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記紀は教派神道の根本的な拠り所であると同時に、日本国史の冒頭でもある。
延喜式や交替式のような規範集も入っている国史大系が、実は全て「神典」と呼ぶに値するもの。
吾妻鏡や延喜式を愛読していた家康公などは、徳川実紀に基づいて名を連ねることとなった。
日本史上において真に主導的な役割を担った人間は誰でも、後代において神道の継承者とされ得る。
国家神道として国際社会に打って出た前科によって見えにくくなっている、日本国の正統としての神道。
多くの国民が今でも何気なく大金の寄進をしたりしている、国内における最もな信頼性の本源。
とはいえもちろん、日本国史は儒家や仏教の影響も大きく受けてきているので、
何もない所から生まれたにしてはあまりにも精緻過ぎる場面の多い国史の内実を、
(先人もそうしてきたように)儒家や仏教の教学を参考にして学び取ることもまた望ましい。
聖徳太子の十七条憲法もまた、全くのオリジナルとしてではなく、儒家思想と仏教哲学の絶妙な
折衷である点にこそ意義があるので、儒家や仏教の純粋教学を学ぶことで、ただ凄い人扱いされている
だけでしかない聖徳太子の、内奥にまで遡った別の意味での凄さを計り知ることができるようになる。
神道の底抜けな信頼性の根拠を知るためには、最新の考古学資料にも頼る必要がある。
古典文献としては千数百年前程度の、さして古くもない記紀を教義的な拠り所としている神道が、
実は一万六千年~三千年前の縄文時代からの伝統に深く根ざしているものであることなど、
字面だけでは計り知れない即物的な側面における神道の奥義が垣間見られることとなる。
口伝ばかりでほとんど文章としての伝承を遺してくれなかった神道の真義に到達するためには、
学び取ろうとする側にもまた不誠実さを捨て去った、きめ細やかな内心からの正念が不可欠となる。