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教員だけでなく、今思い返すと文学者でもその手の不可思議がある。埴谷雄高でも、自分の文学で
生の側でなく、死の側からする目で思想する人間だったのに、埴谷の小説に出てくるジャイナ教とは
それですよね。死に近ければ近いほど正しい。そんな思想を描いたにも拘わらず、意外に埴谷自身は
やっぱりヒューマニズムが抜けなくて、反核運動に加担したり、第三世界のことを考えましょうみた
いな発想にのめり込んだり、ちっとも死の視点からではない。特定の理念をもって、対抗権力を作る
、狭量な理念だし、運動だから数を擁するし、埴谷が1050年代に散々考え抜いた政治の通俗性そのも
のに収斂しちまってる。埴谷みたいな文学を作る人間なら、インパクトのない生に徹底するのが
本来だと思うんだが、相変わらず数を擁立して、それで世界を変えていきましょうという発想ー通俗
的な反権力思想に雪崩れ込んでしまっていた。生きてることは素晴らしい、地球は美しい、人類は皆
仲間、とか言う連中と手を組むことなどなかったのに。これまた不可思議だった。そうみると、それ
まで構築してきた文学も、結局根底にあったのはその手のヒューマニズムだったのか、と落胆されら
れてしまう。あれじゃあ埴谷の思想の意味を自分で帳消ししたのと同じだよね。