10/04/26 10:50:09 O
>>219
情報は無限大にあるからどこかでフィルタリングしなければいけないということは理解できる。
現に半ば強制的にフィルタリングされてるんだよね。(例えばポーランド語のツイートは理解できない)
そこは同意。
でも、問題はそのフィルタリングによって何が失われるかということ。
あずまんのフィルタリングの基準は、動物化の論理に従い入ってくる情報が「快」か「不快」かということ。
「快」は受け入れるけど「不快」はフィルタリングで受け入れないようにする。
私が主張したいのはその「不快」に有益な情報がつまっており、
それらの情報を遮断する行為は自ら可能性を狭めているのではないかということ。
民主主義に例えると、自分の支持しない考えをもった人達の話は聞かないということでしょう?
それでは意志決定なんかできないし、意志決定できたとしても
「政治」が消滅した民主主義になっちゃう。
だから、あずまんの「快」「不快」に基づくフィルタリングは容認できないし、
その思想的根拠である「動物化」も受け入れられない。
そもそも動物化してるとも思えない。