08/08/18 11:58:49 0
人の性として、穴を空けられたら、その穴を埋めるために、穴を空けた人を
快感の付け人として追い求める性向があるようで、苦痛を快感と感じる瞬間があるからこそ、
『苦痛は快感である』というのは"生成"物としての人間感情の側面的な真実だ。
(側面的と言ったのは、人間が時代環境の特殊な状況で生成されたものだというニーチェの考えに同意するからだ。)
ドストエフスキーの命題は奇特どころか、完全に今日の人間のある側面の露呈を言い当てているだろう。もはや、普通となったきらいがある。
(自覚しているかしていないかである。)
知人一匹の例愛沙汰を観察しても、そんなのが見当たります。
玉こんにゃくが大好きな偽は、からしをたくさんぬりたくった玉こんを食べながら悶えるのが実はすきでねw
苦しいんだが、飲み込んで辛すぎて涙でむせるのが快感だからやめれない。
「君はある意味変態だw」と言われるがね。
きっと「苦痛は快感」なんだよ。
玉こんにゃくで「恥辱プレイを楽しむ」 これも些細な己に垣間見る上の命題の妥当性を示している。