09/03/06 20:49:22 0
この定義に基づけば、何が善か悪かを単なる主観の問題ではないものとして議論できる。
菜食がどれだけ善か悪かは他者の功利をどれだけ増加させるか減少させるかで決まる。
従って、肉しか食えないような状況での菜食と、代替食がない状況での菜食に異なる倫理的評価がなされることも説明できる。
僕がなぜ今の状況で自分が菜食するのは善だといいながら、肉を食ってるのかも説明できる。僕の善なる行動をしたいという欲求(良心)は比較的小さいからだ。
ついでに、なぜ話は変わるがなぜ良心というものがあるのか。
それは食欲がある理由と同じく、その感情を持つものが生きのびてきたからだ。
それぞれの欲がなぜこのようなバランスであるのか。
このようなバランスの欲を持つものがが生き延びてきたからだ。
最後に、改めてきつい言い方をすると。
良心を汚さないことに善を代入しても変わらないのは、その定義の仕方が適切であることを意味しているのではなく循環論法に陥ってることを意味してる。
適切な定義は他者の功利を増加させることだ。
みたいな意見。
以下ひとりごと
動物と人間の共通点をもうこれ以上説明してもダメだと思う
どうしても無理なんだよ
これ以上刺激しないほうがいい