08/05/19 23:53:24 O
桜井もまた、「議論した翌朝はただの庶民に逆戻り」といった歌詞を書いている。つまり、桜井自身もやはりまったり型の精神の持ち主だと思える。実際、無理やりに「生きる意味」を、価値を見出だしたがっているかのような近年の楽曲が、本当に彼らの生の感性を
歌っているのだろうか、という疑問を抱かせる。
私は自分で自分を病んでいると考えており、ろくなもんではないことを自覚している。しかし、そのようなろくでもない内面や生は、そのことだけで何ら卑下すべきものでもない、とある時から思うようになった。それをもたらしたのはマルティン・ハイデガーの著作
であり、彼の本の副題にもなっている<世界一有限性―単独性>という概念を知り、それが例えば輝きに満ちたものであっても、反対に私のような、ろくなもんではなくても、ハイデガー的にいえば有Seynということで等価だと考えられるようになった。
Mr.Childrenはアルバム『深海』の当時、今よりずっと鋭敏な感覚で作っていた気がする。ニヒルでありながら力強かった。私は当時の方が、より共感できた。
しかし、彼らにすれば、自分たちは『深海』当時よりもずっと進化したのだ、
と考えているかもしれない。こんな時代だからこそ希望を無理やりにでも歌う必要はあるのだ、と反論するかもしれない。しかし、私は無理やりな希望は虚しいと感じる。リアルさを感じられない。