09/10/17 23:03:21 0
つまり、まとめると言葉以前の世界(絶対有にして絶対無の純アプリオリの世界)では何者も規定しない。
ってこと。だから、人を殺してはいけない理由なんてないし、生きてる理由も生きなきゃいけない理由もない。
ミクロの世界(量子論的)では音も色も熱も存在しない。感性は存在しない。なぜなら感性の成分そのものだから。
感性とはマクロの存在でしか存在しえない。認識もしかり。人間、生物はマクロの世界に存在する。
故に、エントロピー極小の存在でしょ?だからこそ秩序に価値観を求める。
認識とはマクロ的存在の自己と非自己の関係性にしか存在しえないよね?唯心論、唯物論を超えた唯識論だよね。
自分の認識は認識そのものとして否定できない。故に自我の数だけ認識(=論理空間=自我)が存在する。
確かにアプリオリにはしてはならないことはない。
けれども、マクロの世界に生きる人間、つまり俺たちはマクロ的価値観を求めるのは正常だよね。
だから、アポステリオリ的に殺人を悪だと考えることは正しい。
最根本的に「いけない」という理由はない。けれども人間として生きてきた以上「いけない」と考えるのは正常である。
また、自我は多様である。故に、自己の決断は何者にも規制されない。ならば人を殺してもよい。
しかし、人を殺した時点で人間としては異常である。
そういうこと。