08/10/04 01:12:22 O
まあぶっちゃけブッダは生は苦だといいます。これはおっしゃる通りだと思います。
ショーペンハウアーなどもそうゆう認識ですね。ニーチェにもそういう認識はあります。
苦は初期設定であり、本質、実質、性です。
ですが苦楽の楽の方は作ることができます。
それはソフトウェアのように起動してるときにだけ働き、「ある」ようにみえる儚いものでいわゆるウーシアではない。
いつ露と消えてしまうかわからない。
したがってニーチェは生ある者を創造者やら、自己超克し続けねばならない者だとかいうのでしょう。
いくら自己超克したつもりでも本質は変わらない。いつ本質へと没落してもおかしくはない。
すぐにも重力により自然と落ちるんですよ。
したがって、生は常に自己を越え続けていねばならないものとされるのです。
生は神の手により何度没落させられてもシシューポスのように登り続けてこそなんぼなのです。
登ることに生の喜びがあるんですから、
落ちてもいいのです。また登ればいいのですから。
あまり痛すぎたら死ねばいいわけです。
死にたくても恐怖などから死ねないなら死なねばならないような強烈な痛みをまだ味わってないんですね。