09/10/02 00:35:51 0
吉本ー岸田秀の対談でも同じことが問題になっていて(岸田『二番煎じものぐさ精神分析』所収)、この対談について上野千鶴子が言及していた(『女という快楽』)。
このスレで総和と呼ばれているものは私が挙げた2件では寧ろA∩B∩C∩…の積、交わりとして考えられていて、
A∪B∪C∪…の和、結びの方ではない。岸田の共同幻想は構成員の私的幻想の「総積」だが、上野は吉本の共同幻想については総積の逆写像として図示していた記憶がある。
岸田のモデルでは、私的幻想がすっぽり共同幻想に含まれるケース(p⊆c)が権利上は有り得、この場合は私的幻想と共同幻想との間に何の齟齬も有り得ない。
吉本ー上野モデルでは、共同幻想はcの逆写像なので(私的幻想と共同幻想が同一平面上にあるわけではないので)、そもそも私的幻想がすっぽり共同幻想に含まれるケースが有り得ない。
>>40の
>共同幻想が制度とか機関とかに結実していく過程を積極的に分析したようなものってある?
は上の逆変換に関係しているはずだけど、俺は古いのしか読んでいないから、「『共同幻想論』じゃダメかい」と言う答えになる。
この問題は「逆立」が要点なんだろうけど、これが分かりづらいので
>>42のようなことになるんだろうなと思う。俺も未だに呑み込めずにいる。