09/07/22 21:57:59 P
>903
>どうしても老子の「道」と>1の原則が同じように思えない‥
>同じだと感じている方、どこでそう感じているんですか?
>905
>否定とかじゃないです。
>「道」に対する理解にも繋がるのでは?と思いまして。
実は、ですね。
「原則」そのものと「道」自体は同じものと言えるのですが、
私がそこから導いている内容と、老子がそこから導いている内容が違うだけと言えるのでしょうね。
老子はしょせんは過去の人とも言えます。
仮に彼が同じように「原則」を理解できていたとしても、現代人の持っている知識には全く敵いません。
見えている世界も狭いですから。
老子が言及できる範囲は限られているのです(実際に老子は当時の中国くらいにしか言及していません)。
しかし、「原則」が理解できている人から見れば、彼が同じものを見ていることを理解できるということです。
part1の509氏なんかも、老子を読んで「原則」を理解したのではなく、
「原則」を理解できたあとで老子を読んだら、それが「原則」だったと理解できたということです。
おそらく、老子の書を読んだくらいで個人が「原則」を発見できることは不可能に近いと思います。
そうですね、例えば『りんごが木から落ちる』という現象と、『地球が太陽の周りを回っている』という現象があります。
これらは一見したら全く違う運動と言えますが、ニュートンは初めてこれらが本質的には同じ力による現象であることを正式に示したのです。
今では高校で習う物理の基礎にもなっています。
要するに、万有引力の法則を理解しているものであれば、それらが同じものによる現象であることを理解できるように、
「原則」を理解している者であれば、老子のいう「道」も「原則」と同じものであることを瞬時に見抜けるというわけなのです。
老子の書で言えば、第一章を読んだ時点でそれに気づくこともできますし、
全体的にも原則的と言えるようなことを語っていることからも納得ができるというわけです。