09/10/12 19:52:21 0
>>105
ロシア・マルクス主義の最後のチャンピオンと命名してたっけな。
>>107
すべての民族が近親相姦をタブーとした理由を書くのに
こんな分厚本が必要なのかね、と書いたのを読んだ記憶がある。
121:考える名無しさん
09/10/12 20:17:39 0
この本は、今の時代には珍しく極端に政治的な本である。
『地獄の黙示録』や『ゴットファーザー』、あるいはクリント・イーストウッド、オリバー・ストーン、スパイク・リーなどの監督作品は、
ハリウッドで制作された商業映画でありながら、アメリカ知識人の文脈では「政治映画」というジャンルに分類される。
本書はこれらの優れた政治映画映画を導きの糸として、そこから、欧米の白人社会内を分断するカトリック対プロテスタントの
激しい対立や、リベラル対保守という政治的対立のほんとうの意味を、明らかにしていく。なぜなら、そこにアメリカ社会を理解
するための確信があるからだ。
同時に、欧米の白人社会の間にプロテスタントとカトリックという深い対立と差別の構造があることが本書によってはじめて
明らかにされる。こんなことは欧米の知識人の間では常識なのだが、彼らは絶対にそのことを口にしないから、日本人は
これまで誰もはっきりと理解できなかったのだ。
副島隆彦 「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」より抜粋
122:考える名無しさん
09/10/12 20:20:08 0
日本の大学の理科系(理学部、工学部)の教育の1年生の教育では、この「実験の大切さ」を叩き込まれると私は
聞いています。これは優れた教育法だ。実験の授業では、学生が、自分でやった実験の結果や、目視した物、
それから、実験の結果(成果)として得た数値などを、絶対に、ごまかしたり、改ざんしたりしてはならない。
と教える、という。当たり前のことのように思われるが、この実験と観察の、初歩の訓練はきわめて大切である。
自分の実験の結果が、当初の予定から、どんなに外れていても、失敗に終わってもそれでも出現したおかしな
結果や数値を、そのまま、正直に書いて、教授に提出しなければならない。これが理科系の教育の良さである。
この一点で日本の理科系の学部は優れている。これだけ日本の大学教育の実情がひどいことになっており、
見るも無残な現状なのだが、それでも理科系の学部では、まだ、この実験と観察の方法学(メソドロジー)が
生きている。これが日本の優れた技術者を大量に育てた原因だろう。
それに対して、日本の文科系(社会学問系)は、悲惨である。
自分で何か仮説を立てて、それを実験的に考えて、現実の事柄に適用してみて、自分の頭で苦労して考えて、
そこから何かを導き出す、という訓練など、全く誰も、誰からも、全く、教えられていない。頭の悪い日本
の大学教授たちが書いた、どうしようもない硬直した教科書や、自分の思いつきを書きなぐっただけの本を、
ただ読まされる。あるいは寝言のような自分勝手な考えを、講義と称してひたすら聞かされるだけだ。
日本の大学の文科系の教育は腐り果てている。
文科系の学問は、学問対象が、社会や国家や、人間集団だから、簡単には実験の対象にできない。このことを
言い訳にして、それで、欧米で作られた理論をただそのまま「換骨奪胎して」(つまり日本語という言語に
置き換えて、泥棒して)「和魂洋才」で垂れ流しているのがほとんどだ。
副島隆彦「人類の月面着陸はなかったろう論」P216~217
123:考える名無しさん
09/10/12 20:33:04 0
学位(ドクトレイト)は、本来、学者個人が一子相伝で伝えてゆくものです。
大学や教育相が出すものではありません。
フランツ・フォン・シーボルトは、長崎の鳴滝塾で、高野長英や小関英三に彼らが
オランダ語(どうもドイツ語らしい)で書いて報告した論文に対して、「ドクトル」
の学位を授けています。
学位とは、周囲の高い評価を得た優れた学者が、個人の名前が出すものです。
福沢諭吉先生の真似を私はそのうちするぞ。日本の土人学者や、「日本的エスタブリッシュメント」
なんか、原住民のまじない師集団(欧米では誰からも相手にされない)に過ぎないから、
私は、呆れ返っているから相手にしない。だが、アキラ君は、このあとも日本のアカデミズム
(まじない師集団)の中で生きゆくだろうから、私の知ったことではない。
副島隆彦「属国日本論を超えて」
124:考える名無しさん
09/10/13 00:33:03 0
>>120
ありがとう。
橋爪青年、がっかりしたかもしれないね。
思考パターンがあわないっていうか、構造の形式的表現とか、吉本は苦手なんだろうな。
『言語美』とか一見そんな志向がありそうな感じもするんだけど。
もし日本にアンドレ・ヴェイユがいたら…って思ったりもするけど、いたとしてもその機会が生きることはなかっただろう。
今、そのへんが少しすっきりした。
125:考える名無しさん
09/10/13 11:31:43 0
>>124
120氏もご存知だと推測しますが、
『親族の基本構造』についての吉本隆明のコメントは
120氏のカキコ通りですが、吉本隆明は
同書およびレヴィ・ストロースを評価しております。
126:考える名無しさん
09/10/13 11:44:07 0
だいたい心的現象論序説は、構造の形式的表現そのものなんだが。
まあ後続の村瀬学の方がうまいから苦手なのかもしれないけど。
127:考える名無しさん
09/10/13 12:24:56 0
>>120
>>ロシア・マルクス主義の最後のチャンピオン
とはこれまた懐かしや。
ロシア・マルクス主義最良の部分てな言い方もしてたぜ。
128:考える名無しさん
09/10/13 14:23:07 0
1975年以降の吉本は資本主義翼賛のコピーライターだよ
129:考える名無しさん
09/10/13 16:15:26 0
マルクスの考え方のなかには、資本主義翼賛とも解釈できる一面があるからね。
ただし、あくまでも、共産社会へのプロセスとしての資本主義翼賛だけどね。
吉本さんもある時期には、資本主義がこのまま順調に発展して行って、
それに応じて社会的福利厚生を充実させ、技術革新を順調に成し遂げて行って、
少しずつ共産社会に近づいていくはずだという考えに傾いたんだろうね。
だからそのマルクス主義的技術発展史観を拒むようなエコロジーに猛烈に反対した。
ただしアジア的なものが滅んで行くことに関してはノスタルジーを捨てなかったけどね。
130:考える名無しさん
09/10/14 11:22:20 O
そんな高校生みたいな史観を吉本が?
言葉尻捕まえりゃそう言えるかもだが・・・あんまりでしょw
吉本の資本主義マンセーは社会科学的なタームでみてもしようがない。
欺瞞許すべからず、の倫理でしょ。
131:考える名無しさん
09/10/14 11:45:30 0
高校生みたいな史観? でもマルクス主義者にかぎらず、
いまでも大多数の人々が抱いている史観じゃない?
吉本さんに関していえば、ちょうどその時代に出された
『世界認識の方法』にそのヒントがあるよ。
132:考える名無しさん
09/10/15 08:16:32 O
言葉尻つかまえりゃ
「状況への発言」等でケチョンケチョンな史観だな、とも言えるし、意味ねぇよ。
大前提として、吉本にはそんな教科書みたいな史観ムリムリ。
133:考える名無しさん
09/10/15 08:37:16 0
>>129
それは、かつて吉本が三流スマートボーイと侮った“構改派”と
どこが違うんだろう? 革命を断念し、改革を選んだということだろう?
要するに彼の言う“転向”とはそういうことかな?
134:考える名無しさん
09/10/15 08:55:00 0
本を読むのは平気だけど、ネットだと10行程度の文章読むのもダルい
なんでだろ
135:考える名無しさん
09/10/15 09:33:16 0
>>133
吉本さんのマルクス解釈からすれば、下部構造としての資本主義は
科学技術の発展とセットで自然過程と見なされるから。
136:考える名無しさん
09/10/15 10:17:28 0
>>135
マルクスに倣って吉本は「自然過程に身をまかす」ことに抗っていたのでは?
それは現在の諸矛盾に目を瞑ることになるからだ。
革命とは、自然過程への爆発的な抗い(自由の極北)を意味する。
それは政治(上部構造)の自然過程(下部構造)への強権的な介入である。
結局、一切は“自然過程”なのか。
それとも、いささかなりとも分け入り改変することがヒトには可能なのか…
137:考える名無しさん
09/10/15 11:33:39 0
自然過程に抗うのが観念=純粋疎外じゃないの?
自然(過程)そのものでいるのは原生的疎外そのままだから。
138:考える名無しさん
09/10/15 11:43:45 0
純粋疎外もまた自然過程だろう?
“意図”による産物ではなかろう。
そこまでは、人間的自然である。
その先があるかどうか、革命はその先の話である。
革命も自然過程なら、すべてはあるがままに、でおしまい。
139:考える名無しさん
09/10/15 11:50:51 0
自然過程への介入とその改変は可能か、を問うているのである。
140:考える名無しさん
09/10/15 12:11:07 0
>>137
この辺りは微妙だよね。
ヒトはパンツをはいたけどそれは自然過程なのか、
それとも自然過程に抗ったものなのか。
141:考える名無しさん
09/10/15 18:13:11 0
たとえば吉本のやり方で、現在の日本の政体について筋道つけて説明できるのかっていう・・・
142:考える名無しさん
09/10/15 21:49:32 0
>>129
> だからそのマルクス主義的技術発展史観を拒むようなエコロジーに猛烈に反対した。
これは正解じゃないか。だから環境保護団体を反動的(右翼)だと見なした。
マルクス主義進歩史観に対する反動だから。
143:考える名無しさん
09/10/15 22:02:51 O
一通り吉本読んでる誰もがげんなりして絶句するような話題はそろそろ止めようぜ。
144:考える名無しさん
09/10/15 22:09:28 0
>>143
じゃあ、君が話題を提供すればいい。
ケチをつけるのはクソでもできる。
145:考える名無しさん
09/10/15 23:07:36 0
>純粋疎外もまた自然過程だろう?
いや、人間的自然じゃね?
吉本&マルクスの永遠のテーマやね。
146:考える名無しさん
09/10/16 05:54:15 0
これで、アメリカの法哲学・法思想界の対立軸の背景にあるものを説明した。
そしてそれらは、大きく①のナチュラル・ロー(バーキアン)派、②のナチュラル・ライツ(ロッキアン)派、
③のヒューマン・ライツ(リベラル)派、そして④のポジティブ・ロー(ベンサマイト=リバータリアン)派の
四つの対立図式であると考えることができた。
この対立図式はそのまま、政治思想の対立図式でもある。
ヨーロッパ・アメリカの近代政治思想のこのような大づかみな対立図式を知らなければ、欧米知識人の
議論の輪に入っていくことはできないはずである。
副島隆彦『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』講談社α文庫:1999年、原著1995年
147:考える名無しさん
09/10/16 05:56:45 0
マッカーサーが連れてきたニューディーラーの正体
日本の戦後は、アメリカの政界の最も悪質な部分である「ニューディーラー」にたちによってつくられた。
彼らニューディーラーたちは、1930年代のアメリカのリベラル勢力である。彼らの代表がフランクリン・
ルーズベルト大統領であった。この一部が敗戦直後にマッカーサー元師の取り巻きとして日本にも上陸した。
この者たちによって私たち日本人は、敗戦直後から現在までずっと管理・教育されてきた。この事を英文で書くと
次のようになる。
The‘New Dealers'(i.e the prototypical globalists)brought int japan with their ideeas that brainwashed
the japanese people duringt the Occupation years.As a result,japan has led a sheltered existence for the
past half-century from the rest of the world in terms of prevailing political thoughts,thus creating a
one- domineted ruling class. This ruling class then intentionally isolated the country from the outside,
in order to maintain control over the japanese people.
上の英文の訳
「ニューディーラー(すなわち、グローバリストの初期の形態)が、占領時代に日本に彼らの思想を植えつけた。
その後、それらの意図的な思想が、日本国民の思考の中に根づいた。だから日本は、この半世紀の間ずっと、
世界中で通用している本物の政治思想や考え方から壁を作られて遮られてきた。そして国内に専制的なひとつの
支配階級をつくった。この支配層は日本国内の支配を維持するために、日本を外側世界と意思が通じない状態に
置く原因をつくった。」
この英文を、自分の友人や知人のアメリカ人やイギリス人その他の英語圏国民に見せてみとよい。 政治問題に
関心のある少し知的な英米人であれば、必ずそれなりの興味深い反応を示すだろう。もし、本当に頭の良い賢明な
アメリカ人であったら、「どうして、お前は、このことを知っているのだ?」と驚かれたあとに、さらに多くの
恐るべき真実をあれこれ語ってくれるだろう。
引用は副島隆彦「日本の危機の本質」P33~34
148:考える名無しさん
09/10/16 08:36:43 0
マッカーサーがGHQに連れてきたニューディーラーの
コアなメンバーはアメリカ共産党員だな。日共の野坂も
アメリカ共産党に党籍があったしね。
しかし共産党の連中は半年くらいで帰国させられてる。
その後マッカーサーいわく「かわいいファシスト」たちが
GHQの主流になっていくわけだ。
149:考える名無しさん
09/10/17 03:49:13 0
キチガイ柴崎は来るな。
150:考える名無しさん
09/10/18 11:13:26 0
ここに副島発言を引用してる人はすごい発見だとか思ってるんだろうが、戦後にマッカーサーの
取り巻きで入ってきた何とか言う一派がなければ今のようにはならなかった、とか、その手の占領
政策問題というのは、昔江藤淳が1980年代に延々やっていた問題で、その江藤は吉本との対談で
「江藤さんみたいな大知識人がその手の問題にかかずらうことはないんじゃないですか」とたしなめ
られていた。最近講談社文芸文庫で復刊され吉本隆明×鮎川信夫の『文学の戦後』でもその江藤淳の
仕事について、検討されている。江藤が戦後の日本国憲法の制定に関わった人間とかに一々会って
話をしている情熱については評価されている。しかし評価されるのはそこまで。何で江藤さんほど
の人があんなことに、という疑問は語られていたはず。江藤の場合、80年代以降の、吉本のいう高度
消費社会の到来に伴う文化の変貌によって、ひどく落胆し、自信を喪失した部類だと私はとる。江藤
の当時の立場というのは、竹田青嗣、加藤紀洋との座談会でもしきりに主張されているが、要するに
文学の威厳を守れ、とまるで古典芸能の師匠みたいなことを説教することしかできなくなっている。
いわゆるマスイメージにそこまで追い詰められていたと分かる。
151:考える名無しさん
09/10/18 11:52:26 0
日本人が、いつも裏と表の文化を駆使することでしか事に対処できない、というのは最近
でいえば福知山脱線事故の調査委員会のメンバーとJR西日本が癒着して、調査報告が漏ら
されていたとかの事件、また、同じJR西日本はこの件についての社員への聞き取り調査に
ついて、他の社員はこう聞き取りにたいして喋っている、という資料を渡されていた、とか
、裏工作が為されていた一件にもよく現れている。吉本もたしか、『ひきこもれ!』だったと
思うが、日本社会の中の偽の真面目さについて、これが改善されるかがすべての始まりだと
思う、みたいなことを喋っている。なぜ日本社会はいつもそうなるのか、というのは未だに
続いている問題で、それには様々要因があるのだろう。吉本の専門であるアジア的精神だ
ともいえるのだろう。上部構造にたいし、下から変えられる、という意識が育ちにくい、
いつでも百姓根性、うまく立ち回ることこそ至上、と言いくるめられてしまう。こういった
問題への解答の一つとして、江藤がやってた占領政策論とか、ついでに副島某のマッカーサー
取り巻き連の仕業論とかがあると思う。細かくみていくとそういう論の有効性もあるのだろうが、
日本社会論として不十分、不徹底としかみえない。なぜなら占領政策というものを過大評価し過ぎている。
だからそのような論、マッカーサー取り巻きがいて云々、という話が出てくる。占領政策で日本人が
変えられた、というのは楽天的な論理でしかない。日本人の近代化の壁を探る試みの一環として、
その意味でだけ面白いとは思える。
152:考える名無しさん
09/10/18 19:55:46 0
国家は袋のように住んでいる人々を包み込んであるというアジア的な国家イメージと
国家は住んでいる人々とは別のところに政府としてあるという西欧的な国家イメージの違いに
驚いて書かれたのが共同幻想論だったな。
153:考える名無しさん
09/10/19 15:09:56 0
>>129
それじゃ山形浩生と同じやん。同類にするつもりかwwww
154:考える名無しさん
09/10/21 18:41:47 0
普通の日本語の本を読みましょう。
155:考える名無しさん
09/10/21 18:52:52 0
読んでわかる日本語の本を読みましょう。
156:考える名無しさん
09/10/21 18:56:08 0
英訳を読んでみたい。日本語では時間の無駄。
157:考える名無しさん
09/10/21 21:34:07 0
>>151
どこのコピペかしらんが
>上部構造にたいし、下から変えられる、という意識が育ちにくい、
>いつでも百姓根性、うまく立ち回ることこそ至上、と言いくるめられてしまう。
もう少し勉強してる人のコピペしろ。
「上部構造」ねえ
158:考える名無しさん
09/10/22 03:18:40 O
皆さん沈黙が足りませんね。
159:考える名無しさん
09/10/22 03:51:39 0
静かに沈黙してキーボードを忙しく叩いてます
160:考える名無しさん
09/10/22 13:44:05 0
誘拐には誘拐を
161:考える名無しさん
09/10/22 16:13:35 0
なんか爺さん死んだら思想のたがが外れそうでやだなぁ
162:考える名無しさん
09/10/22 17:36:50 0
ポストモダンな軽薄短小言論が持て囃されるだけ。
163:考える名無しさん
09/10/22 19:05:24 0
ポストモダンな軽薄短小言論に負けるヤツって…
164:考える名無しさん
09/10/22 22:43:51 0
このスレだってマルクスもまともに読めないやつばっかじゃん
165:考える名無しさん
09/10/22 23:52:53 0
発売日: 2009/10
異形の心的現象―統合失調症と文学の表現世界 (単行本)
吉本 隆明 (著),
現象から本質へ、そして、本質から現実を透徹した眼差しで凝視し続ける吉本隆明VS森山公夫の心的現象論の新領域。
166:考える名無しさん
09/10/23 10:05:50 O
マルクスもまともに読めない、を一昔前の柄谷言表から拾ったのならまだ救いがあるかな。
スガだったら・・・カワイソす(T_T)
167:考える名無しさん
09/10/26 04:47:22 0
『世界認識の方法』にはショーペンハウアーについての言及はありますか?
フーコーとの対談以外に。
168:考える名無しさん
09/10/26 17:10:27 0
早く英訳しろ。スペイン語でもいい。訳者の良心が問われる。(原本が
普通の人間に理解できない。理解できないのがまとも。)
169:考える名無しさん
09/10/26 17:19:47 0
>>165英訳しろ。まったく、みぐるしい日本語だ。 見苦しすぎるという点では
もせものてきにありだが。現象から本質にーーー
170:考える名無しさん
09/10/26 17:39:03 0
本は売らなくてはなりません。
171:考える名無しさん
09/10/26 17:52:36 0
見苦しさ、異様さ、異化さ、も商品価値がまだあるのでしょう。
172:考える名無しさん
09/10/26 18:01:45 0
そう商品価値、あほが買うのです。
173:考える名無しさん
09/10/26 18:26:25 0
あほども、買えよ。図書館ではだめよ。
174:考える名無しさん
09/10/26 19:30:02 0
「1079」 副島先生の「私たちは、世界の大勢 に逆らったらいけないのである 」論を
載せます。2009.10.26
これまで述べてきたとおり世界は、端的に(A)ワールド・ヴァリューズ(world values
世界普遍価値)なるものと、(B)ナショナリスティック・ヴァリューズ(nationalistiv
values 民族固有価値、あるいは、パロウキィアル・ヴァリューズ)なるものからできている。
この章では、現在の「国際社会」なるものを私たちは、大きくどのようにみるべきかという
ことと、この国際社会の現実に対して、日本人がどのように対応していったらよいか、
を述べる。このことは、同時に、日本民族あるいは日本国のこれまでの二千年の歴史が、
世界政治の中において持った意味について考えることでもある。(以下略)
『決然たる政治学への道』(第5章)90ページから
この本で力説したとおり、世界普遍価値の方が、日本の民族固有価値を打ち破っていくのである。
それが世界史(ヘーゲルが唱えた)というものだからだ。だから、その際に、「七三(しちさん)
の構(かま)えの、七で世界普遍価値に従い、国を開き、同時に、残りの三で民族固有価値を
守り通さねばならないとするのが、私の政治思想的な構え(決断)である。
この本で、「政治学とは何か」を書いていたら、次第に自分の関心は、「世界の動きの中で、
現在の日本が置かれている位置」を測定することの方へ移っていった。(以下略)
『決然たる政治学への道』(あとがき)276-77ページから
175:考える名無しさん
09/10/26 19:42:36 0
やらかみ まさつ
176:考える名無しさん
09/10/27 07:05:54 O
今日、保守的な哲学板住人にとって、
レスはいずれもただ一人のためのレスで、
一般的に真理であるようなレスなぞはありえないという
ウ゛ァレリイのことばはうたがいようもない常識にしかすぎまい。
いや、副島スレの住人にとっても、
かれが書き込みを体験しているかぎり、
頭はばたばたしながらヘソのあたりで秘かにおしかくしている禁忌であるかもしれない。
177:考える名無しさん
09/10/27 23:21:34 0
↑素晴らしいあほ。
178:考える名無しさん
09/10/29 22:19:47 P
吉本隆明に似てる
URLリンク(para-site.net)
179:考える名無しさん
09/10/29 22:22:38 P
吉本隆明に顔が似てる
URLリンク(para-site.net)
180:考える名無しさん
09/11/15 00:08:13 0
終わったな
181:考える名無しさん
09/11/15 02:06:42 0
人頭切断事件擁護はまだですか?
182:考える名無しさん
09/11/16 21:59:51 0
小熊英二の『民主と愛国』で描かれる吉本は、
戦争体験が人生の一部でしかない大人に
戦争体験がすべてであった子供の吉本が噛みついている構図だな。
噛みつかれた側はさぞ迷惑だったことだろう。
183:考える名無しさん
09/11/17 11:31:53 0
吉本は、三島や村上一郎のように死なず(死ねず)、
長生きしているのは、自分がうまくやったからだ、
と言っているが、そのような「自己分析」を口にすること自体、
「自己肯定」じゃないのかね。
奥崎謙三は長生きしたし、大西巨人は長生きしているが、
この二人が仮に「自分はうまくやった」と思っていたとしても、
それを口にしたりはしないだろう。死ぬまでがんがん攻めていくはずだ。
184:考える名無しさん
09/11/17 19:19:34 0
そういうところが吉本の独特の「誠実さ」なんだな。
罵詈雑言の一方でそういう自分を相対化しているようなことも同時に言ったりしている。
185:考える名無しさん
09/11/18 16:16:00 O
吉本隆明の時代って本面白いですか?
186:考える名無しさん
09/11/18 18:05:19 0
スガ秀実とか、柄谷もだけど、覇権とか、やたら気にするでしょう。どこぞの政治家じゃある
まいし、俗物としか思えないですね。全く無意味とまでは言わないが、思想そのものでの議論
がやはり重要でしょう。スガの吉本隆明論だと『花田清輝』一冊で十分。それは絶版なので、『花
田清輝』持ってない人が買うのは分かりますけどね。
187:考える名無しさん
09/11/19 01:56:42 0
自分のチンコの大きさを見せびらかせたい男の屈折した快楽にすぎないんだよな
188:考える名無しさん
09/11/19 02:20:26 0
でかすぎるせいか屈折した心理に理解が行き届かなかった
189:考える名無しさん
09/11/21 21:05:21 0
吉本って今読んでもすごいな。
ハイ・イメージ論を60代で書いてるんだよな
何で書けるのってくらいすごい。
190:考える名無しさん
09/11/21 21:28:58 0
何かにとりつかれたような・・・
191:考える名無しさん
09/11/21 21:33:59 0
>>189
カントだって純粋理性批判は50代で書いてるし。
192:考える名無しさん
09/11/26 13:52:22 0
吉本で大事なのは自然過程という考え方だな。
自然過程とは変えることのできない歴史の流れみたいなもので、
それに反する運動はすべて反動ということになる。
ただ、何を自然過程とするかは、実は吉本の判断次第ってわけで、
そういうところが吉本教と言われる所以なんだろう。
193:考える名無しさん
09/11/27 15:58:10 0
そうか?
自然過程という考え方はマルクスの考え方に基づいたものだろ。
むしろわかりやすいが。
194:考える名無しさん
09/12/01 23:40:33 0
この爺さん、最近見ないけど
まだ元気なんですか?
195:考える名無しさん
09/12/03 14:48:24 0
元気だけど、大人しくしているみたいだな。
各出版社は情況への発言みたいな原稿が欲しくてしょうがないんだが、
爺さんが嫌がっている。
リーマンショック以後に情況への発言を書くとしたならば、
バブル謳歌の自身の過去について、猛省せざるを得ないからな。
196:考える名無しさん
09/12/05 10:57:38 0
>>195
今や、お迎えが直ぐそこに来てるような自慰サンだぜ、
売文でも売声でもなんでもするってさ。
なんせ、親友を裏切ってまで奪ったかみサンが病弱とくりゃ、
銭くらいは残してやりたいってのが本音だぜ。
そこを上手く突いたのが糸井重里ってとこよ。
197:考える名無しさん
09/12/05 20:16:33 O
それにね、品性下劣ってーニュアンスが少しでもあったらお前さんも救いがたいねえ、となる。
自己欺瞞(オマエモナー)は爺さん思索し尽くしとります。
198:考える名無しさん
09/12/06 11:10:14 0
せめて、花田に関する早とちりを、早めに本人の口から訂正しておいた方が
いいだろうな。
スガの本に説得力があるだけに、今後本人が弁明しないのなら、
死後誰も吉本の本を読まなくなる可能性が高い。
199:考える名無しさん
09/12/06 20:28:30 0
吉本の関係の絶対性は、物語構造の絶対性と考えるとわかりやすい。
英雄物語の中で英雄は、本人の意図とは関係なく英雄として生きざるを得ない。
同じように、人は関係の絶対性の中で、本人の意図とは関係なくある関係を生きざるを得ない。
200:考える名無しさん
09/12/14 09:49:26 0
なんで吉本氏は小沢とか麻原とか
変なのを肯定すんだろな
201:労災
09/12/14 11:13:57 O
シーラカンスの食わず嫌い王子なのです
ひゆうまなのです
202:考える名無しさん
09/12/15 10:45:27 0
>>200
金丸の脱税も脱税なんて大した罪じゃねえよと書いていた
203:考える名無しさん
09/12/15 13:37:20 0
>>202
真意がわからんw
204:考える名無しさん
09/12/16 10:53:50 0
>>203
脱税なんて中小の経営者なら誰でも経験してること
修正申告して税を納めればすむ話だ。
それに政治家に清潔さを求めたって無駄で、政治家
なんてこんなものだって趣旨の文だったと思う。
205:考える名無しさん
09/12/17 00:14:20 0
>>204
いやそういう現実的な話じゃなくて
小沢やら麻原にせよ吉本にしか感じられない(わからない?)「思想的な何か」
を感じ取ってるわけだろ?その両名の人間的魅力なのか
大衆社会の中の一存在としての意義なのかわからんが
それがさっぱりわからない
206:考える名無しさん
09/12/17 01:02:35 0
そんなに生真面目に考えている限り、どうにもこうにもならんでしょ。
207:考える名無しさん
09/12/17 13:50:27 0
>>205
麻原の場合は別に本人を擁護してるわけじゃない。
オウム真理教はただのテロ集団という見方に対して、これも宗教だと
言ってるだけだよ。宗教はその創立の段階では社会と対立することが
多い。オウムもその段階にある宗教団体にすぎないと言っている。
208:考える名無しさん
09/12/17 14:00:20 O
政治も宗教も、ロマンチックに目を輝かせたりその反動でだんまり決めこんだりすんなよってことでしょ。
研鑽してもないのが上っ面で阿保言うな、おれは見極めてんだっ、てね。
それにしても思想入門一年生が、吉本をしっかり読むという時代は完全に終わった気がする。
このスレもそんな雰囲気がぷんぷんw
209:考える名無しさん
09/12/17 14:42:47 0
吉本から思想始めるってのもどうだろう。
210:考える名無しさん
09/12/17 18:24:43 0
吉本隆明の初期(戦後すぐ)や中期(1960~1970年代)の文章は示唆に富んでいると思う.
特にスターリニズム,ファシズム批判は当時の思想状況を吉本本人が最近の文章で解説しているから
あわせて読むと当時の吉本が,敵対していた相手を批判した狙いが良くわかって面白いと思う.個人
的には最近刊行された「情況への発言1・2・3」を読むと,吉本の思想的立場の一貫性が見通しや
すく,吉本の真意(彼の思想的行為の意図)を読み解きやすくなる気がする.
ただし,80年代の文章(マス・イメージ論,ハイ・イメージ論など)は完全に吉本本人にしかわか
らない言葉使いで,かつ,内容も理解しにくい.90年代の文章はあまり面白くない(本人の高齢も理由にある)
と思う.おそらく,吉本の世代やその周辺の人間を読者の層にしているからだろうと思う.
話題になっている,小沢一郎や麻原彰晃の,吉本の評価については賛否両論ある(当時も今も).
ただし,麻原彰晃については彼の著作「超資本主義」の中でたしか,大衆の原像という観点からはオウムを
全面否定するが,吉本本人の内部の問題としては「それだけで終わらず」,宗教家として評価する軸があると
表明していた.その部分を混同してはいけない,と吉本本人は言っていた.小沢については,小沢の著作を読み
解かないくせに,ファシスト呼ばわりする低脳な左翼や市民主義者を批判しているだけで,小沢を肯定的に評価し
ていると言うよりかは,小沢への低レベルの批判についての批判が吉本の主張の骨子であると思う.
211:れん
09/12/17 18:54:51 O
みむ
212:詩文学とのマルチですまそ
09/12/18 06:45:40 0
吉本さん、民主党についてその後何か言ってる?
『現代思想』(10月号 特集・政権交代)のへの談話だと(8月17日)、
・自民党が負ければ負けるほどいい
・民主党が勝てばいいというのではありません、自民党が負ければそれでいい
・それは大衆の望んでることだから
・選挙の結果には何の興味もない
・ずっと自立的思想を目指してやってきたことへの誇りがある
こんなことを言ってました(1ページだけ)。
その後、民主党に関して何か発言してますか?
誰か~~
213:考える名無しさん
09/12/18 12:42:15 0
>>212
このスレ住人のレベルは『週刊現代』
誰も吉本の最新の言説を知らない、知ってても理解できない。
214:考える名無しさん
09/12/18 13:19:04 0
>>213
それ自体が詭弁なんだよw
興味がないといいつつ、自分の志向性について語っている
興味がないなら、自分の志向性は黙っとけと
黙らなかった時点で、自分にとって
どうでもいいことでもないし、関係ないことでもないんだよ
自分にとって、どうでもいいことでもないし、関係ないことでもないから
そういった表明をする
基本的にバカなんだよ
215:考える名無しさん
09/12/18 13:34:52 0
つまんね
216:考える名無しさん
09/12/18 13:44:59 0
214によって、213が証明された。
217:考える名無しさん
09/12/18 13:45:38 0
>>216
じゃあ、あんたの理解を書いてみ
218:考える名無しさん
09/12/19 20:15:23 0
政治評論とか世相評論みたいなのに興味ある人けっこう多いんだね。
おれはそういうのどうでもいいや。反核についての意見とか、さすがだとは思うが。
『言語美』と『共同幻想論』をもっと深めてほしかったな。
正直、この2冊は当時の世界水準を軽く越えていたのではないか、サルトルなど目ではない、という気もする。今となってははるかに手遅れだが。
『心的現象論序説』は図書館で読んだけど、手許におきたい本だとは思わなかったな。なんか、このおっさん方向性まちがっちゃたかな?って思った。
複雑な現象を説明するのに、それ以上に複雑なモデルを使うって、元科学者のセンスとしてどうよ?っていう。
219:考える名無しさん
09/12/19 21:46:27 0
三馬鹿が依拠するフランスの三人の著作の大半が訳されたら、
三馬鹿は終わると吉本は言い、実際そうなりつつあるのかもしれないが、
だからといって読者が吉本に帰ってきたかといえば、
そうではないところに、吉本もそうであるところの
フェイク的日本思想の難しさがある。
吉本を読むより、フーコー、ドゥルーズ、デリダの、
及びそれらの研究書の翻訳を読む方がスリリングだもんな。
ちなみに、吉本が上記フランス三人組に敵う存在でないことは、
スガ本で証明されている。
220:考える名無しさん
09/12/19 22:41:12 0
別にスガとその読者がそれで納得しているならそれでいいことだ。
で、スガってその3人と対等に争えられたの?
221:考える名無しさん
09/12/20 09:17:50 O
アキラは置いといて、あとの二馬鹿と吉本の絡みは、スガ程度の視点からは計りえないオモシロがあると思うけどね。
日本思想のやるせなさと凄みが露呈してる
きちんと言説たどってる人には瞭然だろうけどさ。
222:考える名無しさん
09/12/20 16:12:07 0
自分は何もしないのにデカイ物言いする奴だけは多いなこのスレ
223:考える名無しさん
09/12/20 17:31:05 O
ま、読者なんてそんなもんだよ
224:考える名無しさん
09/12/20 23:14:57 O
「四人組」を読むって晒すのはスリリングっつーよりはスノビズム、な方に傾いてる可能性大。
あんなの隠れて読むもんだろ。普通。
恥ずかしーでしょ、今更。
勝ち負けとかに至っては穴があったら・・・うあぁぁ、ひぃ!な感じ。
スガな感じ。
225:し
09/12/20 23:24:07 0
おおどうにかしてくれよ。おりゃあ就寝する。
大友大変だな。右翼とかじゃん
226:考える名無しさん
09/12/22 12:39:33 0
右
227:考える名無しさん
09/12/22 12:42:10 0
>>218
「芸術的抵抗と挫折」「マチウ書試論」あたりから読み始めた人も多い。
だから、吉本の“状況への発言”に関心がある。
228:考える名無しさん
09/12/23 11:22:19 0
三馬鹿って誰?
浅田彰、柄谷行人、蓮見重彦の三人?
229:し
09/12/23 11:58:43 0
吉本隆明「共同幻想論」の巫女論か?天照の記述はむごいな
230:考える名無しさん
09/12/23 16:57:41 O
確かにウィキくらいの知識であれ当たるとむごい反応しか出来ないw
231:考える名無しさん
10/01/12 06:32:12 0
『異形の心的現象』のなかに、オウム真理教事件のあと、吉本が麻原を宗教家として評価したり、オウム
のサリン事件を造悪論とからめて論じたことが(だと思うが)思わぬ波及を生み、それまで懇意にして
いたフランス文学者の出口裕弘から何の音沙汰もなくいつの間にか絶交されていた、それがオウム
への吉本の評価が原因だと間接的に知らされた、と喋っているところがあるが、出口という人は
バタイユの翻訳をして、私などはそれで出口を知ったようなものだが、バタイユの翻訳をするくらい
だったらもうちょっと根底的にオウムの凶悪事件とかも考えてみればいいのにと思う。そもそも
バタイユ自身が背徳や悪に根底的に意味付けする男だったのだから。それでオウムの悪にたいして
ヒューマニストの構えしかできないとなると、ではあのバタイユは一体何だったのか、ということ
になる。自然を否定し、そこで生まれる有用的世界をもう一度否定することで、人間は至高となる。
バタイユの思想は悪の意義を突きつける力がある。オウム事件にしてもそうだが、90年代以降の
社会現象は、それまで背徳的な文学を愛好していた人間が意外とヒューマニストが抜けない人間
だったのだと暴露してしまった感がある。
232:考える名無しさん
10/01/12 06:44:21 0
まあ、出口という人の評価なんて、「出口という人」という印象以上になってないからいいんじゃねw?
教員なんてそんなもんだよ。
233:考える名無しさん
10/01/12 14:17:30 0
教員だけでなく、今思い返すと文学者でもその手の不可思議がある。埴谷雄高でも、自分の文学で
生の側でなく、死の側からする目で思想する人間だったのに、埴谷の小説に出てくるジャイナ教とは
それですよね。死に近ければ近いほど正しい。そんな思想を描いたにも拘わらず、意外に埴谷自身は
やっぱりヒューマニズムが抜けなくて、反核運動に加担したり、第三世界のことを考えましょうみた
いな発想にのめり込んだり、ちっとも死の視点からではない。特定の理念をもって、対抗権力を作る
、狭量な理念だし、運動だから数を擁するし、埴谷が1050年代に散々考え抜いた政治の通俗性そのも
のに収斂しちまってる。埴谷みたいな文学を作る人間なら、インパクトのない生に徹底するのが
本来だと思うんだが、相変わらず数を擁立して、それで世界を変えていきましょうという発想ー通俗
的な反権力思想に雪崩れ込んでしまっていた。生きてることは素晴らしい、地球は美しい、人類は皆
仲間、とか言う連中と手を組むことなどなかったのに。これまた不可思議だった。そうみると、それ
まで構築してきた文学も、結局根底にあったのはその手のヒューマニズムだったのか、と落胆されら
れてしまう。あれじゃあ埴谷の思想の意味を自分で帳消ししたのと同じだよね。
234:考える名無しさん
10/01/12 14:20:59 0
間違えた。1050年代じゃない。1950年代(笑)
235:考える名無しさん
10/01/12 22:26:00 0
でもやっぱり歌論は最高。
この点だけは後にも先にもまったく追随をゆるさない。
この人はどうも本質的でないところで評価(or批判)されているような気がしてならない。
死んでから大いに「研究」されるだろうと思うよ。
236:考える名無しさん
10/01/12 22:30:04 0
「まだ死なないか?まだ死なないか?」って書き込む人がいるのが多いのが
吉本の特徴だよね。みんなこの人の思想を早く掴みたがっている気持ちがあるんだろうね。
でも、まだ死んでほしくもない気持ちもあるだろうし。
掴めそうで掴めない状態だな、今は。
>>231や>>233の書き込み読んでいると、そういう人たちは自ら生前に思想的に死んだとも言えるね。
237:考える名無しさん
10/01/13 01:22:50 0
掴めそうで掴めない、というのも、吉本自身が時代の節目で新しい概念を創造し、例えばアフリカ
的段階とかそうだと思うが、そういった歴史の地層を人間の中に見い出すことで、結局人間自体の
概念を拡張してるわけだよね。あの時、「史観の拡張」とか副題がついてたけども、史観の拡張はそれ
自体、人間概念の拡張でもあり、その頃から、現代の人間からすると及びもつかない儀式性を未開の
人間が殺しにたいし付与していたことを、折に触れ言うようになった。それにより、動機の不鮮明な
殺傷をもマスメディアが処理するように異常性としてのみ処理せず、むしろ包括しようとしたと
思う。造悪論も、本来ならそれこそ出口裕弘などがやらなきゃいけないことを吉本が言論界では単
独で言い続けたようにみえる。フランス文学者たちは怖じ気づいたのか、自分達の研究している思
想と関連付けることはない。考えてみれば、1990年代以降、最も悪について、または造悪という思
想について、発言したのが吉本で。思想が悪を語ると、大抵は善を際立たせる素材としてだったり、
或はよく宗教でいうように、人間という弱い存在への慈悲を釈迦は忘れたことはない、的な話にな
る。そうでなく悪というのはもっと別の意義を獲得すべきだとした。造悪論というのはバタイユ的
にいう不可能なものだが、しかし、同時に浄土に最短である。という思想ですね。悪をそこまで論じ
た、それによりオウム事件に新たな遠近法を付加したのも吉本の功績でしょう。
238:考える名無しさん
10/01/13 09:49:06 0
「芸術的抵抗と挫折」「マチウ書試論」は状況論でもなんでもないけどね。
だから吉本の“状況への発言”に関心を持たざるを得ない必然性は全然ないよ。
239:考える名無しさん
10/01/13 10:26:37 0
>>233
そういう失望感って確かにあったよね。
何やら難解な現代思想の用語を操って言論活動をしていた人たちが、湾岸戦争が起こったとたんに一斉に「憲法9条」を守れと言いだしたりね。
あれ?あんたらの政治思想ってその程度のものだったのという感じがあった。大塚英志はそこで開き直って9条サイコーと未だに言っているか
らまだましだが、他の人たちは戦争が終わったら何事もなかったかのようにいつもの言論活動に戻っていった。吉本のすごいところは、そういう
人を失望させるようなことを決して言わないところにもあるんだよな。
240:考える名無しさん
10/01/13 11:25:26 0
小林秀雄の「私は反省しない。」を批判していたような人達がね。
241:考える名無しさん
10/01/13 11:53:30 0
まあ、いつの時代も知的遊戯に過ぎない人と、そうでないで人とがいるんじゃないかな。
242:考える名無しさん
10/01/16 08:37:50 0
吉本は一時期、小沢一郎を評価していたね。
『日本改造計画』(?)とかいう本を評価していた。
今でもそうかな?
汚職なんて、吉本にとってはどうでもいいことだろし。
243:考える名無しさん
10/01/24 02:26:56 0
吉本隆明さんの詩で、以下の物があると知ったのですが、
ご存知の方がいらしたらこの詩の題名を教えていただけませんか?
かれをすてこれをとるか
これをすてかれをとるか
世界の掟に背いてきみは
かれもこれもすてた
244:考える名無しさん
10/01/24 03:09:10 0
その詩はタイトルが「反祈祷歌」といいます。主に「定本詩集」と名付けられた、「固有時との
対話」「転位のための十篇」、がおさめられている。
245:考える名無しさん
10/01/28 00:18:21 0
谷川さんみたく詩集を文庫本で出してくれ
246:考える名無しさん
10/01/28 18:40:55 0
たしか思潮社から現代詩文庫の1冊として出てることは出てます。上のレスにもある「定本詩集」
を基にして収録してます。あと講談社文芸文庫の1冊で『初期詩集』とかいうタイトルで出てたよう
な…。ただ、全部あわせると詩の数も相当なものになるはずで、また、各時代時代の良さもあります
からねー。個人的には「日時計篇Ⅱ」のころのがしびれますが。
最近、吉本さんの思想における大衆の原像について、気になるんですが。既に1985年前後の発言
で、実体としては大衆の原像は消失したことを竹田青嗣との対談で認めて、しかし、にも拘わらず
権力を越える思考は大衆の原像を繰り込む以外にない。でなければ閉じるしかない。それを強調し
てますね。具体的には笠井潔、川村湊との座談会で、大衆の原像を繰り込む必要を論じている。たし
かに大衆の原像を繰り込むことの重要性は異論はないわけですが。しかし、実体としては、文盲の
人など日本人にはもういない。そこそこの教養も持ち合わせてる。まさに吉本のいうごとく、実体
としては消失した。それは吉本の生まれ育った下町が今や消失しつつあることでもある。しかし、
それでもやはり価値の原点としての大衆の原像は必要なんだと主張、1985年の時点で主張する。
その辺に、吉本思想の立っている特異といえば特異な位置があると思います。価値基底としてのみ
、今やそれはある。それもまた解るといえば解る。そう権力と対峙するには考える他ないという。
宮台とかは知識人/大衆の図式はいまや無効で、よって吉本の思想は無効、とか言ってますよね。
宮台のいう成熟社会-隣人との共通前提は消失した社会-の分析には役に立たないと。たしかに宮
台の言い方はまあ分からんでもない。ただ、大衆の原像について、《人間はそこからの逸脱としてし
か生きられない》と1972年に既に語ってもいる。つまり、実体としてあるないと関わらない基底、
根拠だ、というのも確かで、僕はそれがあの概念の意味だと思います。
247:考える名無しさん
10/01/29 00:45:12 0
吉本さんの詩にまた戻るけども。実は詩が分からないと、吉本さんの思想は本当には分か
ったことならないんだろう。吉本さんの詩のモチーフというのがあって、それは世界には歪
んだ風景と貧しい風景しか見えない。そうして、そのような世界には<私>を生に誘う如何な
る大義名分も根拠もない。そのような認識、つまり真実には、世界には言うに値することなど
何もない、そういう認識があり、そこから何処へ行くのだ、という問い掛けがある。吉本さん
の詩はだから、彼の思索の出発点だと思う。そこが分かれば、吉本さんの思索の根底が分かっ
たことにはなると思います。
248:考える名無しさん
10/01/31 09:27:34 O
詩もそうだけど、あらかた吉本読むと、他のは全部馬鹿か欺瞞の糞野郎としか思えなくなった院生です。
あ、日本のメインストリームとその周辺の識者みたいな人たちのことです。
正直いってそうじゃないですか?
249:考える名無しさん
10/01/31 10:33:21 0
あまり罵倒の部分を真面目に受け取るなw
250:考える名無しさん
10/01/31 16:27:57 0
まあ知のメインストリームがどこかというのは兎も角、今の宮台、東、北田といった新進の知識
人にとっては吉本の仕事は既に取り上げるに値しない、という扱われ方だと思います。宮台とか
インタビューで何度か吉本に「用済み」宣告してますね。使えない、という見方です。248レスさん
とか、新進の知識人の吉本用済み発言とかどう見てるんでしょうか。ただ、昔から吉本用済みを
言う人間はいましたけど。柄谷はその筆頭でしたし。今の社会では自明性は消失し、底が抜けてい
る。人の心など分かるという前提で話さない方がいい、と宮台が批判する。酒鬼薔薇聖斗の事件への
対応について。吉本の発言をそう宮台は批判する。「少年の心の問題が抜けている、と吉本は僕を
批判する。しかし、じゃあ聞くが、お前には分かるのか、という話です(笑)」と『interviews』で宮
台は吉本を批判している。宮台の方法からすれば当然出てくる批判ともいえる。心の問題というのは
、ある方法をつかえば、完全には分からなくとも、肉薄することはできる、というのが吉本の立場
だったように思う。僕は吉本には心の問題を語るのは可能だし、その有効性もある、ととる。吉本
は30年かけて『心的現象論』とその周辺の問題に取り組んできた。そのレベルも卓越してる、自ら
方法を構築してるのだから、語って正解だろうととる。宮台に個体レベルの分析が欠けているという
のは彼の分析から普遍性を奪ってると思いますね。普遍性というか、全体性ではない。宮台はかつて
のコギャルがメンヘラーになった理由を社会における過剰流動性のせいだとするわけだけど、メン
ヘラーになる理由をそこだけに帰するのは分析として脆弱で、個体幻想の問題をそこで抜かしちゃ
まずいとどうしても思える。そこでは宮台の発言こそ脆弱そのものだと思います。
251:考える名無しさん
10/01/31 19:51:10 O
前レスの繰り返しで、柄谷流に言うとテクストを読めない宮台は(村上春樹評など)、もう、まったく、てんでお話しにならないかと。
吉本の例の正真正銘の馬鹿(だったかな)はそういう意味もあるんでは?
宮台が賢そうなこと言っても話し半分に聞いたがいいですよ、根底的に阿呆ですから、な感じじゃないんですかね。
といってテクストを読める福田和也がいいのかってーと微妙ですが。
吉本はちょっと次元の違う人なんじゃないですかね。
252:考える名無しさん
10/01/31 19:56:13 O
えー一時期の宮台なんてすごく吉本的だったじゃん。なんで吉本隆明本人にそこまでこだわるかなぁ。まぁわからないでもないけど
253:考える名無しさん
10/01/31 22:03:43 0
吉本はちょっと次元が違う、という話には同意なんです。50年代の詩からして他の作品
と、例えば同世代の詩人と比べても孤絶してると思いますね。どこからあの世界がきたの
か、探るのが難しい。50年代の詩の孤絶がその後もずっと形を変え続いてる…。しかし、今
は吉本とか、読まれてるのか。251さんは相当読んでるわけでしょうが吉本を読みかじる
読み手はもう少ないのではないか。といって、じゃあかつては読者も多かったかというと、
たしかに読まれてはいたろうが、左翼的な読み方をしてたり(柄谷や中上健次がそうでし
ょう。埴谷もそうだったかもしれない)または、何らかの型の填めた見方しかせず、読んで
る(出口裕弘がそうでしょう)結局、自分なりの吉本像を作って、それに反する言論がみ
えると途端に否定する側に回ると言うのが吉本とフォロワーとの関係の多くだったでしょ
う。僕にとっては吉本という人は基本はやはり詩人で、そこから出発して思索を深めてい
った人ですね。
254:考える名無しさん
10/01/31 22:58:24 O
思索=詩作ですな。
畑に種まいて・・・鈍重に一歩ずつ丁寧に揺るがせなく・・・そんな吉本を掘っ建て小屋に過ぎないと柄谷(や同類)みたくからかっても無駄なんですねー。
思索は、思索を味わえるのはそこしかないですから。
また相対的構造的社会学的にみて心なんて、と鼻で笑う系の宮台(や同類)は、あっさり公的なものに躓くのでお話しにもならないでしょう。あ・ほ・かです。
吉本は読まれていると思いますよ。麻原の著作をきちんとチェックするタイプの人には。まあぜんぜん読まれていないってのと表面的には変わらないか(笑) でも思想ってそんなもんでしょ。
255:考える名無しさん
10/01/31 23:40:31 0
まあ、一応言っておくけど、テロみたいなことが起こったら、それを有名人の発言のせいにする一般人っているからね。
そういう世間並の常識人相手の商売というか、吉本を批判するつまらない批評家なんて、そういう常識人相手のガス抜き商売しているんでしょうね
256:考える名無しさん
10/02/01 00:55:44 O
『共同幻想論』は古事記と遠野物語のテクストのみに定位して論じていく。
スリリングなのはそこ。いや、そこだけ。
257:考える名無しさん
10/02/01 03:12:22 O
装丁が
エ
ロ
本
に読めてしまうのがイカす。
258:考える名無しさん
10/02/02 14:24:53 0
「ブルータス」2月15日号 吉本隆明特集 630円
259:考える名無しさん
10/02/02 20:16:34 0
このスレで「吉本隆明は読まれているのか」と書いたところへ偶然、ブルータスの特集号が目に入
ってきた。糸井のほぼ日が全面協力で『50度の講演』の内容紹介まで入ってる。どうも特集の前半は
各界著名人の悩みを語らせ、悩みへの答えをくれる存在として吉本を位置付けたいようだ。(と言
いながら立ち読みしかしてないんだがw)特集最後には糸井と吉本との最新対談収録。というわけ
で、約100頁、しかし著名人の話を除いた実質特集はたぶん40頁といったところだろう。入門的な
編集なので愛読者にはやや物足りないかもしれない。
260:考える名無しさん
10/02/02 22:05:38 0
吉本の「方法」ってのは他の学者には最初から役に立つわけないんだよな。
これはレヴィ・ストロースの神話分析が他の人がやってもうまくいかないの
と同じで一種の芸術なんだよ。
俺らはただその作品を見て味わえばいいわけでね。
261:考える名無しさん
10/02/03 00:04:24 0
『共同幻想論』が当時の学生に熱狂的に受け入れられたかのような話を耳にするんだけど、
一体、あれのどこが当時の学生運動に参加していた人たちをとらえたのか、いまいちようわからん。
国家論ということで、一応読んでみたけど、確かに使えるものはほとんどなかった。
もっとも、使えないかたダメだっていう気は毛頭ない。
『古事記』と『遠野物語』のみに依拠して共同幻想をあぶり出し、自己幻想と共同幻想との逆立という点を
提出したことは、読み物としては面白い。
ただ、吉本隆明が廣松渉の共同主観性と自身の共同幻想論が同じ問題意識で、かつ同じ方向を向いていていたなどと
言うのを聞いたときは、思わず「それはないだろう!!」と突っ込みを入れたくなった。
全然違うじゃねえか!と。
もっとも、共同幻想論も共同主観性論もともには否定的評価かなあ。
262:考える名無しさん
10/02/03 10:15:06 0
「ブルタス」の宮台イカれてたねえ。啓蒙だってw
いい感じの高橋源一郎の後だけに無残さが際立っていた。
263:考える名無しさん
10/02/03 11:31:48 0
>>242
> 汚職なんて、吉本にとってはどうでもいいことだろし。
どうでもいいどころか、贈与論をつかってむしろ合理的だと見なしていなかったか?
違法化するのがそもそもおかしいんだと。
264:考える名無しさん
10/02/04 00:12:15 0
変な社会学的分析なんぞより横丁の隠居じいさんの言葉の方が核心をついてることはざらに
あると思うなあ。
吉本隆明がそうかといえばわからないけどね。
265:考える名無しさん
10/02/06 19:09:49 0
>>258
まだ近くのコンビニには置いてたな。
本はコンビニでしか買わないような層でも
買ってみたくなるような感じではあった。
266:考える名無しさん
10/02/07 18:24:41 0
一時的な好景気に浮かれて資本主義バンザイした奴だから、バブル以後の世代には人気がないというか、基本的にスルーw
267:考える名無しさん
10/02/08 00:26:27 0
266に限らず、社会も時代も吉本が言ったのと違い、何も変わらなかった、と言いたがる人は多い
と思うんだけど、というのも、高次産業化に伴う変化に大衆も為政者も耐えきれず、見慣れた常識
や施策に頼ることしかできないからですね。現在のいわゆる不況報道について、僕は変だな、と思う
ところがあって、完全失業とかよく報道されてるけども、しかし、年末に鳩山と失業者が問答してる
のをみると、その失業者は事務系の仕事しかやる気がない、それで失業してる。あれをみて不思議な
感覚を持たなきゃ嘘だと思う。要するに、労働意欲、生活意欲の喪失が根底にあり、で、その辺のこと
の方が実は本質的で、しかもなかなか報道されない状況じゃないかと思えるわけです。社会の死と
呼んでいいと思うが、そっちの方が実は本質的ではないのか。つまり、不況で失業とかいうと、かつ
てと同様の事態だと思われがち。しかし、実はそうではない。もっと本質的で終末的な事態が、メデ
ィアに上がらないところで進行している。それを見なければ、何も変わらなかったように見なされ
る。しかし、むしろ、社会の死として考えるべき深層の変化があるのではないか。単に不況の一種と
して捉えるだけでは零れてしまうものがある。そこを見ないと、復古的な観念に依存し、図式に依存
してしまう。いま、80-90年代の吉本の分析を叩く人はそういうのが多い。かつての図式がいまだ
有効だとしたい人です。しかし、深層で起きている変化、崩落があって、そっちの方が本質的で、象徴
的だということを見なきゃいけない。相変わらずかつての社会図式で済まそうというのがメディアの
対応だと思う。実は、新しい生のイメージを作るよう促されてる段階なようにも思えるわけです。
それも吉本さんのかつての言説にあったと思いますが。
268:考える名無しさん
10/02/08 00:43:48 0
>>267
「新しい生」というと
ロラン・バルトを思い出すね。
『新たな生のほうへ』
同じことを言っているかどうかはべつにして。
269:考える名無しさん
10/02/08 03:36:57 0
>>267
国民総中流とか煽ってたのは吉本じゃねえかw
仮に本当に事務系の仕事しかやりたがってなかったとしても吉本にそれを咎める資格はない。
270:考える名無しさん
10/02/08 03:38:30 0
団塊の糞尿処理とかマジ勘弁www
271:考える名無しさん
10/02/08 03:43:41 0
とにかく吉本には一秒でも長く長生きしてもらって、自分の見通しがいかに甘かったか
認識しながら苦しみつつ死んで欲しい
272:考える名無しさん
10/02/08 09:22:15 0
>>267
今が実際に吉本の言ってた「社会の死」だろうという見方はだいたい合ってると思う
ただ吉本がいずれ来る「社会の死」に対して「新しい生のイメージを作るよう促」したことはなかったし
今もべつだん促してなどいない(>>212にある通りだ)と思う
そんなことができるくらいだったら社会は死なないしな
それに「新しい生のイメージ」なんて言ったら、言下に「よせやい」って言いそうな人じゃないか?吉本は
こんな魂の焼け野原みたいな風景のどこを見てそんな気恥ずかしいことが言えるんだって
273:考える名無しさん
10/02/08 12:43:47 0
「社会が未知の段階に入っていった」
とは言ってるね。(「現代を読む」1991)
274:考える名無しさん
10/02/08 16:50:40 0
>>258
>
>「ブルータス」2月15日号 吉本隆明特集 630円
URLリンク(www.1101.com)
BRUTUS第679号吉本隆明特集の特典ページです。
このページでは、
吉本隆明さんの講演集『吉本隆明 五十度の講演』から
ふたつの講演をダウンロードいただけます。
275:考える名無しさん
10/02/09 15:05:49 0
>>266
> 一時的な好景気に浮かれて資本主義バンザイした奴だから、バブル以後の世代には人気がないというか、基本的にスルーw
でもまあ、80年代初頭かな、情況論のなかでも、世界認識の方法あたりとか、
そしてその後のプラグを抜くシリーズでの産業社会批判で知られるイリイチらの思想を
ふまえた山本哲士との対話とかもあったわけで、
資本主義の到達点を対幻想論とからめて批判的にとらえる視座はやはり保持していたと思うよ。
2ちゃんねるでサイレントテロなんて命名されていることなんてのは、この人が唱えていたことじゃない?wwww
276:考える名無しさん
10/02/10 11:07:50 0
いまこそ吉本隆明があらためて注目されるべき(笑)
277:考える名無しさん
10/02/10 21:26:57 0
長生きするとこうなる、という見本だなw
70年代で死んでりゃよかったのにね
278:考える名無しさん
10/02/10 22:07:19 0
この吉本とかゆうやつ若いときから風見鶏なのに反骨っぽい演技が好きなんだよな
279:考える名無しさん
10/02/10 22:42:54 0
>>275
> 2ちゃんねるでサイレントテロなんて命名されていることなんてのは、この人が唱えていたことじゃない?wwww
吉本さんが予言したとおりになっているな。
280:考える名無しさん
10/02/10 23:38:42 0
風見鶏であり続ける利益を享受しながら、一応保険をかけておいたワケですね^^
わかります^^
281:考える名無しさん
10/02/11 03:07:06 0
橋爪とか原稿頼まなかったのかな
282:考える名無しさん
10/02/11 11:02:54 O
共同幻想論て詩なんだな。タイトルに論なんてつけるから論理的なものかと錯覚してしまう。
283:考える名無しさん
10/02/11 12:43:58 0
吉本さんは80年代後半、資本主義をマンセーしていたわけじゃないぞ。
彼がマンセーしていたのは産業発展。これはマルクスの史観と一緒。
産業進歩を自然史観としてとらえるマルクスの考えに忠実なだけ。
唯物史観とは、その発展にあわせて資本家的生産様式もその自然史的
環境に適応していかなきゃならないだろう、というものだしね。
284:考える名無しさん
10/02/11 15:09:23 0
>>283
要するにその時々でメインストリーム的なものをマンセーとwww
ハッテンは肯定しなければならないしねwwww
豚だろ?要するにww
285:考える名無しさん
10/02/11 15:23:58 0
その証拠に今や影も形も残ってないwwww
歴史的に見ると豚は豚wwwww
286:考える名無しさん
10/02/11 15:28:33 0
そういえば、国鉄潰しに荷担して、民営化は「善」とか言っていたな。
287:考える名無しさん
10/02/11 15:32:50 0
しかし徹頭徹尾時代の犬ころなのに反骨の身振りだけは上手いよww
その点だけは認めるww
288:考える名無しさん
10/02/11 15:44:32 0
もはや大衆の原像も実像もないwwそうゆう時代にはっきり恥の意識をたもちながら
老衰死するわけですwwwwwwざまあwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
289:考える名無しさん
10/02/11 15:46:08 0
その程度には歴史の審判を信じている(キリッ
wwwwwwwwwwwwwwwww
290:考える名無しさん
10/02/11 18:32:16 0
朝日ニュースターで西部ススムと佐高信がやってる
対談番組・学問のススメは今週吉本隆明がテーマだったよ
ほぼこてんぱんに批判されてました。
291:考える名無しさん
10/02/11 18:48:47 O
なんかさあ
吉本のテクストにあたってない人間か吉本を語れる度が増えてきた感じがする。
近年の濫造本も罪だなあ・・・。
292:考える名無しさん
10/02/11 18:56:43 0
>>291
吉本はそれもよしと思っているはずだよ。
有象無象もなんらかの存在ではあるんだろうし。
293:その他の登場人物
10/02/11 19:50:19 0
かつては、洗足池を一週して大岡山のキャンパスまでランニングするのが在学時の気分転換だった。
その頃、吉本興業の名前をよく耳にした。既に、吉本を読む学生を見かける事は殆どなかった。
294:考える名無しさん
10/02/11 20:47:35 0
>>291
ばななのお父さん自業自得
295:考える名無しさん
10/02/12 02:26:27 0
>>284
ってか、産業発展を阻害するエコロジーは反動主義だってわけ。
296:考える名無しさん
10/02/12 07:34:34 0
>>295
じゃあやっぱり若年労働者を使い捨てるなとか言ったら産業発展を阻害する反動主義だよねwww
その上党派性がどうとか言うわけだろw?
297:考える名無しさん
10/02/12 08:54:11 O
たとえて言うなら小林よしのりやら副島キチガイやら宮台(のおしゃべりのみ)の読者層くらいまで落ちてきたって感じかなあ。
濫造本もコンテクストふまえたらイケてるんだけどねえ…やれやれだ~ね~w
298:考える名無しさん
10/02/12 08:55:21 0
北海道の三流文学研究者、頭悪すぎw
299:考える名無しさん
10/02/12 15:31:33 0
西部ススムと佐高信w w w
300:考える名無しさん
10/02/12 17:26:57 O
ハアアア~だ~ねえ(笑)
301:考える名無しさん
10/02/12 21:13:59 0
吉本自身がそれ以下だってことを認めなきゃw
はははは~んw
302:考える名無しさん
10/02/13 19:35:37 0
「評価」ではない「研究」が登場するのを待たないと駄目な段階だと思う。
「評価」とは別の「研究」が相互に対立するような状態を経ないと、
「評価」のための基盤そのものが成立しないから。
303:考える名無しさん
10/02/13 22:37:53 0
ブルータス買うの忘れてた明日くらいまでか
HP見たら悪ノリしてるようにしか思えんがどうせならカードやシールでもつけてくれ
304:考える名無しさん
10/02/15 17:59:08 0
>>296
で、君は、若年労働者を使い捨てるほうが産業発展すると思っているの?
305:考える名無しさん
10/02/16 12:32:17 0
>>304
なにをもって"産業発展"とするのかな、チミは?
306:考える名無しさん
10/02/17 21:43:38 0
ブルータスって、糸井のアザトイ商売?
それとも、吉本の収入確保のため?
307:考える名無しさん
10/02/17 22:44:43 0
>>306
お前の卑屈な根性を暴くため
308:考える名無しさん
10/02/18 21:38:08 0
良くも悪くも、言論人,思想家として、同時代の誰よりも歴史の残ることだけは間違いないだろう。
良くも悪くも、をまたつけるけど、たとえば柄谷行人のように、思想に借り物っぽいところがなく、
良くも悪くも、と三度言うけど、すべて自家製で、手作りのところが「歴史に残る」ゆえんですな。
309:考える名無しさん
10/02/18 23:18:16 0
端的に国家批判は自由主義に見出せたが
資本には無批判にならざるを得なかった
この辺りが限界だな
310:考える名無しさん
10/02/18 23:25:35 0
こいつのおかげでバカサヨどもが
アナルコキャピタルになったんだな
311:考える名無しさん
10/02/19 05:43:47 O
>>309
>>310
どっかの井戸端会議から拾うんじゃなくてさあ、まずは吉本読むとこからはじめてみ?
一目瞭然だあよおw
312:考える名無しさん
10/02/19 10:03:09 0
たしかに吉本が間違ってたのは信者が崇め奉る経典を読むまでもなく一目瞭然だな
313:考える名無しさん
10/02/19 10:13:26 0
でも実際吉本の著作にあたってる人で>>309にまともに反論できる人間っているのかな?
俺みたいなにわかとしては、どの物差しで批判または擁護してるのかアンチも信者も規定してないから
議論にならない泥仕合になるんだと思う。
糸井重里のプロデュースで思想家から面白爺さんと化してる今、吉本隆明に傾倒してた人にこそ
色々と論じて欲しいもんだ。
314:考える名無しさん
10/02/19 10:21:00 O
てかスガる前にさあ、本よむ習慣みにつけてみ?
テクストにあたるとスガれないのがよくわかるお(^O^)
スガる系の言説は恥ずかしいんだおおw
315:考える名無しさん
10/02/19 10:41:19 0
>>306
自慰サンもちょくちょく書いてるじゃん、
断った仕事は無い、って。
イトイが自慰サンの先行きを読み、
自慰サンもテメーの老いさらばえた現状を考え、
そいつが合致したってことよ。
つまりよくある普通のこと。
ガンガレ! 自慰サン、と。
316:考える名無しさん
10/02/19 11:16:03 0
自家製ってそんなに凄いことかな、日本では珍重されるけど、ピンと来ない。
個人的には、糸井のジイさんへの入れ込みようは
ちょっと冷静になってしまうところがある
この2人の偉業は、歴史には残ると思うけど
未来に生かされるかどうかは微妙だね。
今、言ってること、やってることもなんか世間の空気とズレてる気がする。
メディア的な空気には合致してるんだろうけど。
糸井も吉本も。成功した人だから古い手法がそのまま生き残ってる感じ。
70年代、80年代の吉本、糸井のリアリティは確かに凄かったけどね。
共感しまくりだった、影響も受けた。
でも今の自分には彼らは相対化できる存在。
317:考える名無しさん
10/02/19 11:29:52 O
一緒に寄り添って考えることができるのが思想家ってフーコー言ってたお
いいとこどりで後捨てて、無効だ、相対化だなんて漫画じゃないんだからw
そんなのは説得→納得がアリ気な学生向きだあおww
318:考える名無しさん
10/02/19 19:25:00 0
吉本隆明に傾倒してた人って、結局は吉本が何を言っていたかはほとんど問題にしなくなる傾向にあるよな。
だから議論はできなくなる。
>>311みたいに、お前も読めば分かるみたいな言い方しかできないんだよな。
マトモな頭なら具体的な著作や説を持ってきて反論するところだけど、吉本自身がインディアンの長老然としてきてるから
ファンの認識も曖昧で精神論的になってしまうんだろう。
319:考える名無しさん
10/02/19 19:41:56 O
じっさい読めばわかるもんでゲスよ。
んで読んでない人とはやっぱ話せないんすよw
特にポスモダ三流系引く人ね。吉本に限らずテクストにあたることがまずないw
議論で勝つとか正当性を明らかにするとか、そんなあさましい読みかたせんのですよ、吉本マニアは(笑)
320:考える名無しさん
10/02/19 19:48:30 0
>>319
お前に吉本ファンを名乗る資格はないよ。
読めば分かるって同じ事を繰り返すだけで、議論ができないなら黙ってた方がいい。
吉本隆明の思想をまともに論じることなんてそもそもできないんだろ?
お前は単に吠えまわるだけの負け犬だよ。
321:考える名無しさん
10/02/19 20:18:19 O
まあ読書にいそしむことですよw
わっはは(笑)
322:考える名無しさん
10/02/20 07:11:48 0
駿河台の三省堂本店4Fで『50度の講演』と『ブルータス』吉本隆明特集がセットで吉本隆明フェア
的な催しに使われていた。愛読者としては気恥ずかしかったな。ああまで日向に吉本隆明を置かれる
と(笑)吉本隆明は俺にとっては“生まれてきたことの怨念”そのものだったところもある。自己の
誕生それ自体への怨念の標だった。自分がどこでも“エリアン”な気がしていたので、吉本の“エリア
ン”的詩世界が性に合った。糸井のおかげで日向で語られるようになってきた?のかしらんけど。
吉本隆明ってのはいまだにArienだと思う。吉本を庶民派とか形容する人もいるようだが、思想
の指標として、道標としての大衆の原像とかを対象化できることは大衆の性格を客観視してること
であるし、庶民派そのものみたいな人間は大衆の原像なんて取り出さないのではないかな。糸井
のおかげで吉本隆明が日向で語られるようになるのに抵抗はないが、あれは本質的に厭世的で暗い
思想であり、吉本から私は「なんで俺みたいのが生まれてきたんだろう」という地の底からのような
独語が聞こえる気がする。吉本隆明の思想は自己と自己の生誕の和解の試み、てところがあると
思うんです。あの思想は孤独な思想であり、「ブルータス」なりが吉本に「悩みの答え」を発見できる
みたいな言い方は新鮮なんだけど、外野の声でしかないと思う。吉本は孤独な人間だし、孤独な思想
であるし。そういう意味では愛読者なんてのも外野です(笑)実は吉本にとっては関係ないのだと
思う。
323:考える名無しさん
10/02/20 08:02:23 O
>>322
ちょっと大げさだけど感嘆しました
324:考える名無しさん
10/02/20 08:37:08 0
ちなみに、紀伊国屋新宿店も、吉本特集だったようだもんな。
325:考える名無しさん
10/02/20 10:13:06 0
>>316
>この2人の偉業は、歴史には残ると思うけど
>未来に生かされるかどうかは微妙だね。
賛成だ。
江戸期の儒学や国学と同様、歴史的現象としてはずっと突出した意義を持ち続けるであろうが、
鎌倉期の仏教のように、未来の人々の心に直接訴える力を持ち続けることは決してないだろう。
しかし、なぜそうなのか?が問われるべき問題だ。後半についてだけでなく、前半についても。
326:考える名無しさん
10/02/20 12:43:22 0
>>325
親鸞や蓮如が未だに読まれ新井白石や吉田松陰が未だに
読まれ続けているように
必要な人にはいつまでも読まれるような思想家だとは思う。
327:考える名無しさん
10/02/20 13:22:50 O
そういうの読む人はいつだって秘めやかに、ね。
思想を勝ち負けや正誤で読むこたあないってこと。
328:考える名無しさん
10/02/20 13:55:54 0
爺さんの思想は何らかの形で細々と残るし、いつか再発見されても不思議じゃないな。
糸井は全く残らないと思う。
329:考える名無しさん
10/02/20 16:22:15 0
この人全部二番手って気がするね
たぶん死後は完全に廃れるでしょう
合掌
330:考える名無しさん
10/02/20 17:26:57 O
吉本スレでネガレスするのは、そのことを十年後にいたたまれない程の赤面で思いだすであろう学生か、思想的に敗残した団塊親父に違いない。
と思うのはおれだけかな?
331:考える名無しさん
10/02/20 22:40:28 0
二昔前くらいでは、吉本隆明は論争に強いって言うのがわりかし気に入ってた所だったんだけど、
ほんの少しの間で吉本も世の中も結構変わったな。
>>330
多分お前だけだと思う。
332:考える名無しさん
10/02/21 15:05:04 0
329レスのような、“吉本の仕事は全部二番手”という人のいる一方で、“吉本が初めてやったこ
と”を指摘する人もあり、しかもそう言うのが柄谷などと並べて語られる時もある蓮実重彦だった
りするのが面白い。蓮実はかつて吉本の先駆性を認め、以下のように語っている。
《たとえば転向論の中で、倫理的な価値をパキッと割って捨ててしまう、その割り方ですね。それは
、当時このような視点があまり一般化されておらず、吉本さんが初めてやったという新鮮さだけで
はない。よく考えてみれば、吉本さんの思想的=文学的文脈の中で、割らざるを得ないという必然性
があったことは当然なのですが、(…)》
《これ(上部構造と下部構造の並行関係を否定したこと)を論理的に突き詰めていくというより、
むしろ或種の実感としてそうしたものが吉本氏の中にはあって、それがあるとき爆発したという
形で下部構造による革命論を捨てるという仕草を(…)非常に鮮やかに演じたというか、じつは今
なお世界の各地で何かと言うと結局は階級闘争がどうのこうのと言われ続けているにもかかわら
ず、1960年代にとにかく言い得たということは、彼の思想的な凄さであると同時に、思念なり何
なりを肉体的に形象化させうる大変な資質だと言えると思いますね。ただし、最終的に言うと
吉本さんという人がぼくにはわからないですね。》(いずれも磯田光一との対談「野性の悲劇への
欲望」1980年より)
蓮実重彦はここで吉本の仕事に疑問を表しながらも、その先駆性と力量を、認めざるを得ないも
のとして語っている。蓮実は柄谷や浅田のアンチ吉本性とはどこか違うとは思っていたが、ここま
で認めていた、というのは発見だった。昔の本とは読んでみるものだと思う。
333:考える名無しさん
10/02/21 15:43:22 O
ハスミンが爺さんを、必然性がないとこでおどり出てきた狂い咲き、って評したのは慧眼すね。
今の糸井フィーバーも含めて必然性無さ過ぎ(笑)
334:考える名無しさん
10/02/21 17:29:31 0
>>332
蓮實と並べられてもうれしくはないが、当時の年代の文化人は
多くが吉本に影響を受けているから、まったく珍しくも意外でもないよ
332が単に物事を知らないだけ
で、彼等はそのあとどんどん離反していくわけだけど
それでもまだしがみついているのが業界にはわずかに残っているが
もうじき消えていくでしょう
埴谷や谷川雁は100年後にも残っていると思えるけど
吉本は彼らに比べるとどうだかねえと思う
これといえるものがないんだよね
335:考える名無しさん
10/02/21 20:31:15 0
(引用はじめ:副島隆彦『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』講談社α文庫:1999年、原著1995年)
これで、アメリカの法哲学・法思想界の対立軸の背景にあるものを説明した。
そしてそれらは、大きく
①のナチュラル・ロー(バーキアン)派、
②のナチュラル・ライツ(ロッキアン)派、
③のヒューマン・ライツ(リベラル)派、
そして④のポジティブ・ロー(ベンサマイト=リバータリアン)派
の四つの対立図式であると考えることができた。
この対立図式はそのまま、政治思想の対立図式でもある。ヨーロッパ・アメリカの
近代政治思想のこのような大づかみな対立図式を知らなければ、欧米知識人の議論の
輪に入っていくことはできないはずである。
(引用おわり)
この四つの対立図式によって近代(そしておそらく現代)の欧米の政治思想が構成
されているという事実は、日本人(学者)が書いている書物では、あるいはテレビ・
ラジオで語られている評論では、ほとんど全く分らない。
したがって、副島先生を固く信じて読まないと、これは頭に残らなくなってしまう。
他の日本人評論家などを信じる(騙される)心の隙(すき)が少しでもあると、
騙されて、読了後まもなくすぐに、この構図が頭から消え去っていくだろう。
336:考える名無しさん
10/02/21 20:32:40 0
気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板
[852]下の「850」番の自文を 補足・説明しておきましょう。 投稿者:副島隆彦投稿日:2008/04/21(Mon) 07:23:02
再度、人類の政治思想の大きな流れを説明する。私、副島隆彦は、これを何十度でもしなければいけない。学問道場に
集まる人の、まだ、大多数が、私がたどり着いて、日本国内に、導入して、世界水準の知識として広めようとしている
ことの中身を、まだ、多くの人が素朴にさえ理解していない。だから私は、これから、以下の説明を、何十度でもやる。
もう遠慮などしていられない。 いくら、私の主著をちゃんと読みなさい、と言っても、なかなか、その水準には到達
していない。
さて、それで、まず、ナチュラル・ラー(natural law 自然法、素朴な自然界の掟を守ろうとする思想)派がある。
これを微分(びぶん)して、ナチュラル・ライツ(自然権、natural rights ジョン・ロックやルソー)派が生まれた。
ナチュラル・ラー派と、ナチュラル・ライツ派の思想の対立を知っている、日本人知識人層(政治学者、法学者を
含めて)は、まだ、まだ、今でもほとんどいない。私の本から何とか学んだ、今の30台から下の、これから、
政治学者や政治思想研究者になる者たち、数百人に、私が、外側世界から持ち込んだ、この「世界の思想の流れの
理解の仕方」が、ようやく理解され始めた段階である。 私の本も読まない、40台から上の、日本の知識人相は、
ほとんどは、アホのままである。
私の本をかじり読みして、私と同世代か少し上の、朝日新聞(に書かせてもらう)知識人たち(私は、彼らのこと
をよく知っている)は、「副島隆彦は、右翼なのか、自分たちと同じ左翼リベラルなのか、判別できない」などど、
言いあいながら、困惑しているそうだ。自分たちが、日本土人(どじん、原住民)のまじない師階級であり、かつて
のお坊様のような存在なのだという自覚がなかなか生まれない。その段階にも到達しない。そういう自己認識さえがない。
337:考える名無しさん
10/02/21 20:34:52 0
私は、フランシス・フクヤマの本を読んでいて、これだけは、書き留めておきたくなったなあ、
ということがある。それはネイティビズム対ビヘイビアリズムの巨大な対決ということだ。
ネイティビズム「固有主義あるいは生来主義」とビヘイビアリズム「(アメリカ)行動(科学)主義」
の対決ということだ。
このネイティビズムとビヘイビアリズムの対決は近代(現代)学問500年の、成否を決するぐらいの大きな
大決だ。このことを日本の知識人のほとんどが知らない。
このネイティビズム対ビヘイビアリズムの対立というのが西洋学問で、一番大きな対立図式だ、ということを、
日本の知識人でしっているのは、私の他に、この国に何人いるだろうか。
(中略)
私は日本の知識人で、世界基準だと考える優れた学者には、すでに弟子入りしている。
だからそれ以外は、みんな、アホ扱いすることになる。本当にそう思っている。
私は好き嫌いの感情で動かされる人間ではない。世界水準に達して優れている学者と、
そうでないもの、は、はっきりと点数がつくぐらいに区別がつく人間だ。
(中略)
ネイティビズム対ビヘイビアリズムの対立、というきわめて簡単な図式が分かると、
もしかしたら私の読者でも、一気に、ひらめくように、この世界がどのようになっていて、
どのように人間(人類)は考えてきたのか、とか、この近代500年の西洋学問(サイエンス)の
全体像が、ハッと分かるかもしれない。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P51~52
338:考える名無しさん
10/02/22 00:46:28 0
>>325
江戸期の儒学や国学は、歴史的現象としては意義を持ち続けているが、
鎌倉期の仏教のように、未来の人間の心に直接訴える力は持っていない、
という評価そのものの方が、吉本がそうであるかどうかよりも、面白かった。
その評価の根拠をぜひ聞きたい。反論ではなく、実は俺もそんな感じがするんで。
339:考える名無しさん
10/02/22 01:16:00 0
《真理の標識は権力感情の上昇のうちにある。》
《仮象の世界とは、言い換えれば、価値にしたがってながめられた或世界のことである。価値にした
がって、すなわち、この場合には、或特定種の動物の保存や権力上昇に関する有用性の観点にした
がって、秩序づけられ、選択された或世界のことである。》
《いったいそれ自体でのもののうちに意味があるのであろうか!?
意味は必然的にまさに関係的意味であり遠近法であるのではなかろうか?
すべての意味は権力への意志である(すべての関係的意味は権力への意志のうちへと解消されて
しまう)。》
《いくつかの表象や知覚の間で戦われているのは、生存(と絶滅)をめぐっての闘争ではなく、支
配(と従属)をめぐっての闘争である》
上はニーチェの『権力への意志(力への意志)』における命題である。ニーチェの晩年のこの研究
で、ニーチェはそれとは自覚せず、20世紀以降の権力の哲学を予告し、提示している。ここでニー
チェにより命題化されたのは力の増大のためにあらゆるものを対象化し価値付けする主体であり
、それがニヒリズムの徹底によるその克服として、導出されてしまうという帰結である。ニーチェ
の結論は単に一思想家の独断ではなく、歴史的必然を伴っている。よってこの哲学は、ニーチェ一
人の哲学に止まらない拘束性を保持している。それと自覚されることもなく、この哲学の圏内に
、20世紀以降の哲学やイデオロギーははまりこんでいくであろうこと。そのような必然を伴う。
上にあげた命題はこの哲学の拘束力の強固さを物語っている。様々な国家イデオロギーや反体制
イデオロギーは、知らずにこの哲学の圏内に絡めとられていく。それらの変質は、実はとうにニー
チェによって予告されていた。日本の新旧左翼も同様であり、また、それらの同伴知識人や
批判的知識人、現代思想系知識人もまた絡めとられたと私はとらえる。彼らの言説に特徴的な身軽
さや、支配的言説への闘争本能はその内実にある意志を証していると私は見る。この哲学の拘束力
から逃れるには真性―何が真であるか―が覆蔵された歴史であることを思考に取り入れることが
必要で、そこを蔑ろにする『批評空間』系は軒並みニーチェの圏内に吸収されている。吉本をめぐる
対立点を私はそこにみる。
340:考える名無しさん
10/02/22 07:22:24 0
それが何であるかは問題ではない。支配的であることが闘争すべき理由となるのだ。打
ち負かし、軽蔑し、逆に従属させる理由となるのだ。それが何であるかは
問題ではない。それが支配的であることが問題なのだ。政治において、闘争の理由となる
のはそれである。このような政治の本質はとうにニーチェにより命題化されていた。
《「これは何か?」とは、何か当のものとは別のものからみられた一つの意味定立である。
「本質」「本質性」は、何か遠近法的なものであり、多数性をすでに前提している。根底に
あるのは「これは私にとっては何か?」(私たちにとって、生あるものすべてのものにとっ
て、など)である。》
《「いったい解釈するのは誰か?」と問うてはならない。そうではなくて、解釈するはたら
き自身が、権力への意志の一形式として、現存在を(しかし「存在」としてではなく、過程
、生成としての)一つの欲情としてもっているのである。》
よって、支配的なものは取り敢えず軽蔑し、蹴り倒しておきさえすればよい。それの内実
など気にする必要はなく、欠陥品であることを強調し、軽蔑し、従属させねばならない。
埴谷雄高はかような政治の本質について「政治の意志」として次のように残している。
《(…)さて、私は、この文章の眼目である政治の意志を述べようと思う。これまでの政治の
意志もまた最も単純で簡明な悪しき箴言として示すことができるのであって、その内容
は、これまでの数千年のあいだつねに同じであった。
やつは敵である。敵を殺せ。
いかなる指導者もそれ以上卓抜なことは言い得なかった。》
しかし埴谷を補足すれば、殺すことは力への意志の帰結としてあり、「これは私(たち)
にとって何か」という認識によってもたらされる価値評価の帰結である。政治にとっては
、それがあることが私(たち)の力の衰退につながる対象は無に帰するべきなのである。
埴谷が取り出した政治の意志と力への意志は繋がっている。政治における根本原理―権力
感情を上昇させるものが真―を取り出したという意味で埴谷雄高は卓抜である。
341:考える名無しさん
10/02/22 10:06:50 O
青臭ッ!
ハイデガー、クロソウスキー、バタイユ、あとおまけで小林秀雄のニーチェに関する言及をチェックすること。
てか「ツァラトゥストラ」を通読することをお勧めするw
342:考える名無しさん
10/02/22 21:47:46 0
阿呆臭ッ!
343:考える名無しさん
10/02/23 20:08:48 0
わかる日本語の本を読め。
344:考える名無しさん
10/02/25 20:06:27 0
必殺技:○○を読め
345:考える名無しさん
10/02/26 11:07:03 0
1950年代以前生まれのインテリの特徴
吉本信者+小沢信者
andインテリ受けする著名人色々
346:考える名無しさん
10/02/26 12:18:53 0
>>345
インテリだとよ。古ッ!
347:考える名無しさん
10/02/26 13:43:09 0
>>346
「1950年代以前生まれ」つまり団塊世代のことだからそれは古いだろう
「インテリ」というカタカナ語が何事かの意味を持っている最後の世代だ
以後の世代はインテリよりインテルだな
もっと若いのはインテルというとサッカーになってしまうようだが
348:考える名無しさん
10/02/26 15:51:13 0
吉本だとか柄谷だとか蓮實だとかの本を図書館で借りるとき恥ずかしさすら覚えるよw
349:考える名無しさん
10/02/26 15:54:11 0
それなら太宰治でも読んでいればいいよ
350:考える名無しさん
10/02/26 23:23:34 0
>>309の指摘は正しい。
吉本には柄谷の言うX=アソシエーションがない。
(対幻想、指示表出という概念にはアソシエーションにつながる芽があったが本人が発展させなかった。)
国家|共同(国民)
主義|幻想
__|_____
自由|
主義| X
吉本は左下の自由主義にポジションをとるが、それは自己幻想にすぎない。
(共同幻想は仮想敵として機能するにしても)
吉本は花田清輝等、本当は連携できる人間たちを否定することで相対的な地位を獲得したに過ぎない。
今や吉本はかつての花田と同じポジションいる。
351:考える名無しさん
10/02/27 01:09:18 0
くだらなすぎるwwwwwwwwwwww
352:350追記
10/02/27 17:57:36 0
糸井重里らが吉本の下町気質を強調する時、それは実は>>350の図の右上のネーションの
幻想に吉本を位置づけているのだと思う。
巧妙な配置転換だが、「下町」なるものもまた言説を売るためのマスイメージなのだろう。
吉本もまた、漱石、小林秀雄、ビートたけしといった江戸っ子の系譜に入れることができるかも
知れない。
江戸っ子にはコンプレックスがないから日本では主流派を形成してきた。
ただし、今やその歴史性があらためて問われるべきなのだ。
353:考える名無しさん
10/02/27 19:50:28 0
>>349
馬鹿?
354:考える名無しさん
10/02/27 22:48:08 0
馬鹿は348の方だろ
恥ずかしさ「すら」覚えるw
355:考える名無しさん
10/02/28 13:25:22 0
今日日思想関係の本とか読むのはイタイやつだろw
それを指して恥ずかしいって言ってるんだろ
356:考える名無しさん
10/02/28 14:23:25 0
資本批判が対幻想論だろ。
357:考える名無しさん
10/03/02 21:32:31 0
だろ
358:考える名無しさん
10/03/02 21:55:42 0
>>349
馬鹿?
359:ウの発生・1
10/03/03 00:01:20 0
精神元素「ウ」の言霊と古事記。その1。
●0、古事記神代の巻冒頭百神によって与えられた「ウ」の神名・ 天の御中主(みなかぬし)の神。
神名の解。心の宇宙の(天の)、その宇宙の真中にいて(御中)、
全ての意識活動の主人公である(主)、そういう実体としての神
天の・今此処の心の精神宇宙の、み・御・身・実・実体、な・名・相手・対象・、
か・掻く・、ぬ・貫く・縫う・、し・止・
神名全体の意味。・天の御中主の神という神名のそのままの意味は
心の宇宙の(天の)真中にいる(御中)主人公である(主)神。
・今此処の心の精神宇宙の実体(み)とその名(な)が掻き集められ(か)貫き縫い合わされ
統一されたまま(ぬ)求心的に中心に向かって静止している(し)。
言霊「ウ」の意味。
・我ここに有りの原始的な自覚体。今、此処の一点から始まる活動。
その瞬間の一点にある宇宙の中心で、後に「我あり」の自覚に発展していく。
何一つ現象の起こっていない心の世界。やがて意識の芽を生む。
心の出来事が起こる以前の主体側の母音の一つ。兆し。
目に見えない、現象を起こしていない種々のエネルギーが充満している自然宇宙とそれを見ている人間側の心の宇宙の総体。
心の宇宙にも自然宇宙と同然の感知出来ない心のエネルギーが充満している。そこにあるきっかけが加わると働き始め動き出す。
現象としてはそれ自信は姿を露さない心の宇宙。『独神(ひりとがみ)に成りまして、身を隠したまひき。』
先天構造。先天構造とは「認識論上、経験に先立ち、しかも経験の成立・構成の基礎となる領域」のことです。
ですから人間の五官感覚(眼耳鼻舌身)では捉えることは出来ません。
360:ウの発生・2
10/03/03 00:05:19 0
言霊ウは全体的な姿を現さないものによって支えられ助けられている、あるいは全体を支え助ける、
原因となり結果となるその始まりの瞬間、瞬発力等の意味合い。
例えば言霊ウからできた現象の浮くの場合、浮く浮いている結果を見るのではなく、浮く浮かすその元となる力を指す。
産む、生む、動くも同様で、それらの結果を催す潜在力、傷が痛くてうずくのう、
美しいものを見てなんと美しいという言葉の出て来る以前の全体の中に隠れているうが情感の中で拡がらんとしているその時のう、
等々現象となって手応えを得る以前のうの事。
現象以前のうは天の御中主(みなかぬし)の神と名付けられてる。現象となったものあるいはその働きとして現象になるものは
建速須佐の男の命、海原(ウの名の付く原)、現象言霊ウの主催者となっている。
言霊ウの心は心の宇宙の(天の)、その宇宙の真中にいて(御中)、全ての意識活動の主人公である(主)を示していて、その心の結び付き方、現れによって、うの名前がつく対象が出て来る。五十音図ウ段のう・クスツヌフムユル・ウの現象子音が発生する。
うは分解分析出来ない一つの全体の姿で存在している。石が沈んで葉が浮いて、では木片はどうなるのかという時、
木片を水面に落としてみると、一端水中に隠れたものがまた顔を出し浮かぶ。この時の最初の浮かぶことを確認する衝動にうがある。
それを結果の方に結んでいくと水は木片を助けて浮かび上がらせ支えて浮いている状態を作っているといえる。
また現象として目前の海を見ている場合、猟師がうと名付けたからうという名前が付いたのではなくて、
猟師の心の先天構造にうが存在していることがまず前提となり、ついで、うと聞くものの心にも同じ先天の構造があるから同調できることになる。
ただ名を付けるだけならへでもほでも構わないわけで、それでは当然日本語としての聞くものが共感感応する海とはならない。
そこで、猟師がうとしてしか、あるいはどこの誰でも大和言葉の範囲内でならウと言わざるを得ない必然性を探すことになる。
361:ウの発生・3
10/03/03 00:08:08 0
では海『う』の発生に挑戦してみよう。猟師が始めて海を見たとする。それに名前を付けるまでを追う。
●一、天地初発の時。
猟師は山から海を見下ろし見たのか、突如海岸へ迷い出たのか分からない。始めての青い海原を見た。感動したかどうかも知らない。
海を見た経験がないから経験を確かめたわけではない。だが類似はある。青々とした緑の草原、広々として大きな池、
雲一つない青一色の空等、大きさと単色から来る印象があるだろう。
またそれらから来る有用性、効用等も考えられるかもしれない。いずれにしろ自己の眼前に全面的に対するものの発見である。
ここでもし狙っていた獲物が出現したら、心はそちらへ向いてまた追い始めるだろう。その時は後に印象を回帰して記憶をたぐることになろう。
今はそのまま海に心が向いたとしておく。従って始めての経験が始動することになる。まだ名の着いていない海を見て何かしらの五感感覚はある。
そればかりか、他のものとの類似判別の知性も働かしたであろう。しかし、それをどうするかということは無い。
選択行為に赴くには海の経験がないからだ。一応潜在的な状況はこんなところにしておく。
そこで猟師の側を見て海に対して、未だ経験したことがないから経験次元は除くが、類似への記憶はある。
感動したかどうかも分からないので、情緒次元も除くが、情緒感覚は当然ある。意志によってどうこうするものではないので、意志の次元は除く。
相手の海を選択して二分するわけにも行かず、選択行為の次元も除く。
そこで人間性能のうち残るのは五感による本能欲望次元だけとなる。
これは猟師にとってこうなるだけで、土地の人間はまた別だろうし、肝心なことは土地の漁師達には既に名前が付けられていることで、
遅れてやってきた猟師はそれを確認をすることになるだろう。(わざわざこんな状況を設定しなくともよいが)
ここで本能欲望といっても海を食べたいとか飲みたいとかいうのではない。猟師にとって目前のものの名前を付けたい、この名前を知りたいという欲望の方向を取り上げているので、
それは前記の次元のいずれにも属さないということです。関連は後から出て来るので今は取り上げないだけ。
ここで目前の海という客観対象とそれを見ている意識との関係をみる。
●父韻と欲望次元の言霊---
362:ウの発生・4
10/03/03 00:25:45 0
●父韻と欲望次元の言霊-----
始めて海を見た漁師の精神性能状態によって対になった四つのグループに分ける。瞬間的な意識の記述になります。
ここでは精神活動のどの部分がどのように海と結ばれるかを探ることになる。
父韻チ-イと海に名を与えたい欲望次元の言霊
1a・チ・心の宇宙がそのまま現象として姿を現す動き、となります。
人格宇宙全体がそのまま現象として姿を現わす端緒の力動韻。
チ+ウでツ。始めて海を見た印象の始めは、わけの分からないものの全体的な動きを受けた印象から始まります。
五感のどの部分が強いとか弱いとかはその人によります。同じ色彩を見ても受け取りは違いますが、
当初に受け取ったその始めはハッキリしていないというのは普遍的なことです。
目前の視界に拡がる全体的なものと結び着いたことでしょう。
しかしそれを表現するのにた行タチツテトをもって海と心は結ばれそうもありません。
1b・イ・何の妨げもなく、新たな獲物が出現しないなら受けた印象はそのまま持続します。
注意力もなく関心も興味もなければ受けた印象は立ち消えになるでしょう。その持続が続くなら、
自らの日頃培った智恵・力量・記憶が自然に発揮されます。父韻チの瞬間力動がそのまま持続して行きます。
・ヤ+ウでユ。イメージとしてまとまる途中のものが湯のように出て来るでしょう。
目前のものは何時までも変わらずにいることを得るでしょう。
しかしそれを表現するのにや行ヤイユエヨをもって海と心は結ばれそうもありません。
363:ウの発生・5
10/03/03 00:36:16 0
父韻キ-ミと海に名を与えたい欲望次元の言霊
2a・キ・何かを知ろうと、何であるか分かろうと、
掻き繰る動作を示します。何を掻き繰る(かきくる)か、と言うと、
自らの精神宇宙の中にあるもの(経験知、記憶等)を
自分の手許に引寄せようとします。キ+ウでク。
印象が消えないようエネルギーを供給して全体を支える。以上のこと以下のことも同様ですが、
猟師がその場その時に海の名前を付けようと、後からであろうと、四組の構造に変化は無く、
関心注意がある以上は自身に内在する隠れた経験に結びつかざるをえません。
だだっぴろい、静かでいて動いている、何の変化も無いようでそれでいて同じ変化を繰返し、
香を運び風を生み音をもたらす、単音単色の中から常に何かが出てきそうな、感じです。
それを表現するのにか行カキクケコをもって海と心は結ばれそうもありません。
2b・ミ・自らの精神宇宙内にあるものに結び附こうとします。
人は何かを見た時、それが何であるかを確かめようとして
過去に経験した同じように見える物に瞬間的に思いを馳せます。この動きの力動韻。ミ+ウでム。
イメージを実体化する段階でどの相手にするかどこかに向かっていき結ばれようとするか、
自分の方向を探ります。
相手は大き過ぎ、変化が無さ過ぎ、同じ事の繰返し過ぎ、こんな感じでしょう。
それを表現するのにま行マミムメモをもって海と心は結ばれそうもありません。
父韻シ-リと海に名を与えたい欲望次元の言霊
3a・シ・方向が見つかれば人の心の動きが心の中心に向かって
静まり納まる働きが始まります。シ+ウでス。
そして決まった主張見解ができます。そこに静止した全体の姿を作る。
心の何に結ばれようとするのか、何が心と結ばれようとするのか、
固定した特定された特色だけを見つけることができず、
全体がそのまま押し寄せている、こんな感じです。
それを表現するのにさ行サシスセソをもって海と心は結ばれそうもありません。
364:ウの発生・6
10/03/03 00:42:05 0
3b・リ・それは自他との共有に向けて人間の識別の力が心の宇宙の広がりに向かって
どこまでも活用されるよう発展伸張していきます。リ+ウでル。ウが父韻リと結ばれると、
風船が膨らむように、坩堝の中味が膨らむように拡がり出て来る。
特色個性ある規定ができず、単純な変化繰返しを受け入れることになる。
それを表現するのにら行ラリルレロをもって海と心は結ばれそうもありません。
父韻ヒ-ニと海に名を与えたい欲望次元の言霊
4a・ヒ・共有を目指す為の接触面の創設です。文字言葉その他表現精神内容表現が精神宇宙球の
表面に完成していきます。ヒ+ウでフ。具体化の為、潜在性、先天性から抜け出そうと意志を吹き出し
イメージを創造しようとします。
海から受けた印象の特定化個性化を猟師は主張したいが心に感じているものは、
動きはあるが小さいもので、繰返し同じことが産まれて来ることであり、
それでいて海は海で自身で独立しているような、こんな感じ。
それを表現するのには行ハヒフヘホをもって海と心は結ばれそうもありません。
4b・ニ・その実行の為心の奥に一つの事の原因となるものが煮つめられて行きます。ニ+ウでヌ。
外にあったものがまた中に入っていく。
こうして海を目前にして(または記憶から甦らせて)得たものから心に煮詰められ現象の種ができていく。
言葉の成立には聞くものにもこれと同じ過程が経過されて反復されることがひつようです。
しかし煮詰める種を創造出来ませんでした。
それを表現するのにな行をもって海と心は結ばれそうもありません。
こうして何らかのアイデアの芽が出ますが、
この段階で他人と共有していない意識構造である場合には誰が何を言おうと通じるわけではありません。
聞いた人が反復了解出来る意識構造が共有されている必要があります。
このように自然に通じ合うことを無視するならば、
言葉を強制強要したり売りつけたり買ったりして共有することもありますが、
それはまた別の話になります。
ここでは猟師はうまく心に同調する言葉を見つけられませんでした。
365:ウの発生・7
10/03/03 00:45:37 0
そこで、指示をすれば勝手に名前が付くという考えを止めて、言葉としての成立を許す共通の
先天的な場(高天原)を確認しようとします。
こんどはまず、自分の中に自分の主張の場(淤能碁呂島[おのごろしま]己の心の領域)をきずくことになります。
●二、精神元素「ウ」の言霊と淤能碁呂島[おのごろしま](己れの心の締りの島)
1)先天の要求。
・自分が感じ考えたから言葉を発するのではありません。
その前に意識の先天部分から言伝えのような命令のようなものがあります。
意識されない頭脳内の先天十七(生命の先天部分)の言霊の原理的な初発の時です。
言葉の発生以前の言語のプラットホームとなっていくものです。
同じ言葉が話されるという事は各人の先天が変わらず、言葉を創造する要素が変わらないからです。
また、黙っていても通じ合うのは体験を共有しているから、その体験を心に描くだけで既に結んでいるわけです。
全人類共通の心、全人類共通の体験のプラットホームとなっている十七の先天言霊の一つ。
異なった言語を話すもの同士が後で通じ合うのも、そこに人間としての共通の十七の先天構造を共有しているからで、
そのために人類の言葉は一つになることができる。
2)準備・
自分の主張の場を形成する準備がはじまります。ここに自分と海との存在がありますが、
ここでは海を名付けようとする自分とその対象となっている海です。海の印象は猟師が受けとり、
猟師はその印象にこれから向かうところです。ですので、対象は広々とした海ですが、
頭脳内にあるのは受けた印象とそれを名付けようと問題としている狭い範囲内のことです。
366:ウの発生・8
10/03/03 00:49:13 0
3)自覚へ・
ここで印象といいますが、個人の印象のことではありません。
もし個人の印象を問題にしたのならそこから産まれる言葉は
百人百色となって通じることは無くなってしまいます。また、そこから来るように、海は広くみえるのでもなく、
青いのでもなく、波がくり返し寄せて音を出しているのでもなく、海の香がするのでもありません。
海は広くも狭くもなくそのもので、青くも白くもなくただ光の波長を出しているだけで、
ザーという波動をだしているのでなく音の波動をだしているだけで、塩の香をだしてているのでなく
香素をだしているだけです。それが生物の人間種において、その五感とシンクロしたときに現象となります。
ですのでここで言う印象とは人間猟師にシンクロをもたらす海の何かあるものということです。
相手は海ですが主体側において(猟師側)シンクロを催し媒介する何ものかが必要です。
物質側でいえば光子とか空気、においの粒子とかになるでしょう。一方人間側においては、
物質の受容器官になります。そして受容器官は脳内にて意識に転換されないとシンクロを受けることができません。
さらに、物理的信号は意識の範囲内にて活動をしないと送受信が成り立ちません。その仲介役が先の八つの父韻です。
八千年もまえに既に古代人間はこれらのことを発見していました。古事記の冒頭はそのことを示しています。
恐ろしき古代人です。その秘密は今も皇室内で眠っているといわれます。
(本来の天皇の秘密はここにあります。--脱線)
4)実行・
そこで己の心の領域(島)では自分の内でシンクロするものを打ち立てることになります。
意識が自他の分別を自覚する以前の何も分からず何も無い状態の中でムクムクとうごめく心がある状態です。
言葉の発生を扱っていますから、ここで音声を母音・半母音、子音、父韻・親韻と分けて
海に何と名付けるかを探すことになります。
●●●精神元素「ウ」の言霊と古事記。その3。
欲望の領域とそこから出て来るもの---
367:考える名無しさん
10/03/03 10:56:39 0
吉本って90年代のバブルがはじけた頃に、
不況を脱するには社員の給料を上げればいいと言っていた。
当時はいいこという爺さんだなと思っていたが今考えるとメチャクチャだな。
368:考える名無しさん
10/03/03 11:11:29 0
>>367
どこがどうしてメチャクチャなんだ?
いま考えると普通にまともすぎるほど凡庸な正義を言っているじゃないか。
369:考える名無しさん
10/03/03 11:16:07 0
経営学的にはフォーディズムのイデオロギーになったテーラー主義への回帰、
はたまたマクロ経済学が目標とすべき基本中の基本を説いているだけじゃないか?
それがメチャクチャだというのは、もはや時代錯誤だと言いたいのかい?
370:考える名無しさん
10/03/03 11:47:59 0
好況時に社員の給料を上げて不況時には下げる。
これが経営の基本だよ。
吉本は逆説的なモノ言いが得意でそれがヒットすることもあるんだが、
経営に関しては的外れもいいとこ。
371:ウの発生・9
10/03/03 17:42:29 0
精神元素「ウ」の言霊と古事記。その3。欲望の領域とそこから出て来るもの
捜し物はいつも見つかるとは限らないし成功するとも限らない。
古事記に則して海を見て名付けに失敗することを見てみましょう。
5)失敗1、子水蛭子。
この場合は女が先に「いい男だね」と言ったから蛭子を生んだということになっています。言葉の発声に関して言えば、
母音を先に発声したからという意味です。母音を先に発声して言葉になるのは母音だけです。
子音はまずKSTNHMYRのイニシャルが頭に付かないと発声不能です。
KSTNHMYRの八つは心の活動の動力となってその様態を表現していきます。
失敗の1は母音に限ってなら発声出来るが、その母音には心の内容が付随していない、ふにゃふにゃの蛭というわけです。
それでも母音の世界はありますから産んでいくということです。
6)失敗2、淡島。
二つ目の失敗は既に出来てしまった領域(島)からまた領域を産み出すということです。
これは普通に言えばわれわれ凡人の考え、学者の考えです。この世のほとんどの考え(良いも悪いも)のことです。
海を見たときおならをしたからあれをへと名付けよう、海と空の二つしか見えないから
フと名付けようというようなものです。これらはそれぞれ経験、記憶に助けられて勝手な展開をしていきます。
7)改め、
そしてここから正式に名付け行為が始まります。
KSTNHMYRを頭に付けないと子音は産まれず、母音には魂が入っていないということが分かりました。
では母音だけでもって意味のある言葉はどうなるのでしょうか。猟師はへという替わりにうと言ったかもしれません。
そこで猟師は考えます。母音だけで勝手に名指ししたのでは駄目なので、
生きた母音による名指しは出来るか検討します。
ここでは多くを省略して、子音による名付け、うによる直接的な名付けに失敗したものとします。
そこで、猟師は再度先の父韻を取り上げます。今度は心の動きに合わせ名付けようとします。
372:考える名無しさん
10/03/03 17:44:09 0
いかなる言説も固有の文脈から読まなきゃ仕様がない。
90年代か既に個人消費、しかも必要消費じゃなく不必要消費が日本経済に占める割合が大きくな
っている、というのが80年代からの吉本の認識で。不況を脱出するには従って個人消費を何とか
して上げる以外ないという文脈。吉本がそう言ったとすればそこで初めて出てきた話でしょう。
文脈を捉えて再考すれば尤もな話として受け取れる。それをやらない人間が吉本にすれば“本の
読み方を知らない人間”となるわけです。アンチ吉本派の殆んどがそれだったことも愛読者にはお
馴染みな話です。
373:ウの発生・10
10/03/03 17:48:51 0
心(ア)と対象(ワ)との結びつき。
淡島(ア-ワ島)でなく淡(ア-ワ)路の穂の狭別の島に降りました。
猟師が海を名付けるには、自分の心にあるものと対象から得たものとが合致している自覚が必要です。
こういった経験は滅多にあるものではなく、ここから書くものも単なる例えの範囲を出ないでしょう。
父韻チと欲望次元の言霊
下0・海を見ていると、何も始まらないのに何か始まる感じ、だだッ広くて大き過ぎて動きが無いのに
何か動きうごめいている感じ、単調な繰返しで変化を期待出来ないのに何か産まれる感じ、
表面の寄せる波の繰返しだけなのに波の中から何かが生れる感じ等々がある。
目に見えないけど、現象を起こしていないようでありながら、常に揺れ動くものがあって、
何か生れそれから何かを得ることがあるように感じる。動きに乗れば次に何かが来るように思える。
しかし、待てど暮らせど変化は無い。この変化を抑えられている感じ。
海の安っぽい絵画や写真を見ても、海の感じは得られない。水平線ははるか彼方にあり広さはわかる。
しかしそれは不動のスナップで、単純微細な繰り返される動きを感じない。
1a・チ・そのような心の宇宙がそのまま現象として姿を現す動きとなります。
「人格宇宙全体がそのまま現象として姿を現わす端緒の力動韻のチの力を感じます。
それはそのまま現象を目指して動き出します。
2a・キ・何かを知ろうと、何であるか分かろうと、掻き繰る動作を示します。
何を掻き繰る(かきくる)か、と言うと、自らの精神宇宙の中にあるもの(経験知、記憶等)
を自分の手許に引寄せようとします。チの全体感が保持されていきます。
2b・ミ・海を見ている体験の中で得られたものを、自分の精神内にあるものに結ぼうとします。
4a・ヒ・共有を目指す為の接触面の創設です。主客の共感感応を言葉にしようとします。
子音での表現はうまくいきませんでした。適当な母音での表現も失敗でした。
ここでは猟師はうを選択しました。