ニーチェ 十四at PHILO
ニーチェ 十四 - 暇つぶし2ch778:考えない名無しさん
08/10/06 11:02:11 0
(続き)
太宰なら、女々しいと一般的に云われるような刹那の中でも、純一に想いを伝達するし、
ドストエフスキーなら強烈な自意識に苛まれた俎上でもなおその深淵の地獄で見た己や世界観をすばやく伝達するし、
ニーチェなら書物によっても多少違いはあっても、やはり哄笑高らかで尊厳的で自由な感情ですばやく伝達する。
(『人間的な』などは、『反時代的』の情熱的な攻撃・感謝の溢れる賞賛・希望いってんばりから、突然洞窟に逃げ込んで、そこで静かに横たわりながら
ゆったりした姿勢で、観察したものを明確に滴らせている。この点、感情の興奮は少ない印象あるけれど、堀りさげたモノを伝えよとする徹底性には
生の根底に流れるある種デーモンのような目と真剣さが文体に薫り、また文章も言葉を記した瞬間の彼の宇宙感が難解なだけで、基本的にわかりやすい。伝達性にすぐれている。)
ゲーテなら静観的な目から、風景画家のように忠実に、内面に結んだ像をそっくりそのままやさしく、わかりやすく伝達する。
(「ウェルテルの悩み」は若干その後デーテらしくはない。)
そんな感想でいいんじゃないかい?
後は彼らから学んだことを活かせばいいわけですよ。
私は彼らには当然かなわない、本当の芸術家だ!という想いがある。
それで私らが日常で抱いているものを刺激や感動でそぎ落としてくれたり、そこから思索をうながしてくれたりしてくれるという宝物を残していってくれたんだよ。
(だから色眼鏡で見すぎると、よくないってのを言っていたわけだよ。)
トレースしすぎるとよくないよ。まじで・・・

779:考えない名無しさん
08/10/06 11:12:52 0
>>776
>偽短や短パンが日本人だとしたら、
ああ、私に関しては生粋の日本人とは言えない。
ひいじいさんがアイヌ人だから。だから私は鼻が整っていて、いい男に生まれたw
>その言葉の乱れかたからして低劣な感情に満ちているということでしょう。
粗暴な言葉遣いや表現内容のことを言っているみたいですな。
>短パンはまだそれを異常な状態だと自覚しているらしいが、
危険な感情が高ぶりすぎているからそうでしょう。
>偽短の場合はすでにその状態が常態なんであり異常なしという認識になっているらしい。
私は暴言・罵倒しても良心安らかだよw
ただ、それが行き過ぎると危険だというのは自覚しているさ。
そもそも、君の方が攻撃感情まで行かなくても、その<寸前>が仄見える、さっぱりしてない部分が垣間見える。
そちらの方が心配ですぞ。けっこうな感性はもってるようだけど、なんか労働しすぎじゃないかい?
以上<休廷>。

780:考える名無しさん
08/10/06 11:48:26 O
君は不要なんだがね?

私がここから消えると君も消え、私が現れれば君も現れまた毎度同様の雑音を入れる。
なんの用なんだ。まあいい。

今後一度でも君がレスしたら私は消えることにした。


781:考える名無しさん
08/10/06 12:06:45 O
かまってちゃんだなw
かまうほどにご機嫌になってしまうようだ。
荒らしの典型。

貴様にはうんざりだ!!
あばよってことさ!

さあ、レスしてごらん?


782:考える名無しさん
08/10/06 13:44:52 O
ふふ。 どうも俺が変わったのがわかってないようだな。

きっかけは短パンにいじめられたせいだな。
アップグレードした。
別人格が生じたような気もする。

これは飛び級ですよ?
努力では越えられない壁を越えてしまったようですね…
しかももう一つ先のレベルがすでに見えている。
第二次成長の次ですから私はレベル3なんですね。
失礼ながらみなさんの多くは2止まりなんです。タモリはレベル4なんですよ。
いや妄想ですよ。 遊びです。なにこれワロタ


783:考える名無しさん
08/10/06 15:09:23 O
まだレスないんですね。

本気でいってるのがわかりましたか?偽短君。

まあ第3次成長なんてのはあるのかわかりませんが、多少、変わりましたかね。
よくわかりません。なんでしょう。
人格が新たに生じたのかもしれません。
例えばこの話かたですがこれは演技ではない…いつからか意識を支配し、思考を繰り広げるようになった何かなんです。 その自然発生的な言葉をこうして綴っているわけです。自動的な思考ですね。
無意識というのが一部意識化したのかもしれない。
では以前の私はどうなったのか?
以前の私が今の私になったのか?
以前の私は意識の支配権を失いどこかにいるのか?
例えば以前の真似をしようと思えばできるような気もしますができないですね。
昨夜から午前中にかけてちょっと現れましたかね。恐怖を覚えたときですね。
すると彼は恐怖から心の奥底に引きこもったのかもしれませんが、恐るべかものに反応して出て来るのでしょうか?
二重人格? 演技かもしれませんね?
わかりません。
では、あなたの無意識はあなたなんでしょうか?わからないでしょう?
私が以前の私より能力が高いのかどうかこれもよくわかりませんが、高いような気がしますね。しばらく様子見です。

784:考える名無しさん
08/10/06 15:26:48 O
以前の私はやっぱりいるんですが、
面にはなかなかでてこなくなったといえますかね。
私と同居してる。しかし私とは話さないですね。

まあ嘘ですよ。二重人格だなんて都市伝説でして。
ついに病気に? かもしれませんね。
というか逆に治療でしょうね。
彼では生きられない世の中です。
とはいえ私ならば生きられるのかといえばやはり難しいでしょう。昔から私が支配権を握っていればです、それはそれは余裕だったでしょう。
ですがなにしろ私は彼の後を引き継がなければいけない�%f

785:考える名無しさん
08/10/06 15:29:06 O
携帯がもう駄目ですかね、続きです。

ですがなにしろ私は彼の後を引き継がなければいけないんですからね。厳しいです。
でもやはり余裕かもしれないですが。
それほど彼とはレベルが違うかなと。
腐った? 腐っちゃいませんよ。
腐らないようにできてますから。
わけわかりませんね?
妄想ですからね。



786:考える名無しさん
08/10/06 15:37:00 O
さて、これで終わりですかw
残念です。誇り高き2ちゃんねらとして活躍したかったのですがね。
しかし偽短君にはうんざりですからね。 あなたも、これでうんざりでしょうか? これが演技なのかが問題ですが。
なんかよくいる典型的な悪者みたいで恥ずかしかったですよ!
いやはや。

787:考える名無しさん
08/10/06 16:09:42 0
う~ん、なぜ突然怒られるから、実はよく私はわからないんですよね。
例えば、罵倒とかそういったものを根に持たれたのかもしれないしとか、
考えはしますが・・・
後は、何分自信過剰なものでして、私のニーチェやその他に関する見解や、
その途上で反抗してくるあなた達の見解に対してする意見は、かなり的を得ていることが多いと考える。
それがたぶん尚更、怖がられたり、恨まれたりする要素かもしれないとは反省はします。
>しかし偽短君にはうんざりですからね。 あなたも、これでうんざりでしょうか? これが演技なのかが問題ですが。
う~ん、私は特にあなたにうんざりすることはないですがね。(あなたが私に対する"うんざり"のようまでのギリギリ感はないということです。)
但し、偉人の書物を顕微鏡で見るような掴み方は、軽蔑している。
あなたがそんなに強く思っている以上は、あなたにとっては迷惑きわまりない奴だとは認識してます。
それとあなたもそうだし、短パンさんもそうだけど、突然!怒り出すことが私にはてんで理解不能であります。
漠然と何か溜め込んでいるからというのはわかるのだけれど、
それがあるなら、苦しくてもいい洗いざらい書き込んでもらいたいと思うんです。
ここでは顔が見えないですから、どんなものか解らない相手への恐怖というのを漠然と持っているのかもしれないですね。
そんな点で実生活の人間よりは怖いのかもしれない。それと同時に、その見えないがゆえに、
言葉尻を誇大解釈してしまう危険性も孕んでいる。よい意味でも悪い意味でも。


788:考える名無しさん
08/10/06 16:31:42 0
>なんかよくいる典型的な悪者みたいで恥ずかしかったですよ!
本音を言いにくいけど、言いたい、でも言うのが怖い、でも言いたい、
言ってしまえ! ってな感じの場合は恥ずかしいですよね。
だから、罵倒したりしたことに関しては、
「ああ、もしやあれが原因で・・言い過ぎたかな」って想いにも、なります。
そんなときもそうですが、私は会話・対話を重んじます。
この投稿見てれば解るはずです。
あなたはそれでも対話の最中に、怒ってしまったわけですから、何が怒らせたかを一生懸命考えますけども、
突然何日かぶりに「こら!」とか板で喧嘩うられるのはごめんです。
そんなに私は悪人なのかな? 自分で考えて見ますよ。
  

789:考える名無しさん
08/10/06 16:54:48 0
短パンさんも偽短さんも、私にとってはつまらないからほとんど読まなかったけれど、
偽短さんは早君だったのか。

>>778

相変わらずの感想文だね。
そういう感想文を書く意味というか、神経がわからないよ。



790:考える名無しさん
08/10/06 18:11:10 0
ロゴスについての携帯君の指摘はかなり当たっていると思うけれど、
早君自身も前よりは自分のことを分かってきたみたいな感じがするね。

早君のはあくまでもディオニュソス的なもの「への憧れ」であって、
ディオニュソス的なものからはほど遠いということ。


791:考える名無しさん
08/10/06 18:31:19 0

本気で俺=早氏と思っているなら、それは俺じゃなくて彼に対して失礼だと思うけど?
でも、私は彼の過去スレの文章読んで、基本的に考え方は同じ部分たくさんあるけどね。
まあ、前スレでは金曜日氏と間違えられたし、短パンさんとも間違えられたし、
私には俳優的性格がおありらしい。どんな文章でも文章家の心を可能な限り想像し、
その後はそれを模造することで本当にそういう口調に変化させることが容易にできる。
たぶん、無限人格なんだろう。にゃはは。
まあ、同一人物と思い続けてください。
俺は早氏よりもロゴス重視だし、実際に破綻するほどの経験はない。
"ごめんなさい"も感じねえし。
(少しは、良心くらいあるけど、、、、ね?)

792:考える名無しさん
08/10/06 18:43:54 0
>本気で俺=早氏と思っているなら、それは俺じゃなくて彼に対して失礼だと思うけど?

なんだ、違うのか。それは失礼。
しかし早君を高くかっているところから見ると、あなたも相当若いんだね。
まあどっちでもいいけど。さよならw


793:考える名無しさん
08/10/06 22:00:20 O
おかしな話ですが偽短君は知能が殆ど無いみたいですね。
どうやら偽短君は影の影ぐらいしか見えてないですね。
偽短=早が正しいとしてもニーチェのような失明ではないと思います。
少しでも認識させようとした私は阿呆でしたよ。お恥ずかしいことです。
彼のいびきにはうんざりです。
雑音に対しては私は弱いですよw
勢い二重人格になりましたか。
携帯でもNGワード設定できれば少しはましになるでしょうが。

で、ニーチェは影の世界から出ましてなぜか太陽を直視し続け、失明したんだというのが私の印象です。

やはり雑音が入ったせいか途中になってますがツァラトゥストラの段階でも彼は私の「ザラツストラ」のように太陽を見たが、その時は目を閉じた。
で、続きはこんな感じになるかもしれません。
それからザラツストラは無心で歩いていたが大きな木に出会うと立ち止まり、
こう語りかけた「…」
この時点で彼は最後を決意した…
つまり太陽を直視し続けること、稲妻の直撃に遭うことを。

まあこんな感じになるでしょう。

794:○丸
08/10/06 22:35:37 0
太陽の目とは、自分で照らし見る認識の事であるが、
現在は、ニーチェの間接照明で、考察中。

795:考える名無しさん
08/10/06 23:07:43 O
こうゆう創作文といえば携帯小説サイトというのがありますね。
で、あれを見てみますと日本語が下手な人が多い。
うまい人も稀にいますが。
書籍化されているような小説でもプロの文章とは思えなかったりします。
まあ人気があれば売れるわけですな。
いままで出版社の中の人も大変だったなと思いましたが、
投稿サイトにある自動的に人気のある作品をピックアップできてしまうシステムというのは商売として効率的ですね。
そういうシステム構築により金儲けは金儲けとして割り切ることで、
多少余裕の生まれた出版社の中の人はこだわりのある本づくりをするようになるわけでしょう。
情報化によって格差は広がるんでしょうね。
一見平等な話のようですが、天は人の上に人を作りますから、平等の社会的条件で生かしますと差は広がります。
切りやすい派遣の増加も社会的条件の平等化の現れであり生命体としての天性の不平等による格差拡大を惹きおこします。
そうしますと垣根に守られていた人々が凋落していき反抗しだすわけです。
ですが時代の大きな潮流としては社会的不平等、垣根の撤廃に向かってるわけであり、これに逆らうことは無茶でしょうね。

796:考える名無しさん
08/10/06 23:18:35 O
思うに短ぱんや偽短というのは暴力、権力をちらつかせて遊んだりしますが、
彼ら自身の能力というのはむしろ低いでしょう。
ようは垣根撤廃により困る人たちなんですね。
ニーチェは社会的な不平等と自然由来の生命体としての不平等のどちらを好ましいと思っているのでしょうか?
どちらでもなくその一致でしょうね。


797:考える名無しさん
08/10/06 23:34:37 O
平等の社会的条件で、最も有利なのはユダヤ人でしょうな…。
やはり、社会的にどん底であること、追放された者であることというのは、
大地に立たされることなんでして、
そしてそこには何か偉大な力が働いてるわけです。
大地そのものが恐るべき力で律動している。
その力を多少借りられるのかもしれませんね。



798:考える名無しさん
08/10/06 23:56:20 0
反応の連鎖は続くようですなw

私を知能が低いと思おうが、文章が下手だと思おうが、そんなことは私には関係がないのよ。
むしろ、そういう観点を意識している君の考えをまず見るようにするんです。
で、「こちとら」さんの文章を上手だと思う人がいるのは不思議。いるの?
少なくとも、私は"駄文"の典型として扱っています。
ほとんど駄文。考えている内容も、深さも大したない。伝達性の速度も遅そうです。
考えが明確な像を結んでない曖昧なまま、とにかく書いているんだけど、曖昧でも"言葉にするのが難しい"曖昧さではなく、
既に考えていること秩序ずいておらず、破綻きたしかねている。
意外と私より論理性もなさそうです。数学苦手でしょ?
頭の回転も遅そう。言っている内容も、ある概念を既に悟性のほとんどを占めていて、
基本的な基盤や地平線的目線が他人の意見で覆われているかのようです。
(もちろん、考えている内容から、人格、感情のテンポ、恐れているものなどを瞬時に見抜ける。
でなっきゃ、俺のこと怖がらないのはずだ。)

799:考える名無しさん
08/10/07 00:00:03 O
ユダヤ人の怒りというのは、あるわけですよね。
やはりその怒りが大きな流れとして昔からあるんではないかと思いますよ。
というのも、生ある者というのはユダヤ人ぐらいでして、他の民族は社会に守られて地に足がついてないでしょうに。
ヒトラーはそんな深い大地の動きに抵抗しようとしたんだとおもいますね。


800:考える名無しさん
08/10/07 00:12:03 0
>こうゆう創作文といえば携帯小説サイトというのがありますね。
携帯小説なんて読んだことあるのか・・・さすが携帯君です。
携帯を肌身離さず持ち歩く人達が世間のくだらん現実の流行やら、時に閉塞しきった感情の内向性やらを
ポエム!などと書いている人間の魂の律動に寄与しない、まさに末期人間の歎きでしょう。
でも、それにデビューしたいなんて思う人がここにいるらしいです。
まさに"活字の没落"は精神の荒廃の総体である"人間の没落"です。
「精神は神、やがて人間、今では賤民」。それすらを通り越したようです。
うん。やはりここはある意味そういった没落人間の巣窟と言えそうだ。
私もその一人かもなあw 身を洗い流して、清めないといけない。
《但し》、朽ち果てた廃墟に潜む幽霊達も、その幽霊になる前は人間であったわけだし、
当然、物心つく以前の"原初性"や本能的思考を持っていたわけです。
そんなものを、廃墟のおが屑で詰め込んだ脳の容器を眺めるのは、現状を把握するのに良い。
とも思うのである。

801:考える名無しさん
08/10/07 00:14:44 O
想像を続けますが、
ユダヤ人は結束力が極めて強いんでしょうが、比較的少数民族でしょう。
ならば他民族の結束に対して刃を向け切り離すというのは戦略として当然あるかもしれませんね。
ごちゃまぜのアメリカなどはユダヤ人にとっていい場所になるんですし、
私にはよくわかりませんが、昔のドイツ、日本には、ゲルマン魂やら大和魂とかいう都市伝説があったので問題だったのかもしれないですね。

802:考える名無しさん
08/10/07 00:36:56 O
個人、社会的平等、自由などの近代的な旗印は、
反民族主義的なるものです。
反社会的なるものです。

個人主義や自由主義だけでなく社会的平等も社会の弱肉強食化になりますね。
これが実現してくると、ユダヤ人のホームで常にゲームをすることになります。
これは負けます。当分負けます。滅びたりします。
日本はほぼ解体されましたかね。
こうゆう歴史的な流れをユダヤ人が左右しているなんて話は韓国人的な誇大妄想の気がありますな。
ユダヤ人のちょっと異常な力というのも
自然の力なんでしてユダヤ人自身の力ではない。
自然が自然の秩序に逆らおうとする社会を好むのでしょうか?
そうはいえないでしょう。
やはり自然の秩序に社会も準じなければならないのです。


803:考える名無しさん
08/10/07 00:46:00 O
社会的平等が弱肉強食に繋がるというのはおかしい話でした。
いいたかったのは機会の平等のことです。
機会の平等によって自然の秩序が社会に反映されるわけです。

804:考える名無しさん
08/10/07 03:24:41 O
ひろゆきは思想はあまり語らないようですが、ユダヤ人向きのものでしょう。
それは2ちゃんというシステムに表現されているわけです。
私たち2ちゃんねらは、自由のようで不自由です。
名無しのようで囚人のように番号がついてます。
ですが管理の仕事は基本的にシステムの構築、管理にばかりあり、
私たちは殆ど管理の対象にはならない。
管理人にそんな暇はないのです。
私たちは勝手にシステムに入ってきてシステムに管理される。
これは一種の社会ではありますが自然に似ています。
そこにただあり働き続けているものです。
そして私たちはどこからかやってきて過ごしているだけです。
これはアナーキズムの一種なんですね。
権威がないところです。
常にスレは過去に落ちていき板は常に開拓期にある。新天地であり続ける。
生成の無垢ってやつでしょうか。
リアルにおいてもこうゆう無政府主義的な寡黙なシステムの構築が続けられてきていると思います。
そんな中、天皇の人間宣言のような権威の失墜が途中でボコボコおきてくる。


805:考える名無しさん
08/10/07 03:38:33 O
ここでは何事も流動的なんです。
たとえばチンポがスレを立て盛り上げたとしましょう。
彼が来なくなったら? 終わりです。
常に生み続けねばならないんですね。
基本的に残らない。 川の水のように。
チンポがレスをするたびにチンポは下に流れていきます。
水は流れ続けてなければ働かない。
しかし働けば流れ去ってしまう。
いわば2ちゃんはヘラクレイトスの川なんですね。
常に生成し続けねば虚無でしかないところです。

806:考える名無しさん
08/10/07 03:51:53 O
音楽に似てますね。
音楽は川のように常に流れていなければならないわけです。
止まれば死ぬ性です。生はそういうものです、流れていかねばならない。
安定していることは安全でしょうが、そこに生はない。

807:考える名無しさん
08/10/07 04:27:28 O
生成し続けねばならない…
チンポには何かを残したいという気持ちがあるんですね。
2ちゃんではそうはいかない。
過去スレ? 死んでます。
生成し続けない限り何も存在しない形式、空虚な場において生きて果ててみても虚無しか残せません。
だからこそ空虚だからこそ生成し続けねばならない。
存在ではくむしろ無があるのではないか?というようなところでこそ、
生は己自身を生成し続けねばならないものになるのです。
生成と無は密接な関係にあるんですね。
生成しかないし、その形式はいわば「有る無」でしょう。或る無でもいいでしょうが。
生成はある無から現れある無に還る。
生成とある無しかないんでは?
存在なんてあるんでしょうか?
内容というのはないようというやつかもしれない。
形式の運動が生成だとか…
運動する形式そのものが生成であり、力だとか…

808:考える名無しさん
08/10/07 05:58:49 O
生は己自身を常に超克し続けねばならない…。
生は水のように軽快に登って行きます。
そして、高山の薄くて冷たい空気に触れつつ重くなっていき、登れなくなると没落を志向する…
このような流転に生がある。
歴史は動きです。止まった歴史は終わった歴史です。
動きの中に歴史はある。
生とはロゴスみたいなものでしょう。
ロゴスというのは、様々な意味合いがあります。
例えば理性、話とかいう語義があります。
話は動きの中にあります。音楽と同様です。
理性は思考と共にあり、考えない理性はありません。
思考という一種の流れの主語です。
ギリシャ語のロゴスが話と理性が同じ語で表されることからして、
ギリシャ人は理性を動的なものとして捉えていたのかもしれませんね。
生は動きにありますから、古代ギリシャの哲学者は思考において生きていたと言えるでしょう。
その言葉の数々は川のように生き生きと流れてはキラキラと輝いていました。


809:考える名無しさん
08/10/07 06:03:13 O
×ギリシャ語のロゴスが話と理性が同じ語で表されることからして、

○ギリシャ語では話と理性がロゴスという同じ語で表されることからして、


810:携帯小説風味
08/10/07 06:19:17 O
あなたはあなたですか?

あなたの心臓はあなたが動かしているんですか?

昨日のあなたは今のあなたですか?

あなたはどこにいるんですか?

あなたが見当たりません。

この流れの中には。

流れに生があるならば、

あなたは生き物ではないんです。

世界の中で死を叫びますか?

あなたは声を出せません。

あなたは動けないのだから

どこにもいないのだから

世界外存在なのだから・・・。



811:携帯小説空間
08/10/07 06:46:49 O
~プロローグ~


私って・・なに ? な・ん・な・の?

わ た し

砂浜にそう書いた少女の名は幸子11歳。
まだランドセルを背負って学校に通うどこにでもいるような女の子である。
彼女は学校で孤立していた。家庭でさえも。
彼女にとってはいずれにしても単なる環境でしかなかった。
この日も彼女は授業が終わるといつものように事務的にランドセルを背負うと一人に帰路についた。
そして風に運ばれてきた海の香りに誘われるようにして砂浜にやってきたのだった。

砂に刻まれた三文字…

わ た し

彼女は波がこの文字を洗い流す様子を眺め続けていた…
涙が一雫、頬をゆっくりと伝わっていく。
赤々とした夕日は涙の膜を通して歪みつつ地平線の下に落ちていった。

闇に包まれた彼女は…微笑んでいた。


~プロローグ~(完)



812:小説先生
08/10/07 06:57:12 O
過去形が多すぎるために具体性が足りていません。
もう少し現在形、現在進行形を増やしましょう。
「歴史的現在」という表現方法もあります。
一度お調べになるのをお勧めいたします。


813:考える名無しさん
08/10/07 09:13:18 O
これぐらいのレベルの小説なら量産できます。
そのうち売り込みにいきますね!
いえいえ、買ってくださいm(_ _)m
そこをなんとか。 (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)



m(_ _)m (?_?) (ノ_・。) ヾ(≧∇≦*)ゝ
ワロタ ウレルマエニシヌカモ


814:考える名無しさん
08/10/07 09:30:06 O
というわけなんだよ偽短君、寂しくなるな…。
レベル3で待っているぞ。
目指せレベル4だから待たないけど。

それ自身における差異か…
それ自身における差異…
それ自身における差異… それ自身に向かう反復…
これって同じことかもしれない。
創造あるいは生成の一定義かもしれない。
そうでしょう、創造性豊かな皆さん!
ワロタ。
人間だもの…

815:考える名無しさん
08/10/07 10:47:05 O
哲学研究者じゃあるまいし誤解でも誤訳でもすればいいんだ!
なるほど。 確かに幹爺によるとニーチェは言葉の泉のようである。
数多くの文筆家の招き猫になってきたことだろう。
市場の蠅たちよ…。
だがニーチェ自身そんなハゲタカのように喰らいついていったんじゃないのか?
自己蔑視! これにより我々は川に身投げをする!
華厳の滝から飛び降りるのだ! 日光よ!日光よ! と叫びつつ…
そして川に落ちる。死ぬ…これは死ねる…
そこに桃が流れてくる。割って入って閉じこもる。
しかしプカプカと流れていく…開けてびっくり桃太郎の出来上がりさ。

このようないわば「生に向かう死」によって人は飛躍的にアップグレードするのかもしれないし、死ぬのかもしれない。
生に向き合う死…それが真の江頭伝説である。
私はニーチェ及び三島の死に日光を見た。
それは恐るべき快感であり熱情であった。
私ははっきりと見たのだその恍惚を見たのだ。
己の限界まで成長していた彼らが尚もう一段階の自己超克を果たすためには命を尽くして日光に赴くしかなかったのだ。 最高の最後を遂げた彼らの死に顔は穏やかだった。
そんな二人の亡骸の側では江頭が踊っていた。
一生懸命だった…



816:考える名無しさん
08/10/07 12:06:17 O
私もこう創造性豊かな自己軽蔑をほのかにでも覚えるようになりますと、
何故に文学者とかが自殺するのかわかる気もしますね。
おっといってました。
創造性豊かな自己軽蔑!創造性への軽蔑!
創造性とは多重債務でなくてなんだろう?
それゆえに創造者は与えねばならないので没落せねばならないのだ。
そんな富の貧しさに倦んだ日々を日光は癒やし続けてくれる。
日光よ! 私はあなたを愛する!
私に欲望を教えてくれる超人を!
あなたを愛する!

かなりちがうようですがきっとそんなファウスト症候群みたいのにかかるわけですな。

817:ニーチェ引用
08/10/07 17:58:08 O
Nun heisse ich euch, mich verlieren und euch finden; und erst, wenn ihr mich alle verleugnet habt, will ich euch wiederkehren…

An diesem vollkommnen Tage, wo alles reift und nicht nur die Traube braun wird, fiel mir eben ein Sonnenblick auf mein Leben:
ich sah rueckwaerts, ich sah nie so viel und so gute Dinge auf einmal.


818:ニーチェ引用訂正版
08/10/07 18:01:05 O
Nun heisse ich euch, mich verlieren und euch finden; und erst, wenn ihr mich alle verleugnet habt, will ich euch wiederkehren…

An diesem vollkommnen Tage, wo alles reift und nicht nur die Traube braun wird, fiel mir eben ein Sonnenblick auf mein Leben:
ich sah rueckwaerts, ich sah hinaus, ich sah nie so viel und so gute Dinge auf einmal.


819:考える名無しさん
08/10/07 18:26:38 O
きたこれ。
「おまえが雑魚になるんだ!」
まんざらはったりばかりでもなかったらしい。
ふふ。短ぱんか、すごいやつだ。

(パチパチパチ)
素晴らしいよ、その戦いぶりといい、そのセリフといい、
さすがに惑星ベシタブルの王女というだけのことはあるよ。

「こいこいこい!」

あと少しだ、あと少しで何かが掴めそうなんだ…
なるほど幽助がわかったぞ!
ふふ。私も漫画がわかったきたようだな。

820:考える名無しさん
08/10/07 18:56:45 O
私の飛躍的にアップした洞察力によれば漫画の秘密も氷解してしまう。

たとえばドラゴンボールのウーロンだがこれはウーロン茶が語源なのだし、
プーアルはプーアル茶がそれなのだ。
基本的に鳥山明氏の好みによって名前がつけられているわけだ。
そもそもアラレちゃんからしてお菓子の名前である。
忙しい連載漫画家にとっての楽しみといえば食事ぐらいだったのかもしれない。
キャラの名前から連想した光景ばかりを楽しむというそんな駆け出しの頃もあっただろう。
それにしてもぷりぷりのブルマ16才という異例の設定に純真なる小さな私の心は動揺を隠せなかったものだ。


821:考える名無しさん
08/10/07 21:55:26 0
>>820
TVは嫌いかも知れないが、今日はめずらしく昔のヒット曲やってるから
見てるよ。
いいもんですよ。(70年代、80年代の曲、私の生前、生後くらいだ。)
美空ひばり とか 歌上手すぎだ。声が違う。胸に沁みるぜい!
宇多田などより遥かに上手い。
こちとらさんも落ち着いて、たまに嫌いなTVでも如何がですか?


822:考える名無しさん
08/10/07 22:21:22 O
>>821

テレビは持ってない。



823:考える名無しさん
08/10/07 23:06:14 O
わたしの江頭伝説あるいは桃太郎伝説は命懸けだからな。
死の瀬戸際において何か非人称的なるものに人は生きながらも直面するのだろう。
その恐るべきものに挑み続け、愛し続け、真の江頭伝説を創造した者が勇者ニーチェなのであると思う。
その恐るべきものが「超人」に違いない。
ともかく、ツァラトゥストラにおける「超人」と「動物」の間に生きる「人間」は創造する者のことであり、「生ある者」を意味するねだと思われる。
その自己超克の果てに超人に愛を告白するのである。
これは音楽の魂からの悲劇の生成である。

824:考える名無しさん
08/10/07 23:27:21 O
Geburt という言葉は、Werden生成を静的に捉えた言葉でしょう。したがって、誕生やら系統という意味を通常表す。

だがニーチェにおいては場合によっては静的な意味合いをとっても差し支えないと思う。
あるいは動的な意味合いを付加してもいいと思う。

といわけで悲劇の生成という誤訳なのです。
意訳という翻訳者の盾になる便利な言葉もあるんですし。
それでいいのだ!


825:考える名無しさん
08/10/07 23:39:55 0
そういえば、江頭は最近TVに出てるのかな?
さっぱり見かけない。TVでも芸能・政治・経済・サッカー以外のスポーツは興味ないから
さっぱり知りません。
タモリももちろん見てない。でも彼は本物芸人だろう。
テリー伊藤を見かけると殴りたい気分になるw
(あれぞ、現代木偶タレントのサンプルだろう。あと一緒になんかに出てる歯科医だか整形外科医だかのくそ尼。)

826:考える名無しさん
08/10/07 23:45:20 O
誕生というと、ある存在が存在し始めるという意味がある。
しかしニーチェの辞書に存在という言葉はないんであります。
悲劇にしてもロゴスとして音楽として、常に生成されていなければならない。
永遠の生成の相の元にある。
そしてその大元から離れて存在することはできない。

ギリシャ悲劇の記録を参照して彼は音楽の魂から悲劇を生成したんであります。
要するに「悲劇の誕生」はニーチェの人生の脚本なんでしょう。
ですから「悲劇の生成」という意訳でいいんです! それでいいのだ!


827:考える名無しさん
08/10/07 23:50:03 0
こちとらさんは感受性が強い と踏んでいる。
なぜか知らないが。
ショーペンハウアーは感性と知性が優れていると最も苦痛すると「天才論」で語っていた気がするが、
まあ確かに、感性の深さ、つまり喜怒哀楽の深さなどが深みを増す時に、
それと付随して、理性的部分(思考)の深さも増すとは一般的に言える。

828:考える名無しさん
08/10/08 00:37:24 O
生ある者によるパクリ学習は生成の相の元におかれ、動きだし、あたかも創造とも思われるのでしょう。
学習、生成、創造は殆ど同じことで、それ自身における差異であり、それ自身に向かう反復であり、自己超克でしょう。
創造物とは律動する生の一描写でしょう。
すなわち、音楽の魂においてはおそらく、学習された曲は再びそこで誕生し、生成変化する、自ずと作曲になるのです。いわば単なる解釈ですね。視点の違いともいいます。
したがって魅惑的な即興曲を奏でられるか否かということが生ある音楽家であるかどうかの試金石になるでしょう。
しかし音楽で「タモリ」は難しい。
普通周りに音楽を話すような人がいないわけですから。
母語は元気であるかは別としても私達と共に生きているんですね。
しかし音楽を母語とするのは偉いことです。
ある音楽家の曲というのはいわば一曲しかない。
各曲はいわばその写真集なんですね。

イデアは地上にある!
地上で生きている!
見よ!この大地に息づく生ある者を!
というのがニーチェの認識でしょう。
地上で蠢く生がイデアだということです。
そしてその生き様が「創造」であり、その生写真が各「創作」でしょう。
飛んで火に入る夏の虫ですか…

829:考える名無しさん
08/10/08 00:53:08 O
>>825
江頭はたまにしかでないようにしてるんだよ!

しかし偽短君の認識能力は表面的すぎるようだね。
??!!
おまい地上から追放されてんじゃん!
ヤバいね。 あれか虚無の海だっけ。
なんちゃって貴族!


830:考える名無しさん
08/10/08 01:13:10 O
なるほど!
どっちかというと偽短≒なんちゃって貴族説の方が正しいようだ。
この世から追放された者。
さっきのプロローグはあれかお前が俺に聞かせてきたことの一解釈なんじゃねえの!
この世界外存在めが!


831:考える名無しさん
08/10/08 01:35:15 0
>しかし偽短君の認識能力は表面的すぎるようだね。
そうかな~?
真面目な話、こちとらさんの今の状況が少し、心配で色々雑事の最中に覗いているんですけどね。
余計なお世話ですが。だって、夜中ずっと起きているみたいなんで、
平凡なおばさんのありきたりな意見で言えば「早寝、早起きが一番にしてくださいね。」
ではでは。
眠りは「短い死」であります。意識していることが「生」と仮定すればですがね。

832:考える名無しさん
08/10/08 01:40:00 O
世界内存在というのはない。
世界は生成であるからだ。
しかし世界外存在というのはありうる。
いや、ある、と思う。
それはある意味無力である。
いかに重いとはいえあたかもブラックホールのように己の重力に縛られている。
ただあたかも幽々白書に魔界と地上を結ぶ穴があるように多少なりとも地上と交流することができる。
しかし強い魔力をもつ者ほど地上にでてくることができない。
あるいはダウングレードしなければ出てこられないわけだ。
その穴とは「死の穴」である。
ここに近づく人間はもちろん死にがちであるが、
生還できればアップグレードするのかもしれない。
魔族に目をつけられてしまっている私は、まさか闘神雷ゼンの子ではないのか?
まさか…

私は発狂したのだろうか? 遊んでいるだけだろうか?
それとも真相を語っているんだろうか?
その答えはいわゆる実力がついてくるかどうかでわかってくるだろう。


833:考える名無しさん
08/10/08 03:00:30 O
私は小説家よりもむしろ翻訳家になりたいと思っている。

そこで翻訳家としてどうあるべきか考えているところである。

まず、当たり前であるが翻訳家は誤訳をしてはならないのだ。
仕事でミスをするということは、評価が下がるということであり、仕事を失うことにつながる。

だが数ページならまだしも数百ページにも及ぶ書物を訳す場合には、
ぶっちゃけ100パーセントの確率で誤訳をしでかすことになる。
誤るものだ。人間だもの。謝ればいい…
しかし謝れば済むことばかりではない。 ああ厳しい現実!!
したがって、私は保身のためにちょっとしたトリックを使う必要があるようだ。
つまり誤訳をごまかす技術を磨かねばならない。

まずわからない文は飛ばそう…
これはいつかはバレルことだが、謝りつい見落としたことにすればいい。
これでダメージを軽減することができる。
これはいわば「守り」である。


834:考える名無しさん
08/10/08 03:10:40 O
次は「意訳」だ。これは歴戦の翻訳家たちの発明なのだろう。
そう、文というのは、それを構成する語の多義性により多義性を持つ。
そこでたとえ私が誤った解釈をして、指摘され、その指摘が正しい指摘だとわかってもだ、
命にかけて認めるわけにはいかない。
私はこれは「意訳」だと主張する。
私の誤りを指摘する奴は私の過ちを証明せねばならないはずだ。
文脈は味方でありながらも敵である。
その証明は文脈を味方につけてくるだろう。
ならばこちらも「意訳」という言葉を皮切りに文脈で対抗するのだ。
この時点で、争点は文脈となる前後の文達に移行する。
ここですでに私は「守り」を成功させている。
文脈は文脈は呼び、ついには争点を参考文献に移動させることが可能である。
こうして争点が拡散していくなか私の過ちはうやむやになるわけだ。
逃げるが勝ちだ。 ふふ。

835:考える名無しさん
08/10/08 03:37:42 O
逆に人の過ちを指摘する場合というのはどうであろうか?
何のための指摘なのか?
追い込むためなのか?
正しさのためなのか?

翻訳家が翻訳家の過ちを指摘しあい切磋琢磨するということは、
なるほど、聞こえは確かにいい。
私もできればそうありたいと思う。
私は正々堂々とした勝負をするということを理想としている。
しかしそれでは共存にはつながらない。
翻訳家としての能力は批判し合うことで上がっていくだろう。
だが仕事の場は教育の場ではない。
そこに理想を持ち込めば潰し合いになってしまうのだ。
つまり同業者の過ちを指摘しないということが基本的な態度、心得になる。

すると誤訳は基本的に流通し続けるということになる。ふふ。


836:携帯小説空間
08/10/08 05:53:51 O
~第一章~




「助けて!・・・・誰か・・・助けてよ・・」

心の中で幸子は声にならい言葉を紡いでいる。何かに追われている様子だ。
息を切らして走っている。

「どうして追われているのだろう。どうして逃げなきゃいけないの?」

彼女はそう呟くと足を緩めていった。
追っ手の影に包み込まれると、彼女は立ち止まり後ろを覗き込んだ。

「誰もいない・・・。」

彼女は不思議そうに来た道を辿り始めた。
何かがおかしかった。「何かが足りない…」のだ。
そう思いつつ彼女は辺りを見回している。
幸子は「あっ」と微かに囁いた。
彼女の見つめた先にはアスファルトの窪みに何の変哲もない水たまりがあるだけだ。
風に揺られる水面に街灯が朧気に映りこんでいる。


837:携帯小説空間
08/10/08 05:55:07 O
彼女は意を決したように街灯の方へと首を向け、焦点を発光体に向けて徐々にずらしていった。
その光に目が眩んだかの如くに顔を背けると目をきつく閉じて「くそっ」と静かに吐き捨てた。
そしてゆっくりと開かれていった目は空を仰ぎ、柔らかい光たちにくつろぎを求めている。
だがそこでは鋭利な月が彼女を眺めているのだった。
それに気がついた彼女の胸が彼女を圧迫している。
座り込んだ彼女の瞳から溢れだす涙はゆっくりと頬を伝い、
あの水たまりに飲み込まれている。
その水面に彼女の影はなく、街灯の明かりばかりがぎらついていた。

838:考える名無しさん
08/10/08 06:09:10 O
うむ。どうも偽短君がモデルみたいなので執筆は難しいようだ。
オヤジの幸子11才コスプレとは!
そんな変態のイメージが頭をよぎるのだ。
ダメだ書けない! もう書けない!!
これが創作の苦悩、生みの苦しみというものなのだろう。
耐え難いものだ。私はもう枯れてしまったのだろうか。私の言葉は泉は…。

839:考える名無しさん
08/10/08 06:25:01 O
11才の女の子が「くそっ」と吐き捨てるだろうか? まさか!
そんなはずはないのだ。
そうだ、やはりオヤジのイメージが既に混入してしまっているんだ。
そうにちがいない。
私は信じているのだ、11才の女の子ならばアイドルのように屁もしなければくそもしないという都市伝説を。
しかし、哲学徒として私は11才の女の子にだって邪気が侵入するということを認めなければならないのかもしれない!
現実は厳しい。 男子の影における邪気溢れる女の闘争を認めなければならないのかもしれない!
そう私は放課後に学校に戻ったことがある… なんと… いえやしない、いえやしないんだよ。
恐るべき真実よ…


840:考える名無しさん
08/10/08 09:26:52 O
江頭伝説とは何か?

これは一種の実践哲学である。
「今、ここ」の実践哲学ともいわれている。
主要概念は「数学的一点」である。
象徴的には「生の開花」、「巣立ち」、「爆発」、「雄叫び」、「バンジージャンプ」、「綱渡り」、「生体実験」などなど約5000種類もの表現が考えだされているという噂もある。
また感想の例としては「崇高なるギャグ」、「崇高さと滑稽さと」、「中身だけ」、「キモい」、「なに考えてんの」、「ばかじゃん?」、「えんがちょ」、「イケメンの転倒」、「やだ~」などがある。
江頭本人の発言は半ば神格化され、啓示として流布しているが、
江頭が感嘆詞以外の品詞を発音できるか否かさえ、まだ確認がとれていない。
したがって彼は架空の存在であり、人々の深層心理の生み出した共同幻想だと主張する人たちも少なくない。
江頭は実在していたがもう他界したという説もあるが、その根拠は薄弱で、
江頭が雷雲のもとで避雷針を携えつつ踊り狂っている中、案の定、雷に撃たれて倒れたという夢なのだそうだ。

841:考える名無しさん
08/10/08 10:07:49 O
要するに現段階においては江頭本人は正体不明であるというしかないだろう。

では彼の哲学は何故に「今、ここ」の実践哲学といわれるのか?
そこでその主要概念である「数学的一点」を手がかりにして少しでも説明したい。

数学的一点とは通例ある空間上の任意の一つの位置自体を示すものであり、
物自体のように、その実在性は疑問視されているものである。
だが江頭哲学によると、これは「感動の絶頂」といわれ、感動が、「今、ここ」にある一点に圧縮された状態を意味する。
その一点はあまりのエネルギーにより時空間上に異空間につながる穴を開ける。
江頭は異空間につながり暴発しているらしい。
「男は見た目ではない爆発だ」とは江頭の常套手句だともいわれるが、
では江頭は暴発中に一体何を見ているのか、
如何にしたら感動を数学的一点に集めることができるのかという疑問には誰も答えてくれないのである。
ただこれだけはいわせていただく、実践するしか理解する手だてのない哲学は哲学とはいわないのだと。



842:考える名無しさん
08/10/08 10:37:59 O
では実践哲学でないとしたら江頭伝説とは何なのか?
それは肉体による象徴表現であることは間違いないだろう。
これはニーチェの主著といわれる「ツァラトゥストラ」に出てくる綱上のダンサーを象徴しているのかもしれない。
また肉体による詩ともいえる。
だが伝説は人が紡いでいくものだ。
だから、彼自身はただ生きているだけではないか?
伝説としての江頭は確かに実在しないのだ。
江頭を差し置いて江頭伝説ばかりは生成を続けていくのだろう…。


843:考える名無しさん
08/10/08 11:21:44 0
江頭とニーチェが結びつくのかい・・・orz
少なくとも、ツァラトゥストラはニーチェじゃない。
ニーチェの想像した人物。実際にニーチェがツァラトゥストラのように生きたと思っている人は、
おめでたい。何が凄いかは、彼にニーチェの思想を語らせたことでしょ。
ファウストとかああいうのと同じ。
基本的に芸術作品・小説みたいなもですよ。
君は、ある人間が思想を生み出していく、歩みってものをしっかり見てない。
初期の作品から、人間としてのニーチェが主張したものが多少変わっても、
やはり根底の器みたいなのは極端な変化はない。
悲劇の誕生でも反時代的考察でも、曙光、などで細かい部分がちりばめられている。
そういったものの蓄積が一気に叙情的に噴出して、あの作品ができたんだから。

人間的なの「インスピレーションのこと」についてのニーチェの考察は鋭いですよ。
ああいった細かい蓄積の重要性を語っているし、芸術家一般にも言えることです。
もっと、地に足をつけなよ。
自分自身が感じている範囲でしか、物事はわかりえないのですよ。
言葉を作りたいなら、書物は単なる栄養剤です。日常のこまごまとしたものの正直な観察で得られるんです。
これは別に芸術家に限らないけれどもね。我々のような一般人でも、そういう蓄積・こまごまとした収集を怠らないことで、
色々目が深まるんですよ。
こちとらさん。

844:考える名無しさん
08/10/08 11:42:49 0
このスレの一番上を見たら。。。

キーワード【 哲学 閻魔 短パン ニヒリズム 永劫 回帰 尾崎 】

最後が笑える。


845:考える名無しさん
08/10/08 12:30:53 O
創造とは没落である。したがって、没落していかねば創造することはできない…。
すなわち創造とは没落の描く線上にある戯れである。
創造性が高まれば高まるほど死に近づく。死を愛するようになる!

という予想ですかね。
レベル4にならないのと確認はできませんが、
きっと没落と自己超克は同じことだと思いますよ。ふふ。

しまった…
逆転しないぞこれは…
おかしい!
なんのための没落だったんだ!
なんのための苦しみだったんだ!
おれの幸福の青い鳥が…死んだ…

そんなランボーな!
大馬鹿やろう!!
ひでえ。
ワロタコレ
クソワロタ
ニーチェは詐欺師だったな。
苦痛まみれになり幸福の幻を創作したか。
敢えて幻の情熱に浮かされ続けてたのか。
まあわかってたさ。大体、天才は鬱であるというからな。恐るべき鬱なんだろう。この極北の民どもよ。
作り続けねばならない暖め続けねばならないという奴隷なんだろう。
シーシュポス! これは創造の象徴か! なんてことだ。
ランボー。彼は創造することに呆れたのか。


846:考える名無しさん
08/10/08 12:58:08 O
レベルアップ! レベルとは深さを意味する、高さではない。ふふふ。深度です。
深度に比例して高さをねつ造することはできるんでしょう。
しかし深さはどうでしょうか?
苦痛の方は? これもねつ造なんでしょうか?
まあいいです。本質だろうとねつ造だろうと。どっちにしろ生の律動であり自動的なんじゃないでしょうか。
自由意志ですか。 矛盾してる。意志が自由だなんて。 そう感じるだけですね。
幻滅ですな。儚い。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり 奢れる者は久しからず、生を視ること死の如し



847:考える名無しさん
08/10/08 13:05:59 O
偽短って何も語ってないのがわかってないのがおめでたい。

おめでとう。君は幸せかもしれない。
知らぬが仏、見ぬが秘事です。


848:考える名無しさん
08/10/08 20:42:20 0
(このスレなんだか、面倒くせくなっちまったなぁ・・・)

849:考える名無しさん
08/10/08 21:43:19 O
レベル±3…

こうゆう木の話は本当だったかな。
深さと高さは等しいというような。
つまり絶対値が変わるということだ。
結局、究極的に人がたどり着くのはオアシスもない砂漠を越えた先の月みたいなところで灼熱と極寒の音もなき世界ってとこじゃないか? 月の民…
ランボーが何を見ていたのかというのはまさに知らぬが仏だろうね。

楽して劣化しても仕方ないし、苦労してアップグレードしても仕方ないし…。
±0のゼロサムゲームとはいうけどな。
こうゆう自然の設定を否定するとか肯定するとか無意味な気まぐれだと思うね。
どっちだって変わらん。
ニーチェとショーペンハウアーのレベルというのは同じぐらいだろう。
まったく生に対する態度というのは些細な問題である。
経験することは認識面にせよ感覚面にせよ同様だろう。
そんなことより大切なのは深さ=高さである。レベルである。
そしてその調整を身勝手にできればましなんだろうけど…
レベルが上がるほど幸福には遠ざかるとすれば、
第二次成長前のレベル1が幸福の観点からするとベストだろう。
しかしレベルの変化というのは生理的なもので任意に変化させることできないだろう。
特にダウングレードすることは…


850:考える名無しさん
08/10/08 22:01:14 0
>>848
Das ist nicht meine Schuld.

851:考える名無しさん
08/10/08 22:24:50 O
詩というのは質が上がるほどに極めて理性的なものにもなるだろう。
非理性的な詩はないね。
感性と理性のどっちかを重視する人間にはどっちもあまりないはずだ。あるいは失っていく。壊れていく。なぜならどちらも同じものの見た目の違いだからだ。
表現上の些細な違いにより同じものが詩から数理論理学にまで生成するのだろう。
そりゃ学習は必要だろうが。


852:考える名無しさん
08/10/08 22:51:30 O
人間の創作、芸術は研究を重ねることにより、
大量生産というのもいつか可能になるのかもしれない。

人間の芸術の研究は究極の芸術たる自然の研究よりは簡単なはずだが、
ようするに研究者に研究する気があまりないに違いない。
冒涜だ!などと。
そういう人は自分で創作できないし、鑑賞もあまりできてないはずである。
作れないということはわかってないのだ。
おそらく研究というのが感想文を書くことになりがちなのだ。


853:考える名無しさん
08/10/08 23:12:55 O
知とは作れるということ、表現できるということである。
知るとは表現できるようになることである。
この意味でソクラテスは無知を知っていたのだよ。


854:考える名無しさん
08/10/08 23:30:18 O
人間の自尊心の最後の寄りどころがその創造性というものである。
だがこれさえもメカニズムであり、科学になり、工学になるべきものであろう!
そうなると、人は私はメカニズムじゃないメカニズムじゃないと自分探しを始めるのだ。
そして「私」は追放されるのである。
そこで死神が「私」に微笑みながら声をかける…


855:考える名無しさん
08/10/08 23:52:55 O
学問の発達により、社会のレベルが上がっていく。
それにつれて住民は己のレベルを超えた認識、能力をもたされることになるのである。
すると人々の多くはいわば「海王拳」に体が耐えられずに参ってしまうことになるのではなかろうか…
社会というのは、破滅に向けて自己超克を続けていく…そんな運命に違いない
知恵の実は、食べてはいけなかったのだ…
だがもう遅い。
選民たるユダヤ人を先頭に、我々は月へと向かうのだ。敢えてあの地獄へと颯爽と向かうのだ。おお、月の民よ!


856:考える名無しさん
08/10/09 00:18:02 0
>>852
>人間の創作、芸術は研究を重ねることにより、
>大量生産というのもいつか可能になるのかもしれない。

芸術なり何なり創作活動をしたことのある人間の発言か?
これはおそらく物量ではなく「インスピレーション」の多産を意味するものと
考えるが、発案だけ大量増産しても製作過程が追いつかないだろうし、
仮に次から次に新奇なものを創作出来たとしても、受け手側の観衆が
単にそれを流行り廃りで「消費」するだけになってしまうのでは?
感銘を受ける気分すらが大量消費される時代は退廃しか残さないだろう。
ま、現状は陳腐さが大量生産されているが...


857:考える名無しさん
08/10/09 00:21:22 0
>>854
> 人間の自尊心の最後の寄りどころがその創造性というものである。
> だがこれさえもメカニズムであり、科学になり、工学になるべきものであろう!

根拠はなんだ?

> そうなると、人は私はメカニズムじゃないメカニズムじゃないと自分探しを始めるのだ。

> そして「私」は追放されるのである。

これをもっと詳しく説明してくれ

858:考える名無しさん
08/10/09 00:34:55 O
レベルアップとは人間が人間を軽蔑することを学ぶことであるともいえる。
私たちは殆ど社会により知らされるにすぎないといえるが、
知るほどに私たちは自尊心を失い軽蔑を学んでいくのである。
学問というのは翻せば人間の捨ててきた価値の蓄積といえる。それが天才たちのプレゼントともいえる。ふふん。
そういえば猿から進化したというのはまだ都市伝説だという噂もあるし、
アポロ11号は月に行ってないという説もある。ふふ。
しかし私はそんな説は信じない!
私は江頭伝説から勇気と自己蔑視を学んだのだ。
避雷針を持って雷雲の下で踊り狂う!
この江頭の都市伝説こそが人間のあるべき姿なのであると…。


859:考える名無しさん
08/10/09 01:09:50 0
>>850
omaeha nanizinndaboke!

860:考える名無しさん
08/10/09 01:11:17 0
>>858
> レベルアップとは人間が人間を軽蔑することを学ぶことであるともいえる。
> 私たちは殆ど社会により知らされるにすぎないといえるが、
> 知るほどに私たちは自尊心を失い軽蔑を学んでいくのである。

どうしようもなく卑小だな、根っこから駄目人間。


> 学問というのは翻せば人間の捨ててきた価値の蓄積といえる。

捨ててないだろ。


861:考える名無しさん
08/10/09 01:24:50 O
偽短が怒るのは当然だろう。
実は私も怒っている。
しかしながら私は創造性をもつ人工有能君の開発に微力ながら貢献したいと思うね。
まあ君は感想文でも書いとけ。

早君のずっこけ勘違いは人間の創造性もまたメカニズムによるという仮説の根拠の一つだな。
てか自然が究極の芸術だと言ってるんだがヘボが。
偽短のぶっ壊れ具合もまたその根拠だ。
叙情性豊かなものはメカニックなのである。

早君にはすべて価値の転倒が必要である。
なことない。
心に効く薬は飲むわけだから、ちょっとした転倒にすぎない。
なんというか、ようするにレベルが低いために、社会によって強制使用させられる海王拳に耐えられずに壊れてしまううんだな。


862:考える名無しさん
08/10/09 02:34:17 O
「私」あるいは「小我」という「くそっ」みたいのと知というのは非常に相性が悪い。
知は人間を濾過してその卑小なる我を底に沈めていくに違いない。
卑小なる「私」は人間が知っていくにつれて、地上から追放されていくのである。
だからといって知やメカニズムを呪えば、邪気に満ちた卑小なるものだけでなく、人間全体が崩壊していく。
そんな人間でも、メカニックな生成の相の下におけば、幸子11才として捏造され、見れたものともなる。フフ



863:考える名無しさん
08/10/09 04:22:36 O
創造はメカニックなものであるという説はバッハにとっては一目瞭然のことではないかと感じます。

そんな説に怒る人は滑稽というしかないかなあと感じる人もいると思います。

メカニズムを呪う→壊れる

これは合理的に見えます。
「私」は創造的というよりは破壊的であるという説があります。
この説にたいして、創造的な人間は少ないが破壊性のない人間というのはいないからかもしれないという人もいるでしょうね(b^-゜)



864:考える名無しさん
08/10/09 04:34:47 O

ソクラテスは偉大な賢者だといわれます。
勇猛果敢なフィロゾーフだと感じる人もいます。
その人たちがそう感じるのはソクラテスが処刑されたからで、
「知が血を呼ぶ」と思ったからではないでしょうか?


865:考える名無しさん
08/10/09 05:59:13 O
株価没落! しかも世界規模!

なるほど世界の60億人のみなさんもサバイバルモードなんですね。
私一人の不幸に同情していただき共有していただけるとはまさか思いもよらないことで、誠に恐縮の念にたえません。
こうして血で結ばれた私たち人類はいまアウシュビッツ行きの列車に乗っていたりするんでしょうか?
ここは寝て待つとしますか?
復活でも死でも。
それにしても、歴史的動きに巻き込まれるというのは一興でしょう。
私は一人寂しく野垂れ死にするかと思ってましたよ。
私には恐慌なんて効かない!
すでに一人で滑稽にも恐慌に陥っていた!
江頭なめんなよ。

866:考える名無しさん
08/10/09 06:16:22 O
申し訳ありません。取り乱してしまいまして、お恥ずかしい限りですm(u_u)m


867:考える名無しさん
08/10/09 08:26:29 O
恋は創造なのか?
そうなら誰の創造なのか?
人間の生理によるものではないのか?
生理とは一種の法則ではないのか?
メカニズムではないのか?
恋における法則はないのか?
一般的に不細工は恋の対象になりにくいという法則はあるのか?
では恋を創るとするならば、不細工は直したほうがいいのか? ハゲは直したほうがいいのか? 余った脂肪は落としたほうがいいのか?
清潔にしてたほうがいいのか? 話が上手であるほうがいいのか?
五体満足であるほうがいいのか?
健康であるほうがいいのか?
定職があったほうがいいのか?


おお、先験的形式主義者たちよ !!

男は中身だ!


868:考える名無しさん
08/10/09 08:51:15 O
なんだってんだ。

馬鹿といえば怒るような形式的で機械的な人間の感性はメカニズムである。
創造的なもの、芸術的なものは、人間が生理的に先験的形式主義者であるから、 どうしても、ある「生理的尺度」によって認識され、判断され、それと評価されるのである。
黄金比というのもあるが、多少個人差はあるにしろ何が芸術的なのかということは形式的に決まってくるのである。
なぜなら嗜好なんてのは生理的に決まるからだ。
生理はメカニズムであり、形式的なものだからだ。

ぶっちゃけ排泄物だって創造物なんであるが、なかなか排泄は創造、芸術という肯定的な評価を与えていただけないだけである。


869:考える名無しさん
08/10/09 09:24:06 O
頭きた。

創造と排泄を差別する尺度はまず「生理」にすぎない。
あるいはまた「習慣」であり、そして「利害関係」などにすぎない。

本来このレスだって創造とえるはずだ!
どこのコピぺだってんだ! 創造じゃねえか。今までなかったんだ、宇宙の初めから今の今までなかったんだ! 創造じゃねえか。
ただおまいらがこれは駄文だというだけなんだ。

馬鹿らしい。
「創作」というのは人間の生理的メカニズムに合う生成物、あるいは排泄物さ。 人間は先験的形式主義者であり、その好みの形式に合う生成物が芸術であり創作と呼ばれるにすぎないのだ。

私がどれだけ生成してきたことか。
しかし排泄物といわれ創造物とはいわれない。
要するに創作、芸術かいなかというのは生理的感想にすぎんのだよ!


870:考える名無しさん
08/10/09 09:48:55 O
創造者というのはその生成物が、人間の生理の好みによく合っているひと、
あるいはよく合わせることができる人である。

また、芸術は、人間の生理の好みを反映しているといえる。

創造者であり続けるということは不自由なことであり、人類に隷属することである。
で、人類の性というのは変わらないものであるから創作は反復的になる。
しかし敢えて反復を望み、隷属を望むることが自由だというのである。
なんてことだろう。くだらない。シーシュポスじゃないか。
創造者なんて最高のようで最低なんじゃないか?
滑稽ながら頭きた。メカニズムだからね。感情は。
こういうと怒る人が心のクスリを使ってたりするようだ。感情を大切にしてるからね。
だがクスリが心に効くということは、心がメカニズムってことじゃねえの。

871:考える名無しさん
08/10/09 12:50:44 O
しかし馬鹿といわれるだけで怒ってしまうというのは、実におかしなことだ。

どんだけセットされてんだろ。

人間の尊厳といっても滑稽じゃないか。
どうしてそんな自分を誇れるんだろう? あほといわれるだけで、自動的に怒ってしまい不愉快になるというのに。
哀れな。

こりゃおかしいぜ。
わかった。きっと笑うためにこそ誇りとか尊厳とかレベルとか価値とか捏造したのだろう。
対照性とか不一致とかズレとか、そういうのが笑いを誘うからね。

笑われるとまた自動的に怒ってしまいがちなわけだ。
人間ほど滑稽な生き物もいないだろな。
恐らく人間は敢えて人間を滑稽な生き物にしたのさ。
きっと芸人なんだよね。
実態とのギャップを作っていくんだよね。夢を見るんだよね。
大体、人間以外の動物は夢を見るんだろうか? 人間特有かもな。
昨日夢では30万円もらったんだが、現実としては…
ギャップがあれば面白いというわけではないのだろう。
ニーチェの病気なのに自称健康というのはなんだろ。
そうゆう絶望的な実態を捏造により希望に転倒させてしまう私は高尚だし、
そんな自分に哄笑しちゃうんだよねってことかな。

872:考える名無しさん
08/10/09 13:00:14 O
馬鹿といわれて顔をひきつらせねがらも怒りの発現を我慢してる姿もまた面白い。
馬鹿といわれたら反射で怒ればいいのさ。怒ってんだから。
反射だよね感情って。
それを我慢する平常心…。ワロタ。

873:考える名無しさん
08/10/09 13:11:00 O
偽短 おまえ馬鹿じゃん
携帯 おまえが馬鹿じゃん
偽短 馬鹿だな。おまえが馬鹿なんだよ。携帯 いやおまえだって
偽短 (プルプル)どう言われても別に気にしないけど
偽短 おまえ馬鹿だよな
携帯 いやおまえほんと阿呆だな
偽短 腐ってる
携帯 君臭うよ
偽短 何いってんの馬鹿じゃない
携帯 はっ? 馬鹿らしい奴だな
偽短 気にしないって(プルプル シネ
偽短 ほんと駄目人間だな

馬鹿なことさせんなよ! ボケが


874:考える名無しさん
08/10/09 13:16:39 O
大人らしい対話だ。
良い子のみんなは真似しちゃ駄目だよ。


875:考える名無しさん
08/10/09 21:50:30 O
基本的に悪口と定義される言葉に反射して、悪口文例集の中からランダムに選択してレスするようにする。

また類語辞典をインストールしておき、
ある文を入力すれば自動的に語と語を置き換えていき、一見違うようで同じような意味の文を生成するようにする。

日本語がおかしいなど、 日本語《悪口》という形式が登場したら、《開き直り発言》をレスする。

そんな人工荒らし君を作ったら売れそう。すでに稼動中みたいだけど。


876:考える名無しさん
08/10/09 22:52:59 O
くそ、ぴかぁが気合いを入れてきてるな。生意気じゃないか?

なるほどフーコーは重要みたいだ。フランス語…

まあ俺の説ではフーコー用語の「規律訓練」とは「カイオウ拳」を意味するんだがね。
しかも文明の発達とその発達のスピードにカイオウ拳X倍のXは比例する。
この両刃の刃によって自らの体を壊す人間がでてくる。
これがいわゆる「不良」「落ちこぼれ」である。
「不良」という言葉は権力を連想させる。
つまり「規律訓練」は強化でありながら格付けでもあるわけだ。 当たり前だが。
「私」は「落ちこぼれ」である。
この落ちこぼれという象徴表現は適切である。
「規律訓練」により篩い落とされたもの、追放されたもの…
それが自意識である。「私」である。
これは自分の中にギャップ、分裂があることを示している。コギトやらキルケゴールの自己の定義は自己分裂を表現している。
ところで「規律訓練」やら「カイオウ拳」というと肉体的なものを連想しがちだが知的なものである。
知によって篩い分けられ、自己は分裂し、「私」は奈落の底へと沈殿していく。



877:考える名無しさん
08/10/09 23:06:43 O
ぴかぁによると、 自意識はメタ言語の主体、主語であるらしい。
メタ言語というと、「自己超克」を連想するが、これはむしろまずもって「没落」であり、
苦悩の海に浸かる中で、起死回生の変化、捏造が起こり、「没落」が「自己超克」へと転倒するのだ。
ここでニーチェの中では「すべての価値の転倒」 が起こったようだ。
これは、ズッコケであり哄笑すべきものなのである。
キルケゴール的にも、自己の分裂は絶望であり、転倒して希望でもあったと思うが、しかしこれは「死にいたる病」である…
ニーチェ…「死にいたる病」である…w なぜなら死を生へと逆転させ生き生きしたふりをしてるからだ。
これは第一に自分を騙そうとするトリックである。詐欺である。お笑いである。

878:考える名無しさん
08/10/09 23:21:24 O
おかしい!
なぜ俺が売れないのにぴかぁが売れるんだろうか!
私はレベルスリーなんだぞ。信じられん。
まさかぴかぁはレベルフォーだとでも? まさかフォー! かよ。 なるほどフォー!といえねば一発屋としても売れないのかもしれない…
フォー!!
さあ、買ってくれ…

879:考える名無しさん
08/10/09 23:46:14 0
このスレに偽短さんが来た理由とは?・・・ふふ♥

880:考える名無しさん
08/10/09 23:47:55 0
遠吠えに
 怒りの反吐を飲み戻す
      苦渋によだれる犬ここにあり


881:考える名無しさん
08/10/10 00:02:33 O
大体さ、売れる本、文章を書くというのもまた「規律訓練」であり、合わせることになるじゃねえか。
笑わせんな。偉ぶりやがってよ。おまいとかたまたま合ってるだけじゃね…?
SMAPを見習うがいい。合わせてるだろ。
お客様は神様だからな。
しかし売れないということは「落ちこぼれ」じゃないかorz
くそっ、神は死んだ! 神は死んだんだ!!
私の没落はこうして始まった…

882:考える名無しさん
08/10/10 00:16:14 O
ついに私はニーチェ36歳の境地に達してしまった…
糞の味噌への転倒を果たしてしまった! いままで何よりも自分自身が苦その源泉だと思っていた…。
しかし、いまやそれこそが私の生き甲斐となった。
それは生の糧となるお味噌汁となったのだ!
私はむしろ売れないことに価値があると思っている!
ただほど高いものはないと!



883:考える名無しさん
08/10/10 00:32:08 O
私が始めて読んだ哲学書はそう、かの「方法序説」であった!
そこで私を発見した!
おお、15の夏の甘美なる邂逅よ…
それを病気だと? 分裂病だと?
許す! 私は君を許すぞぴかぁ…なぜなら私は…
この運命を愛するに至ったからだ!
私は一層重症になって気合いで復活したからだ! 要は気合いだ! メタメタ言語だ!
こうして私の没落は続いていくのであった…

884:考える名無しさん
08/10/10 00:42:05 O
上手い。まるで芸人のようだ。
流石だ、流石に江頭の弟子だけのことはある。

885:考える名無しさん
08/10/10 01:16:33 0
>>884
こちとらさん、世界は「私」しかいないというのを感じたことはあるかい?
極端な話、「私」だけの世界ということを・・・
ぴかあによれば、「私」とは他者との"差異"によってしかありえない。
デカルト的にそうだろうけれど、私が言う「私」だけの世界というのは、
ある日突然、ある都会の雑踏の中でも良い、自然に浸っている時でもよい、
仕事中のオフィスという空間でもよい、世界にぽ・つ・んといる「私」に奇妙な幸福感というか、
奇妙な感覚のような、音で言えばサティ?いや違うな、そんな言葉で表現できない感覚に襲われる。
すると、世界は私だけになるのよ。
これは「孤独感」とか「"世界は私の表象"」とか「梵我一如」でもない、感覚!
ぴきゃあ!
ついでに、>>856>>860氏は私ではないぞよ。
こちとらさんは私だと思って怒り爆発らしいみたいだが・・・
だが、その内容の君への批判には総じて同意でちゅw
日本語を勉強してください。
では、寝るぞ世。

886:考える名無しさん
08/10/10 02:33:46 O
ぴかぁによるフーコーによると「規律訓練」とは人工的な環境が身体に叩き込むものらしいな。

では近頃の世界恐慌騒ぎも権力による環境の捏造なんだろうか?
だとしたらそれは何の訓練なのか?
どこまで人工的な環境なのかわからん。
あるいはそれは権力に敵対する勢力の発現なのか?
人間には反射的に反抗する性があるのでみんなが仲良しではいられない。
死んでも反抗するほど根強い性がある。
人間の権力には常に逆らう者が続出する。
常に闘争がある。だから安定というのは権力者が連勝してるということだろう。
とすると近頃は現体制の権力に対抗勢力の力が匹敵するようになってきたということなのかもしれないな。

887:考える名無しさん
08/10/10 02:54:13 O
動的な安定が平和なんではないか。
相敵対する勢力の一つが、敵対勢力をぶちのめし身柄を拘束、監禁できている状態。
「規律訓練」というのは自衛のための先制攻撃ともいえるだろう。
我々をそれを喰らい続けねば飯を食えないのだ。
だからひきこもりやニートは問題なのである。
「規律訓練」を受けない人間が生存できるということは、監獄に亀裂や抜け穴ができてしまい脆くなっているということであり、
体制の崩壊の兆しかもしれないからだ。

888:考える名無しさん
08/10/10 04:59:31 O
ぴかぁ氏のように出世しようとする意志を持つことは大切ですね。
死に至る病にかかってズッコケてしまったニーチェは危険ですが、
ドイツ語の教材およびゲームとしては割と面白いとも思います。
哲学は何か危なっかしいからといって日本文学の一流どころを勧めるのはまた死につながる危険な面も多々ありそうですので、
情報が反乱するなかで子供を逞しいよい子に育てるにはどうすればいいのかというのは難問ですね。


889:考える名無しさん
08/10/10 05:16:29 O
そこで「規律訓練」といいたいところですが情報化というのがおそらく、
「アンチ規律訓練」なるものなんではないでしょうか?
「規制緩和」が取り立てられていたかと思えば「規制強化」が主張されたりしています。
「IT」、「情報化」、「国際化」、「情報公開」とうたわれていたかと思えば、やはり「閲覧規制」などが主張されてきます。
現代は秩序と混沌の闘争の時代なのでしょうか。

890:考える名無しさん
08/10/10 05:53:32 O
多くの人がズッコケ始めるとどうなるのでしょうか?
えらいことになりませんか?

まず「落ちこぼれること」は死に至る病に至る病といえるでしょう。
というのもキルケゴールやニーチェは身体的に落ちこぼれてたわけですけど、
身体的な「規律訓練」によって「落ちこぼれる」ということは、身体的に落ちこぼれることでしょう。

ですから秩序と平和を守るためには「落ちこぼれ」を出さないということが大切です。
しかし「格差が何が悪い」、勝ち組負け組等々、落ちこぼれて何が悪いという風潮になってきております。

どうも自然に還れといわれてるようで「規律訓練」型の権力というのはすでに虫の息なんではないかとも思えてしまう時もあります。

それとも規律訓練の形態も情報化したんでしょうか?
システムによって規律訓練されてるとも思いますね。
例えばここにも8レス制限というのがあります。


891:考える名無しさん
08/10/10 07:45:37 O
困りますね、ダウが8500ぐらいにダウンしてますね。
ちょっと見たことないような低さであります。
追いかけるようにして日経平均も8500を切るんでしょうか。
これは混沌としてきましたね。稼ぐ人はこうゆう時かせぐんでしょう。
凄まじい力が荒れ狂っているかのようです。
どうなってしまうのでしょうか地球は…


892:考える名無しさん
08/10/10 08:38:44 O
「バッハのすべての作品はどうにもふみ外しようのない徹底した節操をもって、
あらかじめ規定されている軌道をばく進し、追求します。
この点において、彼は何か或る機械に、或る時計仕掛けに、もちろん自然という手によって造られた「生命のある」時計仕掛けに似たところがあります…」 (フルトベングラー 音と言葉 新潮文庫)

忘れてましたが何年か前に間違いなく読んでましたね。
堂々とパクッてました。
私の無意識的な記憶力はなかなかですね。
私の考えというのはほぼパクリかもしれない。
すなわち、みなさんは私を馬鹿にしないほうがよろしいということでしょう。
みなさんより立派な人の意見を馬鹿にすることになるのかもしれませんからね。

893:考える名無しさん
08/10/10 13:50:02 O
病気と健康の関係…

実は病気といわれるものの中には健康への意志の現れであるものもありますね。
体を治そうとして体が頑張ってる状態でも苦しくなるわけです。
ニーチェのかかっていたのはその種の健康への意志としての良性の強烈な病気だったという可能性もあります。


894:考える名無しさん
08/10/10 19:15:27 O
「ニーチェは音楽家としては、晩年の日においても、その端初の日と少しも変わったところはありません。
いつもワグネリアーナーだったのです。そうであってならぬわけはどこにもありません。
芸術に対する根本的な関係においては、―それは我々の性格の意識下に属する何ものかであって―
たとえその他のものがどう発展してゆこうが、こればかりは全生涯の行程に沿って変わるものではありません。」(フルトベングラー 音と言葉 新潮文庫)


895:考える名無しさん
08/10/10 19:52:23 O
ところで学者とか評論家とか公の場で語る人は、
どこかで見聞きしたことをあたかも自分の発想、考えであるかのように思ってしまうような記憶があやふやな人間では、
駄目だしされますよね。
パクリやら馬鹿やらと。
ちゃんと引用したりしとけば、同じ意味の話でも無教養な人から易々と馬鹿だと退けられることもないだろうし、
識者としての信用を落とさずにすむわけです。
整理された正確な記憶力というのは公の場で語るための基本ですね。
果たしてぴかぁにそんな正確な記憶力があるのでしょうか?
嫉妬はしてないです。ただ心配なんです。
あまり調子に乗ってしまうと基本がおろそかになるかなと。
もしかしたら記憶容量に関しては個人差はあまりないのかもしれませんね。
人は見聞きしたことは大体記憶するに足る記憶容量は備えている、
いわばHDの容量は変わらないといえる気がするわけです。
ただOS、データベースなどのソフトウェアの差があるんですね。


896:考える名無しさん
08/10/10 20:00:51 O
ちなみに「君が心配だ」とかいいますけど、
大抵これは「君が(私に迷惑をかけるのではないかと)心配だ」
という意味で使われます。
しかし私はそんなトリックを使うような人間ではないのです。
正直すぎる哲学徒ですから。


897:考える名無しさん
08/10/11 01:10:50 0
>>896
>大抵これは「君が(私に迷惑をかけるのではないかと)心配だ」
そうだ。大抵は、まあ世間やらなんらやの丸めようとする折に発する言い草だ。
でも必ずしもそうではない。それは打算的人間の打算を隠蔽する小細工なんだよ。
私は最近、生理学を勉強している。
文学は短歌を時折したしむのみ。
こちとらさんはピアノ弾けるでしょ?
カルメンの編曲サイトあったから楽譜もDLできたはずだ。
ぜひ弾いて、UPしてくれよ!

898:考える名無しさん
08/10/11 03:24:07 O
なんだかわかりませんが、ぴかぁ氏のブログを見て思うのですが、
「デカルトの病気」が徐々に感染していったのであり、19世紀あたりからヨーロッパのインテリたちを席巻する重大な問題に発展したといえるでしょう。
そしてそれは現代に至り、通俗的な問題にまで発展したということですね。
精神の近・現代病といえます。
その名は…「自意識」

ドストエフスキーやブログ・日記などが巷で流行りだしたのもその症状ともいえますね。

果たしてニーチェは自意識病患者を健康へと導く灯台なのでしょうか?

私は多少快癒してきたとも思ってますが、まだ発作がおこりますね。
私の治療を妨げようとする人がいるもので。
それも逆に治療に貢献しているのかもしれませんね。





899:考える名無しさん
08/10/11 04:03:08 O
ぴかぁが出世してきましたので、私もつられて出世について考えるようになりました。
出世を狙うということは快癒の兆候ではないでしょうか?
それはおいときまして、論文でもエッセイでも小説でも詩集でも音楽でもです、
自分の作品を売るには営業が必要ですね。
まず営業販売を人にお願いしてやってもらい、自分は作品づくりに集中するというスタイルがあります。

また昨今ではネット経由で宣伝直販というスタイルを取ることも可能ですね。
これは前者のスタイルをとる人に比べて不利でしょうが。

前者のスタイルを取る場合の心構えを考え出したいと思います。

Aさんに営業販売を委託され承諾した企業は、AとAの作品に投資をすることを決めるわけですね。
ビジネスですから、社長などの理想に合う作品でないかぎり、
少なくとも初期投資を回収できる見込みがなければいけません。
ですからAさんが無名で人気がないならはデビューはなかなか難しいでしょう。
しかし出版社などの企業は出版しないわけにはいかないです。
しかし新人は投資リスクが高く敬遠せね
ばならない。しかし誰もが初めは新人であり、新人も起用していかねばならない。

900:考える名無しさん
08/10/11 04:20:33 O

ですから新人登用のリスクをいかに下げるかということが問題です。
つまりAさんは非常な才能に恵まれてないかぎりは、
自分に対する投資のリスクを下げる努力をするべきなんですね。


たとえばぴかぁ氏は人生の秋になったら自費出版でもしますとかいってますが、
哲学書の場合はそうなってしまうのかもしれませんが、
彼はブログ歴がながく、知名度、人気ともに着実に上がってきているはずで、
すでに彼は自分に対する投資リスクをけっこう下げてるんです。
いずれ出版社のほうから

901:考える名無しさん
08/10/11 04:32:24 O
いずれ出版社のほうからオファーがあるかもしれないですね。電子出版もありますし。

ともかく、自分に対する投資のリスクを下げるという営業面の努力も大切ですね。

ショーペンハウアーやニーチェでも自費出版してたと思いますが、今は出版は容易になってきてますので、
それで出版物のレベルが下がるというのはありますけど、
凡人でも積極的になってもいいんです。
私はまだレベルスリーですが、
レベルフォーにでもなったと思ったらエゴイスティックに営業させていただきます。
この経済危機を乗り越えることができたらの話ですが。

902:考える名無しさん
08/10/11 04:37:47 0
おぃおぃw
一体誰だよ!
あんなイロモノうんこ引き合いにだしてこのスレ汚物化してんのは!!!

おまえか、おまえか!
それとも俺が汚物か?
そうだ、俺が汚物だ!
おし。そこのおまえ。
俺の名を言ってみろ!
    ↓

903:考える名無しさん
08/10/11 06:54:44 O
まあ作品の投稿サイトは新人登用のリスクを下げるために開発されたシステムといえるでしょうね。
いやはや審査員が消費者なんですから、画期的です。
ブログでもランキングがありますけど。

どうも新人発掘という面倒な作業を自動化してくれ、もううんざりだというような需要があったんでしょう、
新人発掘作業の自動化が進められてるんですね。
ぴかぁ氏は今、デビューの候補者なのかもしれないですね。

904:考える名無しさん
08/10/11 08:25:53 O
なるほど、ぴかぁ氏は、著名ブロガーに選ばれて、まなざしを意識したわけですね。

今まではまさに趣味という感じで、ともかく自分がわかればいい、わかる人はわかりますね? という態度を示していた気がします。
それなりに面白いことをいってるなとは思ってましたが、わかりにくかったと思います。

多くのまなざしを意識することで、彼は自分の思考に説明をつけ加えるようにしたんですね。
それで自分と同様の教養をもっていなくてもわかるようにして、彼の意識の中で対象となる読者層を広げたんですね。
今までなら彼の頭の中で前提として飛ばされてきたような事柄まで記述する手前をかけるようになったようなんですよ。
理解を助けるために記述を詳細化するだけでなく丁寧に注意深く記述するようになったんですね。
多少先生としても振る舞うようになったわけです。先生といっても丁重ですが。
これによって読者からしたら何か飛躍した感が出てきたと思うんですが、彼としては面倒になったというだけかもしれないですね。
そんな仕事のような労力を払うのは厄介なんですが、ボクの文章を読みたいという人が増えるなら多少はボランティアする気にもなってしまうんですよという感じでしょうか。


905:考える名無しさん
08/10/11 08:53:20 O
しかしデカルトのコギトが自意識というのは、ちょっとしたコロンブスの卵ですね。
いわれてみればなるほどという感じですが思い付かなかったですよ。
色々つながった気がしますねこれは。

どうなんでしょうか、ニーチェの人生の冬、36歳あたりで、拷問のような苦しみの中で、彼は転倒したというか、
なぜか快癒したといいます。
それ以前と以後のニーチェの自意識にどんな変化があったのかというのが気になります。
ソクラテス主義に反発してたのもあり、ニーチェは自意識を嫌っていたのではないかと思います。
「この人を見よ」でも彼は自分について語ることを習慣と本能的な誇りに反逆することだと始めに言ってますが。
ニーチェというのはまず自意識に挑み、ぶったおしたのだともいえそうなんですよね。
彼のいう「健康」…というのがですね、肉体的「拷問」のなかで目覚めたとすれば、それは肉体的なものとはいえないと思います。
その後、ツァラトゥストラに理性とはなんだろう、惨めな安逸ではないかと言わせています。
ならばこの「理性」というのは、デカルトのコギト〓自意識を意味するんではないでしょうか?

906:考える名無しさん
08/10/11 09:45:28 O
ソクラテスは相手に「汝自身を知れ」と裏でニタリとしながら迫り、そして「産婆術」とかいって、
自分の思想を相手に編み出させたというようなイメージもありますが、
一体どうなんでしょうか、「汝自身を知ること」と「自意識」の関係は?
ソクラテスが処刑されたのも人に「自意識」という病を押し付けたからだといえるのでしょうか?

ぴかぁ氏の認識では、たしか自意識とは動的な環境の圧力から逃れるための言語的な構造、装置、シェルターみたいな話でしたか。
病気とはいえ、治療であり自己保存のためのものみたいです。
恐らくニーチェの認識では、それは「惨めな安逸」であり、生の減退やらデカダンスです。
彼はそれから抜け出した。拷問のなか抜け出さねばならなかったのかもしれないですね。
自意識という保護装置が生命力を低下させるという認識があったのかもしれないですね。
ソクラテスを中傷したのだし。


907:考える名無しさん
08/10/11 09:48:07 O
また彼はドストエフスキーを評価してますが、「地下室の手記」で「自意識は病である」という認識を持つ男がやたらはりっきっていますので、
その男にニーチェは自意識からの「快癒」を認めたのではないでしょうか?
自意識が新環境の圧力からのシェルターならば、
地下室のような閉じた空間では、
自意識はいらないわけです。
そこで地下室でその男は自意識の砦から抜け出して快癒し、自意識を病だと認識して、生き生きしてる…というわけなのではないでしょうか。


908:考える名無しさん
08/10/11 10:11:29 O
すると、笑ってはいけませんが、地下室は「ひきこもり」の部屋を、その男は「ひきこもり」を象徴してるともいえます。
(フフ
いけませんね、また発作が… フフフフ
耐えました。括弧に入れておきました。フフ)

私がいいたいのは、何故に「ひきこもり」は「ひきこもり」なのか、ひきこもるのかということです。
それはすなわち、「自意識」という病の治療のためなんではないかということです。
「ひきこもり」とは「閉じられた部屋」≒「地下室」に籠もることで、「自意識」という砦を無用の長物となし、
地下室の住人のようにやたら生き生きとしたいという本能による社会的な問題行動および問題のある人のことなんではないかと思うわけであります。



909:考える名無しさん
08/10/11 10:27:54 O
「ひきこもり」とは「閉じられた部屋」≒「地下室」に籠もることで、「自意識」という砦を無用の長物となし、
地下室の住人のようにやたら生き生きとしたいという本能によって喚起される社会的な問題行動、
またそのような問題行動をしでかす人のことなんではないかと思うわけであります。

ちょっと訂正しました。まだ変ですかね。
念のため言っておきますが、これは自己紹介ではないです。
それにまた別にぴかぁ氏のことを暗示してるわけでもないです。
あくまでひきこもり一般の定義の試みなんです。


910:考える名無しさん
08/10/11 10:39:11 O
パンツw
実態の割にはやたら生き生きしてたみたいですね彼は。
そして自己軽蔑がありました。
いけませんね犯罪予告は。
ドストエフスキーは犯罪者を健康だというような問題発言をしてましたが。
いけない! 発作だ!
偉大なる8レス制限よ、私の親指を封じてくれ!
私の出世に手を貸してくれ!

911:考える名無しさん
08/10/11 11:12:54 0
>>908
>すると、笑ってはいけませんが、地下室は「ひきこもり」の部屋を、その男は「ひきこもり」を象徴してるともいえます。
どう考えてもそれしかないっしょ。
そもそも、あの住人が「地下」という象徴、例えを用いているのは、自意識苛まれている精神状態やら、
そこから見る社会と自己の乖離のことも掛けている自虐なわけですよ。
彼自身が、ペテルブルクのアパートを借りて、その物理的な空間という地下室に住んでいるわけではないと思うよ。
太陽も見るし、雪(ぼた雪!)も見てるはずだろうけど、彼が自意識に苛まれて他人との交流を絶っていることが地下なんだから。
(シーモノフとその仲間とダニのような使用人とリーザあたりだろう。関係は。)

>「ひきこもり」とは「閉じられた部屋」≒「地下室」に籠もることで、「自意識」という砦を無用の長物となし、
>地下室の住人のようにやたら生き生きとしたいという本能による社会的な問題行動および問題のある人のことなんではないかと思うわけであります。
同意。さすが地下にすんでいなくても、世間を絶っているだけある。こちとらさん。
ただし、それを解っても、ここに来ることで自意識病が悪化されては・・・とは思う。

>ドストエフスキーは犯罪者を健康だというような問題発言をしてましたが。
一度「死の家の記録」を読んでみたらいい。健康というのは、犯罪を犯すことを健康と賞賛しているわけではないよ。


912:考える名無しさん
08/10/11 11:48:30 0
「自意識」やら、漠然とした「恐怖」やら「羞恥」やらを、住人のような
自意識過剰でなくとも、一般の人でもよく垣間見る。
例えば、私らの世代で子供あたりと接する時に、漠然と苦手を覚える人いる。
たぶん、何か自分の底を見据えられる恐怖なのか?
あるいは、純真なものと、原始性や子供心や純真さを彷彿とさせられて、
大人として自分を蹂躙してきたことを相対的に感じてしまうからでは?
と思う。だから、幼児のまま育った人間はそれを感じない。
または、自意識が少ない大人はうまく子供を手懐ける。
こういうどうでもよい部分を、どうでもよくないと考えてみることで、色々くみ出せる。


913:考える名無しさん
08/10/11 12:40:20 0
文章構成としては、イロモノうんことそっくりだ。
いや、読んだ事ないけど、多分同じ。
「読まずに解るか!」いや、解るね。
っつか。


なんだかイキナリ暇になっちまったな、精神的に。
じゃ。

914:考える名無しさん
08/10/12 01:18:18 O
私は読んでもわかってなかったようです。
まだわかってないです。

ぴかぁ氏によると、
主体は環境を言語で( )に入れる…(環境)
環境を()に入れた主体がコギト≒自意識。
この主体は無意識的な言語的構造の支配下にあるということですかね。
まあいいです。

私は、自意識というのは主体が環境をヒッシに語ることで言語の盾、砦、主観的世界観を築き上げ、
主体自身を言語的な構造のなかに幽閉し、環境による圧力から、己自身を閉め出したものことだと思いましたね。
要するに笑ってもいいですが「ひきこもり」なんだと思いました。
だからといってこれは自意識の発作ではなかったのですが。
デカルトをひきこもりと一緒にするなと罵声が聞こえてくるようであります。
いやはや、ひきこもりというのは懐疑というよりは確信、信念、偏見で構成された閉じた世界の中に閉じ籠もっているイメージがありますからね。
貴様はコギトがそんなひきこもりのような確信、信仰、偏見だとでもいうのかとそんな声が聞こえてくるようであります。
どうですかね、まあ両者共にその自我が環境によって緊張や不安に苛まれているといえるでしょう。
そして言語的に「私」を安定させようとするのも共通してますね。


915:考える名無しさん
08/10/12 01:26:20 O
デカルトの方法的懐疑は信念のための懐疑だったとはいえないのでしょうか。
私を確立するためのです。
環境の動揺、変化に伴って、揺れ動き動揺する自我を安定させ、確立するためだったとはいえないのでしょうか。。


916:考える名無しさん
08/10/12 02:08:51 O
ひきこもりはおいといて話を進めますが、
デカルトの病、発明ですね、これはソクラテスの18番「汝自身を知れ」に由来しているのかもしれませんが、
これに反抗し治療しようとした人としてニーチェを挙げることができるのではないかと思うわけであります。
ニーチェはワグナーの強い影響を受けていますから、ワグナーもまたそうだったと推測できます。
それにしてもニーチェは「ワグナーの場合」でワグナーを貶めるわけですが、
だからといってワグナーがデカルトの病を治療しようとしていなかったとはいえないでしょう。
結局治らなかったのだともいえます。
しかしワグナーの創作が影響力を強めていたんですね。
恐らくニーチェは「曙光」以来、デカルトの病を克服したんですが、
そんなニーチェにとって恩師ともいえるワグナーを敢えて攻撃せねばならなかったのではないでしょうか?
そんな悲劇として私は「ワグナーの場合」をこれから読もうかなと思いますね。
悲劇でしょうよこれは。
ニーチェの煮えたぎる心情の怒号、荒れ狂う血の飛沫が私にはありありと見えるんですから。
そう、読んでないのに、わかるんですよね。
さて…

917:考える名無しさん
08/10/12 02:12:57 O
大体、「悲劇の誕生」が半ばワグナーのの思想だといいますし、ワグナーは悲劇作家でもあるわけです。
つまりワグナーにしてみれば、よくやったということになるでしょう。
これは、ニーチェの考えでもあります。
師を信じ、失って、己を見だし、否定する者のところに師は帰ってくるというような。
これはワグナーとニーチェの関係を物語ってるのだと思います。
としますとこれはよくありそうな親父と息子のような関係ですね。

さて…

918:考える名無しさん
08/10/12 02:52:57 O
いきなりかっこいいですね。シックザール☆彡次の文はなかなかイケメンではないでしょうか?

Wagner den Ruecken kehren, war fuer mich ein Schicksal.

これをイケメンに邦訳することはできるのでしょうか。 やってみましょう。

私にとってワーグナーに背を向けるということは、一個の運命であった…

私にとってそれは運命だったのだ、ワーグナーに背を向けるということは…

私にとってそれは運命であった、ワーグナーに背を向けるというそのことは…

いまいちですね。

919:考える名無しさん
08/10/12 03:33:25 O
残酷な環境((((ひきこ゜д゜;こもり))))腐敗した環境


920:シレノスの哲理
08/10/12 13:20:21 0
ここにぴか~氏がいたとはな。

921:考える名無しさん
08/10/12 22:33:39 O
>>919

ひきこもりとは何だろう、惨めな安逸ではないか?

922:考える名無しさん
08/10/12 23:34:06 0
ぴかぁ~


923:考える名無しさん
08/10/13 00:02:10 O
デカルトが「環境を俯瞰する視点」を持っていたとかいっても、それは神のような超越的な視点ではないですからね。
あくまで人間の視点です。
では如何にしてデカルトにコギトが生じたのか?

環境は「規律訓練」を課すといえます。
では環境Aに住んでいたkさんが環境Bに移動したとしましょう。
すると環境Aの規律訓練A’を身につけていたkさんは、
環境Bで規律訓練B’を身につけるように圧迫されます。
ぴかぁ氏にしたがえばそれはいわば右利きの人が左利きになるように迫られるようなものなのでしょう。
あるいはキーボードの配列が変わってしまうよなものですね。
そうすると、Aではブラインドタッチでスラスラ入力できていたのが、
Bでは初心者より下手になってしまう。
子供だってそんな下手な真似はしないという状況になる。
このような移動を繰り返すと、超越的な視点を持つどころか混乱してきます。
kさんはカフカの「城」や「審判」の主人公kのようになるんですね。
「城」にkは測量師としてきましたがわけもわからないうちに実際にはある学校の用務員になりました。
わけのわからない話が延々と続いていくんですね。
彼は住民になれないし城に近づくこともできない。


924:シレノスの哲理
08/10/13 00:18:35 0
やっぱり、ぴか~氏じゃないか。

925:考える名無しさん
08/10/13 00:25:20 O
ではkは一体何者なんでしょうか?
kの環境は不可解なんであり、kは鳥どころかみみずのように地を這っている。
kは新天地であれこれ忙しく動き回ります。しかしほとんど物事は進展しないのです。
無駄なんです。疎外されています。
何もよくわからない…懐疑…無知の知…
このように環境から閉め出された状態になり、デカルトはコギトを発明したのではないかと思います。
そうしますと環境を括弧に入れるべくもないと思いますね。
むしろ環境を見失い喪失したといえます。身体的な環境をです。
そうなると志向性をもつ意識は自意識となるでしょう。
すると環境を言語的に捏造していく。
というのは環境なしの自意識というのは恐らく精神的な拷問になるからです。


926:考える名無しさん
08/10/13 00:27:24 0
日栄は脳梅毒でした。
ですから脳梅毒から派生する作用として日栄は脳の活性化を得たのです。
活性化した脳を得た日栄は規律訓練をその思想の中心に据えて展開していきました。
日栄の規律訓練とは自己自身に課したものです。


927:考える名無しさん
08/10/13 00:50:26 0
無駄に、黒い模様が重なっているようだが、
これどんな新手の荒らしなんだぃ?w

928:考える名無しさん
08/10/13 00:52:04 O
ニーチェは全ての価値の転倒を試みたようです。
「神は死んだ」というのはキリスト教に立脚した世界観に依存している人々にとっては、
天地がひっくり返ってしまうようなとんでもない話です。
とはいえ
科学的世界観が浸透してきていた情勢からして受け入れ体制が整ってきていたのでしょう、ニーチェは殺されませんでしたね。

彼が価値の転倒を試みるに何故キリスト教は槍玉にあげられたのでしょうか?
キリスト教の世界観は先の「言語的に捏造された環境」だったからでしょうか?
ニーチェにはキリスト教が「身体的な環境」≒大地から人々を引き離し、生を退廃させているという認識があったのでしょうか。
ソクラテスやプラトンに対しては、人々を懐疑、無知の知、自意識に導き、超越的な世界観を与えたという認識があったのでしょう 。
どうもフーコーの「規律訓練」はニーチェの「大地」に由来しているといえそうなのであります。


929:短パン
08/10/13 00:58:51 0
読む気ない。って言ってんジャン?
学習能力ないなぁ・・・w(死にてぇの?)

んじゃ、とっとと巣に帰ってね★バイバイ


はぃ。引き続きニーチョをドゾー。
      ↓

930:考える名無しさん
08/10/13 01:36:36 O
ニヒリズム…

「城」のkはやることなすこと意味がないですね。
身体的な環境を失っており、何やっても無駄なんですね。
そうゆうニヒリスティックな状況が自意識の生じる必要条件でしょう。

ですがこのkには活気がありますね。
これはドストエフスキーの描く地下室の男にも似た何かがあります。何かがあるといっても活気のことですが。
これはカミュのシーシュポスの神話、そしてまたニーチェの永遠回帰 ―徒労、無意味なことを永遠に反復することをさえ欲するほどの意志の強さへの畏敬、崇拝―と似ています。
似て非なるものですと? つまらない連想で邪魔しないでいただきたい。

似て非なるものといっても似ているんです。
彼らはまず自意識の病に陥ったのでしょうが、
何かが起きて自意識を克服し、活気を取り戻したのではないかと思います。

カフカの「城」は未完であり、カフカの意向は出版するな死んだら燃やしてくれというものだったと思いますが、
たしか友人が作者の意向に反して出版したんですね。
ですから何か問題があるのでしょう。
危険性を認識していたといえるかもしれません。
ニーチェは確信犯で危険性を認識していた。「ワーグナーの場合」でこのように語ってます。


931:考える名無しさん
08/10/13 01:43:45 O
…ドイツ語…誤読してました。
ですから、つ、続きはないです…。
お休みなさいorz


932:考える名無しさん
08/10/13 03:17:25 0
>>626
君は、そもそもファウストとか、エッカーマンとの対話とか、
ウェルテルの悩みとか、親和力とか読んだ事あるの?
あとは詩。
そんな当時のドイツ文化とそれに対してゲーテなりに挑みかかった姿勢があって、
それに影響受けて思索したニーチェなりの何かしら抱いたゲーテへの印象やら、
ゲーテがやろうとしていたこと、なしえたことに対してニーチェの感想・寸評だろう。
そもそも、「どういう意味ですか?」なんて聞いてどうするの?
概念的にそんなものを聞いて、例え答えが返ってきても、それで何か意味あるの?
極端な話、学問馬鹿なんだよ。
君には、書物禁止令出す。自分で体験したものから、考えを汲みだせよ。
歴史の年号覚えるような読み方しかできないから、いつまでたっても馬鹿なんだよ。


933:考える名無しさん
08/10/13 03:25:22 0
>>745
>ニーチェが
>死ぬ前に、私はナポレオンだったとかいろいろな有名人が出てくるが
>それは永劫回帰により、私と同じような人はいたということでおKなんかな
これまたあほな意見だ。
そもそも似非永劫回帰説上で考えても、ナポレオン以前、有史以前、人類以前の有限の宇宙の
繰り返しとしてのものだろ?
(それとて、馬鹿げた話だがね。)
それで考えても、有限の宇宙での生命体の発生とその後の歴史の発生と人類の一粒のナポレオンはナポレオン。
ニーチェはニーチェになるだろう?
あれは、ニーチェが自分の思想の中に流れている血縁性を感じて述べたことであって、
永劫回帰とは関係がないし、そんな視点で「この人を見よ」を読んでいるなら、
手首切り落としたほうがいい。
お前、TVだけ見ていろ。





934:考える名無しさん
08/10/13 03:34:25 0
>>747
丸山圭三郎氏は大層まぬけな学者(教授)だな。
忘我・恍惚に至るほど叙情豊で、自分の哲学の深さを理解されなかった
孤独なニーチェの晩年の取りつかれたような自伝の中での哄笑的な語りの中に
出てくる自分の思想の血縁性やある部分のたとえとして用いている表現すらも、
そんなくそ回帰説的観点でよまれちゃ、本人が悲しいだろう。
所詮、丸山から聞いたニーチェであって、ニーチェ自身から聞いたニーチェではない。
情報のための情報に操られた現代人の閉塞感の典型みたいな人間だ。
一度、反時代的考察を読んで、挑みかかろうとする彼の姿勢の凄みを触れてみればいい。
お前のような姿勢の人間も、大学も教授もほとんど不要になる。

935:考える名無しさん
08/10/13 03:59:46 0
「上々かい?」
「多分、上手くいっている」
「ほう? 最終目的は?」
「特にない。だたし、水面下で進行しているのは確かだ。」

936:考える名無しさん
08/10/14 04:16:45 0
>>932もういいんだよ。
答えれないなら強がるなよ。
ニーチェとお前のボロがでるだけだからな。
西尾はじめニーチェヲタってこの程度のやつばっか

937:考える名無しさん
08/10/15 22:30:12 O
ぴかぁ氏は「夢をみろ」と社会がいうといいます。
創造性がもてはやされるからでしょう。
それに夢とは意識と無意識との交信といえるようです。
要するにぴかぁ氏によると創造性とは夢を見る能力といえるのではないでしょうか。
すると殆ど誰にでも創造性はあり、
その能力に差はあまりないと思われます。
しかし創造性豊かだといわれるのは夢を現実化できる人です。
男は中味だと江頭は体で主張していると思われますが、現実はどうなんでしょうか、外見が非常に重要でしょう。
現実的には形式が重要なのです。恐らく中味も形式だからです。
ぴかぁ氏によるラカンによると無意識まで形式的なものみたいじゃないですか。
果たして「語りえぬもの」とはなんでしょうか?
非形式的だとされる感情、人情が語りうるならば。
自然でしょうか? そうかもしれません。
私は出世を狙っていますので道を歩きながら自然を言葉で描写しようとするのですが、こりゃかなり無茶ですねと思うわけです。
ともかく、夢を形式化できる能力が大切です。
そこで思ったのですが、ネット上に溢れる妄想、夢の数々を加工して形式的に綺麗に整えれば創作になるはずだと。
これはネタ切れなどで困りはしないなと。


938:考える名無しさん
08/10/15 23:13:52 O
そういえば夢を食べる妖怪がいると聞きます。
いっぱいいるんでしょうね。

ところで、近頃の私は形式にも心があると思うようになりました。
否、三度否! 形式にこそ心があるとそう思うようにもなりました。
ですからこれは音楽と数学の才能の開化なんではないかと妄想せざるをえないのです。
形式は虚しいものではなかったのか?
しかし形式主義者であって初めて、「語りえないのもの」に出会うに違いありません。
アンチ形式主義者であっても、真のアンチ形式主義者ならば現実的には形式主義者でなければならないでしょう。
形式によって、想定内の非形式的なるものを濾過するのです。
バッハの音楽というのは、まさに形式によって非形式的なるものをあぶり出しているのではないでしょうか。
バッハは芸術のお手本といえるでしょう。
芸術は現実的には形式的なものです。
その網によって、非形式的なるものを抽出する機構なんではないかとも思います。
あるいはやはり形式に非形式的なるものが内在しているのでしょう。
不完全性定理というのもありますし。

939:考える名無しさん
08/10/16 04:13:11 O
ショーシャンクの空にという映画、及び、その原作をみてみますと、
ニーチェ36歳の快癒のイメージに多少合うと思いますね。
ですが牢屋からでた後の著書「曙光」で彼はすでに、敢えて牢屋に戻っているといえるでしょう。
彼は檻の中のハムスターのように、走り続けることを選んだんですねきっと。


940:考える名無しさん
08/10/16 13:43:56 0
キーワード【 尾崎 人間 永劫 短パン ニーチェ 魔王 哲学 】
3番目が一番聞き飽きた。




941:考える名無しさん
08/10/16 18:26:30 0
未来永劫意味運知っちっちまんちんちーん!

っぷりっぷりっぷりっ・・・・

942:考える名無しさん
08/10/16 23:10:06 0
ニーチェが馬を助けたって本当か?
ガッカリだよ。所詮こいつも元来の道徳の鎖から逃れられなかった負け犬か

943:考える名無しさん
08/10/17 01:10:39 0
こんちきしょうめが、これなる青二才め!これよりチェルケス女をたぶらかしに参りますとさ!
「リーザ。あのばいため。出してもらえないのさ・・」"うう、やなこった!"
(でなっきゃ、奴らはよっぽどの木偶の坊だ・・・)コモ湖畔の舞踏会どころじゃない!
いいかい、リーザ、世界が滅びようとも、茶が飲めればそれでいいのさ!
愛すべき将校君、今は誰を踏みつけているのやら・・・
「美にして崇高なるもの」のために乾杯してやる。(でも、僕は僕は"完敗"している。でなっきゃ、
自意識が病だと誰が言える?)
「だた手を拱いているのが退屈だったというそれだけのことにすぎない。」
「愛を闘争意外と考えてことはない。制服の後、う始末していいやら、困るしだいだ!」
"うう、やなこった!"
by 住人の手記より
うん、私は地下の住人に惚れたね。彼は世界一醜悪な感情から、笑いを生み出す。
「人間だけが苦悩しているので、笑いを発明せざるを得なかった・・・」

とりあえず、3回目読破。もう口調も染み付いた。
「こんちきしょうめが・・・」「水晶宮も鳥小屋も同じだ!」

944:考える名無しさん
08/10/17 01:34:24 0
勝手な推測だが、「地下室の手記」の著者ドストエフスキーは、
"手記"と言っても、全てが原体験だとは思わない。
初めに、「言うまでもなくフィクションである」と言っているし、
芸術家は実際にありうる人間の本質から事実のように書いて、読者を共感や感動や
苦痛をさせるからこそ、芸術家なんだから。
しかし、ドストエフスキー自身が、あそこまで想像を膨らますほど、自意識に苛まれていたんだろう。

以上、閉廷。

945:考える名無しさん
08/10/17 01:50:50 0
カラマの尋問を受ける際の描写で、尋問官の指輪を気にするところが
妙に現実的だった。
ドストは、処刑寸前に特赦が降りた経験があると聞いて、さらにリアル
な感じがした。

946:考える名無しさん
08/10/17 06:23:01 O
私たちはいろいろ日々色々と創造しています。
新しいものを生成している。
しかし創造的、創作といわれるものは限られています。
そしてそれらは主に夢(妄想)を加工し小綺麗な形に整えたものだといえる気がします。
創作は夢を媒介するものです。
そういえばユングは普遍的無意識という概念を編み出したようですが、
要するに、夢というのは、その普遍的無意識に通じているので、
夢を形にした創作は広く受け入れられるのだと思います。
数々の創作は互いに似ているので、いわば生物のように遺伝子を持っているといえるでしょうけど、
これも創作の素材たる夢が普遍的無意識に通じているからでしょう。
精神的にも、遺伝子のように各人に殆ど共通する機構が、私たちを根本から支配しているといえるのでしょう。
恐らく、この根元的な生命体を比較的写実的に表現しているのが数学や音楽なのです。


947:考える名無しさん
08/10/17 06:33:40 O
とすると他人が記述した妄想、夢をパクるのはパクリには当たらないはずであります。
なぜなら、妄想、想像、推理、伝説、神話、夢などは普遍的無意識の現れであり、
非個人的なものですから、私的所有権を主張することはできないはずだからです。
とはいえ、「いろいろ」と「色々」などのように双子のように似ていては、似て非なるものであるといっても断罪されるのが現実ですから、
多くの創作家はパクリの罪を重ね合わせることで罪をかいくぐります。
いわば、パクリはゆるされないが性犯罪は許されるわけなんです。
優秀な遺伝子を混ぜてしまうんですね。


948:考える名無しさん
08/10/17 12:55:23 0
>>945
内心は現実体験でも、現実体験+想像による創作でもどっちでもいいと思いました。
それだけ描写力が現実的なんですよね。




949:石垣眞人
08/10/17 14:44:34 0
「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
URLリンク(makoto-ishigaki.spaces.live.com) にアクセスしてください。

950:考える名無しさん
08/10/18 04:32:38 0
ふあ~

951:考える名無しさん
08/10/19 13:56:49 0
丸山氏の授業を受けた大学出身者です。今思えばアホ大学でした。
でも後悔はしていません。

ただ、丸山氏は哲学者ではなく、ただの研究者で終わった。これ以上死人について
悪く言いたくはない・・・・・合掌

952:考える名無しさん
08/10/19 23:08:15 0
ここ、昆虫の抜け殻ばっかりだね。

953:953
08/10/19 23:10:55 0
失礼、虫の抜け殻だけだ。

954:考える名無しさん
08/10/20 01:54:14 O
在日↑

955:考える名無しさん
08/10/20 05:44:10 0
抜け殻・・・廃墟・・・・形而上学です。

Kの物語は序章にすぎないと思っています。ただそれで完結なのだと考えます。

956: ◆TANPanX3xc
08/10/20 08:38:55 0
あーーーーーー
朝からくだらねぇ!

おはよういわせろや!
この、カスどもめが!!!!


おはようございまさう。

957:考える名無しさん
08/10/20 09:16:44 O
私はぴかぁ氏に反対しようかなとも思います。
コギトは自意識ではないのではないかと思うようになりましたからね。
というのも、私は勘違いしていたようですが、実のところ自意識といわれるものは自分を意識することばかりではないのですから。
これはむしろ他者を意識することであり、環境圧を意識し苦悩することです。
むしろ自意識の病に陥ってる人間は自分を見失っているし傷ついている。
鎧となる主観性を失いつつある。オバタリアン的エゴイズムを失ってしまいそうになっているのです。
自意識の病人が環境について語るのはそんな鎧の修理のためなんですね。
自意識はプラトンの対話編に見られるような主観性への攻撃と他者の侵入により発生するのです。
デカルトの主観性は旅によって傷ついたのではなく、そもそも広範な読書によって傷ついていたはずなのです。
旅をしつつ自ら考えることにより傷ついた主観性を癒やし、彼は自意識の病を克服したのだと思います。


958:考える名無しさん
08/10/20 09:31:45 O
確か、ぴかぁ氏は以前、ラカンの文脈で「私とは他者である」やら、「欲望とは他者の欲望である」と言っておられました。
しかし自意識における「私」はコギトとは別者です。
自意識における「私」は他者です。
自意識≒他者の意識であり、自意識の欲望≒他者の欲望なのですが、
コギトはこの病める相対的な「私」とは別者なのです。
コギトは相対的でも絶対的でもなく、むしろ無関係的であり無関心的なるものです。
これはオバタリアンや幼児の「私」に近いものです。
それは環境を克服しておりながら、尚且つ環境に溶け込んでいるものであり、
枯れ葉や花びら、タンポポの種あるいは蝶々のように舞い、
唯我独尊としてではなく、いわば唯我独戯として、世界の中で揺らめく生なのです。



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