08/05/02 23:18:21 O
>>17
> 「偉大である」ということは主観的なことなので、あなたが「偉大でない」と考えたとしても「偉大でない」ということはかぎりない。私はミスチルは偉大であると考える。それを確かめるには聴いてみるしかない。
貴方が具体的に語らないのであれば私が具体的にやりましょう。
「タガタメ」という曲がある。佐世保市で起こったような児童同士の殺傷事件にヒントを得て作った曲だろう。因みに歌詞は次のようなもの。
「タガタメ」より抜粋
子供らを被害者に加害者にもせずに、この街で暮らすため、まず何をすべきだろう。でももし被害者に、加害者になったとき、出来ることといえば、涙を流し、瞼をはらし、祈るほかにないのか?
子供らを被害者に、加害者にもせずに、、この街で暮らすため、まず何をすべきだろう。でももしも被害者に、加害者になったとき、かろうじて出来ることは、相変わらず、性懲りもなく、愛すこと以外にない
(戦って 戦って)
(誰がため 戦って)
(戦って 誰 勝った)
(誰がためだ? 誰がためだ?)
(誰がため戦った?)
私は最初、「タガタメ」を聴いたとき、ひどく感動しました。子供同士の殺傷事件にたいし、シンガーソングライターが作品で取り上げ、結晶させた、というのは桜井が初めてだったろう。やりきれなさや、残虐な事件当事者への愛しみが湛えられた、名曲だと思った。
ただ、今、改めてこの曲を耳にして、子供の世界を含めた社会の壊れ方は、「タガタメ」のようなスタンスで向かい、カバーできる段階を越えたのではないか、という気がします。
今、私などが感じるのは、子供が<壊れる>ことにたいして、ヒューマニズムで対峙しないほうが良いのではないか、ということで、
今の子供が抱える問題というのは、生まれながらにして関係性の何処かが病んでいたり、そのために世界が最初から攻撃的な対象であったり、或いは、自分自身を攻撃してくる対象に見えたりするところにある。
佐世保市でクラスメイトを殺傷した女子は「バトルロワイヤル」のファンで、自分でも似たような小説を書いていた。それは彼女が、事件より前にそのような世界観に魅せられていたことを表している。この人にヒューマニズムは通用しないだろう。