哲学の基本は対話 4の章at PHILO
哲学の基本は対話 4の章 - 暇つぶし2ch185:エートル・オートル
08/06/29 23:06:35 0
純粋な追体験というものはおそらく不可能でしょうが、
原体験においてそもそも純粋さは汚染されていた、
というのがデリダ的視点になりますね。

体験はその前後の時間と切り離された定点にあるのではなく、
過去とも未来ともつながっている一連の流れの中にあるとすれば、
固定化された体験そのものというものはどこにもなくて、
純粋に反復されるような「もの」とはいえないのでしょう。
それは「こと」として、「運動」としてしか反復されず、
差異を孕んだ反復とならざるを得ないのでしょう。
このへんは『差異と反復』のドゥルーズ的視点になりますが。

186:エートル・オートル
08/06/29 23:10:11 0
>>184
ムッシュ・デリダに聞いてください。
といってももうこの世にいませんから、
むかし「現代思想」に載ったインタビューを読んでみてくださいね。

差延 (différance) と痕跡につなげる予定でしたが、
タイムアップなのでまた。

187:考える名無しさん
08/06/29 23:12:08 0
>>180
私はあなたの遠近法の意味をよく理解してないのでわかりません。


188:考える名無しさん
08/06/29 23:34:45 0
そうじゃな、ちょっとムズかしいことをエートル氏は言うのう。
遠近法ってのはじゃな、ハイデガー思想に沿って言うなら、
身体感覚の快不快、対象への欲望の大きさ、関心の程度、配慮的気遣いの質的違いなどなど・・・
それらを脳内で計測するパラメーターがあるじゃろ、
それの数値的設定の事じゃよ。スッキリしたかね?

189:考える名無しさん
08/06/29 23:42:58 0
だから大げさって言ってんですよ。(笑)
「違い」ちゃ違いですよ。みんな違ってるから。


190:考える名無しさん
08/06/30 00:03:28 0
他者の他者性じゃよ。
ギンギラギンにさりげない言葉遣いを読んで
ハッとしてグーなのじゃよ。

191:考える名無しさん
08/06/30 00:07:06 0
過疎化してきましたね。対話になってないもん。

192:考える名無しさん
08/06/30 00:09:47 0
どこがギンギラなんですか?しかしたとえが古くて田舎臭い。

193:考える名無しさん
08/06/30 00:11:34 0
>>190
自己完結?

194:Absalom ◆owNN8RDlXo
08/06/30 01:14:12 0
>>185
私の体験を追体験する、といったときに、「いま、ここ」にあるものをついたいけんするのではなく、
すでに起こったことを後から追体験する、という方法しか採れない。しかも、自分の感じたこと
を再現するわけで、客観的視点には欠けるが、身体性という意味では完璧です。「直接」に
「再現前」するわけで、観客が自分である演劇を行うということ、しかし、それは役者なら
誰もがふつうに練習でしていることではないか?という疑問も浮かんできます。
さて、はたして追体験はこの場合特別な意味を持つのでしょうか?

195:佃煮マニア
08/06/30 21:02:25 0
>>173
デイケアのような、治療訓練のような目的も、
「哲学に寄る治療」というのでアリですね。
哲学ってなんのためにあるんでしょうね?
私から見れば、形而上の区画整理、規定を行うため、です。
見えないものをどう整理して、豊かに捉えるかで
生活意識自体変わってくるでしょう。
その、了解の仕方をシャープに整えるのには、多少事務的作業も要るでしょうし、
取り決めが多く必要になります。役に立ってるんじゃないですか?

196:佃煮マニア
08/06/30 21:03:06 0
>>175
哲学板の多くの人が、語られている事が無意味なんじゃないかという
書き込みをしているので、通念なのかな?と思ったのですよ。
意義を感じないならなぜ語るのかは・・・謎ですが。
自分の存在を開示、解放し合うはずなのに、共通理解を得られない語り合いは、
確かに不毛かもしれません・・・という共通理解をしたつもりで「疑問がよぎる」
と書きました。

学問自体が有意義性を告げ知らせてくれる、と感じるセンスは素晴らしいですね。

197:佃煮マニア
08/06/30 21:04:04 0
>>177
哲学をやるのに、文学的アプローチをするから素質がないとか、
訳の分からない事をいう人がいますが、私はあなたのやわらかい語り口が好きです。
人間本来の意志を、手紙というくっきりした視覚的イメージに置き換えたことで
情緒的な印象になると同時に、非常に的確に論点を突いてもいて、感動しましたよ。

198:佃煮マニア
08/06/30 21:05:09 0
エートルさん

>>169
>フランス語の「サンス」は方向も意味も指しますから。
えっ?本当ですか・・・また間違えちゃったなあw
サンスはどういう意味合いで使われている語なんでしょう?

>空間化、固定化に抗いながら流動自体をとらえようとする思考
存在のあとの×にこめられた思想ですよね。
日常的な意識がもたらす空間化、固定化をすりぬけつつ
本来性をそなえた存在自身が、世界の外へ外へと
意識を拡大させていこうとするのですが、そうやって、
不可知な客観世界や、神の領域に伸びていこうとする私の存在から、
その入り口を封印でもするかのように抹消記号がついています。
存在とは、方向性を持ちながらも閉じられたものである、という
意味があるんでしょう。両義的ですね。ハイデガーはリアリストなんだな~。

199:佃煮マニア
08/06/30 21:07:15 0
追体験のこと

厳密に追体験は出来ないんでしょう。体の構造の違う人間同士が
全く同質のクオリアをもつことは、できないらしいです。
私の体だって日々刻々と変化するから、
自分の体験でさえ、克明に再演する事はできないし。
それはわかってはいるんですが、

Absalomさん
>さて、はたして追体験はこの場合特別な意味を持つのでしょうか?
う~ん。持つ、と考えたいですね。
今挙がっているハイデガー的視点の、共存在と、デカルトのコギトをここにもってきて、
私たちの生は全て相関関係にあり、私たちの生は全て演じられたものである、
とするならば、再現前は、むしろ、差異を含み変換を経て、
新たな意味を帯びて来るのではないでしょうか。

ジャズでも、同じ曲がピアニストによってアレンジアレンジの繰り返しで、
全く違う曲のような新鮮さをもって生まれ変わり、演奏され続けているでしょう?
演奏者達は違いを出したくて演奏している訳ではなくて、
いつかきいた「この曲」の感じ、を自分の中に深化させて、現前させている訳だから。

200:考える名無しさん
08/06/30 21:31:33 0
>>195
たしかにそうだといいですね。

201:エートル・オートル
08/07/02 01:02:53 0
>>187
遠近法という言葉で指し示しかったのは、
パースペクティヴ(視点)が固定されていて単一になっている状態、です。
ある視点からは「Aはとても近い」と見えても、
別の視点からは「Aはとても遠い」と見えることはままあるわけです。
そして、複数の視点を重ね合わせて見る術を手に入れたとき、
近いと遠いという2つの言説がもはや対立するがままにならず、
「Aは近くて遠い」という表現が矛盾ではなくなるようなことが、
理解できるとしたらどうでしょう。

>>190氏の言葉(というより昔のアイドルの言葉かもしれないけど)を借りれば、
「ギンギラギンにさりげない」スタイルも可能となり、
形而上学的かつ弁証法的基盤としての二項対立図式に抗えるわけです。

このへんは簡単で難しいトピックでしょうね。

202:エートル・オートル
08/07/02 01:03:44 0
>>194 :Absalomさん
そうでしょうね。「いま、ここ」は常に新しく生起しつつ、
絶えず「いま、ここ」という時間と空間から逃れてもゆきます。
現前(プレゼンテーション)は自らを裏切るともいえるでしょうか。
つまり現われるや否や消え去ってゆきます。
これが空間化に抗う流動の時間ですね。
だから、「存在」は×印をつけられ、「生成」へと差し向けられる必要があり、
そこには痕跡としての現前しかないともいえます。
デリダがフッサール論で用いた「痕跡」もこうした文脈においてですね。

そして絶えず差異を生み、遅れをともなうこの運動を
差異 (différence)と区別して差延 (différance)という造語で呼び、
差異という名詞を動詞化しもしたわけですね。

203:エートル・オートル
08/07/02 01:10:26 0
差延 (différance)は差異 (différence)の
eをaに変えただけの言葉で、
フランス語での発音は同じ「ディフェランス」。
eとaの差異は聞き取れない、というのがミソです。

Absalomさんが言うように、我々が追体験というとき、
再現前=表象(リプリゼンテーション)としてしかやってこないわけで、
舞台で上演される劇は、常に既に再上演なわけですが、
「私の体験」を追体験するのではなく、他者の体験を追体験するという場合、
それは、自己と他者の「間」で、いわば対話的に行われるといえる、
そんなふうに考えていて、そうした追体験には意味を見出せるでしょう。

あるいはまた、デジャヴュといわれるものの場合ですが、
未だかつて体験したことのないものを再体験=追体験するということも、
可能かもしれないと思ってます。
(が、このトピックはまだうまく表現できそうにないですね)

204:エートル・オートル
08/07/02 01:20:05 0
佃煮マニアさんへ

痕跡と差延についてはAbsalomさんへの書き込みに混ぜちゃいました。

>>196
>共通理解を得られない語り合いは、
>確かに不毛かもしれません・・・という共通理解をしたつもりで
このフレーズはいいですね。

>>197
文学的アプローチ、は決して哲学と離反しないでしょうね。
文学的アプローチが前哲学的かつ非哲学的であったとしても、
哲学するという行為そのものが哲学という枠組みを疑い、
それを壊していく側面をもっているとすれば。

205:エートル・オートル
08/07/02 01:31:25 0
(つづき)

ラカンもデリダもポオの『盗まれた手紙』という文学テキストからの負債で
自らの論を立てたことも、哲学が文学を追体験したといえなくもないでしょうし、
プラトン『饗宴』、ニーチェ『ツァラトゥストラ』、デリダ『絵葉書』などにも
文学的アプローチを見出せるわけで。

>>198
いや~「間違い」というわけではないのです。
ちょっと言葉が足りなかったので補足すると、
フランス語のサンスは英語ではセンスにあたるもので、
意味、方向、感覚という多義的な語なのです。
「方向をうしなった発話は意味がない」の原文は知りませんが、
「サンスをうしなった発話はサンスがない」という文を翻訳して
上のような訳文になることは可能になります。
レヴィナスもたまにそういう文学的、詩的表現を使ったりしますが、
哲学者のテクストには文学的なレトリックも結構見出せますね。

206:佃煮マニア
08/07/03 19:46:34 0
ちょっとさかのぼって
>>135>>137
「カフカ的状況」って本人も言ってたみたいですね。カフカも気になりますが
麻薬とデリダの事で、やっぱりこう思うんです。

哲学は政治やマスメディアののハッタリを見抜く為にあって、
体制批判をしてこそ哲学者だ、という人もいます。
ところが、政治の欺瞞を暴き出し盛大に批判する手合いというのは、
衆愚政治をしていたい政治家にとっては非常に都合が悪いので、
デリダの様に社会的信用度を失うようなレッテルを貼られたりします。
警察も、すぐに捏造だということで取り消すような逮捕にわざわざ踏み込みましたけど、
この理由は、過激な社会学者としてのデリダを封じ込める狙いがあった・・・
のかも知れませんね。


207:佃煮マニア
08/07/03 19:47:46 0

逮捕は捏造という事になっているようですが、でも~・・・
どうもこの人は麻薬の影響を受けている様に思えます。

多くの哲学者は、ガッチリした論理を押し進め、ひとつひとつ対象を検証していく
思考方法をとっています。
一方デリダのスタイルは、
日常意識から大きく変容した所で無軌道に跳躍、奔流するイメージを
言葉でつなぎ止めていく、といった感じでしょう?

そうやって極みに達しているんですが、この思考方法は、
麻薬常用者の詩人や小説家達と非常に似ています。


208:佃煮マニア
08/07/03 19:52:06 0

確かに、麻薬の常用者というイメージがつくと、
政治活動がしづらくなるし、教授職なんかも失う事になるだろうし、
彼一流のユーモアやウイットに悲壮感が漂い始めてしまう、
というのはあるかも知れませんが・・・

「響宴」を例にとると、
備わっている筈のものをそがれた者として、、欠落した部分を求めて、
あるいは血管を汚し、肉体を犠牲にすることで、一つの完結を見る事ができるなら、
麻薬は美しいとも感じます。自分からはどうも手が出ませんけど。
美しいからというより、無意識を引き出して意識で捉えるのが哲学なのだとしたら、
麻薬が果たす役割を軽視できないんじゃないでしょうか。

デリダは多分大麻ぐらいは吸っていたんじゃないかと思います。
それで、警察も、逮捕は取り消したものの、それは、
「それが哲学に捧げた行為ならまあ大目に見てやるが
 お前が麻薬をやっている事を知っているぞ」
という意思表示だったのかもですね。

なが~くなっちゃったので、>>201からの書き込みには次にレスしますね。

209:エートル・オートル
08/07/05 21:11:20 0
>>206-208 :佃煮マニアさん
ん~どうでしょうね。
デリダが麻薬をやってたかどうかは寡聞にして知りませんが、
やはり麻薬所持疑惑は捏造で冤罪逮捕だとは思います。
これまでデリダを読んできた限りでは、
「無軌道に跳躍、奔流するイメージを言葉でつなぎ止めていく」
というよりは、綿密で具体的なテクスト読解によって
そのテクストのほころびを見出し、また余白を手繰っていく、
という印象があります。

デリダはロゴス中心主義を批判しましたが、
基本的にはロゴスの人だと思います。どちらかといえば、
ドゥルーズのほうが麻薬をやってそうな気も。

210:佃煮マニア
08/07/05 23:20:38 0
>>209
そうかも・・・w どうかな?「かな?」としか言えないんですけど。
デリダのテクストへの印象もそれぞれですね。
ドゥルーズは、3冊しかまだ読んでないですけど、この人は、
狂気に浸りたいというよりも、狂気を観察したい人という印象があります。
その為には自分が酔っていてはならないし、
すごく一本気で生真面目に哲学してたんじゃないかな。
真面目過ぎて面白いんですよ。

211:佃煮マニア
08/07/05 23:22:17 0
>>203
現前は自らを裏切りますけけど、ここで潔癖性的に拒否感を抱いてはいけない
のかも知れません。ここにこだわると、
再現前に対してネガティブな気持ちになってしまうんですよね・・・。
表象は流動性のあらわれだから意味があるとしてみても、どこかで
「一致してないじゃん!」みたいな事を言いたくなるけど、それは違うのかな。
純粋に外界の制約を受けずに回帰できるなんて事は、概念上でしかあり得ない訳です。
気分だってころころ変わっていくし。


212:佃煮マニア
08/07/05 23:23:43 0
ハイデガーも、気分は被投性を開示していると言いました。
人間の気分は自分の中からこみ上げてくるのではなく、
世界の外とも内とも言えない何か非知のものによって、規定されているという事ですが、

何か非知のものを知覚し気分という形に表象するのならば、
これは非知の追体験なんですね。

デジャブは医学的には、初めての体験で脳がストレスを受けた時に
それを緩和するため時間列をわざと取り違えるということらしいですが、
別の角度から見れば、非知を再現前しているという事も言えてきます。

213:佃煮マニア
08/07/05 23:25:32 0
>>205
文学的アプローチを嫌う人は、文学がやけに情緒的な言葉の使い回しをするのと、
言葉を定義せずに展開していくからイヤだと言うらしいです。
多義的な意味を含んだ言葉をわざと多く使って、意味をぼかしているから、
理解するのがしんどいんだとか。
現前の前の差延を嫌う訳です。なんか分かる気もします。

サンスはそういう意味合いがあったんですか~。なるほど・・・
これで納得、、、というか、原典を翻訳するとだい~ぶ文脈も変わってくるものなんでしょね?
原典→翻訳→解説書→2ちゃん書き込みのなかで変換されていく文脈って、
これでいいんでしょうか?

エートルさんってフランス語詳しいですね。
興味範囲も、フランス哲学が主流のような印象を受けます。
留学とかしてたんですか?


214:考える名無しさん
08/07/05 23:30:15 0
下らんね。非知とか云っておるのは、ワケが分からなくなったものの
タワ言に過ぎないのだし。


215:佃煮マニア
08/07/05 23:56:53 0
>>214
ハイデガーが非知と名付けたものの正体って気になりますよね。
彼はこの非知について具体的には書きませんでしたが、
語ろうとするなら、それぞれの持っている物語の共通項を
あぶり出す作業が必要になるかと思います。
私はこれを思ったのがつい最近で、
まだそういう観点で人を多く観察している訳ではないので、
言葉にするのにちょっと慎重になってしまいます。

216:考える名無しさん
08/07/06 00:04:40 0
>>215
非知=原生的 (吉本用語です)


217:考える名無しさん
08/07/06 00:12:02 0
>>216
ありがとうございます。
「原生的」についてはどの本に書かれているか教えてもらってもいいですか?

218:考える名無しさん
08/07/06 00:32:34 0
>>217
「心的現象論序説」など

219:エートル・オートル
08/07/06 09:48:39 0
非知といえばバタイユを思い起こすけど。

220:エートル・オートル
08/07/06 09:49:36 0
佃煮マニアさんへ(>>210ほか)

デリダのテクストの中でも『絵葉書』なんかは異質で、
確かに佃煮さんのような印象を与える面もありますが、
『声と現象』『グラマトロジー』『エクリチュールと差異』あたりは
かなり緻密な読解によって考察を繰り広げていく感じですね。

ドゥルーズの場合は、初期の『ニーチェと哲学』なんかは、
まとまりがよすぎてこんなにわかりやすくていいのかと思いますが、
『差異と反復』や『意味の論理学』あたりになると
哲学者や作品の引用も結構アバウトかつ乱暴にやってて、
ぐいっと力づくでねじふせるような筆運びを感じます。

221:エートル・オートル
08/07/06 10:03:24 0
(つづき)

現前、つまり「現われ」は、それが流動の状態にあるかぎり、
「消え去り」とほとんど同義といってもいいくらいに近接し、
痕跡としてしか姿を見せないわけですが、
消え去りという形でしか現れないともいえるでしょう。
水の流れ、風、を考えると理解できる気がします。

>デジャブは(中略)別の角度から見れば、
>非知を再現前しているという事も言えてきます。
この表現はとても面白いです。
個人的なデジャヴュ体験があるので、
このへんはいつか把握したいなあと思ってたんですよ。

222:エートル・オートル
08/07/06 10:05:32 0
(つづき)

>原典を翻訳するとだい~ぶ文脈も変わってくるものなんでしょね?
原典→翻訳という流れについてですが、追体験に絡めてみます。
翻訳というものを原典の追体験だというふうに捉えると、
原典がオリジナルで翻訳はコピーということになりますね。
でも本当にオリジナルなものなんてないんだ、というのが脱構築的視点で、
原典とされるある作品も、先行する諸々の作品の影響下にあり、
原典自体に翻訳的側面が常に既に書き込まれているといえます。
原典にできるかぎり忠実であることは学問上の基本マナーでしょうが、
在野の当方のような一匹の野ウサギの立場からすると、
翻訳行為が原典を忠実になぞること以上に重要なのは、
それが原典の可能性を引き出す読みになっているかどうか、
という点ですね。

佃煮さんが書き込みをする。当方=エートルが読む。
佃煮さんが言わんとしたことをエートルがうまく読み取っていない、
ということはよくあるでしょうが、
佃煮さんのカキコという行為の中でさえも、
実際に書かれた言葉が自身が書こうとしたことから逸れる、
ということもあるのかもしれません。

>興味範囲も、フランス哲学が主流のような印象を受けます。
ドイツ哲学よりもフランス哲学に興味があるのはその通りですが、
外国語は基本的な単語ぐらいしか知らないんですよ(汗

223:佃煮マニア
08/07/08 21:05:15 0
>>218>>219
なるほど。非知について書いている人がいるんですね。
吉本隆明は前に2冊読んで、独特の言葉遣いがツボにはまりました。

バタイユもよさそう。この人すごいエッチですよね?
ディープでおもしろい論理があるんで、勉強になるかと手に取るんですが、
読んで哲学を悟る前に、色々と仕掛けられたエロトラップをくぐり抜ける
必要があって、でも余りのエロに揺さぶられ、足下をすくわれてしまいます。
「このエロを超えてみなさい」と言わんばかりのバタイユには、圧倒されますよ。
私は・・・超えられずモンモンとしてしまう未熟者なので(爆、
前に読んだ共同幻想論の続きで心的現象論を、先に読んでみようかな。

お二人とも教えてくれてありがとうございます。

>>220
ドゥルーズは映画狂だし、「キップのいい哲学」をやっていて、
大好きな人です。確かにグイグイひっぱって落とす感じはありますね。
デリダも、確かに理詰めの人かも知れません。
エートルさんの言った事を思い出してその気で読むと、新発見があるかもです。

224:佃煮マニア
08/07/08 21:10:47 0
>>221>>222
>水の流れ、風、を考えると理解できる気がします。

そうですね・・・
風や、水の流れにも、現れと消え去りを同時に見る事ができそうな感じがします。
私の中では、まだぼんやりとしたイメージしか持てないのですが、
風が、現れると同時に消え去るのは、どんな経過をたどるからでしょう?

>翻訳行為が原典を忠実になぞること以上に重要なのは、
>それが原典の可能性を引き出す読みになっているかどうか、
>という点ですね。

翻訳されることで反復されるはずの言語も、翻訳されたその時点で、
言語のもとあった形象は消え去ってしまいます。
翻訳が生まれると同時に、崩壊を抱えているわけです。
これが言葉の不完全性なんですね。


225:佃煮マニア
08/07/08 21:13:10 0
翻訳が原典にあった言説を脱臼させる事なく、
軸となる言説のまわりで踊り、字義の意味を強調し、
効果を上げる為の物語のみが形象を変え、発展させることでしょう。
そうすれば、翻訳は有意義なものになるでしょうね。
言語において変換されるどの局面にも、同じ事が言えます。
事象を考察し、著作を引用する原典や、
エートルさんの書き込みを読んで答える私の書き込みの中にも。

次は非知にからめてこのことを日常的に書いてみようかな。
デジャビュのこともからめて。

226:佃煮マニア
08/07/08 21:16:02 0
>外国語は基本的な単語ぐらいしか知らないんですよ(汗

小さな疑問から始まって、マメに辞書を引くのは見習いたいですよ。

高校の英語の先生が言ってた話
「ロシアに行ってまったく言葉がわからないので、
 話しかけてきた現地の人に思い切って日本語で返して、
 そのまま30分くらいロシア語と日本語でお互い一方的に
 会話したあげく、意気投合した」
てのを聞いて感動して、フランス大好きな私も同じ事をしてみようと思い、
旅行に行った時に話しかけてきた現地の老若男女に日本語のみで返したら、
最初「?」て反応するんですけど、その後が英語の先生と同じ展開になるんです。
何回か試してみてもやっぱり同じで、面白かったんですが、
それ以来なんか・・・語学に関して無精になってしまって。

喋ることばと書き言葉ではぜんぜん使われ方も違うし、
やっぱり私もマメに辞書を引く事にします。

227:佃煮マニア
08/07/08 21:21:22 0
あれ?>>225の1行目に
「これへの対策として考えられるのは、」を入れ忘れました。
すみません。アホなんです。

228:エートル・オートル
08/07/15 00:38:09 0
マダカキコメナイカナ。。。

229:エートル・オートル
08/07/15 00:43:57 0
佃煮さんへ

遅くなってスイマセン!
仕事とプロバイダー規制で書くタイミングを失ってました。

>吉本隆明は前に2冊読んで、独特の言葉遣いがツボにはまりました。
当方は逆に吉本のあの文体が会わなかったっけ。。。
でもほんの時たま、「おっ」と思わせる箇所にぶつかることも。
そして、「ああ、ここをもっと突っ込んでくれたらなあ」と。

>バタイユもよさそう。この人すごいエッチですよね?
バタイユのエロスは、サドと同じく性的な興奮はないけれど、
思想的エロスの人ですね。日常性を超えた異常性にこそ、
何かを見出そうとした過剰、侵犯、蕩尽の人。

230:エートル・オートル
08/07/15 00:57:57 0
(つづき)

>風が、現れると同時に消え去るのは、どんな経過をたどるからでしょう?
実は、「現われるやいなや消え去る」というふうに見えるのは、
風を捉えようとしているからなのかもしれないですね。
流動に付けられた名前である風を、流動のままに体感するのではなく、
捉えようとすることで、風を流動状態から固定化させようとするから、
風が、現われと消え去りの共存というふうに見えるのかも。

もしかして気づかれたかもしれませんが、これは以前に話を出した、
ニーチェのヴェールとしての真理=女のトピックと共振するし、
ハイデガーの×印、デリダの痕跡ともかかわるんですが、
彼らは確かに流動を固定化することに抗い、
流動を流動のままに捉えようとした身振りがあるのですが、
あくまで「捉えようとした」ことによって、
風を風として尊重したのかどうかというと疑問です。

231:エートル・オートル
08/07/15 01:01:22 0
風を「音楽」に変えてもいいかもしれません。
音楽は常に流れのなかにある芸術だから。

ハイデガー、デリダなんかよりも
むしろドゥルーズの荒っぽい哲学のほうが音楽的だと感じますね。

232:考える名無しさん
08/07/17 19:27:44 0
有名どころばかりを線で結んで、無理矢理な星座を描いているようだ・・・・・


233:考える名無しさん
08/07/17 20:02:36 0
巨大な数珠を光速でグルグル回転させると、中心に天女が浮かび上がる仕組みなんだよ。

234:考える名無しさん
08/07/18 11:52:59 0
そういうウィットってセンスいいなあw

235:佃煮マニア
08/07/18 22:32:36 0
電話とかメールって否応なく人を呼び出しますけど、
掲示板っていつでも好きな時に好きな様にやるとりできるのがいい所です。
エートルさんはもうお出かけしたのかな~と思ってましたよ。
待つのも楽しかったりしますが、ファンとしては、エートルさんの書いたものを読むのが
一番楽しいので、いっぱい書いて下さいね^^

>性的な興奮はないけれど、 思想的エロスの人ですね。
荒木経惟と加納典明ではエロの質が違いますもんね。
荒木経惟は官能よりも思想的エロス、侵犯の向こう側にたどり着ける人間の深淵を追っています。

>>230
レスを読みながら、ふわふわ揺れるスカートをイメージしてました。
捉えようとすることは暴力なのかも知れませんね。
与えられて、びっくりしながら恐る恐るひも解く、
という姿勢が必要なのかも知れません。そういう所では、
ドゥルーズの語り方は、風、または女を尊重したものだと思います。
彼は捉えて支配しようとする気配が全くないです。とてもユニークな言葉選びが面白いし。


236:佃煮マニア
08/07/18 22:37:40 0
女性についてちょっと一言書いてみましょう。ちょっと通俗的かな・・・

女性でブリッコなタイプっているでしょう。言葉は古いけど、実際多いです。
何かに洗脳されている、何かを演じている、その事自体を意識してはいない、
という女性達。でも明らかに「濃い」気配を発散している女性達が。

何かに影響を受けない人間なんていないんですけど、女性は特に、
濃厚に影響を受ける人が多い様に感じます。なぜなんでしょう。

女性達は、いつも何か理想に引き比べられて生活しています。
あれかこれか、どの理想を選ぶんだ、選んだら支度をしろと言われる様に。
その中で、いつの間にか彼女達は、固有に備わった生の実存を否定して、
限りなく透明な存在になり、そして、類型化された女性の理想型、
そんなものはあいまいな偶像でしかないんですが、
それに体裁だけ似せようと表面を粉飾するようになります。
飾るという行為の裏に、偶像につぶされた自らのアイデンティティを
絵に起こして表面に復活させ、遺そうという試みも見え隠れしています。

237:佃煮マニア
08/07/18 22:40:08 0
その絵は、
子供が描いたクレヨンの落書きの様に無邪気で稚拙なものもあれば、
テンペラの細密画の様に精巧で隅々まで完成されたものもあるでしょう。
彼女達は、理想の近似値とはどのへんなのか、執拗に求めた上で、
この結果を出しています(その絵はいつも動いています)。
だけど、無意識的に残した固有的な軌跡が、生の欲望を暗示してもいます。
偶像そのものを描写しようとしつつ、反転されたアイデンティティをそこに
うっかり描き込んでしまうことによって、偶像を穢し、否定してもいるんです。

自分が主体となって、自分を肯定する理想だけをとりこんでいくのが男性ですが、
女性は、きゅうくつな理想の中に自分の肉体を押し込んで悲鳴を上げるんですね。
どういう悲鳴を上げるかが、女性の人間性を表しているとも言えます。


周囲の人間は、その穢された偶像をもう一度修復する作業を手伝い、その間
下手に彼女達の実存を意識してはいけない、するなら徹底的に肯定した上で、
それも彼女達なりの作法に完全に乗った上で、する。という、言ってみれば
無償労働を迫られます。彼女達は、男性女性の別なく、それを迫ります。

238:佃煮マニア
08/07/18 22:47:06 0
デリダは、贈与する際に、それが贈与だと意識してもいけない、意識した瞬間に
それは贈与でなくなり無意味と化す、と言いました。その無意味を食い止めるのは
愛で、つまり徹底的な肯定なのだとも。
しかし、惜しみなく愛は奪います・・・
ニーチェも、与えるばかりで私はいつも貧乏だ~と感嘆しました。
デリダの様に言葉の迷宮に君臨する王であればいいんですけど、
だいたいはニーチェの様に貧乏を貫き通すようになるでしょう。
というより、、、
最初から貧乏で与えるものがない状態でいるのがいいのかも知れません。
もしくは、彼女達の無軌道な欲から眼をそらさせ、方向修正すること。
これも一つの肯定の仕方だし、現実的に無限の幸せを取り出せる
考え方じゃないかと思ってます。

239:Absalom ◆owNN8RDlXo
08/07/19 21:54:49 0
最近本を読んで考えたことで、ポストモダンなどとも関係あることなど・・・。
町田町蔵はアルバム『腹ふり』(92’)のなかの「コンビニエンス」という曲の中で、全ての
原理はコンビニエントであることであるといい、これは当たってると思います。水は低きに流れる
、芸術は快楽を求める、なるべく近道をして目的地に着く。
しかし、西洋の伝統はそうはなってなくて、太陽に飛び込むイカロスのように、真実を求める
オイディプスのように、高きを目指すのが人間である。見返りがどうであれ。フロイトですね。
ところが、ポストモダンになると、「アンチ・オイディプス」「アンチ・ヒューマニズム」が大いに
標榜されることになりますが、演劇批評家の内野儀によれば、ソ連革命のドタバタが、東欧
諸国の崩壊が、この輝かしき「アンチ・オイディプス」「アンチ・ヒューマニズム」の伝統に
終止符を打ったということです。
そして日本では、80年代の文化を支配していたのがメロドラマ的想像力であり、演劇に
ついていえば野田秀樹の「私演劇」だということです。このメロドラマ的想像力というのは
強力で、情感を誘うメロディーのように、コンビニエントであり、広範囲に広がる。
参考:「メロドラマの逆襲」内野儀

240:エートル・オートル
08/07/20 23:58:03 0
>>235-238:佃煮マニアさん
来週半ばから一ヶ月ほど出張があるのでバタついてました。
9月になったらもう少し書き込めると思います。

荒木経惟の写真にある「暗さ」は何でしょうね。
アラーキーとテンメイの差はエロスとポルノの差かも。

>ドゥルーズの語り方は、風、または女を尊重したものだと思います。
そうですね。ドゥルーズはライプニッツのモナドロジーをもじって
「ノマドロジー」という言葉を使ってましたが、
風を捉まえようとする定住民ではなく、
風と共に移動する遊牧民というところでしょうか。

ドゥルーズの言葉の捩り方はルイス・キャロル風遠心力がきいてて、
というか、あまり言葉の意味の次元にこだわってないという面があって、
言葉と言葉の組み合わせから何か道具を作ろうとする職人気質を感じるんです。
現実に向けて闘える道具を。
一方、ハイデガーやデリダは非常に言葉というものを尊重してて、
尊重しすぎるあまり、言葉によって現実と闘う道具を作るというよりは、
言葉において、言葉のなかで、闘おうとしている。
いわば、語源学的求心力を働かせようというヴェクトルが濃厚です。

ところで佃煮さんは天文学にも興味ありますか?
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天文学って文学じゃね? [文学]

241:エートル・オートル
08/07/21 00:10:26 0
(つづき)

「何かを演じている、その事自体を意識してはいない」というところとか、
佃煮さん描くところの女性像には、確かに思い当たるところもあって、
ひと言で表現するならば、「化粧」したい/せずにはいられない女性、ですかね。
記憶が確かなら、擬装することをドイツ語でジッヒ・ゲーベンというそうです。

>女性は、きゅうくつな理想の中に自分の肉体を押し込んで悲鳴を上げるんですね。
という部分は、自分の目指す型に自分をもっていこうとする点では、
確かにダイエットなりブランドファッションなりという無理を自身に課してますが、
理想を現実化しようとする努力を怠らない彼女らのヴァイタリティにも感じます。
逆に、男性のほうが夢想家で理想主義者、女性のほうが現実主義者、
そう思えることもしばしばあります。

242:エートル・オートル
08/07/21 00:25:15 0
(つづき)

>デリダは、贈与する際に、それが贈与だと意識してもいけない、意識した瞬間に
>それは贈与でなくなり無意味と化す、と言いました。
贈与する、自らを。あるいは、身を与える、身を任せる
身を任せることをドイツ語でジッヒ・ゲーベンだったと思います(たぶん)。
擬装することも身を贈与することもジッヒ・ゲーベンという同じ言葉で、
女性は、化粧し仮面をつけつつ(擬装)、身を任せる(贈与)ことができる、
というわけですね。ちょっとデリダの贈与から脱線しました。。。

贈与というのはプレゼントで、デリダはプレゼンス(現前)と絡めてた記憶がありますが、
相互に贈与しあうギブ&テイクの関係に入らない贈与というのは、
そしてそうした贈与による愛というのはなかなか難しいかもしれないですね。。。
神のような愛でないと。
>しかし、惜しみなく愛は奪います・・・
そんなタイトルの有島武郎の本を十代で読んだ記憶があります。
確か有島はクリスチャンだったと思いますが、神の愛の逆説ですね。

>これも一つの肯定の仕方だし、現実的に無限の幸せを取り出せる
>考え方じゃないかと思ってます。
確かにもっとナチュラルな自分らしさを求める風潮は強まっていいですね。
そういう「自分流」を見つけてる素晴らしい女性達もいますから。

243:エートル・オートル
08/07/21 00:41:39 0
>>239:Absalomさん
残念ながら、内野儀の本は読んだことがなく、
「アンチ・オイディプス」と「アンチ・ヒューマニズム」の組合せが
よくわからないのですが、メロドラマ的想像力が廃れたことはなく、
ヒューマニズムも連綿と保たれてきたというのが私見です。

いくらニーチェが「人間的なもの」を揶揄し、「超人」を謳っても、
あるいは核家族化の流れにおいて「家から個人」という方向性があっても、
ヒューマニズムもメロドラマも廃れはしなかったというふうに見えます。
ヒューマニズムやメロドラマに流れることが「コンビニエント」なんでしょうか?

東欧の社会主義諸国の変化は、マルクス主義に大きな影響を与え、
世界全体のグローバリゼーションや資本主義世界化を促進してきたと見えますが、
ヒューマニズムやメロドラマとの関連性はどういうものなんでしょう?

質問が多くなってしまいすいません。

244:Absalom ◆owNN8RDlXo
08/07/21 12:21:09 0
>>243:エートル・オートルさん
アンチ・オイディプスとアンチ・ヒューマニズムについての詳しい説明は本の中になかったので、
推測で書いていますが、ポストモダンで持ち出されてきたのが両者の、西洋伝統に対する
反対ではないかと思います。
メロドラマやヒューマニズムが「コンビニエント」であると言うことはないと思いますが、そう書いて
しまってますね。どうもすいません。
メロドラマは堅固で均質な形式を、また、そこにはない超越的「中心」を力業で現前=明示させる形式であり、
絶対的他者を現前=明示させる形式であるということなので、東欧の中心を作り上げるのに
一役買ったのではないか、と思いますが、私の知識ではあまり確かなことは言えませんね。
すみません。
まあ、本があまりに面白かったので、それで何か言いたくなったというのが本当のところです。


245:佃煮マニア
08/07/21 22:05:29 0
コンビニエンスストアーで買ってきた豚肉の賞味期限♪
という歌ですね?
確かに原理=コンビニとすると、符号が多いですね。な~るほど!
足の踏みどころを間違うとマンホールに落ちてしまいそうな闇に
そこだけ浮遊した様に明かりがともる無機質空間。
差異の中で時間、空間がそぎ落とされた普遍空間。
町田さんは、煩雑乱調で美からこぼれ落ちたものを拾い上げる人ですね。
下方から脱構築に向かうというか。

これに対して西洋的伝統が上方から向かう脱構築は、常に神の目にさらされていてます。
だからチラッチラッと上方を見上げながら、必ずその近くを経由して、そして経由する自分は
聖家族の系譜をたどってい「なければならない」という良心が下支えになっていると思います。
これは良心なんですね。で、町田さんのは慈愛。どちらもキリスト教の影響が濃厚ですが、

メロドラマは無宗教の野で伝承される原典ですね。ここには共感があります。
その、超越的中心は徹底的に暗示に任せ、くさみを消し、
とにかく日常性から一歩踏み出す危険を卑猥なまでに具体化して、
官能的な共感を通じて、散種の受け口をもとめています。
人々の中で無意識的に原典が翻訳され、超越の物語の「つづき」が再生される事を確信している訳ですよね。

たしかに、メロドラマはたま~に、時代劇はどきどき見ますが、
見ている時の精神状態たるやないですね。
ドラマをドラマ的に楽しめばいいのに、つい哲学が、ついでポエジーが
入り込んで、えらいサラウンドになってしまうと言うかw
キャンプな見方というんでしょうか。もっと素直に見たいです。

246:佃煮マニア
08/07/21 22:19:15 0
エートルさん

梅雨開けましたね。暑いのにお仕事ご苦労様です。
個人的に、男性がネクタイをクイッと緩める瞬間にフェティシズムを感じているんですが、
この時期暑いですので、ぜひクイクイッとw 緩めたりして体温調節して下さいね。

>>240
>荒木経惟の写真にある「暗さ」は何でしょうね。
アラーキーって暗いしエグいですよね。
自然風景の写真に色絵の具を落としたような幻想的な写真も
あるんですが、人物はのきなみ暗いです。
自然光って、ライトやレブ板で影をなくす人工光とちがって、
強く影が出ますよね。
その、白い所はパーンと白く、暗い所は反転する程暗く、
中間はマチエールをグロテスクに描き出す事で、
人間の深層にある明暗、有機性を露出したんじゃないでしょうか。
ヒューマニストなんですね。

彼の女性観をどこかで聴いたのですが、これはまた今度。

247:佃煮マニア
08/07/21 22:21:16 0
>ドゥルーズの言葉の捩り方はルイス・キャロル風遠心力がきいてて
ルイスキャロルの遠心力に似たものは確かに感じます。
あらゆる言葉を均等にパレットにおいて、混ぜ合わせ
なるべく中間色を作る手法ですね。

そうして作り上げたはじめシンプルなビジョンを、
読んでいてもびっくりするような形にどんどん加工していきます。
ビジョンをそのまま視覚化するとオブジェになりそうな。

そして赤塚不二夫的な、オチを予想しない演繹法での論理展開で
動かし始めてて、一人歩きし始めたイメージが日常にうつされていく・・・

「モナドの逃走線は樹状を描く」って名文句がありますね。
ドゥルーズの概念イメージは、自然から余り逸れない形で動きます。
驚きが多いのは、自然をそのまま論理に写し取っているから、
なのかも知れません。このあたりは、日本式の庭作りで、
茶庭に見られるような行程を踏んでいる様にも見えます。

>ところで佃煮さんは天文学にも興味ありますか?
ふと覗いてみると、、、すごい神スレですね~ここ!
私より20以上レベルが上の私がいる・・・なんかビックリしました。
ちょっと見学させてもらっちゃおうかなあ。
エートルさんも書いてますね?

わ~長くなっちゃったなあ。
なんで考えている事をコンパクトにまとめられないんだろう。。。
続きはまた後日書きます。

248:エートル・オートル
08/07/22 00:11:55 0
>>244:Absalomさん
レスどうもありがとうございマス。
何かを書きたくなってしまう本との出会いは貴重ですね。

内野儀の本は知らないので、当方もまた推測で書かせてもらうと
フロイトのファミリーロマンスとかオイディプスは
人間の欲望を「家族」の中の物語として解釈するものだったけど
ドゥルーズ=ガタリは欲望機械という概念を持ち出してきて、
欲望を家族や学校などの枠を外して考えたことが、
「家」という単位から「個」の単位に変わってきた
社会風潮をそこにリンクさせたのかなあと思いました。
例えば、家業を継がずに自分のやりたい仕事を見つける、など、
血のつながりよりも個人の価値観を優先するという面では、
そこにアンチ・ヒューマニズムも絡めることができそうです。
ヒューマニズムは「家」と深くつながるんでしょうね。

249:エートル・オートル
08/07/22 00:29:14 0
>>246-247:佃煮マニアさん
当方はノーネクタイですが、それでも暑いですね~。
お気遣いスイマセン。

アラーキーの写真についての分析は鋭いですネ。
なるほど、光の扱い方、陰のボリュームによって
「人間の深層にある明暗」を表現してるというのは納得です。
キリコの絵なんかも明快な構図と色彩ですが、
陰のボリュームが不気味さを与えますね。

「逃走線を描く」っていうのはドゥルーズの十八番ですね。
>ドゥルーズの概念イメージは、自然から余り逸れない形で動きます。
>自然をそのまま論理に写し取っているから、なのかも知れません。
ツリー状とリゾーム状というのもそういう概念ですね。
一本の太い幹から枝分かれしていくツリー状ではなく、
脈絡なく予定調和もなしに分岐するリゾーム状(根茎)。
このあたりは自然派ドゥルーズといえそうな面です。

250:エートル・オートル
08/07/22 00:32:10 0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【どこ】東京発日帰りツーリング【イク?】21日目 [バイク]

というリンクがありましたが、誰かバイクに乗ってますか?
当方は昔、ホンダのCB400Fという骨董品に載ってました(笑

251:Absalom ◆owNN8RDlXo
08/07/24 08:43:20 0
>>245
知ってらっしゃるとは思いませんでした!上方と下方からの脱構築とは、そういう考え
もあるのか、と思いました。対象に対する向かい方ですね。


252:Absalom ◆owNN8RDlXo
08/07/24 08:53:24 0
>>248
西洋では、個人同士の結びつきとして家という物がありますね。日本では、全体の中での
私、非-在の私という風になっていますが、最近のことだけかもしれませんが、家の中で
個人という物が存在する自由があると思います。家というシェルターが世間の中に
あるというか。

253:佃煮マニア
08/07/24 20:27:19 0
エートルさんはお出かけかな。エートルさんという引き締め役がいないと、
私「うろんな客」が思うに任せていい加減な落書きをしまくっちゃいそうで、
申し訳ないです。

また一方で、寂しさのあまり、
「ジュテ~ム・・・追いて行かないで。行くなら私、窓から飛び降りるわ!」
と凄んで見せちゃうシャンソン風の悲哀もありつつ・・・メロドラマも含みつつ・・・。
こわっ

しようと思ってたレスがまだ残ってるので、ちょっとだけ。

254:佃煮マニア
08/07/24 20:29:00 0
>>241
実は、私自身の女性観ではないんです。ある男性に言われた事です。
女性の悲鳴が表す人間性について、ちょっと性的な意味で言っていて。
またそれが、歌声から察する事が出来ると。ま、凡庸な話ですが。
でも私はそれを聞いてガーンと来たので、自分なりに消化しました。
自己批判も含めて書いてみたんです。
歌も、頑張ってるうちに、カラオケ大会で優勝する様にはなりましたよw

私自身は、男性、女性とカテゴリ化する事は嫌いなのです。
デリダがジェンダーの話で私とにたビジョンを持っているようなので、お話すると・・・、
彼はコーラ=入れ物、場という事を言ってましたね。
デリダ的な意味の付与とはちょっとずれるかもですが、日常的に言ってみると、
人間を一つの入れ物とすると、そこに地層の様に幾重もの性が折り重なって堆積してる。
その層は、人間がアクションを起こす度にひびわれ、断層になり、かけらが散らばっていく。
散らばった性のかけらが他の入れ物が吸い上げられ、または上から降りつもる。そうして、
単に男性、女性とは言い切れない複雑化された性の入れ物が、世界という大きな入れ物の
中でひしめき合っている・・・そんな感じです。

コーラは気になるのでこんど映画とからめてみたいなあ。

255:佃煮マニア
08/07/24 20:30:21 0
ジッヒ・ゲーベン
>女性は、化粧し仮面をつけつつ(擬装)、身を任せる(贈与)ことができる、
これはとても面白いなぁ。
オペラ座の怪人で、ファントムも仮面をつけていましたけど、
あれは女性心理なんでしょうかね。彼が女性なら、恋人は劇ですね。

閉塞された環境で、レヴィ・ストロースで言う所の「野生の思考」で世界を見、
演劇という魔性にからめとられ、身を任せるしかなかった少女の、
激しい嘆きと同時に、演劇への恋慕が狂気に変化して行くような、凄みを感じますね。

ここでファントムを風とするなら、演劇が彼を捉える、貼付けにする、
という暴力は、物語を見れば、非常なエロス性を伴っています。
同様に、哲学者たちが風を流動のままと言いながら捉えようとする行為にも、
そこはかとなく、暴力と言う名のエロスが潜んでいる様にも思われます。
哲学はエロスなんですね。

256:佃煮マニア
08/07/24 20:32:20 0
Absalomさん
>>251
町田さんは中学の頃から大好きなんです。アルバムは全部買ってて・・・。
町田さんの事もちょっとお話したいですね。

ところで、
>ソ連革命のドタバタが、東欧 諸国の崩壊が、
>この輝かしき「アンチ・オイディプス」「アンチ・ヒューマニズム」
>の伝統に終止符を打ったということです。
歴史にうといので分からないのですが、東欧諸国の社会変化が、
どういう形で影響をあたえたのか、教えてもらってもいいですか?


257:佃煮マニア
08/07/24 20:34:44 0
>>252
個人主義が進んで、家は人格を持たない様になりましたよね。

制度の中で一度人格を失ってから、しばらく経って、人は、
家に対してユニークな機能を追求する様になりました。
そして、壁の下に電線が張られ、パイプが伸び、家は、
新たに、別な形で脈動を始めました。

ロイド・カーンの「シェルター」って面白いですよね。
家の無機質性を徹底的に排除し、生き物としての「家」の
様々な形が詳しく書かれています。


258:Absalom ◆owNN8RDlXo
08/07/24 20:56:48 0
>>256
僕の理解してる範囲では、マルクス主義の唯物論の資本主義的解釈である欲望機械
という概念が、その機械的であるということが、人間的欲望によって反証されてしまった
ということではないかと思っています。

町田さんは、「メシ食うな」と「腹ふり」しか持ってないのですが、両方ともとても好きです。
小説家に転職したりして、結構世の中に影響を与えるような位置にいるような気がします。
才能はちょっと他に類のない物がありますよね。パンク中のパンクだと思います。

259:考える名無しさん
08/07/24 21:57:31 0
中島義道が
ぐれようとしてもうまくぐれることのできないグループのなかに
町田康を入れていました。「爆発道祖神」の文章より
“行間からにじみ出るナルシスの恍惚感は、もうどうしようも
ありません。文章が終わるごとに「だけど、こういうボクって好き、
だけど、こういうボクって好き」と呟いているようです。”
だそうです。
  『ぐれる!』中島義道

260:考える名無しさん
08/07/24 22:06:31 0
すみません。町田町蔵さんだそうですね。
間違えました。
Absalomさんがおっしゃっていた「メロドラマの逆襲」はいま読んでいます。
このテの文体は苦手ですが。

261:考える名無しさん
08/07/24 22:30:08 0
同じ人ですね。町田康も町蔵さんも。

262:エートル・オートル
08/07/25 00:22:08 0
>>253:佃煮マニアさん
>エートルさんはお出かけかな。
明日からひと月ほど留守にします。
でも佃煮さんがいるので安心。

263:佃煮マニア
08/07/26 20:21:01 0
Absalomさん
>>258
欲望機械は何で機械なんでしょうね。

たしかに、統合失調症の人たちのもつ欲望の形態は、類型化されてもいて、
他人同士で器官をジョイントしても、通常運行しそうな感はありますがw
あくまでも印象であって、人間の意識は、他人の情動をナマで受け入れる
事はできません。

ガタリはもと精神科のお医者さんですが、ドゥルーズは芸術家ですよね?
たぶんドゥルーズの方が、アルトーの詩からインスパイアされたんじゃ・・・

  皮膚の下の体は過熱した工場である
  そして外では病者が輝いている
  彼はきらめくあらゆる毛穴を炸裂させて

端的に表現されていますが、これはあくまでも比喩なんです。
そうむやみと医学理論につなげていいものではありません。
かれらの奔放な発想と表現はとても洗練されていて、大好きですが。

また、彼らはこの病理を、資本主義にからめていますけど、じゃあ
共産圏、第三世界では同じ病気がないのかと言うと、そうではないし、
そこに体制があるから病気が起こると私は考えています。

264:佃煮マニア
08/07/26 20:22:15 0
>>259
へえ~、中島義道さんって面白い事書くんですねw
ぐれたくてもぐれられないってのには同感。。。
『ぐれる』って気になります。今度読んでみようかなあ。

ナルシスト的傾向は、たぶん「フリ」で、笑わそうとしているのかもしれません。
無意識でやっている様に見せかけて見せかけて、読者がその気になった時に
「なに本気になってんの?」と落とす人だから。

265:佃煮マニア
08/07/26 20:23:56 0
町田さんの話がでたのでついでに書いちゃおうかな。
腹ふりはなぜ腹をふるのか?パンクだったら頭じゃないのか・・・

人間をひとつの器官とすると、脳は皮膚の延長でしかないんですね。
つまり、ものを考えているのは腹であって、
この部分を脊髄もろともシャッフルする事により、
よりダイナミックな飛躍的思考が可能になり、
詩においては修辞的な規律を、もっと視野を広げれば
綿密に整備された境界線を、飛び越える事が可能になる・・・
という所じゃないかと思います。

266:佃煮マニア
08/07/26 20:26:29 0
(ツヅキ)
URLリンク(jp.youtube.com)
町田さんは動画の中で「沈黙」をテーマに詩を書いたようですが、
中心から書く、それを詐欺でくるむ、というのはメロドラマ的ですね。

なぜ原典がキリスト教的アニミズムに裏打ちされていつつ、
伝承の仕方がメロドラマ的か。私なりの考えで行くと、
彼ががロッカーという反逆者ではなく、歌手であると自称している部分には、
日本人である、共同体の一員であるからその中で従順に役割を担いたい、
だけれども、隅の方で卑屈に自虐的にパンク的テロリズムを展開して行きたい
そういう意図がある様に思います。
だから、彼のは「変人の秘めたるパンク」、という形容が出来ます。

ブルーハーツが「劣等生のパンク」BOOWYが「優等生のパンク」
であるのに対して、どちらでもないが何か変で隅にいる、という位置づけを
することによって、差別化を図ったのではないでしょうか。

そして論理の飛躍、シャッフルによる錯乱。
あとは笑いのエッセンスが多分に詰め込まれているようです。

267:Absalom ◆owNN8RDlXo
08/07/26 20:59:19 0
>>263
レスありがとうございます。メシを食うというのは人間の三大欲求であり、その中でも病気に
つながる物でもあり、機械的欲望と言っていいと思います。それに対して攻撃を仕掛ける
というのは、機械に対する怒り(rage against the machine)だと思います。。。。

268:佃煮マニア
08/07/26 21:08:42 0
Absalomさん
>>267
ああ、なるほど、機械ってそういう意味だったんですか。
ちょっと曲解してたかも知れない。ごめんなさい。
その観点で行くと、「メシ食うな!」がクリアーに解釈できそうですね~^^
ゼヒゼヒ解説をして頂きたい。

269:考える名無しさん
08/07/26 21:42:01 0
>>268
ウ~ン、音楽は時代の空気の中にあって、それを知らない自分が解説するのもちょっと
おこがましいかな、という気がしてしまって・・・。自分の感想を述べれば、ちょっとほかに
類をみないような、ユニークな、という風に感じてしまいますが・・・。あえて比べるとすれば
スターリンとかかなと思います。

270:考える名無しさん
08/07/26 22:44:41 0
神を超える神とは何でしょうか?

271:Absalom ◆owNN8RDlXo
08/07/26 23:42:07 0
>>268
と思ったのですが、あまりに無愛想なので少しだけ挑戦してみます。まず、町蔵はメシ食うな!
のアルバムで、さかんに「おまえ」と呼びかけています。これは、音楽の聞き手との距離を
なくすためにしていることだと思います。このアルバムを貫く、状況に流される事への不快感
、物語や人生に個々の人間を回収してしまう事への禁忌感は、メシを食う事への拒絶感
として反抗的に表れています。ロックの根底にある、個々の人間の自由な感情表現、形式
に陥る事への反発などとも通底しています。
しかし、個人の出来ることが限られていること、周りの状況に左右されてしまうこと、などから
全体主義的な思考も生まれるわけです。その中では人間は機械としてしか扱われない。
生産性第一主義なども似たようなことになると思います。
パンクが反抗的な音楽であることは間違いなく、ただ、セックスピストルズなどと違って、
日本ではパンク的態度が向かう対象が、地下鉄の中のおっさんとおばはんであったり、
中産階級のガキどもであったり、するのでしょう。
町田さんのこれからの活躍に期待します。

272:佃煮マニア
08/07/29 17:58:27 0
Absalomさん
>>267
資本主義の中で、三大欲求さえもが、オートメ化された体制の中で
重油となり、またはパーツとなってしまった、ところがこの欲求は
実は、見直してみると、何と色彩に溢れた、豊穣の鏡像じゃないか、
というのが、彼らの主張ですよね。抑圧された欲望の形態としての病気
を参照して、人間のあるべき姿を占いながら、彼はゆうゆうと語ります。

ドゥルーズ・ガタリの、統合失調症への理解は独特ですけど、
彼は、キリスト教に支えられ続けてきた西洋文明を肯定するために、
そして、リゾーム型をした現世界への大いなる「yes。」のために、
キリストの持病であった統合失調症を理解し、現体制での欲望の
状態を描き出して、根の伸びる先に土をしいたんですね、きっと。


273:佃煮マニア
08/07/29 18:03:10 0
>>270
神に優劣ってあるんでしょうかね?う~ん・・・
サイヤ人を超えるスーパーサイヤ人はあるようですけどw

個人的には悪魔が好きで、悪魔辞典とかちょこちょこ読んでます。
悪魔って人間くさくていいですよ。

274:佃煮マニア
08/07/29 18:05:22 0
Absalomさん
>>269
ミチロウさんが、ライブで町田さんと共演しているのは、新宿で見て
屋根裏にも二、三度行った事がありますが、
スターリニズムと言うか、彼らのコンセプトは、
今ひとつ把握できていないんです。。。
旧ソ連の社会情勢と、関係があるんでしょうか?

275:佃煮マニア
08/07/29 18:10:24 0
Absalomさん
>>272
わぁ~、こんなに構造的に説明してもらってありがとうございます♪
うれしいな(・∀・)

 「中産階級のガキどもをぶちのめすために
  俺の存在をまったく無いものとしてくれ」
という歌詞には、非合理な原理の中心基軸をわしづかみにして脱臼し、
その後に待っている真っさらな可能性に向けての再生、もっと言うと、
火が土を生むような「相生」への願いがありますね。そして、
そのために、自分は虚無となり、非人称で私たちに呼びかける・・・
確かに、Absalomさんの言う様に、その脱臼すべき原理とは、
生産第一主義のことかも知れませんね。
ドゥルーズのアプローチと共通点を見いだせます。

276:佃煮マニア
08/07/29 18:12:26 0
または、もっと視点を下げてみると、これは私の見解ですが、
他を無意識に、未消化のまま受け入れ過ぎて、腐らせ、
路傍に散在するゴミ袋の様になってしまった人々への警告なのかも。
「ゴミは集積日に捨てなあかんやん」というようなw
どうであれ、これらに対する強い生理的反発、反抗があることは
歌から感じます。

277:佃煮マニア
08/07/29 18:14:08 0
ところで、セックスピストルズを、私はいつも歌い方ばかり
感覚的に楽しんでいますが、
彼らは、向かう対象として、音楽シーンであったり、ファッションを
選んでいるんですかね?あまり詳しくないので掘り下げられない・・・

278:し
08/07/30 15:05:57 O
極楽とんぼむかつくよ

279:考える名無しさん
08/07/30 16:14:31 0
何かね?

280:考える名無しさん
08/07/30 17:26:24 O
>>274
町田康のエッセイ 「猫にかまけて」「猫のあしあと」は良い。
パンクバンドとは無縁な猫馬鹿加減が素晴らしい。

281:考える名無しさん
08/07/31 11:20:41 0
>>280
猫と聞いて飛んできましたよ!
町田康の音楽よりも小説よりもそちらのほうに興味があるっっ♪

昨夕、スーパーに行ったら「佃煮コーナー」がありました。
咄嗟にこのスレが脳裏をよぎり、売り場で思わず口元がゆるんでしまいましたよ

突然、関係ないけど、恵まれた出逢いって何だろね?

282:考える名無しさん
08/07/31 14:29:14 O
>>281
猫中毒の俺がイチ押しの本だよ。笑いと涙の猫尽くしだね。
猫触りたい。

恵まれた出逢いは後々に、あれは恵まれた出逢い。と思える事じゃないか?

283:281
08/07/31 14:42:23 0
>>282
ホント?
ありがとです!
近所の飼い猫や、公園のノラさんや、とにかく猫を見かけると
すっ飛んで行って思い切りもふもふもふもふしたいっっっ!
できることなら1日中でももふり倒したいっっ!

2ちゃんねるの猫好きは猫のことを「ぬこ」、もしくは「ご主人様」
飼い主のことを「下僕」というらしいですよ。
デートしてても道で猫を見かけたら恋人のことなどさておいて
すっ飛んで猫をもふもふしに行っても怒らない人こそ恋人として合格みたいです♪

>恵まれた出逢いは後々に、あれは恵まれた出逢い。と思える事じゃないか?
そうか、やはり時が過ぎてからわかることなのですね。。。
リアルタイムだとなかなかわかりにくいのかも・・・

284:考える名無しさん
08/07/31 15:10:29 O
>>283
>すっ飛んで猫をもふもふしに行っても怒らない人こそ恋人として合格みたいです♪
確かに。俺はペットショップ(猫コーナー)禁止令が出されます。
猫狂の相手探しは容易では無いですね。

285:281
08/07/31 15:48:14 0
>>284
>確かに。俺はペットショップ(猫コーナー)禁止令が出されます。
猫コーナーなんて行ったらテコでも動かず、閉店になるまで居座りそうでこわい・・・

>猫狂の相手探しは容易では無いですね。
猫のスレで見かけたのですが、恋人検定(?)として、もし地震など災害が起きたとき、
恋人や伴侶よりも真っ先に猫を抱えて避難する人が合格印とのことです♪

286:考える名無しさん
08/07/31 16:13:06 O
>>285
猫を最優先か…
猫への価値観が同等でなければ破滅するだろうね。
まあ実際、条件反射で猫最優先しそうだけど。


287:281
08/08/01 16:23:12 0
>>286
>猫への価値観が同等でなければ破滅するだろうね。
猫を家族の一員ととらえていれば、最優先の対象が人であれ猫であれ
本人にとってさほど差異はないのだと思いますね・・・

災害のときに家族より自分の愛蔵書や愛器、骨董品のほうを守ろうとしたとか
配偶者や子供より猫や犬を最優先して避難させた、などときおり耳にしますよね。
まるで人に非ず、非道な人間のような扱いです。
けれども、わたしはそうした人を責める気にはなれないのです。。。
人の命は確かにかけがえのないものであり、尊重されるべきものとは思いますが、
人それぞれの価値観は異なって当然なわけですから、、、
むしろ、一方的に声高に正義や正論を振りかざし主張する人のほうが怖いです・・・
正しすぎる人は正直言って苦手です。。。

288:Absalom ◆owNN8RDlXo
08/08/01 16:44:46 0
>>287
答えを持っているやつは信用しない、とポール・オースターもいってるからね。

289:281
08/08/01 17:13:39 0
>>288
答えを持っている、か。。。
どうなんでしょうね?
答えって先達の誰かが導き出したものをそれが「正」であると、
子供の頃から刷り込まれてきたような気がしますね。。。
答えって始めから最後まで固定されて在るべきものなのかな?
生きる途上で自分の経験値によって流動し、変動していくものなのかな?

・・・最初から答えを決めてあるのは、なんかつまらないような、、、
水のように、風のように絶えず動き、流れているほうがおもしろいかも


290:考える名無しさん
08/08/01 17:31:17 0
>>289
>答えって先達の誰かが導き出したものをそれが「正」であると、
>子供の頃から刷り込まれてきたような気がしますね。。。
子供の頃は行動の規範として大人に答えを与えられて、それに従わねばなりませんね。
大人になって、疑問を持つようになって、そこらにある答えじゃなくて、自分の考えた
ことに基づいて行動するようになるのでしょうか。
社会的な暗黙のルールみたいな物に従うのは、少なくとも哲板住人なら大人になりきれて
いないし、本当の喜びや達成感を味わえないでしょうね。

291:↑
08/08/01 18:07:02 0
Absalomです、入れ忘れました。

292:佃煮マニア
08/08/02 16:17:53 0
>>280
「猫にかまけて」ゲンゾーが可愛くって大好きです。
INUが猫飼うの?というツッコミはさておき^^
たぶん、奥さんの影響なのかな~と憶測してますが。

町田さんって、今までは抽象的なものばかり書いてきたけど、
いつもそばにいる愛猫を、ありのままに描写することで、
日常に、いかにドラマがあふれているかって事を、感動と共に
訴えたのかもしれません。

町田さんは、トラやゲンゾー達を、その後どうしたんでしょうね。

293:佃煮マニア
08/08/02 16:21:02 0
中野孝司さんの「ハラスのいた日々」は、愛犬の日常を描いた
本ですけど、最後の柘榴の話が。。。泣けて泣けて・・・

私も犬を飼って、その犬が死んでしまって、無花果の木のそばに
埋めたんですが、その年、次の年と実が鈴なりでした。いつも
よりも実が大きくて、色も良かったです。

無花果の実をもいで眺めながら、この実が犬なのか、柿なのか、
まるで区別がつけられませんでした。哲学の○○論でなら、割と
アッサリ、決着がつきそうですが、それでも何か、割り切れない
ものがのこります。

294:佃煮マニア
08/08/02 16:23:05 0
むしろ、答えが目の前にない方がいい。

明確な答えを出さない方がいい場合というのでは、281さんの
>答えって始めから最後まで固定されて在るべきものなのかな?
>生きる途上で自分の経験値によって流動し、変動していくものなのかな?

とか、Absalomさんの
>子供の頃は行動の規範として大人に答えを与えられて、
>それに従わねばなりませんね。
>大人になって、疑問を持つようになって、そこらにある答えじゃなくて、
>自分の考えた ことに基づいて行動するようになるのでしょうか。
という話につながると思います。

答えは、涙とともに流れて、当てもなくさまよう事があるようです。
リアルな感情によって、既成概念が凌駕され、流動を経て、沈黙
へと落ち着くのではないでしょうか。

295:281
08/08/04 17:19:13 0
わたしが子供の頃、生家ではずっと猫を飼っていていろいろな猫の想い出が
あります。
猫の寿命は人間より少ないから見送ったのは10匹以上になるかな。。。
猫のお墓はわたしの家でも花や木の根元が定番でした。
翌年、見事な花をつけたりすると感慨深いものがありましたね。。。
ああ、これは可愛がっていた猫が咲かせたんだな、と。

あの頃は輪廻転生という言葉の意味も正確には知らなかったけれども、目の前で綺麗に
咲いている花を見ると輪廻転生が無条件に信じられましたね。
万物は流転するのだ、と。。。

296:考える名無しさん
08/08/05 00:25:51 0
エネルギー不変の法則?

297:考える名無しさん
08/08/05 16:32:13 0
まあ哲学は上澄みの知識だけで如何に膨らますことが出来るかってことだけ考えてればそれなりには出来るからね。
テーマの専門家には絶対に敵わないから、その場合は対話というより質問形式の論法を必ず用いる。
逆に専門家が居ないと見るや浅はかな知識をフル活用して自分の論法を見せ始める。
結局、相手によって自分を変えてるだけで、哲学が本当に哲学者のペースで語れるテーマは実は世の中にほんの僅かしか存在しないのだ。

298:考える名無しさん
08/08/05 20:11:40 0
>>295
10匹以上ってことは、常に3、4匹?は飼ってたって事か
もっとかな?
ちぐらとかケージで家ん中いっぱいかw

299:281
08/08/06 11:23:53 0
>>298
ぴんぽ~ん♪
たいていは2匹くらい飼っていましたね。
ほとんどが捨てられていた猫ばかり。。。
飼い猫の他にも、野良さんたちがエサ欲しさによく来てました。
野良さんたちにも飼い猫と同じエサを与えてました。
もし、懐けば飼ってあげたいと思っていたのですが、先住猫に遠慮してか
エサを食べるとさっといなくなってしまう。。。

猫は死期を感じると人の前に姿を現さなくなるといわれてますが、
飼い猫はほとんど看取りましたし、野良さんたちのなかには
ある日忽然と姿を消すも猫もいれば、朝、庭先で冷たくなっている猫もいました。
野良さんたちのお墓も飼い猫と同じように花や木のそばです。

ちぐら、欲しいけど高いですよね。。。
以前、ペットショップで猫用ベッド購入したのですが、ちっとも入ってくれませんでした。
冬はこたつのなか、夏は高く積んだ座布団の上がお気に入りらしくて。


300:281
08/08/06 11:25:35 0

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     ,―-y'"'~"゙´ヽノi   ..: : :: :: ::: :: ::::::::: ::::::::::::::::::::::::
     ヽ  .,/)(ヽ,.  ゙':; .. ... ..::とうとう虹の橋を渡ってしまったんだね・・・
     ミ ´"'., ,.'゙ `  ;: ... .:.: : : : :::::: ::::::::::::::::::::::::::
     ゙,   |      ミ ...: .:: : : : :::::: :::::::::::::::::::::::
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   .. :..     __  ..
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       .(二二X二二O
            |: |    ..:+ ..
      ∧∧ |: |
      /⌒ヽ),_|; |,_,,   楽しいときをありがとう
_,_,_,_,,~(,,  );;;;:;:;;;;:::ヽ,、 ずっと忘れないよ・・・


301:281
08/08/06 11:26:27 0
"お星様" でさえ、道に迷って落ちちゃう事もあるんだ。
            そんなお星様を空に返すのも もさの役目。

                 ゚・*:.。. .。.:*・゜
                   ゚・*:.。. .。:*・゜゚・    /^l  
                      @  ,―-y'"~"゙´ .|  <  お空にお帰りなさい!
                       \ ヽ  ´∀ ` ゙':
                         (ヽ      /)
                          ミ       ミ    
                          ミ       ミ 
                           ミ,,,     ミ    
                    _____ミ,;シ''~"゙ミ,ジ___    
          .ハ,_,ハ.      //////////////\    
  丼卅廾-  ,:' ´∀`';<モドレ//////////////   \
    |     ::っ   ,っ  //////////////  田田  \    
  _|___ι''"゙''u__☆_____
.. /////////////// \
///////////////    \  人間だって少しぐらい迷っても
//////////////       \   寄り道しても いいんだよ?
⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ──――ゝ 哲学の道はマタ~リと歩むべし♪


302:考える名無しさん
08/08/06 11:45:57 0
哲学の基本はファンタジー

303:281
08/08/06 12:37:30 0
伝統的には哲学する事は「善(よ)く生きる事」を目的とすると説かれる。
哲学はおよそ思考する為の〝理性〝を備え、
知る事を欲する人間の全てに対してその門戸を開いているのである。

URLリンク(ja.wikipedia.org)


こうして見ると、哲学が〝理性〝の産物とすれば、
ファンタジーは〝感性〝が自由に翼を広げた産物のような気もしますね。
〝理性〝が学問の礎であるならば、〝感性〝は芸術の礎かなあ。。。
どうでしょう?


304:考える名無しさん
08/08/06 13:51:02 0
ではお聞きしますが、哲学は善く生きることを目的とする。
といった時に感性的なものよりも理性的なものによって認識するのですよね?
理性であるならば、何ほどかの理、
つまり道理なり理論なり論理なりで表現することができますでしょう?
まずはあながそれを証明してやってみたらどうですか?


305:281
08/08/06 14:26:41 0
>>304
>つまり道理なり理論なり論理なりで表現することができますでしょう?
>まずはあながそれを証明してやってみたらどうですか?

ごめんなさいです・・・
論証できるほど哲学に明るくないですし、弁も立ちません。。。


306:考える名無しさん
08/08/06 22:57:04 0
>>304
それは時代、社会性、民族、歴史により変化するのでは?
証明をしようとしても、一時の理でしかない。

307:304
08/08/06 23:29:44 0
>>305半分からかいました。ごめんね。@^-^@
>>306
私は理性と感性の二分法は嫌いですから、?マーク付けられても困ります。
しかしながら、「伝統的に」哲学することは善く生きることを目的にする。
(これについては、感性に近い形で認められますね。じゃあ証明しろと言われれば
難問なのでやはり精神的苦痛でしょうが)
「伝統」ということですから、伝統といえば過去から現在に伝えられるものとして、
不変な、変わらざるものがあると、弱い形でそれを信じていますね。

308:考える名無しさん
08/08/07 01:25:26 0
>>307
人間らしくって事ですか
たまには考えるのをやめるのも必要だと感じる日々です。

最近の日本は心が感じ取りにくい

309:考える名無しさん
08/08/07 17:17:02 0
281って、いわゆる…
ドリー夢系二次制作小説書いてオナってる猫オタの腐女子…なのか…
そうか…いろいろ、いろいろだよな…
ネットだもの…。
人間だもの…。


310:281
08/08/07 17:30:24 0
>>309

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間ですもの・・・・・・・・・・・・・・・・

311:佃煮マニア
08/08/07 21:49:55 0
281さん
実はうちの庭も猫のたまり場で、猫たちがかくれんぼしたり喧嘩したり、
ある日子猫が生まれてたり(!)と、見てて本当に和みます^^
飼ってる犬が、動物を捕まえて少しずついじめて楽しむのが好きなヤツで
犬猫の同居は出来そうもないんですが、、、飼いたいなあ、猫。猫。

藤田嗣治の描く猫は、やわらかな実像をもちながら、
どこか文学的な香りをまとっていて、大好きです。黒の色づかいが・・・!
URLリンク(torutoru.cocolog-nifty.com)

312:佃煮マニア
08/08/07 21:52:50 0
>>304
善く生きるための哲学ですか。なるほどなあ。
哲学を音楽に例えるなら、
感性は非拍動時間、理性が空気を刻む拍動時間、言語は韻律
といった所でしょうか。これらは、非常に分ちがたく、
混じり合い、相互に連関し合って成り立っているでしょうね。

313:佃煮マニア
08/08/07 21:54:33 0
また、ちょっと凝って文学的に「善き哲学」を表現するなら、
エートルさんの「風」「流動」を受けて、こんな感じ。

夏の静けさを運び、ゆるやかに吹き流れていく風の、ある一点に
明確な切れ目を入れ、そこにつけられた神秘的な印に名前を贈る。
すると、、、百合の香りに刺激されてまどろみから醒め、
色彩豊かな日差しに目がくらむような心地よい転調が引き起こされ、
感覚器官の熱狂によりかき立てられたイメージの奔流の中で、私は
固定した観点や時間を軽々と飛び越え、歓喜の最高段階に歩を進める。

314:佃煮マニア
08/08/07 21:55:42 0
今までの少ない読書の中で、かなりインパクトが高かったのが、
ドストエフスキー「罪と罰」中、スヴィドリガイロフが吐いた台詞
「自分をどれだけ騙し仰せるかで、人生の価値が決まる」というもの。。。

善も悪も相対的なものでしかないし、宙ぶらりんの状態から抜け出して
善に突き進むとすれば、自分にある「設定」を与え、依存しなければならない。
それを、「騙す」と言い切ったスヴィドリガイロフの男っぷりに、
恋してやまなかった時期があります。

315:考える名無しさん
08/08/07 22:06:05 0
感性=ファンタジーではないような気がするんですが

星空見上げる時ロマンチックであると同時に悟性のようなものが。
我とはなんぞや?無時間?は哲学的です。
281さんが貼り付けていらしたところに
「哲学は死の訓練である」ソクラテス というのもありましたね

316:考える名無しさん
08/08/07 22:16:30 0
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」も死がひとつの
テーマになっていますね。
そう言えばますむらひろしのキャラクターによる「銀河鉄道の夜」のアニメ
は主人公たちの姿がネコでした。
細野晴臣の音楽がすてきでしたね。人間の震える心のようで。

317:考える名無しさん
08/08/07 22:29:49 0
引用以外で対話できないの?

318:考える名無しさん
08/08/07 22:34:42 0
>>317
できるよ

319:考える名無しさん
08/08/07 22:35:27 0
自分を騙す、なるほど人生の価値はその通り、
かどうかはまだそこまで人生生きてないので断言しかねますが、
変なことを思い出しました。
詐欺師は、相手を騙すのが美味いほど、自分も騙されやすいそうです。
自分で自分を騙していたつもりが、ある時に世間や流行に騙されていたんだと
いう事態、失態を避けるためにも、何ほどか騙しながら、
自分を「暴く」ことも人生には必要なんでしょうね。





320:考える名無しさん
08/08/08 09:27:29 0
引用よりずいぶんマシだなあ

321:319
08/08/08 10:13:46 0
善く生きる、人は生きるでは物足らず、つまり「善く」の定義が主題なんですね。
しかしながら誰かが言ってた通り、神ならぬ人間は善くの定義など
知るべくもありません。そうすると、悪が混じる善にしか為り得ないのが
現実ナノかもしれません。善悪が相対的に絡んでるということでしょう。
しかしながら、ではここで悪に生きると言えないのが人間の不思議なところです。
やはり善を、つまり「絶対的」な善を志向せざるを得ないのが人間なのでしょう。
この矛盾をどう抱えていくか。どこで「騙す」決断をするか?
どこで「暴く」解釈をするか?その無謀とも思える孤独な戦いに何がしかの
助言を与えるのが「伝統」なのでしょうね。

322:281
08/08/08 17:25:58 0
佃煮マニアさん

藤田嗣治の猫の絵、ありがとうございました♪
4匹の猫たち、みんな表情と顔の向きが違ってるんですね~
正面、斜め、俯き、横、と。
なぜだか鳥(鳩?)もいっしょなんですね!
鳩にとっては猫は天敵なはずなんですが、さほど警戒心を抱いてないようですし、
猫も攻撃姿勢ではなく、穏やかな雰囲気です。
キジトラの模様とキジバトの模様がおんなじなんですね~♪

人生の理想としての最高峰が「真善美」であるとされていますが、
これはもともと人間が不完全なゆえ、完全なものを希求したいという人間の
欲望の現われなのでしょうかね。

323:281
08/08/08 17:26:29 0
>>315
>星空見上げる時ロマンチックであると同時に悟性のようなものが。
そうですねえ、わたしは子供の頃、星空を仰ぐたびに「この果てしない宇宙に
比べたら自分はなんてちっぽけな存在なんだろう、自分の悩みは何と取るに足らない
小さいものなんだろ」って思い知らされましたよ。。。

>>316
「銀河鉄道の夜」、大・大・大好きです♪♪
ますむらひろしのネコのキャラクターによるアニメ、もちろん見ました♪
りんどうの草原やカササギの舞う星野原が幻想的で夢のように美しかったですよね。
あのネコのキャラクター、大きな瞳がうるうるしていて吸い込まれそうでした。。。
友情や自己犠牲による友の死をとおしてジョバンニのこころの成長過程が
ていねいに描かれていましたね。
「あのサソリのようにみんなの幸いのためなら僕の身体なんて百辺焼かれても
かまわない」というジョバンニの最後の告白は胸が打たれました……

324:考える名無しさん
08/08/08 23:34:41 0
宮沢賢治といえばチェロ
チェロといえばチェロ弾きのゴーシュ

これもまた猫繋がり

325:考える名無しさん
08/08/09 12:26:08 0
ついでだから・・・
ズバリ「猫の事務所」ってのがあるけどね。
(猫たちが自分たちの歴史や地理を調べてる第六事務所
最後はいじめがあってそれを見ていた獅子に「そんなら地理も歴史もいらん」と言われ
廃止される。)



326:281
08/08/10 15:38:56 0
賢治つながりでなかなか楽しいレスが続いてますね♪
では、わたしもひとつ。
「どんぐりと山猫」
題名もずばりですが、裁判のところは面白かったなあ。

「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」
これは人間の心理の急所を突いていてなかなかうまいなあ、と思いましたね。。。
URLリンク(why.kenji.ne.jp)

逆説の心理とでもいうのかな、自分が一番えらいことを証明するためには
自分がもっとも無能力であることを表明しなければならないんですよね。

327:rom者
08/08/11 09:06:46 0
宮沢賢治の「どんぐりと山猫」は確かに名作だが
こんな優しい話をうがった読みして、幼稚な皮肉をひねり出すっていうのは、
人格の問題だろうな。

山猫は、滞る裁判に窮してるところ、ふと一郎を見つけて、
陪審員の素質があるかどうか、心が綺麗かどうか試したんだろ?
それに、裁判で一郎が機転を利かせて「つぶれたのが一番偉い」って言った時点で
山猫もやっと「なるほど・・」つってるじゃん どこでそんなひねくれた読みが出来る訳?



328:考える名無しさん
08/08/11 10:48:36 0
「あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ」と
付け加えて言ったのは山猫だよ
自分をえらいなんて思ってるやつはちっともえらくないよという愉快さがこの場面にはあるような
気はする。
ラストで(それからあと、山ねこ拝というはがきは、もうきませんでした。
やっぱり、出頭すべしと書いてもいいといえばよかったと、一郎はときどき
思うのです。)と語り手がいっているけど
重要人物扱いされたかった主人公の心理をちょっと戒めるような
あるいはそうではないのかもしれないけど、どうあれもう一度
山ねこにあってみたいという思いをかわいらしげに表現してると思います。
rom者さんの批判を恐れず言えば人間の虚栄のこっけいさみたいなものを
あったかく包んではいるよね。そしてちょっとせつない反省をさせるような。

それから「雨ニモ負ケズ」の賢治の心境なんかともちょっと重なったかな?

329:rom者
08/08/11 11:26:14 0
ちゃんと読んだの?

>「このとおりです。どうしたらいいでしょう。」一郎はわらってこたえました。
>「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、
>めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。
>ぼくお説教できいたんです。」山猫はなるほどというふうにうなずいて、
>それからいかにも気取って、繻子のきものの胸を開いて、
>黄いろの陣羽織をちょっと出して、どんぐりどもに申しわたしました。

重箱の隅つつきはやめような。文脈で読めよ。
一郎がはじめに言って、山猫はそれに感心してる。
つまり、この話は、権力争い自体がくだらないと笑い話に変えてる。
偉いと証明するために無能力を晒す話ではない。そんな人間いるのか?

「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い」の辺りとは、確かにリンクするな。
賢治は聖人で、アイロニーを作品に込める人間ではない。

330:考える名無しさん
08/08/11 12:13:50 0
あなたがそういうふうに記述してるから訂正したんだよ
重箱の隅を突いてるわけじゃなくて。
だから文脈を読むと人間的な葛藤がちらほら描かれるんだけど。
だから、聖人でもない私が共鳴するんでしょうが。
じゃ、出頭すべしとかいてもいいといえばよかった
ってのはどういうこと?
皆からでくの坊とよばれとかさ。

331:rom者
08/08/11 12:36:11 0
>>330
食いついてくる割りには言ってることが支離滅裂。
自分で何が言いたくて書いてるかも分かってないだろ
何かすごい感情的になってるんじゃね?

とにかく、自分が偉いと証明するために無能力を表明するなんて
そんな低俗なことをやっている登場人物は「どんぐりと山猫」にはいない。
281は中盤にある山猫のトリックに固執するあまり、読解したつもりで自己分析をやった。

332:281
08/08/11 12:43:36 0
>rom者様

>幼稚な皮肉をひねり出すっていうのは、人格の問題だろうな。
あなたがどのように読もうとご自由です。
そして、他人の読み方に難癖をつけるのもご自由です。

>陪審員の素質があるかどうか、心が綺麗かどうか試したんだろ?
>こんな優しい話をうがった読みして
>賢治は聖人で、アイロニーを作品に込める人間ではない
わたしは賢治は聖人だとは思いません。
人間の権力に屈服する脆さ、異色のものを排除しようとする差別意識、
劣っているものに対する優越意識、人間が本来持っている醜悪な部分を
きっちりと描ける作家です。
「貝の火」のホモイは宝珠を手にしたためにどんどん高慢になっていき、
権力を嵩に着てとうとう最後には失明してしまいました。
「猫の事務所」のかまど猫は寒くてかまどの中で眠るため、いつも煤で汚れている
せいで、事務所のほかの猫たちから差別されいじめられます。
「銀河鉄道の夜」のジョバンニは父が遠方に漁に出たままで貧しく、ザネリは
そのことを何かにつけてからかいます。「ラッコの毛皮が来るよ」と。

賢治は人間の善良さを描く一方で、醜悪な感情もきっちりと描く作家です。
自身のなかにもそうした対極の感情があることを認めているからではないでしょうか?
(余談ですが、「善を描きたいなら悪を描くことだ」、とは遠藤周作氏の言葉です)

「貝の火」
URLリンク(www.aozora.gr.jp)

「猫の事務所」
URLリンク(www.aozora.gr.jp)


333:281
08/08/11 12:45:18 0
>>328
>自分をえらいなんて思ってるやつはちっともえらくないよという愉快さがこの場面にはあるような
>気はする。
同意です。
この愉快さはイソップ寓話に通じているものがあると思うのですが、イソップも訓話として
読むとかなり辛辣ですよね。。。

>重要人物扱いされたかった主人公の心理をちょっと戒めるような
>人間の虚栄のこっけいさみたいなものを
>あったかく包んではいるよね。そしてちょっとせつない反省をさせるような。
ああ、ここまではわたしは読み込めませんでした!
確かにそう指摘されてみると、一郎は自分が裁判で放ったひとことで決着が着いたことに
気をよくしてもう一度得意になってみたい、と思ったかもしれませんね。
それを諌めるようにも読めますね。


334:281
08/08/11 12:46:15 0
すみません、わたしの読み方でお騒がせしてしまいましたね。。。

作品はひとたび作者の手を離れた瞬間から読み手のものであり、
読み手が10人いれば10通りの読み方が許されるというのが持論です。

rom者さん、>>328さん、おふたりの読み方をありがとうございました。


335:考える名無しさん
08/08/11 12:51:15 0
どこが支離滅裂なの?
あなたの言わんとするところがわからなくてさ
あなたは先入観があるのかなと言う印象があるので。
言葉づかい汚いし(人を感情的というわりに・笑)

皆が黙り込んだのはじゃ、なぜ?
愚者・無能力者が偉いわけないじゃないかとなぜ反論が巻き起こらなかったの
?それまでガヤガヤつまらないことで騒いでいたのに。
そこんとこ裁判だから仕方ないじゃすまないと思うけど。
読者を黙らせなきゃいけないわけだからね。

336:rom者
08/08/11 13:11:42 0
>>332
自分にとって少しでも批判的なら、真っ当な批判に対してでも「難癖」と吐き捨てる感覚が、
自己中心的だし排他的。オウム返しに話題すり替えで誤摩化そうとする。
批判から議論に移行するような論理的思考はまったく持ち合わせていない。
それなら、わざわざ浅い読みを晒さなきゃいいとは、思わないのかな?

>>335もヒステリー過ぎて話にならない。日本語が崩壊してる。

337:考える名無しさん
08/08/11 13:16:49 0
>>336
336は自分のコメントを真っ当な批判だと思ってるの?
その滅茶苦茶な文章で?
すごいね!
あなたの文章、ものすごく感情的で議論にすらなっていないよ?
ここらであなたのお手本となる「議論」とやらの文章書いて下さい


338:考える名無しさん
08/08/11 13:18:30 0
さあ、みんなこれら336の「お手本となる議論」が展開されるぞ~

楽しみ、楽しみ~

339:335
08/08/11 13:21:50 0
日本語が崩壊してるっていうほどのことかい?
話は「山猫とどんぐり」だろ?聞く耳あればわかるだろ?(笑




340:考える名無しさん
08/08/11 13:24:22 0
>>336
想像力の欠如した、頭の固くて弱い人にも理解できるように書けってことかな。

341:考える名無しさん
08/08/11 13:27:09 0
Rom者さあん

マダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
早くお手本の議論待ってるよ~


342:考える名無しさん
08/08/11 13:27:56 0
>>340
君の想像力が見えないんだけど



343:rom者
08/08/11 13:27:58 0
すごい煽り方だな。下品にも程がある。ヒステリーとは話したくないんだけど・・・まあ話ついでだから
質問はしたつもりだけどね。何度も書いてるのに読まない答えない。

つまり、この話は、権力争い自体がくだらないと笑い話に変えてる。
偉いと証明するために無能力を晒す話ではない。そんな人間いるのか?

とにかく、自分が偉いと証明するために無能力を表明するなんて
そんな低俗なことをやっている登場人物は「どんぐりと山猫」にはいない。
281は中盤にある山猫のトリックに固執するあまり、読解したつもりで自己分析をやった。

話題すりかえずに「どんぐりと山猫」の物語内で答えてみてよ


344:考える名無しさん
08/08/11 13:33:20 0
>>342
あれだけの文から読み取れりゃ天才だよ

345:考える名無しさん
08/08/11 13:36:13 0
>偉いと証明するために無能力を晒す話ではない。そんな人間いるのか?
ここまで読解力が乏しいとは・・・・
つまりね、偉いと証明すること=無能力、これはね、一郎の頓知、レトリックなんだよ
自分が一番偉いと表明することは、一郎の言葉を借りるなら「一番てんでなってないやつ」、
なんだよ?


346:rom者
08/08/11 13:40:35 0
>>345
お前誰だ?お前には聞いてない。281に聞いている
しかも「そんな人間いるのか」に答えていない

347:考える名無しさん
08/08/11 13:42:36 0
>>343
だからさ、揚足とりに見えるんだよね。いやみなんだよ。
文体が(笑
そんな話でないことはわかってるよ。威張るほどのことか?


348:考える名無しさん
08/08/11 13:47:43 0
>「そんな人間いるのか」って・・・

もしかして小説読んだことないの?
小説のなかに登場する人物はすべて実在するとでも?

349:rom者
08/08/11 13:58:35 0
トンチンカンな話題ずらしばかりだけど「議論」はどこにいったんだ?
できないならできないと言えば言いだろ。

このスレは妄想で判断力をなくした連中の集まりだな。

350:考える名無しさん
08/08/11 14:02:45 0
>>349
議論って君の妄想に乗れってこと?

351:rom者
08/08/11 14:31:51 0
>>350
お前にとっての議論がそうなのか?頭おかしいな。

名無しとはいえ、被害妄想とヒステリーでチンピラみたいなマネしてて恥ずかしくないか?
哲学板住民ならレヴィナスくらい読んでるだろうに、まるで倫理観が欠落してる。

質問は、
とにかく、自分が偉いと証明するために無能力を表明するなんて
そんな低俗なことをやっている登場人物は「どんぐりと山猫」にはいない。
281は中盤にある山猫のトリックに固執するあまり、読解したつもりで自己分析をやった。
て印象をうけるんだけど、実際の所、本人はその辺の自覚あるの?という質問。

352:考える名無しさん
08/08/11 14:35:19 0
>>351
君の議論がそうみたいだね(笑

353:rom者
08/08/11 15:11:55 0
早く答えろよ。読解したつもりの自己分析は妄想でしかない。
妄想が妄想であると自覚できない奴ってキモいんだよ。

自分が偉いと証明するために無能力の表明をするなんてアイロニーは、
「どんぐりと山猫」のどの文章から引っぱってきた訳?
それが説明されないから妄想だって言われるんだろ?

354:考える名無しさん
08/08/11 15:28:46 0
自問自答

355:考える名無しさん
08/08/11 15:29:42 0
そんなこと無理だから自からの愚かさに思い当たるんじゃ
ないの?


356:考える名無しさん
08/08/11 15:47:48 0
>>353
おいバカ大将
言葉遣い気をつけろよ

357:考える名無しさん
08/08/11 15:49:46 0
それくらいの説明も無理ってどんだけ文盲なの?
そのアイロニーを作品と結びつけられないなら、何の作品からでもいいからとにかくこじつけて
「自分が偉いと証明するために無能力を表明」なんて下衆なことを、もったいぶって言いたかっただけ
そういうことになるんじゃ?

358:281
08/08/11 16:06:46 0
うわっ、、、なんかすごいことになってますね

>>353
>読解したつもりの自己分析は妄想でしかない。
それは、あなたがわたしの文章から「妄想」しているからではありませんか?
つまり、わたしが「どんぐりと山猫」を妄想したように(これはあくまであなたの意見です)
あなたもわたしの文章から「妄想」しているのです。

>妄想が妄想であると自覚できない奴ってキモいんだよ。
ご自分のことですか?
わたしは充分自覚していますが、何か?

>自分が偉いと証明するために無能力の表明をするなんてアイロニーは、
>「どんぐりと山猫」のどの文章から引っぱってきた訳?
「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、
めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」
抜粋しましょう。
「ばかで」「めちゃくちゃで」「てんでなっていなくて」


359:281
08/08/11 16:07:24 0
ばか 1 【馬▼鹿/▼莫▼迦】
(名・形動)[文]ナリ
(1)知能の働きがにぶい・こと(さま)。そのような人をもいう。
(2)道理・常識からはずれていること。常軌を逸していること。また、そのさま。
(3)程度が並はずれているさま。度はずれているさま。
(4)役に立たないさま。機能を果たさないさま。
(5)特定の物事に熱中するあまり、社会常識などに欠けること。

めちゃ-くちゃ 0 【▽滅茶苦茶】
(名・形動)
(1)まるで道理に合わないさま。筋道の通らないさま。めちゃめちゃ。
(2)程度のはなはだしいさま。めちゃめちゃ。
(3)非常に混乱したさま。めちゃめちゃ。

なってない
〔「成っていない」の転〕一人前とは認められない。でき具合などが極端に悪い。だめだ。


360:281
08/08/11 16:08:28 0
では、今度はこちらから質問させていただきます。
あなたが賢治を「聖人」と呼ぶにあたり、文献は「雨ニモマケズ」だけなのでしょうか?
これだけ自信を持って礼賛するからにはそれなりの文献を数多くお読みかと思います。
どうかご教示ください。
印象批評ではないですよね?
よろしくお願いします。

スレの皆さま、お騒がせして大変申し訳ありません。。。


361:281
08/08/11 16:17:57 0
>>351
>哲学板住民ならレヴィナスくらい読んでるだろうに、
申し訳ありません。未読です。

>281は中盤にある山猫のトリックに固執するあまり、読解したつもりで自己分析をやった。
>て印象をうけるんだけど、実際の所、本人はその辺の自覚あるの?という質問。
自己分析はしておりません。
よって自己分析したという自覚もありません。

ちなみに、ここは「対話」のスレです。
議論がしたければ他でやってくださいな。。。

わたしには議論する能力はありません。


362:考える名無しさん
08/08/11 16:27:37 0
>>359
「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、
めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」
抜粋しましょう。
「ばかで」「めちゃくちゃで」「てんでなっていなくて」

それを山猫が言ったからと言って、争うどんぐりをおさめるために言ったに過ぎない。
偉い者が無能力を表明して目的を得るなんて描写は一つもないのに、
なぜ、どのように、281が考えて「偉いと証明するには無能力を表明する」に至ったのか、
説明はしないんですか、してくださいよ、そうでなければ妄想とこじつけに過ぎない、
と言っているんだけど?

それから、自分が答えもしないうちに>>360のように話をすり替えようとするのは不誠実だ。


363:281
08/08/11 16:31:17 0
>そうでなければ妄想とこじつけに過ぎない、
>と言っているんだけど?
どうぞ、そう思ってくださって結構です。
あなたに共感していただかなくても、わたしは別に構いませんけれど?
ところで、今度はあなたが質問に答え番ではありませんか?
そうでないと「不誠実だ。」

あなたが賢治を「聖人」と呼ぶにあたり、文献は「雨ニモマケズ」だけなのでしょうか?
これだけ自信を持って礼賛するからにはそれなりの文献を数多くお読みかと思います。
どうかご教示ください。
印象批評ではないですよね?
よろしくお願いしますね。


364:考える名無しさん
08/08/11 16:35:47 0
>自己分析はしておりません。
>よって自己分析したという自覚もありません。

その自覚のなさが、配慮なく妄想を垂れ流してナルシズムによう結果に陥らせるんじゃないの?

>ちなみに、ここは「対話」のスレです。
対話をどういうものだと考えてるのか?
話を無闇に広げないためにこの事項は、今はいらないけど。

365:281
08/08/11 16:40:36 0
子供の頃初めて「どんぐりと山猫」を読んだときは一郎の機知に驚き、感服したものでした。。。

ひとつの作品に対する感想は人それぞれ違って当然かと思います。
わたしは、わたしの読み方が正しいとは今まで一度も思ったことはありません。
よって、他人の読み方が間違っていると思ったこともありません。
わたし自身の読み方も、その時々の年代や環境、心境によってブレがあり
まったく異なってくるからです。


366:考える名無しさん
08/08/11 16:42:56 0
>>363
宮沢賢治は読破して、思う所は多いけど、
作品に妄想を押し付けて自己満足するだけの、こんなつまらない読者と
なぜ、多くの作品について話して、賢治のイメージを貶めなければならないんだ?
281が強要してるのはそういうことだよ?

367:281
08/08/11 16:43:14 0
>>364
>対話をどういうものだと考えてるのか?
>話を無闇に広げないためにこの事項は、今はいらないけど。
了解しました。
取り下げますね。


368:281
08/08/11 16:48:05 0
>>366
>なぜ、多くの作品について話して、賢治のイメージを貶めなければならないんだ?
>281が強要してるのはそういうことだよ?
別に強要はしておりませんが・・・
また、貶めてもいませんが。。。
なぜ、そのように思われるのでしょうか?
賢治は人間のいやな部分にも目を背けることなく描ける作家ですよね?


369:考える名無しさん
08/08/11 16:56:02 0
>>367
じゃ、あなたの感想をいえばいい。
こんなことでそこまで人を責める人が読者なんて
賢治のイメージとはなんぞや?

370:369
08/08/11 16:59:30 0
>>367ではなく>>366でした。
ごめん

371:考える名無しさん
08/08/11 17:05:46 0
>>368
もうこれ以上話はしない。
宮沢賢治の作品からひねり出したアイロニーがこじつけの妄想だった、と答えは出たし。
なんでそんな妄想を書きたくなったのかは聞かないけどね。

372:考える名無しさん
08/08/11 18:25:15 O
宮沢賢治に直接聞いてみたいね

373:281
08/08/11 19:58:45 O
>>371
名前がないのですがRom者さんですか?
そうですか、終わりですか…
賢治があなたのなかでどのようにして聖人になったのか
ぜひ披露していただきたかったなあ
自分のなかに悪を認めない人は作家にはなれません
ましてや人のこころを打つ作品など書けません
だからこそ賢治聖人説とやらを伺いたかったのです…
どんぐりと山猫は虚栄心を戒めるお話しです
あの判決後にもし誰かが自分こそ一番偉いと名乗り出たとしたらそのどんぐりこそが一番ばかでてんでなってなくて
めちゃくちゃな奴、というパラドックスです


どうやら終わりのようですね

スレの皆さん、Rom者さん、いろいろとお騒がせしました

374:考える名無しさん
08/08/11 20:41:57 0
他板でやれば?文学板とかほのぼの板とか
そもそも哲学の話題じゃない気がするし、AA張りまくったりどうかしてるよ
共有のスレで自分の世界作り過ぎなのに、誰も何も言わないのがおかしい
夏だからしょうがないのかな

375:考える名無しさん
08/08/11 20:51:38 0
宮沢賢治は哲学的・宗教的だからいいじゃんか。
「こんなかでてんでなってないのがえらい」なんて無知の知みたいで
面白いなぁ。

376:考える名無しさん
08/08/11 21:20:52 0
宮沢賢治を語るにしても、哲学的な切り口というものがあるだろう。
それからAAの張りまくり、自分の世界の作り過ぎの件はどうなるんだ?

281の、ずうずうしい、空気読めない、自閉的、攻撃的、これらの性格を
わけわからん語調で誤摩化してる辺り、気持ち悪すぎる。
実生活でも嫌われるタイプだね。
そんなんが対話なんてやろうとするから、会話すら成り立たなくなる。
281が好き放題書きまくって、まわりが介抱するスレなんて痛々しすぎる。

377:考える名無しさん
08/08/11 21:42:55 0
そんなケンカ腰が暑苦しいんだよ
それに私は絵が好きだから、よほど不快な下品なものでなければ
いいよ。ここのスレの人も不快じゃなさそうだし。
哲学的に語りたいなら君が語ればいいんだよ

378:考える名無しさん
08/08/11 21:48:46 O
1 考える名無しさん 2006/07/15(土) 22:24:03
哲学語っていうのは、かつてそれなりに哲学されたことを
一言で言うためにあるか、もしくはまったく新しい概念で
それに相当する言葉が無いから新しく作られたものだと思うけど、
はっきり言って普通の人には通じません。
また、哲学してる人同士であってすらその言葉の解釈の相違から
通じなかったりします。

もっと平易な言葉で哲学しませんか。

379:考える名無しさん
08/08/11 22:08:08 0
281の、ずうずうしい、空気読めない、自閉的、攻撃的、これらの性格を
わけわからん語調で誤摩化してる辺り、気持ち悪すぎる。
実生活でも嫌われるタイプだね。
そんなんが対話なんてやろうとするから、会話すら成り立たなくなる。
281が好き放題書きまくって、まわりが介抱するスレなんて痛々しすぎる。

迷惑な理由はこの通りだ。マジで不快。頼むから終わってくれ 他人に迷惑をかけないでくれ

380:考える名無しさん
08/08/11 22:18:39 O
宮沢賢治は終了。
次話題で。

今久しぶりにヤモリ見ました。
ヤモリは家守りという意味が名前の由来でしたよね?
トカゲは戸の陰にいるから?
似てるのに扱いが随分違う気がする

381:考える名無しさん
08/08/11 23:06:44 O
ケンカ腰で煽ってる奴、女か?
男なら終わっとる

382:考える名無しさん
08/08/11 23:15:15 O
庇ってもらえない女の嫉妬は醜いな
言葉も汚いけどね

383:考える名無しさん
08/08/12 00:14:45 0
感想は人それぞれで良いだろ?
何で宮沢賢治ネタになった瞬間から粘着してんだよw

作品は一つでも、多くの目に触れることで沢山の意味を持った作品になるんだよ。


384:考える名無しさん
08/08/12 07:08:48 O
うむ
ロム粘着は結局噛みついただけで賢治聖人説を語れなかったよね
なんだかなあ

「はたちの日よきライバルを君に得て自ら当てし鞭いたかりき」堀口大学

385:考える名無しさん
08/08/12 15:04:14 0
これ以上居座って激論されても大変だけどねw

386:考える名無しさん
08/08/12 16:12:05 0
そうだね
レスの内容についてのみの批判ならともかく
人格否定、人格攻撃って反則だろ?
ましてや感想なんてものは十人十色なんだからさ

まさにここは「猫の事務所」の縮図だな



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