08/02/24 12:33:15
ポパーといえば日本では「反証可能性」とか「歴史法則主義」などの科学的思惟の方法論
の哲学者として高く評価されながら、その業績全体が間接的に保守主義思想を擁護するも
のになっている。
ポパー哲学の核心については、なぜか積極的に無視されてきた。
しかし、ポパー哲学が批判の対象としたのは、ことごとく保守主義に敵対する思想である。
保守主義を守らんとする者にとって、ポパー哲学の知見は必携である。
日本の学界は戦前からヘーゲルになぜかひどく魅せられて来た。
マルクス主義を断固としてはねつけた西田幾多郎ほどの碩学でさえヘーゲルを頻繁に引用し
ヘーゲルにのめりこんでいった。
このような日本において、本格的なヘーゲル批判の書であるポパーの「開かれた社会と
その敵」が邦訳された時、日本でもヘーゲル離れが進むと考えられたがそうはならなかった。
この原因は、日本のポパー研究者はポパー哲学を恣意的なつまみ食いをしてヘーゲル批判の
部分を存在しないことにしたからである。