09/03/07 10:45:44 0
>>566
それは功利主義でなく厳格主義(カント系統の立場)だね。
動機で善悪を判断してるから。
功利主義で自殺の幇助を論じればこれも
例えば、末期ガン患者の自殺(安楽死)の幇助は彼の功利に資する場合、善と言ったりする。たとえ、幇助を行う人の動機が不純であってもね。雑に言えば、win-winの関係でも善なわけ。
厳格主義で論じれば
安楽死の幇助は他の自殺と違い自分の良心を痛めないどころか良心を満足させる(自己の他者の功利に貢献したいという欲求を満たす形で自己の功利を増加させる)から善と言ったりする。
この場合は、良心を動機にしない限り善とは言わない。相手の功利が減っても、幇助者が増えると信じて行った(良心に基づいて行った)行為であれば善というのかな多分。
同じように、拷問が待っている状況での自殺幇助の善悪とか切腹者の介錯の善悪とか語れるね。
幇助でなく、自殺の善悪もおもしろいけど、繰り返しになるし、脱線気味だからやめておく。
僕はやはり、動機でなく結果で判断したい。人の欲望(良心以外の欲求)も社会を発展させる動力(社会における善)たり得るっていう意見をとるってことをそれは意味してる。
自由主義社会に育ったからしっくりくるんだろう。
そもそも、自由主義の発想は功利主義から来てるんだから当然といえば当然だね