08/05/01 15:59:58 0
( ・3・)何度見ても良いね
URLリンク(www.b-idol.com)
3:考える名無しさん
08/05/01 16:06:16 0
そです珍古的ミスチル・チンチン思想です
4:考える名無しさん
08/05/01 16:19:01 0
それなら、バカで底が浅くて、金魚みたいに浅瀬を泳いでる方がマシです。
5:考える名無しさん
08/05/01 19:25:13 0
miss散る
6:考える名無しさん
08/05/01 21:28:32 0
時津風部屋の親方ぐるみの新人リンチ殺人事件や
花田家骨肉のドロドロ確執や不倫騒動や
貴乃花ステロイド抜けたらガリガリで横チンを公共電波に晒したり
土俵に力水はいたり尻の穴ほじくった手でツッパリして相手をひるませたり
自分で隠し持っていた山響株を兄が盗んだと騒いだりするより
子供たちとの草サッカー
の方が力士としての品格に欠け
極悪な犯罪とされてしまう。
これがル・サウンチマン(=知的ルサンチマン)に苛まれた知的土人のまじない師どもが
日夜アホダラ経を唱えるサル・パラダイス、
日本なのだよ。
7:考える名無しさん
08/05/02 00:48:43 O
おれミスチルファンだから逆に困るスレだな
8:考える名無しさん
08/05/02 01:31:20 0
みんな知らないだろうが、ミスチルは俺様のために存在したバンドだ。
9:↑
08/05/02 01:33:55 0
じそれゃ、早く飛び降りろ
お前の生き様は恥ずかしい
迷惑
10:考える名無しさん
08/05/02 01:35:56 0
>>9
ん? 意味不明
11:考える名無しさん
08/05/02 01:40:14 0
ル・サンチマン™ というあまりにも的確な呼称に対して「いちいちムキにな」ってる奴が一匹だけいるよね。
そいつが ル・サンチマン™ なんだよ。
わかったか。おれの草マラにいちいちしゃぶりつくんじゃねえよ。
12:考える名無しさん
08/05/02 01:41:36 0
わかったか。おれの草マラにいちいちしゃぶりつくんじゃねえよ
13:汚らしい
08/05/02 01:41:54 0
肥満児だな
うわぁっ恥ずかしい
関わっちった。えんがちょ
14:考える名無しさん
08/05/02 01:58:51 0
たわけ。
ル・サンチマン™ というあまりにも的確な呼称に対して「いちいちムキにな」ってる奴が一匹だけいるよね。
そいつが ル・サンチマン™ なんだよ。淫靡なんだよ。
わかったか。おれの草マラにいちいちしゃぶりつくんじゃねえよ。
15:考える名無しさん
08/05/02 18:18:20 0
そです魔堕乱夜的プャ・プュンプュン思想です
16:考える名無しさん
08/05/02 19:34:34 O
Mr.Childrenのどんなところが偉大なのか、誰か説明してくれ。因みにMr.Childrenが偉大だ、というのは、どれくらい偉大なのか。
わざわざ哲学板に立てるくらいだから、哲学者よりは偉大だ、という意味もあるのか?
17:考える名無しさん
08/05/02 21:14:08 0
「偉大である」ということは主観的なことなので、あなたが「偉大でない」と考えたとしても
「偉大でない」ということはかぎりない。
私はミスチルは偉大であると考える。それを確かめるには聴いてみるしかない。
18:考える名無しさん
08/05/02 21:18:38 0
歌は思想の最前線を行っていると、昔は言われていたくらいだから
(今では最前線な感じはしないな)、哲学との関わりもなくはないだろう。
19:考える名無しさん
08/05/02 21:27:22 0
ミスチルを持ち上げる人は変な人。
BOOMをきけ!
20:考える名無しさん
08/05/02 22:52:08 0
ミスチルは科学の世界で言うとアインシュタインくらい偉大だ。
その説明で十分だろう。
21:考える名無しさん
08/05/02 23:16:11 0
それはアインシュタインに失礼。
アインシュタインは科学界では革命を起こした人であり
20世紀を代表する人に選ばれた人だよ。
あいにくミスチルは革命的なことはやってないでしょう。
時代を象徴する人にもなれてない。
22:考える名無しさん
08/05/02 23:16:20 0
BOOMも良いがミスチルはやっぱ偉大だよ。
マシンガンをぶっ放せ、傘の下の君に告ぐ、掌の詞をよく読め
23:考える名無しさん
08/05/02 23:18:05 0
確かに偉大だ
小林武史は。
24:考える名無しさん
08/05/02 23:18:21 O
>>17
> 「偉大である」ということは主観的なことなので、あなたが「偉大でない」と考えたとしても「偉大でない」ということはかぎりない。私はミスチルは偉大であると考える。それを確かめるには聴いてみるしかない。
貴方が具体的に語らないのであれば私が具体的にやりましょう。
「タガタメ」という曲がある。佐世保市で起こったような児童同士の殺傷事件にヒントを得て作った曲だろう。因みに歌詞は次のようなもの。
「タガタメ」より抜粋
子供らを被害者に加害者にもせずに、この街で暮らすため、まず何をすべきだろう。でももし被害者に、加害者になったとき、出来ることといえば、涙を流し、瞼をはらし、祈るほかにないのか?
子供らを被害者に、加害者にもせずに、、この街で暮らすため、まず何をすべきだろう。でももしも被害者に、加害者になったとき、かろうじて出来ることは、相変わらず、性懲りもなく、愛すこと以外にない
(戦って 戦って)
(誰がため 戦って)
(戦って 誰 勝った)
(誰がためだ? 誰がためだ?)
(誰がため戦った?)
私は最初、「タガタメ」を聴いたとき、ひどく感動しました。子供同士の殺傷事件にたいし、シンガーソングライターが作品で取り上げ、結晶させた、というのは桜井が初めてだったろう。やりきれなさや、残虐な事件当事者への愛しみが湛えられた、名曲だと思った。
ただ、今、改めてこの曲を耳にして、子供の世界を含めた社会の壊れ方は、「タガタメ」のようなスタンスで向かい、カバーできる段階を越えたのではないか、という気がします。
今、私などが感じるのは、子供が<壊れる>ことにたいして、ヒューマニズムで対峙しないほうが良いのではないか、ということで、
今の子供が抱える問題というのは、生まれながらにして関係性の何処かが病んでいたり、そのために世界が最初から攻撃的な対象であったり、或いは、自分自身を攻撃してくる対象に見えたりするところにある。
佐世保市でクラスメイトを殺傷した女子は「バトルロワイヤル」のファンで、自分でも似たような小説を書いていた。それは彼女が、事件より前にそのような世界観に魅せられていたことを表している。この人にヒューマニズムは通用しないだろう。
25:考える名無しさん
08/05/02 23:22:14 0
小林武史あってのミスチル。
26:考える名無しさん
08/05/02 23:58:10 O
関係性が生まれた時から病んでいる、というのが、実はこの日本が抱えている、深層で進行している問題の一つではないか。そのような人間が癒えるには何が必要かといえば、それは甚だ難しいだろうとしか言えない。
同時に、社会の速度というのが、これまた関係性を壊す方向に加速しているような気がします。いちいち家族や他人に構ってられない、というのが皆の正直な感覚ではないか。これまた、個人がどうこう出来る問題じゃない気がする。
家族が<壊れ>、子供が<壊れ>、あらゆる関係性が<壊れ>、というのが目下、我々が見ている社会の風景ではないか。
それをアーティストはどう表現し、そこに生きている一人一人の心を映し出すことが出来るのか。ただ、そこまで過敏になると、作り辛くなるかもね。
そこまで過敏にはならずに作ろうとするならば、「タガタメ」のような作風も未だ有効だとも思います。ただ、それがどれだけ事態に対峙出来ているか、というと、自ずとそれは別になる。未だに胸を打つ部分と、もうこの段階は過ぎたのでは?という部分がある。
Mr.Childrenが立っている場所というのは、柔軟ではあるが、古典的でもあると思う。“皆でやれば世界は変わる”という夢を見させてくれる所がある。そんな、左翼みたいな所と、今の若者のような、冷笑的な所とが混在してるのが特徴だろう。
だけど、『シフクノオト』以降、彼らのスタンスは、時代と同伴するのを止めて、何かを守ろうとする、それは自分自身の生活であったり、家族であったり、アーティストという仕事であったり、するんだろうけど、どこまでも果てまで突き進む、てスタンスは今はない。
いや、昔からそんな先端的な人間ではなかったよ、というのがファンの見方かもしれないが、私は彼らに過剰に期待していたせいで、だんだん興味が失せていった。私の方が彼らより病んでいたり、ニヒリズムに落ち込んでいるせいもあるんだろうが。
というのが目下、私がMr.Childrenについて語り得る所です。あと一つ。Mr.Childrenの偉大さとは何か。そんなことは恐らくどうでもいいことだ。
27:考える名無しさん
08/05/03 00:15:44 0
商業音楽界の重鎮ミスチル
28:あほくさ
08/05/03 08:57:55 0
17 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/05/02(金) 21:14:08 0
「偉大である」ということは主観的なことなので、あなたが「偉大でない」と考えたとしても
「偉大でない」ということはかぎりない。
私はミスチルは偉大であると考える。それを確かめるには聴いてみるしかない
――――――――――――――――――――――――‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
神の存在証明は、『プロスロギオン』の特に第2章を中心に展開されたもので、おおよそ以下のような形をとる。
1 神はそれ以上大きなものがないような存在である。
2 一般に、何かが人間の理解の内にあるだけではなく、実際に(現実に)存在する方が、より大きいと言える。
3 もしもそのような存在が人間の理解の内にあるだけで、実際に存在しないのであれば、それは「それ以上大きなものがない」という定義に反する。
4 そこで、神は人間の理解の内にあるだけではなく、実際に存在する。
29:考える名無しさん
08/05/03 10:35:19 O
休みで暇なんでもう少しやります。ミスチルの“偉大さ”について。
『I LOVE YOU』てアルバムがあります。このアルバム、面白いのが、歌詞を注意深く読むと、当時彼らが始めたap banlていう地球環境保護運動に対する想いや動機をちりばめ、ラブソングに喩えた、手の込んだ曲作りが目立つ。実に巧くねじこんでいる。
以下に例を挙げてみます。
・少なくとも今日まで、出会った日の僕らの前にはただ、美しい予感があって、それを信じたまま、甘い恋をしていられた。そして今、音もたてず忍び寄る、この別れの予感を信じたくなくて、光を探している。生まれたての僕らの前にはただ、果てしない未来があって、
それを信じてれば何も恐れずにいられた。そして今、僕の目の前に横たわる、先の知れた未来を信じたくなくて、少しだけあがいてみる。いつか、この僕の目の前に横たわる先の知れた未来を、変えてみせると、この胸に刻み付けるよ。
自分を信じたならほら、未来が動きだすよ。(「未来」)
・そうだ理論や知識にもとづいたものじゃなくて、信じた音を奏でよう。間違ってなんかない、ホラ、ホラ、ホラ。きっと正解もない。これが僕らの音。(「僕らの音」)
・仕組んだのは他の誰でもない。俺だって。自首したって誰も聞いてない。まして罪が軽くなんかならねえ。なら、息絶えるまで駈けてみよう。恥を撒き散らして、退きどきだと言うなかれ、素人!まだ走れるんだ。息絶えるまで駈けてみよう。
恥を撒き散らして、胸に纏う玉虫色の衣装を見せびらかしにいこう。(「ランニングハイ」)
・跳べ!向かい風に乗って「どうせ出来やしない」と植え付けた自己暗示を引っこ抜いて、呪縛を解け!カーペットの上、ソファーの上、思い立った瞬間、そこは滑走路。跳べ 跳べ。
失敗を前提にした言い逃れを引っこ抜いて呪縛を解け!思い立った瞬間、そこは出発点。跳べ 跳べ。自分を縛ってる命綱、そいつを離してみるんだ。そして自由を掴み取るんだ。ワン、ツー、スリー、GO!で走りだすんだ。
目指すべき場所はなくとも、いつか辿り着くんだ。跳ぶんだ。そうさここが出発点。そうだここが滑走路。(「跳べ」)
まあ、よくもこれだけねじ込んだもんだと感心するほど、自らの心境や動機について、様々に喩え尽くしている。
30:考える名無しさん
08/05/03 11:19:38 O
私は、このアルバムに込められた、上記のような、心境や動機を読んで、変わらないんだなあ、人間は、と思いました。一昔前の学生運動(今もやってる人はやってるけど)に参加した人間の、心境吐露に同一の、<跳躍>が述べられている。
なぜいつも、<参加>は<跳躍>であり、<向こう側>への<跳躍>になるのか、てところに、桜井が無理強いにこの時やろうとしたことの質が漏れ出ている、と私は考えます。
少なくとも、歌を作り、歌う、て次元とは別の領域に行くんだ、という感覚があったことを表す。
この時、Mr.Childrenは、或いは桜井は、共同性、てことをどう自らの精神に取り入れるのか、という難題と取り組んだのだと思います。そこに、日常と地続きでない<跳躍>があることを桜井は直感し、作風もそれに見合ったものになった。
問題は、この時桜井が<跳躍>した場所が、真に現在を象徴する、<跳ぶ>か否かが決定的な分岐点を意味するものであったのか、というところに、ある。
私は、桜井たちが設定した分岐点とは、<世界はまだ変えられる>という信仰の場所だと思う。
桜井がなぜ、作品で、<跳躍>を暗示しなきゃならなかったのかに、その意味は表れている、とみる。
<世界>を<信じる>か<信じない>か、という二者択一を彼は自分に課したのだ、と思う。いわば、対象的、外在的な信仰である。だから<跳躍>になった。
この場所が、決定的な分岐点であるか、否かというのがこのアルバムが暗喩する問いかけとしてあると思います。私は、その二者択一の観念自体に、脆さを痛感しないでいられない。脆弱なわけ、その観念自体がね。だから、<跳躍>になる。
その<跳躍>には、普遍的な意味はない。桜井がどう納得してみせても、そうだと思います。それより、あれらの作品に、そこに至る心境を映し出してみせた、その力量の方に私は感心します。やってることより作品の方が素晴らしい。皮肉な結論だけどね。
で、さてこの件に関してMr.Childrenは偉大であるのか否か?やってることは昔からいろんな人がやってることと変わらないので、偉大ではない。むしろ当たり前な青年であることを、立証した。と言える。
31:考える名無しさん
08/05/03 11:43:43 0
>>30
お前のような凡人には手の届かない所に居るんだからやっぱり偉大だと思いますよ
32:考える名無しさん
08/05/03 11:55:13 0
歌はきっと語るでも貶しあうものでもなくて
気がつけば聞こえてくるもの
33:考える名無しさん
08/05/03 14:19:32 0
神話的な感覚なんじゃないかと思うけどね・・・・。
ある記号やシンボルを、別のところで、別の形式で、示される事で
インパクトは大きくなると言うのは、隠喩やアレゴリーなどの
手法として、割と古典的に使われているよ。その手法は、表面的には
意味が不明確で、形式だけの不思議な模様だけど、形式と意味が
ある3点で一致した時には、とても大きな爆発力が得られる。
ミスチルは、社会風刺と、歌詞と、プログレ的なムードの
三つが重なり現すことで、大きな衝撃と感動を与えているんじゃないのかな。
なんて、ミスチルをまったく知らない人が、>>24-30の評論を読んで
適当にレスしてみるw
34:考える名無しさん
08/05/04 23:39:46 0
ただの1アーティストに過ぎん
35:考える名無しさん
08/05/04 23:41:46 0
いや重鎮であり太陽のような中心的バンド
XJapanとかは月みたいに暗いところじゃないと輝けないけど
36:考える名無しさん
08/05/05 00:35:06 0
ミスチルは何となくそれっぽいこと言って
何となくリスナーを満足させるってことを売りにしてる
商業主義の一例に過ぎない
37:考える名無しさん
08/05/05 01:04:04 0
>>36
そんな単純な考えで売れることできたら
貧乏人はみんな音楽やるさ
38:考える名無しさん
08/05/05 01:08:59 0
>>37
それっぽい歌詞と、適当に変調するそれっぽい曲と
凄いマスクと、それ以上に凄い運があれば
貧乏人でも歌手で儲けられるよ
39:考える名無しさん
08/05/05 03:00:22 0
繊細な人は向かないね。ある種の図太さが必要。
ある歌詞を書いた時に、誠実な人だとその歌詞の薄っぺらさに
気付いてしまい、言葉にならない念いを意識してしまうから
そこで悩んでしまい止まってしまう。図太い人は、「地球の危機だ」
「子供たちの僕たちは」とは、くさい台詞を、恥ずかしげもなく堂々といえる。
40:考える名無しさん
08/05/05 08:33:46 0
あの臭さがウケるよな
小室とかは個人的な孤独の詩ばっかだったから消えちゃった
41:考える名無しさん
08/05/05 10:00:55 O
俺もガキのころハマったよ…
でもヒロトとマーシーや民生に比べると
キャラっぽいんだよな~ガキ臭さが…
“憂いの歌は売れない”
そう嘆いていた頃の歌がまだ唄えればまた違うんだが…もう充分稼いだろ?
42:考える名無しさん
08/05/05 10:15:51 0
Bzに比べたらまだまだ稼ぎたりない
自然保護活動の資金だってもっといるんだ
43:考える名無しさん
08/05/05 15:16:54 0
>>41
ブルーハーツや民生を挙げれば通振れると思っている人間って居るよな。
「ミスチルを否定している自分ってカッコイイ」って感じか。
44:NAS6 ◆o1AYEkZmQU
08/05/05 15:20:16 0
所詮神頼みに過ぎません
45:考える名無しさん
08/05/05 15:49:50 0
>>42
直接、自然保護活動に金払った方がいいと思う
46:考える名無しさん
08/05/05 16:08:40 O
>>43
民生やブルハは通なんだw
覚えとくよw
47:考える名無しさん
08/05/05 17:40:24 0
ミスチルにしろ誰にしろ
音楽じゃ世界は現実的に変えられないだろ。
そんなものが偉大なのか?
48:考える名無しさん
08/05/05 18:14:05 0
音楽は人々の感情を変える
そして感情は世界を変える原動力となる
感情なくしては行為もおこらない
音楽は行為の母である
母は偉大である!
49:考える名無しさん
08/05/05 18:24:11 0
>>48
それじゃ、自民党・官僚・土建屋たちに
無駄遣いは良くないというテーマの曲でも作って
強制的に聞かせてやってくれ。
それで、彼らが改心したならば、
音楽の偉大さを認めてもいいさ。
50:考える名無しさん
08/05/05 18:32:38 0
ま、音楽はJ.S.BACHが神だな。
それ以外は糞。
ま、音楽にしろ小説にしろたいして違わないよ。
神以外はなw
そんなもんよか人生の真実の方がもっと面白いぞww
51:考える名無しさん
08/05/05 18:53:41 0
果てしない闇の向こうに oh 道路がある
利権の為に造ってみても oh Taxpayer never knows
プランのまま僕は造るさ 車走らぬ事ない道を
52:考える名無しさん
08/05/05 18:54:58 0
>>49
連中に音楽を聴く耳があったなら
とっくに国民の声に耳を傾けてるだろ
聴こうとしない奴らに音楽を強制しても無駄
53:考える名無しさん
08/05/05 20:54:26 O
今、改めてDVD『シフクノオト』視てたんだけど。観客が凄く善意なのね。アリーナだけじゃない、二階席の観客も全員立ち上がり、一斉手拍子、手拍子の打ち方もよく(?)揃ってる。全体的にこの観客の善意と総意が最後まで貫徹して、実に素晴らしいライブになっている。
因みに今のは皮肉である。ロックバンドのライブで予定調和的仕草が観客や演奏者に見えることほどつまらないものはない。Mr.ChildrenのDVD『シフクノオト』は、その手の予定調和で最初から最後まで埋められている。あれはロックコンサートといえるのか、
違うとしたら、一体何なのか。勿論、この疑問というのはMr.Childrenに限らない、日本のメジャーバンド全般のライブで言える話になる。Mr.Childrenはファンによれば“偉大”と名がつくほどのバンドである。(スレ主さん、そうでしょう?)
そのMr.Childrenにしてこのザマか、という情けなさを感じる。
この手のコンサートを取材するマスコミの責任も感じる。あのような、DVD『シフクノオト』に記録されてるような光景、予定調和、あれをみて、一言“つまらない”と書いたマスコミが一人でもいたのか。『JAPAN』でも『BRIDGE』でもいい、一人でもいたのか。
言わなきゃならんだろう。何のための音楽ジャーナリズムなのか。ひたすら褒めそやすだけしか能がないのか。誰でもいい。日本のメジャーバンドのライブにおける真摯なやり取りの欠如について、一人くらいは書くべきではないのか。実は書いているのかもしれない。
だったらまだ救いがある。
54:考える名無しさん
08/05/05 21:13:55 O
もう一つ、この善意は裏腹な何かと両立しているのではないか、ということ。何故ならばここに集まる少年少女たちの日常は、Mr.Childrenのコンサートがそれで埋め尽くされているような、良心や善意と一緒には生きてはいないと思うからだ。
『リリイシュシュのすべて』という映画があった。カリスマ女性歌手リリイシュシュのファンサイトに集まる、コンサートに集まるファンが主人公だ。彼ら、中学生たちはファンサイトで無邪気な、或いは真摯なやり取りをする人間だが、現実の学校生活では
陰惨なイジメや支配-被支配の当事者であり、にも拘らず、リリイの作品の湛える、宇宙最初の物質(エーテル)を感じている。そこには背反する顔がある。あの映画に描かれたファンの姿に私は現実の生々しい中学生の姿をみる。宮台真司がいうところの、
<底の抜けた>社会の風景がよく表れていた。翻って、Mr.Childrenのライブでの善意のやり取りをみて、ここに日常では“善意”でない貌を持っている人間も混じっているかもしれない。その人間が人混みに紛れ、愛と平和を歌うバンドに拍手喝采を送っているとしたら、
それこそ今を象徴する風景に違いないと思った。Mr.Childrenのコンサートが見せる善意や予定調和を見ながら、そんな無名の少年少女の抱える退廃と壊れ方について、興味を馳せた。
55:考える名無しさん
08/05/05 22:23:23 0
そもそも流行歌なんてものは、結婚するまでの間の
不安定な気持ちを、恋だの愛だのと様々なレトリックとメロディー
で表現する一過的なもの。
結婚してしまえば、待っているのは実生活。
実生活には幻想の入る余地が無いから、歌は不要。
だから、殆どのミュージシャンは中年以降だめになる。
56:考える名無しさん
08/05/05 23:32:30 0
>>43
一行目は分からないけど二行目については
通(気取り)はメジャーを毛嫌いする傾向は確かにある。音楽に限ったことじゃないけど
57:考える名無しさん
08/05/06 00:11:56 O
シーラカンスという曲昔よく聞いた。
58:考える名無しさん
08/05/06 00:38:48 0
歌詞やメロディは良いと思うんだけど、
ボーカル担当者の声と編曲が苦手だなあ。
シンプルにアコースティックやアンビエントノイズっぽくするか、
反対にノイズパンクっぽくするかにしてほしい。
詩はいいのに、耳の快感が足りない。
59:考える名無しさん
08/05/06 08:17:12 0
ミスチルの真髄は曲では無く詞にあると思う。
ミスチルの詞は非常に哲学的だ。
この世の本質に迫っている。
桜井自身も「ミスチルの音楽を聴く時は特に歌詞に注目して欲しい」と言っている。
60:考える名無しさん
08/05/06 16:04:05 0
>>47-48
政治と芸能は近い関係にあるから、社会に対して影響力はあるだろう。
求心力も得られるだろう。日本では芸能の人が政治の話をしないのは
意識的な部分が大きいよ。
61:考える名無しさん
08/05/06 20:09:15 0
そうなのかな。
イーノなんかは、ロックは1970年代は文化の中心だったけど、
今はもうそんな時代ではないと言っている。
影響力は1970年代と比べると、ポテンシャルが墜ちていると。
これから影響力を持つ文化は、もっと総合芸術的な、ロックバンドという形態にこだわらずに、視覚聴覚触覚をネットワークで統合した芸術形態に移っていくと思うな。
今のロックバンドの楽器編成から生まれる想像力って
限界に来ているようだし、流通もCD売れなくてipodになるし。
桜井さんも、そういう時代に合わせて表現形態が変わると面白くなるね。
62:考える名無しさん
08/05/07 07:44:57 O
大音響で奏でられるビート、金属的なトーン、歪められたトーン、早弾きに見られる高速感覚、崩れた節回しの歌、ロックの諸特徴であるそれらは、非日常への入り口を表している。
かつてジミヘンはvoodoo childという曲を作っており、コンサートで必ずといってよいほど演奏された。私がvoodooという名称を初めて知ったのはジミヘンの曲であり、二度目に見たのはバタイユの『エロティシズム』だった。
そこに口絵があり、鶏の首を斬り落とし、滴る血を浴びて恍惚としているvoodooの部族の写真が載っていた。ジミヘンがこのバタイの著書を知っていたかは定かでないが、しかし、1967年のモンタレー・ポップ・フェスでジミヘンは、自らの弾いていたギターにたいして
生け贄の儀式を敢行している。WILD THINGが終盤の絶頂を迎える中、横たえたギターに口付けし、ガソリンをかけ、火を附け、燃え上がるギターを何度も床に叩きつけ、破壊した。ギターは奇妙なノイズをあげていた。私はあれが何なのか、単なる見せ物、に過ぎないか
にも思えたが、バタイユの著書をみてから、認識を変えた。あれは生け贄の儀式だったのだ。そのパフォーマンスはジミヘンの名を一挙に世間に知らしめた。ジミヘンがあのような儀式に造詣があったことはロックの意味を考える上で象徴的に思える。
ジミヘンがやった生け贄性は、その後、リッチー・ブラックモアらに受け継がれたが、いつしか当初のインパクトを喪失し、パターン化し年中行事化した。しかし、それによってジミヘンがやったことまで意味を喪失したことにはならないだろう。
ジミヘンというアーティストの特異性は、ロックにたいして、それが何なのかという問いにひとつの解答を暗示したことにあると思う。
大音響を始めとする初めの諸特徴によって、死を暗示する。バタイユの著書のタイトルに、《死まで至る歓喜の実践》というのがある。ジミヘンの意味を私はそこにみる。何故、ジミヘンの存在がいまだに影を投げ掛けるのか、ジミヘンにとって、
演奏は、生命の充溢であるのみならず、その充溢の果てに死をもたらすものだったのではないか。そこに彼の残した遺産をみるのだ。
ジミヘンにとってロックとはそういうものだ。そこをロックの前衛性をみる。ロックは死に近い。Mr.Childrenの保守性とそれは好対照をみせる。
63:考える名無しさん
08/05/07 22:48:52 0
なるほど(コピペ?)。
過剰を蕩尽する祝祭空間の記号論てところでしょうか。
おっしゃるとおりロックの魅力は若気の至りであると思います。
若い表現者が、舞台上で死を演じる。
観客は若者の自殺行為を見て熱狂し喜ぶ。
残酷な劇といえます。
ブライアン・ジョーンズ、マーク・ボラン、尾崎豊、カート・コバーン等。
彼らは、フィクションであるロックという制度に支配された者と言えます。
ロックという制度の支配から卒業できなかった尾崎豊氏。
思春期を終える前後、若気の至りにふと気づます。
その時、「ロック=若気の至り」に対してどう接するか。
ロックという制度は、職業としての商行為に求められる社会性と、
なかなか折り合いがつかない関係です。
折り合う過程で失敗すると、面白くない表現へと変わります。
ですから、中年以降のロックミュージシャンは「危うさ」を
自己演出する方法を模索しなければなりません。
どのように「危うさ」を演じるか方向性を大別すると二つあると思います。
一つはイギー・ポップのように暴れる肉体派と、
二つめはトム・ヨークのように内向的鬱神経症派です。
どちらも中途半端に追求すると面白くないですが、
体力のない日本人ミュージシャンは圧倒的に後者が得意だと思います。
64:考える名無しさん
08/05/07 23:38:51 O
今、YOUTUBEでBANK BANDの「MR.LONELY」をみた。悪くない。悪くないんだけど、このmovementにたいして、根本的に疑問を感じるのも確かなことだ。
マックス・シュティルナーという人が19世紀半ばに、エゴイズムを根本理念とする思想を築いた。その著書はマルクスらによって批判の対象となったらしい。が、21世紀の今日、この思想はまた甦ってきている感を受けた。
シュティルナーの考えは至って簡単で、“私を支配しうる、私に奉仕を要求しうる理念や理想などあり得ない。”というものだ。そこでシュティルナーが槍玉に挙げているのがヘーゲル左派が謳った諸概念、すなわち<人間>であり、類としての人間である。
私にたいして、支配し、へり下り卑屈になることを要求するこの概念は、ドイツ観念論が神に代わって担ぎ出した概念だった。それにたいし、猛烈な否定をシュティルナーは浴びせている。
何故私が人間にたいして、その全体性にたいして、それより小さい、卑しい、存在として相対しなければならないか。むしろ、私こそ、私にとって最も価値ある概念に他ならない。
類としての人間など、ドイツ観念論が担いでいた<神>と同じく、実体のない幽霊のようなものに過ぎない。私にとって、世界の頂点にあるのは私その人であり、私しかいない。このエゴイズムこそ、今日重要な理念を表すのだ、と。
そこで、BANK BAND FESの模様を眺めていると、そこに貫通するイデオロギーとは、紛れもなく人間への貢献であり、その讃歌であり、信仰だ。シュティルナーは、人間と私を区別している。
無論、私は人間でもある。私もまた類としての人間の一人である。しかし、私よりも人間の方が価値が高い、という纏め方に私は肯定しえない。
何故ならば、価値ある存在とは、<この私>に他ならないからだ。私に比して、人間の進歩や調和など、問題とするに当たらない。私なくして世界はない。それを忘却させる理念などろくなものではない。
Mr.Childrenや小林武史がやっていることは、シュティルナーによって槍玉に挙がっている当の理念に専ら貢献することだ。そこでは道徳や人類的善悪の方が<この私>よりか専ら価値あるものである。それは結局、失われた人倫を再構築する錯誤ではないのか。
65:考える名無しさん
08/05/08 00:21:28 O
>>63
面白かったんですが、挙げられていた人たちが皆、“ロックという制度に支配された”“ロックという制度を卒業出来なかった”というところだけ、そこだけ留保をつけたい。
例えば、ステージ上に死を暗示する、供儀を暗示する絵を現出させる、それは意識的であったりもするでしょうが、にしても、その人の渇望するものを表しているのは確かで、つまり、日常において、欠如するゆえに自らが真に生きていないと感ずる。
そこで、いわゆる《死へまで至る歓喜》という感覚への渇望が出てくる。
で、むしろ、それをやってしまう人たちというのは、どっかで(無意識に)やはり死を渇望しているんだと思う。なぜ自分が死に魅惑されるのか、解らぬうちに、引かれてるんだと解釈するんです。そこで資質というのがあって、つまり、そこで芸風の違いが出てくる。
Mr.Childrenも実は私はあれは結構病んでいる人間たちで、そう見えたんで昔は今より好きだったんですけどね。ap bankとかやりだす前までは。
話を戻すと、仰るような、“ロックという制度から卒業出来なかった”というのが仮に事実だとして、しかし、“卒業出来ない”のにも才能はいる、というか、死に牽引され、魅惑される、それも才能だと思うわけです。つまり、その意味で選ばれた人間だと思うわけです。
で、日本人でその手の人がいるか、てことですが、ロックではないが、阿部薫の生涯を辿ると、あれはそういう人間だったのではないか。体力もあったみたいだしね(笑)私が知らないだけで他にも居るんじゃないかな。
尾崎豊にしても、半ば自己演出があったにせよ、半ばは本気であったろう。こう言うと実も蓋もないみたいだけど、やっぱり資質が大きい。人間て自分が見ている夢が自分だけのものだとなかなか解らない。死ぬまで解らない、てこともあるでしょう。
若くして死んだロックミュージシャンの生涯を考えて、そんなことを感じるんですけどね。
66:考える名無しさん
08/05/08 02:23:03 O
いやあ、それにしても『移民の歌』は本当に良いね。
なんかこう普段は意識されない自分のワイルドな部分を呼び起こしてくれるっていうかさ。
まずはロバート・プラントの雄叫びがイントロから斬り込んでくるわけね。
そんでそのままのテンションでボンゾが引っ張ってっちゃうわけよ。
そしたら待ってましたとばかりにペイジがソロを始めるんだよね。
流れるような旋律の中にジミーの情熱が詰め込まれているのをヒシヒシと感じたよ。
この突っ走っちゃってる三人を後ろから黒子のように支えるのがジョン・Gの名人芸さな。
そして言わずもがな歌詞の壮大さ。
流氷の国から西の大地を目指してヴァイキングが突き進む様子が頭に浮かぶようだよ。
『Valhara, I am coming.』なんて言っちゃってさ、もう反則だよね。
「新しい大地を手に入れるためならヴァルハラに召されても構わない」っていう気持ち…なんていうのかなあ?
俺の知ってる単語でいうと『ロック』しかないんだよなこれが。
淫らで、スキャンダラスで享楽的な世界観。
それを体現してくれるような連中が俺には必要なんだわ。
67:考える名無しさん
08/05/08 03:19:16 0
世界の音楽の最先端に自分たちは居る、という高揚感があるから、
あんなに凄い力が渦巻く混沌とした世界を創造できたんだろうか。
68:考える名無しさん
08/05/08 04:39:19 0
英語とエイトビートと平均率。
これらは世界中を制服する力を持つ強力な武器。
グローバル性というやつかな。
世界を暴力的な力で混乱の渦に落とし入れる力を、
英語文化は持っているように思う。征服する言語。
その力が、迫力ある英米ロックにも現れている。
日本語の歌詞とロックの組み合わせという、
日本人ロックミュージシャンの才能が大きく問われる所で、
ミスチルは高い評価を得た(日本国内で)。
このような日本国内の評価は外国人にはなかなか理解しにくいだろう。
歌詞を大事にする日本のロックが、レッドツェッペリンのような
世界普遍性の力を持つのは困難だろうと思う。
ロックは、英語という強力な言語の力が近代的騒音となって、
空間を切り裂く時間芸術ではないかと思う。
となると、日本のロックはロックではなくJ-POPという分類形式に
(誰が考えたんだろこの言葉)自らが入り込む保守的なものになる運命なのかもね、元々の構造が。
69:考える名無しさん
08/05/08 05:20:08 0
保守性、という言葉に以下のようなものを連想した。
白人英語ロック・・・
侵略性、騒音が内包する戦争のイメージ、
攻撃性、閉塞空間を作る周囲の壁をぶちこわす快感。
それに対して、
日本語ロックの精神構造は、文化侵略された側の適応、
受け身、内攻性の快(不快?)・・・
・・・無意識層にこのようなものが流れているのだろうか。
70:考える名無しさん
08/05/08 05:35:34 0
書いてて気がついたぞ。そうかぁ適応かぁ。
>>54氏が述べたような、場に適応する少年少女・・・
あまりに無自覚な日本のロックは、文化侵略された側の
適応形態の一形式を、少年少女に示すという教育的役割を持つまでに、
変形されてしまうのだ。
71:考える名無しさん
08/05/08 19:54:25 O
ロックの始まりを語る上ではエルビスの存在は欠かせない。
腰をくねらせながら歌う様子に若者は熱狂し、保護者の苦情は殺到した。
次々と登場する破天荒なロックバンドのおかげでロック=不良というイメージが出来上がるまでそう時間はかからなかった。
そんな時に鳴り物入りで登場したのがビートルズだ。
彼らは愛や平和について歌い、「安全なロックバンド」としての地位を築き上げた。
その流れをくむのがミスチルだろう。
「盗んだバイクで走り出す」と歌った尾崎豊はさしがね日本のマリリンマンソンといった所か。
72:考える名無しさん
08/05/08 21:01:22 0
英米ロックの中でも先端的な存在のぶっとびかたは著しく突出してる。
彼らは過剰なんですね。
ルー・リードのMetal Machine Musicは人間が人間である根拠など
おかまいなしの場所で鳴っている。
日本のロックは過激で過敏ですが、なんか過剰ってのがないように感じます。
でもそこに、はかなく消え去る一瞬のかわいらしさという魅力
(最近聞かなくなった「萌え」ってものでしょうか)を感じるわけです。
73:考える名無しさん
08/05/08 21:07:54 O
あの、ステージ上のミュージシャンに向かって一斉に両手を差し出し、曲げ伸ばしし、或いはやはり一斉に皆、揃って手拍子したり、まるで誰かに指揮されているかのような、振付けされているかのような、あれらの観客たちというのは、一体いつ頃から現れたのだろうか。
1970年代にはまだ居なかっただろう。80年代にもまだ?とすれば90年代か。何れにせよ、あれは単なる音楽好きのやる振る舞いとは思えないし、偶像を希求する心性と同一だと考える。価値判断の基準が見えなくなってきた時代に、絶対的な偶像を創作(捏造)し、
そこに支えを見いだしたがっているかにも思える。あれらのコンサートに現れて、両手を捧げ、一斉に曲げ伸ばしする人々の姿をみるたびに、どこかズレた心性を感じる。
あれは偶像崇拝に他ならず、偶像崇拝に落ち込んだ心性の中に、実は浮遊感―根の喪失―があるのではないか、その浮遊感に、日本の90年代以降の心性が象徴されているのではないか。
などと書いたりする前に、一言、あれが日本のメジャーロックコンサートだと思うとひたすら詫びしくなる。
観客が成熟できてないよね。本当の音楽好きはあそこには行かないだろうし、居ないと思う。
少なくとも内部に批評的眼差しを抱える聴き手はあそこには行かないだろう。批評的眼差しなどは不要とされているだろうし、ということは、耳を澄ます、ことは不要とされているのだろう。
かつて佐野元春(この人の名前を2ch.で出すと過敏に反応し、パクリ野郎とか言われる。その問題はひとまず伏せて)が、素敵なものは素敵だと、笑える心が好きさ、と謳った。音楽にたいして真に必要なのは、その精神だと思う。そう考えると、コンサートで、
偶像崇拝的な心性が支配する、という状況は健全だとは思えない。しかし、日本のメジャーバンドのコンサートで支配的なのはそれなのだ。
昔、ZEPPELINのKNEBWORTHをブートでみて、そこにいる観衆が実に勝手にバラバラに、好きなように楽しんでいる姿をみて、ひどく羨ましかった。本当にZEPPELINの音が好きな人たちが集まっているのが感じ取れた。あのような観衆の姿は
日本のメジャーバンドのコンサートにはない。あるのはお約束のみである。西欧個人主義が日本で根を下ろすまでは、あの光景は消えないのかもしれない。
74:考える名無しさん
08/05/08 22:02:27 0
僕の想像ですがスポーツの応援団文化をひき継いでいるような気がしますね。
それが、アイドルのコンサートで親衛隊が観客席を統率する形が出来て、
今に流れに至っていると。
日本プロ野球は応援団の鳴り物がうるさくて、
MLBの観客席と雰囲気が違うみたいな。
75:考える名無しさん
08/05/08 23:53:26 O
ミスチルといえば面白いのが『CENTER OF UNIVERSE』
「あぁ世界は薔薇色
ここは そう CENTER OF UNIVERSE
僕こそが中心です
あぁ世界は素晴らしい」
ここから、彼らが独我論者であることがわかる。しかも、ライブでは「僕こそが」を
「君こそが」と変えており、独我論の伝達という難問に挑んでいることまでうかがえる。
(冗談)
76:考える名無しさん
08/05/09 02:52:45 O
>>71
> ロックの始まりを語る上ではエルビスの存在は欠かせない。腰をくねらせながら歌う様子に若者は熱狂し、保護者の苦情は殺到した。次々と登場する破天荒なロックバンドのおかげでロック=不良というイメージが出来上がるまでそう時間はかからなかった。
> そんな時に鳴り物入りで登場したのがビートルズだ。彼らは愛や平和について歌い、「安全なロックバンド」としての地位を築き上げた。その流れをくむのがミスチルだろう。
所謂「ジョン・レノンを継承する」とか、「ビートルズを継承する」とかいう場合に、それが通俗化に傾く、という問題がある。「愛と平和」っていう言葉にジョン・レノンやビートルズの曲をかぶせ、「彼らは愛と平和を音楽によって訴え続けた」と
でもナレーションを入れるといっぱしのビートルズ特集の締め括りになる。それで、リスナーの方でその手の纏め方を真に受ける人はそんなにいないと私は思うんだけど、例えば、ビートルズやジョン・レノンが公の場で紹介される場合に、
その手の言葉がまるで通行許可証であるかのように流通してゆく現実があります。“「愛と平和」が通行許可証であるかのように”、てところにこの状況を象徴するものがあるのではないか。それはつまり、シュティルナーが批判したような、現実の<私>にたいして、
<人間>や理想や理念などが君臨し、<私>のほうが下らない、低い存在として蔑視されてゆく、その状況ですね。その状況というのが、ビートルズやジョン・レノンが紹介される場合にまた起こってしまう。
実際はビートルズは「A DAY IN THE LIFE」のような、不吉なサウンド、「ヘルタースケルター」のような、不吉かつ暴力的なサウンドをも創っている。ジョン・レノンも、憎しみや嫌悪感を露にした曲を創っている。
総体的にみれば、たやすく纏められる人たちではないわけです。しかし、彼らのことが公に出される際に、上記のような通俗化が必ずといってよいほどついて回る。確かにジョン・レノンはチャリティー的なことをやっていた。
しかし、死の前のインタビューで、彼は自分の「愛と平和」運動が、暴力的衝動で周りの人間を傷つけてきた、それへの罪悪感からきていると告白している。つまり、「愛と平和」は極私的な動機に基づいていたことを明らかにしている。
77:考える名無しさん
08/05/09 05:02:02 O
みんなの話を参照しても確かなのは、英米のロッカーには「解放感」があるという事かな。
それも「ちょっと解放しすぎなんじゃね?」というレベルのね。
歌詞も演奏もやりたい放題なバンドが人気を獲得していたように思う。
それでも窮屈だと感じたのかイギー・ポップに至っては全裸だったからな。
それも次第に驚かれなくなって、レディへのように心をどこまで裸にできるかを追求したようなバンドも現れた。
ミスチルの理想はそこなのかもしれない。
ま、日本人はワビサビで対抗するしかないだろうというのが俺の意見だがね。
78:考える名無しさん
08/05/09 05:50:12 0
欧米のベビーブーマーによるロック世代
日本の場合のそれはフォークブームだったので
特に60年代まではカレッジフォークと歌謡曲化された
GS 70年代に自作自演歌手がメジャーになってきて
野外フェスを開くようになる 中津川 つま恋など
基本的に演奏は手拍子しながら座って聞くものという認識は
西欧でも同じでした。70年代の映像を見る限り客は皆座っている。’75ストーンズ
オリンピア劇場ですら。70年代後半になってアンコールで立ち上がったりするようになった
客席通路の前に押しかけるのはOKな時代も79年の札幌レインボー圧死事件から
禁止になる。このあたりから異常に締め付けが強くなったんだよ。
80年代米MTVでやらせのライブでスタンディングしてるのに影響を受けて
みんな立たないとだめになったように思う。
79:考える名無しさん
08/05/09 20:34:26 O
Mr.Childrenの「タガタメ」は佐世保市の小学校で起きた女子生徒による同級生殺傷事件をもとに、その事件へ向けて歌われている。この事件へ向けて桜井は、やはり変わらぬスタンス、良心と思いやり、で向かってゆく。この曲が歌われたのは2004-2005年頃だった
と思うが、当時それなりに感動していた頃より今聴くと、よりこの事件への私の感じ方とズレが出てきていることに、気が付き始めている。どの辺でズレてきたのか。
佐世保市のような、血塗られた惨たらしい殺傷事件があり、そのたびに、Mr.Childrenを持ち出すまでもなく、有職者は教育や家族の無能を指摘したり、何が必要かを並べ立てたりする。Mr.Childrenは要するに、何も出来ない、愛するより他には、という
悲劇的な立場を表明しているわけだ。
そのどれもに、事件から受ける私の感じとズレが出てきている。どの辺でズレるのかというと、教育評論家や社会評論家や、慈善家らの表明する論調が、あれらの事件の底辺にあるであろう、当事者たちの中の終末感、閉塞感、そのニヒリズムに到達してなくて、
為にどこか、反動的な感性に留まっている感を受けるのだ。止まらない殺傷事件の連鎖にたいして私が受ける感じとは、日常をこれ以上維持することに無意味を感じた人間の抱く乾いた感情だ。光市の母子殺害事件にしても、そこに漂ってくるのは、それだ。
それを感じさせる点で、底辺に抱えている点で、異なる殺傷事件は一本の線となる。<ゲームは終わり>という無言のメッセージがそこに籠められている気がする。<ゲームは終わり>というメッセージを感受している人間は、実は少なくないのではなかろうか。
全部終わってるし、日常とは無意味だし、今さら何が必要かなんて論議自体、無知や偽善以外のものではない。教育者も評論家も慈善家も、ポップスやロック歌手も、そのような感覚に蓋をし、まだ未来があるかのような顔をしたがる嘘つきだ。
あのような殺傷事件の当事者が放つ無言のメッセージがあるとしたら、それだと思う。ジョン・レノンの「GOD」を模して言えば、「ゲームは終わった。僕に何が言えるだろう」
日本のロックのなかでそのような<終わり>の感覚を表現しえている人間がいたら、それこそ、先端的感性だと思うわけです。それは間違ってもMr.Childrenにはない。
80:考える名無しさん
08/05/09 20:53:05 O
BLANKY JET CITYの曲で「ガソリンの揺れ方」というのがあった。バイクのタンクの中に、マッチ売りの少女の人形が落ちている。そこに落ちているのがマッチ売りの少女である、とすれば、ガソリンはマッチで火をつけられるべきなのか。そこで破滅願望が強烈に匂ってくる。
今、Mr.Childrenに象徴されるようなタイプが状況とズレていくその一方で、時代の感性を作品化しえているのは、「ガソリンの揺れ方」のような、破壊、破壊願望を前面に押し出した作品だと思う。
浅井健一は、そこに単なる暴力的衝動だけでなく、洗練された抒情があって、秀れてると(この言い方も抽象的だし勝手なランク付けには違いないが)思う。私は浅井健一についてはさほど知らないので、語るのは実は役不足なんだけど。
81:考える名無しさん
08/05/09 22:04:05 0
今夜 NHK BS1でバンドエイドのドキュメンタリーをやるらしい。
渋谷陽一などは批判的だった。
これが元凶なのだろうか
放送局:BS 1 (衛星第1放送)
放送日:2008年5月9日(金曜深夜)
時間 :午前0時10分~午前1時
82:考える名無しさん
08/05/10 07:40:36 O
渋谷陽一はライブエイドには批判的だったね。ロック評論家の中でアレがどうとられていたか、よくは知らないんだけど。考えてみたら、ライブエイドと桜井=小林のap bank fesて似てるね。なんか参加することに意義がある、て論理によって味噌もナニも一緒くたに
してしまう無造作さがそっくりだ(笑)井上陽水などap bank fesに対する疑念があったらしく、参加するにはしたが、曲目の中で毒を撒き散らして(※「氷の世界」「傘がない」)、次の年から呼ばれなくなってる。井上陽水がfesでの演奏の中で毒を撒き散らした、
それについて、そのfesを特集した雑誌『SWITCH』で小林と桜井は井上陽水についてコメントしている。小林は、“陽水さんのような、弱さや毒をもつ異端的な感性を排除してはいけない、と思っていたんだけど(結果的にはそうなりがちなのは事実だ)”
正確な語彙ではないが、たしかそんな内容をコメントしている。コメントとしては悪くないと思ったが、しかし案の定、翌年からは陽水は出演しなかった、ないし呼ばれなかった。ap bank fesと井上陽水の関係について、実は当初から注目していたため、
ミスチルのスレッドで私はこれについて何度か書いていた。結果は案の定総すかんを食ったのは言うまでもない(笑)お前は井上陽水オタだろうとか、回し者だろうとか、下らないのが多かった。
改めて、井上陽水は立派だし、わざわざfesに出演してまで毒を撒き散らし、曲目によって疑念を表明する、というのは勇気があったと思う。あのときのfesと陽水の間の断層に、ap bank fes問題のすべては暗示されていたとも言える。
また、ミスチルファンたちの間で、そのような問題が議論されることもなく事態は平穏に進行し、今も何も変わらない。ミスチルとap bank fes、その支持者の形作る全体が象徴するのが何か、上記のような状況はよく表している。
※「氷の世界」歌詞抜粋
窓の外ではリンゴ売り
声を枯らしてリンゴ売り
きっと誰かがふざけて
リンゴ売りの真似をしているだけなんだろう
人を傷つけたいな
誰か傷つけたいな
だけど出来ない理由は
やっぱただ自分がこわいだけなんだな
その優しさをひそかに胸に抱いてる人は
いつかノーベル賞でももらうつもりで頑張ってるんじゃないのか
83:考える名無しさん
08/05/10 08:29:30 0
名もなき詩の初動107万枚は僅差だが歴代1位。
84:考える名無しさん
08/05/10 12:40:33 O
「傘がない」歌詞抜粋
TVでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をして喋ってる
だけども
問題は今日の雨
傘がない
行かなくちゃ
君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ
雨に濡れ
冷たい雨が僕の眼の中に降る
君の事以外は何も見えなくなる
それは良い事だろう?
85:考える名無しさん
08/05/10 15:42:04 O
「傘がない」歌詞前半
都会では自殺する若者が増えている
今朝きた新聞の片隅に書いていた
だけども
問題は今日の雨
傘がない
行かなくちゃ
君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ
雨に濡れ
冷たい雨が僕の心に染みる
君の事以外は考えられなくなる
それは良い事だろう?
86:アンティーオナン ◆CDiYyaksok
08/05/10 15:46:49 0
,.、,'・・ '・,.、,'・、′,'・, ,' ,.、,'・、′,'・ | |~ /^ ) ,.、,'・、,/
\・ '・,. \ \ \∴:: ・ ;,'・,_,'・, ,'・, ,'・/
・, ・ ;,',.、: ・, ,'・, 、′ '・,.、,'・ | /∴゙・\'・, , '・, ,'・ /
\ ・, \ \,.、: '・,.、,'・ ・, ,'・,、「∴;゜∴ ;.」 ,.、,' ・、′/
'・,.、,'・,' \ _,,_ ,.、: ・, '・,.、,'・,'・, i,. ,,゙;; ゙,●,i ,.、,'・、 /
\ ′, ̄,. /●゙・;\ ; ; '・,.、,'・ \∵o/ '・,.、,'・/
'・,.、,'・ 「;,,''。∴・ |・ '・,.、,'・、′,  ̄,.、:・, '・,.、,'・,' ・, ' /
\ :i,.∴ ,,゙;;,ノ / '・,.、 '・,.、,'・,'・ /
\∵,,/ '・,.、,' |,.、,'・・ '・,.、,'・ '・,.、 '・,.、,'・, '・、/
∴: '"-ゞ ∴ '・,.、,'・:: ・ ;,'・ ;,'・, /
\ ・ '・,.、,'・、′,'・,'・, , ,.、/,'・ ・ ' ・,'・ ・,'・ ・,'・ /
ヽ=ヘ三ニ-i `-` ー''" ヽ;;;;::::::::::;;;/ 7 !‐=ニZ_
` ー-ュ-─! 。 ○ ○。 !'--= _ `ヽ
ヽ_ j ///// (/。 U . ' ⌒ /、 l>‐ー '"
l r===、、 >>1 } l
ヽ !! !! ヽ . !
\ ヾ 三彡 ノ
`ー、 ._. _.. /
/ >トr| `¨ ´ト‐<r'´ ̄ \
87:ミス散る尾
08/05/10 16:01:48 0
俺の友達が 全然興味ねえんだなあ ミスチルよりアジカンだろっっ とかいってんだけど..... はあ ミスチルの偉大さをわかってくれよ
88:ミス散る尾
08/05/10 16:02:55 0
あああああああああああああああああああああああい穴子暇の疎さミら手と背須磨四席の瑠璃手の巣に杵費暇二の名なら迫り゛れりしれ゛ね陸けるめげ゜世話意にかすくにいんくはねひりなんちりけはれわきゆなせらかね
89:ミス散る尾
08/05/10 16:03:45 0
ストレスでつい
90:優しい歌
08/05/10 16:06:48 0
誰かが救いの手を 君に差し出している
だけど 今はそれに気付けずにいるんだろう
91:優しい歌
08/05/10 16:08:26 0
しらけムードの僕等は 胸の中の洞窟に
住みつく魔物と対峙していけるかな
92:優しい歌
08/05/10 16:10:08 0
一吹きで消えそうな 儚い願い
言いかけて飲み込んで 恥ずかしくなる
93:優しい歌
08/05/10 16:11:35 0
魂の歌 くすぶってた 照れ隠しの裏に忍ばせた
確信犯の声
94:優しい歌
08/05/10 16:12:56 0
出口のない自問自答 何度繰り返しても
やっぱり僕は僕でしかないなら
95:考える名無しさん
08/05/10 16:46:34 0
下品な週刊誌的意見で恐縮だけど、
小脳梗塞で入院して約半年間休んだというのも関係あるのでは。
坂本龍一も健康に不安を感じて整体に通い出してから変になってきた。
96:考える名無しさん
08/05/10 20:39:09 O
>>83
> 名もなき詩の初動107万枚は僅差だが歴代1位。
その「名もなき詩」の中に、
成り行き任せの恋に落ち
時には誰かを傷つけることがあるとしても、そのたび心傷めるよな時代じゃねえ。
誰かを思いやりゃ仇になり自分の胸つきささる
だけど、あるがままの心で生きようと願うから人はまた傷ついて行く。知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいてるなら、僕だってそう。誰だってそうなんだ
と歌われている。
「TOMORROW NEVER KNOWS」では、
無邪気に人を裏切れるほど何もかもを欲しがっていた。解り合えた友の愛した人でさえも。償うことさえ出来ずに今日も痛みを抱き、夢中で駆け抜けるけれどもまだ明日は見えず。勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく
と歌われている。
この頃のMr.Childrenの歌詞を読むと、「心のままに」生きることを求めながら、そのことによって周囲と軋轢を生じる、その苦しさを歌った歌詞が目につく。実生活でも桜井は糠味噌の妻を捨てて、不倫に走る。爛れた日常を送っていた。
しかし、この当時の、周囲と軋轢を生じさせながら生きていた頃の曲の方が、ひたすら夢を、愛する心の大切さを歌っている今の桜井よりも、遥かに魅力的に私には見える。日常を見据えた上で紡がれる言葉の迫真性が数段優ってる。
曲としてみると、「旅立ちの唄」も「彩り」も、確かに悪くないし、そりゃ良いですよ。だけど、歌われている世界の孕む不安定さが、かつての作品を素晴らしいものにしたのにたいし、歌っている主体の位置が静的だ。どこかで腰を下ろした感が否めない。
そこはかつての作品と大きく違ってきた所だと私には見える。
心のままに生きてゆくのさ、と歌った彼らも年を取り、家庭を作り、そこで保守的に成らざるをえなかった、と言ってしまえばそれまでだが、ap bankの事を色々言うまでもなく、インパクトは稀薄になってきてる。
“転向”と敢えて呼ぶが、転向した背景に、桜井は病死した少女のファンのことを『JAPAN』であげている。これにより、自分が恵まれていながら不満を抱えていたことに気付いた、確かそんなことを喋ってる。そんなよい子になることないのに!バカだこいつは、
と私は思った。
97:考える名無しさん
08/05/10 21:35:07 O
『ファスナー』もなかなか面白い。
「きっと ウルトラマンのそれのように
君の背中にもファスナーが付いていて」
「もしも ウルトラマンのそれのように
総ての事にはファスナーが付いていて」
つまり、親しいはずの女性や、世の中の事は、実は背中にファスナーが付いているかのように、
表面は嘘であって中身は全然違うのではないか、と歌われている。
もちろん、普通に読めば、「他人の心はわからない」「世の中のことには裏がある」というくらいの
意味だが、哲学的に読めば、明らかに、懐疑論とそれへの対決が読み取れる。
しかも、これだけでは終わらない。
「きっと 仮面ライダーのそれのように
僕の背中にもファスナーが付いていて」
つまり、普通なら、懐疑は他人や外界に向けられるが、それにとどまらす、自分自身にまで
懐疑が向けられているのだ。これは、ちょっとした懐疑では思い至らないところで、彼らの
懐疑論が相当突込んだものであることがうかがえる。
(中の人などいない)
98:考える名無しさん
08/05/11 03:29:43 0
だけど
あるがままの心で生きようと願うから人はまた傷ついて行くんじゃね?
知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいてるならさ
僕だってそうだし誰だってそうなんだよな
99:考える名無しさん
08/05/11 07:27:26 0
「マシンガンをぶっ放せ」や「掌」の歌詞は哲学的だと思うな
100:考える名無しさん
08/05/11 10:10:14 O
『Monster』は、普通に読むだけでも面白いが、哲学的にあえて読み込んでみても興味深い。
「彼女は「カナリヤ」
人目に触れたがらない メモ帳の中にだけ存在している
聞かせてくれたことはまだ無いが きれいな虹色の声で歌うよ」
メモ帳の中にだけ存在している女性、すなわち架空の女性は、存在しているといえるのか。
また、誰も聞いたことのない歌声は、すなわち誰も認識していないものは、それでも存在しているのか。
いずれもよく知られた存在論に関する哲学的問題だ。
しかも、さらにこう続く。
「誰ともSEXしなくても 子供だって身籠もれる
全裸でいるのは宗教上の理由だ 慈悲の御心で世界を救う」
何の宗教のことを言っているかは(全裸はともかく)説明不要と思われるが、それにつき、
すでに書いたとおり、実は存在しないんじゃないか、存在するとしても誰にも認識できないん
じゃないか、と問われている。
ここには、「神は死んだ」という問題意識と、存在論的な疑問との結合という、かなり複雑な
哲学的問題があるのではないだろうか。
(ありません)
101:考える名無しさん
08/05/11 16:23:09 O
今、たまたま『I LOVE YOU』収録の「DOOR」を聴いてたんだけど、打楽器と生ギター、KEYBOARDの伴奏でがなりたてるVOCAL、あとコード進行もたぶん、THE BEATLESの通称『WHITE ALBUM』にある「WHY DO WE DO IT IN THE ROAD?」のパクリだね、これ。
パクリが違うなら、パロディだね。もしかしたらミスチルオタクの中では常識的な話かも、だけど、面白かった。
「MONSTER」は同じ『I LOVE YOU』の2曲目だ。歌詞カードに描かれた指名手配的な肖像からして、過激派や新興宗教のアジトの生活感、感性をなぞり、同時に我々の中で流通する彼らへの固定観念―彼らは怪物MONSTER、という―をなぞり、そのホラー映画的なイメージを
故意になぞって遊んでみせた、て感じでしょう。つまり、桜井なりの過激派パロディ。面白いね。そこには自分が彼らと違う、日陰の運動にはしない、という決意も籠められたのかもしれない。
それにしても、『シフトノオト』収録の「ANY」て曲あるけど、相当ばっさりと過去の自分がどんなで、切り捨てたか、を総括してみせてんのね。例えば
上辺ばかりを撫で回されて、急にすべてに嫌気がさした僕は、僕の中に潜んだ暗闇を、無理矢理ほじくりだしてもがいてたようだ。
真実からは嘘を、嘘からは真実を、夢中で探してきたけど
今僕のいる場所が、探してたのと違っても、間違いじゃない。きっと答えは一つじゃない。何度も手を加えた、汚れた自画像にほら、また12色の心で、好きな背景を描きたして行く。
いろんなことを犠牲にして巻き添いにして、悦に浸って走った自分を時代のせいにしたんだ。「もっといいことはないか?」って言いながら、卓上の空論を振り回してばっか。
そして僕は知ってしまった。小手先でやりくりしたって、何一つ変えられはしない。
今、僕のいる場所が、望んだものと違っても、悪くはない。きっと答えは一つじゃない。「愛してる」と君が言う。口先だけだとしても、たまらなく嬉しくなるから、それもまた僕にとって真実。
桜井からみた自分自身てそんな風にみえたのか、という驚きと、そのような論理で自己否定することで、宙ぶらりんで、どこにも落ち着き先のない、帰属意識の持てない、アルバム『HOME』をもじって言えば、“帰る場所 HOME”のない、自己を切り捨てたか、
という感を受ける。
102:考える名無しさん
08/05/11 17:36:24 O
そうした自己否定することで、今や独自の環境保護運動を立ち上げ、立役者となり、運動でカネを還元することにより、歌で大金手にする、という罪悪感からもめでたく自由になり、晴れて桜井はMr.Childrenとして活動し続けることもできる。よかったよかった。
しかし、生まれたのはそれだけではないのも確かだ。一方、その自己否定は、それまでのMr.Childrenにあり得たリアリティを奪った。前のレスにあった、「マシンガンをぶっ放せ」にあるようなニヒリズムは、同時に21世紀における倫理を、暗喩してもいた。
それは世界に何らかの価値判断によって一線を引くことを留保し、善悪の価値判断を判断停止し、全てをひとまず、同一線に並べることを意味する。当時桜井は「マシンガンをぶっ放せ」でこう歌っていた。
やがて来る“死の存在”に目を背け過ごすけど、残念ですが僕が生きている事に意味はない。愛せよ、目の前の不条理を。憎めよ、都合のいい道徳を。そして僕に才能をくれ。
見えない敵にマシンガンをぶっ放せ、SISTER AND BROTHER。正義も悪もないこの時代を行進していく兵士です。殺人鬼も聖者も凡人も共存してくしかないんですね。触らなくたって神は祟っちゃう。救いの唄は聞こえちゃこないさ。
このような感性を指して、桜井は「ANY」を書いたのだろうか。私からすれば、問題なのは、“無責任”“後向き”“ひねくれ”“卓上の空論”“空想的”“あり得ない立場”等々の言辞を以て、混沌を収束させてゆく思考の方だ。重要なのは、
このような混沌をリアルなものとして感受しながら、そこに尚、死守するものがあるのかを模索する構えだった。それは決して共同的なものではなく、極私的な、利己的な、内面的なものにしかならないだろう。しかし、それは私は不可避であり、
却って無理強いな共同性の方に、虚構を感じるのだ。極私的な、利己的な、唯一者的な倫理しか残らなくなったときに、どんな歌があり得るか、というのが実は当時桜井が抱えていた課題だったのではなかろうか。もちろん、桜井は90年代から完全に転向したわけではない。
というのは、桜井は結局、歌で幻想や実感を歌うことしか出来ない人間、と思うからだ。運動でさえ、彼の私的な、夢の賜物にすぎない。また、それ以外の意義は見出だせない。
103:考える名無しさん
08/05/11 22:03:38 O
「Sign」というのは名曲だと思う。この曲は、曲の中のサビで歌われている次のようなフレーズが鍵だと思う。
君が見せる仕草、僕に向けられてるサイン、もう何一つ見逃さない。そんなことを考えている。
めぐり逢った全てのものから送られるサイン、もう何一つ見逃さない。そうやって暮らしてゆこう。
あらゆるものから送られてくるサイン、という言葉を、そのままに受け取ることを拒ませるものがある。何故なら、あらゆるものから送られてくるサイン、という概念には、送られてくるサインを受け取る者の解釈、という位相が初めから包含されなければならない
はずだからだ。それがなければ、送られてくるサイン、は成立しない。
この曲が主題歌となったドラマ『オレンジ・デイズ』は聴力を失った女性と男子大学生の恋愛を描いたドラマだった。聴力を失った人間は、喋ることも困難だから、手話で会話する。ドラマの中でも、手話による会話で恋愛は進行した。
聴力がある人間同士でも、勘違いや誤解は起こり得る。しかも、送られてくるサインを解釈し損なって起こる誤解もある。或いは、こうも言えるだろう。送られてくるサインは、受け取る者の中では、半ば解釈し終えられている場合もある。
その相手が自分自身にとってどういう存在かによって、解釈は拘束される。また、その者にとって、世界はどのように意味付けされていきつつあるか、によっても拘束され、また、有るものの意味はそのような世界性によって引き摺られる運命にある。
世界は慈しみによって埋められているか、憎しみによって埋められているか、それを決定するのは半ば、送られてくるサインの受け取り手によるのだろう。最近、流行りの殺傷事件によれば、殺傷事件犯は、空や街角から、「殺せ」というサインを受け取ることによって
殺傷に及ぶ、というケースもあるようだ。これまた、送られてくるサイン、の一つの在り方に違いない。
その文脈で言うならば、Mr.Childrenにとって、社会や世の中は、慈しみや思いやりや夢が欠如し、それを求めている、君を愛してる、という一言を求めている、そのような事になろう。しかし、私にはそれは、そのような解釈を施す主体の執着や気掛かりや、
内部の渇望をむしろ表すものである。必ずしも、世の中がそのような渇望をしている、という保証はない。
104:考える名無しさん
08/05/11 22:46:55 0
「哲学を音楽に乗せると、とてつもない爆発力が得られる」
のだと、改めて思った。
105:考える名無しさん
08/05/12 00:50:24 O
特に『I LOVE YOU』の頃から桜井の歌詞の中に、“本で読んだことなんか何の足しにもなりはしない。僕は自分の足でで歩くんだ”的な言葉が出てくることが多くなる。
積まれた理屈を超えて その理屈を超えて(「箒星」)
心配事ばかり見つけないで 慌てないで探しに行こう(「箒星」)
そうだ、理論や知識にもとづいたものじゃなくても、信じた音を奏でよう。間違ってなんかない。きっと正解もない。これが僕らの音。(「僕らの音」)
失敗を前提にした言い逃れをひっこぬいて、呪縛を解け!滑り台の上、ベンチの上、思い立った瞬間、そこは出発点、跳べ 跳べ(「跳べ」)
今、僕らのいる場所が、探してたのと違っても、間違いじゃない。きっと答えは一つじゃない。何度も手を加えた、汚れた自画像にほら、また12色の心で、好きな風景を描きたして行く(「ANY」)
などは典型で、それによって曲は、過去に縛られない軽やかさと飛翔のPOWERを獲得する。自分たちはいかなる歴史も当てにはしない、また、縛られない、とする姿勢が明確に打ち出されている。彼らの勢いはそんなところからも感じられる。
しかし、その一方、BANK FESでの井上陽水とのすれ違いに見られたように、相も変わらぬ問題を潜在的に孕んでいるのも確かだ。井上陽水はMr.Childrenや小林のやっていることに、実はかつての運動家と違わぬ何かを見たはずで、それが感じられたからこそ
わざわざ昔の自分の、全共闘華やかなりし時代にアンチテーゼのように作られた曲まで引っ張りだして、ぶつけてきたのだと思われる。井上陽水からすると、そこにはかつての運動家と同様な、強迫観念が存在したのだろう。
ただ、それは21世紀に見合ったソフトさ、軽やかさを装っていた。しかし、根底においては、寸分違わぬものを持ち併せていた。そんな井上陽水は、Mr.Childrenからみると、過去の歴史に呪縛された人間なのだろうか。
一切の歴史や記録の呪縛を振り切って、自分たちは自分たちのやりたいように、自分たちらしい夢を描くのだ、とするMr.Childrenと小林武史。だが、他者からみられた姿が、自分たちの言っていることと違うとしたら、そのズレをどれだけ誠実に乗り越えられるかに
彼らの真価はかかっているだろう。
果たして彼らは歴史から真に自由たりえているだろうか。
106:考える名無しさん
08/05/12 03:34:38 0
ひさしぶりに2ちゃんに来てみたら同じようなメンバーでまだ布教活動してるんだね。
>>24「タガタメ」という曲がある。佐世保市で起こったような児童同士の殺傷事件にヒントを得て作った曲だろう。因みに歌詞は次のようなもの。
前は9.11~イラク戦争を歌にしたって言ってたじゃん。NEWS23出演時にメンバーも含めてそういう曲として紹介したでしょ。
>>26家族が<壊れ>、子供が<壊れ>、あらゆる関係性が<壊れ>、というのが目下、我々が見ている社会の風景ではないか。
それはマスコミが作った幻想。日本の家族殺しの件数は戦前から変わっていない。人口の増加を考えると相対的にはむしろ減っている。
未成年による凶悪犯罪の件数も実は変わっていない。子供が減ったから主に都心における共同体の力が緩まってきている。これは事実。
>>29
ねじ込んでねえって(笑)お前の引用はしている部分は
いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしよう「終わりなき旅」
果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう~ 心のまま僕はゆくのさ誰も知ることのない明日へ「Tomorrow Never knows」
と同じパターンの部分だ。そんな引用だったら過去の作品からいくらでも出来る。
107:考える名無しさん
08/05/12 03:35:55 0
続き
>>53>>54
福祉系とか良いことしたい系の女はそんなのばっかりだよ。自分や周りの行動を疑えない。
相手に悪いことをしたくないから何でも合わせる。良く受けとめようとする。
そこを突っ込んだり、批判をすると「そんな事ないもん」と逆ギレする。
そういうのが寄ってくる活動してるんだからしょうがない。
>>79 全部終わってるし、日常とは無意味だし、今さら何が必要かなんて論議自体、無知や偽善以外のものではない。教育者も評論家も慈善家も、
>> ポップスやロック歌手も、そのような感覚に蓋をし、まだ未来があるかのような顔をしたがる嘘つきだ。
大概の人間にとっては始まっても終わってもいない。適当に話を合わせているだけ。
そんな暗くなるような事は考えるのをやめて自分に出来る小さな事から一歩ずつ頑張るとか小さな幸せを探す。これが最近の流行。
>>96
小さい幸せを大切にする系は最近の流行だから。もうちょっと続くだろうが気にする事はない。
>>103
ミスチルにそんなイデオロギー無い。固定した価値観なんて持つ訳がない。
「答えなんかは分からないけど、その時々でみんなと一生懸命に考えてやるだけさ」というのが彼らのスタンス。
それが固定した価値観とも言えるけどね。楽だから。日本人の大概はこれ。
>>105 本で読んだことなんか何の足しにもなりはしない。僕は自分の足でで歩くんだ”的な言葉が出てくることが多くなる。
>>積まれた理屈を超えて その理屈を超えて 心配事ばかり見つけないで 慌てないで探しに行こう
本当だね。詞を読んで理屈こねて妄想解釈しても何の足しにもならない。自分の行動に繋がるようにならないと。
桜井の詞を本当に理解しているのか大いに疑問だ。
108:考える名無しさん
08/05/12 16:33:31 0
銭儲けが主体にある音楽。偉大なり盲進する信者。
109:アンティーオナン ◆CDiYyaksok
08/05/12 17:31:53 0
カスチル様は偉大なり
アーメン
110:アンティーオナン ◆CDiYyaksok
08/05/12 17:32:45 0
>>108
罰当たりが神に何たる侮辱は許さんぞ
111:アンティーオナン ◆CDiYyaksok
08/05/12 17:33:11 0
ソーメン
112:アンティーオナン ◆CDiYyaksok
08/05/12 17:51:00 0
ザー(ry
113:考える名無しさん
08/05/12 19:05:17 0
>>108,110
金は天下の回りもの。でもある訳で、循環させているならいいんじゃね?
114:アンティーオナン ◆CDiYyaksok
08/05/12 19:18:58 0
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. .... . .:::∧∧ :::::........ . .:::::::::::::::::::........ ..:::::::::::::::::::::::::: ..::::: . ..::::::::::::
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115:考える名無しさん
08/05/12 22:35:40 0
カスによるカス信者の為に仕組まれた偽音楽。それが循環偽装カスチル搾取原理の真髄なり。
116:考える名無しさん
08/05/12 22:54:06 O
『フェイク』では、夢や努力や、手に入ったものや、女性との関係など、どれもこれもが
フェイク(まがいもの)であって嘘だ、と歌われている。こういう全体的な内容は、ある意味
ありがちで、正直、特に哲学的な感じはしない。
だが、あれも嘘、これもフェイクとされた上での、最後のこの締めは注目される。
「すべてはフェイク
それすら…」
それすらフェイク、ということだと思われ、だとすれば興味深い。つまり、「すべてがフェイク」
ということ自体が、フェイクではないかと問われているのだ。
「何も信用するな(できない)」「全てを疑え」というようなスローガン的なことを言う人は多い。
だが、本当に文字通り「全て」を疑うなら、そのスローガンも、それを言う人も、やはり疑わ
なくてはならないはずだ。しかし、そこまでを明確に言う人は、だいぶ少なくなるように思われる。
しかし、彼らは、きちんとそこまで問うているようだ。ここにも、彼らの懐疑が場当り的なもの
ではなく哲学的に突込んだ内容であることが、現われているのではないだろうか。
(そろそろネタ切れ)
117:考える名無しさん
08/05/12 23:15:37 0
>>116
ば~か。ただのネタものの詞をマジに考えているんじゃねえよ。
しばらくしたら、
「信じられるものがあるとして生きていく」
「分からないままでもいい 探しにいくよ明日を」
「強がっては投げやりになったりして」
とか歌い出して飽きられたらまた
「すべて信じられなくなった」
「そもそも全てと呼べるものなどない」
とか言って繰り返すだけだ。そういう商売なんだよ。分かったか単細胞(笑)
そもそもポストモダン的な価値の相対化は20年前にとっくにやられている。
その辺を真剣に考えていた奴ならこんな安直なアプローチで政治や環境問題に手を出す訳がない。
118:考える名無しさん
08/05/13 01:00:00 O
>>106
> >>24「タガタメ」という曲がある。
> 前は9.11~イラク戦争を歌にしたって言ってたじゃん。NEWS23出演時にメンバーも含めてそういう曲として紹介したでしょ。
桜井が「タガタメ」について書いた文章がネットで公開されている。それによれば、この曲を録音する日の朝、TVをみていて、事件のことを知った。やりきれなくなった。子供をもつ父親として、考えざるを得なくなった。色んな物事と出会い、人と出会い、そうして、
その人間の生きる軌道がある。その過程で、もし違う出会いがあれば、違う軌道も生まれたかもしれない。そんなことを考えた。大体そんなことが書かれてある。語られている心情や語彙からして、テロ事件ではないことは判る。
> >>26家族が<壊れ>、子供が<壊れ>、あらゆる関係性が<壊れ>、
> それはマスコミが作った幻想。日本の家族殺しの件数は戦前から変わっていない。人口の増加を考えると相対的にはむしろ減っている。未成年による凶悪犯罪の件数も実は変わっていない。
少なくとも90年代以降の青少年の凶悪犯罪の流れをみて、<壊れ>というのはどうみても外せないキーワードになる。酒鬼薔薇事件、佐世保市同級生殺害事件、母親毒殺計画事件、バスジャック事件、また、<終わり>の感覚というのも今や、鋭敏な人にとって、
広く染み渡っている感覚だろう。これも90年代のオウム真理教事件に象徴的に表れている。自己が社会のなかで感ずる、息苦しさが普遍化してきた、社会の課す速度と肉体の速度とのズレが堪え難くなるほど激しくなり、精神に異常をきたすほどになる、
また、ストレスからくる人間関係の荒廃、も拡大深化する、こういった諸要因が考えられる。もはや社会は私が生きる場所とは思えない。家族や学校は、しかし、旧態依然な原則しか与えない。そこで不信や拒絶もまた普遍化する。
> >>29
> ねじ込んでねえって(笑)お前の引用はしている部分は、そんな引用だったら過去の作品からいくらでも出来る。
『I LOVE YOU』に頻発されるのは、<跳躍>を自己に促し、<今、やらなければ>と決意させる歌詞。明らかに何らかのコミットメントを秘めていると読めなければおかしい。
119:考える名無しさん
08/05/13 01:00:37 O
>>117
よくは知らないけど、80年代の価値の相対化にも、>>116で書いたことは当てはまるのではないだろうか。
つまり、「絶対的な価値などない」「全てを相対的に捉えるべきだ」というような相対主義的な
スローガンも、「全て」というのを文字通りにとれば、そのスローガン自体も絶対的なものと
しない、つまり、絶対的な価値を主張することも必ずしも否定しない、ということになるはずだ。
しかし実際には、そのように言う人は少なく、むしろ、とにかく相対主義以外の価値を全て否定する、
という言い方が強かったような気がする。多分、その人たちは、実際は、「全て」ではなくて、
「既存の価値」を相対化することを目的としていたのだろう。
それが政治的・社会的・その他の意味で正しいか間違いかは知らないが、哲学的な懐疑という
意味でいう限り、不徹底といわざるを得ないのではないだろうか。
それに対し、ミスチルは、あるいは少なくとも『フェイク』の締めの部分は、哲学的に
一歩踏み込んでいるように思われる。
(なんか釣れた)
120:考える名無しさん
08/05/13 02:18:12 0
>>118
どこが? 柄本 陽三が長崎市の男児誘拐殺害事件~を曲紹介の文章の中で引用しているみたいだけど
桜井の公式HPに書かれたコメントを見る限りイラクの子供が死んでいく事件を見たのかもしれないし分からない。
>>少なくとも~そこで不信や拒絶もまた普遍化する。
感性が敏感だとかどうではなくてTVに影響を受けすぎ。あえて言うのなら社会の本質は昔から変わっていない。
終末論は80年代からあるよ。それを求めた人達がオウム事件を起こしたとは言えるかもね。ただし狂っている人はいつの時代にも居て、
そいつらが狂気を満たすためにやった行動の動機に終末論を後付けしただけかもよ。相対的な人数は減っている訳だから。
そもそも時代や社会情勢の影響の無い犯罪なんてあるのか?(笑)桜井が敏感なのか知らないけど雰囲気に流されすぎだ。
メディアが垂れ流す不信だの拒絶だのになることが面倒くさくなって君が唱っているような難しい事を考えるのを止めて生きている人達がスタンダート。
これは真実。それと「AND I LOVE YOU」はどうみても社会的なコミットがテーマの歌じゃねえだろ。お前の解釈が跳躍しているだけだ。
>>119
そもそもお前が妄想したようにFAKEだと言ってる自分さえも疑ってくれと桜井が言っているのかすら分からない。
世相を切りながら「俺も嘘ついているかもしれないぞ」「偽物かもしれないぞ」って言うアプローチは昔からある。
ビートたけしなんかモロだね。
結論
お前の妄想は跳躍し過ぎて桜井の詞とコミットメントできていない。
121:考える名無しさん
08/05/13 03:26:34 0
>>114
何言ってるのよ? 今のご時世は作品も産業化されているから
儲けるのを目的にしちゃう事だってできるんだよ。
哲学にしてもそうだ。新しい画期的で斬新なアイディアを生み出すのもいいが
二番煎じだろうとも、既存のアイディアを瞬発的に再利用し続けるのは
生き残り戦略としては十分です。
もっとも、このやり方は日本人にはあまり受けが良くなくて、場合によっては
軽蔑もされるから気をつけないといけないけどね。
122:考える名無しさん
08/05/13 09:12:30 0
120へ回答しますが、堅苦しくなってきたので架空の人物の対話で語ることと
します。尚、二人併せて一人の私を表すとします。
A:120の批判を読んで、いくつかBLOGを読んでみた。「かさこワールド」、柄
本陽三って人の。「かさこワールド」では120が見たらしい「ニュース23」で
の筑紫哲也の「タガタメ」へのコメントも引用してある。これによると、筑紫
は「タガタメ」に引っ掛けて、「ほんと、誰がために(イラクへ)行っている
かってことですよね」と発言していたらしい。筑紫や柄本のように「戦争」と
だぶらせて聴く聴き方もあるだろうけど、歌詞のなかの“この街の被害者‐加
害者としての子供”また、その時々によって入れ替え可能かもしれない“被害
者‐加害者”てところまで歩を進めれば、発想の根にあったのは今日の殺人に
おける途中経過のなさ、容易い殺傷ってところ、しかも当事者が子供、てとこ
ろから発想が起こったのはすぐに察しがつくところだろう。
B:唯一120みたいな男を除いてね。大体歌詞の中にある“加害者‐被害者”が
“双方とも子供”で、何で国家と国家の戦争の話になるのかね。訳わからん。
読解に問題があるのか、筑紫や柄本のように“当事者は双方とも子供”てとこ
を消去して意味を拡大するか、どれかだろう。桜井の公式HPの文面を読んでも
、彼がその事件を知って自分も含めた親と子の繋がりについて考えたのは明ら
かだ。つまり歪み切った子供の内面にたいする憐れみ、が読み取れる。
A:またまた「どこが」かもよ(笑い)この人、天才だから(笑い)
123:考える名無しさん
08/05/13 09:57:03 0
B:120が言うには、“社会の本質は昔から変わっていない”“ただし、狂って
る人はいつの時代にもいる”“そいつらが狂気を満たすためにやった行動の
動機に終末論を後付しただけかも”ということだ。これだと人間の社会って一
切何にも変わってないかのようだ。また、歴史的な分析など無意味であるかの
ようだ。そんな話、聴いたことないね。“そもそも時代や社会情勢の影響のな
い犯罪なんてあるのか?”だからその“時代や社会情勢の影響”て何なんだ、
てところを提示してくれって言いたいわけだ。MEDIAの作る幻想、とかで済む
ならそにこしたことなどない。楽天的だねえ。途方もなく。
A:ところで宮台真司のやっているBLOGがあり、そこでも「タガタメ」について
取り上げられている。宮台は「タガタメ」についてこう書いている。
《ありきたりの日常を誰もが同じように生きる。かと思えば子供が殺傷される
悲惨さ。でも公園に行けば別の世界が回る。悲惨な事件と公園と日常。まるで
別世界のようだが全ては連鎖している。日常にコミットするしかない。》
宮台はよくこの曲を捉えているよ。無理やりな拡張も控えて、素直に受け取っ
ている。あと、宮台は桜井の表現についても多言を費やしている。
《桜井のditatchment (社会への没入からの距離化」)な歌詞世界は、(1)
陰と陽、光と影、夢と現実、」虚と実、本当の自分とウソの自分、…といった
ダイコトミー(二項対立)を示しつつ、(2)どちらかを一方的に肯定するより
もむしろ1/f 的に揺らぐ、といった説話論的構造を持つ点に特徴がある。
その上で、(3)そうした揺らぎは多くの場合「即自(感じる自分)」と「対自
(考える自分)」との間の振幅として描かれていて、かつ、(4)そうした揺ら
ぎを謂わば「人間の摂理」として肯定することでditatchmentな感覚を醸し出
す、といった構成になっている。》
そうして、『シフクノオト』における表現についてこう述べる。
《今回はいったんditatchした後、「あえて」感じる自分へと戻り、コミット
しようとする。大きな翻身である。その結果、ナルシスチックな自己撞着を
大きくブレイクスルーした。》
124:119
08/05/13 10:46:13 O
>>120氏は、どうやら、>>119と、>>118氏とが、同一人物だと考えて、それを前提に
あれこれ反論を検討したようだ。
だとすれば、そんな120氏に捧げるこの一節
「この手が掴んだものは またしてもフェイク」
(w)
125:考える名無しさん
08/05/13 12:06:44 0
>>122>>123
ま~た宮台か(笑)自分で感じて考えられる脳味噌は相変わらず無いのね。成長しろ。
評論家が言っているのを引用されても何とも言えない。どの事件に何を感じたかを具体的に提示できない(リスクを背負えない)桜井君だから。
「タガタメ」も相変わらずの「答えなんかは分からないけど、その時々でみんなと一生懸命に考えてやるだけさ」スタンス。
そもそも物事の動機に注目すればどっちが被害者でどっちが加害者か分からないのは当たり前。いつの時代だって同じ。
それを明確に分かっているかのように報道したり考えられていたのは単一的な価値観がまかり通っていた時代の幻想にすぎない。
時代や社会情勢の影響など無いとは言っていないがメディアが報道しているような時代や社会情勢ではないと言っているだけ。
社会の閉塞感とかってのは戦前からずっとある。個と集団の目標をすり合わせるのは難しいからね。
社会に対して言いたい事ややりたい事をなかなか言えずに陰で愚痴をこぼしながらも「なあなあ」にやっていくのが日本の文化。
支配層や社会の変化が根本的な原因ではなくて、みんなそういうノリの中で生きているの。周りもそうだろ?
楽天的というより物事の動機をきちんと捉えれば「どうでもいい言葉」に振り回されることはないということ。
桜井、宮台、マスコミ、チルヲタ…etc 宮台はノリから飛びだす時もあるけどな。
お前等(俺にコメントしたチルヲタ)は文ばっかり読んで引用していないでそろそろ自立しなさい。
それと感じている事が音楽やメディアの影響に偏り過ぎている。そりゃ鬱になって悲観的にもなるよ。
まずは荒川の土手をウォーキングするとかから始めた方がいい。そして彼女を見つけろ。考え方が変わるから。
126:考える名無しさん
08/05/13 12:09:39 0
>>124
どっちも引用ばかりのフェイクだから同じようなもんだ。
127:考える名無しさん
08/05/13 12:25:36 O
A:宮台の分析は流石だよ。桜井って作家の表現を的確に把握してる。残念ながら、(というより当然か(;^_^A)我々より優れてるね。全然我々の聴き方と食い違うわけではないけど、具体的だし解りやすい。どうした、ぐったりして。
B:いや、叶わねえと思うとね、がっくりくるじゃねえか。あんだけ頑張ったのに。
A:でも宮台と我々のかぶさる箇所もあるにはあるよ。『シフクノオト』までのMr.Childrenが、対立項の「揺らぎ」を孕み、しかも、その「揺らぎ」を通して、唯一的な、「固有の履歴を持つがゆえに固有の志向を持つ私」を根本に置いていた、としている辺り。
勿論、我々より教養もあるし、的確に分析しえているんだけどね。
B:つまり、宮台の分析によれば、「固有の履歴を持つがゆえに固有の志向を持つ私」が、様々なる対立項を孕み、「揺らぐ」。これがMr.Childrenが表現する世界である、ということになるのかな。
A:そうでしょう。それで、しかし、『シフクノオト』に至って、さらなる転回が訪れた。宮台の言を借りれば、
《ナルシスチックな自己撞着を大きくブレイクスルーした。》《「社会」に没入しきれないネガティビティから、あえてする日常肯定のポジティビティへ翻身し、一挙に深さを増したのだ。》
となる。しかも、底辺には変わらぬ「固有の履歴を持つがゆえに固有の志向を持つ私」がある。我々からみて詰まらないように見えたのは、今のMr.Childrenが放つ一種の肯定感というか、まあ、宮台に倣って「日常への肯定」と言ってもいいかもしれないけど、
それなんだろうね。
B:しかし、「FAKE」などをみると、変わらぬ「揺らぎ」が見えたりもする。それにしても、「彩りや」「箒星」の楽天性は凄い。あれは見習うべきなのかね。
A:いや、宮台説によれば、信と懐疑はMr.Childrenにおいては、背中合わせの関係にある。だから面白い。分裂的なんじゃないかね。今は確かに楽天性や日常肯定感が占めてる感があるけど、そこには必ず彼らの場合、相反する要素があるはずだから。
128:考える名無しさん
08/05/13 12:34:30 O
>>125
もうあんたの自信満々なだけの無内容な話はいいよ。聞き飽きた。近所の子供でも集めて説教してなさい。2ch.とかに書いてるような大人にはなるな、体を鍛えて立派な日本国民になりなさい、とかさ。あんたにはそーゆーのが一番似合ってる。
ジャージ着て子供と走ってなさい。
129:考える名無しさん
08/05/13 12:37:02 0
何をやりたいのかさっぱり分からない。シンプルに言おう。
矛盾する二つの自分がいるのなんか当たり前。
ミスチルに限って言えば昔からの芸風。
何でいつもメディアにとってタイムリーな悩みを抱えているんだ?
その小さくてつぶらな脳味噌でよ~く考えよう。
君はそろそろ彼女作った方がいい。
130:考える名無しさん
08/05/13 12:40:08 0
>>128
お前も含めたチルヲタの書いたコメントにどれだけの内容があるんだよ。
何でも都合良く解釈しようとする君らの方がよっぽど傲慢じゃないか。
そういうノリの人間が集まっているから自分達の傲慢さに気がついていないだけ。
131:考える名無しさん
08/05/13 12:48:26 O
>>130
> >>128
> お前も含めたチルヲタの書いたコメントにどれだけの内容があるんだよ。何でも都合良く解釈しようとする君らの方がよっぽど傲慢じゃないか。そういうノリの人間が集まっているから自分達の傲慢さに気がついていないだけ。
いや、何と言われてもあなたよりは他の人の方が遥かにマシ。他の人はちゃんと聴いて解釈してるじゃない。あなたが無内容ではないと言い張るなら、あなたなりのミスチルとの対峙の仕方が(肯定的にしろ否定的にしろ)あるはず。しかし、それは感じられない。
多分あなたにはミスチルは必要ない。したがってここに来る理由もない。じゃ、帰んなさい。
132:考える名無しさん
08/05/13 13:32:34 0
>>131
言い分が女っぽいね。
>>いや、何と言われてもあなたよりは他の人の方が遥かにマシ。
やっぱり傲慢だなぁ。
>>他の人はちゃんと聴いて解釈してるじゃない。
他の人はちゃんと聴いてると決めたのは貴方ですね。
>>あなたが無内容ではないと言い張るなら、あなたなりのミスチルとの対峙の仕方が(肯定的にしろ否定的にしろ)あるはず。
対峙してるだろ。ミスチルは何でいつもメディアにとってタイムリーな悩みを抱えているんだ?いつまで悩むんだ?
悩んでいるわりに結局は「答えは分からないけど、その時々でみんな(または相手と)と一生懸命に考えてやる」に戻るだけ。
共感度や好感度は上がるだろうが不自然極まりない。ただの芸風と考えるのが自然。
>>多分あなたにはミスチルは必要ない。したがってここに来る理由もない。じゃ、帰んなさい。
君はさっさと街に出なさい。チルヲタ以外の人とも壁を作らずに正直に自分を話せるようになりなさい。
133:考える名無しさん
08/05/13 13:47:27 0
>>132
メディアにとって→メディアやその時の最大公約数の人間にとって
134:考える名無しさん
08/05/13 21:19:08 O
実は『フェイク』については、ライブDVDで、さらなる展開を見出すことができる。
「全てがフェイク、フェイク…」と繰り返された後、直接そのまま、「その全てが真実」(『Any』)と、
つなげて歌われているのだ。これが注目される。
例えば独我論では、「外界に存在するとされるものも、実は全て、私の心に現われるにすぎない」
と考えられる。そう考えるとすれば、「例えばあれにはこんな根拠があるじゃないか」
と、普通考えられる個々の根拠を挙げてみても、役に立たない。そういう全てが、
私の心にすぎないとして、全体的に疑われているからだ。
逆に、もし独我論が解決されるなら、その解決方法も、個々の根拠がどうこうではなく、
全体的な解決になるはずだ。
哲学的な問題は、このように全体的であることが多いと思われる。
そこで、上で書いたような、「全てがフェイク」から、直接いきなり「全てが真実」につなげ
られる流れには、このような全体的解決との対応が見出だされる。
このあたりにも、彼らの哲学的な傾向が現われているのではないだろうか。
(しつこい)
135:考える名無しさん
08/05/13 22:16:01 O
50に同意
136:考える名無しさん
08/05/13 22:54:53 0
>>134
全部嘘→全部肯定なんて腐るほどある。
そんなつまらない哲学を頭で考えているくらいなら自己啓発セミナーにでも行けば?
137:考える名無しさん
08/05/14 00:02:06 O
>>136
「イライラして過ごしてんなら愛を補充~」
(w)
138:考える名無しさん
08/05/14 00:12:45 O
125:>>122>>123
ま~た宮台か(笑)自分で感じて考えられる脳味噌は相変わらず無いのね。成長しろ。評論家が言っているのを引用されても何とも言えない。
A:この男、我々が引用した宮台の文章、結局理解出来なかったんだろうな。そんな読解力はないわけでバカの一つ覚えみたく外に出ろ、女と付き合え、をリフレインするだけだ。こいつこそ風俗通いが関の山だろうに(笑)。よく言うよ。
B:いたずらに持論にこだわり、自分より優れてる見方からは目を塞ぐようなのを“成長なし”と言うことくらいは理解しないとねえ。
A:評論家が言ってることから目を塞がずに、具体的にどこがどうだと指摘できれば大したもんだが、そんな力量はなし、社会も犯罪も本質は昔から同じとか、何を言ったことにもならない話を繰り返してるだけの空っぽな話よりか“評論家”の分析のほうが遥かに面白い。
>そもそも物事の動機に注目すればどっちが被害者でどっちが加害者か分からないのは当たり前。いつの時代だって同じ。それを明確に分かっているかのように報道したり考えられていたのは単一的な価値観がまかり通っていた時代の幻想にすぎない。
A:具体的に事件をあげてみるとこの手の話の空っぽさは一目瞭然になる。佐世保市の同級生殺害で、被害者と加害者は“どっちが被害者‐加害者か分からない”とすれば“ある事が気に食わない”から“殺害”までの中間過程が省略されているかにみえることを抜きにしては
考えられない。その点で、今日の感性にある<日常を維持することは徒労>という感覚と結び付いている。“動機”をどっちがもつかで“加害者”が決まる、なんてことを言っているわけではない、てことがこの男には解ってないんだ。そんなことは議論するにも値しない
前提なんだ。小学生じゃないんだから(笑)
>時代や社会情勢の影響など無いとは言っていないがメディアが報道しているような時代や社会情勢ではないと言っているだけ。社会の閉塞感とかってのは戦前からずっとある。個と集団の目標をすり合わせるのは難しいからね。
A:これまた味噌もクソも一緒にした空論だ。“社会にある閉塞感は戦前からある”として、その内実は全く同じか、違うところはないか、違うとしたらどこか、まで語らないと、何を大雑把な話してるのか、てことにしかならない。
139:考える名無しさん
08/05/14 01:57:40 O
>129:何をやりたいのかさっぱり分からない。シンプルに言おう。矛盾する二つの自分がいるのなんか当たり前。ミスチルに限って言えば昔からの芸風。何でいつもメディアにとってタイムリーな悩みを抱えているんだ?その小さくてつぶらな脳味噌でよ~く考えよう。
A:“矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前”か。多分、「あなた、私とあの子のどっちが良いの。どっちが好きなわけ、この場で言ってくれない?」とか指弾され、「矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前」とか言い逃れした場合、どういうことになるか、
経験したことないんだろうな。
B:他にも色んなケースがある。「わがA派と一緒に活動しながら、対立するB派とも付き合う、とはどういうつもりか?スパイなのか?」と聴かれ、「矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前」とか言い逃れした場合、鉄拳が飛んでくるであろうことも知らない。
馬鹿丸出しだ。
A:矛盾てのは矛盾である限り、正されるべきもの、という一般的な観念がない。ないから堂々と「当たり前」とかのセリフが出てくる。正されるべき、にも拘らず、内面において、その方途が見出だせない場合、苦悩が現れる。文学における苦悩の表現のモチーフになりやすい。
むしろ、そのようにしてのみ内面の矛盾には対峙しうる。
B:組織的な運動を内心で否定しているにも拘らず、組織的な運動でしか立ち向かえない現状がある、としたら、組織的な運動に頼るしかない。そこに矛盾がある。その矛盾を止揚できるのか、というのは政治社会思想では困難な課題として絶えず持ち上がってくる。
その場合、「矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前」なんてのは軽業師か曲芸師のセリフに過ぎない。何にも経験したことない人間の空っぽな話だね。
140:考える名無しさん
08/05/14 17:58:56 0
>>138
前にちゃんと一つ一つ答えてあげたら逃げた癖に(笑)ま~た過疎らしちゃうよ?
宮台も「どうにも日本のエリート層は業界の空気に飲まれてしまって内部に迎合した個の無い論調ばかりになってしまう」
「そういう奴がいざ立場が悪くなると掌を返すのを自分の父だかおじいちゃんだかが戦争が終わった直後に見ていて、
「人の話している内容ではなくて動機(か行動)を見ろ」と言われて育った」とか言っていたの知ってる?PCの番組で言ってたよ。
宮台は立場上、支配層への提言として言っているけど、実際はそういう国民性から来ている部分が大きいんだよね。
「なあなあ」「所属する業界や時代が変われば掌を返す」「周りの顔色ばかり気にして生きる」それは戦前から変わっていないらしいよ。
俺も最初は戦後教育の問題かなと思っていたけど、もっと根が深い文化レベルの問題であることに気がついたんだよね。
とりあえず「中空構造日本の深層」「母性社会日本の病理」「菊と刀」でも読んで見れば?同じこと言ってるから。
俺はミスチルの桜井君には同じ臭いを感じるから嫌。でも文化的にウケるのは分かる。好みの問題。
続く
141:考える名無しさん
08/05/14 17:59:28 0
続き
頭でっかちなだけの君に分かりやすく言うと、人にはそれぞれ動機があって裁判という便宜上「理由」を特定し裁きをする。
でも、加害者とされた人間の生い立ちや資質などをきちんと聞けば、一部の猟奇殺人を除けば「もし自分がそういう環境で育ったら…」
と自分の胸に手を当てて考えた時に一方的に加害者となった人間を叩く側にはなれないはずなんだよね。
ほとんどの人間が(特にマスコミ)「分からない」のが恐いから「もっともらしい理由」や「自分とは違う理由」をつけて安心していただけでしょ。
佐世保の事件は「ついに分からない殺人事件が起こった」「そういう時代になった」をネタにして分かったようなことを言っているんだと思う。
事実「分からないね…物騒な世の中になったもんだ。ま、友達や家族は大事にしよう」のまま消えちゃった。
猟奇殺人を見つけるとこぞって取り上げるマスコミってどうなのかね?それが全人口のどれくらい居るって言うんだ?
どちらにしろ世の中にあった数々の平凡な出来事はとりあげないんだから偏ってるんだよね。
で、そんな報道を適当に受け流して実際はどうなのよ?と周りを見渡してみると危なっかしそうな奴の数はそんなに変わっていない。
調べてみると日本の家族殺しの件数は戦前から変わっていない。人口の増加を考えると相対的にはむしろ減っている。
未成年による凶悪犯罪の件数も実は変わっていない。子供が減ったから主に都心における共同体の力が緩まってきている。
そのくらいの認識が本当のとこでしょ。ま、「物騒な世の中になった」「子供が心配だ」くらい言わないと常識を疑われるけどね。
そう言っている奴等ほど結局は問題を解決出来るようなことは何もしないし言わないのは知っている。
142:考える名無しさん
08/05/14 18:34:09 0
>>139
そもそも一般社会で君が例に出したような詰め寄られるシチュエーションにはなかなかならないよ。
そうならないためにも「なあなあ」にして、みんなが納得しそうな空気にあったことしか言わないようにするんだよ。
そうやって「なあなあ」にするから、だんだん活動目的が分からなくなるんだよね。君の好きそうな政治団体なんか見ていると分かりやすい。
一般社会経験が無いのは君だと思うけど。
君が例に出したシチュエーション以外でも「矛盾する二つの自分がいる」事は誰にでも良くある。
それを一般社会ではっきり言うのは馬鹿。それをネタにするのが文学であったり詞の世界の基本。
声を聞きたいけど迷惑かな…電話をかけられない…明日まで待とう…でも、待てない…ああ、声を聞くと安心する…貴方に夢中
みたいなさ。テキトーだけど。そういう話をしているんだけど…。
ミスチルに限って言えば昔からの芸風。
何でいつもメディアにとってタイムリーな悩みを抱えているんだ? と考えてみよう。
と思ったけど、その前に彼女を作った方がいい。 君の場合はまずそれからだ。
143:考える名無しさん
08/05/14 19:17:04 0
>>142
>>声を聞きたいけど迷惑かな…電話をかけられない…明日まで待とう…でも、待てない…ああ、声を聞くと安心する…貴方に夢中
頭が固いからこの例えは違うとか言ってきそうだな。
ま、「矛盾する二つの自分がいる」のは当然で誰にでも良くある。文学や詞の世界の基本。そんだけ本ばかり読んでいれば分かるだろ?
お前の頭の中のミスチルは居ないんだからスポーツ好きな彼女でも見つけなさい。
144:考える名無しさん
08/05/15 01:30:53 O
>141:頭でっかちなだけの君に分かりやすく言うと、人にはそれぞれ動機があって裁判という便宜上「理由」を特定し裁きをする。でも、加害者とされた人間の生い立ちや資質などをきちんと聞けば、一部の猟奇殺人を除けば「もし自分がそういう環境で育ったら…」
>と自分の胸に手を当てて考えた時に一方的に加害者となった人間を叩く側にはなれないはずなんだよね。
A:犯罪には動機があり、行為に及ぶ。責任能力の有無によって刑の加重に差が出てくる。ところで問題は何かといえば、近年の殺人事件においては、動機が不鮮明、また、従って何故かような行為に及んだのか、という分析が困難、という事件が起きてきた。
加害者は様々で、日常既に異常を近しい人間に感じさせた者もあるが、そうでなく、異常性を感じさせなかった者もある。そこに薄気味の悪さがある。この人の言うように、家族殺人件数は過去と比べて、激増しているわけではない。しかし、問題は今述べたような、
不鮮明さにある。要するに質の変化なんだよ、問題は。そこを見なければ現代日本の抱えてる病巣は見えてこない。どういう人間が、何故、かような殺人に及んだか、その構造が見えてこない事例が多発しているわけだ。だから困るわけで、確かにマスコミが興味深く描く
その手法に問題なし、とまでは言わないが、それは枝葉末節の問題だよ。マスコミが取材したお蔭で見えてきた特異性もある。“いつの時代にもいるおかしなヤツがしでかしただけ。社会は実はたいして変わってなどいない”と結論できれば良いが、そうは言えない。
そう結論するには理解困難なことが余りに多く近年の少年による殺害事件にある。だから困るわけだ。そこを理解しなきゃならん。
B:そう。“頭がおかしなヤツはどこにでもいるからな(笑)”で済ます、というのは、一般市民に、特に年長者に多いんじゃないかと思うが、事態の困難さを把握できてない故の通俗的な分け方にしか見えない。俺の仕事場にもいたけど、あー、そうやって安心したいのかなあ
、としか思わなかった。しかし、この人、だんだん真面目に喋るようになってきたんじゃね?良い傾向だよ。そう来なくちゃ(笑)。ついでにバカみたいに“外に出ろ”“女と付き合え”とか言わなくなればなおいい(笑)
145:考える名無しさん
08/05/15 01:57:42 O
>142:そもそも一般社会で君が例に出したような詰め寄られるシチュエーションにはなかなかならないよ。そうならないためにも「なあなあ」にして、みんなが納得しそうな空気にあったことしか言わないようにするんだよ。そうやって「なあなあ」にするから、
>だんだん活動目的が分からなくなるんだよね。君の好きそうな政治団体なんか見ていると分かりやすい。一般社会経験が無いのは君だと思うけど。
A:“一般社会”で矛盾した言動なんか繰り返してたら大変なことになるぞ。仕事場で矛盾した言動なんかしたら「一体どっちなんだ!」「何が言いたいんだ?」と指弾されるのは間違いないだろう。
B:俺の働いてる仕事場で、大事な連絡事項が書かれたメモがいつの間にかなくなってた事がある。探したら、丸めてゴミ箱に入ってた。誰が捨てたんだ、てことになった。ところが、そこにいた人間全員、「私じゃありません」としらを切り出した。
しかし、メモがホワイトボードに貼られてからゴミ箱に見つかるまで、そう時間はたってないし、そこにいた中の誰かがやったのは間違いない。でなきゃ、見知らぬ侵入者が電光石火の早業でメモを剥がして捨てた、としか言えない。矛盾してるんだよ。
仕事場の上司は最初怒ってたが最後は呆れ返ってたよ。何て奴らだ、と言いたげだった。もうそいつらの信用はない。そんなもんだ。
A:自己対自己の関係というか、要するに内面的な問題で悩みながら、右往左往する、それなら誰も迷惑は蒙らない。しかし、社会では別だ。責任ある場所で矛盾は許されないよ。彼だって仕事してるのだろうからそれくらいな話は理解してるだろうに、不思議だな。
てか、ミスチルとこんな話、関係あるのか(笑)?
146:考える名無しさん
08/05/15 10:10:01 0
B:ミスチルのスレなんだから、ミスチルのネタを書いてゆこう。手軽なところ
でやっぱ悪口になるね(笑)。「彩り」なんか言い易いよ。
《僕のした単純作業がこの世界中を回り回って まだ出会ったこともない人の
笑い声を作ってゆく。そんな些細な生き甲斐が 日常に色を加えるモノクロの
僕の毎日に、少ないけど 赤 黄色 緑》
桜井のこんな歌詞を聴いて無闇に笑ってるのはコンサートで体操みたく腕を曲
げ伸ばししてるファンだけだ。少なくとも俺は、ちっとも笑えない。よくもこ
こまで脳天気に自分たちの表現の価値を無造作に提示できるのか、感心はする
けどね。《子供らを被害者に 加害者にもせずに この街で暮らすため まず
何をすべきだろう》って言うけど、ひとまず歌うことを停止し、冷たい視線で
状況を分析してみること、それをやれって言うんだ。《涙を流し 瞼を腫らし
祈るほかない》わけではないよ。そのセンチメンタリズムで事態を塗りたく
るのは止めろ、桜井。「マシンガンをぶっ放せ」の歌詞を思い出せ。お前の今
の姿はあの中で皮肉られてた《良識を重んじてる善人》と同じだぞ。
A:ただ、「FAKE」ではニヒリズムを披露してもいる。宮台の言うように、「
揺らぎ」もありなんだけどね。
B:じゃ、それを止揚しろよ。と言いたい。一体どっちが自分の立場なのか、聴
いてる人間も判らん。どっちでもないなら第三の立場が何なのか、提示できな
きゃ、単なる優柔不断に過ぎないぜ。
147:考える名無しさん
08/05/15 11:15:56 O
A:桜井って、歌詞などで書いてる割りにはさほど、可能性を徹底的に突き詰める、てことはしないよね。思考で突き詰める代わりに何をやるかといえば、センチメンタルに泣いてみせる、チャリティーの雰囲気に酔い痴れる、それが実際どんな内実を孕んで進行してるか、
あんまり考えてないようだ。日本の若者が抱えてる精神的、社会的な状況のきつさを考えてみれば、ap baok fesに数万人集まり、有名アーティストが集まったくらいのことで何にも大した事実ではないことは理解容易な話だ。そこで「彩り」みたいに脳天気な歌が書ける、
というのが、現状とズレた楽天性を抱ける背景になってるんだろう。
B:気分なんだよ、「地球を救うため、人々を一つにしたような」「子供への救いは悲劇的にしかなりはしないような」というね。自己満足だ、早い話が。
A:宮台が分析してる桜井の表現手法を考えてみると、《固有な履歴をもち、故に固有な志向をもつ私》というのはハイデガー的なんだけど、たとえそれが底辺にあるにせよ、実際のライブからは、伝達は成功している、という安易な確信しかしてないと解るし、
そもそも、ただのアイドルコンサートのノリで来てる観客に満面な笑顔振りまく馬鹿がどこにいる。もっと信者やファンを疑え、桜井!お前の姿はくだらなさ過ぎだぞ。
B:宮台がせっかく誉めてくれたにも拘らず、根本的感性が小市民をたいして出ないんだよ、この男は。過激になりかかるとすぐ自分でSTOPをかけてしまい、また元の職業人気歌手の仲間入りしてしまう。臆病なんだな、根が。だからそこでROCKに成り切れない。
A:ビートルズとミスチルを比べて何か言いたがる人間もいるようだが、ビートルズもアイドルには違いないが、ビートルズには小市民性を内部から食い破る過激さがある。また、聴く人間を不安にさせ、不吉な予感をもたらす曲を平気で発表する大胆さもある。
小市民的な殻を破れないミスチルなどと一緒にされては困るね。