08/05/02 23:58:10 O
関係性が生まれた時から病んでいる、というのが、実はこの日本が抱えている、深層で進行している問題の一つではないか。そのような人間が癒えるには何が必要かといえば、それは甚だ難しいだろうとしか言えない。
同時に、社会の速度というのが、これまた関係性を壊す方向に加速しているような気がします。いちいち家族や他人に構ってられない、というのが皆の正直な感覚ではないか。これまた、個人がどうこう出来る問題じゃない気がする。
家族が<壊れ>、子供が<壊れ>、あらゆる関係性が<壊れ>、というのが目下、我々が見ている社会の風景ではないか。
それをアーティストはどう表現し、そこに生きている一人一人の心を映し出すことが出来るのか。ただ、そこまで過敏になると、作り辛くなるかもね。
そこまで過敏にはならずに作ろうとするならば、「タガタメ」のような作風も未だ有効だとも思います。ただ、それがどれだけ事態に対峙出来ているか、というと、自ずとそれは別になる。未だに胸を打つ部分と、もうこの段階は過ぎたのでは?という部分がある。
Mr.Childrenが立っている場所というのは、柔軟ではあるが、古典的でもあると思う。“皆でやれば世界は変わる”という夢を見させてくれる所がある。そんな、左翼みたいな所と、今の若者のような、冷笑的な所とが混在してるのが特徴だろう。
だけど、『シフクノオト』以降、彼らのスタンスは、時代と同伴するのを止めて、何かを守ろうとする、それは自分自身の生活であったり、家族であったり、アーティストという仕事であったり、するんだろうけど、どこまでも果てまで突き進む、てスタンスは今はない。
いや、昔からそんな先端的な人間ではなかったよ、というのがファンの見方かもしれないが、私は彼らに過剰に期待していたせいで、だんだん興味が失せていった。私の方が彼らより病んでいたり、ニヒリズムに落ち込んでいるせいもあるんだろうが。
というのが目下、私がMr.Childrenについて語り得る所です。あと一つ。Mr.Childrenの偉大さとは何か。そんなことは恐らくどうでもいいことだ。