10/06/03 22:08:14 0
>>472
>>1.鴻門の会が反例ではないか
→淘汰可能性に従ってはならぬ。(∵>>403)
淘汰可能性自体非常に怪しい論理。 もっとも「哺乳類、一人っ子 移民 群れを作らない・・・」の存在を淘汰可能性で
説明することは困難であり、淘汰可能性は矛盾論理であると容易にわかる。
>>2.ドラクルは反例ではないか。
→粛清は最善ではない。
→では最善は何か?
→説得のみによって同じ結果を出すこと。
どう考えてもあそこでは粛清しかなかった。「おい! お前乞食になれ」といってなる人間がいるのだろうか?
外国人商人だってワラキアの産業を食い物にして飯にありついているわけだし、
貴族にしろ、小国ワラキアの周りにポーランドやオスマンといった強国が存在している以上、裏切りなどによってじゃないと権力を維持できなかっただろう。
「お前!!死んでくれ」といって本当に死ぬ馬鹿な人間ばかりなら、この状況で話し合いは通じるだろうが、この場合完全に利害は一致するわけは無かった。
外交上の努力により粛清は回避できるという意見が出ると思うが、当時はオスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープルを陥落させ、バルカン半島に
目を向けていた時期であり、変に自国の領主の権力を削減し、貴族に力を与え商人に力を持たせると、軍隊統一できない、産業豊かにならないで
まともにオスマンと戦えるだけの下準備ができなくなるのは自明の理であった。
つまり、最初から話し合いなどで解決できる問題ではなく 当時としてはあれが最善であった、
「説得のみによって同じ結果を出すこと」がいかに無知なお花畑論理かがわかると思う。