09/01/17 21:29:50 0
ニセ科学批判者たちが使用するレトリックの自己矛盾を指摘しておきたい。
ニセ科学批判者たちは、科学的知識は事実そのものである絶対的真理には到達不可能であるが、科学によってそれに近づくことができると主張する。
つまり、個々の科学的知識は事実と思われる認識内容であって、永遠に事実そのものには到達できないが、実験と観測を重ねることで事実そのものに限りなく近づいていくことが科学の営みであるというわけである。
この論理からすると、かえって科学は、絶対的真理を前提としていることがわかる。もう少し詳しく言うと、科学は、事実そのもの=絶対的真理=対象と認識内容が完全に一致した命題の存在に近づくことを目標とすることで成り立っている。
しかし、何を根拠に事実そのものにより近づいていることを判断できるのだろうかという疑問がすぐに湧いてくる。
ここで科学そのものがパラドックスに陥ることは、システム論者なら誰でもわかる。
それはともかく、ここでは科学は決して自身を絶対化しないというレトリックの自己欺瞞性を粉砕しておきたい。
このように、科学という営みは、絶対的真理=事実そのものという妄想=物語の存在によって動機付られ成り立っている。
しかし、皮肉なことに、人間の意識から断絶した事実そのものが存在し、決して到達不可能だとしたら、こけれはすでに哲学的観念としては、科学が否定してきた神の観念と同義になってしまうのである。
また、事実そのものの総体を自然と呼ぶ科学主義者もおり、やたら自然という神秘物語に科学の根拠を求める連中もいる。
科学は、絶対者としての事実そのもの,あるいはその総体である自然の存在を前提とする絶対主義なのである。このことを理解せずに、科学は絶対主義ではないという浅はかな理解しかできないニセ科学批判者は多い。
科学は絶対的真理という観念なしには、成り立たない思想なのである。