ニーチェ 十四at PHILO
ニーチェ 十四 - 暇つぶし2ch689:考える名無しさん
08/09/30 19:37:47 0
>>686
>力ってなんですか? っていう基本的な疑問に答えてくれてないかなってことです。

「○○とは何か?」という問いに答えることは、その○○を本質規定するということだから、
本質規定され得ないディオニュソス的なものである力への意志についてはそういう書き方はできないだろうね。
「○○とは何か?」に正面から答えてしまえば、ハイデガー的に言えば、存在を存在者化してしまうことになる。
だからニーチェは「○○は~ではない」という書き方をせざるを得ない。


690:考える名無しさん
08/09/30 19:47:20 O
>>681
朔太郎がお口に合わないのか

お気の毒に



691:考える名無しさん
08/09/30 20:13:43 O
>>680

やあ。

> それでも、"こち"はこの思索が楽しい、唯一の生存の退屈しのぎになっている

いやいや滅相もないですな。買いかぶりにも程がありますよ。
そんな人いるんですかね。

> こちはまず自分を愛していない。

これは当たりかな。自分をあまり意識しなくなってきましたし。
自意識が病なら快癒したのか!?
病気は生の自己超克の表れではないかとも思いますね。
熱の医学的説明はガンなどにも当てはまるのかもしれない。
でも腫瘍の痛みに長期間耐えるぐらいなら死んだほうがましでしょう。
私はこのまえ歯茎がかなり腫れただけで泣きそうでしたよ。


> それはまずいいとしても、その自己軽蔑・憤怒・劣等感・復讐のきったねえ血を
> を色眼鏡で世界をみようと義務を課した長年の虐待から益々人間を愛せなくなっているように思える。


さてどうですかね。近頃は激情とは縁がないです。
それ故にいささか冷酷になったという恐れはあるかもしれない。
それでも音楽には浸りやすくなりましたが。
音楽ですか…w


692:考える名無しさん
08/09/30 20:15:01 O
まあ人間を愛するほどに人間関係が上手くいき、叙情性溢れる文化に浸れるのかといったら、
偽短氏には悲しいことかもしれませんが、
そうでもなくて、逆に追放されていく運命の下にあるでしょう。

そんな体験をするのも一興です。
子供の頃から大人らしいニーチェが憧れの矢を放ち続けた先はそんな春なんですし。


693:考える名無しさん
08/09/30 20:48:10 O
>>689
> 「○○とは何か?」という問いに答えることは、その○○を本質規定するということだから、
> 本質規定され得ないディオニュソス的なものである力への意志についてはそういう書き方はできないだろうね。

力への意志ではなくて「力」が気になるんです。
力への意志が力ですか?

何故に一切が力への意志なんでしょうか?
これではその憧れの矢は力に届きやしない。
いわゆる蛇が己の尻尾に噛み付いている状態で、位相を変えつつ、
それ自身における差異を求め、それ自身を反復するだけでしょう。
これでは人間も世界も無力なんであって、運命あるいは慣性のままに永久に1を累乗してしまうということでしょう。

ドゥルーズはフランス人であるせいか反復に力=累乗を認めるわけですが。
ニーチェもフランス語は知っていたので同様なんでしょうか?

p32に「そしてニーチェだが、彼はこう述べている。
すなわち、意志を束縛しているすべてのものから、意志を解放するために、反復を、意欲の対象そのものにすること。」
とありますけどね。

同一性をもつ反復、それ自身の累乗、1の累乗=力を意欲する精神が、逆説的に自由な精神なのだというのでしょう。



694:考える名無しさん
08/09/30 21:35:11 O
力というのは、地球と共に回っていて人間がその運動を感じないように、
差異として、間接的に表象=再現前化としてしか感知できない物自体なんでしょうか。

反復は力なりというのは確かなものがあります。
しかし力はそれ自身における差異としてしか表面化しない感知できない
差異としてしか力を楽しめないわけです。
例えば私たちは大地と共にジェットコースターより速く動いている。だがその自転公転のスピードは楽しめない。
ジェットコースターのスピードは相対的のスピードで、乗れば私たちは己自身のスピードとの差異、それ自身との差異を感知する。
したがって力への意志はそれ自身における差異を意欲せねばならない。
常に自己超克せねばならないわけです。
自己超越ができないならば差異によって現れる力のために没落をも欲する。
なぜなら要するに己自身との差異を求めるのが力への意志だからです。

では何故にそれ自身との差異を意欲する力への意志が反復に向かうのか?
何故に反復は力なりなんでしょうか?
何故にパワー(力=累乗)なんでしょうか?
「生の務め」はそれ自身における反復、同一性のある反復を意欲する自由な精神と、
それ自身における差異、自己超克を意欲する力への意志が、共存させることであります!


695:考える名無しさん
08/09/30 22:00:37 0
>>693
>力への意志ではなくて「力」が気になるんです。
>力への意志が力ですか?

そうでしょう。意志が力でもあり、力が意志でもある。
ニーチェはMachtwilleという書き方もしている。
たしかドゥルーズも、力と意志は別物ではないとして
「力(への)意志」と「への」を括弧に入れてたと思うけど。

>p32に「そしてニーチェだが、彼はこう述べている。
>すなわち、意志を束縛しているすべてのものから、意志を解放するために、反復を、意欲の対象そのものにすること。」
>とありますけどね。

>同一性をもつ反復、それ自身の累乗、1の累乗=力を意欲する精神が、逆説的に自由な精神なのだというのでしょう。

「意志を解放する」のはどちからといえば「獅子」の意志であって、「子供」の意欲は「自らの意志を意欲する」。
「意志を解放する」んではなくて「意欲は解放する」。
「意欲は解放する」というフレーズはツァラトゥストラに何度もでてきます。

>>694
>しかし力はそれ自身における差異としてしか表面化しない感知できない
>差異としてしか力を楽しめないわけです。
>例えば私たちは大地と共にジェットコースターより速く動いている。だがその自転公転のスピードは楽しめない。
>ジェットコースターのスピードは相対的のスピードで、乗れば私たちは己自身のスピードとの差異、それ自身との差異を感知する。
>したがって力への意志はそれ自身における差異を意欲せねばならない。
>常に自己超克せねばならないわけです。

なんか全然ちがうんじゃないかと思いますw
そういう「差異」にもとづく肯定は、つまり「比較」にもとづく肯定にすぎないのであって、
道徳でいえば「奴隷道徳」に通じるものがあります。
ニーチェが求める肯定はもっと直接的な自己肯定でしょう。
それは過去の自分との比較でもありません。

696:○丸
08/09/30 22:12:09 0
俺の記憶では、力意志は、
力意志力でないの?
力→力の→は必然に発生する意志。

697:考える名無しさん
08/09/30 22:23:09 O
>>687


> ここでニーチェとドゥルーズをぐちゃぐちゃとミックスしてみたくなりました。

> それ自身における差異が肯定の対象になり続けるとき、人間は生ある者として位相を変え続け、己自身を反復する…己自身を反復し続ける…

と、こちとら両津が適当なこといってますが、

これが力≒累乗であることや、それ自身における差異とそれ自身に向かう反復、自己超克と永遠回帰を結びつける説明に少しはなってるかもしれない。

ともかく差異と反復を共存させること、これが問題であり生の務めですね。
ドゥルーズはこの問題にどう立ち向かったのか?
気になりますね。

>>688
でもドイツにだって国語辞典はありますけどね。
とっておきとしてグリム兄弟が編集し始めた馬鹿デカい国語辞典もあります。
たしかもうデジタル化されてたと思いますね。


そろそろ10月になるので私はサバイバルモードに入ります。
多分1ヶ月ぐらいですかね。
では、さようならなんです!


698:○丸
08/09/30 22:37:36 0
>それ自身における差異とそれ自身に向かう反復

「ニーチェと哲学」では、
肯定には、第2の肯定がある。
たしか、デュオニュソスとアリアドネの物語で、
互いの魂が、お互いの魂を映すと、鏡のように
無限の魂が映し出される。第2の肯定(鏡)は知恵と
理解したが、

699:ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ
08/10/01 01:48:48 0
>>692
ほい。
思った通りの返答が聞けたよ。
気に入らない産毛があると、私は時折わざと剃刀を当てて出血させる。
そうすると、その人間がなにゆえにそんな思索定型を好んでいるかよくわかる。
ドゥルーズを読まなくても、よくよく見えてくる。
そんなことを試したかったのもあるんだ。

>そんな体験をするのも一興です。
敗北の狼煙を上げるのはけっこうな話だが、敗北の良薬が概念の迷路遊びとは!

>子供の頃から大人らしいニーチェが憧れの矢を放ち続けた先はそんな春なんですし。
了解。

飯を食べる。味がわからなかった。成分を調べる。
顕微鏡でね。顕微鏡のつくり学ぶ。それが他人の色眼鏡だ。
でお味の方は?
味がしない?
では君、舌がないんだよ・・・・
舌が味わう権利が備わっていない者は、言葉の"背後"の味もわからない。
舌は顕微鏡で覗いたり、顕微鏡の仕組みを調べて、食を吟味することでは馴らされない。
そういうことをいいたかったのさ。
でも、そんな嘆きもむりっぽそうだ。


700:考える名無しさん
08/10/01 08:26:50 O
訳注の19を見ますと「ニーチェのWille zur Macht は、
フランス語ではvolonte de puissanceと訳されている。」とあります。
ドゥルーズもこの塾語を使ってるらしいけども彼はこれを「 力を目指す意志」ではないという。
そりゃdeという英語のofに相当するような前置詞で英語のtoに相当するようなzuが訳されていれば、
そんな解釈になりがちなんでしょう。
しかし仏和で調べてみるとdeは方向性も表すことがわかりました。
例えばtrain de Paris でパリ行きの列車という意味らしい。
じゃあ「パリの列車」をフランス語で表現するとしたらやはり train de Paris
になるのではないでしょうか。
またdeは目的、対象の前におかれたりするようです。これも方向を指示するものですね。
例えばle desir de paix で平和の希求、la peux de mourirで死への恐怖を意味します。
しかしdeの主要な役割は語と語を所属関係で結ぶものみたいで「~の~」やらofと似た寄ったりみたいですね。


701:考える名無しさん
08/10/01 08:32:09 O
というわけでvolonte de puissanceといえば、
力への意志なのか、力の意志なのかという曖昧さがあるわけですよ。
しかもどっちだってよくね?なんてあっさり片付けていい問題ではない。
どちらの意味で解釈するかでニーチェ理解に大きな差が生じてくる。
まあどっちかというと力の意志と解釈される表現でしょう。
まったく、他に方向性を表す前置詞はないんでしょうか? フランス語には。
知らないので仕方ありませんね辞書を片っ端から探してみましょう。
ああっ! あ、ありました…ああなんと…aでした。
いきなりありましたね。ざっとこんなものでしょう。余裕でした。
ああ、実はa` ですけどね。面倒なのでaで。
例えば、パリへ行く、は、aller a Parisなんですよ。


ああああああ!!!あ~あ…
やっちゃってますね、こいつ所属関係も表しやがるんですよ!
馬鹿らしい。 deと使いわけとけっての!
信じらませんね。どのへんが明晰なんでしょうかフランス語は。曖昧じゃないですか。
なるほど、デカルトの気持ちがようやくわかりましたよ。

やっぱり今月はこれにてサバイバルモードに入りたいと思います。
スポーツ紙が大恐慌きた!と煽ってたようですし…。

702:考える名無しさん
08/10/02 04:39:17 0
ツァラトゥストラの岩
URLリンク(pds.exblog.jp)
1881年、ニーチェが永劫回帰を思いついて立ち止まった場所だそうです、、、(清水真木『ニーチェ』p97より)。


703: ◆TANPanX3xc
08/10/03 16:00:34 0
うつろいの阿片靴。

今更だ。

上げモードで貴様等に問うて進ぜよう。

704: ◆TANPanX3xc
08/10/03 16:06:32 0
「ニーチェに自分の今までの生き方を重ねる、」まではよしw
しかし、取り込まれるようでは、読んだとも言えんよな?

これじゃ、まるで聖書だと、言った・・・・

君の生き方は、君にしか造り得ない。
2chなんて、糞だ、
ホント。。。。

705: ◆TANPanX3xc
08/10/03 16:13:35 0
:ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ
決別の辞世の句ならば、述べたはずだ。
君は、ボクのフィールドを犯してまで、進入したくせに、
その負荷を見ていないようだね?

普通ならば、死んでる所だ。

706: ◆TANPanX3xc
08/10/03 16:25:41 0
その罪に。

707: ◆TANPanX3xc
08/10/03 16:48:00 0
ほれ、
答えてみろ?

くだらねぇよ、なんもかも・・・

708: ◆TANPanX3xc
08/10/03 17:12:23 0
「あははは。さすが私の師。」
というのも、迷惑だ。
消去法でいけば、君の存在そのものが大体無い。

で?
なんだよ。にーせ

709:考える名無しさん
08/10/03 18:34:23 0
ニーチェの、ボードレールからの影響については
どう思われますか?
遺稿などを読まれた方・・・・?

710: ◆TFnqGXDHBQ
08/10/03 18:48:12 0
>>705
>君は、ボクのフィールドを犯してまで、進入したくせに、
>その負荷を見ていないようだね?
あなたはいまだに、"犯しに"意・図・的に、私が訪れたと本気で思っているわけですよね。
では、その後をなぜ語らなかったか知ってますか?
あなたの怒りを知ったからですよ。
そう、確かに色々な思いでいるということを知らずに叩いたことは非常識と言える。
ただ、私が君の背中についている目印を見つけた時に、声をかけてびっくりさえようと
思った瞬間の気持ちはそうじゃなく、あくまで街頭のそれである。それすらもけしからんわけでしょ。)
それは認める。しかしあなたの中では『蒙古襲来』に来たチンギスハンのな領土破壊の人間としてしか
像を結んでいない。そんな猜疑心も怒りも私はどう処理すればいいわけです?
(君が居たのはもっともぬくもりを感じていて、もっとも自分らしくある場所であった。



>普通ならば、死んでる所だ。
何が気に入らないかずばっと言ってしまえば良いです。ただ公衆の面前だから、
メールにしましょうか?
突然書き込みをしたわけですから、何か腑に落ちないものを抱えていたはずです。




711: ◆TFnqGXDHBQ
08/10/03 19:01:16 0
>>708
>「あははは。さすが私の師。」
>というのも、迷惑だ。
あなたを師と思っていないです。
私は私の実生活であった偉大な師が2人いるだけだ。あとは書物の過去の偉人。
あなたの素晴らしい点を素直に私は認めるし、お世辞ぬきに指摘した。
けっして、歯を浮かせようと思ったわけではない。
ただし、そんな指摘も褒め言葉だけでは済まされず、何かしらの悪意を感じている・・・
ということをまず知った。

>消去法でいけば、君の存在そのものが大体無い。
それでかまわないです。

>で?
>なんだよ。にーせ
あなたが来たらこれまでのように接する。
でもそうじゃなかったら、そうじゃないなりでこの板で振舞う。
特にあたなにようがあるためにきているわけじゃない。
ただ、何か書き込みに来ているだけです。
こちらとしては「どうしました 短パンさん 急に?」というのしか、この板を
覗いた時はなかった。
ただ、ここにあたなが怒りの気分を書き込んだ以上は、推測している。
どうすればいいかです。


712: ◆TFnqGXDHBQ
08/10/03 19:13:39 0
>>708
あなたのフィールドで最後に放った言葉を覚えている。
「乗せられた。そんな気がしている。」
これを読んで、私はもうなすすべがなかった。
私は、あなたからみれば策士なんだろうし、ペテン師なんだろう。
こういう疑いで接せられたら、私は偏屈な欠点があるから、素直に折れることはできないですよ。
扉の領域"制圧"の罪をどう償えば良いか知らない。
申し訳なかったとしか言えない。

以上。




713:考える名無しさん
08/10/03 21:50:58 O
私もそろそろ音楽がわかってきましたね。
基本的に音学なんです!
みんなの言葉、いわば音葉なんです!
誰でもわかるしできるんです!
そして音楽は文芸です!
しかしこれを大人になってから学ぶのは外国語を学ぶようなものなんです。
難易度も同様なんです。
作曲は思考、詩作に相当するようなもので、質を度外視すれば、誰でも曲を作る能力をもっているんだと思いますよ。
ですがやはり外国語で考えることや話すことと同じように小さい頃からやってないとなかなか自然に流暢にとはいかないでしょう。
さらにサンマやタモリのような即興で様になる場をつくりあげてしまう話をする能力というのは普通望めもしない。
それでも特別な才能はいらないですね。
まあ宇多田に特別な才能があるかといえばそうでもないでしょう。
以前から彼女に異臭がすることはわかってましたが。
日本語も英語も音楽も中途半端なレベルなんでして、
今のところ芸術の域には達してないんですよね。

この五倍ぐらいは書きましたが、上記の2ちゃん化した上でレスしたいと思います。
なにしろパケ代節約中ですしね。
ありがたくあらかじめ言い訳させていただきました。ではでは。


714:魔王 ◆TANPanX3xc
08/10/03 22:06:47 0
◆TFnqGXDHBQ
くだらないレス。おつかれ。。。
そこまで、いい加減に存在してねぇよ・・・


アホ

715:考える名無しさん
08/10/03 22:12:51 O
おっとなんなんでしょうかこの二人は、またまた不穏な空気になってますね。
せっかくの私の金のかかるレスがまるで場違いのようです。
可哀想な人たちだ、こちとら両津、起死回生の第三成長期に突入した気がしてるんですがね。
まさにこれにてさようならというところでしょうな。


716:考える名無しさん
08/10/03 22:36:07 O
仕方のない人たちですね。
まあここで対照的に私の意気込みを発表しておきましょうかね。

私はあたかもぴかぁのように三十路を迎えおやじになりそうな今日この頃なんですが、
私がおやじになってもです、味噌だからといって糞味噌にされても、
腐っても鯛なんだと、そういえるような三十路でありたいと、そう思うんですよね。
だって腐っても味噌、腐っても納豆、腐っても鯛じゃないですか!?
そんな味噌のような三十路として生きていきたいということなんですよ!



717: ◆TFnqGXDHBQ
08/10/03 22:38:26 0
>>716
君はもう四十路だろ
ちょうど地下の住人と同じ年齢じゃないかw


718:魔王 ◆TANPanX3xc
08/10/03 22:39:15 0
うるさい!!!
にーせ。
お前のせいで、苦しんだ。
責任は・・・・



719: ◆TFnqGXDHBQ
08/10/03 22:43:06 0
>>718
短パンさんはどうしたいわけです?
私を苦しめたいですか?


720:魔王 ◆TANPanX3xc
08/10/03 22:50:32 0
あぁ。そうしたいね?
だが、それだけで物事終わらない。w

歪曲の限りを回り回って、いきつくはてに・・・


ふん。

721: ◆TFnqGXDHBQ
08/10/03 22:55:30 0
>歪曲の限りを回り回って、いきつくはてに・・・
殺したい!
こうですね。
じゃ、住所を教えればいいですか?

722:考える名無しさん
08/10/03 23:40:48 O
やはり第三成長期に入ったにしても、明石家さんま大先生のようにはいかないのだろう。
彼ならこの場をどう取り繕うのだろうか。
ふん、まあ太田ではどうしようもないかろうが。
むむ、さては第四成長期というものまであるのかもしれない。
そもそも私は芸人を目指してるわけではなかった。
まあいい、さらばだ決闘者たちよ。
できれば相討ちで頼む。
後はまかせるがいい。


723:考える名無しさん
08/10/04 00:10:12 O
私もちょっとだけ孔子の気持ちがわかってきましたね。


724:考える名無しさん
08/10/04 01:12:22 O
まあぶっちゃけブッダは生は苦だといいます。これはおっしゃる通りだと思います。
ショーペンハウアーなどもそうゆう認識ですね。ニーチェにもそういう認識はあります。
苦は初期設定であり、本質、実質、性です。
ですが苦楽の楽の方は作ることができます。
それはソフトウェアのように起動してるときにだけ働き、「ある」ようにみえる儚いものでいわゆるウーシアではない。
いつ露と消えてしまうかわからない。
したがってニーチェは生ある者を創造者やら、自己超克し続けねばならない者だとかいうのでしょう。
いくら自己超克したつもりでも本質は変わらない。いつ本質へと没落してもおかしくはない。
すぐにも重力により自然と落ちるんですよ。
したがって、生は常に自己を越え続けていねばならないものとされるのです。
生は神の手により何度没落させられてもシシューポスのように登り続けてこそなんぼなのです。
登ることに生の喜びがあるんですから、
落ちてもいいのです。また登ればいいのですから。
あまり痛すぎたら死ねばいいわけです。
死にたくても恐怖などから死ねないなら死なねばならないような強烈な痛みをまだ味わってないんですね。


725: ◆TFnqGXDHBQ
08/10/04 02:23:50 0
>>720
私は東京都民(三鷹市)。短パンさんも恐らく口調から関東でしょう?
(勝手な予測だけど、なまりがあるので、茨城か群馬あたりですよね?)
会うのにそう遠くはないはず。
メールさえ貼り付ければ、いつでも希望に沿うようにします。
(捨てアドですが、こちらがフィールドに貼ってもかまわないです。)
但し、殺す以上は、ブスリとやって貰いたい。
中途半端に生かしたら、植物人間でない限り、私も殺しはしないが、
必ず反撃する。一応、テコンドー黒帯、極真空手をやっていたし、
喧嘩なれも相当してます。できれば凶器を持ってきた方が良い。

>>724
そういう文章の方が、ずっと解りやすいのに。
仏・独授業よりも。

ほいじゃ

726:考える名無しさん
08/10/04 03:26:42 O
人間は本質的なものは何も作れません。
影しか描けない。
人間のなしうる創造というのはロゴスにもとづくものです。構造物ですね。
ですから人間のなす創造の基本はパクリです。学習、探索、発見、発明です。
危なげな短ぱんたちの理解では生とはカオティックなものでしょう。
たしかに本質は地獄絵図でしょうね。いやはや想像以上に酷いものでしょう。トンデモでもです。基地害です。
しかし本質だけで本質が成り立つんでしょうか?
物自体というのはその表象なくしてありうるのか?
形式が消えれば、内容は忽然ときえうせるのか?
体が滅びれば魂は滅びるのか?
こうゆう疑問がいざ死んでわかるならば大変でしょうね。
ともかくこの世においてはカオスに加ええるにロゴスがあります。
ディオニュソスとアポロン二人三脚でアトラスになっているといえます。
青春とはロゴスに対する反抗ともいえそうですね。
ニーチェのですねアンチロゴス的な著作はです、
あまりにも初めに言葉ありきというようなロゴス命みたいな生活環境の中、危機感を覚えたからでしょう。
彼はキリスト教の滅亡は意図していなかったわけですし、その存続を最も望ましいことの一つとして挙げていましたからね。


727: ◆TANPanX3xc
08/10/04 04:37:11 0
>>725
関西在住ではないけど、だからなに?
論点は。
いいか?にーせ・・・

728: ◆TANPanX3xc
08/10/04 04:45:49 0
>>721
殺さない。
なぜかといえば、
にーちぇをこれでは語りきれんからだ。。。

729: ◆TANPanX3xc
08/10/04 05:03:37 0
あとはてめーで考えるんだな。。。


730:考える名無しさん
08/10/04 07:01:05 O
ロゴスを希希辞典で調べたい!
orz
つか、現代ギリシャ語はショーペンハウアーが罵声を投げかけるような変化を被っており、
随分簡単になってるみたいですね。
それにしてもギリシャ語は知恵の結晶という感じがします。
これを習得すると無知の知、無意識の知を得ることができ、
謙虚にも私は何も知らないといいつつ議論をふっかけ歩き優勢に話を進めることもできれば、
想起説、イデア論を信じられるようになる気もしますね。
そして、おおロゴスよ! 我がコスモスよ!!と誇大妄想気味に感動したかと思えば、
無理数に落胆し、虚数に参り、不完全性定理にノックアウトされるのも一興でしょう。
まあ古希の栄光はギリシャ語のおかげでしょうね。
そうです思うに、知能は半ば言語で決まるんだと思いますね。
サンスクリットにしても言語からして素晴らしい!!ヾ(≧∇≦*)ゝという報告は稀でもないでしょう。
古希を学ぶにはまず現希からがいいとはいいます。
シュリーマンも現代ギリシャ語から入ったといいますし。



731:考える名無しさん
08/10/04 18:28:03 0
もういい加減飽き飽きしてるんだ。

毎日毎日同じ事の繰り替えしでさ。

ホトホト呆れかえるよ。まったく。

はたして君に、これがわかってもらえるのだろうか。

そう言ってる間に、ほらまた、同じ

真新しい今日が、はじまる。

732:考える名無しさん
08/10/04 21:13:15 O
始めはニーチェと関係ないようですがここで地下室の住人というか穴蔵の住人を考えてみましょう。
ショーシャンクの空にという映画でリタ・ヘイワースという美女が出てきますが、違いました、アンディが所長に2ヶ月程、懲罰房に入れられました。
そんな暗い部屋に監禁されたとします。
そうしますと、まず非常に強い自意識に襲われるでしょう、これはまた非常なる苦悩の嵐になると思います。
すると私たちはそのうち発狂するでしょう。
あるいは、別人格が生じてくるという可能性もある気がします。
「私」をその自意識から逃れさせるために、別人格が発生し意識を乗っ取るのではないかと。
そうしますと、元の「私」のほうは他者に意識を奪われることで、己自身の重みで潰れずに済むのです。
要するに、私たちは私たち自身の重みで崩壊する性をしているのだと思うのです。
ですから、汝自身を知れというソクラテスの誓いに反し私たちは「私」自身から気を逸らし続けねばならないのです。
ですから、自愛というのは自滅的ですのでキリスト教でも神、隣人、敵への愛さえも説きながら自愛は説きません。
むしろ自己忘却をといているといえます。自己からの解脱を。


733:考える名無しさん
08/10/04 21:31:42 O
アンチキリスト党の党首のようなニーチェもディオニュソス的なるものなどを説き、自己、「私」を横に置いといて、あまり意識してません。
たとえ「この人を見よ!」とはいえです。これは自演ですから。

自意識は病であるというドストエフスキーの言葉は確かなものがあると思います。
逆に日本語の「我を忘れる」 「心を奪われる」「滅私奉公」「無我夢中」「没頭する」「ハイになる」「陶酔する」
などの自己忘却の類似表現は健康的とは言えないまでも楽しいものです。

リタ・ヘイワースに心を奪われていれば塀の中でも最高の気分になったりするわけです。

まあ要はですね本質的に「私」は苦しむことしか能のな存在だと思うわけです。
ですから、皆さん、信じましょう…神を…

734:考える名無しさん
08/10/04 21:41:11 O
>>733

> アンチキリスト党の党首のようなニーチェもディオニュソス的なるものなどを説き、自己、「私」を横に置いといて、あまり意識してません。
> たとえ「この人を見よ!」とはいえです。これは自演ですから。

狂人生活も自演の一環ですか?
あなたの話に従えば、むしろ自演ではなくマジだったからこそ発狂したのでは?
自分を意識しすぎて自分に耐えきれずに崩壊したのでは?


735:考える名無しさん
08/10/04 21:52:43 O
>>734
憑かれたようにツァラトゥストラを書くような人間はもちろん、
一般的に物語る人間、ストーリーテラーというのは、役者なのです。
しかも演じてるときにはその意識がない、自意識のない生ける人形なのです。


736:考えない名無し
08/10/04 21:58:25 0
興味深い意見。
地下室の住人の『地下』は感情的・本来的な「私」の他者意識への奴隷化・あるいは
行動の歪曲化によって生じた強引な嵌め込みによる自意識過剰感情が乗っ取った
ある種の感情の音色=苦悶であると考える。絶望の溝に浸りきって生き抜いており、
同時にその溝に嵌りきって、その嵌りきった精神困憊の重荷それ自体が、なおさら重荷をひとっとびしようと
する衝動をもたらし、それがあのような選択的に自由でありながら、感情が苦悶という黒いものに束縛された不自由を生み出す。
つまり、本来的な「私」を他者に同化しようとする自己歪曲の衝動と、同時にそれが本来的な「私」に圧力を加えて
本来的な私というすんだ水を汚し、その汚れた水が精神の大半を占め出すと、自分の精神が汚れたことにも気づかなくなる。
ただ、ここで自意識過剰ながら、"自意識"(人間がよく言う理性)が働き、実はこの苦悶の音色に覆われたこんな「私」は本当に私の体が私自身に望んでいる状態なのだろうか?
という疑問を提出する。
(ここで"精神は肉体の道具"であるというニーチェの思想とだぶる。)

737:考えない名無し
08/10/04 21:59:07 0
翻って、ショーシャンクのアンディのように監禁された場合は、ドストエフスキーのような自意識がかんでくるだろうか?
あそこでは、物理的な暗闇という地下そのものに浸る。そうなれば、他者を意識するというより
本能的恐怖心が自我の大半を占めるようになると想像する。でもこればかりは体験しないと不明。
ただし、自意識病の至った人間がそういった地下に生うめされることを想像すること自体が、もう息がつまるほどの恐怖だ!
ソクラテスの汝自身を知れは、あくまで自由意志というものを信じる人間が実は不完全であるという
抑圧をもたらし、それが科学性や合理性を外的に君臨させる。
するとその合理性への自己歪曲こそが、本来の感情を虐待し、場合によって自意識病をもたらすようになる。
仮に「自愛」が歪曲へ向かえば自滅的、反対に「自愛」が自意識病的に汝を汝以外の他者を含む自分に目を向けず、
私の感情に目を向ければ生産的になる。
本来「自意識という苦悶を"消化"するのと、一時的に"忘れる"」のは、雲泥の差があると思いますが。
「自己の開放」は実は"地下状態"から抜け出すことではなく、地下そのものを己から消すことにあると確信している。
そして、それは情報や知識の集積ではないとも相変わらず思うのだ。

738:考えない名無し
08/10/04 22:00:50 0
あの映画でブルックスはいわば、自由に赴き、不自由を感じて自殺した。
あれこそ自意識ゆえの人間の本来の恐怖だろう。
つまり、愛は知性では買・え・な・い。



739:考える名無しさん
08/10/04 22:41:57 O
苦行というのは恐らく己を叩きのめすことで、非人称的なるものを召還せんとする魔法の修行なのではないでしょうか? これは敢えて病にかかり免疫系を強化するというワクチン接種のような逆説的方法なのではないかと思います。
人間には天才と呼ばれる魔法使いみたいな人々がいますがね。
で、どうしてそんなことができるのか自分でも説明できないわけです。
サバァンなんてのはまさに自分の特殊能力を説明できません。
それは私たちが日本語をどうやって操っているのかよくわからないし、どうやって生存しているのかよくわからないし、妊婦にしてもどうやって生命を形づくっているのかよくわからないのと同様でしょう。
非人称的なるものが働いてるんですね。
まあ人称的なるものというのは、無能なんですよね。
ですから敢えて苦行で人称的なるものを叩きつぶしたり、
苦境に陥り、それが叩きつぶされたり、
先天的にその種の障害があったりすると異常な魔法が使えるようになったりするのかもしれませんね。

740:考える名無しさん
08/10/04 23:13:21 O
一般的に比較的アンチロゴス的な女性はカオティックで見かけによらず地下的でありまして暗くてジメジメしてますね。
自意識というのは理性的なものではないんですよ考えるななしさん。
凡人にはなかなかできたものではないですが探究は我を忘れてやるべきものです。自意識なしに。
なんでもそうです! 波乗りです! サーフィンです!

741:考えない名無し
08/10/04 23:33:09 0
>自意識というのは理性的なものではないんですよ考えるななしさん
一応、地下室の住人の『自意識』とは別の意味での自意識。
自意識過剰はあくまで苦悶の感情が含む理性であり、後の自意識は単に客観的な振り"返ってみて"の理性。
もちろん、自意識病は理性の力だけでは消滅させることはできないだろうよ。
まあさ、最終的にカオスがロゴスが出て、ロゴスでカオスを表現するしかないんだよ。



742:考えない名無し
08/10/05 00:04:37 0
ショーシャンクと言えばスティーブン・キングだけど、彼の原作で似たような囚人映画グリーンマイルでは、
黒人囚人がキリスト顔負けの奇跡を起す。
ただしあれはあくまで製作者のキリスト教的な伝統感への保持でしかないような気がする。
映画ではそれどころか単に無罪証明と愛すべき人柄の象徴として奇跡を利用したにすぎない。
よい意味で、理不尽な社会に殉教した現代版キリストとも捉えられるだろう。
変わりにアンディは地下を20年掘りつつけて、雨の外に飛び出した。
ブルックスは恐怖ゆえに自殺したが、アンディと《M・フリーマン演じる???》は希望を信じた。
いや、愛を友情を。
フリーマンは一度フルートを手渡されたけど、希望が怖いゆえに吹くのをためらったわけだ。
ニーチェに話戻すけど、道徳の系譜で『ショーペンハウアーは厭世主義者なのに、毎晩フルートを吹いていた!
これぞ真の厭世主義者か?』と指摘しているけど、簡単に言えば、そういうことだろう。
ショーペンハウアーは生の解脱から、つまり拷問から逃れるためだけに苦行をしているが、
やはり希望の人だった。厭世主義者ではないと思う。まあ、文章読めばわかると思うけど。
晩年犬ころと一緒にはいしゃいだわけでしょう。

では。

743:考える名無しさん
08/10/05 00:10:22 O
考えない名無しさんのお話はよくわかりません。
もしかしたら「が」は誤字脱字ではないのかもしれませんが。

マイ神話的にはですね、
女性神カオスは男性神ロゴスで自己表現しようとしており、
ロゴスはカオスで自己表現しようとているのです。
まあ内容と形式が貪欲に互いを貪り自分のものにしようとして絡み合って一体化しているイメージです。
これは欲求不満による18禁の妄想のような神話的世界観なのであります。


744:考える名無しさん
08/10/05 01:41:14 O
アンディの親友はたしか”レッド”でしたね。
いや、あれは迫真の演技でしたね。
私はあれで人間不信になりました。

ショーペンハウアーについていえば、彼は若い頃から酷い認識を受け入れていくことでタフになったんだと思いますね。
それ故に生まれた余裕と遊び心が生活に現れてるんでしょう。
ニーチェはショーペンハウアーに比べるとか弱いですね。


745:考える名無しさん
08/10/05 06:58:14 O
ニーチェが
死ぬ前に、私はナポレオンだったとかいろいろな有名人が出てくるが
それは永劫回帰により、私と同じような人はいたということでおKなんかな

746:考える名無しさん
08/10/05 10:13:36 O
偽短=考えない名無し氏の一連のいつも同様の主張では、
己のカオスに目を向けろ、逃避的にロゴスに目を向け続けてばかりいればカオスは糞となる!
ということみたいです。
しかしむしろカオスはロゴスによって糞から味噌になるのであります。
カオスとロゴスが「合体」せねばならないということです。
ロゴスには発話、言語能力という語義もあります。
ロゴスを軽視するお稽古嫌いの奴の表現、演奏は下手糞です。
雑音にしかなりません。
ロゴスだけでも空虚な雑音にしかなりませんが。


747:考える名無しさん
08/10/05 11:02:26 0
>745
それは私の学生時代に丸山圭三郎氏がうまく説明していたと、記憶しています。
今すぐ私自身の言葉でうまく説明できません。私の浅さです。
このスレを読んでの感想・・・・・
「語らずうたえ!!!!」

748:考える名無しさん
08/10/05 11:05:27 O
まあ、早君は神話に注目していましたし、ニーチェもそうです。
早君=偽短説によりますと、早君没落の原因は受験失敗によるのか知りませんがロゴス蔑視のせいだと思います。

神話的世界観との絶縁から西洋の科学的、機械的思想は始まり、近代に入り神話が見直されてきたなどといいますが、
古代中国思想では老子、孔子のように、
形と内容の両方を重視されてました。
とはいえ暗黒時代といわれるようなヨーロッパ中世において重視されていたアリストテレスなんかは形相と質料だとかいってますが。
そんなアリストテレスに立ち向かったガリレオやケプラーなどによってプラトニック、ピタゴラス的な世界観に基づいているといえる科学が息を吹き返し大いに発展してきたわけです。
ソクラテスはもちろんプラトンも詩人のような質でちょっと頭がおかしいのだし、ニュートンも錬金術などに時間を大いに割いていたわけですし、
どうも混沌と秩序のいずれかを信仰するのは片手落ちであり誤っているのだと信仰していもいいと思いますね。


749:考える名無しさん
08/10/05 11:27:04 O
でまあ、凡人というのは視野が狭いといますか盲目といいますか片輪といいますか、
いつもなにか片手落ちでして、
例えば片手でカオスかロゴスの一方を取るわけです。
ですが、歴史的人物というのは大体ちゃんと両手両輪共に備わっているんですよね。
小さい子供もそうでしょう。
で、一般的になにゆえに人が小さい子供のような天才的能力を「成長する」につれて失ってきてしまうのかというのが問題ですよ。
まあ老化ということで仕方ないのかもしれませんな。
ではなぜ比較的短命ともいわれる天才が存在してきたのか? まあ偶然ということで片付けておきましょう。

750:考える名無しさん
08/10/05 11:45:29 O
昨今の日本で歴史的人物といえば、ここの管理人である「ひろゆき」でしょうね。
これは多分もう間違いないでしょうね。
そうしますと私も歴史的出来事に参加してきたといえますね。
私は2ちゃんねらとして誇りをもって生きてきましたし、これからもそうするでしょう。2ちゃんがここにある限り…

751:考える名無しさん
08/10/05 12:18:28 O
長い目でみますと, 前大戦のヒトラーを総統とするナチスと原爆を投下しその後も戦争を続けるアメリカのどちらが悪の権化とされるのかわかりませんし、
まあ評価は時代時代で揺れ動いていくでしょう。
規模は小さくなりますが、ひろゆきに関してもそういえます。
ひろゆきを管理人とする2ちゃんと、これに対立するマスコミ、世間のいずれが後々よく評価されるのか、これはわかりませんし、やっぱり評価は変転するのでしょう。
でも悪の化身とされたり英雄視されたり、マスコット扱いされながらも、
やはりひろゆきはその死語にも評価され続けるだろう要注意人物なんですよね。



752:考える名無しさん
08/10/05 12:33:29 O
そうしますと、近頃ぴかぁはチンポを差し置いて出世し始めたようですが、
長い目でみればほんとに出世といえるのかわからないですね。
彼が仕事が忙しくなりずきたり世間体の問題で2ちゃんで語ってられなくなり去っていきますと、
長い目でみればぴかぁは眼差しの快楽を棄てることになるのかもしれませんねw
まあ「今、ここ」を大切にすればいいのではないでしょうか?


753:考える名無しさん
08/10/05 14:53:48 O
イデアと影
物自体と表象
意志と表象
ディオニュソス的なるものとアポロン的なるもの
語りえないものと語りえるもの
存在と存在者
無意識と意識

これは歴史的パクリでしょうね。


754:考える名無しさん
08/10/05 21:54:23 O
いいことを思いつきました。
私は昔から昔の人の方が能力が高いなという気がしてました。
知的な領域では一人で今の人の10倍以上働いているようなおまえのエネルギーは底なしかというような人がいるわけです。膨大な仕事をこなしている。
なんか2000ページにも及ぶ辞書を一人で編集したりしてますね。
まあここは現代人の知能は低下していると仮定してしまいましょう。
で、問題は何故に低下しているのかということになります。

ぴかぁの発言に、テレビによる知能低下というのがあった気がします。
受信する情報量が10の3乗とか4乗とかになっていそうなのが災いしてるのではないかということでしょう。

そういえば最近、私は知を愛するというよりは、探索が好きになってきたこともあり、これは女の買い物好きとは似て非なるものですが、
シャーロック・ホームズの話を想起しました。
彼は必要ない情報に触れないようにしてるんですね。
なぜだか地動説も知らなかったと思います。

知能低下の原因として受信する情報量の過剰が容疑者なのです。
そこで私は私で生体実験を行いたいと思います。受動的な情報の受信を大いに避けたいと思います。
まあすでに半年以上テレビはみてないんですが。

755:考える名無しさん
08/10/05 22:10:19 O
このスレに短ぱん偽短が現れたのも丁度半年ぐらい前でしたかね。
その辺から私は歌わなくなってきたということでしょうか。
そういえばニーチェは新聞を批判してましたね。
また、物事を書き留め記録するようになってから人の記憶力は落ちたとはよくいわれることですし。
このちょっとした実験は、そもそもマスメディアに飽きたというのもありますが経済的な理由もありますし、やるっきゃないですね。


756:考える名無しさん
08/10/05 22:57:22 O
ふむ。
ショーペンハウアーは多読を整理されてない図書館のようなものだとして戒め思索の重要性を語りましたね。
そんな受動的な多読に比べても、マスメディアによって垂れ流される情報の受動的摂取量は著しく大きくなりますね。
偽短≒早君はショーペンハウアーに則って、知識集積を非難してるのかもしれませんが、
その本人の頭の中は恐らくマスメディアを通して、
知識ではなく、広告やらどうでもいいようなおしゃべりを集積し続けぐちゃぐちゃになっているんですな。
ゴミ集積地みたいになってるわけです。

757:考える名無しさん
08/10/05 23:01:58 0
いったいこの人たちは何を言っているんだろう?
自分で一人ブログでも書けばいい話じゃないか。
わざわざここに書く必要性が感じられない。
なにしに来てるの?

758:考えない名無し
08/10/05 23:21:06 0
>ショーペンハウアーは多読を整理されてない図書館のようなものだとして戒め思索の重要性を語りましたね。
「読書について」だか「知性について」で一貫していた。あれは何度でも読めるいい本だ。
あなたの予想に反し、私ほどTVも新聞も雑誌も無縁の人間もめずらしいといえるけど?
(そもそもカオス的人間が既にある腐ったロゴスで組み立てられた構築物・形式なんかに耳も傾けんよ。)
TVはスポーツニュースのサッカーのみ。新聞は取ってない。
新聞は賤民が賤民を裁いてはきちらす"胆汁"だからな。

759:考える名無しさん
08/10/05 23:55:35 O
>>758
本当ですか?
そうすると私の実験は無駄になるといえるかもしれません。
まあ経済的理由から断行しますが。



760:考える名無しさん
08/10/06 00:09:25 O
偽短は在日ですかね。
誤字脱字としては片付けられないほどに日本語がおかしい。
かなり注意深く書かないとおかしくなるんでしょうね。

あるいは感情を優先し過ぎているがために形式が崩れ不細工な表現になるんでしょう。


761:考えない名無し
08/10/06 00:25:53 0
>>760
うん。日本語おかしい。それは読み返してみてもよく感じている。
誤字脱字多いしなw
文章を書くときに、形式を意識したことはない。
そもそもよい文章・綺麗な文体というものを意識していないからだろう。
文章家になろうとも考えないし。(仕事で漢字の間違いはけっこう指摘された。)
>あるいは感情を優先し過ぎているがために形式が崩れ不細工な表現になるんでしょう。
それは言えていると認める。あまり、「まず主題を置き、その後に」というのは全然考えない。
漠然と主題が浮かんだ瞬間に、その場で直情的に書いているだけですな。
(あるいは、主題自体が明確な像を結ぶ前に、浮かんだことを書きなぐる。ってな感じだろう)
そんな点は早氏の考えと似ている。ただ彼は私よりずっと綿密で論理的文章だった。
(同時に苛烈な苦悶の入り混じった爆発的カオスの中からほとばしる稲妻的比喩があって印象的であった。
わかりやすい文章です。)
さすがは文章家志望。


762:考える名無しさん
08/10/06 00:27:47 O
肉体も形式あってのものでして、その形式が崩れるということは不細工、病気、奇形、老化、死に直結しています。
また明らかに叙情性豊かな詩や文学は散文より形式的であり、音楽になるとさらに形式的になります。

ニーチェが肉体を重視するということは、形式、ロゴスをも重視するということです。
理性、ロゴスがなんだろう! 惨めな安逸ではないか? とはいえ肉体はそんなものです。
それがなければ生気を失い腐りつつ異臭を放つものですね。


763:考える名無しさん
08/10/06 00:56:18 O
マスメディアや教育機関は親と触れ合う時間のすくない子供たちにとっては日本語を学ぶ上で大切な役割を果たしているのでしょう。

そんな日本語の上手な連中の中でもタモリの能力というのは異常に高いわけです。
即興で気の利いた発言を続け、視聴者や対話の相手までも引きつけねばならないわけですから。
作曲ができる人は多いでしょうが聞きたくなる曲を作れる人は少ないでしょうし、即興で聞きたくなる曲を奏でることができる人というのはほぼいないでしょう。
タモリの発揮している能力というのはそんな即興曲を奏で続けることができるような極稀な能力なんですね。


764:考える名無しさん
08/10/06 01:46:36 O
ニーチェが本当に発狂したのだったら、
ロゴス軽視によるのでしょうか。
アメーバじゃあるまいし、形あるものが形を失うということは壊れるということですな。
ニーチェの魂はどうなったか知りませんが、
ロゴスなきものは表現されえないですな。
ロゴスを軽視しろ!ということは死ねってことであります。
偽短君、氏にたいなら一人で氏になさい。

どうなんでしょう、ニーチェの言葉は発狂に近づくにつれ奇形気味になっていったのか?
それともお手本のようなドイツ語だったのか?
ドイツ人のドイツ語が上手か下手かというのは私にはまだ読みとれないんですが、
ちょっと初期と後期の著作を比較してみますか。

わかりやすいか、わかりにくいかという理解できるかどうかというドイツ語レベルでは無駄でしょう。
まあでも言葉遊びなどが結構あるみたいでしたし、
ドイツ人には巧みに映るんでしょうね。
ツァラトゥストラはまだしも、
文脈の助けを借りにくいアフォリズムスタイルの作品は難解ですな。

さて…

765:考えない名無し
08/10/06 02:17:52 0
>>764
>偽短君、氏にたいなら一人で氏になさい。
あのさ、ロゴス軽視といっても、そんな破壊一辺倒へ"意図的に!"ということを推奨しているわけでないw
兎に角、感性や直感的に感じるもの、我々の中にある不当な感覚が「もしや・・」という反芻によって生じる
思索・探索心情やその際に内面に開ける宇宙を重んじずに、既にあるロゴスだけに追従しすぎると、逆に心情が
腐敗するのでは?というわけです。
第一、私は文章こそ形式無視派だけど、意外と幾何的な思考で人間を処理することもよくある。
そうじゃないと既に破滅している。エマーソンやゲーテ的な静観性が好きだしな。
但し、今はある程度、定型的日常で保っていられるロゴスが突然破綻し、叙情が行き過ぎて
破滅することはありえないとは言えない。それは己でも確定できないわけだよ。
ニーチェだって自分が発狂するとは思わなかっただろう。発狂直前までは。
たぶん・・・

>文脈の助けを借りにくいアフォリズムスタイルの作品は難解ですな。
逆に「人間的な」とか「曙光」が好きだけどね。
ツァラトゥストラはもう私ニーチェは忘我最高!って感じ。
あんな状態になれるわけない。そう感じるうちはまだまだ私はロゴス的なのさ。

>>742
訂正、M・フリーマン扮するレッドはフルートではなく、「ハーモニカ」だったはず。

では、考えない名無し ここにありき。
今日は閉廷。




766:考える名無しさん
08/10/06 02:27:26 O
「悲劇の誕生」と「この人を見よ」を比較しているんですが、
それぞれ1ページぐらいしか読んでませんが、今のところやはり、
後者の文章が前者に比べて劣っているとは思えないですね。
どちらも名文なんじゃないですか?
少なくとも、インターネットに転がってるような無名の筆者のドイツ語よりは立派でしょうし、
シュピーゲルだかの記事よりは立派な文みたいですね。
明白な違いはただ、前者からは歓喜が伝わってくるの対して、
後者からは張り詰めた空気、それこそ雷雲のようなものが伝わってくるということだけですね。

こんなご立派な精神が突如として崩壊するんですかね?


767:考える名無しさん
08/10/06 02:46:30 O
「この人を見よ」の文章が他人の手で訂正されてないのだとしたら、どうゆうわけなんですかね…
ドイツ語的には問題ないどころか多分、名文でしょう。

早君が発狂したようになったときは、
文章がぶっ壊れてましたがね。

ただ己を雷雲から落ちる雫、雷の到来を告げる者だと語っていたようなツァラトゥストラは何か気楽そうでしたが、
「この人を見よ」の場合、本当にそんな張り詰めた気配が漂ってるような感じはします。
これは面白いですねw


768:考える名無しさん
08/10/06 03:03:14 O
どうもこれは深夜に一人でひっそりと読むのにはですね、適しませんな。
一語一語に怖じ気づいてきましたかね。
チンポも縮み上がるというやつでしょう。
その一語一語が他に何も聞こえない暗黒の中で、静かにゆっくりと、私の方へ、
どこからともなく、忍び寄ってくる…
そんな足音に聞こえてきてしまいましたね。



769:考える名無しさん
08/10/06 04:28:25 O
もしかしたらニーチェがマジで書いたのはこの「この人を見よ」だけかもしれないですね。
どうもこればかりは流石にあまり洒落になってないようで。
発狂したのは本当かもしれないですね。
後は冗談まじりの創作、遊戯でしょう。
雷は、残念ながら神のイカズチだったのかもしれませんな。
まあでもニーチェは神を意識しつつ真剣におちょくってたのかもしれません。
一種のアホですね。
神々との闘争! 自殺同然です。
だから自由になるには発狂するか死ぬしかないんですよ。
フリーターだってわかりますよそんなこと。
やっぱりニーチェってダサい。
太陽に挑み負けました。 素晴らしいですね。
マジ発狂も渾身の洒落なのかもしれない。
江頭の先生ですな。

770:考える名無しさん
08/10/06 04:46:23 O
いやこれはビビりつつウケますね。
つまり江頭がリアル雷雲の下で、避雷針を持って、おまいら俺を見ろ! 俺を誰だと思ってるんだ!!
などと時々叫びながら語るんですね。
結局、実際に打たれてしまうんですが。
まあこんな感じでしょうね。



771:考える名無しさん
08/10/06 05:36:07 0
あれだけいろんな分野に裾野を広げて思索した人間に
「まあこんな感じでしょうね」としか感想を導き出すことが
出来ない人間に対して
「まあこんな感じでしょうね」って感じだな。

772:考える名無しさん
08/10/06 06:46:55 O
日本語を解さない奴は黙ってなさい。


773:考える名無しさん
08/10/06 07:47:40 O
偽短が外人なのはわかりました。
というのも感情を込めて書くとき、母語だと詩的になり、形式的になるもんだが、
これは私もそうだし、ニーチェだってそうだろ。
より規則性を持つようになるわけだ。
発狂前の文章でさえ壊れてはいなかった!
しかし偽短≒早の場合、感情的になるほど逆に文章が崩壊してくるわけで、これは使用している言語が血になってない証拠だろう。


774:考える名無しさん
08/10/06 08:06:21 O
発狂というのは、物自体、イデア、存在、語りえぬものなどと呼ばれるものとの直接的な接触によって起きる現象なのかもしれない。
混沌ではなくむしろあまりの明晰さにこそ狂うのではないか?
それは太陽を直視することによる失明なのではないのか?


775:考える名無しさん
08/10/06 09:25:19 O
ふむ。
まあ感情的になって言葉が乱れることはあるとしても、
それは偽短の主張とは逆に反芸術的な低劣な感情が高ぶった場合であり、
醜くなっている時である。

だが「この人を見よ」の言葉はツァラトゥストラより高尚であり、芸術的である…
ここには芸人として仕事中の江頭と、素の江頭の差があるという印象を受けたわけです。


776:考える名無しさん
08/10/06 10:32:28 O
偽短や短パンが日本人だとしたら、
その言葉の乱れかたからして低劣な感情に満ちているということでしょう。
短パンはまだそれを異常な状態だと自覚しているらしいが、
偽短の場合はすでにその状態が常態なんであり異常なしという認識になっているらしい。

ともかく言葉の乱れというのは、警報になるようですね。

まあ女なら珍しくもないことかな?
しかし女の方がぐしょぐしょしてる割には男の方が殺し好きなんだよな。
なぜだろう。昔からそういう役だったからか…。
そして女は命を男より尊重している…

777:考えない名無しさん
08/10/06 10:58:32 0
>>773
なんだってそんなにニーチェやら早氏やらと比較して自分を位置づけようとするのがよくわからんのよw
例えばさニーチェの文章読んで思うことは、「高すぎてあなたにはかないません」です。
それを「まあこんな感じ」だとか比較検討することや、自分のなかで"言葉から垣間見える人間"を限定しすぎようとすること自体、
著者に対する良心が欠けているんじゃないかと思う。
ただ、君なりに自意識があるんだろうけどってのは君のここでのレス読んでわけるんだけど、
そんなことをしすぎていては?という意味で益々、叙情が悪い意味で崩壊するんじゃないかと思うわけです。
情動でも確かに色々な色合いの情念があるけれど、どれもこれも真剣な場合は、伝達性が完璧で、こちらの内心を抉り、興奮させる。


778:考えない名無しさん
08/10/06 11:02:11 0
(続き)
太宰なら、女々しいと一般的に云われるような刹那の中でも、純一に想いを伝達するし、
ドストエフスキーなら強烈な自意識に苛まれた俎上でもなおその深淵の地獄で見た己や世界観をすばやく伝達するし、
ニーチェなら書物によっても多少違いはあっても、やはり哄笑高らかで尊厳的で自由な感情ですばやく伝達する。
(『人間的な』などは、『反時代的』の情熱的な攻撃・感謝の溢れる賞賛・希望いってんばりから、突然洞窟に逃げ込んで、そこで静かに横たわりながら
ゆったりした姿勢で、観察したものを明確に滴らせている。この点、感情の興奮は少ない印象あるけれど、堀りさげたモノを伝えよとする徹底性には
生の根底に流れるある種デーモンのような目と真剣さが文体に薫り、また文章も言葉を記した瞬間の彼の宇宙感が難解なだけで、基本的にわかりやすい。伝達性にすぐれている。)
ゲーテなら静観的な目から、風景画家のように忠実に、内面に結んだ像をそっくりそのままやさしく、わかりやすく伝達する。
(「ウェルテルの悩み」は若干その後デーテらしくはない。)
そんな感想でいいんじゃないかい?
後は彼らから学んだことを活かせばいいわけですよ。
私は彼らには当然かなわない、本当の芸術家だ!という想いがある。
それで私らが日常で抱いているものを刺激や感動でそぎ落としてくれたり、そこから思索をうながしてくれたりしてくれるという宝物を残していってくれたんだよ。
(だから色眼鏡で見すぎると、よくないってのを言っていたわけだよ。)
トレースしすぎるとよくないよ。まじで・・・

779:考えない名無しさん
08/10/06 11:12:52 0
>>776
>偽短や短パンが日本人だとしたら、
ああ、私に関しては生粋の日本人とは言えない。
ひいじいさんがアイヌ人だから。だから私は鼻が整っていて、いい男に生まれたw
>その言葉の乱れかたからして低劣な感情に満ちているということでしょう。
粗暴な言葉遣いや表現内容のことを言っているみたいですな。
>短パンはまだそれを異常な状態だと自覚しているらしいが、
危険な感情が高ぶりすぎているからそうでしょう。
>偽短の場合はすでにその状態が常態なんであり異常なしという認識になっているらしい。
私は暴言・罵倒しても良心安らかだよw
ただ、それが行き過ぎると危険だというのは自覚しているさ。
そもそも、君の方が攻撃感情まで行かなくても、その<寸前>が仄見える、さっぱりしてない部分が垣間見える。
そちらの方が心配ですぞ。けっこうな感性はもってるようだけど、なんか労働しすぎじゃないかい?
以上<休廷>。

780:考える名無しさん
08/10/06 11:48:26 O
君は不要なんだがね?

私がここから消えると君も消え、私が現れれば君も現れまた毎度同様の雑音を入れる。
なんの用なんだ。まあいい。

今後一度でも君がレスしたら私は消えることにした。


781:考える名無しさん
08/10/06 12:06:45 O
かまってちゃんだなw
かまうほどにご機嫌になってしまうようだ。
荒らしの典型。

貴様にはうんざりだ!!
あばよってことさ!

さあ、レスしてごらん?


782:考える名無しさん
08/10/06 13:44:52 O
ふふ。 どうも俺が変わったのがわかってないようだな。

きっかけは短パンにいじめられたせいだな。
アップグレードした。
別人格が生じたような気もする。

これは飛び級ですよ?
努力では越えられない壁を越えてしまったようですね…
しかももう一つ先のレベルがすでに見えている。
第二次成長の次ですから私はレベル3なんですね。
失礼ながらみなさんの多くは2止まりなんです。タモリはレベル4なんですよ。
いや妄想ですよ。 遊びです。なにこれワロタ


783:考える名無しさん
08/10/06 15:09:23 O
まだレスないんですね。

本気でいってるのがわかりましたか?偽短君。

まあ第3次成長なんてのはあるのかわかりませんが、多少、変わりましたかね。
よくわかりません。なんでしょう。
人格が新たに生じたのかもしれません。
例えばこの話かたですがこれは演技ではない…いつからか意識を支配し、思考を繰り広げるようになった何かなんです。 その自然発生的な言葉をこうして綴っているわけです。自動的な思考ですね。
無意識というのが一部意識化したのかもしれない。
では以前の私はどうなったのか?
以前の私が今の私になったのか?
以前の私は意識の支配権を失いどこかにいるのか?
例えば以前の真似をしようと思えばできるような気もしますができないですね。
昨夜から午前中にかけてちょっと現れましたかね。恐怖を覚えたときですね。
すると彼は恐怖から心の奥底に引きこもったのかもしれませんが、恐るべかものに反応して出て来るのでしょうか?
二重人格? 演技かもしれませんね?
わかりません。
では、あなたの無意識はあなたなんでしょうか?わからないでしょう?
私が以前の私より能力が高いのかどうかこれもよくわかりませんが、高いような気がしますね。しばらく様子見です。

784:考える名無しさん
08/10/06 15:26:48 O
以前の私はやっぱりいるんですが、
面にはなかなかでてこなくなったといえますかね。
私と同居してる。しかし私とは話さないですね。

まあ嘘ですよ。二重人格だなんて都市伝説でして。
ついに病気に? かもしれませんね。
というか逆に治療でしょうね。
彼では生きられない世の中です。
とはいえ私ならば生きられるのかといえばやはり難しいでしょう。昔から私が支配権を握っていればです、それはそれは余裕だったでしょう。
ですがなにしろ私は彼の後を引き継がなければいけない�%f

785:考える名無しさん
08/10/06 15:29:06 O
携帯がもう駄目ですかね、続きです。

ですがなにしろ私は彼の後を引き継がなければいけないんですからね。厳しいです。
でもやはり余裕かもしれないですが。
それほど彼とはレベルが違うかなと。
腐った? 腐っちゃいませんよ。
腐らないようにできてますから。
わけわかりませんね?
妄想ですからね。



786:考える名無しさん
08/10/06 15:37:00 O
さて、これで終わりですかw
残念です。誇り高き2ちゃんねらとして活躍したかったのですがね。
しかし偽短君にはうんざりですからね。 あなたも、これでうんざりでしょうか? これが演技なのかが問題ですが。
なんかよくいる典型的な悪者みたいで恥ずかしかったですよ!
いやはや。

787:考える名無しさん
08/10/06 16:09:42 0
う~ん、なぜ突然怒られるから、実はよく私はわからないんですよね。
例えば、罵倒とかそういったものを根に持たれたのかもしれないしとか、
考えはしますが・・・
後は、何分自信過剰なものでして、私のニーチェやその他に関する見解や、
その途上で反抗してくるあなた達の見解に対してする意見は、かなり的を得ていることが多いと考える。
それがたぶん尚更、怖がられたり、恨まれたりする要素かもしれないとは反省はします。
>しかし偽短君にはうんざりですからね。 あなたも、これでうんざりでしょうか? これが演技なのかが問題ですが。
う~ん、私は特にあなたにうんざりすることはないですがね。(あなたが私に対する"うんざり"のようまでのギリギリ感はないということです。)
但し、偉人の書物を顕微鏡で見るような掴み方は、軽蔑している。
あなたがそんなに強く思っている以上は、あなたにとっては迷惑きわまりない奴だとは認識してます。
それとあなたもそうだし、短パンさんもそうだけど、突然!怒り出すことが私にはてんで理解不能であります。
漠然と何か溜め込んでいるからというのはわかるのだけれど、
それがあるなら、苦しくてもいい洗いざらい書き込んでもらいたいと思うんです。
ここでは顔が見えないですから、どんなものか解らない相手への恐怖というのを漠然と持っているのかもしれないですね。
そんな点で実生活の人間よりは怖いのかもしれない。それと同時に、その見えないがゆえに、
言葉尻を誇大解釈してしまう危険性も孕んでいる。よい意味でも悪い意味でも。


788:考える名無しさん
08/10/06 16:31:42 0
>なんかよくいる典型的な悪者みたいで恥ずかしかったですよ!
本音を言いにくいけど、言いたい、でも言うのが怖い、でも言いたい、
言ってしまえ! ってな感じの場合は恥ずかしいですよね。
だから、罵倒したりしたことに関しては、
「ああ、もしやあれが原因で・・言い過ぎたかな」って想いにも、なります。
そんなときもそうですが、私は会話・対話を重んじます。
この投稿見てれば解るはずです。
あなたはそれでも対話の最中に、怒ってしまったわけですから、何が怒らせたかを一生懸命考えますけども、
突然何日かぶりに「こら!」とか板で喧嘩うられるのはごめんです。
そんなに私は悪人なのかな? 自分で考えて見ますよ。
  

789:考える名無しさん
08/10/06 16:54:48 0
短パンさんも偽短さんも、私にとってはつまらないからほとんど読まなかったけれど、
偽短さんは早君だったのか。

>>778

相変わらずの感想文だね。
そういう感想文を書く意味というか、神経がわからないよ。



790:考える名無しさん
08/10/06 18:11:10 0
ロゴスについての携帯君の指摘はかなり当たっていると思うけれど、
早君自身も前よりは自分のことを分かってきたみたいな感じがするね。

早君のはあくまでもディオニュソス的なもの「への憧れ」であって、
ディオニュソス的なものからはほど遠いということ。


791:考える名無しさん
08/10/06 18:31:19 0

本気で俺=早氏と思っているなら、それは俺じゃなくて彼に対して失礼だと思うけど?
でも、私は彼の過去スレの文章読んで、基本的に考え方は同じ部分たくさんあるけどね。
まあ、前スレでは金曜日氏と間違えられたし、短パンさんとも間違えられたし、
私には俳優的性格がおありらしい。どんな文章でも文章家の心を可能な限り想像し、
その後はそれを模造することで本当にそういう口調に変化させることが容易にできる。
たぶん、無限人格なんだろう。にゃはは。
まあ、同一人物と思い続けてください。
俺は早氏よりもロゴス重視だし、実際に破綻するほどの経験はない。
"ごめんなさい"も感じねえし。
(少しは、良心くらいあるけど、、、、ね?)

792:考える名無しさん
08/10/06 18:43:54 0
>本気で俺=早氏と思っているなら、それは俺じゃなくて彼に対して失礼だと思うけど?

なんだ、違うのか。それは失礼。
しかし早君を高くかっているところから見ると、あなたも相当若いんだね。
まあどっちでもいいけど。さよならw


793:考える名無しさん
08/10/06 22:00:20 O
おかしな話ですが偽短君は知能が殆ど無いみたいですね。
どうやら偽短君は影の影ぐらいしか見えてないですね。
偽短=早が正しいとしてもニーチェのような失明ではないと思います。
少しでも認識させようとした私は阿呆でしたよ。お恥ずかしいことです。
彼のいびきにはうんざりです。
雑音に対しては私は弱いですよw
勢い二重人格になりましたか。
携帯でもNGワード設定できれば少しはましになるでしょうが。

で、ニーチェは影の世界から出ましてなぜか太陽を直視し続け、失明したんだというのが私の印象です。

やはり雑音が入ったせいか途中になってますがツァラトゥストラの段階でも彼は私の「ザラツストラ」のように太陽を見たが、その時は目を閉じた。
で、続きはこんな感じになるかもしれません。
それからザラツストラは無心で歩いていたが大きな木に出会うと立ち止まり、
こう語りかけた「…」
この時点で彼は最後を決意した…
つまり太陽を直視し続けること、稲妻の直撃に遭うことを。

まあこんな感じになるでしょう。

794:○丸
08/10/06 22:35:37 0
太陽の目とは、自分で照らし見る認識の事であるが、
現在は、ニーチェの間接照明で、考察中。

795:考える名無しさん
08/10/06 23:07:43 O
こうゆう創作文といえば携帯小説サイトというのがありますね。
で、あれを見てみますと日本語が下手な人が多い。
うまい人も稀にいますが。
書籍化されているような小説でもプロの文章とは思えなかったりします。
まあ人気があれば売れるわけですな。
いままで出版社の中の人も大変だったなと思いましたが、
投稿サイトにある自動的に人気のある作品をピックアップできてしまうシステムというのは商売として効率的ですね。
そういうシステム構築により金儲けは金儲けとして割り切ることで、
多少余裕の生まれた出版社の中の人はこだわりのある本づくりをするようになるわけでしょう。
情報化によって格差は広がるんでしょうね。
一見平等な話のようですが、天は人の上に人を作りますから、平等の社会的条件で生かしますと差は広がります。
切りやすい派遣の増加も社会的条件の平等化の現れであり生命体としての天性の不平等による格差拡大を惹きおこします。
そうしますと垣根に守られていた人々が凋落していき反抗しだすわけです。
ですが時代の大きな潮流としては社会的不平等、垣根の撤廃に向かってるわけであり、これに逆らうことは無茶でしょうね。

796:考える名無しさん
08/10/06 23:18:35 O
思うに短ぱんや偽短というのは暴力、権力をちらつかせて遊んだりしますが、
彼ら自身の能力というのはむしろ低いでしょう。
ようは垣根撤廃により困る人たちなんですね。
ニーチェは社会的な不平等と自然由来の生命体としての不平等のどちらを好ましいと思っているのでしょうか?
どちらでもなくその一致でしょうね。


797:考える名無しさん
08/10/06 23:34:37 O
平等の社会的条件で、最も有利なのはユダヤ人でしょうな…。
やはり、社会的にどん底であること、追放された者であることというのは、
大地に立たされることなんでして、
そしてそこには何か偉大な力が働いてるわけです。
大地そのものが恐るべき力で律動している。
その力を多少借りられるのかもしれませんね。



798:考える名無しさん
08/10/06 23:56:20 0
反応の連鎖は続くようですなw

私を知能が低いと思おうが、文章が下手だと思おうが、そんなことは私には関係がないのよ。
むしろ、そういう観点を意識している君の考えをまず見るようにするんです。
で、「こちとら」さんの文章を上手だと思う人がいるのは不思議。いるの?
少なくとも、私は"駄文"の典型として扱っています。
ほとんど駄文。考えている内容も、深さも大したない。伝達性の速度も遅そうです。
考えが明確な像を結んでない曖昧なまま、とにかく書いているんだけど、曖昧でも"言葉にするのが難しい"曖昧さではなく、
既に考えていること秩序ずいておらず、破綻きたしかねている。
意外と私より論理性もなさそうです。数学苦手でしょ?
頭の回転も遅そう。言っている内容も、ある概念を既に悟性のほとんどを占めていて、
基本的な基盤や地平線的目線が他人の意見で覆われているかのようです。
(もちろん、考えている内容から、人格、感情のテンポ、恐れているものなどを瞬時に見抜ける。
でなっきゃ、俺のこと怖がらないのはずだ。)

799:考える名無しさん
08/10/07 00:00:03 O
ユダヤ人の怒りというのは、あるわけですよね。
やはりその怒りが大きな流れとして昔からあるんではないかと思いますよ。
というのも、生ある者というのはユダヤ人ぐらいでして、他の民族は社会に守られて地に足がついてないでしょうに。
ヒトラーはそんな深い大地の動きに抵抗しようとしたんだとおもいますね。


800:考える名無しさん
08/10/07 00:12:03 0
>こうゆう創作文といえば携帯小説サイトというのがありますね。
携帯小説なんて読んだことあるのか・・・さすが携帯君です。
携帯を肌身離さず持ち歩く人達が世間のくだらん現実の流行やら、時に閉塞しきった感情の内向性やらを
ポエム!などと書いている人間の魂の律動に寄与しない、まさに末期人間の歎きでしょう。
でも、それにデビューしたいなんて思う人がここにいるらしいです。
まさに"活字の没落"は精神の荒廃の総体である"人間の没落"です。
「精神は神、やがて人間、今では賤民」。それすらを通り越したようです。
うん。やはりここはある意味そういった没落人間の巣窟と言えそうだ。
私もその一人かもなあw 身を洗い流して、清めないといけない。
《但し》、朽ち果てた廃墟に潜む幽霊達も、その幽霊になる前は人間であったわけだし、
当然、物心つく以前の"原初性"や本能的思考を持っていたわけです。
そんなものを、廃墟のおが屑で詰め込んだ脳の容器を眺めるのは、現状を把握するのに良い。
とも思うのである。

801:考える名無しさん
08/10/07 00:14:44 O
想像を続けますが、
ユダヤ人は結束力が極めて強いんでしょうが、比較的少数民族でしょう。
ならば他民族の結束に対して刃を向け切り離すというのは戦略として当然あるかもしれませんね。
ごちゃまぜのアメリカなどはユダヤ人にとっていい場所になるんですし、
私にはよくわかりませんが、昔のドイツ、日本には、ゲルマン魂やら大和魂とかいう都市伝説があったので問題だったのかもしれないですね。

802:考える名無しさん
08/10/07 00:36:56 O
個人、社会的平等、自由などの近代的な旗印は、
反民族主義的なるものです。
反社会的なるものです。

個人主義や自由主義だけでなく社会的平等も社会の弱肉強食化になりますね。
これが実現してくると、ユダヤ人のホームで常にゲームをすることになります。
これは負けます。当分負けます。滅びたりします。
日本はほぼ解体されましたかね。
こうゆう歴史的な流れをユダヤ人が左右しているなんて話は韓国人的な誇大妄想の気がありますな。
ユダヤ人のちょっと異常な力というのも
自然の力なんでしてユダヤ人自身の力ではない。
自然が自然の秩序に逆らおうとする社会を好むのでしょうか?
そうはいえないでしょう。
やはり自然の秩序に社会も準じなければならないのです。


803:考える名無しさん
08/10/07 00:46:00 O
社会的平等が弱肉強食に繋がるというのはおかしい話でした。
いいたかったのは機会の平等のことです。
機会の平等によって自然の秩序が社会に反映されるわけです。

804:考える名無しさん
08/10/07 03:24:41 O
ひろゆきは思想はあまり語らないようですが、ユダヤ人向きのものでしょう。
それは2ちゃんというシステムに表現されているわけです。
私たち2ちゃんねらは、自由のようで不自由です。
名無しのようで囚人のように番号がついてます。
ですが管理の仕事は基本的にシステムの構築、管理にばかりあり、
私たちは殆ど管理の対象にはならない。
管理人にそんな暇はないのです。
私たちは勝手にシステムに入ってきてシステムに管理される。
これは一種の社会ではありますが自然に似ています。
そこにただあり働き続けているものです。
そして私たちはどこからかやってきて過ごしているだけです。
これはアナーキズムの一種なんですね。
権威がないところです。
常にスレは過去に落ちていき板は常に開拓期にある。新天地であり続ける。
生成の無垢ってやつでしょうか。
リアルにおいてもこうゆう無政府主義的な寡黙なシステムの構築が続けられてきていると思います。
そんな中、天皇の人間宣言のような権威の失墜が途中でボコボコおきてくる。


805:考える名無しさん
08/10/07 03:38:33 O
ここでは何事も流動的なんです。
たとえばチンポがスレを立て盛り上げたとしましょう。
彼が来なくなったら? 終わりです。
常に生み続けねばならないんですね。
基本的に残らない。 川の水のように。
チンポがレスをするたびにチンポは下に流れていきます。
水は流れ続けてなければ働かない。
しかし働けば流れ去ってしまう。
いわば2ちゃんはヘラクレイトスの川なんですね。
常に生成し続けねば虚無でしかないところです。

806:考える名無しさん
08/10/07 03:51:53 O
音楽に似てますね。
音楽は川のように常に流れていなければならないわけです。
止まれば死ぬ性です。生はそういうものです、流れていかねばならない。
安定していることは安全でしょうが、そこに生はない。

807:考える名無しさん
08/10/07 04:27:28 O
生成し続けねばならない…
チンポには何かを残したいという気持ちがあるんですね。
2ちゃんではそうはいかない。
過去スレ? 死んでます。
生成し続けない限り何も存在しない形式、空虚な場において生きて果ててみても虚無しか残せません。
だからこそ空虚だからこそ生成し続けねばならない。
存在ではくむしろ無があるのではないか?というようなところでこそ、
生は己自身を生成し続けねばならないものになるのです。
生成と無は密接な関係にあるんですね。
生成しかないし、その形式はいわば「有る無」でしょう。或る無でもいいでしょうが。
生成はある無から現れある無に還る。
生成とある無しかないんでは?
存在なんてあるんでしょうか?
内容というのはないようというやつかもしれない。
形式の運動が生成だとか…
運動する形式そのものが生成であり、力だとか…

808:考える名無しさん
08/10/07 05:58:49 O
生は己自身を常に超克し続けねばならない…。
生は水のように軽快に登って行きます。
そして、高山の薄くて冷たい空気に触れつつ重くなっていき、登れなくなると没落を志向する…
このような流転に生がある。
歴史は動きです。止まった歴史は終わった歴史です。
動きの中に歴史はある。
生とはロゴスみたいなものでしょう。
ロゴスというのは、様々な意味合いがあります。
例えば理性、話とかいう語義があります。
話は動きの中にあります。音楽と同様です。
理性は思考と共にあり、考えない理性はありません。
思考という一種の流れの主語です。
ギリシャ語のロゴスが話と理性が同じ語で表されることからして、
ギリシャ人は理性を動的なものとして捉えていたのかもしれませんね。
生は動きにありますから、古代ギリシャの哲学者は思考において生きていたと言えるでしょう。
その言葉の数々は川のように生き生きと流れてはキラキラと輝いていました。


809:考える名無しさん
08/10/07 06:03:13 O
×ギリシャ語のロゴスが話と理性が同じ語で表されることからして、

○ギリシャ語では話と理性がロゴスという同じ語で表されることからして、


810:携帯小説風味
08/10/07 06:19:17 O
あなたはあなたですか?

あなたの心臓はあなたが動かしているんですか?

昨日のあなたは今のあなたですか?

あなたはどこにいるんですか?

あなたが見当たりません。

この流れの中には。

流れに生があるならば、

あなたは生き物ではないんです。

世界の中で死を叫びますか?

あなたは声を出せません。

あなたは動けないのだから

どこにもいないのだから

世界外存在なのだから・・・。



811:携帯小説空間
08/10/07 06:46:49 O
~プロローグ~


私って・・なに ? な・ん・な・の?

わ た し

砂浜にそう書いた少女の名は幸子11歳。
まだランドセルを背負って学校に通うどこにでもいるような女の子である。
彼女は学校で孤立していた。家庭でさえも。
彼女にとってはいずれにしても単なる環境でしかなかった。
この日も彼女は授業が終わるといつものように事務的にランドセルを背負うと一人に帰路についた。
そして風に運ばれてきた海の香りに誘われるようにして砂浜にやってきたのだった。

砂に刻まれた三文字…

わ た し

彼女は波がこの文字を洗い流す様子を眺め続けていた…
涙が一雫、頬をゆっくりと伝わっていく。
赤々とした夕日は涙の膜を通して歪みつつ地平線の下に落ちていった。

闇に包まれた彼女は…微笑んでいた。


~プロローグ~(完)



812:小説先生
08/10/07 06:57:12 O
過去形が多すぎるために具体性が足りていません。
もう少し現在形、現在進行形を増やしましょう。
「歴史的現在」という表現方法もあります。
一度お調べになるのをお勧めいたします。


813:考える名無しさん
08/10/07 09:13:18 O
これぐらいのレベルの小説なら量産できます。
そのうち売り込みにいきますね!
いえいえ、買ってくださいm(_ _)m
そこをなんとか。 (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)



m(_ _)m (?_?) (ノ_・。) ヾ(≧∇≦*)ゝ
ワロタ ウレルマエニシヌカモ


814:考える名無しさん
08/10/07 09:30:06 O
というわけなんだよ偽短君、寂しくなるな…。
レベル3で待っているぞ。
目指せレベル4だから待たないけど。

それ自身における差異か…
それ自身における差異…
それ自身における差異… それ自身に向かう反復…
これって同じことかもしれない。
創造あるいは生成の一定義かもしれない。
そうでしょう、創造性豊かな皆さん!
ワロタ。
人間だもの…

815:考える名無しさん
08/10/07 10:47:05 O
哲学研究者じゃあるまいし誤解でも誤訳でもすればいいんだ!
なるほど。 確かに幹爺によるとニーチェは言葉の泉のようである。
数多くの文筆家の招き猫になってきたことだろう。
市場の蠅たちよ…。
だがニーチェ自身そんなハゲタカのように喰らいついていったんじゃないのか?
自己蔑視! これにより我々は川に身投げをする!
華厳の滝から飛び降りるのだ! 日光よ!日光よ! と叫びつつ…
そして川に落ちる。死ぬ…これは死ねる…
そこに桃が流れてくる。割って入って閉じこもる。
しかしプカプカと流れていく…開けてびっくり桃太郎の出来上がりさ。

このようないわば「生に向かう死」によって人は飛躍的にアップグレードするのかもしれないし、死ぬのかもしれない。
生に向き合う死…それが真の江頭伝説である。
私はニーチェ及び三島の死に日光を見た。
それは恐るべき快感であり熱情であった。
私ははっきりと見たのだその恍惚を見たのだ。
己の限界まで成長していた彼らが尚もう一段階の自己超克を果たすためには命を尽くして日光に赴くしかなかったのだ。 最高の最後を遂げた彼らの死に顔は穏やかだった。
そんな二人の亡骸の側では江頭が踊っていた。
一生懸命だった…



816:考える名無しさん
08/10/07 12:06:17 O
私もこう創造性豊かな自己軽蔑をほのかにでも覚えるようになりますと、
何故に文学者とかが自殺するのかわかる気もしますね。
おっといってました。
創造性豊かな自己軽蔑!創造性への軽蔑!
創造性とは多重債務でなくてなんだろう?
それゆえに創造者は与えねばならないので没落せねばならないのだ。
そんな富の貧しさに倦んだ日々を日光は癒やし続けてくれる。
日光よ! 私はあなたを愛する!
私に欲望を教えてくれる超人を!
あなたを愛する!

かなりちがうようですがきっとそんなファウスト症候群みたいのにかかるわけですな。

817:ニーチェ引用
08/10/07 17:58:08 O
Nun heisse ich euch, mich verlieren und euch finden; und erst, wenn ihr mich alle verleugnet habt, will ich euch wiederkehren…

An diesem vollkommnen Tage, wo alles reift und nicht nur die Traube braun wird, fiel mir eben ein Sonnenblick auf mein Leben:
ich sah rueckwaerts, ich sah nie so viel und so gute Dinge auf einmal.


818:ニーチェ引用訂正版
08/10/07 18:01:05 O
Nun heisse ich euch, mich verlieren und euch finden; und erst, wenn ihr mich alle verleugnet habt, will ich euch wiederkehren…

An diesem vollkommnen Tage, wo alles reift und nicht nur die Traube braun wird, fiel mir eben ein Sonnenblick auf mein Leben:
ich sah rueckwaerts, ich sah hinaus, ich sah nie so viel und so gute Dinge auf einmal.


819:考える名無しさん
08/10/07 18:26:38 O
きたこれ。
「おまえが雑魚になるんだ!」
まんざらはったりばかりでもなかったらしい。
ふふ。短ぱんか、すごいやつだ。

(パチパチパチ)
素晴らしいよ、その戦いぶりといい、そのセリフといい、
さすがに惑星ベシタブルの王女というだけのことはあるよ。

「こいこいこい!」

あと少しだ、あと少しで何かが掴めそうなんだ…
なるほど幽助がわかったぞ!
ふふ。私も漫画がわかったきたようだな。

820:考える名無しさん
08/10/07 18:56:45 O
私の飛躍的にアップした洞察力によれば漫画の秘密も氷解してしまう。

たとえばドラゴンボールのウーロンだがこれはウーロン茶が語源なのだし、
プーアルはプーアル茶がそれなのだ。
基本的に鳥山明氏の好みによって名前がつけられているわけだ。
そもそもアラレちゃんからしてお菓子の名前である。
忙しい連載漫画家にとっての楽しみといえば食事ぐらいだったのかもしれない。
キャラの名前から連想した光景ばかりを楽しむというそんな駆け出しの頃もあっただろう。
それにしてもぷりぷりのブルマ16才という異例の設定に純真なる小さな私の心は動揺を隠せなかったものだ。


821:考える名無しさん
08/10/07 21:55:26 0
>>820
TVは嫌いかも知れないが、今日はめずらしく昔のヒット曲やってるから
見てるよ。
いいもんですよ。(70年代、80年代の曲、私の生前、生後くらいだ。)
美空ひばり とか 歌上手すぎだ。声が違う。胸に沁みるぜい!
宇多田などより遥かに上手い。
こちとらさんも落ち着いて、たまに嫌いなTVでも如何がですか?


822:考える名無しさん
08/10/07 22:21:22 O
>>821

テレビは持ってない。



823:考える名無しさん
08/10/07 23:06:14 O
わたしの江頭伝説あるいは桃太郎伝説は命懸けだからな。
死の瀬戸際において何か非人称的なるものに人は生きながらも直面するのだろう。
その恐るべきものに挑み続け、愛し続け、真の江頭伝説を創造した者が勇者ニーチェなのであると思う。
その恐るべきものが「超人」に違いない。
ともかく、ツァラトゥストラにおける「超人」と「動物」の間に生きる「人間」は創造する者のことであり、「生ある者」を意味するねだと思われる。
その自己超克の果てに超人に愛を告白するのである。
これは音楽の魂からの悲劇の生成である。

824:考える名無しさん
08/10/07 23:27:21 O
Geburt という言葉は、Werden生成を静的に捉えた言葉でしょう。したがって、誕生やら系統という意味を通常表す。

だがニーチェにおいては場合によっては静的な意味合いをとっても差し支えないと思う。
あるいは動的な意味合いを付加してもいいと思う。

といわけで悲劇の生成という誤訳なのです。
意訳という翻訳者の盾になる便利な言葉もあるんですし。
それでいいのだ!


825:考える名無しさん
08/10/07 23:39:55 0
そういえば、江頭は最近TVに出てるのかな?
さっぱり見かけない。TVでも芸能・政治・経済・サッカー以外のスポーツは興味ないから
さっぱり知りません。
タモリももちろん見てない。でも彼は本物芸人だろう。
テリー伊藤を見かけると殴りたい気分になるw
(あれぞ、現代木偶タレントのサンプルだろう。あと一緒になんかに出てる歯科医だか整形外科医だかのくそ尼。)

826:考える名無しさん
08/10/07 23:45:20 O
誕生というと、ある存在が存在し始めるという意味がある。
しかしニーチェの辞書に存在という言葉はないんであります。
悲劇にしてもロゴスとして音楽として、常に生成されていなければならない。
永遠の生成の相の元にある。
そしてその大元から離れて存在することはできない。

ギリシャ悲劇の記録を参照して彼は音楽の魂から悲劇を生成したんであります。
要するに「悲劇の誕生」はニーチェの人生の脚本なんでしょう。
ですから「悲劇の生成」という意訳でいいんです! それでいいのだ!


827:考える名無しさん
08/10/07 23:50:03 0
こちとらさんは感受性が強い と踏んでいる。
なぜか知らないが。
ショーペンハウアーは感性と知性が優れていると最も苦痛すると「天才論」で語っていた気がするが、
まあ確かに、感性の深さ、つまり喜怒哀楽の深さなどが深みを増す時に、
それと付随して、理性的部分(思考)の深さも増すとは一般的に言える。

828:考える名無しさん
08/10/08 00:37:24 O
生ある者によるパクリ学習は生成の相の元におかれ、動きだし、あたかも創造とも思われるのでしょう。
学習、生成、創造は殆ど同じことで、それ自身における差異であり、それ自身に向かう反復であり、自己超克でしょう。
創造物とは律動する生の一描写でしょう。
すなわち、音楽の魂においてはおそらく、学習された曲は再びそこで誕生し、生成変化する、自ずと作曲になるのです。いわば単なる解釈ですね。視点の違いともいいます。
したがって魅惑的な即興曲を奏でられるか否かということが生ある音楽家であるかどうかの試金石になるでしょう。
しかし音楽で「タモリ」は難しい。
普通周りに音楽を話すような人がいないわけですから。
母語は元気であるかは別としても私達と共に生きているんですね。
しかし音楽を母語とするのは偉いことです。
ある音楽家の曲というのはいわば一曲しかない。
各曲はいわばその写真集なんですね。

イデアは地上にある!
地上で生きている!
見よ!この大地に息づく生ある者を!
というのがニーチェの認識でしょう。
地上で蠢く生がイデアだということです。
そしてその生き様が「創造」であり、その生写真が各「創作」でしょう。
飛んで火に入る夏の虫ですか…

829:考える名無しさん
08/10/08 00:53:08 O
>>825
江頭はたまにしかでないようにしてるんだよ!

しかし偽短君の認識能力は表面的すぎるようだね。
??!!
おまい地上から追放されてんじゃん!
ヤバいね。 あれか虚無の海だっけ。
なんちゃって貴族!


830:考える名無しさん
08/10/08 01:13:10 O
なるほど!
どっちかというと偽短≒なんちゃって貴族説の方が正しいようだ。
この世から追放された者。
さっきのプロローグはあれかお前が俺に聞かせてきたことの一解釈なんじゃねえの!
この世界外存在めが!


831:考える名無しさん
08/10/08 01:35:15 0
>しかし偽短君の認識能力は表面的すぎるようだね。
そうかな~?
真面目な話、こちとらさんの今の状況が少し、心配で色々雑事の最中に覗いているんですけどね。
余計なお世話ですが。だって、夜中ずっと起きているみたいなんで、
平凡なおばさんのありきたりな意見で言えば「早寝、早起きが一番にしてくださいね。」
ではでは。
眠りは「短い死」であります。意識していることが「生」と仮定すればですがね。

832:考える名無しさん
08/10/08 01:40:00 O
世界内存在というのはない。
世界は生成であるからだ。
しかし世界外存在というのはありうる。
いや、ある、と思う。
それはある意味無力である。
いかに重いとはいえあたかもブラックホールのように己の重力に縛られている。
ただあたかも幽々白書に魔界と地上を結ぶ穴があるように多少なりとも地上と交流することができる。
しかし強い魔力をもつ者ほど地上にでてくることができない。
あるいはダウングレードしなければ出てこられないわけだ。
その穴とは「死の穴」である。
ここに近づく人間はもちろん死にがちであるが、
生還できればアップグレードするのかもしれない。
魔族に目をつけられてしまっている私は、まさか闘神雷ゼンの子ではないのか?
まさか…

私は発狂したのだろうか? 遊んでいるだけだろうか?
それとも真相を語っているんだろうか?
その答えはいわゆる実力がついてくるかどうかでわかってくるだろう。


833:考える名無しさん
08/10/08 03:00:30 O
私は小説家よりもむしろ翻訳家になりたいと思っている。

そこで翻訳家としてどうあるべきか考えているところである。

まず、当たり前であるが翻訳家は誤訳をしてはならないのだ。
仕事でミスをするということは、評価が下がるということであり、仕事を失うことにつながる。

だが数ページならまだしも数百ページにも及ぶ書物を訳す場合には、
ぶっちゃけ100パーセントの確率で誤訳をしでかすことになる。
誤るものだ。人間だもの。謝ればいい…
しかし謝れば済むことばかりではない。 ああ厳しい現実!!
したがって、私は保身のためにちょっとしたトリックを使う必要があるようだ。
つまり誤訳をごまかす技術を磨かねばならない。

まずわからない文は飛ばそう…
これはいつかはバレルことだが、謝りつい見落としたことにすればいい。
これでダメージを軽減することができる。
これはいわば「守り」である。


834:考える名無しさん
08/10/08 03:10:40 O
次は「意訳」だ。これは歴戦の翻訳家たちの発明なのだろう。
そう、文というのは、それを構成する語の多義性により多義性を持つ。
そこでたとえ私が誤った解釈をして、指摘され、その指摘が正しい指摘だとわかってもだ、
命にかけて認めるわけにはいかない。
私はこれは「意訳」だと主張する。
私の誤りを指摘する奴は私の過ちを証明せねばならないはずだ。
文脈は味方でありながらも敵である。
その証明は文脈を味方につけてくるだろう。
ならばこちらも「意訳」という言葉を皮切りに文脈で対抗するのだ。
この時点で、争点は文脈となる前後の文達に移行する。
ここですでに私は「守り」を成功させている。
文脈は文脈は呼び、ついには争点を参考文献に移動させることが可能である。
こうして争点が拡散していくなか私の過ちはうやむやになるわけだ。
逃げるが勝ちだ。 ふふ。

835:考える名無しさん
08/10/08 03:37:42 O
逆に人の過ちを指摘する場合というのはどうであろうか?
何のための指摘なのか?
追い込むためなのか?
正しさのためなのか?

翻訳家が翻訳家の過ちを指摘しあい切磋琢磨するということは、
なるほど、聞こえは確かにいい。
私もできればそうありたいと思う。
私は正々堂々とした勝負をするということを理想としている。
しかしそれでは共存にはつながらない。
翻訳家としての能力は批判し合うことで上がっていくだろう。
だが仕事の場は教育の場ではない。
そこに理想を持ち込めば潰し合いになってしまうのだ。
つまり同業者の過ちを指摘しないということが基本的な態度、心得になる。

すると誤訳は基本的に流通し続けるということになる。ふふ。


836:携帯小説空間
08/10/08 05:53:51 O
~第一章~




「助けて!・・・・誰か・・・助けてよ・・」

心の中で幸子は声にならい言葉を紡いでいる。何かに追われている様子だ。
息を切らして走っている。

「どうして追われているのだろう。どうして逃げなきゃいけないの?」

彼女はそう呟くと足を緩めていった。
追っ手の影に包み込まれると、彼女は立ち止まり後ろを覗き込んだ。

「誰もいない・・・。」

彼女は不思議そうに来た道を辿り始めた。
何かがおかしかった。「何かが足りない…」のだ。
そう思いつつ彼女は辺りを見回している。
幸子は「あっ」と微かに囁いた。
彼女の見つめた先にはアスファルトの窪みに何の変哲もない水たまりがあるだけだ。
風に揺られる水面に街灯が朧気に映りこんでいる。


837:携帯小説空間
08/10/08 05:55:07 O
彼女は意を決したように街灯の方へと首を向け、焦点を発光体に向けて徐々にずらしていった。
その光に目が眩んだかの如くに顔を背けると目をきつく閉じて「くそっ」と静かに吐き捨てた。
そしてゆっくりと開かれていった目は空を仰ぎ、柔らかい光たちにくつろぎを求めている。
だがそこでは鋭利な月が彼女を眺めているのだった。
それに気がついた彼女の胸が彼女を圧迫している。
座り込んだ彼女の瞳から溢れだす涙はゆっくりと頬を伝い、
あの水たまりに飲み込まれている。
その水面に彼女の影はなく、街灯の明かりばかりがぎらついていた。

838:考える名無しさん
08/10/08 06:09:10 O
うむ。どうも偽短君がモデルみたいなので執筆は難しいようだ。
オヤジの幸子11才コスプレとは!
そんな変態のイメージが頭をよぎるのだ。
ダメだ書けない! もう書けない!!
これが創作の苦悩、生みの苦しみというものなのだろう。
耐え難いものだ。私はもう枯れてしまったのだろうか。私の言葉は泉は…。

839:考える名無しさん
08/10/08 06:25:01 O
11才の女の子が「くそっ」と吐き捨てるだろうか? まさか!
そんなはずはないのだ。
そうだ、やはりオヤジのイメージが既に混入してしまっているんだ。
そうにちがいない。
私は信じているのだ、11才の女の子ならばアイドルのように屁もしなければくそもしないという都市伝説を。
しかし、哲学徒として私は11才の女の子にだって邪気が侵入するということを認めなければならないのかもしれない!
現実は厳しい。 男子の影における邪気溢れる女の闘争を認めなければならないのかもしれない!
そう私は放課後に学校に戻ったことがある… なんと… いえやしない、いえやしないんだよ。
恐るべき真実よ…


840:考える名無しさん
08/10/08 09:26:52 O
江頭伝説とは何か?

これは一種の実践哲学である。
「今、ここ」の実践哲学ともいわれている。
主要概念は「数学的一点」である。
象徴的には「生の開花」、「巣立ち」、「爆発」、「雄叫び」、「バンジージャンプ」、「綱渡り」、「生体実験」などなど約5000種類もの表現が考えだされているという噂もある。
また感想の例としては「崇高なるギャグ」、「崇高さと滑稽さと」、「中身だけ」、「キモい」、「なに考えてんの」、「ばかじゃん?」、「えんがちょ」、「イケメンの転倒」、「やだ~」などがある。
江頭本人の発言は半ば神格化され、啓示として流布しているが、
江頭が感嘆詞以外の品詞を発音できるか否かさえ、まだ確認がとれていない。
したがって彼は架空の存在であり、人々の深層心理の生み出した共同幻想だと主張する人たちも少なくない。
江頭は実在していたがもう他界したという説もあるが、その根拠は薄弱で、
江頭が雷雲のもとで避雷針を携えつつ踊り狂っている中、案の定、雷に撃たれて倒れたという夢なのだそうだ。

841:考える名無しさん
08/10/08 10:07:49 O
要するに現段階においては江頭本人は正体不明であるというしかないだろう。

では彼の哲学は何故に「今、ここ」の実践哲学といわれるのか?
そこでその主要概念である「数学的一点」を手がかりにして少しでも説明したい。

数学的一点とは通例ある空間上の任意の一つの位置自体を示すものであり、
物自体のように、その実在性は疑問視されているものである。
だが江頭哲学によると、これは「感動の絶頂」といわれ、感動が、「今、ここ」にある一点に圧縮された状態を意味する。
その一点はあまりのエネルギーにより時空間上に異空間につながる穴を開ける。
江頭は異空間につながり暴発しているらしい。
「男は見た目ではない爆発だ」とは江頭の常套手句だともいわれるが、
では江頭は暴発中に一体何を見ているのか、
如何にしたら感動を数学的一点に集めることができるのかという疑問には誰も答えてくれないのである。
ただこれだけはいわせていただく、実践するしか理解する手だてのない哲学は哲学とはいわないのだと。



842:考える名無しさん
08/10/08 10:37:59 O
では実践哲学でないとしたら江頭伝説とは何なのか?
それは肉体による象徴表現であることは間違いないだろう。
これはニーチェの主著といわれる「ツァラトゥストラ」に出てくる綱上のダンサーを象徴しているのかもしれない。
また肉体による詩ともいえる。
だが伝説は人が紡いでいくものだ。
だから、彼自身はただ生きているだけではないか?
伝説としての江頭は確かに実在しないのだ。
江頭を差し置いて江頭伝説ばかりは生成を続けていくのだろう…。


843:考える名無しさん
08/10/08 11:21:44 0
江頭とニーチェが結びつくのかい・・・orz
少なくとも、ツァラトゥストラはニーチェじゃない。
ニーチェの想像した人物。実際にニーチェがツァラトゥストラのように生きたと思っている人は、
おめでたい。何が凄いかは、彼にニーチェの思想を語らせたことでしょ。
ファウストとかああいうのと同じ。
基本的に芸術作品・小説みたいなもですよ。
君は、ある人間が思想を生み出していく、歩みってものをしっかり見てない。
初期の作品から、人間としてのニーチェが主張したものが多少変わっても、
やはり根底の器みたいなのは極端な変化はない。
悲劇の誕生でも反時代的考察でも、曙光、などで細かい部分がちりばめられている。
そういったものの蓄積が一気に叙情的に噴出して、あの作品ができたんだから。

人間的なの「インスピレーションのこと」についてのニーチェの考察は鋭いですよ。
ああいった細かい蓄積の重要性を語っているし、芸術家一般にも言えることです。
もっと、地に足をつけなよ。
自分自身が感じている範囲でしか、物事はわかりえないのですよ。
言葉を作りたいなら、書物は単なる栄養剤です。日常のこまごまとしたものの正直な観察で得られるんです。
これは別に芸術家に限らないけれどもね。我々のような一般人でも、そういう蓄積・こまごまとした収集を怠らないことで、
色々目が深まるんですよ。
こちとらさん。

844:考える名無しさん
08/10/08 11:42:49 0
このスレの一番上を見たら。。。

キーワード【 哲学 閻魔 短パン ニヒリズム 永劫 回帰 尾崎 】

最後が笑える。


845:考える名無しさん
08/10/08 12:30:53 O
創造とは没落である。したがって、没落していかねば創造することはできない…。
すなわち創造とは没落の描く線上にある戯れである。
創造性が高まれば高まるほど死に近づく。死を愛するようになる!

という予想ですかね。
レベル4にならないのと確認はできませんが、
きっと没落と自己超克は同じことだと思いますよ。ふふ。

しまった…
逆転しないぞこれは…
おかしい!
なんのための没落だったんだ!
なんのための苦しみだったんだ!
おれの幸福の青い鳥が…死んだ…

そんなランボーな!
大馬鹿やろう!!
ひでえ。
ワロタコレ
クソワロタ
ニーチェは詐欺師だったな。
苦痛まみれになり幸福の幻を創作したか。
敢えて幻の情熱に浮かされ続けてたのか。
まあわかってたさ。大体、天才は鬱であるというからな。恐るべき鬱なんだろう。この極北の民どもよ。
作り続けねばならない暖め続けねばならないという奴隷なんだろう。
シーシュポス! これは創造の象徴か! なんてことだ。
ランボー。彼は創造することに呆れたのか。


846:考える名無しさん
08/10/08 12:58:08 O
レベルアップ! レベルとは深さを意味する、高さではない。ふふふ。深度です。
深度に比例して高さをねつ造することはできるんでしょう。
しかし深さはどうでしょうか?
苦痛の方は? これもねつ造なんでしょうか?
まあいいです。本質だろうとねつ造だろうと。どっちにしろ生の律動であり自動的なんじゃないでしょうか。
自由意志ですか。 矛盾してる。意志が自由だなんて。 そう感じるだけですね。
幻滅ですな。儚い。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり 奢れる者は久しからず、生を視ること死の如し



847:考える名無しさん
08/10/08 13:05:59 O
偽短って何も語ってないのがわかってないのがおめでたい。

おめでとう。君は幸せかもしれない。
知らぬが仏、見ぬが秘事です。


848:考える名無しさん
08/10/08 20:42:20 0
(このスレなんだか、面倒くせくなっちまったなぁ・・・)

849:考える名無しさん
08/10/08 21:43:19 O
レベル±3…

こうゆう木の話は本当だったかな。
深さと高さは等しいというような。
つまり絶対値が変わるということだ。
結局、究極的に人がたどり着くのはオアシスもない砂漠を越えた先の月みたいなところで灼熱と極寒の音もなき世界ってとこじゃないか? 月の民…
ランボーが何を見ていたのかというのはまさに知らぬが仏だろうね。

楽して劣化しても仕方ないし、苦労してアップグレードしても仕方ないし…。
±0のゼロサムゲームとはいうけどな。
こうゆう自然の設定を否定するとか肯定するとか無意味な気まぐれだと思うね。
どっちだって変わらん。
ニーチェとショーペンハウアーのレベルというのは同じぐらいだろう。
まったく生に対する態度というのは些細な問題である。
経験することは認識面にせよ感覚面にせよ同様だろう。
そんなことより大切なのは深さ=高さである。レベルである。
そしてその調整を身勝手にできればましなんだろうけど…
レベルが上がるほど幸福には遠ざかるとすれば、
第二次成長前のレベル1が幸福の観点からするとベストだろう。
しかしレベルの変化というのは生理的なもので任意に変化させることできないだろう。
特にダウングレードすることは…


850:考える名無しさん
08/10/08 22:01:14 0
>>848
Das ist nicht meine Schuld.

851:考える名無しさん
08/10/08 22:24:50 O
詩というのは質が上がるほどに極めて理性的なものにもなるだろう。
非理性的な詩はないね。
感性と理性のどっちかを重視する人間にはどっちもあまりないはずだ。あるいは失っていく。壊れていく。なぜならどちらも同じものの見た目の違いだからだ。
表現上の些細な違いにより同じものが詩から数理論理学にまで生成するのだろう。
そりゃ学習は必要だろうが。


852:考える名無しさん
08/10/08 22:51:30 O
人間の創作、芸術は研究を重ねることにより、
大量生産というのもいつか可能になるのかもしれない。

人間の芸術の研究は究極の芸術たる自然の研究よりは簡単なはずだが、
ようするに研究者に研究する気があまりないに違いない。
冒涜だ!などと。
そういう人は自分で創作できないし、鑑賞もあまりできてないはずである。
作れないということはわかってないのだ。
おそらく研究というのが感想文を書くことになりがちなのだ。


853:考える名無しさん
08/10/08 23:12:55 O
知とは作れるということ、表現できるということである。
知るとは表現できるようになることである。
この意味でソクラテスは無知を知っていたのだよ。


854:考える名無しさん
08/10/08 23:30:18 O
人間の自尊心の最後の寄りどころがその創造性というものである。
だがこれさえもメカニズムであり、科学になり、工学になるべきものであろう!
そうなると、人は私はメカニズムじゃないメカニズムじゃないと自分探しを始めるのだ。
そして「私」は追放されるのである。
そこで死神が「私」に微笑みながら声をかける…


855:考える名無しさん
08/10/08 23:52:55 O
学問の発達により、社会のレベルが上がっていく。
それにつれて住民は己のレベルを超えた認識、能力をもたされることになるのである。
すると人々の多くはいわば「海王拳」に体が耐えられずに参ってしまうことになるのではなかろうか…
社会というのは、破滅に向けて自己超克を続けていく…そんな運命に違いない
知恵の実は、食べてはいけなかったのだ…
だがもう遅い。
選民たるユダヤ人を先頭に、我々は月へと向かうのだ。敢えてあの地獄へと颯爽と向かうのだ。おお、月の民よ!


856:考える名無しさん
08/10/09 00:18:02 0
>>852
>人間の創作、芸術は研究を重ねることにより、
>大量生産というのもいつか可能になるのかもしれない。

芸術なり何なり創作活動をしたことのある人間の発言か?
これはおそらく物量ではなく「インスピレーション」の多産を意味するものと
考えるが、発案だけ大量増産しても製作過程が追いつかないだろうし、
仮に次から次に新奇なものを創作出来たとしても、受け手側の観衆が
単にそれを流行り廃りで「消費」するだけになってしまうのでは?
感銘を受ける気分すらが大量消費される時代は退廃しか残さないだろう。
ま、現状は陳腐さが大量生産されているが...


857:考える名無しさん
08/10/09 00:21:22 0
>>854
> 人間の自尊心の最後の寄りどころがその創造性というものである。
> だがこれさえもメカニズムであり、科学になり、工学になるべきものであろう!

根拠はなんだ?

> そうなると、人は私はメカニズムじゃないメカニズムじゃないと自分探しを始めるのだ。

> そして「私」は追放されるのである。

これをもっと詳しく説明してくれ

858:考える名無しさん
08/10/09 00:34:55 O
レベルアップとは人間が人間を軽蔑することを学ぶことであるともいえる。
私たちは殆ど社会により知らされるにすぎないといえるが、
知るほどに私たちは自尊心を失い軽蔑を学んでいくのである。
学問というのは翻せば人間の捨ててきた価値の蓄積といえる。それが天才たちのプレゼントともいえる。ふふん。
そういえば猿から進化したというのはまだ都市伝説だという噂もあるし、
アポロ11号は月に行ってないという説もある。ふふ。
しかし私はそんな説は信じない!
私は江頭伝説から勇気と自己蔑視を学んだのだ。
避雷針を持って雷雲の下で踊り狂う!
この江頭の都市伝説こそが人間のあるべき姿なのであると…。


859:考える名無しさん
08/10/09 01:09:50 0
>>850
omaeha nanizinndaboke!

860:考える名無しさん
08/10/09 01:11:17 0
>>858
> レベルアップとは人間が人間を軽蔑することを学ぶことであるともいえる。
> 私たちは殆ど社会により知らされるにすぎないといえるが、
> 知るほどに私たちは自尊心を失い軽蔑を学んでいくのである。

どうしようもなく卑小だな、根っこから駄目人間。


> 学問というのは翻せば人間の捨ててきた価値の蓄積といえる。

捨ててないだろ。


861:考える名無しさん
08/10/09 01:24:50 O
偽短が怒るのは当然だろう。
実は私も怒っている。
しかしながら私は創造性をもつ人工有能君の開発に微力ながら貢献したいと思うね。
まあ君は感想文でも書いとけ。

早君のずっこけ勘違いは人間の創造性もまたメカニズムによるという仮説の根拠の一つだな。
てか自然が究極の芸術だと言ってるんだがヘボが。
偽短のぶっ壊れ具合もまたその根拠だ。
叙情性豊かなものはメカニックなのである。

早君にはすべて価値の転倒が必要である。
なことない。
心に効く薬は飲むわけだから、ちょっとした転倒にすぎない。
なんというか、ようするにレベルが低いために、社会によって強制使用させられる海王拳に耐えられずに壊れてしまううんだな。


862:考える名無しさん
08/10/09 02:34:17 O
「私」あるいは「小我」という「くそっ」みたいのと知というのは非常に相性が悪い。
知は人間を濾過してその卑小なる我を底に沈めていくに違いない。
卑小なる「私」は人間が知っていくにつれて、地上から追放されていくのである。
だからといって知やメカニズムを呪えば、邪気に満ちた卑小なるものだけでなく、人間全体が崩壊していく。
そんな人間でも、メカニックな生成の相の下におけば、幸子11才として捏造され、見れたものともなる。フフ




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