09/12/05 11:51:45 0
>>320の「個人個人の願望を集約した結果として、「人」について「殺してはいけない」という判断が成り立っている、
理由は願望が対応しているという理屈なんだから」だけだと、またどうせ死にたくない願望があっても殺したい願望は
あるだとか、実際に殺していいと考える人はいるとか言うんだろうから念を押しておくけど、
理由を問題にするんだったら、問いにあった答えじゃなきゃ理由にならないことは当然認めるから、
「何故、人を殺してはいけないのか?」を議論してることになるわけだよね?
殺したい願望をもつことは、死にたくない願望が殺したい相手にあることや、それから導かれる理解と何ら矛盾しないし
(むしろ、殺したい相手が死にたくないと考えているに決まってるから殺したい願望が出てくる、すなわち「殺してはいけない」
ことをわかってるから、あえて嫌な相手についてそれを犯したくなるんでしょ?)、
実際に殺していいとされる例をいくつか考えても、
・私欲・侵略戦争の類なら、私欲を正当化しているだけで人殺しについては判断がないだけだし
・正当な法的判断・戦闘行為の類は、「殺してはいけない」理由を認めた上で他の利益と比較するという判断で、
「殺していい」という判断ではない(特に正当防衛・緊急避難・自国民保護目的の戦闘行為の場合は、
「殺してはいけない」理由が比較される利益になる)。
法的判断の類で、「人を殺してはいけない」が大前提になっていることは、いわゆる謙抑主義や、
戦闘員と非戦闘員と区別があることを考えれば容易に理解出来るでしょ