09/09/03 12:36:15
無我を悟れば自我は錯覚だったと分かるわけだが、その錯覚の構造を考えて無我に至ろうという立場と
うさぎのツノ(本当はない物の例え)について考えるのは無我に至る邪魔になるというふたつの立場がある
弱い自我を強い自我に変えろという論者が現れた時にはその論者が
①無我を悟っており、相手をその状態に辿り着かせるために自我を語っている
②無我を悟っており、相手をその状態に辿り着けないようにするために自我を語っている
③無我を悟っておらず、自我について語っている、の三つに識別すべし
②は自我が強く③は自我が弱い人間と見て、どちらも避けるべし