08/05/13 21:19:08 O
実は『フェイク』については、ライブDVDで、さらなる展開を見出すことができる。
「全てがフェイク、フェイク…」と繰り返された後、直接そのまま、「その全てが真実」(『Any』)と、
つなげて歌われているのだ。これが注目される。
例えば独我論では、「外界に存在するとされるものも、実は全て、私の心に現われるにすぎない」
と考えられる。そう考えるとすれば、「例えばあれにはこんな根拠があるじゃないか」
と、普通考えられる個々の根拠を挙げてみても、役に立たない。そういう全てが、
私の心にすぎないとして、全体的に疑われているからだ。
逆に、もし独我論が解決されるなら、その解決方法も、個々の根拠がどうこうではなく、
全体的な解決になるはずだ。
哲学的な問題は、このように全体的であることが多いと思われる。
そこで、上で書いたような、「全てがフェイク」から、直接いきなり「全てが真実」につなげ
られる流れには、このような全体的解決との対応が見出だされる。
このあたりにも、彼らの哲学的な傾向が現われているのではないだろうか。
(しつこい)