04/03/01 22:20
文系と理系の差も、よく話題に上る。いろいろなサンプルを検討した結果、
森が至った結論。「数学や物理ができない」と思い込んでいる人間が文系に属する。
そうでない人を彼らは理系と呼ぶ。しかし、実際には、前者の集合は後者の
集合の中にすっぽり含まれているので、文系は理系の一部と捉えることができる。
理系は文系に対して上位互換だ。自分は数学ができない、と勝手に思い込むことで、
この集合の中に逃れた人たちが文系だが、理系の人間から見れば、同じ集合、
特に差を感じない。理系の人間は、人間をタイプ分けなどしない。そもそも、
この「勝手に思い込む」というのが文系の特徴らしい。人間なんて、とても
不確定なものだ。物体の運動や化学反応のように法則で割りきれないもの。
精神とか心理を分析しても、ちゃんとした答など得られないのではないか、と
理系の人間は考えている。ところが、文系の人は「思い込む」能力によってこれを
分析したがる。彼らは言うだろう。「数学をこねくり回して何になる?」
「重力加速度など何の役に立つのだ」「人間の心理を分析する方が重要だ」
そうかもしれない。しかし、役に立たないことをするのが、人間の高尚さでは
ないのか?とも森は思う。心理学、経済学、法学などは、実社会では役に立つ
だろう。お金が儲かるかもしれない。微積分を知っていても特に便利なことは
ないのだ。しかし、そこに人間の生の高尚さがある。生きている、という愉快さ
があるのではないか。そういう意味で、数学者は、とても「生」を楽しんでいる
人が多い。彼らは遊びを知っている人たちだ。役に立たない、ということは、
すなわち、芸術の必要条件である。
(森博嗣 名古屋大学大学院 環境学研究科 助教授)