08/05/27 21:34:14 O
ちょっとご意見を伺いたいのですがよろしいでしょうか。
色々なお話を聞いて、非論理的な神話などのTPに過ぎない物をUPだと称するのは、
社会がどれほどUPに近づいても個々人はTPが破壊された時に行動の拠り所とするのが「人類」という帰属意識や「論理的整合性」などではなく、究極的には「個人」と「個人的な感覚」に偏るからではないかと考えたのです。
具体的には死を考える時に多少なり幸福感を覚える天国とかいう概念だったり、
相対化して把握する為にカテゴリを絞った帰属意識だったり、怒りなどの感情を昇華するよう予め定められた思考のプロトコルなどです。
そういった堕落経験をする人間はどんな社会でも一定の比率で発生するはずですから、
将来的というか現在でもTPを奪われて追い詰められると自己の感覚に位拠してしまう人間の防衛本能というものが
あらゆる思想の浸透の貫徹に関わる重大なネックにつながっていると思うのです。
要はこのスレがPMの内容提示をTPとしていても、読み手が持っている既存のTPが受け付けない内容、
あるいは既存のTPを著しく破壊する内容だと、そもそも人間はそのTPを介して様々な事象を認知している訳だから、
実質的には浸透する効率が非常に悪いと思うのです。
私の経験的に自分が頭のいい人間だと考えている人ほどTPを失う状態を拒絶して無視をきめこんで解決、
または不快感の発生を回避する方法を色々と捻りだして端的な言葉で議論を放棄して解決しようとします。
哲学徒とかIQが高いとかそんなのはまったく関係ないです。そういう人ほど自己を騙す知略に長けているのです。
基本的にあらゆるTPの上位に「既にある」UPを認識させる事を目的として、自発的にPM的観点からTPを再構築させる事ができれば一番スムーズだと思うのですが、氏の布教に関してはこちらの解決手段は考えられませんかね。