09/10/24 07:58:47 O
>>681
ザインさん、その将棋の喩えは何かちょっと…。
存在や事象・現象についての記述または証明「~である」や「~になる」を根拠に、「故に
~すべき」という規範(善)を記述・証明することは出来ない…てことですよね。
落下する鉄球を例にとると、「鉄球は万有引力によって落下する」って事実の証明が、「そ
の鉄球は落下すべきである」という記述の根拠にはならない。「生命は誕生する」から「生
命は尊い」も、「海水は透明だ」から「海はきれいに保つべきだ」も、「地球は太陽系で
唯一、生命の宿る星だ」から「地球を大切にすべきだ」という記述にも誤謬がある…てこ
とすね。ものすげえ簡単にいえば、「事実の証明を根拠に価値の証明は出来ない」ってこ
と。言われてみれば「~である」から「~べき」の間には、事実=善という論理的飛躍が
介在している。自然現象に見られる事実は、普遍性を保証すると同時に、善をも保証して
いると錯誤しがちですね。私もそうでした。事実と価値は全く別のこと。それがザインと
ゾルレンの二元論ですね。勉強になりました。
そうすると、科学を寄りどころとする哲学は、倫理とは完全に切り離されたことになりますね。
哲学に残された役割は何でしょうかね…。