件を満たしているのではないでしょうか。
ただマゾヒズムが性的倒錯である限り、男性はその対象に女性を求める場合が殆どなので、
母親に不足していたものを補完するために女性を選ぶのではないかと思います。
(私は女性ですので、申し訳ありませんが漠然として推測でしかありません)
また、己の内にある母親を罰する行為というのも、新鮮な意見で興味深いです。
母親が落とした影響を新たな支配者が罰し、矯正(調教?)することは即ち
母親からの一時的な分離を促す行為でもあるような気がします。
327:305
06/10/21 13:06:29
>>323
また、このような葛藤を抱えながら肉体的な性の目覚めを迎えてしまったら
愛し方を知らない(愛されたことのない)子供が他者を認め、愛せるはずがありません。
未だ未熟な子供は愛されることを望みます。それが歪んだ形で現れたものが、マゾヒズムの開花なのだと私は考えます。
マゾヒズムの根底に自己否定と無価値感が存在するのであれば、
肉体的にも精神的にも最も直接的なかたちでマゾヒストを「求める」サディストの「支配」は、
母親にいつか見捨てられるかもしれない(自立しなければならない)というマゾヒストの不安を拭い、
愛として錯覚させ、倒錯した性癖を植え付けるのに十分なのではないでしょうか。
328:咀嚼途上者
06/10/21 21:59:14
>>324-327 読んだ。 とても興味深かった。
なにより、よく整った文章と理解力に、アカデミーで論文を書く訓練をしたものと
そういう経験のない俺との差をつくづく感じている最中だ。(かといって別段引け目はないのだがw)
個々のレスに関して感想がある。今は少し時間がない。
できれば今後も継続的な参加を期待してる。 あなた以上に俺の方が独学なのだが。
329:心理学のプロ
06/10/22 14:27:06
負けられないな。
今までのことをぐっと理解するためには、脳細胞で考えるのが良いと思う。
誰でも、秩序があれば、それをすることができる。
誰でも命令されれば、命令の通りに他人と話せるだろう。命令する人を
信頼・尊敬していれば、さらに従える。なんにせよ職業に従属している人が
典型だと思う。あのよく切れる包丁の人は、普段は無口だったりする。
もし、秩序がなければ、何に頼れるんだろうか?それが経験則
つまり、脳細胞の状態だと思われる。あることをして、あることから
離れるという過程には、おそらく交感神経・副交感神経のような
感じで何かがあり、脳細胞が発達していくのだと思われる
だから、ナルシズムというのは、脳細胞が発達していない状態だといえる
親に他人を認める能力がないというのは、このことなのではないのだろうか
自分が恥をかかないよう、いつも考えている親。
自然に誰からも教えられない状態では、精神さえも親を引き継ぐ
これは、親の性格を引く継ぐというより親の精神の発達具合を引き継ぐという
ことなのだろう。
330:心理学のプロ
06/10/22 18:04:22
命令されて自分で考えずにやっている人
自発的に創造的にそれをやっている人
結果が同じでも、この両者に違いがあるとすれば?
それは、自己の問題にかかわってくると思う。日本の問題点として
いまだに この 自我ー意識●自己●無意識 のうち自己が疎外され
無意識から意識へ上ってくる何かを阻害する傾向になる。
しかし、それは科学的に言えば、あからかに心理的成長を
さまたげることが、よしとされている。つまり、自分の成長を阻害することが
よしとされているのは、服従の文化に関係してくる。
よって、規範に執着するようになる。ひきこもりなども基本的には
この規範が問題となる。内面が成長していないから、人付き合いの意味が
わからないのだろう。彼らにとっては表面上しか接することはできないので
人付き合いが苦労になる。ストレスになる。そこに探検家のような
好奇心はない。あるのは、悲しいことに幼児的な自己保身だけである
そこに正義のレッテルが貼られる。真理的成長がない。
331:心理学のプロ
06/10/22 18:15:20
過保護・過干渉・我執の親というのは、恐ろしい
彼らは、子供が心理的に成長するのをやめさせるために、ああいう
行動にでるのだ。同じように子供のためと言いつつ
一方は押し出すことを、一方はしがみつくことを目的としていたら
そして、この二つのことを判断するのは、意外に簡単である
親が本当の意味で、自己評価が高いかどうか見るだけでいい
自己評価が不当に低いとは、親が親から精神的に自立できていない証拠である
いつも不機嫌な親は、賞賛されることを求めている。親もそれを
わかっていない。子供は自分の性だと自分を憎む。こうして
欺瞞性のまわりをぐるぐる回る関係ができあがる
欺瞞性の正体は、服従による意識されない自己憎悪だと思われる。
ようするに、この欺瞞性を暴くような精神的成長を許さないということである
子が順応するということは、自分の感じ方を放棄してしまうということである
332:没個性化されたレス↓
06/10/23 00:19:01
行為を持っている相手の前ではノーマルで
それ以外の人間の前ではドSというのはどういうことですか
333:没個性化されたレス↓
06/10/23 01:48:23
行為×
好意○
334:没個性化されたレス↓
06/10/23 13:55:49
自分が並々ならぬ好意を抱いている人間に対しては
精神的肉体的に痛めつける事に非常に性的興奮を感じるのに
そうでない人間に対しては普通に優しくできるし
普通の恋愛のような付き合い方で満足できる人間はサディスト?
335:没個性化されたレス↓
06/10/23 14:45:39
何度も繰り返される言葉に注意すべきです。
執拗に繰り返されると「そうなのかなぁ」と思ってしまう。
もっともらしい理論には「そうかもしれない。」と感じてしまう。
でも、そうじゃないよ!そうじゃないんだ、ということに気づくことが大事です。
悩める人々はプロのいう事に注意しましょう。
「聞くな」とは言わない。ほどほどにしとけってことです。
私は全部は読んでいないけどね。
彼の過去に向かう時間にも注意しましょう。
過去には何にも実態がないので。そうでしょ?>プロ
それから咀嚼はどうしてサドとマゾの心理について知りたいの?
どうして?前も聞いたと思うけど。
336:さ
06/10/23 14:52:30
小さい掲示板の言葉に踊らされるほど人の頭は小さくないのです。そうでしょ?
ごぶさたしてました。
SMのおっさんに会ったよ!すばらしい人でした。
337:305
06/10/23 17:20:22
>>326の補足です。
マゾヒズムの女性が支配者の対象に男性のサディズムを求める理由に、
母親(大抵の場合は初めての他人である、女性)が、
象徴的ファルス(男根)を持たないことが推測されます。
というのも、母親には男根がないと認識した時、自立の過程にある女児は
母親に対して失望するそうです。
(母親と己は性において同等である事実)
その失望は、男児と己を比べた際に感じる劣等感から来るものであり、
女児は結果的に父親への愛情(憧憬)を強めることになります。
(自分にはないものが、男性・父親にはある)
これは「エレクトラ・コンプレックス」という現象ですが、これが男性のマゾヒズムである場合
「エディプス・コンプレックス」の作用(母親への愛情・性欲)が
そのまま受け継がれるのではないでしょうか。
(消化不良な感が拭えないのですけど…)
338:305
06/10/23 17:37:28
>>328
私の構造を解剖しているようなものなので、
心理学的に筋が通っているのか非常に不安なのですが…。
このスレには得るものがたくさんあるので、
暫く、ここで学ばせてください。
プロさんのレスには、もう言葉もありません。
薄々感づいていたものが改めて言葉になり、説明されると
とても感慨深いです。
339:心理学のプロ
06/10/23 19:55:10
ここで、異常行動の原因となる劣等感について考えてみたい。
この種類の劣等感には、よく考えると意味がわからないものが多い。
顔が少し大きいとか、ありとあらゆる理由を見つけて
「 自分がだめだ 」ということを正当化したがる
一見すると、退行的な防衛となりそうだが、この退行的な防衛は
どのようなことが原因で起こってくるのか。
これは、自己不在から起こってくるのだと思われる。
この自己不在が起こる原因として、やはり服従がある。
自分でものを考えられなくなる。心理的成長とはもっぱら
脳細胞が複雑に枝分かれしていくことじゃないだろうか
秩序がくずれ、心理的未成熟さが表面化した。大多数の日本人は
ナルシズムを克服してはいなかった。これは、親から認められることにより
克服できる。つまり親が当然として自尊心があり子供も自尊の感情を
持つのだろう。これはあいまいなものでなく、脳細胞にかかわるため
これが、心理的土台となるのではないのだろうか
この集中力は、人生に対するスタンスとなり現れる
彼らは、自分をその対象物と同一化して考えられる傾向が強いため
実によく見ているのだ。目元に力を入れたり、考えているふりを
しているわけではなく、これこそ、誠実な関心・善悪別とした集中力
なのではないのだろうか。
340:心理学のプロ
06/10/23 20:00:29
何かの本に、どっぷりそれに使ったからこそ(集中力)
それから離れることができると書いてあった
これも脳細胞ができあがり、興味が薄れていくのだろうか
あるいは、形が変わっていくのだろう
変化しない親子の関係とは、永遠なる母体固着を意味する
近親相姦を意味する。
逆に憎しみに人はしがみつくのだという。
この憎しみの根源を、意識されない服従に求めることができる。
彼らは、嫉妬が自己不在から来る他人不在だと気がつかない。
もっぱら正義というのは、人間交流にあるのではなく、自分の中にあるのでは
ないのだろうか。(今の時代ではそうだろう)
心理的に、脳細胞的に言えば、秩序を守るという行動にはほとんど
脳細胞の発達はない。子供の創造性を殺すとは、規範意識で縛るということである
過剰な規範こそ、意識されない服従である。そこには、憎しみがある。
憎しみがあるからこその、自己に対する成長が妨げられる
341:心理学のプロ
06/10/23 20:07:21
苦しみ中に不安の中に嫉妬の中に恐怖の中に
ある種類の良いものを見つけなければならない。運動の苦しさは
楽しさへと結びつくものだろう。このようなトリックに気がつかなければ
コントロールできない。不安の中にも良い不安がある。期待から来る不安など。
これらを亡き者にしようとすることが心理的成長および内面の放棄になる
そして、他人の中にそれを見つけて攻撃せずにはいられない
自己不在とは、無意識への抑圧が強すぎる。これは権威主義に多く
規範を重視する傾向がある場合に多い。自分には価値がないのだから
当然他人にもないのだ。
342:没個性化されたレス↓
06/10/23 20:17:41
心理学のプロさんの内容は加藤諦三さんと根底にある思想が似ている気がするな
343:心理学のプロ
06/10/23 20:23:44
>>342
似るのはしょうがないと思います。セオリーですから。
フロイト・ユング・マスロー・ロロ・メイ・加藤・アルノ・フロム
ありとあらゆる本を読みあさり、自由主義における
根源的な劣等感は、自己を放棄してしまうことによるものであると
わかりました。自分に対する空虚感というのは、そのまま放棄した抑圧した
空虚感であり、それは秩序の崩壊かあるいは、他人を通して
刺激されると思います。ところが、これはコミュニケーションにより
埋められると思いますが、自由から逃走した人にとっては
つまり、自分の判断をすることができない(脳細胞)人にとっては
異質なものに魅力を感じるということです。
自由主義では、もっぱらコミュニケーションも相対化されており
まるで株式市場のような状態だと思います。なんにせよ
欠乏動機では、生きていけないでしょう。達成動機で進むためには
ナルシズムの克服が必要だと思います。
Mに未来はない。これが私の持論です。
344:心理学のプロ
06/10/23 20:33:57
たとえば、他の本と組み合わせると、より理解が深まると思います。
どっかの文化大臣のほんと加藤さんの本で
他人の考えを先取りし、あるべき答えを出そうとする
自分で考え、自分の答えを出す
これは、たいていの場合は、答えは同じになりますが
この二通りの人は、まるで別物だとわかるはずです。
ある一方は秩序に従属し、脳細胞が未発達のまま
ある一方は自発的に考え、脳細胞が成長しています
345:没個性化されたレス↓
06/10/23 21:43:48
死の欲動とマゾヒズムについて
このスレで触れられたことはあるでしょうか?
346:咀嚼途上者
06/10/23 22:15:50
>>345 「一次的マゾヒズム」の問題には触れていない。
その段階にはない、と思ってるから。
あなたに何か考えがあるのなら、言ってくれてかまわない。
(だからといって誰かが何か反応するかどうかは保証の限りにあらず)
347:305
06/10/23 23:17:00
>>346
>>365で質問したのは私です。
「一次的マゾヒズム」というのですね。
私は心理学についてド素人ですので、この問題に関して論じられるような知識はございません。
学ぶにしても、どこから手を着ければよいのか見当もつきません。
ですが、少しでも理解したいのです。
構造を知りたい。
もしお手数でなければ、一次的マゾヒズムを学ぶためのキーワードを
いくつか教えていただけませんでしょうか。
お願いいたします。
348:咀嚼途上者
06/10/23 23:37:30
>>347 今、時間がなくてどれを選んで良いのか確認できないのでとりあえず検索画面でご勘弁を。
[一次的マゾヒズム]
URLリンク(search.yahoo.co.jp)
349:咀嚼途上者
06/10/24 06:28:45
もういっちょう 「死の本能 マゾヒズム」 検索画面
URLリンク(www.google.com)
たんねんに捜せば概略はわかる。そして、概略しかわからない。
なぜ、取り上げなかったか?。
(1)ナクト(俺のフロイト理解の大半はこの人の『マゾヒズム』という本に負っている)によれば、
一次的マゾヒズムは「臨床」とは合致しない。
(2)フロイトの初期の二次的マゾヒズム理論(マゾヒズム=サディズムの内向)が
180度転換して、マゾヒズムが死の本能の現れとして本質的に先行し、
サディズムは、マゾヒズムが外に向けられた場合、として逆転した認識になっている。
(3)フロイト本人も、「思弁的認識」と言っていて、分析的な裏付けをもたない「哲学」である。
という認識のもとに無用の混乱を招くので取り上げなかった。
しかし、それが自分の内部でなにかピンとくるものがあり、
そっちの方がマゾヒズムを深く考えられると思うのなら、展開してくれればいい。
350:咀嚼途上者
06/10/24 07:12:40
>>332-334 それぞれ別人か? 言ってることがまるで反対だが?
>>332 に関しては 「サディズムは復讐」 がヒントにならないか?
>>334 [並々ならぬ好意」 と [普通の恋愛] との違いは何だ?
単にサディズム衝動を覚える相手 と 恋愛の対象になる相手が違うというだけなら
これも「サディズムは復讐」がヒントになるはずだと思う。
>>さ氏 「認知科学、若しくは脳機能科学を少し学んでみようかと思います。
もっと掘り下げていくと物理学的観点からも考察しないといけなくなるでしょう。
そして最終的には「生命の意味」を考えざるを得ない・・・・・。」 頑張ってくれ。
プロ氏の主旋律は本人も言ってるとおり常に同じだ。
「自己評価の低さ」と「親の我執」
この基本的なメロディを様々な変奏曲としていろんな音色や楽器で奏でている。
「すべては自己」といっていた部分に、今回は
社会の有りようとの関係が加わり、「総合」の幅が拡張された。
(フロムは「政治論」としてはたいしたものではないが、サディズム・マゾヒズムとの関連を
そういえば言っていたな、と思いだした。捜してみるか)
「思春期」を持ち出したのは、
吉本隆明の「家族のゆくえ」を読んでいて、ふと思いついたからだ。
「自分の中の母親が打たれる」は ドゥルーズの「マゾッホとサド」にあった
「男性Mは自分の中の父親をむち打つ」 を母親に置き換えただけだ。
351:咀嚼途上者
06/10/24 07:29:27
>>350 は ただの酔っぱらいの発作だ 通り過ぎてくれ
352:305
06/10/25 07:40:28
>>348>>349
ご丁寧にありがとうございます。
拝見させて頂きます。
353:咀嚼途上者
06/10/27 07:03:17
>>352 何か思うところがあったら、自由に書いて欲しい。
どんなことが人の考えを触発したり、進めたりするかわからないから、
遠慮無く書いて欲しい。 俺はしばらく休憩する。
354:咀嚼途上者
06/10/27 07:07:36
反論も自由に遠慮無く。というか、反論して欲しい。
まじめな反論は、同意より役に立つ。
それは自分の考えの輪郭をよりはっきりさせる。対立で次の段階にすすむ。弁証法だ。
355:咀嚼途上者
06/10/27 07:22:41
ただし、攻撃はだめだ。攻撃は感情が入ってる。
感情的な対立は、無意味な消耗しか産まない。勝ち負けを競う党派主義しか産まない。
ただ「ほんとうの事」を知りたいだけなのだ。
このスレはそういうことが判ってる人たちが多い気がする。(勝手にそう思ってるだけだが)
ある程度の段階に来ると、考えはなかなか進まなくなる。それは当然だ。
だが、行き止まりではない。 時間はかかるが、考えなければならないことは
まだいっぱいある。 充電が必要だ。
356:心理学のプロ
06/10/27 08:38:09
アドラーの一説の、劣等感のあるものが遠回りをして優越感を
得ようとするというのが、少し前までわからなかった。
アドラーは、これを下手なトリックと言っていた。しかし
なぜかは、書いていなかった。
しかし、今ではこの「 恐ろしさ 」を知っているし、理解している。
つまり、劣等感のあるものが(通常の劣等感ではない。後詳)劣等感を
抱えたまま、それを維持したまま、優越感を得ようとするから、遠回りに
なるのだ。
これは、今後日本最大のテーマになると思われる
「 擬似成長 」だと思う。問題は擬似成長が起こる原因と対策だろう。
357:心理学のプロ
06/10/27 08:42:21
擬似(擬似)成長とは何か?うその成長であり、見せ掛けの成長のこと。
言葉で考えず、神経で考えてみればわかる。
理解すれば、おそらく神経が発達していくのだろう。
ところが、この擬似成長の場合、ほとんど神経が発達しないのだ
考えてみて欲しい、命令されいやいや持ってきた、自分で持ってきた
この二つの結果は同じだが、その神経はどうだろうか?
擬似成長とは見せかけの成長なので、擬似成長を多用してきた人は
嫉妬深い。他人が自由にしていると我慢できない。劣等感が強すぎて
誰も応援していないなど。いまだに自分にこだわっている状態
358:心理学のプロ
06/10/27 08:45:10
擬似成長が起こる原因としては、やはり親が重要だと思う
良い親なら、子供は疑わない。ところが良い親の良い親をしている
理由は何であろうか?
特殊な従属が起こる。それはニーチェが言う、道徳は服従を正当化するために
作られたというものを想像させる。
創造的ではないというのは、自分のことがわからないということだと思う。
他人はなぜああなのか?と考えるとき、そこに擬似成長が見え隠れする
359:心理学のプロ
06/10/27 08:50:21
神経で見た場合
ー と -- はどちらが良いだろうか?できるならば
発展しているほうが良いと思わないだろうか?
もし、愛と憎しみが結局のところ、建設的か破壊的か(退行的か)
ということになれば、もっぱら自分の精神の成長が愛する能力だということになる。
ここに、興味が義務を超えるというのがある。いやいやより本人の好きなものの方が
力を発揮するということだと思う。そして、これは自分に対する当たり前の
自尊心があり始めて、人生に責任をもてるということでもある
異常行動の裏に、擬似成長をしている親がいなかっただろうか。
これは、意識されない服従であり、秩序がないとやっていけないのだ
秩序がくずれた現在、擬似成長がありありと表面化している
「 遠回りして優越感を得ようとするのは、成長せず、自分の
イメージだけを形作るという、基地外じみた行為である
ここには、人間には一切価値がなく、その付属物に価値があるという
優劣・権威主義の傾向が見え隠れする。しかし、それは
科学的に言えば、幼児のままの精神状態といえる。人々は自由から逃走
している 」
360:心理学のプロ
06/10/27 08:57:15
我執の親が不機嫌なのはなぜか?
子供はそれを見て、心理的成長をやめてしまうかもしれない。
我執の親が不機嫌なのはただ単に極論、自分が成長することが
できていないからである。それに正義の仮面や道徳の仮面がつけられる
正当化される。こうして、実はまじめな人間が幼稚園児で
その幼稚園児が嫌う人間的な人たちが、立派な人ということになる。
我執の親が怒っているのは、他人が自分と同じように
自分には価値がないと思っていないからである。
361:心理学のプロ
06/10/27 09:08:19
機械人間には、心がないから他人の心もわからない。
彼らが心を取り戻すことは望めない。
彼らに必要なのは、自分の欲求を尊重するということだからである
彼らはまた、自分の欲求を罪悪視し、他人をその分だけ憎むのだろう。
それは、ただ単に偶像に服従しているだけであり、他人もそれを
強要しているだけだと気づくまでは。
362:心理学のプロ
06/10/27 09:13:20
ただ単に服従しているだけなのに、それを正当化するために
他人にもそれを強要する。そのときそれに、正義や道徳がつけられる。
要するにただ単に服従して自分の感情を放棄しろとのことだろう
親がいかに恐ろしいか。虐待する親 だけに注目が集まる中
隠された虐待については知られていない。
自分に価値がないと思って身構えて緊張している不機嫌な親や
献身的で犠牲的な母親というのは、実は親から卒業できていない
秩序がないとやっていけない人たちなのである。見てみるがいい
近所づきあいもまともにできない人ばかり。彼らには何も好きなことがないのだから
ただ、自己喪失による苦しみを癒すために、他人不幸を探すか
自分の葛藤を癒すために、何かしているだけだろう。その証拠に
ものごとを細かくみれない。それは好きでないからだろう。
だから、当然、子供も好きじゃない。
363:心理学のプロ
06/10/27 09:16:23
少なくとも、大きな理由もないのに、自分が自分で自分を嫌いだという人間には
精神に問題があり、彼らが口から、何かでまかせを言おうが
年がら年中嫉妬しているし、彼らには他人を蹴落とすことしか頭にないし
誰かから認めてもらうための努力しかしないし、何も好きなことがないし
子供も嫌いなのだろう
彼らの口から出てくることは、それが好きではないという証拠にしかならない
かといって、嫌いというわけでもない。では、何なのか???
それは、自分の葛藤を解決するために(擬似成長)必要だということに
過ぎない。彼らの人生の中身は形でしかない。
364:心理学のプロ
06/10/27 09:47:30
建設的か(創造的か) あるいは 破壊的か?(退行的か?)
思えば、何のために退行的になる必要があるのか?
それが、自分に価値がないと思っている親の言うことを聞いて
親が自尊心を回復させるためだというのならば、笑いごとでしかない。
そんな笑い事を真に受けてしまったら?
その笑い事に、服従するということは、そのことを悪いとはおかしいとは
思わないことである。かといって常識的に正しいとはいえない
だから、心理的成長は止まる。馬鹿な親は自己放棄している子供を
良い子供だという。いかに気が狂ってるか。その良い子供がカルト宗教に
入ったり、いじめで自殺すると、他人の責任にする。自分に心がなかったからだとは
認めない。それを見て、マスコミの上層部は笑っているのだろう。
「 知らないわけがないのだから 」
うつ病の基本的な原因は、擬似成長にある。だからこそ、がんばれと
言われると、うつ病の人は辛くなる。また、自分を殺して自分でない自分を・・・と
なるからである。嫉妬をやめるには、自分を知らなければならない。
これは、ただ単に自分のままでいいということである。これを探そうとしても
無理である。マスコミは恐ろしい。上層部はすべて知っているのだろう。池田大作・分鮮明・・・。
池田大作や分鮮明の悪い部分はどこへ行ったのだろうか?
擬似成長 完結
365:さ
06/10/27 23:58:37
こんばんは
ひとつ質問なんだけど、プロは何かの実験のためにここに発言をしてるの?
それともごく普通に自分の考えを述べるために書き込みしてるだけ?
どっちなんだろう。
366:心理学のプロ
06/10/28 10:17:06
>>365
すいません。実験と自分の考えと、自分の考えのまとめの両方です。
すいませんね。他人のこと考えないで。
しかし、基本的な心理問題は、心理的成長がかぎになっているので
ナルシズムやそれを維持するための擬似成長こそが
サディズム・マゾに関連してくると思います。
367:没個性化されたレス↓
06/10/30 18:32:34
【男性限定】女に浣腸される屈辱と快感
スレリンク(sm板)
368:さ
06/10/30 20:08:29
べつに謝らなくても・・・。せめてるわけじゃなし。
じゃあ、もうひとつしつもん。
プロの意見に誰も反論しないのになぜ、同じことを繰り返して書き込みをするの?
だれか反論したほうがよいのかなあ?
だったら反論するけど?
反論の内容はまだ決まってないけどね・・・。
369:没個性化されたレス↓
06/10/30 22:17:45
>>368
理論として一応形が整っていることでも、
感覚的に理解し難いことであったら
同じ主張であっても、何度も書いて理解を深めるということはよくあることだと思う。
根本的な原因をてことして、そこから端を発する諸問題に焦点を当てている場合にも
同じことを繰り返し書き込みしているように見えると思う。
それより、反論の内容が決まっていないのに反論しようとする心情に疑問を感じる。
370:えす
06/10/30 22:58:18
>>369 まぁまぁ
ここの皆がプロ氏の書き込みを興味深く読んでると思うけど、
プロ氏の書き込みがSMにおける心理的な事柄全てを表しているとは、誰も思って無いと思うよ。プロ氏本人も含めて。
結局は統計であり、個人に対しては参考。得た知識を飲み込んで、消化して、またここに書き込む。
その方が建設的だね。
ちなみに俺も最近、反抗期の問題ばっかり考えてる。
反抗期が思った以上に成功してしまった人←→反抗期に失敗してしまった人
371:心理学のプロ
06/10/31 01:47:37
かなり決定的な事実に、服従というものが精神の成長を妨げる
ということがあると思う。服従と言えば大げさだが
これは、自分の感じ方を放棄すると言うことだと思う
いつの間にか巧妙に放棄してしまっている人がいないだろうか?
趣味がない・好きな番組がない・好きなことがないというのは
このことが原因による、精神のどこか一部分の未発達によることが
原因ではないだろうか。偽の劣等感・偽の自己憐憫・偽の罪悪感
というのは、この約束を守ることでしかない。精神を成長させて
あなたのうそを見抜けるようにはなりませんからと。
いつも、自分が失敗しないか身構えている人は、特に理由がないのなら
親との関係が終わってないとも言えるし、それは同時に精神のある部分が
ほとんど未発達だともいえる。そして、周りと比べて当然
精神的な成長は差がついているので、自分に対する劣等感は本物だろう。
なにせ、理由をつけて精神の成長を怠ってしまったのだから。
372:心理学のプロ
06/10/31 01:52:33
弱いものを犠牲にしなければならない、意外な人たちが
この自己放棄に深くかかわっていると思われる。
さっきの、親との関係が終わっていないことを知らない
自分に価値がないと思い込んでいる人は、他人を利用せざるを得ない
強い劣等感を持っている人は、実は悪人だと思う。不良のグループに
入ることは、非行に走るとの宣言であるならば、強すぎる劣等感は
自分以外のすべての人間の不幸を望む、幼児の怒りの復讐の宣言だと思われる。
つまり、この自分に価値がないと思っていることは、実はうそで
これは単にあのとき約束した、ひそかに密約した、精神の成長を
しないということの理由付けでしかないのではないのだろうか。
これは、服従の文化を正当化する日本の権威主義に原因があると思われる
373:心理学のプロ
06/10/31 01:57:01
ジャイアンツのはら監督が、昔、本か何かで
自分を愛せないものは、他人を愛せないと 言っていたそうだ。
しかし、本当によく考えると当然ではないのだろうか?
どんなに金を持っている人だろうが、プロスポーツ選手だろうが
それほどの圧倒的な差はなく、あくまでも細かい差しかない
共通しているのは人間の本質的な弱さだけである。
誰でも誰かに指導されたならば、それに成ることができると思う。
自分の存在を認められない人は、まさにそれが理由で
他人を憎むだろう。他人を無価値にする。これは恐ろしいことではないのだろうか。
無価値なものには興味がない。こうして、世の中の相互性から逸脱する。
逸脱しておきながら、さらにまた、逸脱したいとしか思えない
自分を無価値にして何かで挽回しようとする行動に出る。
自分に価値をおけばよかったのだろう。ならば、自分に価値が置けなかったのは
なぜか?そこに家族の問題がある。何かが受け継がれれたのか?
過保護・過干渉が、自分に価値がないと思っている親が、自分の価値を
補おうと子供にしがみつくことだとするのならば・・・。
374:心理学のプロ
06/10/31 02:06:51
いつも不機嫌で、口数の少ない親。怒るときは凶暴に怒る親
かといって、悪い親でもない。働き者だ。責任感もある。
しかし、幸せそうではない。この親の心理状態はどうなっているのか。
自分には価値がなく、強迫的に努力して、周りから認められようと
しているさまが思い浮かぶ。そして、不機嫌なのだろう。
それを、他人の、子供のせいにする。別のことで怒る
子供は自分が悪いと思うだろう
ある子供は、自分の考え方・感じ方を放棄し
この、父親の表面上の言葉のみを信じるようになるかもしれない
いや、信じてはいないと思う。だから、不信感が募る。いつかこの
不信感の理由も考えずに、この不信感を理由に別のけんかがおきるだろうか。
アルコール中毒の親を持った子供が、また恋人にひどい男を選んでしまう
傾向があると言う。考えれば、当然かもしれない。彼女の脳みそのある部分は
発達しておらず、理解できないし、それ以外の人との付き合い方を
知らないのかもしれない。
375:心理学のプロ
06/10/31 02:19:53
最終的にまとめると、おかしなことに気がつく
身動きが取れなくなる、矛盾に直面してしまう。
自称良い親は、子供に自由にさせてやったと思い込んでいるが
実際には、精神の成長をやめさせて、それでいて、幸せになってほしいと
思っているのだ。自称良い親を疑わなくなった子供はどうなるのだろうか
フロムは、愛とは情熱的な応援、つまり精神の成長を応援することだと
言った。正しさを問うならばそうだと思う。しかし、現実には応援しながら
相手の不幸を願う人がずいぶんいることになる。応援したふりをしながら
相手の不幸を心の奥底で願ってしまう人とはどのような人か。
服従は受け継がれていくのかもしれない。
その正体を見破るには、どうして欺瞞性を見抜かなければならないのかもしれない。
もっぱら、正義も悪も道徳も楽しさも物事に関する関心も自分の中に
あるのだから。
376:心理学のプロ
06/10/31 02:28:02
フロムの著作、自由からの逃走・・・
自由から逃走するとは、自分に頼ることからの逃走なのかもしれない。
精神的成長、精神的な戦いには、苦痛が辛さが付きまとう
しかし、これはトリックであり、この種類の苦痛は実は良い苦痛だと言える
それが幸せにつながるのだから。これを放棄するためには回避するためには
ひたすら自分の感じ方を放棄しなければならない。その行き着く先は
ロボットなのではないのだろうか。つまり死と同じである。
逆に言えば、完ぺき主義者は死と同じかも知れない。
それは、誰からも嫌われない、馬鹿にされたくないという気持ちにあらわれる
過剰な適応はすなわち、自己の放棄であり、精神的な死を意味する。
自分の意見自分の欲求を当然のように尊重してこなかったものは
嫉妬の鬼になるしかない。
377:心理学のプロ
06/11/01 06:55:26
人のどこかある部分の精神の成長がどの程度か見てみればいい
そこに劣等感の根源がある。誰でもパソコンを買ったばかりでは
パソコンが下手だというのはあるだろう。
何もしなかったら、ある日パソコンがうまくなるわけでもないし
野球をやってもパソコンがうまくなるわけではない。
パソコンがうまくならなければならないのに、なぜかほかの事で
それをなんとかしようとしていないだろうか。
そして、そのようなことは、防衛される。意識の上から限りなく
排除される。そしてそのような人は、ほかの人が同じように
そうであっても、その人がそうだと気づけない。
人を見抜けない。欺瞞性を共有している状態とはそうだと思う。
本当に気づけない。気づいてしまう対象を憎む。
378:心理学のプロ
06/11/01 07:00:26
だから、欺瞞性を隠している親が、どうして良い親を演じているか
わかるだろうか。そのような親は、なんと言おうと
意識の上から限りなく排除されているので、無意識的に子供を犠牲にする。
現在問題となっているのは、ナルシズムだと思われる。
ナルシズムというのは、世間の意味は間違いで、自分へのとらわれを
やめられない状態、自分への表面的なことに固執する。
これは、権威主義的な親のもとで作られる。ナルシストの本当の意味は
自分を好きになれないことである。正確に言えば、心理的な病気だと思う。
だから、このナルシズムを克服しない限り、他人のナルシズムに
正確には気づけないのだろう。自分が無意識へ抑圧したものが多すぎるのだろう。
379:心理学のプロ
06/11/01 07:06:15
強い劣等感から出た、行動が、より強い劣等感を生んでしまうと言うのがある。
それは、●が劣等感の原因なのに●を完全に回避して
ほかの事で劣等感を埋めようとするからではないのだろうか。
結局、パソコンは下手なままで。このパソコンを違うものに置き換えてみる必要がある。
結果、この努力は●に結びつかず、さらにこの●に結びつかない努力には
楽しさがなく、ストレスを抱えてしまう。
あまりにもばかげた話で、現在の日本人に最大の問題は
自分を尊重できない病だと言える。それが●なのではないのだろうか。
その●を他の何かで変えようとしても、誰も認めてくれないので
(むしろ嫉妬される)●は放置される。
380:心理学のプロ
06/11/01 07:15:03
自由主義において問題となるのは、権威主義における
自分を尊重しない考えなのではないのだろうか。
フロムが自由からの逃走と言ったのは、この権威主義的傾向
に固執することで、自分の不安から逃れることなのだろう。
固執し、逃げるというのは、具体的には抑圧すると言うことである。
抑圧されたものは投影されることもあるので、あたかも共産主義の
陣営は、共産主義以外の陣営を悪魔のようにたとえ、攻撃しようとしていた。
共産陣営だけではなく、自由主義側も共産主義や権威主義も恐れた
現に共産的ではなかったが?宗教の権威主義制にも恐れた。
自分ひとりで歩いているとき、自分を支えられなく、自分を支えてくれそうな
何かを探していないだろうか。ナルシズムの克服は一生の問題となる。
それゆえ、幼少期にナルシズムを終えた人とは、差がつく。この差は
気づかれないゆえ、大きなものとなる。他人を理解する能力がないものは
(ナルシスト)他人をだますことさえできない。
381:心理学のプロ
06/11/01 07:25:30
情報量と対人関係
スポーツ情報番組が4つあるとする。この4つすべてを見ようとするのが
完ぺき主義と言われる人格障害だが、そこに自己のなさ、自分のなさが
ある。自分のある人はどうやら、出ている人で選んでいる傾向がある
当然全部は見ない。
情報量が少なければ、ナルシズムでも、対人関係に苦労しない。
情報量が多ければ、ナルシズム状態では、何もかも嫌になるかもしれない。
どうしても、情報化社会、「 選択社会 」には、自分が必要だろう。
ナルシスト最大の特徴として、他人に見せるための努力があげられる。
ナルシズムが克服されていないと言うサインであり
本人の意識からは当然、排除されている。
382:心理学のプロ
06/11/01 07:39:38
自分に自信がないというのなら、それは自分の欲求を罪悪に思っている
ということであり、それは同時に他人にも自信がないようになれと
思っていることと同じである。自分の欲求を罪悪視すると同時に
他人をも罪悪視してしまう。
自分に自信がないのなら、あなたを服従させるために無意識に
行動していた重要人物がいるはずである。そのおかげで
あなたは、自分を持つことができなかった。
そう考えると、人間関係のすべてがひっくり返らないだろうか?
これこそが、権威主義から自由主義への転換なのかもしれない
創造性がないのは、努力が足りないからではなく、自分を取り戻していないからである
自分を取り戻せば、出て行かざるを得ない。そこに利益があるのだから。
383:咀嚼途上者
06/11/01 08:01:31
>>101 86氏へ
いろいろ考えるためと、あるスレッドに集中するためここを休んでいるが、
ここを読んで考えることや、自分なりの勉強を止めているわけではない。
そんな中で↓を見つけた。
URLリンク(charm.at.webry.info) より引用
(トップページURLリンク(charm.at.webry.info))
「 ユング派の精神療法でも自我の強化や成長は重視されますが、
フロイトの説く自我がエスや超自我を適度に調整するという
『自我の特権的地位』に対しては批判的であり、
『無意識のイメージや物語に注意を向けて、
無意識からのメッセージを現実生活に活用する』という
特殊な精神療法の治療機序を持っています。
ユングは『自己(セルフ)』という元型を考えて、それを
無意識と意識の両方を合わせた精神内界全体の中心に位置するもの
と定義しましたが、この自己が、
意識と無意識の力動を統合して自己実現的な本来の人生を生きようとする
原動力になるといいます。」
384:咀嚼途上者
06/11/01 08:02:26
「自我(エゴ)と自己(セルフ)の最大の違いとは、
現実的な自分の立場からの判断や知覚を最優先して
それ以外の精神内界のイメージや感情を否定する機能が『自我(エゴ)』であり、
外的現実性以外の内的現実性も受け容れて
精神内界のイメージや情緒の意味を読み取ろうとするのが『自己(セルフ)』であるという事です。
意識領域の中心にある自我(エゴ)は、
無意識領域から侵入してくる強烈なイメージ(元型)や圧倒的な欲望を否定して抑圧しようとしますが、
意識と無意識の中心にある自己(セルフ)は、
無意識から生起してくるイメージ(元型)の持つ意味を解釈し、
圧倒的な欲望を現実世界に合わせた形で充足させようとします。
実際の事例で考えると、
職場や学校に過剰適応して周囲の期待や願望に応え続けている人は『強い自我』を持っていますが、
無意識と意識を統合調整する『自己』のバランスを欠いていますので、
精神的ストレスを受けやすくなり、
消化器潰瘍や頭痛などの心身症やアレキシシミア(失感情言語症)を発症するリスクが高くなります。」
これでだいたい合ってるかな?プロ氏。
385:咀嚼途上者
06/11/01 08:29:36
自我と自己(セルフ)の使い分けは
君の言説を理解しようとする上で、ひとつの大きなネックになっていた。
だから前スレで俺は執拗に問うたし、今スレでも86氏が同じ処で引っかかっていた。
だから確認しておきたいのだ。
今、語られていることは、「反抗期・思春期」とも奥で連動していると思って
興味深く読んでいる。 (以上、恒例の横レス)
386:心理学のプロ
06/11/01 11:46:19
あんまり分けるのは好きじゃない。現にアドラーは分けなかった。
>>384
それで大丈夫だと思いますよ。ただ
無意識→自己→(言語ゾーン)意識→自我 の流れなので物事は。
電柱を見た瞬間、最初は無意識的に見ているはずです。その後、自己を通り
言語化され、電柱が理解される。
どうやら、無意識に近いところに防衛機制があり(なぜなら
防衛機制は意識できないから)抑圧とかしているわけです。
これも、心理的神経的、自己保存性があるからでしょう。
防衛機制は、人間のためにあるわけではなく、この自己保存性から
きているのだと思います。巨大な抑圧は、その人の行き方を決めてしまう。
劣等感があれば、劣等感を回避する生活をするかもしれません。
387:心理学のプロ
06/11/01 11:54:17
ここですごいことをいおうと思うのですが
自己は、つまり無意識ー自己ー意識ー自我において
自己とは、自分ではありません。
388:心理学のプロ
06/11/01 12:15:51
職場や学校に過剰適応して周囲の期待や願望に応え続けている人は『強い自我』を持っていますが
↑
これは、少し違うかも。強い自我というよりも、おかしな自我だと思われる。
過剰な自我は、自己を隠すための言い訳に過ぎない
だから、過剰適応者はみんなから嫌われる。規則にしたがうのはいいが
その規則を作り出している理由が、もし自分を隠すためだったら。
389:咀嚼途上者
06/11/03 05:39:11
>>387
以前も言った気がするが、
個としての「自分」は
統一体として 外界から相対的に独立している。
それと、自分の内部の一部分にすぎない「自己」が
ちがうのは、あたりまえだと思うのだが。
390:咀嚼途上者
06/11/03 14:41:19
心理学用語を離れて一般的に言えば、
自分は まさに「分かたれた」「自」 つまり、自然・他者から区別された個としてある。
自己は 「己れ」「自身」 自然・他者関係無しの、己れ自身。 つまり「即自」
この「即自」「対自」という言葉は大変便利なんだが、
どういうわけか、全く定着していない。日本人気質というやつか
本来「エネルギー」なんていう「概念」などより、よほど易しい概念なんだが
哀しいことだ。
391:咀嚼途上者
06/11/03 14:46:39
自我というのはその「対自的」心領域だ。
己をすこし離れたところから対象化している心の部分。
即自的な心領域=自己や、無意識部分から
「言葉」や「認識」によって離れた部分。 したがって「理・認知」の部分だ。
この理的認知は、「外界」と「内部」の2つを対象とする。
俺は 「頭」 とおおざっぱにイメージしている。
したがって自己は 「心」 とすればすっきりするのだが、
ややこしいことに、ユングは 「元型」 という概念を使うため、
すっきりと「心」といいにくくなる。 これがすべての「元凶」だ。
心理学には様々な派閥があり、精神分析(精神医学)にも様々な派閥があり、
それらによってすこしづつ、同じ言葉が違う意味で使われていたりするらしい。
しかし、まぁいい。 「プロ」氏がその言葉を使いたいのだから、
こちらは読んで、自分で変換して理解するしか方法がない。
392:咀嚼途上者
06/11/03 14:58:29
超自我は、いうなれば監視塔だ。
自分や自己という刑務所の中につき立って下界(自我・自己)を監視している。
「プロ」氏はそれを自我の中の「規範意識」として取り扱っているが、
俺のイメージでは、超自我はそれ自体独立した存在として、
上記のように塔とか、検問所、と見た方が良いと思っている。
そして、超自我の中には「規範」以外に「禁止」「美意識」なども含まれている。
Sが「超自我」のみ というドゥルーズの言い分はこのイメージの方が
はるかにわかりやすくなる。
そして、Mは、この監視塔の役割をSに、預けて、自分の「自我」「自己」を
むち打たせる(むち打たれる)というイメージも、
超自我をくっきり、自我から切り離して考えるイメージの方がわかりやすい。
この超自我を形作るのが、親の禁止・命令・学童期に植え付けられる世間的価値観、
本やメディア、友人間との関係などからくる、選択的価値観などになる。
当然、社会的規範意識もこの中に含まれている。
(以上は、門外漢の独学による咀嚼的解釈であり、なんら学問的裏付けはない。
すべては「文学的」「哲学的」「思想的」想像力と解釈に依っている。
これははっきり言っておかないと、誤解されるので、念を押しておく。)
393:咀嚼途上者
06/11/03 15:33:21
ついでに直接SMには関係ないが、俺の「文学的」「思想的」「哲学的」想像をもうすこし言う。
人間の心はもともと分裂している。
その根本にあるのは、母胎のなかで自己形成するという「胎生生物」の宿命だ。
(この「自己」は一般的な意味。心=情的部分の時は「」にくくって使う。
ややこしくてすまんが、「プロ」氏のいう「自己」とも違う。単純に「頭と心」の心だと思って欲しい)
出産によって母親の環界の外にでてへその緒を切られた時から、
「個」がはじまる。
だが、胎内にいた時、母親から直接受け取っていた「心」の部分はその時、
すっぽり「穴」があいたまま「空洞」部分として、「個」の心的領域に残る)
つまり自分自身の内部(皮膚によって外界から隔てられた内部)に、独立した時間が
流れ初めて、自分の心が成立するが、胎内にいた時、常に母親と胎盤で
物理的・生理的に繋がって、完全なる「個」としては独立しきれていない状態の時に
母親から受け取っていた心(あるいは共有していた心)部分は、
「もうひとつの心部分」として残存する。
(母親との心の直接的つながりは、ホルモン物質の変化その他を介してなのか、
あるいは、直接侵入なのかは、自分でもまだ、よく考えが詰まっていない)
この空洞部分がそのまますっぽり「自我」となるかどうかもまだ考えきれていないが、
とにかく、「ふたつの心」がひとりの「個」の中に存在することだけは間違いない。
そして、それをひとつの時間の流れとなる部分がその人間の「心意識」だ。 と考えている。
( くれぐれも言っておく。これらはなんらアカデミックな根拠があって言っているわけではない。
似たような学問的言説があるのかもしれないが、いまのところ完全に俺の独創だ。)
今日はすこし時間があったのでカキコした。
SMとは関係ないが、一度どこかで吐き出したかったことのひとつなので。
394:心理学のプロ
06/11/07 23:25:47
結局さまざまな本をまとめると、ただ単に金よりも
自分の欲求を尊重すればいいというだけだったのだろう。
エネルギー?は、内から外へ行く。
それを自分をだめだという考えで、止める。そこでエネルギーが戻る
SMも遊びならいいが、マゾ的サド的な人は、遠回りして
心的エネルギーを発散しようとする。エネルギー交錯により憎しみと
劣等感が生まれる。
395:咀嚼途上者
06/11/08 00:17:21
そのエネルギー?とは、
心的欲求 とか 衝動 願望 性的衝動
に近いのだろうかね。
死の衝動と生の衝動のうち、
「生の衝動」にイメージが近いように思える。
両方を含んでいるのかもしれないが。
(「死の衝動」を破壊衝動と言い換えれば)
遠回りはマゾに限定されるのではないか、と思う。
サドはむしろ、近道をしようとして、暴力に頼るのではないか。
396:咀嚼途上者
06/11/08 00:30:13
おもしろい。
反抗期と「近道」をしようとする「急ぎ」は何か関係ありそうだ。
そしてサディズムとも。
反対に「遠回り」と反抗期の不在(遅延=遠回り)が
マゾヒズムと関係するのか。
思春期にサディズム・マゾヒズムの素質が
嗜好になっていくのも、遠回りと近道と 考える事もできる。
397:咀嚼途上者
06/11/08 00:33:14
劣等感の元になるのは
「価値観」だから、
むしろ、劣等感のありかたが、
SとMの志向を分ける可能性もある。
398:咀嚼途上者
06/11/08 01:23:11
あと、気になるというか、解きたいことのひとつ。
S男の硬さ と M男の 柔さ
S女の普通さ と M女のもつ棘
ま、感覚的な言い方だけど。
399:心理学のプロ
06/11/08 02:36:30
間違った価値観を持つことにより、自我を正当化してしまう。
よって自己の成長がない。これは精神のある部分の成長がないという
ことだから、劣等感が強い人の、劣等感は気のせいではなく
精神のある部分の神経が本当に、成長しておらず
本当に劣等なのだと思う。そして、それはまず土台と成る自分を
受け入れない限り、成長しない。成長を拒否したまま、表面だけを
整えようとするのが、擬似成長だと思う。
400:咀嚼途上者
06/11/08 04:23:19
神経は実際の神経なんだな。
社会のありよう プラス
心身相関にまで考えを拡充してるというのは判ってるけど、
実際に劣等(未発達)であることと、劣等感自体は
違うだろ、と思うけどね。論理自体は判るけど。
神経の「疑似成長」というのもありえるのかね。
神経は未発達のみかな。
401:咀嚼途上者
06/11/08 04:25:58
つまり、神経の回路が、
通常と異なる繋がり方をする、というような可能性だが。
(実際にそのようなことがあり得るのかどうかは知らないが)
402:咀嚼途上者
06/11/08 04:27:57
いすれにしろ、そこまで行くと
実際に検査機器によって
物理的に確認できる可能性がでてくるわけだし。
403:心理学のプロ
06/11/08 05:14:58
おそらく、情緒やある部分の思考力が未発達と言うことなので
本当に劣等感の正体はそこだと思う。そして、それに
妄想じみた理由がつけられる。解決不可能な外見などの理由がつけられ
正当化される。ありとあらゆる理由がつけられて、ある部分の
たとえば、自分を出すのを拒否する。そうなってくると物事のとらえかた
他人の気持ちもそれに準じてしか見れない。そうやっていよいよ劣等になる。
404:心理学のプロ
06/11/08 05:21:30
→(心理エネルギー)
→無意識→自己→意識→自我
葛藤がある状態→無意識→自己←意識 自我
葛藤がある状態を自分に対する憎しみがある状態でもいいと思う。
自我が変化せず、強化される。自己執着とは、自分を憎んでいる状態だが
これは表向きで、裏では、このような仕組みが働いていると思われる。
だから、自己表現できるわけがない。自己は牢獄に入ったかのような
状態になっている。心は胸には無く、脳みそにあるので
あらゆるものが神経だと思う。神経のある箇所が劣等なのだから
劣等感は本物だと思われる。妄想的な劣等感は、時として
成長しないようにしていることが原因だと思われる。
405:心理学のプロ
06/11/08 05:31:39
ここで世の中の問題の一部が、はっきりとわかる。
自己執着しながら自己表現できるわけがないのだから
ノイローゼになっても仕方がないと言える
つまり、抑圧を正当化しすぎる親と自由主義はマッチしていない。
ノイローゼはいつか挫折する。それは何らかの変化が起こったとき
規則や秩序がある場合はいいが。進学などで・・・。
406:心理学のプロ
06/11/08 05:35:23
抑圧を正当化する親が、子供に幸せになって欲しいと思っている。
すでにこの親がノイローゼだとわかると思われる。
抑圧者は自分が怒りやすい性格だと信じきっている場合がある。
抑圧者は自分がめんどくさがりな性格だと信じきっている場合がある。
性格というのも、元をたどれば細かい神経なのだから
急には変えられないし、変えたふりも通用しないとわかる。
これが通用するのはどのような人間か?また、どのような人が
その傾向が強いのか?考えると面白いかもしれないが・・・。
407:心理学のプロ
06/11/08 05:50:50
●友達がいないところを見られるのが嫌だった●
擬似成長者の最初の挫折が学生生活だと思われる。
上記の●で囲んだ言葉は、相当問題をうかがわせる言葉である。
擬似成長をしすぎたものは、本来の成長をしていないので
ある年齢になると本当に一部分の脳みその神経が劣等であり
精神的差やそれに基づく、記憶や楽しみや興味の差が激しく
友達を獲得できない。これは、自分を理解できないことに由来する。
抑圧は成長と共に解消されてゆくが、強すぎると解消されない。
逆に増える場合もある。友人は友人に関心を持てないと手に入らない。
自己執着者は上記の図のように自己で矢印が交錯しているので
葛藤の分だけ、世の中に興味が持てない。
408:心理学のプロ
06/11/09 00:08:36
自分に自信がないということを、抑圧している者の行動は
どこかおかしい。そのような人は抑圧を意識していないのだから
さらに投影も意識していないのだから、自分に価値がないという考えがあって
いかにも立派な人だと思われるだろうが、これは、他人を自分の葛藤を
解決する道具としてしまう。悲しいことだ。
だから、自分に自信のないことを抑圧した親は、過干渉・過保護にならざるを
得ない。これは何をしたとか何をやったとかの問題ではない。
自分の情緒などを罪悪視した親は、人間嫌いにならざるを得ない
現代の人間嫌いは、特に大きな理由がない限り、自分が嫌いだからなのである。
自分を嫌ったものは、それがそのまま理由となり、自分と同じ他人を
嫌いになる。子供は、親が自分自身を嫌っていることを無意識に見抜き
こどもは、親のまねをしてしまったのだろうか。
409:心理学のプロ
06/11/09 00:12:41
→無意識→自己←意識 自我
葛藤のある状態。たいていは葛藤を乗り越えて、自分の価値観である
自我が変化していくのだが、原因不明の葛藤に人は悩まされている。
そのもっとも大きなものが、自己軽視・自己疎外・自己憎悪だと思う。
意識の上で、自己を抑えすぎると、無意識から来るエネルギー(影)
と交錯してしまい、自己に負担をかける。そしてこれから来る葛藤は
本来、どちらが良いのか?考えることができない。これが幼少期の
刻印とよばれるものであり、親の欺瞞性を共有すると言うこと。
この葛藤は、違うことで解決されようとしてしまう。
この葛藤から生じる、不安・憎しみが強迫的行動になる。
親を取るか?自由(自分)を取るか?
これはそのまま、心的エネルギーの流れを正常にするか
異常にするかということになる。
410:心理学のプロ
06/11/09 00:15:32
ああ、あのうつむいた男は、まじめにやっているが
彼は、他人のためにしているわけではないのだ。
この葛藤から来る不安を解消しようとしているのだ。
だから、報われない。周りの人も彼に興味がない。
周りの人は、無意識で理解しているのだろう。彼が小さな人間であることを。
彼は小さなままである。金を得ても。神経は成長していないのだから。
この葛藤を正当化する生き方とは、破滅を肯定するようなものだから。
411:えす
06/11/09 10:24:33
なら俺は、破滅を肯定した上で葛藤しよう
412:心理学のプロ
06/11/09 22:48:13
→無意識→自己→意識→自我→
→無意識→自己←意識 自我
上記と下記が絶対ではなく、分量の差だと考えてください。
無数の相互性の中で人は生きています。ところが根本に葛藤を抱えていると
入り口が狭く、そこで精神の成長が遅れます。この遅れによる差が出始めると
挫折します。当たり前ですね。対人関係を自分のものだと思っていないと
やってはいけないでしょうから。この葛藤は意識されていない場合
誰か弱い人を犠牲にしてしまいます。これは意識していないと言うことが
同時に、他人を犠牲にしてしまう、しがみついてしまう理由です。
ですから、本人が何を言おうと、自分の葛藤を意識できていないのだったら
誰かに犠牲になってもらっているということです。この犠牲ほどばからしいことは
ないと思います。なぜなら、ナルシズムを維持するために他人を利用している
ということだからです。だから不機嫌な父親はそうなのです。
(これは、日常生活で意識することは不可能。だ・か・ら三つ子の魂
100までと言われている)
413:心理学のプロ
06/11/09 22:53:17
ナルシズムを克服するためには、自分の抑圧に気がつかなければならない
抑圧を意識するとは、正直になることである。それにより創造性が
復活する。これは何も変なことを書いているのではなく
実際にそうだと思う。ナルシズムを維持するために懸命に働いている人が
たくさんいる。彼らはいつもうらみや嫉妬で満ち溢れている。
彼らの精神は、子供である。だから基地外じみた妄想をやめられない。
自分のその幼稚なナルシズムから出た、正義や道徳ほど気持ちの悪いものはない。
単に嫉妬の正当化である。彼らは形で何もかも判断する。
彼らはいまだに服従している。そして報われない。動物園のおりを
正当化することで一体彼らはなにをしようとしているのだろうか。
ナルシズムの維持である。甘えを意識できれば、その気持ち悪さがわかる。
自分が正義だと思い、悪にみたてている何かを憎んでいるとき
それは、自分のナルシズムが原因だと気づくべきだ
414:心理学のプロ
06/11/09 22:55:55
ナルシズムとは、自己へのしがみつきである。
これをどう克服できるかは、わからないが
親がナルシズムを克服している人物なら、子供も自然に克服できると
思われるが。ナルシズムを克服するためには、自分を引き受けなければならない。
なんと難しいことか。人とあって楽しい人と辛い人の違いは
ナルシズムの克服である。他人に合わせてもいい。だが、恐怖や不安から
他人に合わせてはいけない。見捨てられる恐怖から他人に合わせてはいけない
それを正当化してはいけない。
415:心理学のプロ
06/11/09 22:58:52
ある日突然、やったこともないオセロがうまくなることはない
数学の先生でも、英語ができるかどうかは、関係ない
ある日突然、ナルシズムを克服できるわけではない。
そして、間違った方法で克服しようとしている悲しい姿がある。
自分を憎むことをやめることで、自分は自分でいいのだと理解することである
そして、しばらくは、自信のない・・・つまり自分のない状態をがまんすることである
なんと悲しいことか。親から引き受けられるのは財産だけではなかった
もっと大きなものがあったのだ。
416:心理学のプロ
06/11/09 23:00:28
対人関係における問題は、
自然とナルシズムを克服している人間も、ナルシズムを克服できていない
人間のことがわからないということである。
ナルシズムに苦しみ、それを克服した人のほうがずっと強くなれる。
417:心理学初心者
06/11/10 11:42:36
早い話が、性倒錯を起こす人は親への執着から抜け出せていないってことかい?
418:心理学初心者
06/11/10 11:53:34
最近仕事が半端なくきつくて辞めたくなった。俺は身を粉にして働いている
というのに馬鹿らしくなってね。仕事に対する依存も少々ある。
メサイヤコンプレックスみたいなのがあって、ネットで人の相談に乗って
自分自身の問題を解決しようとするようなことがある昔から。
自分自身を演じ続けてきた自分。いつまでこんな暮らしが続くのだろうと
思いつつ、精神科に再び通おうとするが今だ予約もしていない。
自分自身の問題はある程度知ってるけれど、それ以上踏み込めないっての
がある。
極端な自己卑下がなぜ生まれたのかは大よそ理解できる。なぜ神経症になり
やすい性格になったのかもね。犯罪や精神疾患に興味を持ったのも自分自身
の問題だからこそなのだ。自分を愛することができないから、決して他人に
愛情を注ぐことができない(というより最終的には自分から破壊してしまう。
419:心理学のプロ
06/11/10 19:22:23
性倒錯を起こす人というより、性倒錯により何かを
沈めようとする人は、抑圧の強い人ということになる。
抑圧といっても、退行的な抑圧(自分の感情を抑えた上に、無意識へ
抑圧するなど。無意識へ送り込むということは、意識されておらず
不安を発生させる)
退行的な行動や精神には、依存と憎悪がたまる。もちろんこれらは
抑圧されている。親への執着から抜け出せていないと言うよりは
親との関係で気づきあげてしまった、抑圧のパターン
無意識へと抑圧するパターンがまだ、続いていると言うことだと思う。
このパターンはしゃれではすまされないし、仕事や年収のように
甘いものでもない。人生を放棄しているのだから。
420:心理学のプロ
06/11/10 23:00:03
問いたい。ナルシズム克服者の利益とは
よく考えることだ
421:心理学初心者
06/11/11 00:46:37
では言い換えよう。
自己不全感が性倒錯への道を開くことがある。永遠に埋まらない何かを、その
代理として性倒錯が生まれる可能性がある。
性倒錯者は幻想を現実のものにしようと倒錯を始めるが、それが幻想である
ことに気付いていない。親あるいは重要な人物との関係が修復されないまま
成長するとサド・マゾや服装倒錯など起こすことがある。
そしてプロ氏のいうように、抑圧するパターンが続いているというわけである。
「失われた感情を求める」ことは患者にとってとても辛いことであり、
治療には相当な勇気がいるのだろう。
422:心理学のプロ
06/11/11 02:00:49
>>421
親との関係が修復されないまま、というのはどうだろうか。
親との関係は修復されることはないと思われる。
親との関係で発達しなかった神経。発達を拒否された神経。
話は変わるが
コンプレックスを、ユングは、感情に彩られた(いろどられた)
心理複合体としている。ある中学生カップルを見ると嫉妬してしまう
というのは、コンプレックスと言える。コンプレックスは
悪いコンプレックスばかりだが
良い感情にいろどられた心理複合体も当然あるはずである。
会話が続かないと言う人は、これが少ないのかもしれない
423:心理学のプロ
06/11/11 02:08:16
性倒錯そのものが、悪いわけではない。その形だけからは
何もわからない。劣等感から生じる性倒錯が問題だと考える。
そして、この種類の劣等感は、偽の劣等感と呼ばれる。
つまり、自分自身で何が劣等か気がつかず、ほかのものに転化してしまい
作り上げた劣等感だから。本ではここで終わりである。
しかし、きわめて健康な人たちが、妄想のような劣等感を
持つわけがないと思われる。やはり、何かが劣等であるからこそ
このような強迫的に追い詰められるのだと思われる
それを、私はある部分が本当に劣等なのだと思う。
精神のある部分が本当に未発達だと思われる。
その証拠に、人間的な感情豊かな人を避けてしまう傾向にある。
やはり、自分の感じ方で生きてこれなかったことが原因だと思われる。
楽しいことが何もない。
何らかの理由で、いまだに子供のように周囲に認められたがっている。
そして、絶望している。
424:心理学のプロ
06/11/11 02:20:22
劣等感の正体
必要以上に食べる人・必要以上に責任を背負いたがる人・必要以上に
劣等感の強い人は、やはり異常だと言わざるを得ない
これらの根源はどこにあるのだろうか。それは、ある部分の神経を
発達させないこと(服従)を美徳としたことに問題があるのではないのだろうか。
人は本当に服従すると、ある人の内面を考えることをやめて
さらに同時に自分の内面を考えることをやめてしまう。
自分自身を無価値だと思っていると、原因を問わず、ナルシズムだと言える
これは、幼児的であり、嫉妬のかたまりであり、新しいことが始められない
フロイトで言えば、子供のままなのだろう
425:心理学のプロ
06/11/11 02:28:07
あらゆるものが、投影されている。
ユングは、抑圧したものは、投影されると説いた。
たとえば、自分に価値がないということを抑圧してしまうと
他人をも無価値にしてしまう。それは当然ではないのだろうか
顔がでかいことをやだなと思っている人が必ずしも
他人の顔がでかいことが嫌ではない。そいつが幸せになると怒るかもしれないが
あえて弱点を抱えた同士のほうがいいと思う場合もある。
しかし、抑圧すると投影されるので、彼は相手を憎む。自分を憎んでいるように。
外界の何もかもが投影・外化されている。無意識のものを意識へあげる
ということは、のろいからの脱却なのかもしれない。
426:心理学のプロ
06/11/11 02:52:03
● 同一化というのは、最大の集中力だと言える。
山にのぼり、その風景を見たとき、いやぁ~、景色は大変すばらしく
これがこうであれがああ見えたよ・・・と言うことができる。誰でも。
ところが、これが山からの風景ではなく、自分のことになると
どうだろうか?説明できるだろうか。
これがある本で、親の権力欲に服従したこどもの内面は分裂すると
解説されていた現象である。具体的には、本来の自分には価値を
持つ必要は無く、ある精神の成長を止めてしまい、表面上のものに
固執すると言うこと。
そうなれば、自分を軽蔑する。自分の感覚を軽蔑する。
そうならば、説明できるわけがない。
こうして、自分が分裂してしまう。同一化できない。
そして、自分が分裂した状態では、ナルシズムの状態では
外界と同一化できない。
ナルシズムを克服していないことを正当化した親は、必ず子供にしがみつく
子供は、同一化の能力を奪われる。
427:心理学のプロ
06/11/12 01:18:10
岸田という人の本に、親の欺瞞性が書いてある。
親の欺瞞性とは、葛藤の正当化・服従の正当化・心理的成長拒否の正当化
とも言える。動機というのは、行動の直接の原因という意味だが
このような無意識に葛藤を抱えてしまっている親が、正義を語ろうが
道徳を語ろうが、知らず知らずのうちに、葛藤から来る不安や嫉妬憎しみ
を解消するための行動になってしまう。
自己執着とは、言ってみれば、いつも自分が・・・何者かに
増大化された他者に見捨てられないかどうか気にしている状態
428:心理学のプロ
06/11/12 01:25:02
● 自己執着こそナルシズムの状態と言える
ナルシズムを克服しない限り、無意識→自己←の流れを変えられず
無意識→自己→意識→自我→ となりにくい。
ナルシストは、実は自分の今までいた環境こそ、安全ではなかった。
恐怖があった。抑圧を強要されたと知らなければならないと思う。
マスローの欲求階段説というのは、ナルシズムを克服しないと実現しずらい。
昔の結婚を考えてみると、それは規則的であり、決まりであった傾向が強い。
今の結婚を考えてみると、それは自己的である場合が多い。
この違いを精神の神経で考えてみると、昔が、精神の成長が必要なかったのに
対して、今の結婚は、精神の成長がないと、その欲求は起こらないと言える
成長というのは、言ってみれば、あることに興味を持っていたが、あることに
それほど興味が無くなる状態と言える。
葛藤を抱えたままだと、そのこと自体に興味があるわけではなく
葛藤を解決するために使ってしまう。
ある本に、ある日突然誰かを好きになれるわけではないと書いてあった。
これこそ、ものごとにある日突然、自己執着者が関心を持てるわけではない
という意味に取れる