09/10/24 14:17:03 0
なんでこんなことになるかっていうと、
「証明」という作業自体が、そもそも「仮定から結論を論理的に導く」ことだからッス。
そして、この「仮定」自体は証明することができません。ただ受け入れるかどうかが各人の趣味で決定されるだけです。
仮定に対して反論するのは論理的に無意味。仮定の成立・不成立は論理とは関係ありません。
(論理とは、あくまで「仮定のあと」に行われる手続きの方法)
自然主義的誤謬のいわんとするところは、
「証明できない」ではなく「(仮定を受け入れさせるために必要な)説得力が弱い」っちゅうこと。
私がさっきやった「証明」も、論理的な証明こそできているものの、説得力(3を人に採用させる力)となるとめちゃ弱い。
んで、なぜ自然主義的誤謬を用いた意見の説得力が弱いかっていうと、
これ認めてたら何でも言いたい放題になって意味わからんくなるからだね。
1.「太陽は燃えている。したがって、地球も燃えるべきだ」(仮定「地球は太陽のマネをするべき」を置けば論理的に証明可能)
2.「かつて存在した生命種の99.9%はすでに絶滅している。したがって、人類も絶滅するべきだ」
3.「カマキリは交尾後、メスがオスを食べる。したがって、人間もそうするべきだ」
4.……
自然主義的誤謬の採用を認めたら、「人を殺してはいけない」を確かに「証明」できるだろうけど、
全く同じ構造で「人を殺しても良い理由」も「証明」できてしまうんだよね。
「だからやめておこう」=「自然主義的誤謬は良くない!」ッス