09/12/05 20:01:28 0
>>330-336にも順に書いてみる。
>>330
1 そのロジックだと日本語がそもそもなかったり理解しない人々が存在する。だから日本語は意味不明だ。
…という議論も正しいことになるよ。「そこでは日本語が通用していなかった」が正しいよね。
同じように、全体に尽くす事が「正義」だった時代には「正義」があった。だから現在のような<正義>は
願望に過ぎないという議論は正しくない。そこでは<正義>は「正義」でなかった、「正義」として
通用していなかった、と言っているに過ぎない。確かに「正義」のもとでの<正義>には「願望に過ぎない」
側面が認められるけど、そのことと、正義の内容が「正義」<正義>いずれの方向に傾くのが適当かは
別問題だよね。片方に傾ききること(絶対的正義)は、何の理由もない「正義」が暴力によって「正義」
という言葉と共にまかり通らせられることがありうるから、観念できないけど、議論は、そのような
「絶対」性とは関係なく、正義の内容を与えようとすることだよ。
2 >>310の「絶対悪を信仰する」の「絶対悪」は、尊重の対象でないととらないと(310が信仰の使い方を
間違っていたと考えないと)、意味が通らないよ。間違いは素直に認めようね。
3 「死んでくれ」と思うことは、「死んでくれと思う対象を殺してはいけない」と考えることと矛盾しない。
教師が生徒を試験で不合格にすることは、A 不合格という処分 B 適切な採点が行われる限り、
不合格処分の不利益は生徒が被ることに生徒が同意している ことが試験という制度の内容として
当然前提されるから、そこで不合格処分にすることは問題ない。殺人の場合には、不利益を被る側の
同意を現実的にとりつけた上で成り立つ制度というものを観念できないので、同じようには考えられない。