10/02/19 13:44:16 0
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3:井上筑後守
10/02/25 19:44:40 0
ちゃくちゃくと邦訳「韓非子」を読んでいて、
いまほぼ半分の大体篇二十九まで読んだ。
色々と個別に指摘したい部分もあるが、
全体としての印象は、「ウサギだけの世界」ってとこ。
韓非は道徳と犯罪とをマッチポンプ扱いする。
道徳者がいるから犯罪者が生まれる、罪と徳のマッチポンプだから、
一緒くたに法律で押さえつけてしまえという。
それでこそ、世の中は安泰になるとまで高言する。
4:井上筑後守
10/02/25 19:45:21 0
法律による信賞必罰すら徹底していたなら、
盗跖のような大盗賊は必ず罰を受けていなくなる一方、
不義の禄を食むことを忌んで餓死した伯夷・叔斉のごとき聖人もいなくなる。
あるいは孟賁や夏育のような、勇猛で知られた戦士もいらなくなる。
つまり、「勇気」がいらなくなる。
不義の禄を食むことを拒絶したり、君主のために必死で戦う勇猛さが、
同時に盗跖のような大泥棒をも生んでしまう。勇気こそは戦乱の元凶。
だから法律でもって勇気を抑え付けてしまえと。決闘も強盗も両方
なくしてしまうのが一番だとする、ウサギのごとき臆病さにまみれた主張。
5:井上筑後守
10/02/25 20:00:28 0
韓非がそうだったという吃音、いわゆる「どもり」は、
いいたいことを言うのも恐れる臆病さから来る。
「金閣寺」でどもりの主人公を描いた東大法学部卒の三島由紀夫も、
生前のインタビューなどを見ると、どもりとまではいかなくとも
ものの言い方がかなりたどたどしい。そして「韓非子」を
政治理念に掲げた始皇帝も、厚葬を重んずる儒家すら認めない、
兵馬俑なども副葬した甚大な陵墓を築いた。
死後の自分が蔑ろにされることを極端に恐れる臆病さ。
どうも、法律万能主義者というのは、即ち勇気否定者であるようだ。
勇猛果敢な戦いが全般的に恐ろしく、一切なくしてしまいたい。
盗跖のごとき大泥棒を根絶するのも、本当は勇気盛んな英雄たちによる
群雄割拠の根絶のための口実に過ぎない。正当な理由に基づく
大勇であろうとも、不当な理由に基づく匹夫の勇や蛮勇であろうとも、
勇気が引き起こす暑苦しい状況全般を嫌悪して、その根絶に務める。
6:考える名無しさん
10/02/26 01:52:17 0
能書きたれる前に前スレと数学スレなんとかしろ
7:井上筑後守
10/02/26 11:44:51 0
「罪」と「罰」と、「徳」の三つがあった場合、
1.罪と罰のマッチポンプを解消させる道徳者の立場
2.罪と徳のマッチポンプを解消させる法律家の立場
3.罰と徳を蔑ろにしてしまえという犯罪者の立場
の三つの立場が考えられる。マッチポンプを解消させようとするのは1と2。
大勇と匹夫の勇という違いはあっても、勇気を必要とするのは1と3。
2は臆病まみれのウサギちゃん。3は紛れもない正真正銘のならず者。
1の立場からすれば、2と3とが罪と罰のマッチポンプでぐるであるように思えるが、
2の立場からすれば、同じ勇気の持ち主であるというだけで、1と3が同罪の
ように思われる。道徳者は犯罪という現象こそを何よりの害悪の元凶とし、
その犯罪を対症療法的に解消しようとする法律家にも大した価値を見出せない。
しかし法律家にとっては、犯罪ではなく勇気こそは害悪の元凶であり、
勇気すらなくしてしまえば道徳者もいなくなる代わり、犯罪者もいなくなるとする。
一番問題視しているのが罪悪であるか勇気であるか。
そこが道徳者と法律家では決定的に違う。
8:井上筑後守
10/02/26 12:10:24 0
史実を見れば、本当にマッチポンプとして問題だったのは、
「罪と徳」ではなく、「罪と罰」のほうだった。
徳治が十分に行き届いた、漢代や唐代は何百年も泰平の世を続け、
法治一辺倒となった統一清王朝はわずか十五年で亡んだ。
臆病さ極まって方々に不老不死の薬を探す使いをやり(日本に来たという徐福もその一人)、
水銀で堀を満たす冗談みたいな規模の陵墓も作った始皇帝が死に、
二世皇帝の胡亥は宦官趙高の傀儡と化して腐敗政治が極まり、
ついに項羽と劉邦によって秦王朝が亡ぼされ、臆病の塊な始皇帝への跳ね返りもあって、
中国史上でも最も「勇気」を奮う猛者たちの活躍する、楚漢戦争が勃発した。
分かりやすい勇気、自分から先陣を切って敵を殺しまわる武勇という点では、
明らかに楚の項羽のほうが漢の劉邦よりも秀でており、大王(覇王)となって
からも自ら戦場に出て行く荒ぶりようは止まることを知らなかった。
いくら強くとも、王者としての威厳に欠けるその振る舞いが方々の支持を失い、
最終的には四面楚歌の状態となって自らの首を切り落とし、相手方の
将兵たちに四肢を切り取られ、後には胴体だけの遺体が転がったという。
9:井上筑後守
10/02/26 12:11:07 0
項羽の勇猛さは分かりやすいが、これはあくまで蛮勇、匹夫の勇の部類。
盗跖のような大盗賊ですら持っている、大局を見計らえない小さな勇気。
本当の大勇は、劉邦こそが持っていた。韓臣に軍務を任せているうちは大進撃
を続けようとも、自ら軍の指揮を執った途端に彭城の戦いなどで大敗を喫した。
そんな、武勇に長けているとは到底言いがたい劉邦が、項羽ですらも及ばない
大勇を披露したのは、最終決戦となった垓下の戦いの直前に、自らの実父である
劉太公が項羽に人質として捕らえられ、「降伏しなければ親父を煮殺すぞ」と
脅された時に、「おお、よく煮上がったらその汁を一杯くれ」と言ってのけたとき。
「項羽は太公を殺しますまい」という張良の助言もあったにしろ、人質に囚われた
自らの父親以上にも、世の中全体の平定を優先した、君臣父子夫婦の三綱にも
沿った、この時の劉邦の毅然とした態度こそは、匹夫の勇や蛮勇が決して
及ばない本物の勇気、大勇のありのままの姿にほかならなかったのだ。
10:井上筑後守
10/02/26 12:25:37 0
韓非や始皇帝が嫌がっていた勇気ってのも、楚漢戦争で項羽が披露したような蛮勇。
文武両方の鍛錬を蹴って、ただただ覇王として方々で戦いつくす匹夫の勇を嫌っていた。
それは、道徳者の持つ本物の大勇などとは別物で、むしろ盗跖のごとき犯罪者の持つ
勇気に近い。十分な制御もなくただひたすら駆けずり回り吼え猛る野人のごとき勇気を
駆逐しようとして、劉邦が持っていたような本物の大勇すら一緒くたに否定してしまい、
何もかもをウサギ並みの臆病さで塗り固める、矮小な世界を捏造することとなった。
いけないのはあくまで、蛮勇と臆病さ。
盗跖や項羽のごとき蛮勇と、韓非や始皇帝のごとき臆病さ。
それらのうちのいずれでもない、劉邦が持っていたような大勇こそは
正しいもの、よいものであり、道徳者もまた認めるところの達徳(中庸)に他ならない。
劉邦自身は小役人出身で、あまり文武の素養が高くなくとも、張良や陸賈といった
有能な策略家や儒者の言葉にも耳を貸した。大勇はそのような虚心さと共にこそあり、
項羽のような見てくれの頑強さとはかえって仲が悪い。「大勇は勇ならず(六韜)」という
名言は、ただ大勇が分かりにくいものであるだけでなく、蛮勇や匹夫の勇とは様相が
覆ったものとすらなることを示唆している。
11:井上筑後守
10/02/26 14:34:16 0
「漢」も伊達に「おとこ」の代名詞なわけじゃない。
漢室太祖高皇帝である劉邦こそは、項羽をも超える男の中の男、
蛮勇や匹夫の勇どころではない、大勇の持ち主であったればこそ、
漢もまた男の代名詞となっている。まあ、これは日本での話だが。
12:考える名無しさん
10/02/26 14:45:47 0
易占例をまな板に載せるスレ
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--易占い実践スレ○政治、経済、国際○その他○ スレリンク(uranai板)
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13:井上筑後守
10/03/02 21:06:17 0
なぜ罪と徳ではなく、罪と罰こそが
マッチポンプとなるのかを、数理的に検証してみよう。
☵ ☲
☲ ☵
周易最後の二つ、水火既済と火水未済を数理化した行列:
┌ ┐ ┌ ┐
│〈陽| | │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|
水火既済=離×坎=||陰〉 |×[|陰〉 〈陽| |陰〉] =│ |陰陰〉 |陰><陽| |陰陰〉 | ・・・ ①
│〈陽| | │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|
└ ┘ └ ┘
┌ ┐ ┌ ┐
│|陰〉 | │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||
火水未済=坎×離=|〈陽| |×[〈陽| |陰〉 〈陽|] =│ 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| | ・・・ ②
│|陰〉 | │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||
└ ┘ └ ┘
この二つが端的にそれぞれ、徳治社会と法治社会を表示する卦となっている。
14:井上筑後守
10/03/02 21:07:14 0
〈陽|陰〉は安定的なので道徳、|陰><陽|は不安定なので犯罪、
〈陽陽|と|陰陰〉はそれぞれ信賞必罰の「賞」と「罰」とに置き換えると、
水火既済は
┌ ┐
│道徳 賞 道徳|
水火既済=| 罰 犯罪 罰 | ・・・ ①
│道徳 賞 道徳|
└ ┘
となる。犯罪者が堅固な檻の中に入れられるように、犯罪が四方を道徳に囲まれ、
同じ行の左右を罰に囲まれている。犯罪の取り押さえが完全な一方、
道徳者は多数であるため、二つの賞を四つで割る程度の賞しか受けない。
徳川幕府の旗本が石高が少なかったように、徳治社会では犯罪者への処罰が
厳格になる一方で、道徳者への恩賞は少なくなる。
一方、火水未済のほうは
┌ ┐
│犯罪 罰 犯罪|
火水未済=| 賞 道徳 賞 | ・・・ ②
│犯罪 罰 犯罪|
└ ┘
となる。既済で犯罪が四方を道徳に囲まれていたのとは逆に、道徳のほうが
四方を犯罪に囲まれて身動きが取れない。犯罪者は二つの罰を四人で
分ける程度の軽い罰しか受けず、既済の場合の四分の一程度の負担に。
逆に道徳者は、世の中全体を徳治へと導くのを諦めて、
犯罪者に軽い罰だけで好き勝手やらせるのも黙認すらしたなら、
徳治社会の道徳者の四倍もの賞を得る。
薄徳と引き換えに、表向きの偽善者も莫大な恩賞を得る。
15:井上筑後守
10/03/02 21:08:30 0
これらは徳治であれ法治であれ、「権力支配」を端的に表示した卦。
権力にすら頼らず、神がかり的な権威だけで世を統治することはまた別の話。
天台真言の霊力によって世を治めた平安時代よりは、徳川幕府の権力が支配する江戸時代の日本を表示している水火既済。
キリスト教発症直後の暗黒時代よりは、昨今の啓蒙主義が主流の西洋社会を表示している火水未済。
☷
光源氏が次々と妻や愛人を囲い、子供も産ませる「源氏物語」は、さしずめ泰卦☰あたり。
お互いが愛し合っているはずなのに、しょっちゅうすれ違って結局は ☰
結ばれない「トリスタン・イズー物語」や「ロミオとジュリエット」は、さしずめ否卦☷あたり。
平安時代のように犯罪が根絶されたわけではないが、>>14の①のように十分犯罪が
抑制されている、江戸時代の捕り物を描いた「鬼平犯科帳」こそは、水火既済。
悪魔に魂を売り渡してやりたい放題となり、火神と水神の争いをも夢想した
「ファウスト」こそは火水未済であり、>>14の②に相当する。
16:井上筑後守
10/03/02 21:09:26 0
東大法学部卒の三島も、「ファウスト」が生涯の伴侶だった。
法律万能主義・罪刑法定主義のマッチ(火)ポンプ(水)癖が如実に現れている、火水未済。
┌ ┐ ┌ ┐
│|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽|| │犯罪 罰 犯罪|
火水未済=│ 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |≡| 賞 道徳 賞 | ・・・①
│|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽|| │犯罪 罰 犯罪|
└ ┘ └ ┘
これはこれで、一つの完成された世界を形作っている。
その証拠に、この行列の行列式は0となる。それはそれで堂に入った世界を
形作るんだが、信賞必罰などに主導権を与えず、道徳か犯罪かの
二者択一で道徳を取り、十分犯罪者勢力を押さえつける
┌ ┐ ┌ ┐
│〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉| │道徳 賞 道徳|
水火既済=│ |陰陰〉 |陰><陽| |陰陰〉 |≡| 罰 犯罪 罰 | ・・・②
│〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉| │道徳 賞 道徳|
└ ┘ └ ┘
が、事実として世の中全体を健全で優良な状態に導く。
①だろうが②だろうがどっちでもいいんなら、概ね①に流れて②にはならない。
意図的でなければ②とはならず、そのためには徳治主義でなければならない。
犯罪原理主義であっても、法治主義であってもいかず、それじゃあ①となる。
あくまで②を作為することで権力道徳となり、作為せずに①に止まることが権力犯罪となる。
17:井上筑後守
10/03/02 21:10:13 0
水火既済と火水未済は、卦爻表記においても全ての爻の位相が引っくり返っているし、
行列として数理化した場合にも、全ての行列成分が同行同列において異なったものとなる。
どれか一つの爻だけを逆転させる一般的な占筮方法では、既済から未済や、
未済から既済へと変化するようなことも決してないし、全ての成分が異なる点からして、
一方からもう一方への変化が最も遠回りとなる卦同士ともなっている。
信賞必罰の法治主義者にとっては、既済か未済かなどはどうでもいいこと。
ただ、法律がちゃんと守られていること。賞〈陽陽|や罰|陰陰〉がちゃんと機能していれば
それでいい。未済をやめさせて既済に移らせる意思なんて毛頭なく、
かえってそのせいで道徳家に仕事が取られることを忌みすらもする。
仕事をもらえるという意味では、むしろ未済に止まってくれたほうがよくすらある。
故に、法律家が主導権を握っている法治主義社会では、未済から既済へと
世の中が移ることが企図されないだけでなく、かえって既済を未済へと移したり、
未済であるのを未済のままに止まらせようとするほどもの悪意が働く。
未済から既済へと移るのは、卦爻操作面でも最も労力を要するものだから、
利益が減る上に面倒なせいでの、善行を善行と知りながらの躊躇を生む。
18:井上筑後守
10/03/02 21:10:53 0
「水火既済」「火水未済」という呼び名は、もちろん五行思想に基づいている。
水が火に優っているから「水火」。火が水に優っているから「火水」。
具体的には、火を消せるだけの十分な量の水があったり、
水を蒸発させてしまう程もの大火があったりすることを指す。
水と火の書く順序が、そのまま優劣になっている。水火は水が火に優っており、
火水は火が水に優っていて、これは「マッチポンプ」という表記にも一致する。
ただ、「マッチ」という言葉は小火を想起させるし、「ポンプ」という言葉は
汲み上げによる大水を想起させるので、優劣がうやむやになりやすい。
とはいえ火の多少、水の多少などは数値の問題で、
数理こそを論及対象とすべき士人にとってはどうでもいい話。
火を消せるだけの水、あるいは火よりも先輩である水があれば、
それは水が火に優っていることになる。そうであることこそが重要なのだから、
数値にまでこだわらず、数理の範囲でそうだと分かればそれでいい。
19:井上筑後守
10/03/02 23:14:37 0
〈陽|陰〉を道徳、|陰><陽|を犯罪、〈陽陽|と|陰陰〉をそれぞれ賞罰とする置き換えに沿えば、
┌ ┐ ┌ ┐ ┌ ┐
│〈陽| | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉| │道徳 道徳 道徳|
泰=乾×坤=|〈陽| |×[|陰〉 |陰〉 |陰〉] =│〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|≡|道徳 道徳 道徳|
│〈陽| | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉| │道徳 道徳 道徳|
└ ┘ └ ┘ └ ┘
┌ ┐ ┌ ┐ ┌ ┐
│|陰〉 | │|陰><陽||陰><陽||陰><陽|| │犯罪 犯罪 犯罪|
否=坤×乾=||陰〉 |×[〈陽| 〈陽| 〈陽|] =│|陰><陽||陰><陽||陰><陽||≡|犯罪 犯罪 犯罪|
│|陰〉 | │|陰><陽||陰><陽||陰><陽|| │犯罪 犯罪 犯罪|
└ ┘ └ ┘ └ ┘
ともなる。
同じ恋愛物語でも、「源氏物語」と、「トリスタン・イズー物語」や「ロミオとジュリエット」とでは大違い。
いかに「源氏物語」のほうがめでたい状態で、後ろ二つがしょうもない状態であるのかが判然となる。
20:井上筑後守
10/03/02 23:40:41 0
もう、完勝だな。陰陽五行の。
科学も法学も、もはやぐうの音も出ない。
自分たちの学術姿勢の誤りが余すことなく看破されて、
ぜんぶゴミクズと化しちまった。
ユークリッド原論も六法全書も、
焼かれる前から灰と化してしまってる。
真っ白になって、燃え尽きて、終わっちまってる。
21:井上筑後守
10/03/03 04:57:20 0
科学も法学も、もはやぐうの音も出る。
自分たちの学術姿勢の正しさがが余すことなく看破されて、
東洋哲学はぜんぶゴミクズと化しちまった。
ユークリッド原論も六法全書も、
溶かせない黄金のように
輝き続ける。
22:考える名無しさん
10/03/03 10:08:06 0
減らず口と覗き魔の眇だけが残って、心は空っぽ。
23:考える名無しさん
10/03/03 12:42:54 0
>ユークリッド原論も六法全書も、
>溶かせない黄金のように
>輝き続ける。
王水
24:井上筑後守
10/03/04 18:48:10 0
「衛の嗣君の時、胥靡あり。逃れて魏に之き、因りて襄王の后の為に病を治す。衛の嗣君之を聞き、
人をして五十金を以て之を買わんと請わしむ。五反して、魏王予えず。乃ち左氏を以て之に易えんとす。
群臣左右諫めて曰く、夫れ一都を以て胥靡を買うは可ならんや、と。王曰く、子の知る所に非ざるなり。
夫れ治は小とすること無く、亂は大とすること無し。法立たずして誅必せずば、十の左氏有りと
雖も無益なり。法立ちて誅必せば、十の左氏を失うと雖も害無きなり、と。魏王之を聞きて曰く、
主、治を欲するに、之を聽かざるは不祥なり、と。因りて載せて往き、徒だ之を獻ぜり」
(「韓非子」内儲説上・二より)
「墨子」と同じように、「韓非子」も原文を引用まではせずに論じようと思っていたんだが、
あまりにも重要なことが書いてあったんで、新釈漢文大系版の読み下しなども参考にして書いておく。
特に重大なのが、「治は小とすること無く、乱は大とすること無し」という部分。
世を治めるためにはどんなに小さいことでも徹底し、乱を平らげるにはどんなに大きいことであっても尻込みしない。
まさに
┌ ┐
│犯罪 罰 犯罪|
| 賞 道徳 賞 |
│犯罪 罰 犯罪|
└ ┘
という社会情勢を真っ向から肯定し、そのような世の中においても信賞必罰が徹底すらされていれば、
一人の囚人の処罰のために、左氏のような都を十失っても害ではないという。
聞こえが多少はよかったところで、犯罪優位道徳劣位の社会情勢を完全に黙認してしまう、
信賞必罰を金科玉条に掲げてしまった、法家の結論。法治が徳治とは別物であることをも決定付けている。
25:井上筑後守
10/03/04 19:12:24 0
権力道徳者が、心の内において思い慕うのが
┌ ┐ ┌ ┐ ┌ ┐
│〈陽| | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉| │道徳 道徳 道徳|
地天泰=乾×坤= |〈陽| |×[|陰〉 |陰〉 |陰〉] =| 〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|≡|道徳 道徳 道徳|
│〈陽| | │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉| │道徳 道徳 道徳|
└ ┘ └ ┘ └ ┘
という卦。家康公も地天泰を具現化している「源氏物語」を愛読していた。
しかし、ただ思い慕うだけではなく、現実において着実に実現していこうとするのは
┌ ┐ ┌ ┐ ┌ ┐
│〈陽| | │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉| │道徳 賞 道徳|
水火既済=離×坎=||陰〉 |×[|陰〉 〈陽| |陰〉] =│ |陰陰〉 |陰><陽| |陰陰〉 |≡| 罰 犯罪 罰 |
│〈陽| | │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉| │道徳 賞 道徳|
└ ┘ └ ┘ └ ┘
という卦。必ずしも地天泰のように、犯罪を根絶できない世の中全体を
道徳優位犯罪劣位程度の安定した秩序に持っていく。信賞必罰の法治主義ではなく、
権力道徳主義・徳治主義によって、意図的に水火既済を企図していく。
26:井上筑後守
10/03/04 19:13:26 0
一方、権力犯罪者が、心の内において思い慕うのは
┌ ┐ ┌ ┐ ┌ ┐
│|陰〉 | │|陰><陽||陰><陽||陰><陽|| │犯罪 犯罪 犯罪|
天地否=坤×乾= ||陰〉 |×[〈陽| 〈陽| 〈陽|] =| |陰><陽||陰><陽||陰><陽||≡|犯罪 犯罪 犯罪|
│|陰〉 | │|陰><陽||陰><陽||陰><陽|| │犯罪 犯罪 犯罪|
└ ┘ └ ┘ └ ┘
という卦。「トリスタン・イズー物語」や「ロミオとジュリエット」のような、
いくら好き合ってても決して逢えないような徒労劇をわざわざ好き好む。
一方で、現実において着実に実現していこうとするのは
┌ ┐ ┌ ┐ ┌ ┐
│|陰〉 | │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽|| │犯罪 罰 犯罪|
火水未済=坎×離=|〈陽| |×[〈陽| |陰〉 〈陽|] =│ 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |≡| 賞 道徳 賞 |
│|陰〉 | │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽|| │犯罪 罰 犯罪|
└ ┘ └ ┘ └ ┘
という卦。そのまま実現すると非難轟々で目も当てられない天地否に代わって、
現実において実現が可能な限りでの、犯罪優位道徳劣位の蔓延=加水未済を企図する。
権力犯罪主義・法治主義。「治は小とすること無く、乱は大とすること無し」が信条。
27:井上筑後守
10/03/04 19:37:42 0
水火既済の場合、道徳四つに対して賞が二つとなり、
道徳一つに対して賞が二つとなる火水未済と比べて、道徳一つあたりの賞は四分の一となる。
全体を道徳優位とする人海戦術のために、権力道徳の場合の一人頭の褒賞は却って少なくなる。
江戸幕府の旗本の石高も低かったし、本田忠勝のような名臣ですらそれほど優遇は受けなかった。
それとは逆に、リンカーンやケネディやオバマのような、権力犯罪主義社会での
表向きの道徳者は、そこら中犯罪まみれなために全体収拾はできないものの、
見た目にはやたらとド派手になる。そこら中が罪悪で溢れ返っている世の中での
「気休め」としての道徳者は、実効力に欠けるぶんを表向きのド派手さで取り繕う。
十分に権力道徳が行き届いている社会では、道徳が「特異点」とはならない。
そこら中が道徳者で溢れ返っているので、誰かが突出して道徳的ということもない。
むしろ妖盗葵小僧のように、泰平の世の中で未だに凶悪犯罪に走る輩のほうが特異点になる。
本当に権力道徳を企図するのであれば、そうでなければならない。米大統領のように、
道徳者であろうとするものが特異点となってはいけない。それだと犯罪優位道徳劣位の
火水未済を企図する連中の思う壺。道徳優位犯罪劣位を本気で企図するのなら、
個々の道徳者はあまり大きな褒賞も期待しない、地味な存在に徹したほうがいい。
28:考える名無しさん
10/03/05 00:04:53 0
もはや自己満足では済まされなくなり、嬉しいやら哀しいやら。
29:井上筑後守
10/03/09 09:56:52 0
「馬鹿(ばか)」の語源は、法律万能主義の始皇帝が死後の秦王朝で、
二代皇帝胡亥に代わって専横をはたらき始めた宦官の趙高が、
「珍しい馬を見つけました」と言って皇帝に鹿を献上した際、
そこにいた誰しもが内心「これは鹿じゃないのか?」と思いつつも、
高官の言いつけに逆らってはならない法規に従って「これは馬だ」と言ったり、
やはり堪えきれなくなって「これは鹿だ」と言ったりしたため、
趙高は「馬だ」と言ったものを重用し、「鹿だ」と言ったものを罰したことに基づく。
(「史記」参照)
法律ってのは、子供やペットのしつけとも何ら変わらない。しつけである以上は、
もし「朝八時に来い」と言われれば、八時に来ればよく、遅れてはならず、早い必要もない。
しかし、礼儀であれば、仮に「八時に来い」と言われても、相手が九時や十時に来ていれば
九時や十時に来ればいいし、逆に六時や七時に来ているんなら、六時や七時に行かなければならない。
老人に「朝に来い」と言われて朝に来ればすでに老人は来ており、出直してさらに早く、
さらにさらに早く出直して、夜明け前にやっと老人より早く約束の場所に行き着いたことで、
老人から「三略」を賜った張良のような、相手の動向に応じた臨機応変さこそは礼儀となる。