08/05/14 01:57:40 O
>129:何をやりたいのかさっぱり分からない。シンプルに言おう。矛盾する二つの自分がいるのなんか当たり前。ミスチルに限って言えば昔からの芸風。何でいつもメディアにとってタイムリーな悩みを抱えているんだ?その小さくてつぶらな脳味噌でよ~く考えよう。
A:“矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前”か。多分、「あなた、私とあの子のどっちが良いの。どっちが好きなわけ、この場で言ってくれない?」とか指弾され、「矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前」とか言い逃れした場合、どういうことになるか、
経験したことないんだろうな。
B:他にも色んなケースがある。「わがA派と一緒に活動しながら、対立するB派とも付き合う、とはどういうつもりか?スパイなのか?」と聴かれ、「矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前」とか言い逃れした場合、鉄拳が飛んでくるであろうことも知らない。
馬鹿丸出しだ。
A:矛盾てのは矛盾である限り、正されるべきもの、という一般的な観念がない。ないから堂々と「当たり前」とかのセリフが出てくる。正されるべき、にも拘らず、内面において、その方途が見出だせない場合、苦悩が現れる。文学における苦悩の表現のモチーフになりやすい。
むしろ、そのようにしてのみ内面の矛盾には対峙しうる。
B:組織的な運動を内心で否定しているにも拘らず、組織的な運動でしか立ち向かえない現状がある、としたら、組織的な運動に頼るしかない。そこに矛盾がある。その矛盾を止揚できるのか、というのは政治社会思想では困難な課題として絶えず持ち上がってくる。
その場合、「矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前」なんてのは軽業師か曲芸師のセリフに過ぎない。何にも経験したことない人間の空っぽな話だね。