09/07/08 12:57:56 0
>>169
犯罪をしないという道徳を堅持することによって得られる真理もあれば、
覗きのような犯罪を推進することによって得られる真理もある。
いずれであれ社会的な活動によって得られる真理、俗諦には違いなく、
社会活動から隔絶した所で得られる根本真理、真諦に比べれば
真理としての純度が劣るというのは、>>172にも書いたとおり。
毒をもって毒を制す、犯罪によって犯罪を取り締まろうとする考え、
火盗改とか、今の警察の公安とかにもある程度はあるが、
必要もなくなされる積極的な犯罪を打ち滅ぼした以上は、
自分自身は犯罪をやめるという誓約があって初めて正当となる。
必要もないのに積極的に犯罪を働く側に付いてしまったんじゃ、
もはやただの犯罪者であり、罪を犯させて罰を科すマッチポンプともなる。
清濁併せ呑むはずだったのがみそくそになって、善いか悪いかで
言った場合に悪くなる。頂点の支配者だろうとも、積極的に犯罪を
嗜好すればそうなる。たとい地位が高すぎて取り締まれる人間が
いなくなろうとも、悪いことをして苦しむ自業自得からだけは逃れられず。