09/03/12 11:20:42 0
>>678
空腹でないライオンも子供や群れの仲間の為に殺すことがある。
子供の狩りの練習をさせるために獲物を殺さず適度に傷つけておくこともある。
群れに中での自己の権威付のために殺す動物もいる。猫は遊び(?)でネズミを殺すし、怒らせれば引っ掻きもする。
全て、何らかの欲求に基く行為だ。
私は、人間の屠殺も同様に何らかの欲求に基づいていると考える。
しかし、カントは人間の場合のみ、欲ではなく、各率(信条)によって、牛を殺す(あるいは逆に保護する)ことがあるという
そして、各率(信条)は純粋理性から生まれるアプリオリ(先験的)なものでなければならないという。
感謝の義務、公平の義務や人を殺してはいけない、平和を求めよというのがそれであるという(全て理性あるもの(人間)の間に限定)。
(この各率(信条)に理論的説明はない!)
他人への感謝の為に牛を殺したならそれは、欲から自由な行為であり、善なのだ。
一方でカントは、あるべき義務は普遍妥当性を持たねばならぬという。
しかし、これらの義務は矛盾する場合というのがある。
もしかして、普遍妥当性を持つ義務って功利主義の最大幸福原理なんじゃないの?(最大幸福を目指して行為せよ)
そう考えると功利主義とカントは接近する(規則功利主義)(>>562)
それでは、カントのあげたこれらの義務って何?
直感的な倫理的評価でしょ(>>660)
これで、カント的な立場をとっても>>645>>646のかたちに持っていける
だいぶスッキリしてきたw