08/08/03 18:09:37 0
>>54
>区別が連続性によって特徴付けられるなら、論理的には、哲学から倫理・政治を「切り離す」のは
無理と認めたも同然だ。
なんでそうなるの?区別を連続性によって特徴づけるのではない、連続性そのものにするんだょ。
その射程は哲学、倫理・政治にまで及ばない、なぜなら、全ての概念に共通して連続性を付するのではなくて、
初めから了解的に区別されたものを区別しつつ、連続性でありうるものは連続させる。
いきなり哲学・倫理・政治を連続させるのではなくてね。
>なんでkyrie@鬱病は、「時空質」を「とりあえず」エポケーできるのだ。エポケーは、
何らかの体系の自律性を論証する最初の段階で問題にできることじゃないだろ。
エポケーされる対象があると認めるんだったら、その時点で、哲学の自律性は言えないと
認めなければ非論理的だ。先行する批判されるべき体系の存立が前提になるんだから。
批判されるべき体系は、カントの直観、ショーペンハウエルの直観、ベルグソンの直観、フッサールの直観。
彼らの哲学から、形而上学的部分(哲学的部分)を抽出して、エポケーします。
カントは、表象なしに時空はあり得ないと言ったけど、表象なしに、時空による直観なしに思考が可能であることが
可能だと言う事を証明します。
>エポケーにはいろいろな意味があるが、一般には現象学的な文脈で、客観的存在に関する
判断を中止することを意味しているわけだろ。そのような判断を中止すると言うということは、
中止して作ろうとする体系の存立は、中止する対象としての客観的存在の体系に依存すると
論理的に認めることだ。
そうだょ。倫理や政治も、中止する対象に含まれる。それはそれでいいのです。倫理や政治を遠ざけつつ、
かつそれに触れないよう意識しながら、時空質を排して原初を考察する。
限りなくエポケーして、現象学を超えてえぽけーして、現象学すらエポケーして、まだ残る要素について考察しつつ、
少しづつ判断を停止から再開へと導いていくのが、俺の哲学です。首尾一貫してませんね、でもこれが
本当のことです。