09/01/17 21:42:53 0
科学は、意識から隔絶した事実そのものを絶対者として定立し、その仮構の存在を信仰する一つの宗教である。
その挙句の果て、科学を標榜する者たちは我こそが真理に近づいたりと闘争し、自己と似た者たちに対して疑似科学やニセ科学という邪教のレッテルを張り、排斥するのである。
科学が手段にとどまらず、自己目的化し、スピリチュアル、宗教、占いを破壊し、暴走する可能性は、この本質構造にあるのである。
ニセ科学批判者たちが科学は永遠に事実そのものには到達できないが、実験と観測を重ねることで事実そのものに限りなく近づいていくから、科学は絶対化されることはないと言うのは、かなり陳腐で恥ずかしい弁解なのである。
ただし、科学を手段=道具として相対化して利用することで、科学は科学教=ニセ科学批判運動にならず、解毒されるのである。
以上、決定論の完全論破を完了とさせていただきます
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◆システム理論:真理は到達できないのだから科学はパラドックスに過ぎない146◆